礼拝堂の正面玄関に、美空の身体が強く叩きつけられる音が響く。

 拳銃は破壊され、抵抗するだけの力などとっくに失い、崩れ落ちそうな体を必死で支えることしか出来ない。精一杯強がりを吐こうとしても、喉から出てくるのは音ですらない掠れた息遣いだけだ。

 

 ふと、舌の上に固い感触を感じる。吐き出してみて、初めてそれが自分の歯だと分かった。

 

 

「…は、ハハッ…!」

 

 

 何分経ったか分からない。何発攻撃を喰らったのかも覚えていない。手も足も動かせない。満身創痍とは今のような状態を言うのだろう、とぼやけた思考が頭をよぎる。

 

 それでも頭は、身体は、逃げる事を選ばない。

 意志が限界を凌駕する。美空の心に不屈の闘志を燃やす。

 

 

「ハハハハハハハハハハハハ!!アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!アーッハッハッハッハッハ!!」

 

 

 笑う。大声で笑う。意味もなく、見せつけるように。

 その様があまりにも凄絶で、不気味さを漂わせていたため、魔法使いたちは揃って体を強張らせた。今杖を向ければ、ただでは済まない。そんな理由もない予感に囚われ、攻撃行動に移り切れないでいた。

 

 だが唯一、タカミチが油断なく手をポケットに突っ込んだまま、戸惑う魔法使いたちに指示を飛ばす。

 

 

「今のうちだ。もう彼女は満身創痍、抵抗出来る状態ではない。今の内に天井なり窓なり、脱出を図る。正面玄関は僕が突破していくので、後に続いてくれ。」

 

 

 困惑していた魔法使いたちが、その一言で我に帰り飛び立とうとする。

 そしてタカミチは、未だ玄関で仁王立ちし続ける美空に向き直った。美空は焦点の合っていない目で、タカミチを睨みつけている。

 

 

「美空――――――――!」

 

 

 シャークティの悲痛な声と、タカミチの腕がぶれるように動いたのは、ほとんど同時で。

 

 

 そこに更に、美空が寄りかかっていない方の扉が吹き飛ぶ音が加わった。

 

 

「――――――くそっ!」

 

 

 吹き飛ばされた大扉が魔法使いたちに一直線に向かっていった。タカミチが美空に放とうとしていた居合い拳がそれを粉砕せねば、進路上の魔法使いたちは、無残な挽き肉と化していただろう。

 木端微塵に砕けた扉の木屑が、散らばった残骸が巻き起こした土煙が、煙幕となって視界を塞ぐ。

 

 

「…一応、間に合ったようだな。いや、間に合っていないか。」

 

 

 その中から響いたのは、怒りを湛えた冷徹な声と、礼拝堂内の全員を今度こそ完全に硬直させる程濃密な、魔力と殺気。

 

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが、傷だらけの美空を抱きかかえて立っていた。

 

 

「う、あ…エヴァちゃん、遅いッス、よ…。」

 

「ああ、済まなかった春日美空。―――そして、心からの感謝を。お前がこの場を死守してくれなかったら、私は態勢を整え直した奴らに一網打尽にされていたかもしれない。ゆっくり休むといい。お前の勝ちだ。」

 

 

 エヴァから最上級の賛辞を贈られ、一心に堪え続けていた痛みで息絶え絶えながらも、美空は嬉しそうに、満面の笑みを浮かべ、そのまま安らかに意識を失った。

 

 エヴァは美空を手近な長椅子にそっと横たえ、羽織っていたマントを被せた。

 

 

「…本当は、私自身の怒りや恥辱を雪ぐつもりだったが、止めだ。」

 

 

 魔法使いたちに向き直ったエヴァの瞳には、先ほどまで美空が浮かべていた闘志が、さらに激しく燃え盛っていた。

 

 

「春日美空の、命がけの行動に敬意を表し―――この“闇の福音”、今だけは、春日美空の気概を継いで戦おう。戦線放棄(しにたくない)なら、春日の後ろに行くがいい。それ以外の連中に、一切情けはかけん。

 ただしタカミチ―――――貴様には、コイツに相手をしてもらう。」

 

 

 エヴァが親指を肩の後ろに向ける。

 思い当たる節のある、おそらくは()だろう、と踏んでいたタカミチは、その土煙の向こうから現れた人影の顔を見た瞬間、驚愕に目を見開いた。

 

 

「―――よぅ、タカミチ。お前のために、地獄から舞い戻って来てやったぜ?」

 

 

 そこに立っていたのは、かつての自分の師―――ガトウ・カグラ・ファンデンバーグ。

 今は亡き敬愛すべき人物が、笑みを一切浮かべず自分を睨みつけていることに、少なからず動揺したものの、それを億尾にも出さず、唇を真一文字に引き絞って睨み返した。

 

 

「何のおつもりですか、アルビレオさん?」

 

「つれねえなぁ。随分とつまんねえ男になっちまったじゃねぇか、タカミチ―――とはいえ、積もる話もある訳だし、場所を変えようじゃねえか。」

 

 

 その提案にはタカミチも賛成だったらしく、苛立ちを隠せぬ表情のまま頷きを返した。

 そして、二人の姿が消えるのを見届けてから、エヴァが厳かに宣言を下す。

 

 

「さて、それでは私も、自分の仕事をこなすとしようか―――なぁ?」

 

 

 まるで生贄の子羊を眺めるかのように、空中に浮かび上がり、戸惑う魔法使いたちを俯瞰する。

 

 

「教授してやろう、若造共。“闇の福音”、その異名の意味をな。」

 

 

 それは、一方的な蹂躙宣言に他ならなかった。

 

 

 

 

#48 長谷川千雨の激唱

 

 

 

 

 

 礼拝堂より少し離れた森の中で、タカミチとガトウ―――の姿を模したアルビレオが対峙し合っていた。

 

 

「…悪ふざけが過ぎますよ、アルビレオさん。師匠の死を、侮辱するおつもりですか?」

 

「馬鹿言え。むしろアルビレオ(おれ)ガトウ(おれ)の無念を代弁してるだけだよ。俺の遺言を蔑ろにしてくれたお前に対する、な。」

 

 

 アルビレオのアーティファクト「イノチノシヘン(ハイ・ビュブロイ・ハイ・ビオグラフィカイ)」は、特定人物の外見、精神性、人格、身体能力等を、寸分の狂いなく完全に再現する事が出来る。故に今アルビレオがその姿を取っているガトウは、紛れも無くガトウ・カグラ・ファンデンバーグ本人なのだ。

 そして今彼は、エヴァに負けず劣らず、まるで本当に死者が怨憎の果てに蘇ったかのような、凄絶な気迫を醸し出し、弟子であったタカミチに殺気をぶつけている。

 

 

「俺は死に際に、お前に頼んだよな?『アスナちゃんを幸せにしてやってくれ』って。魔法やら血腥い事やらから遠ざけて、平和に平穏に日々を過ごさせてやってくれって。にも関わらずお前は、アスナちゃんが魔法に関わるよう仕向けた。ナギの息子の手足となって、魔法世界の闘争に飛び込んでいくようにな。これが俺と、アスナちゃんへの裏切りで無けりゃなんだってんだ?」

 

「―――決まってるでしょう、僕なりの現実に対する選択ですよ。現実の見えていなかった貴方たちとは違う、僕なりの、現実を見据えた末の答えだ。」

 

 

 対するタカミチも、露骨に苛立っていた。現実の見えていない、という発言でガトウ(アル)の眉が顰められた。

 

 

「アスナ君を平和に過ごさせてやりたい気持ちは、僕だって同じだった。―――けれど、無理なんですよ。現実は、世界は、どこまで行っても彼女を追いかけ、捕まえる。その時にもし何の抵抗力も持っていなければ、アスナ君は限界を超えて使い捨てられるだけだ。それが幸せな事だとでも?」

 

「例えアスナちゃんが、それを望んでいなかったとしてもか?」

 

「その答えこそ、現実を見ていない証拠ですよ。」

 

 

 ガトウ(アル)の唸るような反論の言葉に、タカミチは肩を竦めて薄く嘲笑する。

 

 

紅き翼(アラルブラ)は確かに大戦を終結させた。けれどそれは表面的なものに過ぎなかった。裏ではまだその残滓が蠢いている。そして魔法世界の危機。これだけお膳立てされていて、アスナ君が巻き込まれないなんて事は有り得ない。

 ガトウさん。貴方がアスナ君に願っていたのは、泡沫にも劣る絵空事だ。それをさも叶うかのように指し示した貴方の所業こそ、何よりも残酷な仕打ちであると、死んでもなお気付けないんですか?」

 

 

 まるで出来の悪い生徒に言い聞かせるようなタカミチの口調がこの上なく癪に障る。沸々と怒りが煮え滾っていき、強く握り締める拳には白い骨が皮膚を突き破らんばかりに浮かび上がっている。

 

 

「…だから、アスナちゃんの記憶を消したってのか?過去を全部消して、空っぽの抜け殻みたいにして、そして自分の思いを組んでくれるよう、都合よく育てたってか。随分と手の込んだ育成計画じゃねぇか。」

 

 

 内心の怒りを抑えながら、挑発と侮蔑を織り交ぜて吐き捨てる。タカミチの眉根が苛立たしげに動いたのを見逃さず、追撃とばかりに畳み掛ける。

 

 

「巻き込まれない事は有り得ない、ね。確かにアスナちゃんの立場を考えればそうなっちまうかもな。だが、そこに思い至ってるんなら、何故お前の手でアスナちゃんを守ろうとしないんだ?記憶を消すんじゃなく、事情を話す訳にはいかなかったのか?ネギ・スプリングフィールドの英雄化計画だと?何で10かそこいらの子供に、そんなモン背負わせる必要があるんだ?アスナちゃんにしろネギにしろ、子供を護るのが大人の役目じゃないのか?」

 

 

 口にするガトウも、耳にするタカミチも、当の昔に居合い拳を放てる体勢に入っている。今すぐにでも互いの顔面にぶち込み、粉々にしてやりたいという衝動を、隙を見せたら返り討ちにされる、という理性が何とか押し留めている。

 しかしその膠着が長く続かないこともまた理解している。

 今の体勢に入る前から、互いに我慢の限界は超えているのだから。

 

 

「アスナちゃんに平穏に暮らせって願ったのはな、お前にアスナちゃんを託したって事でもあったんだぜ?光源氏の真似事しろなんざ、頼んだ覚えはねえよ。次世代に面倒事全て押しつけて、楽な位置で旨みだけ得るつもりだったか?」

 

 

 語りながらガトウは前方へ歩み出る。タカミチもそれに呼応して、一歩前へ。

 

 

「それとも―――かつての“紅き翼(アラルブラ)”の面々に実力も名声も大きく劣るお前自身の劣等感を押し付けたかったのか?」

 

 

 二人の間の空気が決定的に断裂する音が響き、そして―――――

 

 

 空気が弾け飛ぶ音が、森を揺らした。

 

 

 二人がほぼ同時に放った居合い拳が衝突し、小規模な爆発並の音と風を撒き散らす。

 

 

「はっ、図星を突かれて怒ったか?ホントにつまらねえ男になったなァ、タカミチィ!」

 

「これ以上戯言を聞いてやる気にならなかっただけですよ、堕ちた英雄!」

 

 

 銃声のような衝突音が連続して響く。居合い拳同士が空中でぶつかり合い、空気が弾ける。まるで、透明なネズミ花火が何個も踊り狂っているかのようであった。

 

 

「―――宣言しておくぜ、タカミチ。俺は魔法を使わない。“ガトウの居合い拳”だけで、お前を倒す。」

 

 

 明日菜を蔑ろにされたガトウの怒り。

 仲間を蔑ろにされたアルビレオの怒り。 

 

 超たちの計画を成功させるためにも、仲間達の無念を晴らすためにも、その胸の内に宿る怒りを目の前のかつての仲間に叩きつけてやることを、アルビレオは改めて誓う。

 

 

 

「“特定個人制圧役(ブレード)”として、“紅き翼(アラルブラ)”として、テメエを倒す!泣いて詫びやがれ、タカミチィィィ!!」

 

 

 

 

 

 

side 千雨

 

 

 

「ははっ!凄いな、空から見ると麻帆良ってこうなってるんだな!」

 

 

 ネギ先生の駆る杖に乗り、夕暮れ空をひた走る。風が体を撫でていく感触が心地良く、自然と心が弾んでいった。未来の命運を握る一戦を前だというのに、こんな暢気にはしゃいでいていいのかと、頭の中の理性的な部分が呆れ返っている。裏を返せばそれだけ心が軽いということで、これまでの人生で命のかかった修羅場を前にして心に余裕を持つことなど一度たりとも無かった自分にとって、味わった事の無い新鮮な気分だった。

 

 

「楽しそうですね、千雨さん!」

 

「やっぱ気楽過ぎるかな?」

 

「いえいえ!緊張し過ぎて動きが固くなっているわけじゃないし、良いと思います!」

 

 

 イマイチ褒められてる気がしないが、ネギ先生に限ってそんな事は無いはずなので、素直にありがとうと言っておく。

 

 

『こちら作戦本部(ブルーサマーズ)。ホーンフリーク、聞こえるかナ?』

 

 

 無線から超の声が響いてきた。声の調子から察するに、何か緊急事態があったという訳ではなさそうだ。少し訝しみながらも、応答を返す。

 

 

「こちらホーンフリーク。どうした、何か問題でも?」

 

『いや、別に何モ。ここまでの作戦は全て成功しているという情報だけ、伝えておこうと思ってナ。』

 

「…春日はどうした?アイツが一番危険な役目に就いてるはずだが。」

 

『さっき“情報統制部隊(サイクロプス)”の明石教授が魔法使いたちの無線を傍受したヨ。どうやら爆発直後にばれたらしいネ。それで400人を相手にエヴァちゃんが来るまで踏ん張ってくれてたそうダ。エヴァちゃん曰く命に別条は無いそうだが、頭が下がるヨ。』

 

「…そっか、良かった。エヴァに容赦するなと―――伝えるまでもねえか。」

 

 

 当人たちを目の前にしているエヴァの怒りは私の比ではあるまい。礼拝堂につめていた魔法使いたちの冥福を、今のうちに祈っておくことにしよう。

 

 

「超。私送り終わった後ネギ先生に春日回収させるから、エヴァにその旨を伝えておいてくれるか?無線はネギ先生に持たせておくからさ。いいよな、先生?」

 

「ハイ、もちろんです。」

 

『了解したヨ。それと―――』

 

 

 超が話を続けようとしたところで、気になる音が耳に入った。

 方角は東北東。聞き慣れた声に聞き慣れない声が重なる。雑じる小さな悲鳴。場所は超包子の屋台、私たちの団結の象徴“JAZZ包子”。

 

 

「―――悪い、超、後にしてくれ。ネギ先生、ちょっと寄り道だ。JAZZ包子まで、全速力で頼む。」

 

「え!?」

 

 

 驚きの声を上げたのはネギ先生だけで、無線の向こうの超は何も言わなかった。とりあえず超は無視して、杖を握るネギ先生に声をかける。

 

 

「思った以上に魔法使いが集まってるみたいだ。しかも一部の人間が暴走しかけてる…というかしてる。古が椎名庇って怪我したみたいだ。」

 

 

 私の説明に、ネギ先生の顔が一瞬で真剣な物に切り替わった。

 頷きを交わし合い、杖が孤を描くようにして急旋回する。正面には未だ濛々と立ち昇る爆炎。狂乱する来場者たちの群れのその向こうに、見慣れた屋台の屋根が見えた。

 

 

「上空に差し掛かったら飛び降りる!ネギ先生は5秒後に来い。着陸はするな、そのまま乗っていく!」

 

 

 ネギ先生が再度驚き、問い質すような声が聞こえた。

 だが、それに答えている暇はない。屋台の屋根はもう間近だ。真下の群衆が私たちの存在に気付いて指差し驚いている。

 

 そして―――JAZZ包子上空。

 事前に聞こえていた通り、古が腕を押さえており、両陣営がいきり立っている。全面衝突5秒前といった様相だ。

 

 それだけはさせない。私の最愛のクラスメイトたちが、怪我する事も、怪我させる事も、許す気は無い。

 

 

「それじゃ、手筈通りよろしく!」

 

 

 それだけ言い残して、両陣営がにらみ合うそのド真ん中に狙いを定め、10メートルの高さから飛び降りた。

 

 ―――1秒。

 着地直前の一瞬だけ、アーティファクトを発動し、ほぼ同時にサックスを取り出す。

 

 ―――2秒。

 そして、着地して立ち上がった勢いのまま、サックスに肺一杯に溜めこんだ空気を一滴残さず注ぎ尽くす。

 

 ―――3秒。

 放たれる衝撃波。

 魔法使いたちが、私をサウザンドレインだと認識する事すら叶わないまま、脳を揺さぶられてバタバタと倒れる。

 

 ―――4秒。

 意識を失った魔法使いたちには目もくれず、唖然とするクラスメイトたちに、横顔だけ振り向いて。

 

 

 

「―――帰って来たら、時間無制限のソロライブだ。会場設営、頼んだぜ?」

 

 

 

 ―――5秒。

 右手を拳銃の形にして、ビシッと突き付ける。

 同時に、空中で一回転してやってきたネギ先生の杖に飛び乗る。

 

 我に帰ったクラスメイトたちの、慌てて送り出す声を遠くに聞きながら、全速力で離陸していった。

 

 

「んー…さすがにちょっと、格好付け過ぎたかな?」

 

「いや、そういう問題じゃないかと…。」

 

「大体70人ぐらい居たッスよね、あの場に…。」

 

 

 照れ臭さを誤魔化したつもりだったのだが、何故か二人の反応は鈍い。特にネギ先生の肩に乗ってこちらを見るカモの顔は、若干引き攣っている。はて、何かおかしな事があっただろうか。

 

 

「正確には74人だな。春日と明石教授の話だと、JAZZ包子に常時つめてたのは30人前後だそうだから、(わたし)が現れたのを聞きつけて、巡回してた連中が押し寄せた感じかね?」

 

「いやだから、そういう問題でもなくて…。」

 

「手練の魔法使い総勢74人を、文字通り秒殺してのけたことに驚いてるんスよ、姐さん…。」

 

 

 溜め息でも吐きそうな口調だった。誠に失敬な話である。まさか今のを私の全力とでも思っているのだろうか。

 

 

「うわぁ、今のは全然本気じゃなかったって顔してるぜ、兄貴…。」

 

「それが全く嘘じゃない事が、何より恐ろしいよね…。」

 

 

 ネギ先生の顔は見えないものの、完全に引いてる事は明白だ。一本の杖に二人で跨り、ほぼ密着状態にあるというのに、心の距離が杖数本分くらい離れているように感じる。怒るべきなのだろうか、それとも泣くべきなのだろうか。

 

 

『…あー、オホン。用はもう済んだかナ?』

 

 

 と、無線から響いてきた超の呆れ声で我に帰った。

 

 

「あ、ああ、悪かった。それで、さっきの話だけど―――――」

 

『初等部の周囲300メートル圏内の人払いは完了してるヨ。もともとこっちでも、混乱に乗じて人を遠ざけておくつもりではあったが、魔法使いたちの方が積極的にやってくれてネ。心置きなく戦えるヨ…二人とも、ネ。』

 

 

 思わず表情が強張るのを感じた。おそらく無線の向こうの超も、同じような顔をしていることだろう。

 初等部周辺の人払いは、近右衛門の指示あっての行動だろう。つまり、それなりに広さのある初等部の近辺から完全に人を排除しなければならない程、近右衛門の本気は凄まじい、という事なのだ。

 

 ―――とはいえ、負ける気は微塵もしない。

 前世も含めて、これ程まで良好なコンディションで戦いに臨めるのは初めてだ。それに、新しい武器も数々ある。今の私なら、レガートとだって対等に張り合える気がする。気がするだけだが。

 

 

「大丈夫だって。心配すんなよ超。お前は私が負けると思ってんのか?私に全てを託したくせに?」

 

『…千雨さんにそんな事指摘されるとは思わなかったヨ。まぁ、千雨さんの力は信じてル。だから、余裕ぶっこいて潰されるなんて無様晒さないでくれヨ?』

 

 

 了解、と笑いながら返答し、再度耳を澄ます。目的の人物はすぐに見つかった。

 

 

「―――標的確認。初等部の南方、展望台だ。これより戦闘態勢に移る。」

 

『了解。以降の通信は控えル。最後に命令ダ。勝テ。』

 

 

 命令というよりは祈りと言った方が正しそうな一言を残し、通信が途絶えた。

 すでに視界には展望台が、そしてそこに一人立つ男の姿が入っている。その猛禽類のような双眸が近付く私たちを捉えており、手に持つ巨大な剣も、否応なく目に入ってきた。

 

 だが、それ以上に。

 その身から迸る魔力が、殺気が、熱砂の砂漠の太陽のように、あるいは一寸先も見えない吹雪のように、私たちの神経をジリジリと焼き付けてくる。

 

 私自身はそういうのに慣れていたので、そよ風を浴びるように受け流せるが、ネギ先生はそうもいかない。心音が跳ね上がり、恐怖で小刻みに震え始めたのが、空飛ぶ杖の揺れ具合からも分かる。

 

 

「…落ち着け、ネギ先生。あれは先生に向けられたものじゃない。ネギ先生が相対する必要は無いんだから、安心してくれ。」

 

「は、は、ハイ…。」

 

 

 完全に近右衛門の気迫に呑まれてしまっている。カモも何も言わない辺り、恐らくネギと似たり寄ったりだろう。

 仕方ないので、杖が展望台に差し掛かった所で杖を降りた。

 振り向くと、ネギ先生は今にも魂ごと全てを吐き出してしまいそうな真っ青な顔でぶるぶると震えていた。今にも落ちそう、というかまだ落ちていないのが不思議な程だ。

 

 

「ち、ちさ、千雨さん、が、が…。」

 

 

 口角が引き攣り、まともに言葉を話すことすら難しそうだ。

 さすがにこれを放置して戦いに臨める気はしない。少し考えた後、ネギ先生に向き直って、質問を一つ投げかけた。

 

 

「―――ネギ先生。私は、最強か?」

 

 

 あまりに突然で突飛な質問に呆けてしまい、答えを返せないでいるネギ先生に、少し強めの口調で問い直す。

 

 

「ネギ先生。私はさ、前世(むかし)も含めて、これ程最高の状態で戦いに臨めるのは初めてなんだ。誰にも負ける気がしないし、誰にも劣る気がしない。」

 

 

 挑発の意味合いも込めた言葉だったが、近右衛門は微動だにしない。まぁ、別に期待していた訳ではないので構わないけど。

 

 

「けれど今、私が最高の状態を保ててるのは、私一人の力なんかじゃない。今ここに立っている私は、色んな物に、色んな人に支えられてきたからこそだ。今の私を形作ったものがあるとしたら、それは―――――今日まで3−Aで過ごした3年間だ。」

 

 

 嘘偽りない本心だ。

 レインが手を差し伸べてくれた。のどかが寄り添ってくれた。茶々丸とエヴァが張り合ってくれた。楓が付いてきてくれた。クラスの皆が、救ってくれた。一人でも欠けていたらと思うと、恐ろしくてしょうがない。

 あの女性(ひと)が言った通り、私は本当に幸せ者だ。

 

 

「もう一度聞くぜ、ネギ先生―――私は、最強か?」

 

 

 もうネギ先生は震えていない。青ざめていた顔には血の気が戻り、杖に跨る身体はピンと背筋が伸びている。

 

 

「―――ハイ。千雨さんは最強です。」

 

 

 揺るぎなさを感じさせる、自信に満ちた断言。

 ネギ先生だけでなく、自分自身も一緒に励まされている事が、少し気恥ずかしかった。

 

 

「ああそうだ。私は“最強”だ

 ―――すなわち、それは、“3−Aの最強”だ。」

 

 

 空中に浮かぶネギ先生に向けて、拳を突き出す。

 意図を察し、ネギ先生も拳を突き出した。距離が離れているので、拳を合わせるポーズだけ取る。

 

 

「―――勝ってください、千雨さん。3−Aに、勝利を。」

 

 

 すでに背中を向けているので、ネギ先生の表情は見えない。だが、去り際の一言は、つい先刻の怯え切っていた姿を一切感じさせない、力強さに満ちたものだった。

 

 杖が飛び去っていく音の残響が、二人しかいない展望台に染み込むように薄くなり、消えていく。

 

 そして―――静寂。

 爆音は遠く、風もない。沈む夕陽の輝きだけが、私たちの空白を満たす。

 

 

「よぅ、ジジイ。アンタにとっちゃ3か月ぶりぐらいになるんだろうけど、私にとっては2年ぶりなんだよな。―――会いたかったぜぇ?」

 

 

 この日のために、『別荘』で2年を過ごした。

 この日を待ち焦がれて、武器を手に取った。

 

 

 さあ。

 最後の戦いを始めよう。

 

 

 

Side out

 

 

 

 

 

 

 

 

 相対した瞬間、近右衛門はそれが彼女であると、確信を持つことが出来なかった。

 

 髪型や身長等の見た目の変化だけの問題ではない。

 最後に学園長室で出会った時は、剥き出しの殺意を隠そうともせず、針のベールに包まれているかのような剣呑な雰囲気を纏っていた。

 

 しかし、今はどうだ。

 人肌のように柔らかく、一方で筋骨のような堅さを持っている。もしくは枝のようなしなやかさと幹のような硬さ。氷のような冷たさと毛布のような暖かさ。獅子のような雄々しさと白鳥のような女らしさ。

 相反する属性同士が反発することなく同居し合い、それを纏う千雨を後押しする。

 

 例えるなら―――戦神か魔神の加護を受けているかのような。

 もしくは、それそのもの(・・・・・・)か。

 

 

「あ、一応聞いときたかったんだけど、のどか無事だよな?アイツの事だから、怪我一つなく強かに立ち回ってたと思うけど。やー、ホント凄いわのどか。」

 

 

 明るく飄々としたその様子からは、死闘を前にしての気概が全く感じられない。何も知らない人間からすれば、舐められているとしか思えないような態度だ。

 それが本当だったならどれだけ楽か、と内心で毒づきながら、手汗が滲み滑り落ちそうになる剣をより強く握り締めた。

 

 

「…宮崎殿なら、何の心配も要らん。部下の一人を付けてすでに脱出させた。速ければ、学園外に出ている頃じゃろう。」

 

「宮崎殿、ね。随分手酷くやられたみたいだな。ザマぁねえぜクソジジイ。」

 

 

 見下す視線にも、小馬鹿にした口調にも、まるで隙など見当たらない。柄にもなく自分が緊張していることを、嫌でも悟らざるを得なかった。

 

 

「そう言うお主も見違えるようじゃの。最後に会った時は、まるで抜き身の妖刀のようであったというのに。」

 

「収まるべき柄と鞘見つけたって感じかな。錆びて朽ちる直前だったけど。見違えるようだってのは、私も同意する。昔の私とは、軽く天地ぐらいの差があるな。

 だから、まぁ――――――」

 

 

 パチン、と。ベルトが外れる音が近右衛門の耳に届く。

 飛び出した金色の楽器が、夕陽を反射して煌めく。橙と金色の双光が、近右衛門の視界を覆い尽くし―――――

 

 

 

「―――身を以て思い知りな。」

 

 

 

 近右衛門が剣を振るう。

 斬るためではなく、防ぐため。

 

 剣そのものが悲鳴を挙げたかのような、激しい金属音。

 

 身体の左半分を完全に隠した剣から伝わる衝撃と重量に、近右衛門が一歩仰け反る―――フリをする。

 後方から銃声と、数発の銃弾が飛んでくる。

 素早く振り向いた勢いのまま剣を振るった。波濤のような斬撃が、襲い来る銃弾を切り散らし、力衰えぬまま、近右衛門の後方に抜けていった千雨に迫っていく。

 

 が、千雨がサックスを咥える方が圧倒的に速い。

 放たれた衝撃波が斬撃を相殺し、無害な風となって消えていく。

 

 そして、再度の静寂。

 近右衛門はその場を動かず、千雨はより展望台の中央近くに。

 

 

「―――何じゃ、息巻いておった割には大した事ないのう。」

 

「―――こっちの台詞だぜ。これで最強クラスの魔法使いだってんだから、高が知れるぜ。」

 

 

 侮蔑を交えた挑発を投げかけ合う。

 千雨の方から仕掛けた小手調べは、文字通り瞬く間の攻防だった。

 

 

(…強がってはみたが、洒落にならんの。サックスを取り出し、咥えるフリをする所から始まり、数十ものフェイントを繰り出しながら、接近、攻撃、退避、銃撃。その間僅か1秒余り。儂の剣も脇腹を抉る軌道だったはずじゃが、難なく見切りおったか…。)

 

 

 内心で舌打ちをしながら、千雨同様ますます戦意を尖らせていくが、一つ引っ掛かっている事があった。

 今の攻防の最中、剣に加えられた衝撃は生半可な物では無かった。何よりあの剣全体から伝わる重量感は、拳や蹴り、サックスをぶつけた程度で出せるような物ではない。

 

 だとすれば、新たな武器。

 考えられるのは、仮契約によって得たアーティファクト。ネギやアルが味方であるなら、所持していても何らおかしくはない。

 

 悔むとすれば、全ての事情を知る彼女が、全ての事情を知ったネギと、今更契約を結んだという事実、その一点に尽きる。

 

 

「―――全く、こちらの思惑を外してくる人間というのは、本当に厄介じゃわい。」

 

 

 近右衛門のこの発言に、千雨があからさまに不快そうに眉を顰めた。

 

 

「それが私たちの行動原理なんだよ。お前が嫌がってくれる程、こっちとしちゃ嬉しいね。よくもまぁ、あんな迷惑極まりねえ計画進めようとしてくれたもんだ。」

 

「世界を救うための策を迷惑とは失敬じゃの。儂は、お主らならば世界を救えると確信し、希望を託したのじゃぞ?」

 

「それが迷惑だって言ってんだよクソジジイ。テメエが勝手に私たちの進路決めてんじゃねえ。」

 

 

 事ここに至り、近右衛門は自身の企てについて、何一つ隠そうとはしなくなった。それがまた千雨を一層苛立たせる。

 

 

「テメエは結局何がしたかったんだ?地位も名声も、充分過ぎるくらい持ってるんだろ?それじゃあ満足出来なかったのか?」

 

「…さて、どうじゃろうなぁ。」

 

 

 答えることでモチベーションを上げさせることを危惧したのか、それとも単に話したくないだけか、近右衛門はのらりくらりと千雨の尋問を躱した。

 

 

「さぁ、これ以上の言葉の応酬は無粋ぞ。戦いに臨む者ならば―――黙って、押し通るがよい。」

 

「…それもそうだ。私もこれ以上、テメエの皺枯れた濁声聞きたいとは思わねえ。」

 

 

 正しく竜虎相見えると形容すべき、凄絶な気迫同士がぶつかり合う。

 その圧力だけで、風は吹き止み、大樹の枝が軋みを上げ、空気がその温度を一気に下げ、空飛ぶ小鳥が気を失って地に堕ちる。

 

 

「関東魔法協会会長、近衛近右衛門の名において―――長谷川千雨。これ以上の貴様の狼藉、許す訳にはいかん。」

 

 

 剣をまるで新体操のバトンのように振り回し、腰溜めに構えた。

 

 

 

「―――――その素首、この場にて貰い受ける。覚悟せい、殺人鬼よ。」

 

 

 

 確かな威厳を感じさせる口調と、何十年も修羅場を潜り抜けてきた者だけが放てる、対峙する者の絶望感を掻き立てる存在感。

 

 それを一身に浴びてなお、千雨の表情にはなお余裕があった。

 やれやれ、と言わんばかりに肩を竦めながら、小馬鹿にしたような笑みと見下すような視線を浮かべる。

 

 

「残念ながら、“殺し屋”長谷川千雨(サウザンドレイン)は、今日はここに来てねえよ。

 今ここに居るのは―――ただの、一介のサックス演奏家(ミュージシャン)さ。」

 

 

 ―――そして、千雨の纏う雰囲気が、さらに変わる。

 

 陽気な殻を脱ぎ捨て、冷酷な本性を見せたかのような、極限まで研ぎ澄まされた静謐にして苛烈な戦意。何百何千という戦いを潜り抜けてきた近右衛門ですら、思わずその背筋に冷たい物が走ってしまう程に。

 

 正しく戦神―――より正確に言えば、戦乙女(ヴァルキュリア)

 白の燕尾服に身を包んだ女帝。戦場における絶対強者。

 

 

「今の私は殺し屋でも怪物(フリークス)でもない、単なる女生徒で音楽家。故に、音楽家としての本懐を―――“喝采”を求めるだけ。それも、特定の30人分の喝采を、な。」

 

 

 サックスが煌めく。

 燕尾服がはためく。

 亜麻色の髪が揺れる。

 

 この世の何より凶暴で、美しく洗練されたその音色が、今、戦鬼と謳われた魔法使いに牙を剥く。

 

 

「さあ―――お前こそ、覚悟してもらうぜ、近衛近右衛門。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここからのギグは、メンバーシップオンリーだ。」

 

 

 

 

 

 

 


(後書き)

 第48話、名台詞出せたよ!やったねたえちゃん!回。やー、投稿開始から一年半かかって、ようやくここまで辿り着けました。もうゴールしても…ダメ?ですよねー。

 

 そんなこんなで、最終決戦の前置き完了です。現段階で千雨、近右衛門両名の実力はガンホー下位〜中位級です。モネブ、ドミニク相手なら勝率は五分五分ですが、雷泥やグレイ、当時のミッドバレイ相手だとかなり分の悪い賭けになる感じです。ニコラスや二桁の方々には相手にしてもらえません。とはいえ私自身、ガンホーの強さに関しては自己流の解釈がありますので、この位置づけも微妙なところですが。正直雷泥は、巷で言われてるほど弱くないと思うんですよね。

 

 それと、作中で言っていた通り、千雨は新たなアーティファクトを手に入れています。開始当初に「千雨バレイにはアーティファクトを持たず、持ち前の演奏だけで勝負してほしい!」と言われていましたが、この最終決戦でアーティファクト無しに戦うのは展開上不可能と当初から結論付けていました。というのも、近右衛門が千雨とエヴァの対決を覗き見ている以上、千雨の演奏のタネは割れてしまっているからです。原作でミッドバレイの仲間が、ナイブズに手口を見切られたことで殺害しようとしていたように、千雨の攻撃法はバレてしまうと非常に不利になってしまいます。応用度の高いネギまの魔法なら尚更です。当作品においても、千雨は自らの戦法を知らない相手としか戦っていませんし、月詠はそもそもそういう問題じゃないし。

ともかく、近右衛門相手にタネの割れている演奏だけで挑むのは無謀、ということです。『別荘』に2年も籠っておいて何にも新たに得た物がない、というのもおかしいし、勝つための手段として新たな武器を得ることを千雨が躊躇うとも思えないですし、いくらすでに一つアーティファクトを持っているからといって、馬鹿力だけでどうにかなるはずもないですし。

 というわけで、アーティファクト導入です。そういうの期待してなかったのに、という方には申し訳ありません。

 

今回のサブタイはボカロ曲屈指の高速曲「初音ミクの激唱」。PROJECT DIVAのこれの譜面は、確実にゲーム機と指を殺しにかかっている。けどアーケード版だと、「裏表ラバーズ」とかの方が難しく見えるんだよなぁ…。

 

そして次回より最終決戦…といきたい所ですが、読者の方々からアルVSタカミチが見たい、という意見が多く寄せられましたので、同時進行で書こうかなー、と。最終決戦は間違いなくめちゃくちゃ長くなりますので、先にそちらを投稿します。無論千雨VS近右衛門の方は、書き終わってから連続投稿です。あんまり年跨ぎたくなかったけど、年末一人旅に行くつもりなので、遅ければ年明けかと。まぁそれ書き終わったら2〜3話で終わるので、そこまで焦ってないですけどね。そんな事よりガス代値上がりした事の方がヤバい。

 

そんなわけで次回はアルVSタカミチです!タカミチが超強いです(笑)お楽しみに!

 

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