「クソッ、クソッ、あの女、あの女ァ…!!」
女子寮前。しとしとと降り続ける雨に浸った地面から立ち上がりながら、夕映は壮絶な怨嗟を漏らしていた。
千雨が状況的に追い詰められていると知り、大急ぎで武器や装備を整え、寮の玄関口で張り込んでいた。装備をすべて揃えて寮に戻った時は、とっくに日付を跨いでおり、千雨が逃げ出してやいないかと心配していたが、彼女が部屋に居ると知ってひどく安心したものだった。
しかし当の怨敵は、夕映が必死の思いで立ち塞がっていたのを知りながら、それを足蹴にして何処かに走り去っていってしまった。それは夕映にとって、お前など眼中に無い、と言われたも同然の屈辱だった。
「許さないっ…!絶対に、許さないっ!絶対に…!」
歯軋りしながら、千雨の去った方向を睨みつける。すでに彼女の姿は無い。今から探したところで間に合わないだろう。
―――――探すのが自分一人ならば、の話だが。
夕映の行動は速かった。携帯電話を取り出し、つい先日登録したばかりの番号にかける。
「―――あ、もしもしお早うございますネギ先生!朝早くに申し訳ないですが、助けてほしいです!」
#35 信仰は儚き人間のために
公園の野外ホールには、不気味な沈黙が満ちていた。
男たちはそれぞれの手に武器を持ち、中央に立つ少女に向けている。
人質の4人は、ポカンと口を開けて少女に見入っている。
傷だらけで横たわる男は、少女の来訪に戸惑っていた。
紳士然とした男は、目を見開き、少女との力量差を推し量っていた。
そして、中央に立つ少女―――千雨は。
一通り全員を見回した後、ある一点で視線を止めた。
「よう、明石教授。演奏会の予約もらってたけど、会場はここでいいのかい?」
まるで状況が分かっていないかのような屈託のない挨拶に、全員の意識がようやく再起動した。
「オイ、小娘――――」
真っ先に反応したのは、やはり、ウェルダンたち部隊の人間だった。全員の怒りと殺意が、千雨の一身に注がれる。
ウェルダンが歯をむき出しにして唸ると同時に、千雨の両こめかみに銃口が突きつけられた。千雨は軽く両手を挙げつつも、銃を持つ手も持つ人間も、一瞥すらしなかった。
「今フレッシュたちを殺したのは、テメエだな?何者だ?
ウェルダンが殺気を込めて問いかけるも、千雨からの返答は無い。
代わりに声を上げたのは、裕奈だった。
「はっ、長谷川!!今すぐ逃げて!!こいつ等――――痛っ!!」
裕奈が叫んだと同時に、突きつけられたナイフが横に1センチ程引かれ、裕奈の喉に真っ赤な傷を残した。
まき絵たちから悲鳴があがる。明石教授が怒りに唸る。
「なぁ、私からも聞きたいんだけどさ。」
その様子を横目で見ていた千雨が、ようやく口を開いた。
「無力で抵抗も出来ない、か弱い女の子を嬲るのって、どんな気分よ?」
まるで天気でも訪ねているかのように何気なく、しかし一切感情の抑揚を感じさせない声だった。
男たちは一瞬沈黙するも、すぐに薄気味悪い笑みがその場を覆う。しかし、下品な笑いを交えつつも、その武器は、意識は、千雨に注意深く注がれている。何か動きがあれば、即一斉攻撃にかかる事の出来る体勢を取り続けていた。
「ああ?最ッ高に楽しいに決まってんだろ?そういうのを味わうために、この稼業をやってると言っても過言じゃねぇ。好きな事して金儲け出来るなんざ、天職以外の何物でも無ぇやな!」
「へー、そう。」
返事をしながら、無駄の無い動きで、突き付けられた銃口より後ろに頭を下げ。
銃を持つ手がその動きに気付くより速く、ごく自然な動きで、引き金を握る互いの指を押し込んだ。
パン、と同質の音が重なる。
千雨に銃を突き付けていた男たちが、互いの銃弾に貫かれて斃れる。
斃れ込むその陰から、一瞬で両手に構えた拳銃で、連続して撃つ。
3人分の呻き声が響いた。
「―――そりゃ良かった。心置きなく皆殺せる。」
「―――ッ、殺せェ!!」
ウェルダンが叫ぶと同時に、合わせて数百もの銃弾と魔法が一斉に降り注いだ。
一瞬後に目の前に広がる
そして、一瞬でその笑みを凍りつかせた。
千雨の背負う巨大なサックスケースが、目にも止まらぬ速度で振るわれた。
本来ならケースごと千雨を粉砕して然るべき弾幕は、振るわれたケースに弾かれ、消えていく。一方ケースには傷どころか歪み凹みさえ一つもない。
「仕込みサックスケースか!鉄板か防御魔法陣か何か入ってやがるな畜生!」
男たちの誰かが叫んだ。
事実、千雨のサックスケースの内側には、防弾用の金属板と千草謹製の防御符が縫い付けてある。生半可な銃弾や魔法程度で破れる代物ではない。
だがそれ以上に、千雨の技量が凄まじい。全方位から1秒以内に迫る数百発分のそれを、攻撃の方向、速度等の情報を瞬時に把握し、最高のタイミングでケースを振り、全弾払い退けているのだから。
だが生憎、その事実に気付けていたのは、少し距離を置いて見ていたヘルマンだけだった。男たちは攻撃が当らず、自棄になって撃ちまくっている。
(速いだけでなく巧い、それにあの反応速度、迸る殺意…!連中の攻撃を捌いている今も、人質や私の一挙一動に目を光らせている!これが―――これ程の技の冴えを持つ者が、小娘などであるものか!)
サックスを煌めかせ、拳銃とサックスケースを交互に持ち替えながら、数百の弾幕を防ぎ続ける姿は、天女か死神の舞を連想させる。しかも今はまだ守りに集中しているだけだ。彼女が積極攻勢に出た時のことなど、想像したくもない。
そして、そこまで考えてようやく気付いた。
いつの間にか千雨が、サックスを取り出していることに。
(――――――――――――――――!!)
ヘルマンが反応するよりも、千雨が行動に移す方が速かった。マウスピースを口に咥え、息を吹き込む。
言い様のない不快感、脳を割りそうな頭痛、目まい、耳鳴り、吐き気が一緒くたになって押し寄せ、平衡感覚をずたずたに引き裂いていく。悪魔も人間も、人質までもが超音波の餌食となり、姿勢を維持出来ずに崩れ落ちていく。
故に、男達の手から人質が離れるのも当然の事で。
その隙を狙って作った千雨にとっては、絶好の機会に他ならなかった。
「そのまま伏せてろ、明石。」
男たちの手が離れ、目まいと共に倒れ込んだ裕奈に、千雨の声がかけられる。裕奈は声を挙げようとするが、目まいが酷く、口一つ、指一つ動かせない。
割れるような頭痛に苦しむ、裕奈を掴んでいた男の後頭部を思い切り踏みつける。鼻が潰れるような音と、くぐもった呻き声を鼓膜の端に聞きながら、サックスを背中に回して両手に拳銃を構える。
そして一発ずつ発砲。アキラとまき絵を捕らえていた男二人をまず殺す。
「畜…生ッ!」
もう一人の男が、ふらつく身体を必死で留めながら、亜子を右腕に捕えて杖先を向ける。亜子は超音波に苦しみ、視界が定まっていない。
「
十数の氷の槍が、千雨に向かって飛ぶ。
しかし千雨は、足元の男の腹を蹴り上げて盾代わりにした。
「がはぁっ!?」
「なっ!?テメ―――――!」
同士討ちを誘導され、思わず怒り狂う男だったが、千雨が銃を撃つ方が圧倒的に速い。額を撃ち抜かれ、一瞬で絶命する。撃たれた腕から力が抜け、亜子の体の支えが無くなる。
「きゃ―――――!?」
体勢を崩した亜子の体を、千雨が受け止めた。
そのまま裕奈の方に押しやり、今度は明石教授の方に身体を向ける。
すでに目の前に、十数体の悪魔が迫って来ていた。
『キシャアアアアアアアッッッッ!!』
聞くに堪えない悲鳴のような鳴き声に顔を顰めつつ、サックスを構えて一気に息を吹き込む。
サックスから放たれた衝撃波が、襲い来る悪魔たちの身体を内側からぶち抜いていく。まるで蜘蛛の子を散らすように悪魔たちが宙を舞う中を、ヘルマンがその身一つで駆け抜けてきた。
「
拳が砲撃となって千雨に迫る。その射線上には亜子と裕奈が居る。避けるわけにはいかない。しかし衝撃波を放ったばかりなので、空気圧の障壁を作れるだけの空気を肺に溜め切る時間はない。
千雨はすぐさま、撃ち殺したばかりの男の屍を掴み上げ、盾にする。
ヘルマンの拳をモロに喰らい、吹き飛びそうになる
防ぎきると同時に、肉壁が弾け飛ぶ。人間としての原型を留めず砕け散る、その血と肉片の陰から、ピンを抜いた手榴弾を投げ込む。
不意を突かれたヘルマンを爆風が襲い、吹き飛ばした。
「くたばれェっ!!
何とか体勢を立て直したミディアムが魔法を放つ。
地面から伸びる鋭い石の棘を躱すと、巨躯の男が鉈を振り上げ襲いかかってきた。
振り下ろされた鉈を避け、銃弾を撃ち込む。が、貫通しない。
男がニヤリと笑った。どうやらコイツの自慢はそれのようだ、と千雨は軽く当たりを付けながら、風切り音を立てて振り回される鉈を避け続ける。
「いいぞミンチ!そのまま攻め続けろ!サックスを咥える隙を与えるな!」
ウェルダンの声が飛ぶ。どうやらこのミンチとやらを攻め手にして、それを援護する形に回るつもりのようだ。
―――――舐めやがって。
千雨の中で一層不愉快さが増す。千雨にしてみれば、この程度の連中などヒヨッコに過ぎない。そんな連中が自分を見切ったつもりになっているのが、この上もなくムカつくのだ。
ならば、思い知らせてやろう。レベルの違いを。自分たちが一体、誰に喧嘩を売ったのかを。
ミンチの鉈が右斜め上から迫る。
間違いなく首筋を捉えたその斬撃は掠りすらせず、その上千雨の姿もミンチの視界から消えた。
「え――――――?」
その声は誰の物だったか。
気付く間もなく、血飛沫が飛ぶ。
男たちの群れの、一番後方。ミンチの視界の、一番端に居た男。
千雨から一番離れた所に居た男の頭が、何の前触れもなく爆ぜた。
「―――ミンチ!何処見てやがる馬鹿野郎!真後ろだっ!!」
言われて初めて、背中に寄りかかる少女一人分の重さに気付く。
「う、うおおおおおっ!!」
振り向き様に鉈を一閃する。しかし、千雨の姿はまたしても霞のように消え、同時に、ミンチの視界の右端に居た男の頭が爆ぜた。
そして、背中から伝わる同じ重さ。
相手の死角を縫った移動。接近戦における、千雨の得意技だ。
「なっ――――」
ミンチが振り向いた時には、すでに居なかった。そして仲間内からまたしても悲鳴があがり、背中に重さが加わる。
「ち、畜生っ!“魔法の射手・火の17矢”!」
「――――っ!馬鹿、止せ!」
恐慌状態に陥った仲間の一人が、ウェルダンの止める声も聞かずミンチの背中に寄りかかる千雨に向けて魔法の射手を放った。
「ほぉら、こっちだぜ木偶の坊。」
「く、糞っ―――――ギャアッ!?」
だが喰らったのは、千雨の誘導に乗って動いてしまったミンチだった。
ミンチの背中が燃えると同時に、魔法の射手を放った男の体が崩れ落ちる。その額には銃創が穿たれていた。
「う、うぅぅ…。何だよコレ…。何だよコレェェェェ!」
ミンチが半狂乱になり、鉈を滅茶苦茶に振り回す。千雨はそれを軽々と避け、ついでとばかりに、ミンチの視界内の誰かに衝撃波を放ち、殺す。それを目にする度、ミンチの錯乱度は天井知らずに上がっていく。
否、錯乱しているのはミンチばかりではない。
残る仲間たちも慌てふためき、ミンチの視界に入れば殺されると信じ込んで、逃げ惑っている。ミディアムやウェルダンの必死の制止も、全く届かない。
ウェルダンは、自分の背中に冷たい物が走るのを感じた。
あの女は、ミンチを
ミンチの陰に隠れながら、防御不能の衝撃波で殺害。それをミンチに見せることで、あたかも自分のせいで死んでいるかのように感じさせる。その上こちらから攻撃しようにも、ミンチを上手く動かして盾にしているのだ。
この上なく効率的な、悪辣極まりない作戦。ウェルダンはここに至ってようやく、目の前の少女の恐ろしさに気付いた。
苦悩の末、ウェルダンは一つの決断を下さざるを得なかった。
「殺せ、お前ら――――ミンチを殺せェっ!!」
錯乱状態に陥った上、敵に言い様に盾にされ、味方を悪戯に混乱させるだけの役立たずは、最早始末するしかない。
当の千雨は、当然だろうな、と言わんばかりに、易々とミンチの背後を取りつつ、背中を強めに押した。
同時に襲いかかる一斉掃射が、ミンチの巨躯をずたずたに引き裂いていく。まさしく盾の働きだった。その盾の陰に隠れて、千雨は視線を別方向に向ける。
裕奈たちと目が合った。4人全員ひと固まりになっているが、同時に、悪魔によって上半身を舞台上に押し付けられている。逃げる事は出来なさそうだった。そして4人共、怯えと困惑を瞳に宿し、その根源として千雨を見つめていた
(ま、当然だわな。)
目の前でクラスメイトが人を殺しまくっているのだ。怯えるのも道理だろう。最後の最後、去る直前に、こんなトラウマ確定な光景を見せつけてしまうことが、本当に心苦しい。だが、それで自分のことを振り切ってくれるなら、魔法に関わらないでいてくれるなら、それで結果オーライか、と苦笑する。
―――目、閉じてろ。
ジェスチャーでそう伝えた。真っ先にその意味に気付いた亜子が、残る3人に言葉で伝えるのを聞き届けながら、骸と化した肉壁を前方へ蹴り出し、空気圧で吹き飛ばす。
宙空を舞う仲間の死体に、全員の視線が集中した瞬間、その身体が内側から爆散した。巨躯だった体が撒き散らす血と肉片の雨が、男たちの視界を一層狭くした。
そこに、千雨が突っ込む。
炸裂する手榴弾。爆炎と悲鳴。連続する銃声。
「密集隊形!密集隊け―――」
男たちの誰かが叫ぶ声が、銃声と共に途切れる。
恐怖に駆られて逃げ出した男数人が、その無様な背中を撃ち抜かれる。
「クソッ、機関銃を奪われ―――」
ズダダダダダダ、と連続して響く発砲音が、一瞬で数名の命を踏み躙る。
「魔法の射手・
「うわっ!?ば、馬鹿野郎!俺を捕まえてどうすんだ!」
「ちっ、畜生!“紅き焔”―――」
「ふざけんな!俺たちまで巻き込む気か!テメエ―――」
仲間たちの連携が崩れていく。そして、容赦のない銃声が止めを刺していく。
「全員下がれェ!!悪魔共ォ!!加勢しろ、数で押し潰せェ!!」
ウェルダンの指示が飛び、ヘルマンと裕奈たちを押さえている者以外の悪魔たちが、我先にと押し寄せる。その数は優に50を超える。
「―――――ようこそ、私の
だが、対多数戦は千雨の十八番だ。
千雨が突撃してから、ずっと肺に溜めこみ続けていた空気がサックスに注がれ、我先にと四方八方へ逃げ出す男たちに衝撃波となって襲いかかる。効果範囲内に居た者は、人間、悪魔の区別なく、息絶えていった。
逃れ得たのは、効果範囲外―――裕奈たちや明石教授よりも後方に下がった者だけだった。
息を荒げる彼らの目の前に広がるのは、数十もの仲間の骸。見れば、生き残ったのは僅かに9人。47人で訪れていたので、すでに38人が殺られたことになる。悪魔たちも合わせれば100を超える。
それだけの数を、2分にも満たない時間で、傷一つなく、鏖殺し尽くされた
「何なんだ、アイツ…!どう考えたって人間じゃない!」
ミディアムの呻きが、ヘルマンや裕奈たちも含む全員の心境を物語っていた。
まさしく
「長谷川…。」
「長谷川さん…。」
アキラとまき絵が、震える唇で紡いだその名前は、目の前の悪鬼とは似ても似つかない。特にまき絵はつい先日、一緒に朝練をして話をした間柄だ。その時の優しげで儚げな彼女からは、譲れない物があると語った彼女からは、途方もなくかけ離れた姿だった。
不意に、千雨の目が、生き残った男たちの方を向く。
何も語らずとも、その冷徹な眼光が何よりも雄弁に語っていた。
―――殺す。
―――一人残さず、殺し尽くす。
―――塵も残さず、殺し尽くす―――――!!
「―――――ッ!!殺れェ、ヘルマン!!」
ウェルダンの号令の下、ヘルマンが特攻してきた。
「ふっ―――――!!」
ヘルマンの拳が、千雨が飛び退いた後の地面を大きく抉った。
そこからさらにもう一歩下がる千雨だが、ヘルマンの身体能力の方が圧倒的に高い。一瞬で距離を詰められた。
至近距離から唸りをあげて襲いかかる拳を、千雨が首の動きで避ける。
千雨が突き付けた拳銃を、ヘルマンが空いた手で握って無理矢理弾道を逸らす。
互いに必殺必勝の隙を狙い、至近距離で取っ組み合う。
「今だ、ミディアム!!」
「
ミディアムが叫ぶと同時に、千雨たちの上空に影が差す。
考えるまでもなく、素早く退いた。ヘルマンも同じだ。自分たちが戦っていた地点に、巨大な石柱群が降り注いだ。ヘルマンごと、千雨を潰そうとしたのだろう。
「
嵐を圧し固めた迫撃砲のような拳が、石柱を砕いて押し寄せる。その拳も、砕けた石柱の瓦礫も難なく避けながら、衝撃波を放たんとサックスを咥える。
が、サックスに空気を送り込む前に、ヘルマンに距離を詰められた。否応なくサックスから口を離し、拳銃を手にする。
「随分と薄情な主に仕えてるな?それだけの実力があるくせに、人を見る目が無いのか?」
「馬鹿を言うな。誰があんな男たちに言い様に使われたいものか。召喚されたが故に、その命に従わざるを得ないだけだ。」
「ハッ、そりゃ難儀なこって。同情はしねぇけどな。」
侮蔑交じりの千雨の口調に、少し逆上しながらヘルマンが答える。その間二人の攻める手は緩むどころか、互いに鋭さを増すばかりだ。
が、ふと千雨の表情が変わった。己の失策を悔いるような顔に。
「クソッ、どんなタイミングの良さだ…!」
舌打ち交じりにそう零した瞬間、千雨が大きく距離を取る。
無論距離を詰めようとするヘルマンだったが、千雨の手に持つ物を見た瞬間、その足が止まった。
千雨の手にはショットガンが握られている。先ほどの衝撃波で死んだ男の一人が持っていた武器だ。
咄嗟に腕に魔力を込め、飛来する銃弾を迎撃する姿勢を取った。爆音と言った方が良いような銃声と共に放たれた凶悪な銃弾の軌道を見切り、次々に叩き落としていく。
「きゃははははははははっ!!よくもやってくれたなァ糞餓鬼ィィ!!」
ヒステリックな声を挙げながら、レアが急接近してきた。それを援護するかのように、背後から魔法の射手が飛んでくる。一見先ほどのミンチの愚をまたしても犯す行為に見えるが、千雨よりも小柄で、かつ素早いレアは、まるで勝手が違う。
レアの振るうククリ刀を銃の腹で受け止める。そこに、ヘルマンの拳撃が飛んできた。一度ククリ刀ごと銃を跳ね上げ、後退して距離を取る。後退する間も魔法の射手が押し寄せてくるので、それも避けねばならない。
「逃げてんじゃねェぞコラァ!!“
呪文と共にククリ刀が稲妻を纏い、電撃を放つ。十重もの稲妻と魔法の射手をサックスケースで防ぎ、横合いから迫るヘルマンの拳を避ける。避けた拳が、千雨の髪の毛を数本攫って行った。
ヘルマンは小さく眉根を寄せた。千雨の動きの切れが悪くなり、焦りが垣間見え始めた。まるで決着を焦るかのような様子に、何かあるのかと周囲に気を配る。
その答えはすぐに見つかった。
上空から、何者かが迫って来ている。
「――――チィッ!!」
千雨の焦りが決定的なものになった。
彼らが到着するまで、後十秒もかからない。それまでにコイツ等全員を始末しようと思えば出来るが、ヘルマンが邪魔だし、何より裕奈たちに被害が及びかねない。身を隠した所で、後で裕奈たちが証言すればばれる話だ。
(八方塞がり、か。こんな所でツケが回ってきやがった!)
悪運の神様ってヤツは、本当に空気を読むのが
「援軍かァ!?」
真っ先に気付いたレアが目を剥く。同時に、上空の人物が詠唱を始めた。
「―――――
空から雨を切り裂き、突風が吹き寄せる。蔦のように絡み付こうとする風の動きを感じ取りながら、千雨は、隙だらけだと言わんばかりに自分に接近してきたレアの胸倉を掴んだ。そしてそのまま、真横に放り投げる。
レアの体は着地を待たず、風の蔦によって空中で受け止められた。
「ああ!?何だってンだコレが――――」
口汚く罵ろうとしたレアの表情が強張り、見る見るうちに青く染まっていく。
千雨のショットガンの銃口が、自分の頭部に向けられていた。
そしてレアがそれ以上言葉を紡ぐ暇もなくれ。
轟音と共に、レアの首より上がザクロのように弾け飛んだ。
そして。
ウェルダンたちの視線を一身に浴びつつ、その攻撃を防ぎつつ。
空から舞い降りた人物――――ネギ・スプリングフィールド、神楽坂明日菜、綾瀬夕映の3人が、千雨の目の前に降りてきた。
「ね、ネギ先生…?それにアスナに、綾瀬さんまで…?杖に乗って、空飛んで、え、えっと…。」
まき絵が混乱し切った様子で呟く。残る3人は、最早話すだけの余裕も無いようだった。ウェルダンは残る男たちを手で制し、状況を見ることにしている。ヘルマンはネギを見た瞬間、目を見開いていた。
そしてネギは戸惑いを隠せない様子で、苦虫を噛み潰したような表情で佇む千雨を見つめていた。
「…どういうことですか。長谷川さん。」
ネギの顔は真っ青に染まって小刻みに震えており、今すぐ保健室に駆け込んだ方が良い、と思わせてしまうほどだった。さもありなん、今彼の目の前には、死人の山が築かれており、たった今も人一人無残に殺されているのだから。
それを為したのが、自分の生徒であるのならば尚更だ。
「どうしてっ、どうしてこんな事を…!それに何で明石さんたちがここに居るんですか!?」
「…とりあえず、事情を説明するから、聞いてくれるか?」
完全に気が動転しかけていたネギだったが、千雨が何の変哲も無いかのように話しかけたことで、逆に意識が冷えたらしい。じっとネギの目を見つめる千雨に、首を縦に振ろうとした。
「聞く必要なんてないですよ、ネギ先生。むしろ聞いちゃいけないです。」
しかし、夕映の横やりが入った。夕映は憎しみに染まり切った視線で千雨を睨んでいる。
「コイツの本当の名前は、サウザンドレイン・ザ・ホーンフリーク。あの京都の一件を裏で操っていた黒幕で、木乃香のお父さんを殺し、あまつさえネギ先生までも葬ろうとした女です。そうですよね、明日菜さん、カモさん?」
明日菜とカモは一瞬視線を交わした後、俯くように頷いた。ネギは信じられない、という思いを一心に顔に浮かべ、千雨と明日菜たちを交互に見た。
「そんな…信じられないです!長谷川さんが―――」
「ネギ先生、見て下さい、この光景を。ここで横たわっている人たちは、皆この女に殺されたのです。ネギ先生も見ていたでしょう?コイツが人を殺す所を。コイツはそういう女なんです。まるで人を虫けらのように、平気で殺せる、最低の人間なんです!一般人だろうと、仲の良いクラスメイトだろうと、平気で傷つけられる、人間の屑なんです―――――!!」
一言一言に万感の憎しみを乗せ、今にも死刑判決を下しそうな勢いで糾弾し続ける。
だが、ここで更なる横やりが加わった。
「たっ、助けてくれえ!!このままじゃ俺たち、その女に殺されちまうよォ!!」
予期せぬ声に、千雨が目を剥いて振り向いた。
ウェルダンたちが、必死さを装いながら呼びかけていた。千雨とネギたちの間に流れる険悪な雰囲気を利用し、千雨を追い込むつもりなのだ。
「俺たちは、メガロメセンブリア元老院直属魔法戦士部隊、“セントエルモの火”だ!そこの女―――サウザンドレインの捕縛のために来たんだ!だが、この有様で―――この娘たちを守るのが、精一杯だったんだ!」
「っ、テメエらァ!!」
その横では、裕奈たちが巨大な水の球に閉じ込められ、何事かを叫んでいる。しかし千雨ですら何とか聞き取れる程度の音量しか漏れてこないため、ネギたちに届くはずもない。せいぜい、ウェルダンたちと同じく、助けを求めているようにしか見えないはずだ。
あまりにも白々しくあからさまな嘘に、千雨が激高する。すぐさま銃口をそちらに向けるが、ネギと夕映が千雨の背中に杖先を向けたことを感じ取り、引き金を握る指が止まる。
「躊躇しちゃいけないです、ネギ先生。」
杖先をか細く震わせるネギに、夕映が毅然としたままで言い放つ。これで夕映の眼が憎しみに凝り固まった色をしていなかったら、千雨も素直に頷いていただろう。
「コイツのせいで、3−Aの皆が酷い目に遭ってるです。木乃香も、木乃香のお父さんも、エヴァさんも、そして、そして、のどかも、コイツが――――――!!」
軋らせ過ぎた歯が欠けるような音と共に、夕映の杖先から魔法の射手が飛び出す。
問題なく避けるも、銃口を向けるわけにはいかない。そもそも二人と敵対するつもりなどない。
「ごめんなさい長谷川さん!少し大人しくしてくださいっ!“戒めの風矢”!」
未だ状況を把握し切れていないネギも、躊躇いを少し残したまま、杖先から風を放つ。
「ああもう!こんな事してる場合じゃねえんだよ!少しは落ち着いて私の話聞きやがれ!」
「誰が、聞くかぁ!」
憤る夕映の周囲に、十数本もの試験管が浮き上がっていた。
「
夕映の呪文と共に、試験管がさながら流星群のように千雨に押し寄せてきた。
「
避けようとした瞬間、試験管が中から砕け散った。咄嗟にサックスケースで庇った千雨だったが、ジュゥっという小気味良い音と共に、液体のかかった部分が中の金属板ごと溶解した。
「――――王水か!」
「ご明察です。まだまだあるですよ?」
不敵に笑う夕映の周囲に、またしても十数本の試験管が浮遊する。
昨晩の内に作り上げ、試験管に積めた王水を、試験管の中に風の遅延魔法を入れておくことで、千雨に最も近い位置でぶちまけられるよう小細工した、力量差を埋めるための夕映なりの工夫だった。
「長谷川さん、大人しく捕まってください!」
ネギが捕縛属性の魔法を放ちながら接近してくる。さらに後ろからは、ヘルマンと、困惑している様子の明日菜が、それぞれ別方向から拳を唸らせ迫って来ていた。
ここに至って、千雨の苛々が頂点に達した。
今自分を遮る者は、夕映、明日菜、ネギ、ヘルマンの4人。ヘルマンは最初から排除対象だったので良いとしても、残る3人については、そもそも敵対する謂れがない。いや、夕映にはあるのかもしれないが、少なくとも今、裕奈たちを助けるのを邪魔される理由だけは絶対に無いのだ。
そして、一度そう考えてしまうと、腹立たしさは募る一方で。
少し静かにしていてもらおうか、という思考に至ってしまったのも、当然と言えば当然の帰結だった。
千雨が向いたのは、夕映の方。向かってくる王水入り試験管数本を掴まんと、走り寄っていく。当然夕映は、掴もうとしたその瞬間に遅延魔法を発動させ、千雨の肌を焼かんとする。
だが、夕映が遅延魔法を唱えた直後、千雨の手がまるで柳の葉のように試験管を受け流し、試験管は放たれた勢いのまま、ひび割れながら千雨の後方に飛び去っていった。
「「しまっ――――!」」
夕映とヘルマンの声が重なる。試験管の中の風は止まることなく渦巻き、内側から破裂する。
ガラスが砕ける音と、肌を焼く音が重なった。
「ぐあああああっ!?」
ヘルマンが膝を折り、溶けかけた手で顔を押さえる。その指の隙間からは、肌色の液体が滴っていた。
その、焼け爛れた顔に、千雨が銃口を向ける。
「だ、駄目です、長谷川さんっ!」
すぐさまネギが、直接千雨を押さえにかかった。
だが、千雨がサックスを咥える方が速い。吐きだされた空気圧が、ネギの体を横殴りに吹き飛ばし、明日菜の方にすっ飛んで行った。
「きゃっ!?」
「うわわわわっ!?」
明日菜が吹き飛ばされてきたネギの矮躯を受け止め、その反動で尻もちをついた。
それとほぼ同時に、千雨は夕映に向かって駆け出した。その眼光は、獲物を狙う鷹のように鋭い。
「こっ―――このぉっ!解放!解放!解放っ!」
放たれる王水の弾丸。だが試験管そのものも、散乱する王水も、まるで千雨を避けているかのように当たらない。
あっという間に夕映に肉薄し、首元を引き寄せて足を払い、冷たく濡れた石畳に夕映の体を押し付けた。懐に試験管が入っていないのは確認済みである。おそらく、魔法でどこかに置いておいた物を呼びよせていたのだろう。
「…とりあえず、これで聞いてくれる体勢にはなってくれたかな?」
千雨が軽く息を吐き、全員を眺め回す。ネギと明日菜は、どうしてよいか分からない、といった感じで、抑えつけられている夕映は、これ以上の屈辱は無いと言わんばかりの目で、千雨の方を見ている。
そして最後にヘルマンの方を見た瞬間、眉を潜めた。確か自分が戦っていた男は、髭を生やした老紳士だったはずだ。間違っても、あんな捻じ曲がった羊の角のような物は生えていなかったはずだ。
そこで初めて、全員がヘルマンの異変に気付いた。
顔から滴っていた液状の皮膚が、黒く濁った色に変わっている。
顔を覆う手が黒く硬質な物へと変わり、指の隙間から覗く顔も、漆黒に染まっている。
それはまるで、先ほど千雨が相手していた、悪魔たちのようで。
「…まさかこのような形で、正体を明かす羽目になるとはね。」
ゆっくりと、ヘルマンが洒脱そうな老紳士の皮を脱ぎ捨てる。
視界の端でネギが小刻みに震え始めたのを見て、千雨の背筋に嫌な汗が走った。
「ああ、君の思っている通りだよ、ネギ君―――ネギ・スプリングフィールド君。
そうだ。君の仇だよ。ネギ君。あの日召喚された者達の中でも、ごくわずかに召喚された爵位級の悪魔の一人だよ。」
そこに、先ほどまでの老紳士の姿は無く。
見るからに禍々しい、強力無比なオーラを放つ悪魔がそこに居た。
「う、う、あ…うああ、あ、ああああ…!」
そして今度は、ネギの様子が目に見えておかしくなった。
歯の根が合わず、カチカチと震えている。顔に青筋が浮かび上がり、全身の血流が沸騰しそうな程に速く流れているのが聞こえる―――――
(―――待て。違う。思い出せ、思い出せ。これと同じ音を、どこかで―――)
千雨が自問する。自分はこの音を、この感覚を知っている。それが何に起因する物かも、それがもたらす結末も、知っているはずだ。
思い出せ。思い出せ。思い出せ。今ではない
―――俺の隣を転がる鉄球の音。
そうだ。この音。
ガントレットが、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの身内を目の前にした時の―――
「っ――――――――あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」
ネギの絶叫が、雨空に轟く。
同時に、ネギの体に異変が起こった。魔法に関する知識の浅い千雨でも見て分かる程に魔力がどす黒く変色し、紫電となってネギの周囲を渦巻いている。
「ヤバイ、
離れた所に居たカモが、切羽詰った声で叫ぶ。
「まだ修行不足で使いこなせていないが、兄貴の最大魔力は膨大だ!それが何かのきっかけで一気に開放されれば…!でも、これじゃあ…!」
瞬間、ネギはへルマンの懐に居た。
十歳児の腕から繰り出したとは思えない強烈なアッパーが、ヘルマンの体を上空に吹き飛ばす。そのまま自身も飛翔し、空中で何十連撃もの攻撃を加える。
が、直後にネギがヘルマンを千雨たちの居る地点へ叩き落した。すぐさま避けた直後に、雷撃の追い討ちが加わる。
「おいオコジョ!これじゃあもクソもねえ、暴走して周りが見えなくなってんじゃねえか!何でますます状況ややこしくしてんだボケ!」
「お、オレッチのせいじゃねえっすよ!?って、危ねえ!」
カモが千雨の背後を指差す。真後ろにはヘルマン、そしてネギ。ヘルマンがネギを誘導し、千雨を背後から襲うよう仕向けていた。
無論それに気付かない千雨ではない。突っ込んでくるネギに向けて、
速度を乗せたネギの拳が、サックスケースに突き刺さる。
ミシ、と嫌な音と共にケースがひしゃげる。
「っ―――!防御ごと、押し込んで―――!」
防御陣が破られたわけではない。だが、その防御ごと力づくで押し込んできているのだ。力負けする千雨の体が、ケースを盾に後ろへ追いやられていく。
「こ―――のっ!」
ケースを思いっきり横に投げ捨てた。拳に力を集中させていたネギの体が前方へぐらりと傾く。それを見届け、千雨はバックステップで後退した。
ネギの真横からヘルマンが襲い掛かり、ネギの体を吹き飛ばさんと迫る。ネギがそれを防御し、再度拳撃合戦が繰り広げられ始めた。その隙に千雨は、明日菜の足元まで転がっていったケースを拾いに行こうとして。
「ヘルマン、その餓鬼に構うな!」
突如、ウェルダンの声が飛んだ。
「―――先に、そのデコチビ娘から潰せェ!」
ネギと、男たち以外の全員が絶句する。何故、という方に考えが向いてしまい、逃げろ、と呼びかける事に意識を向ける余裕が無かった。
「っ―――――おおおおおおおお!!」
怒号のような咆哮と共に、ヘルマンが夕映に向かって疾走する。
その後ろを暴走状態のネギが追いかける。溜まった魔力は、夕映ごとヘルマンを吹き飛ばしてなおお釣りがくる程の量だ。
「あ―――――」
そして当の夕映は、あまりの事態に思考が追いつかず、足が逃げる事を忘れていた。
明日菜が夕映を挟んで向こう側で綾瀬に駆け寄ろうとしているが、まず間違いなく間に合わない。距離的にも手段的にも、千雨にしか対処は出来ない。だが、衝撃波をヘルマンに当てても、暴走するネギの勢いは止まらず、そのまま夕映を跳ね飛ばしてしまうだろう。かといって、ネギに衝撃波を撃ち込んでもしょうがない。
そう考えた時にはすでに、千雨の足は動いていた。
「綾瀬ェェェェェェェ!!」
距離は充分だった。千雨の足でも走って間に合う距離。
最後の踏み込みをしようとしたヘルマンの足を勢いよく払う。バランスを崩したヘルマンの体は、そのまま横によろけた。
呆然とした夕映の顔が、一瞬千雨の目に映るが、それどころではない。
「ああああああああああああっっっっ!!」
ネギが地獄の亡者の如き咆哮をあげて突進してくる。纏った紫電が右手に集中し、さながら雷の槍のようだ。
千雨はその場で一歩だけネギの方に踏み出し、ネギの襟元を掴み上げる。突き出されたネギの右手を掴むが、弾ける火花が千雨の肌を焼いた。
手が焦げる痛みを耐え、ネギの駆け寄ってきた勢いを殺すことなく、後方に投げ飛ばす。
「
次の瞬間、鉄砲水を思わせるような水流が、水たまりを跳ね、経由しながら、千雨の体を縛り付けた。
「しまった――――」
体を動かすことも、
「今度こそやっちまえ、ミディアム!!」
「
千雨と夕映の頭上に陰が差す。巨大な石柱。まるで神の鉄槌のような荘厳ささえ感じる。だが、それに浸っている場合ではない。
「神楽坂ァ!私のサックスケースを綾瀬に投げろ!」
大声で呼びかける。明日菜の真横には、ネギの攻撃を受け止めた際にひしゃげたサックスケースがある。
千雨の声に応えて、明日菜がサックスケースを思いっきり綾瀬に投げる。同時に、石柱が急降下を始めた。サックスケースはノーバウンドで見事に綾瀬の所へ届き、意図を察した綾瀬もサックスケースを自分の体の上に被せる。
そしてそこで二人が、同時に私を見た。
―――お前はどうする気なのか、と。
手足を縛られ、身動きも取れず、サックスケースは夕映の上。
お前はどうやって、身を守るつもりなのか、と。
千雨は、困ったように微笑むだけだった。
縛られた瞬間、こういう作戦なのだと気付いた。
自分が夕映を庇うことを見越して、わざとヘルマンを嗾けた。千雨が一時、男たちから完全に気を逸らせばそれで完璧だ。後は千雨が逃れられないよう、捕縛呪文と広域攻撃魔法を使う。誰が巻き込まれようと、結果的にウェルダンたちに損失は無い。
最小効率で最大利益を得られる、最高の作戦。さぞかし笑いが止まらぬことだろう。
(―――ったく、ヤキが回ったみたいだな、私も。)
まるで悔いなど無いかのように、心中で呟く。
未練はある。悔恨はもっとある。けれど、今はそれが浮かばない。今はただ、夕映と明日菜を救えた安堵感を、一身に感じていた。例えこれが敵の罠だったとしても、夕映も明日菜も危なかったことは事実なのだから。
それに、今ここに駆けつけてきてくれている、良く知る人間の音も感じる。多分彼女なら、皆を助けてくれるだろう。
―――私の代わりに。
石柱が大地に突き刺さる、その刹那。明日菜と夕映と目が合う。
先ほどと同じく、目を閉じておけとジェスチャーで伝えた。
―――伝わらなかったようだ。明日菜と夕映が、愕然とした面持ちで見つめている。
これから押し潰される、クラスメイトの少女の姿を。
弱ったな、とでも言うように、弱々しく微笑む。
それが最期の笑みとなって。
ぐしゃ、と。
自身の背中が、背骨が、内臓が、潰れる感触を、千雨は確かに感じて。
そのまま、意識を闇に溶かしていった。
(後書き)
第35話。本気で千雨無双のまま終わると思っていたなら、まずはその幻想からぶち壊す!回。強弱の落差激しいなぁオイ。
そんなわけで千雨無双&千雨死亡回でした。前半の戦闘シーンだけで9千字取っちゃった時は2分割しようかとも考えたんですが、分けたらラストの直下降的展開が活きませんので、1話分で投稿することにしました。
以前も後書きで書いた気がしますが、千雨の最大の弱点は捕縛系の魔法です。何せ楓や茶々丸辺りと比べたら、お粗末極まりない程度の筋力しかありませんので、一度手足拘束されたら何も出来ません。サックスも銃も扱えないですし。で、結果潰されちゃいました、と。最後のシーンでは、千雨はマジで石柱を背中に喰らってます。凹んでます。物理的に。
ちなみにウェルダン達はここに至るまでの作戦を全て目配せとハンドサインで済ませています。全部見抜いていたかどうかは定かではないですが、一応リーダーですし、それなりの慧眼は持ってます。そうでなきゃ戦士部隊の長のフリなんぞ出来ないでしょうし。
…しかし今話でネギと夕映の評価が地に落ちた気がするんだが、大丈夫か。展開上、二人にもちゃんと救済措置は用意してますが。
今回のサブタイは「東方風神録」より、5面ボス東風谷早苗のBGM「信仰は儚き人間のために」です。まったく、女子高生は最高だぜ!ミニスカ、ブレザー、ニーソックスの3種の神器、階段の奇跡、水泳の授業、ああ、夢と彩りに満ちた高校生活よ!ただし受験勉強はもう勘弁な!
次回は、今回とはまた違う意味で驚いていただけると思います。…でも、まとめ方次第では、今話より長くなる可能性も…。何とか短く、1話以内に収められるよう書き上げます。それでは次回をお楽しみに!