「っ……!」 意識を刈り取ろうとする強烈な瘴気の嵐に晒されながら、夕月は自らの得物である棍を杖代わりにして崩れ落ちそうになる身体を懸命に支えていた。 主人の命を忠実に遂行する中級悪魔ブラックラックの執拗な攻撃によってすでに闘う力は奪われ、激しい呪怨に晒され続けたせいで喉をやられ、ヒューヒューと 空気が漏れ出るような呼吸音を繰り返して息も絶え絶えな様子だ。 しかし夕月は立っている。 普通の人間であればとっくに死に至っていてもおかしくないような攻撃を受け続け、それでも大地を二本の足で踏みしめていた。 何度打ち倒され、ボロボロになろうとも起き上がってくる夕月にガレアノは感嘆の声を上げる。 「ほほぅ。これだけのサプレスの瘴気を浴びて立っていられるとは。貴様、どうやらただの人間ではないようだなぁ」 「…………」 喉から返す言葉が出てこなくても、立っているのがやっとでもはや棍を振り上げる力が残っていなくても、夕月の目はまだ死んではいなかった。 鋭い眼光で気絶したままの奈菜を両手に抱えたガレアノを見据える。 憎悪すらこもったその視線を心地良さそうに受け流しながら、ガレアノは自らの下僕の悪魔に命じる。 「やれ」 その一言で、無秩序に辺りを漂っていた瘴気が夕月の周りに凝縮されて幾つもの黒い球体となり、それがまるで花火のようにパパパンッと小気味良い音を立てて 次々に破裂していく。 瘴気の塊の巻き起こす連鎖爆発に成す術なく巻き込まれた夕月は、体を襲う激痛に声にならない悲鳴を上げ、吹き飛ばされて地に伏する。 それを見てガレアノは愉快そうに哄笑をあげた。 「カーッカッカッカ! 耐性のない者なら今の一撃で五体がバラバラになっていてもおかしくないわい。サプレスの者か? 人間に化けるのがなかなかうまいヤツだ」 「……っ、………!」 「夕月……さ…ん……!」 ついに立ち上がる力さえ失い、荒い呼吸を繰り返して天を仰ぐ夕月に、自分もボロボロな姿のパッフェルが這いずり寄ろうとする。 パッフェルも夕月も、ガレアノの繰り出す召喚術に対抗する術を持ってはいない。 二人がかりで両手を塞がれた召喚士一人に勝てなかったのだ。 この世界のパワーバランスにおいて、強大な力を持った召喚術士は武術の達人数十人分の戦力に匹敵する。 彼らは異世界から伝説の武人も人知を超えた化け物も自由自在に呼び出して使役することができるのだから、それも当然のことだ。 ガレアノの呼び出した髑髏伯爵も、霊界サプレスにおいては中級に分類される程度の悪魔であるが、大悪魔に及ばずともその瘴気だけで十分に人を殺せるだけの 魔力を秘めている。 掴みどころのない精神生命体の波状攻撃に翻弄され、ガレアノに近づくことさえできずに二人は地に這い蹲ることになってしまった。 そんな哀れさを誘う光景に気を良くしたのか、ガレアノの嘲笑はより強くなる。 しかしガレアノは何かを思い出したように突然笑うのを止めると、もはや二人への興味を失ったかのようにつまらなそうな顔になった。 「……ふん。いつまでもこのような奴等にかまけている場合ではなかったな。『シナリオ』通りに調律者たちと遊んでやらなくては」 そう言ってガレアノは奈菜を肩に担ぎなおし、鈍い輝きを放つ透明無色の石を取り出した。 無属性召喚術・ダークブリンガーの召喚石だ。 「片方は調律者の仲間だったか、まぁ良いわ。このくらいは誤差の範囲内だろう。二人ともここで屍人となれぃ!」 ガレアノが呪文の詠唱すら省略してサモナイト石を天高く掲げると、空間を割り裂いて黒い血潮のような煙のようなものを吹き散らしながら5本の禍々しい形状 の刃物たちが姿を現す。 支える者もないのにふわふわと宙に浮かぶ邪悪な気配を纏った剣たちは、血の匂いに引き寄せられるようにその切っ先をパッフェルと夕月にピタリと向けた。 パッフェルは己の死を悟って悔しげに顔を伏せ、夕月はなおも起き上がろうと苦しげにもがき、奈菜を背負ったガレアノを鋭く見据えていた。 夕月は見た。 哀れな生贄の生き血を吸い尽くそうと舌なめずりする5本の刀剣の向こうに、もはや用はないとばかりにその場を去ろうとするガレアノの姿を。 ガレアノに抱えられぐったりとした奈菜が、自分の手の届かないところへ連れて行かれようとするのを。 大切な人が目の前から消えてしまう。 自分の一番守りたい人が。 ずっと傍にいたいと思う人が。 消えてしまう。 自分の居場所が。 心安らげる場所が。 そこへ導いてくれたあの人と共に…… 失いたくなくて、行って欲しくなくて、必死に手を伸ばすけれど あの人は私の元を離れていく もう届かない 取り戻したくて、手繰り寄せようとするほど、貴女は離れていって 私は無力さに打ちひしがれる 世界が色あせる 失くしてしまっても、認めたくはなくて、貴女を追って私は世界を飛び出した 出口のない迷路をさまよう迷子 魂が溶けていく 私の居場所は…………どこ…………? 「―――――――なっ!!?」 初めてガレアノのあげた動揺の混じった驚きの声に、パッフェルは反射的に伏せてしまっていた顔を上げ、そして驚きの光景を目撃した。 それは眩い光に包まれた聖母のような女性だった。 風にたなびく長い銀髪の間から覗く目鼻立ちの整った顔はどこか憂いを感じさせる無表情。 豊満な肢体を白一色の飾り気のない衣服で包み、装飾品の類は一切身につけていない。 まるで初めて奈菜に召喚されたときの夕月のような格好の彼女は、何もない空間から光とともに姿を現した。 彼女の現れた空間には裂け目のように亀裂が走り、その向こう側から上半身だけを乗り出してきている彼女の姿は美しい石膏像のようだった。 立ち上がる力も残されていないパッフェルと夕月の目の前にその女性が現れると、その刀身を血で濡らす瞬間を今か今かと待ち望んでいた呪われし剣たちは、そ の役目を果たすこともなく光に包まれて溶けるように消えていった。 その光景をパッフェルは唖然と、ガレアノは歯軋りしながら見つめていた。 夕月は光の中に消えていく剣たちのことなど気にも留めていなかった。 ただただ目の前に現れた銀髪の女性を呆然と見上げていた。 女性はそんな夕月を一瞥もせず、感情の読めない瞳をガレアノへと向けていた。 ガレアノは苛立たしげに手にしたサモナイト石を硬く握り締めた。 「一々出しゃばってきおって、うっとおしい奴め……!」 「………………」 ガレアノはその女性と面識があるようだった。 酷く不機嫌そうに睨みつけてはいるが、無言で見つめ返してくる女性と事を構えるつもりはないようで、ガレアノは一つ深呼吸をして自分を落ち着かせた。 しかし女性に対する敵意は隠しようもなく、彼がその女性のことを快く思っていないことが察せられた。 「……わかっておる。『シナリオ』はちゃんと襲踏する。その女をここで殺しちゃいかんと言うのだろう? ちゃんと分かっておる」 「………………」 女性は返事も返さず、ただ黙ってガレアノを見つめ続ける。 睨むでもなく、微笑むでもなく、無感情に、しかし何かを催促するように。 「そう急かすな。今から向かおうとしていたところだ。『シナリオ』の通りにな」 「………………」 こちらの言葉を聞いているのかいないのか、銀髪の女性はガレアノの言葉にもまったく反応を示さない。 ガレアノは小さく舌打ちすると、奈菜を担ぎなおしてパッフェルたちに背を向けた。 それに気付いた夕月が擦れた声を漏らす。 「な………奈菜っ………!」 その微かな声を耳ざとく聞きつけたガレアノは憎憎しげな表情で振り返った。 「運が良かったなぁ、小娘。あのお方の命令がなければ『シナリオ』など気にせずたっぷり遊んでやったものを。とんだ邪魔者のおかげで命を拾いおって」 「……っく………奈菜ぁ……!」 「だがこの娘は連れて行くぞ。『シナリオ』に紛れ込んだ異分子、しかもこの気配は…………いや、まさかな……」 ガレアノは何事かを言いかけてかぶりを振った。 その顔には期待するような自嘲するような微妙な表情が浮かんでいる。 「あ奴がこんな所に居る筈はない……しかし、あの娘のこともあるしな……」 「………………」 「あぁ、わかっておる! さっさと行けばいいのであろう!」 考え込んでいたガレアノは銀髪の女性の無言の圧力に屈し、今度こそ本当に去ろうとした。 それを引き止めようと、夕月は最後の力を振り絞る。 起き上がることができないのなら這ってでも追いすがろうとしたのだ。 しかしその時、夕月は視線に気付いた。 遥か高みから見下ろす視線。 恨み・辛み・妬み・不満、あらゆる負の感情の綯い交ぜになったような、そんな視線で射抜かれているのを感じた。 ハッとして見上げると、こちらを見下ろしている銀髪の女性と目が合った。 女性はただ無表情に夕月の瞳を覗き込んでいた。 その瞳に夕月の目は釘付けにされ、目を放すどころか指一本動かすことができなくされてしまった。 女性の無言の雰囲気に飲み込まれ、蛇に睨まれた蛙のように動きを止めてしまう夕月。 女性の表情は何一つ変化しない無表情で、言葉も一切発してはいないのに、夕月には彼女から吹き付けてくる凄まじいまでの感情の波が感じられた。 それは一つの生物の中には到底納まりきれないような暗く深い魂の叫びだ。 夕月には目の前の女性が人間、いや、悪魔だろうが天使だろうが竜神だろうが、そういった生物全てを超越した、もっと異質な何かであるように思われた。 人の形をしてはいるが、その中身は人ではありえない。 その全てを飲み込む虚無を宿した瞳に魅入られてしまった夕月が固まっている隙に、ガレアノの姿はとうに消えてしまっていた。 気付いたときには銀髪の女性の姿もいつの間にか消え、パッフェルは疲労の為か意識を失って倒れていた。 夕月は自分が今まで何をしていたのかとっさに思い出せなかったが、すぐに奈菜を攫われたことと、あの女性のことを思い出した。 あの銀髪の女性に見つめられていた時間はガレアノの召喚した悪魔の瘴気に晒されていた時間よりも遥かに夕月の精神をすり減らしていた。 見つめられていた間は身動き一つ取れなかったが、今あの瞳を思い出すと腹の底から寒気が這い上がり、体がガタガタと震えだす。 すぐにでも奈菜を追いかけたいのに、心も体もボロボロにされてしまった夕月には、胎児のように身体を丸めて震える体を抱きしめることしかできなかった。 「チェックメイトだぜ、ゾンビの親玉野郎!」 お気に入りのトレンチコートを返り血に染めたレナードが怒りの表情で屍人使いガレアノに銃口を向ける。 わらわらと群がっていた無数の屍人たちはマグナたちの活躍で倒され、糸の切れた人形のように動きを止めていた。 自分の厄介になっていた砦を壊滅させられたからか、柄にもなく血気に逸るレナードを宥め、マグナが一歩前に進み出てガレアノと対峙する。 「屍人使いガレアノ! もう勝負は着いた。大人しく降参するんだ!」 「勝負は着いただと? カッカ! お気楽な奴らよ」 屍人たちは皆倒れ伏し、あとはガレアノ一人しか残っていないというのにその顔に焦りの表情はなく、余裕の色すら浮かんでいた。 自分たちの数倍に匹敵する数の屍人たちと激戦を繰り広げて消耗しきっているマグナたちと比べ、ガレアノの衣服は返り血どころか雨水すら含んでいないように 見える。 気丈に降伏を勧告するマグナだったが、ガレアノの形容し難い禍々しい雰囲気に気圧されているのは明らかで、いったいどちらが優勢なのか分からなくなる。 ガレアノの肩に担がれて気を失っている様子の奈菜のことも心配だった。 彼女と一緒にいたはずの夕月の姿もなく、なんの冗談か奈菜の臀部からは黒々とした尾が、背中からは蝙蝠型の羽が生えていた。 屍人となって襲ってくる様子もないので死んではいないようだが、なぜガレアノが彼女を連れて現れたのかも気になる。 「気をつけて! その男の召喚術はとても危険です!」 「ああ、わかってる」 クラレットがマグナに注意を喚起する。 奈菜の安否を気遣うマグナは気が急いていたが、しかし目の前にいるガレアノという男はどこか普通ではない。 その異質な存在感が、普段は激情家なマグナをして慎重な対応をさせていた。 マグナは自らの契約した召喚獣たちの中で最高位の者を呼び出し、不遜な態度を崩さないガレアノにプレッシャーをかける。 「……誓約によりて、我が呼び出しに応えよ! 異界の者よ!」 マグナの手にした黒色のサモナイト石が眩い光を放ち、光の中から武骨な機械の巨体が姿を現す。 機属性Aランク召喚獣【フレイムナイト】である。 鎧のようなフォルムの人型機兵の最大の武器である右手の火炎放射器を向けられ、ガレアノが感嘆の声を上げた。 「ほほう! なかなかの召喚術ではないか。これはこちらも本気で行かなくては、な? カッカッカ!」 そう言ってガレアノが紫色のサモナイト石を掲げると、呪文の詠唱などせずとも石は光と共にガレアノの忠臣である髑髏伯爵を現世に降臨させる。 その途端に辺りは中級悪魔の放った胸糞の悪くなるような瘴気に包まれ、世界が一段階暗くなったように感じられた。 ベタベタと肌にまとわり付く不快感、息をするだけでも内側から汚されるような感覚にマグナたちは顔をしかめる。 しかしガレアノはその空気が逆に心地良いらしく、血色の悪い顔を歓喜に歪ませる。 砦を一人で陥落させてしまうほどの術士の召喚術を受けては召喚術に耐性のない者も多いパーティに甚大な被害が出ると判断し、マグナは先手必勝とばかりにフ レイムナイトに攻撃命令を出す。 「フレイムナイト! ナナは避けて、召喚獣を攻撃しろ!」 『了解。出力最大、収束放射!』 「カッカ! 薙ぎ払え、髑髏の!」 『…………!!』 紅蓮の騎士の放った【ジップフレイム】と髑髏伯爵の【黄泉の瞬き】がぶつかり合う。 伯仲は一瞬。 ブラックラックの放った身の毛もよだつ瘴気の渦はフレイムナイトの炎を相殺し、術者であるマグナをも巻き込んで広範囲の連鎖爆発を巻き起こした。 声にならない悲鳴を上げて崩れ落ちるマグナ。 堪らずトリスとアメルがマグナに駆け寄る。 「ま……マグナぁ!!」 「マグナさん! しっかり! すぐに治療を……!」 「カーッカッカ! この程度の実力でワシに勝てるつもりだったとは片腹痛いわ! 貴様らごときにワシが手を下すまでもない、力尽きるまで屍人どもと遊んでいるがいい!」 ガレアノの哄笑が響き渡ると辺りに満ちていた瘴気がより一層濃さを増し、その魔力によって再び活力を吹き込まれた屍人たちがボロボロと崩れる身体を引き ずって立ち上がる。 その醜悪な光景と禍々しい魔力に当てられて、今まで気丈に正気を保っていたミニスもついに気を失ってしまい、ケイナに抱きとめられる。 そのケイナもガレアノの異様さを感じ取ったのか、弓を構える余裕もなく、蒼白になってミニスと怯えるハサハを抱きしめていた。 戦況の不利を悟ったネスティが撤退の号令をかける。 「トリス、アメル! 相手は並みの使い手じゃない、ここは一旦退こう! フォルテ・リューグ・カザミネさんは女子供の誘導を!」 「お、おう! ケイナ、こっちだ!」 「くそっ! また逃げ出すのかよ!」 「退くことも勇気でござる! モーリン殿、大事無いか?」 「ああ、このくらいでへこたれるような鍛え方はしてないんでね!」 不満を漏らすリューグをカザミネが諌め、フォルテの切り開いた退路に動けないミニスとハサハを抱えたケイナが優先的に誘導される。 ハヤトとクラレットも先の戦闘の消耗で戦力としては心もとなく、回復役やフォローにまわっていた。 他の者は次々と起き上がってくる屍人たちを蹴散らしながら退路を確保していく。 ガレアノは手出しをするつもりはないらしく、高見の見物を決め込んでいた。 「ご主人様、急いで! みんな行っちゃいますよ!?」 「でも、ナナがまだあいつに……!」 「主殿、あめる殿、オ急ギクダサイ!」 「ぐ……レオルド、すまない……」 いつもは怖がりなレシィが護衛獣としての使命感からかいつになく強い調子でトリスを引っ張り、レオルドはアメルの手当てで致命傷を免れたマグナを担ぎ上げ る。 ガレアノに囚われたままのナナのことは気がかりではあったが、ガレアノとの力の差を見せ付けられたばかりで無茶をすることもできず、双子召喚士とアメルは 護衛獣たちに導かれてネスティたちと合流するのであった。 しかしそんな中、一人だけ退避することもなくその場に留まり、屍人使いガレアノと対峙する者がいた。 トリスの護衛獣・悪魔バルレルである。 バルレルの接近に気付くと、ガレアノは先ほどまでの愉悦の表情を引っ込め、憎悪のこもった視線で不敵なバルレルを睨みつけた。 並の人間なら萎縮してしまうような強烈な敵意をぶつけられても、バルレルには蚊に刺された程度も応えていなかった。 バルレルは不遜な態度を崩さぬまま、ガレアノに不躾な質問をぶつける。 「テメェ、そのオンナをどうするつもりだ?」 「ふん、なぜ貴様の質問に答えてやらねばならぬ? この娘をどうしようと貴様には関係ないことであろう?」 確かに、ガレアノの言うとおりであった。 バルレルにとって堀江 奈菜という少女は、自分を呼び出した召喚主の周りでうろちょろしているどうでもいい人間の内の一人にしか過ぎない。 彼女がガレアノに連れ去られてどんな目に合おうが、殺されて屍人にされてしまおうがまったく関係のないことだ。 しかし――――― 「気になるんだよな、そいつの匂いが」 「匂い?」 バルレルの抽象的な物言いにガレアノは怪訝そうに問い返す。 しかしバルレルも他にうまい言い表し方が思いつかないのか、もどかしそうに注釈を付け加える。 「思い出せそうで思い出せないもどかしさというか、懐かしいようで初めてのような、羽毛で敏感な部分をくすぐられる感じというか、なんかそんな感じの匂い だ」 「……………」 バルレルの説明は要領を得ず、バルレル自身も自分の言っていることに戸惑っているような印象が感じられた。 しかしガレアノにはその気持ちがなんとなく理解できる気がした。 それはおそらくガレアノが奈菜に対して感じている感覚と同じようなものであるだろうから。 だからなのか、あるいは単なる気まぐれか、ガレアノは先程のバルレルの質問に答えた。 「この娘はあのお方のところへ連れて行く。ワシではどうにも判断が付かんからな」 「あのお方? って、だれだそいつは」 「カッカ! 流石にそこまで教えてやる義理はないわい」 「……ふん、まあいい。つまりテメェにもそのオンナの正体はわからないってことだな?」 「…………そういうことだ」 分からないことを認めるのが悔しいのか、ガレアノは少し躊躇した後そう答えた。 その答えを聞いて満足したのか、バルレルはガレアノに背を向けて悠々と去ろうとした。 その背中をガレアノが引き止める。 「敵に背を向けるのか? この娘を取り返さなくてよいのかな?」 挑発するような物言いのガレアノに、しかしバルレルはもうガレアノにも奈菜にも興味を失ったような態度でふてぶてしく答えた。 「どうでもいんだよ、そんなことは。そのオンナはあのお人好しのニンゲンが助けるだろうよ。そのオンナまで守ってやる義理は俺様にはねえ」 「あの召喚士が助けに来ると? ずいぶん信頼しているようだなぁ」 「そんなんじゃねぇ。気持ち悪いこと言うな」 そう吐き捨てるバルレルだったが、ガレアノはバルレルが自らの召喚主に向ける信頼をその身でもって知っていた。 その事実にイライラが募る。 強大な力を誓約の力で押し込められ、このような惨めな姿にされてもそれを甘んじて受け入れるかつてに魔公子に失望を覚える。 しかし当の本人はそんなガレアノの思いにも気付かず、後退を続ける自らの召喚主との合流に急ぐのであった。 「アメル、何やってる! こっちだ!」 リューグが自分を呼ぶ声を遠くに聞きながら、アメルは屍人たちから絶え間なく発せられる負の感情に囚われていた。 他人の心に触れ、心から癒すことで身体の異常さえも治癒してしまう聖女の奇跡を起こす彼女は、屍人たちの救いを求めるような訴えかけるような心の声に晒さ れ、精神的に追い込まれてしまっていた。 彼女は優しい心の持ち主である為、レルムの村で聖女として崇められていた頃も自分を頼ってきてくれた人々の期待にはでき得る限り答えようと、身を粉にして 奇跡の力を使い続けてきた。 しかし今目の前で救いを求める屍人たちに、自分は何もしてやることができない。 その無力感が、17歳の少女であるアメルの心を苛む。 「おいアメル! しっかりしろ! ボーッと突っ立ってるとやられるぞ!」 棒立ちになってしまっていたアメルの手をリューグが引く。 しかしアメルの反応は鈍く、心ここに在らずという様子だった。 リューグは無理やりにでもアメルを連れて行こうとするが、その時屍人の一人が両手に大剣を構えて襲い掛かってきた。 「ちっ! うっとおしいんだよ!」 リューグの斧が振り上げられた屍人の両手を切り飛ばし、両手ごと大剣が宙を舞う。 怯むことを知らない屍人は先のちぎれた両手で掴みかかろうとするが、リューグは重量感のある斧を振り回し、屍人の首を跳ね飛ばした。 立ち尽くすアメルの目の前でリューグは返り血に赤く染まっていく。 だがすでに死んでいる屍人はそれでもまだ動きを止めることなく、リューグに襲い掛かる。 「もうやめて…………」 両手と頭を失った屍人はその重い鎧を活かしてリューグを押し倒そうとする。 リューグと屍人がもみ合っているうちに、他の屍人たちもわらわらと集まってきた。 何とかもみ合いを制したリューグが屍人を切り伏せて立ち上がると、リューグの周りを取り囲んでいた屍人たちから血柱が上がる。 リューグの劣勢を見て助太刀に来たカザミネの居合い切りだ。 シルターン独特の剣技によって、固い鎧に身を包んだ屍人たちの身体が面白いようにすぱすぱと切り裂かれていく。 しかしどんな深手を負っても屍人たちの攻勢が休まることはない。 「もう……やめて……やめて……お願い……」 ネスティの呼び出したウィンゲイルの起こす突風が屍人たちをなぎ倒していく。 そこにトリスの召喚術やレナードの銃撃が浴びせられ、フォルテの大剣が切り倒し、レオルドのドリルが貫く。 原形を留めない死体の山が量産されていく様に吐き気を堪えながら、皆生き延びる為必死に戦っていた。 敗北は彼らの仲間入りを意味する。 そのような顛末を受け入れられる者などこの場にはいなかった。 際限なく湧いて出る屍人たちに退路を立たれ、次第に追い詰められていくマグナたち。 屍人の側もマグナたちの側も、血みどろ泥だらけのボロボロ状態、終わりの見えない悲惨な戦いの様を呈してきた。 まるで黄泉から帰ってきた亡者たちが生者を地獄の淵に引きずり込もうとしているかのような光景。 その強烈な死臭に当てられてマグナたちの精気もどんどん失われていった。 「……お願い……お願いだから、もう……彼らを休ませてあげて……」 アメルの悲壮な願い。 死後の肉体と魂を弄ばれるものたちの苦しみ。 生きる者たちの死への恐怖と絶望。 人の生と死を踏みにじる悪魔の嘲笑。 「泣いている……苦しみ続けて……安らかに眠っていたいのに、無理やり起こされて……こんな……こんなこと…………」 アメルの身体が淡い光を放ち始める。 その異変に気付いた者は亡者も生者も関係なく動きを止め、嘆きを漏らす少女の姿に目を奪われた。 その淡い光は辺りに漂っていた瘴気を打ち払い、寒々とした世界を暖かく照らし出す。 少女の瞳から一滴の涙が溢れ、頬を伝った。 「こんなこと……もう、やめてええぇぇぇっ!!!」 その叫びが聖なる光となって悪夢の世界を塗り替えた。 光に包まれた世界の中で生者と亡者に等しく祝福が与えられる。 マグナたちの身体には活力と精気が戻り、屍人たちはさらさらと砂粒に分解され、自然の理のままに土に還る。 屍人たちの魂を縛り付けていた魔力も消滅し、祝福を受けた魂は輪廻へと還り、新たな生を受けるだろう。 死は新生の喜び、彼らの次なる生の幸せを祈りながら、アメルの意識は途切れた。 全てを優しく包み込む暖かな光の中、マグナはアメルの背に純白の美しい翼を見た気がした。 第24話 「別離」 おわり 第25話 「はぐれ」 につづく |