Prologue
先のトリステインとの大戦にて、我が精鋭なるガリア王国軍を恐怖の淵に追いやった部隊がある。
常に戦力は劣勢の状況、我軍が数倍の兵力で攻め立てようと決して屈することはなかった。
白地に、中央には『才』(異国の紋様か。それか文字なのか、いずれにせよ理解することはできなかったが)と描かれた旗。部隊長の名にちなみ、部隊は『サイカ』軍と呼ばれたそうだが、それは戦争の終盤、わずかのことだったらしい。
かの部隊、特に有名なのは率いた部隊長、サイト・ヒラガ中将であろう。彼の勇名はこのガリア王国内でも知らぬ者はいないほどだ。
ガリア=トリステイン戦争における激戦の一つ、サラゴサの戦いで彼の部隊が寡兵でありながら、最後まで守りぬいたことはあまりにも有名である。
同時に、この戦いで彼は我等が姫、シャルロット・エレーヌ・オルレアン様の生命を奪ったが、不思議とそのことを恨む声は聞こえない。
現在、シャルロット様はガリア王立墓地に埋葬されているが、また戦死なされたサラゴサの地に戦没者慰霊碑が立てられている。
私が初めてサラゴサを訪れたのはさる休日、教会から聖歌が、心地良い風にのって聞こえる初夏だった。
教会は、サラゴサで唯一戦禍を逃れて原型を保っている建物であった。それだけに数少なく残った人々は教会をとても愛していた。
私も当然、教会に参じた。そこで興味深い話を聞いた。もはやガリア国民でヒラガ中将の美談を知らぬ者はいないだろうから割愛させていただく。
話をしてくださったのは、司教であった。彼は、サラゴサが戦場になるよりずっと前から、この地に住んでいる者で、なんとヒラガ中将と話したことがあると言うではないか!
私は是非にと頼み込んで、ようやくヒラガ中将について聞き出すことに成功した。以降が、彼の新たな側面を知る大切な情報、司教が語った一節である。
「ヒラガ中将……いや、あの当時彼はトリステイン軍大尉だった。彼がサラゴサに、部隊とともにはじめて来た時のことはよく覚えている。村の者たちはそりゃあ恐慌状態になった。何せトリステイン軍は野蛮で、何をされてもおかしくないともっぱらの噂であったし、逃げようにも、この地を離れてしまえばどのみち野垂れ死ぬしかない。
結局、我々は女子供を家の奥に匿い、各々武器をとって待ち構えた。そのうち、トリステイン軍の旗が見えて、ついに来るべきものが来たと思った。しかし、思ってからのち、ぴたりと旗が静止したまま。これはどうしたのかと思った矢先、一人の騎馬兵が現れた。なんとも神秘的で、吸い込まれるような黒い双眸をしたその男は、トリステイン軍のために村の一部を明け渡すよう言ってきた。当然、私たちは断った。そしたらその男はなんと、何故断るのかと、聞いてきたのだ。私たちは当惑した。しかし、不思議と男には話が通じるような気がして、村長が理由を、私たちの覚悟を語った。男はしばし、黙っていたが、すぐに口を開いてこう言った。
『我々は貴方達に危害を加えるために来たのではない。確かに、我々がいることで不利益を被ることがあるかもしれないが、絶対、諸君に手出ししない。もしもこの誓いを破る者がいたならば、必ず私は処罰する。だからどうか、駐留をさせてくれ』と。
そう言われて、いや、村長としてもどうせ正規軍相手に無益に争って殺されるよりは、いっそのこと男の言葉を信じてみることにしたのだろう。図らずも、その思惑は当たった。
その男こそ、のちのサイト・ヒラガ中将であり、彼は自分で言った通り、決して村人に危害を加えることはしなかった。一部、規則を破った者を彼は容赦なく処断した。ただ駐留して食料を貰っては悪いと、村外れの畑に行く時は常に、配下の兵を割いて護衛をしてくれた。戦争が始まって、賊に悩まされていた我々にとっては、ガリア軍よりもよっぽど、彼等のほうが頼りになったものだ。
いつの間にか、私たちは彼等のことを信用していたのだ。一重にこれは、ヒラガ中将のおかげだったと言えるだろう。
最後こそ、私たちの村は焼き払われ、多くの犠牲者を出したが、それもガリア軍がやったことで、ヒラガ中将の部隊は我々を、戦火から救うべく必死に動いてくれた。恨みがないわけではないが、それ以上に彼には恩義があった。最終的に、この地で暮らすことに嫌気がさした人々を、一緒にトリステインへと連れて行くことも黙認してくれた。彼は本当に、良き軍人だったと思う」
ロヘリオ・オルティス 『サラゴサからの手紙』より抜粋
T 五月十日
ルイズ一行は満を持して宿場を出、サラゴサの村に来た。
一言で村、と言うが古来サラゴサは交通、物流の要衝として栄えた歴史があり、石造りの城壁で囲まれた都市だった。
サラゴサが衰退したのはトリステインがいわゆる異民族の住む地域の平定に乗り出した数十年前からのことだった。トリステインは軍事的な結びつきより隣国ゲルマニアに近づき、ガリアとの交易は激減した。
内陸からトリステインの物流を担っていたサラゴサは、不必要な場所となり、人々は離散した。
再びサラゴサが脚光を浴びたのは、トリステインがガリア王国に攻め入ってから二年目のことであった。初戦の敗北より起死回生の攻勢を図った軍上層部は、複数路からの侵攻を企てた。
サラゴサは、かつてトリステインとの交易をしていたことから道がある程度整備されていたため、容易に侵攻できるとの判断が下された。その時に派兵されたのが、サイトを含んだ部隊である。
そして、今ではガリア王国におけるサイト信仰発祥の地と言うのがこのサラゴサの村と、その遺構であった。
「何のことはない。城塞以外は、普通の村よね」
ルイズがサラゴサを見た第一の感想はこうだった。シエスタ、ベアトリスともに同じように思ったが、ここまではっきりと言うルイズには及ばず、互いに苦笑している。
「姉様、そう言うものではありませんよ」
昨日までの弱さを感じさせないしっかりとした声で、ベアトリスは義姉をたしなめた。彼女はもう、迷いなどない。
「そうだけど……まあ、それはいいわ。思いの外、ここまで来るのに時間がかかったわね。シエスタ、今は――」
「もう午後の四時を過ぎました」
シエスタは自前の懐中時計の蓋をあけて、時間を確認した。微妙に、文字盤も暗くなりつつあるので見づらかった。
「どうしますか、ルイズさん? 急ぎでないのならば、今日はもう宿に泊まるのも手ですよ。幸い、ここにも宿はあるって聞いていますし」
彼女はすでに、前の宿場でサラゴサの村のことを聞いていた。地理を覚えるのは苦手だ、などと言っているが中々どうして、気がきくのだから有能なメイドだ。
「私もそうした方が良いと思います。できれば明るさがあるうちに、馬の世話をしたいので」
「そうね……そうしましょうか」
ベアトリスもシエスタの意見に賛同したことで、ルイズも意を決した。三人は古城のようにそびえる壁、一箇所だけ開かれた門をくぐり抜けた。
馬の世話のために離れたベアトリスはのぞき、ルイズとシエスタは先に宿にて出湯を楽しんでいた。
サラゴサはハルケギニアでは珍しく、温泉が湧き出る地域で、そのための施設があるとはルイズも聞いていたのだが――
「まさか、湯に浸かるなんて思わなかったわ……」
岩場に背をもたれさせ、ルイズはなんとも不思議な感じになっていた。ルイズは貴族であるし、ハルケギニア大陸にも数百年前から風呂の文化はあったから、入浴が珍しいわけではない。
「そうなんですか? あたしが聞いた話だと、温泉は身体を休めるものだって言っていましたけど」
シエスタはルイズの反対側の岩場でまさしく身体を休めていた。ただ、彼女の視線は、思い切りルイズの胸元に注視されていたが、幸いにして? ルイズは気づいていなかった。
「嘘? 普通、温泉は飲むものでしょう?」
「えぇ?」
二人の話が食い違うのも無理はない。そもそも、ハルケギニアの慣習としてはルイズの認識が正しい。水の質があまりよくないこの大陸では、温泉水は安全な飲み物として親しまれていたのだ。
シエスタが入浴をするものだと思っているのは、かつてシエスタのタルブ村に、異世界より来た者がそのように言ったからである。田舎で、生涯で外に出る者が少ないタルブ村では、それが常識とされていたのだ。
ついでに補足すると、その異世界よりきた者はシエスタの曽祖父にあたり、彼はかつて、はるか彼方の東方の国より来た軍人だった。
その国はいわく峻険な山の恵みにより、水が清らかで、また温泉がたくさん湧き出る国であった。ゆえに温泉は入浴して楽しむもの、そうシエスタは祖父から聞いていた。
「だって、ここはサイトさんが残したものだって宿の人が言っていましたよ。てっきりルイズさんは知っているものかと」
サイトも遥か遠くの東の国よりやってきた者だから、シエスタはサイトが温泉を作ったことに何の疑問も持たなかった。むしろ、この話を宿の主人から聞いて驚いたのはルイズの方であった。
とうぜん、直接サイトが作ったものではない。サイトがこぼした一言で閃いた宿の主人が始め、その監修をサイトに頼んだ。だから、サイトが作ったと言っても、嘘ではないが、本当とも言えない、といった具合だった。
ルイズはサイトが娯楽施設を作ることに関わっていたことに、彼の以外な一面を見た。それは彼女の知らないサイトだった。そして彼女の知らないことが、小さな不満として彼女の心には蓄積するのだ。
「そう言われても困るわ。だって、本当に知らなかったもの」
お湯を手ですくって、こぼす。ルイズは何回もそんなことを繰り返していた。その度、シエスタは微妙に顔の位置をかえていたが。
ルイズだって、こういうものを作っていたことを知りようもなく、驚いたのだ。それに、温泉を作ったなど、軍上層部に報告などしたら大目玉だ。当然サイトの残した報告書にも、サラゴサの温泉のことは書かれていなかった。
「でも、確かに貴女の言う通り疲れが取れる感覚はあるわ」
ぱっと手を止め、髪をまとめたタオルの位置を直した。
「おお!」
シエスタは思わず、身を乗り出した。
「どうかしたの?」
「あ! いえ、何でもないですよ!?」
「そう?」
「は、はい。それより、ルイズさん。私がお背中流してあげますから、一旦出ていただけますか?」
「え? 髪も身体も、入るより先に洗ったわよ」
実はルイズ、シエスタより先に温泉に入っていたのである。シエスタはルイズの荷物を整理して、着替えを用意したぶん、来るのが遅れたのだ。
「いえ、それでも是非やらせてください。そうでないと、あたしがメイドでなくなりますから」
「意味がわからない」
「あたしのたの……仕事を奪わないでください!」
「……わかったわよ」
これ以上何を言っても無駄、ルイズはシエスタの言われた通りにすることにした。立ち上がり髪に巻いたタオルを外して身体を隠し、温泉から出る。シエスタが付きそうかたちで洗い場まで移動し、椅子に腰を下ろした。
その間も、シエスタはにやけていてルイズは気色悪いことこの上なかった。
「ささ、タオルは前においてください!」
「はいはい……」
タオルを置くとすぐに、シエスタはルイズの背中に丁度いい温度のお湯をかけた。
「うひひ……いつ見ても、綺麗な肌だなぁ……」
それから指でルイズの背中を軽くなぞった。ルイズは慣れっこなので、今更「きゃっ」などと声をあげない。むしろもう、冷淡と言えるくらいの口調でシエスタを促す。
「……早く洗うなら、洗ってくれないかしら」
「すぐやりますよ、えへへ」
シエスタが鼻歌交じりに背中を洗い始めるなか、ルイズは自分の左足を少し撫でた。撫でた場所には、太ももの外側から内側にかけて、大きな傷が縦に刻まれている。
その傷跡はもちろん、ルイズが戦場で受けた傷だった。他にも傷は負ったが、どうしても太ももの傷跡だけ残ってしまったのだ。
さするたびに、当時の痛みが襲ってくるような感覚がある。ルイズに外傷のみならず、精神的な重荷を課す傷になっていた。
シエスタは、ルイズの傷を見ても驚かない。最初こそ、傷ができた理由を聞きはしたが、それ以降は傷に関して何も言わない。どうしたって目に入る、生々しい傷跡にも関わらず。その気遣いがルイズをおおいに助けていた。
「はい、これでお終いです」
シエスタが背中を洗い終え、お湯をもう一度かけたところでルイズは我に返った。
「ありがとう。でも、何だかまた寒くなってきたような気がするわ」
「そうしたら、もう一度温泉に入ればいいんですよ!」
「うん、そうね」
シエスタは、目ざとくルイズが傷跡をなぞっていたことに気がついていた。ゆえに、ルイズの寒さの原因が湯冷めではないことを分かった上で、そう言って気遣ったのだ。
その気遣いがありがたく、ルイズもつい幼さ混じりの受け答えになっていた。髪が入らないように片手で束ねたまま、シエスタの手を借りてふたたびお湯に浸かる。今度は、彼女も隣にきた。そのまま、ルイズの髪をまとめあげてタオルで巻く。
ルイズはシエスタにやってもらい、シエスタは髪を短めにしておいて楽そうだな、と思った。その視線に気づいて、シエスタは微笑む。
「駄目ですよ、ルイズさん。こんな綺麗な髪を切ろうとするなんて」
「まだ、何も言ってないわ」
「目がそう言っていましたからね。全く、貴族の令嬢たる者、そんなこと考えては駄目ですよ」
タオルで巻き終えると、シエスタは自分の髪の端をいじった。
「あたしはメイドですから。長い髪は仕事の際、邪魔になるから切るんです」
「別に、私が短くしたっていいじゃない……また貴族の令嬢たるもの、ってお説教はうんざり」
ルイズはいっそう、拗ねた口調になり、肩口より深く、顎を沈めるくらいまでお湯に入った。
「ルイズさんは絶対、ロングの方が良いです。何でしたら、明日はベアトリスさんみたく髪を一本にまとめてみますか? 髪型をかえるだけで、気分も違うものになりますよ」
「それは、嫌。まとめると、拘束された気分になるもの」
「もう! ルイズさんたらわがままなんだから!」
「……それこそ、貴族の令嬢なら少しのわがままは良くなくって?」
「それとこれとは別です」
きっぱりとシエスタは言った。彼女は、何だかんだ貴族だからとわがままをすることは駄目だと理解していた。これは、サイトの受け売りでもあったが。
「……もう、つまらない」
ルイズはそう言うと、ついに鼻先まで温泉に入ってしまった。
「そういう態度はよくありませんよ」
シエスタは即座に、ルイズを引き上げ、肩口までにとどめた。やらしい手つきだ、とルイズは思ったが、今また口にすればお小言を言われるだろうから、と黙ったままだ。
「やっぱり、ルイズさんにはあたしがいないと駄目ですね。ちょっと目を離せば部屋は汚し放題、服は散らかして、食事なんて想像を絶するひどさ! 一人でお風呂も駄目なんだから!」
風呂は平気だ、と思ったが他が全部当てはまっていたのでルイズは反論できなかった。だが、このまま言われっぱなしというのも、彼女には屈辱ではあった。さりとて、何かできるわけでもない。
「……やっぱり、つまらないわ」
結局、先程と同じくルイズは温泉に深く入ることで、シエスタに対してせめてもの抵抗をした。
その後、シエスタに余計怒られたのは言うまでもない。
「全く、酷いと思うわ。どうして私ばかり叱られるのよ」
宿屋で借りた寝室、ベッドの上に腰掛けルイズは不平を言っていた。ルイズは温泉で随分とおこごとを言われた後も、食事のことでも少々揉めて(嫌いなものを残そうとしてこっぴどく言われた)いよいよ、愚痴をこぼさずにはいられなかったのだ。
「まあまあ、そう怒らないでください姉様。シエスタさんは、姉様のことを思って口を酸っぱくしておっしゃっているのですよ」
並べられたベッド、向かいあわせにベアトリスはいて、ルイズの不満を聞いていた。ルイズの不満の原因であるシエスタは、今度は一人で温泉を楽しむと出て行っていない。
「それは、分かっているわよ。でもね、旅先でまで、食べ物のことを指図されたくないわ!」
「あ、主に夕食のことでしたか……」
少々、呆れた様子でベアトリスは言った。だがルイズは逆だ。
「ベアトリス。食べ物の恨みは怖いわよ」
完全に目が据わっているルイズに、ベアトリスは恐怖すら覚えた。確かに、食べ物の恨みは怖い、と。
「ま、まあそれはともかく……明日のことを少しお話しても良いですか?」
「そうね、こんな話は不毛だし。聞かせて頂戴」
「分かりました」
ベアトリスは少しだけ湿気の残る髪を払い、手元に置いてあった手帳を取った。ベアトリスは馬小屋にて馬を預けるついでに、少し村で情報収集していたのだ。
「この村が兄様の戦った場所であることは間違いなく。ただし、当時この地に住んでいた人のほとんどは村を出て行ってしまったそうです。今残っているのは、長距離の移動に耐えられないご老体ばかりだそうです」
サラゴサの村人たちは、サイトの部隊が去る際に、二択を迫られた。一つ、戦禍に見まわれた土地を復興し、暮らすか。二つ、サイトに付いて行き、難民でも良いからトリステインに行くか。
どちらも容易なことではなかったが、分かった範囲で言えばサラゴサではその後も人口の流出が止まらなかったのに比べ、サイトの元領地に移住した彼等はうまくやっていると言えた。
それは、ルイズの家にいつも届く、サイトを慕った子供たちが寄越した手紙からも良く分かる。文面に綴られる中に、暖かさをルイズは感じた。
「しかし幸運でした。この村に昔から住む神父様がいらっしゃりまして、ご健勝。明日の案内を頼むことができました」
「本当、ベアトリス?」
「はい、違えず」
「流石ね、偉いわ」
ルイズはベアトリスの頭を撫でた。ベアトリスは子供ではあるまいし、と抵抗しなかった。喜色満面である。この旅に出てはじめて役に立ったとの思いもあった。だが、すぐに真面目な顔に戻る。
「ただし姉様。姉様にとってお辛い話になることは間違いありません。その点については大丈夫ですか?」
「私のこと、心配してくれるの?」
ルイズはちょっとからかうつもりで、自分を指さしておどけてみせた。
「当たり前です!」
ベアトリスはやや、頭に血がのぼったようだ。だが、これはルイズが悪い。
「ごめんなさい、軽い冗談のつもりだったのだけど」
「冗談でも、言っていいことと悪いことがあります」
「分かっているわ。でも、こうでもないと明日、ちょっと辛いかと思ったの」
ルイズは肩をすくめた。さっきのことは、ルイズなりの強がりだった。
「や、それは……」
ベアトリスが口ごもったのを見て、ルイズは気弱そうに、笑った。
「まあ、貴女にシエスタがいれば、大丈夫だと思うけど。もしも、私が倒れそうになったらお願い」
「え……?」
予想外に、ルイズが弱気なことを言ったのでベアトリスは驚いた。ただ、冷静に考えてみれば無理もあるまい、と考え直した。
「分かりました、任せてください」
「……ありがとう」
ルイズにとって、戦地に赴くよりも余程の覚悟がいる、この旅。やはり二人と一緒に来られて良かったとルイズは思った。
「これで、ようやく離れ離れになった友人に再会、できるのね」
感慨深く、ルイズはつぶやいた。
「そう、ですね」
再会、と言っても生きた人間ではない。それに、ルイズの友人の遺体はここに埋葬されていない。しかし、それは無粋な追求だろうと、ベアトリスは同意しつつも余計なことは言わず、口を閉ざした。
「ガリア王国の姫君、シャルロット・エレーヌ・オルレアン。こう言うと、とても遠い存在に思えてしまう」
在りし日の想い出は、風化することなく甦る。ルイズにとって、それは苦痛ではなかった。だが、その者と二度と会えないと思うと、辛くあるのも確かだ。
「やっぱり、私にとってあの子の名はタバサ。タバサ・ガーネットなのね……」
ルイズにとって、軍学校で寝食を同じくしたかつての同期生だ。しかし運命に翻弄され、かつての同期生と敵対し、戦うことになった悲劇の姫でもある。
そして皮肉にも、敵対した彼女を討ったのもまた、ルイズの使い魔であり、同期生であったサイトだった。
ベアトリスが心配するのも無理はない出来事が起きた場所、それがここ、サラゴサだ。
「……兄様は、どのようなお気持ちだったのでしょうか」
ベアトリスが重く閉ざされた空気を破るように、話した。そうしなければならないと感じたのだ。それに、報告書には淡々とタバサが死んだことが綴られているにとどまっていた。
「あいつは詳しく話さなかった。ただ」
「ただ?」
「私に話をしたことで、何らかの許しを得たと感じたのかもしれないけど。あいつは、心の奥底でずっと後悔していた。当然よね、サイトが直接、彼女を殺した事実にかわりはないのだから」
厳しい言葉だったが、ベアトリスはその点は気にしなかった。彼女はルイズが、たとえ親しい仲であっても、客観的評価を甘くするような人ではないと知っていた。
しかし、厳しい言葉の裏腹に、内心ルイズはサイトがタバサを殺さざるを得なかったこと、その運命を呪いたいほどであった。
「……サイトはね、タバサに文字を教わったのよ」
自分でも気づかないうちに、ルイズは語り始めた。
「兄様は確か、ご自分で文字は習得なさったのでは?」
少し、話が長くなると感じたベアトリスは疑問を述べつつ、腰を据えて聞く体制になった。
「文字、と言ってもサイトは標準語を話せたし、その言葉も容易に覚えた。教えられたって言葉は、古語だったのよ」
「古語?」
「ベアトリスは知らなかったでしょうけど、サイトはね、古典を読むのが大好きなの。それで、いくら標準語が読み書きできても流石に古語は一筋縄ではいかなかったのね、サイトも分からないと頭を抱えていたわ。私も少し嗜んでいたけど、本当にそれだけで、教えるなんてとてもじゃないけどできなかった」
ルイズは宙に指で古語をいくらか描いた。それすら、ベアトリスはわからなかった。古語は、優秀な貴族の子女が集まるトリステイン軍学校ですら教えないのだ。
「では、タバサさんは古語を理解していらっしゃったのですか」
「ええ。あの子は遥か昔に書かれた魔法の書物すら読めた、古語に関する第一人者と称しても過言ではなかったわね。その話を少ししたら、翌日にはサイトはタバサから古語を教わっていた」
当時の光景をまざまざと思い出して、ルイズは笑った。古語を教わっている時のサイトは、一を聞いて十を知る優秀な学生ではなく、本当に等身大の学生のように見えた。しかし、すぐにルイズの顔に影が差す。
「サイトとタバサは友人として、本当に高めあえる良い仲だったわ。魔法のことも、使えないサイトの戯言だと馬鹿にせず、熱心に聞いては答えていた。ああ言う関係が、少し羨ましく思えたもの。だけど、戦争が全てを狂わせてしまった」
今でも何故、タバサが敵として戦わなければならなかったのか、とルイズは思っていた。その理由をルイズは知っている。知っているが、納得できなかった。
「タバサさんがガリア王国からの留学生、しかも王家に連なる方ならばなおのこと、でしょうか?」
「そうよ。タバサが前線に出た最大の理由は、ガリア王家が本気で戦争をしていると思わせる必要があったから。その為に、彼女は利用されたのよ」
憤りのあまり、ルイズは頭に血が上るが分かった。並々ならぬ様子に、思わず口を開きかけたベアトリスをルイズは手で制した。
「……分かっているわよ。そうしなければ民衆の意向が強いガリアでは、戦争の継続が不可能だって。それでも、私はタバサを戦場に出すことを決めた、ジョゼフを憎まずにはいられない」
「姉様……」
ベアトリスの心配が伝わる声。それで少しは落ち着くことができたルイズは手を下げた。
「私の同期も……ああ、名前が判明している者だけで三人、タバサには殺されているの。報告書にも残っているから確かよ。でも、未確認のものを含めれば、もっと殺されているのかもしれないわ」
ひざ上にやったルイズの手が、少し震えた。
「私たち軍人は、国民、財産を守るためにいる。そして、常に死はついて回るもの。仕方のないことだと分かっている。けど……かつての仲間を殺すことになったタバサの気持ちを思えば、やりきれない。タバサと対峙することになってしまった同期生と、サイトも同じように」
こんな甘いことを、ベアトリスの前で言うべきではなかったのかもしれない、そう思ってもルイズは口にした。こういう話は、シエスタにするには辛すぎた。
だから、シエスタにはこの地にての用は表向き、タバサへの慰霊と言っていた。シエスタが気づかないわけではなかったが、そのことに関して彼女はただ頷いてくれていた。
「私も軍人の端くれ、第一義として姉様の言った通りなのだと考えます。ですが、姉様の言うこともまた、人として当然のことでしょう。私は、その想いを否定などできません」
ベアトリスは凛として答えた。彼女本来の、自らの立場をわきまえながらも相手を尊重する姿がそこにはあった。
彼女の眼に迷いの色はない。先日のことが嘘のように、しっかりとした姿にルイズは感嘆し、義妹の成長を祝福した。同時に、手がかからなくなることへの一抹の寂しさも感じた。
「そう、ね。貴女がそう言ってくれて嬉しい。他に、何か情報はあったかしら?」
「取り立てて、報告するまでの情報は残念ながら。お読みになりますか?」
ベアトリスはルイズに手帳を渡した。ルイズはざっと目を通して、首を縦に振った。
「確かに目新しい情報はないわ。どれも、同じような感じね」
「やはり、そうですか」
ベアトリスは無念そうに肩を落として言った。
「仕方ないことよ、ベアトリス。それに、貴女が調べてくれたおかげで分かったことがあるもの」
「え?」
「彼等の話からするに、サイトもタバサもそこまで、恨まれてはいない。朗報ね」
そう言い、ベアトリスの肩に手を当てた。
「まだ推察の域を出ていないけど、明日になれば自ずと二人のことはわかる。そうすれば、この村に来た意味もあったと言うものよ。でも、そうなるとこの村に来た目的はシエスタと同じになるのか」
「ですね」
「でも、それでいいのよね。焦る必要なんて、ないんだから」
ルイズはぱっと手を離した。どことなく、吹っ切れたのだ。
そんなルイズの様子を見て、話を聞いて、ベアトリスはルイズがサラゴサに来た意味が分かったような気がした。
姉様はただ、タバサさんに謝りたかったのではないか。そして、彼女も姉様と同じ同期生だから、サイト兄様を探すことを報告するのが目的だったのではないか、と。
「……その心意気は結構ですが、やはり無理はなさらないでください。姉様の傍には私がいます。シエスタさんもいます。姉様は独りではないのです」
ベアトリスがこのように言ったのも、先にルイズが二人を頼りにしていると言ったからだ。それにこのまま義姉の役に立ち続けたいとの強い想いもある。
「そうね。心強いわ、ベアトリス」
ルイズは微笑んだ。その笑みに陰りもなければ、気弱さもなかった。
U 五月十一日
朝日が窓のカーテンの間から差し込む。今日も良き日よりである。
「ん……ん……?」
ルイズは弱い光にあてられ、目を覚ました。そして、腕を伸ばそうとして全く両腕が動かないことに気づいた。まるで、石像になったように、重く、動かない!
しかし、すぐに目を見開いて自分のベッドの両脇を確認し、納得した。
「はぁ……」
がっしりとルイズの腕を掴んで同じベッドに眠るベアトリスとシエスタの姿があったのだ。
昨晩はベアトリスと話し終えたあと、シエスタが帰ってきたのを確認してすぐに就寝となったのだ。それで、寝る前にはきちんと、各々のベッドに入っていたはずなのだが……
いざ、一人だともの寂しいと感じたシエスタはルイズのベッドに潜り込み、ベアトリスはルイズに甘えたくて、潜り込んだ。
ベッドは三つ並んで置かれていたのだが、奇しくもルイズが中央のベッドで寝たので両サイドの意思疎通もなく、ただ自然に行われたことだった。
「どうしよう」
そう口にしたものの、ルイズが取りうる選択肢は少ない。ましてふたりとも、熟睡しているので起こすのは悪いと思った。こうなれば自分は二度寝するしかあるまいとルイズは決めた。
ルイズは目を閉じた。今度は二人の温もりを感じながら、まどろみへと誘われていった。
そして――
「ごめんなさい、寝坊してしまいました!」
村の広場に妙に馴れ馴れしいと言うべきベアトリスの声が響く。太陽はちょうど中点、お昼だと分かった。そして彼女の発言から分かる通り、ルイズが二度寝したおかげで、仲良く全員寝坊したのだ。
「気にしないでください。たかが五分、時間に遅れただけではありませんか」
いかにも好々爺と呼べる風体の男は、そう言った。
「しかし……ああ、いや。私、恥ずかしいです」
思わずいつもの調子で話そうとして、ベアトリスは慌てて修正した。彼女は村人に気取られることのないよう、普段の話し方はしないようにと、決めたのだった。
女人三名の時点で、怪しまれることこの上ないのだが、それでいてこれ以上疑われるようなことはないようにしたかったのだ。
ゆえに、ルイズもある程度砕けた口調で話すように心がけていた。
「ま、神父様だってこう言ってくださるのだから。早く案内をしてもらいましょう」
「ですね! 早く行きましょう!」
ルイズの言葉に追随して、シエスタが元気よく答えた。シエスタはルイズと一緒に寝たことで、やたらと意気揚々としていた。
「では、よろしいですかな?」
男、昨日ベアトリスが案内を頼んでおいた神父が確認し、サラゴサの案内がはじまった。
最初に村の広場にある慰霊碑を参拝し、ついでその横に祀られるタバサの話を聞いた。そこでは新たな情報を得ることはなかった。
ルイズはとても残念であった。もしかしたら、タバサのことで新しく知る得ることができるのでは、と思っていただけに落胆の度合いも大きかった。
ただ、次に村の広場の道からちょっと外れにある、孤児院のところで興味深い話を聞くことになる。
神父は孤児院の校庭の前に止まると、説明を始めた。
「ここはかつて、エルフの女性が営んでいた孤児院でした」
ガリア王国に限らず、ハルケギニア大陸にはエルフと呼ばれる、人間とは異なる種族が存在する。基本的にエルフとは人里離れた森に隠遁生活をする者が大半で、最初ルイズ一行は変わったエルフもいるものだ、程度に思っていた。
「かつてと言うことは、その方も?」
ベアトリスの言った言葉に、神父は頷いた。
「残念ながら彼女もまた、村が焼き打ちにあった際、亡くなられました。誠に残念です。生きておられればゆくゆく、ヒラガ中将との逢瀬も――」
「ちょっと待った。逢瀬ってどういうこと?」
びしっと、手を前に突き出し神父の言葉を切って、ルイズは聞いた。
「なに、これは村の者どもが思っていたことで。正直、私たちも最初からエルフ、ティファニアのことを歓迎していたわけではなかったのですよ。だから、こんな外れに彼女は住んでいたわけでして」
「いや、そうじゃない。逢瀬がどうのって」
「まあまあ、まずは話を聞きましょうルイズさん」
はやるルイズをシエスタはたしなめた。ついでに、破壊する勢いで杖を握っていたのでもしものことを考えて彼女はルイズと腕を組んだ。
「彼女のことを本当に村の一員として受け入れられたのは、ヒラガ中将の力によるところが大きいのですよ。と言いますか、あの二人はとてもお似合いに思えましてなぁ」
神父はあごひげをさすり、しみじみと語る。
「ティファニアが悪い者ではないことは、身寄りのない子供たちの面倒を見ていることから分かりました。だから、彼女が畑で作れん物は、あげたりしておりました。しかし、何より彼女と親しくなったのはヒラガ中将でした」
エルフは違う種族、だから村人が敬遠したのは仕方のないことだ。だが、サイトは違った。それは、彼事態が違う種族ではないにせよ、『この世界』の人間ではなかったから、理解しあえるところがあった。
「そりゃあ最初は驚きましたよ。ヒラガ中将は駐屯してからすぐ、孤児院に顔をだしていました。それで、ティファニアや子供たちとすぐ仲良くなったんですから」
「当然ですよ、だってサイトさんは優しいんだもの!」
神父の言葉につい、シエスタはいつもの調子で言ってしまった。瞬間、二人はまずいと思い、ベアトリスに至っては腰に隠してあるナイフに手を忍ばせた。
「あ! いえ、これは違うんですよ神父様!」
「はっはっは。何を慌てていらっしゃる。ヒラガ中将は、貴女の言う通りではありませんか。いやはや、貴女ほどに中将に熱心な方が多いこと」
幸い、神父は気取ることなく、シエスタがサイトの熱狂的なファンと勘違いしてくれたので、ベアトリスは獲物から手を離すことができた。
「そ、そうですよね! あはは……」
神父と同じように笑ってシエスタはごまかした。彼女の間違いを直し、補うようベアトリスは質問を重ねる。
「熱心な方が多いとは、サラゴサにはよく人が来るんですか?」
「ええ。この前も、とても熱心にお話を聞かれる男性がいましたし。そうでなくとも、月に幾人もヒラガ中将、シャルロット様のことを訪ねて人は来ますね」
その説明でベアトリスは理解し頷いた。ルイズは面白くなさそうな顔をしていた。
「話の腰を折ってごめんなさい。お話を続けてもらえますか」
「はい。まあ、だからこそ私たちもヒラガ中将のようなお人柄にあてられ、ティファニアとも普通に接することができるようになりました。それからほどなく、村は襲撃され、彼女は死んでしまいましたが……中将はそのことをずっと悔やんでいました。自分がいたばかりに、村の人々が死ぬことになってしまったと」
「それは――」
ルイズは思わず口に出しかけて、やめた。というのも、サイトの報告書によれば、村が焼き打ちにあったその日、一部の兵を残してサイトの部隊はタバサの軍と対峙していた。
サイトは村に被害が及ばないようにして、地の利を半ば捨てて戦っていたはずなのだ、とルイズは思っていたのだが、一介の旅人がそんなことを知っているわけにはいかないのだ。
「いや、本当に戦争は酷いものですね」
ルイズは本当に話したい言葉を飲み込んで、社交辞令を述べた。
「はは、何の何の。確かにあの時に村が受けた傷は深かったですが、中将を恨むなんてことはできませんよ。そうでなければ、中将の記念館など建っていません」
「記念館?」
そんなのは初耳だ、とルイズはすぐ横のシエスタを見た。
「あたしが知っているわけないじゃないですか。ねぇ、ベアトリスさん?」
「私も知りません」
三者三様に、当惑した様子だ。
「お三方が知らないのも無理はありませんよ。記念館ができたのはつい最近のことですから。まだ、どんな書籍にも載っていません。そうだ、ついでにそこも見て行きましょう。そこにも中将にまつわるものがあるんですよ」
神父の言葉に敏感にルイズは反応した。二人も同じような反応をしていたが、一番早く言葉にしたのはルイズだった。
「それは、それは。ぜひとも案内をお願いします」
今はティファニアと言う女性のことよりも、サイトのことの方が優先だった。もっとも、ティファニアとはどんな人で、どんな姿で、一体サイトと何があったのかと、不安を抱くルイズであったが。
V 異世界と彼を繋ぐもの
孤児院を出てほどない場所だった。
戦禍を伝えるために改築された、サイトの滞在した家はある。神父がそう説明し、今では博物館として機能していることを補足した。
そして、これから入る部屋にサイトがとても大切にした物があると言われ、三人はいきおい身構えた。
さて、その大事なものがある博物館の一角、厳重に管理された部屋に三人は通された。そこで目にしたものは、汚れの目立つ旗と、丁寧に磨かれた銃だった。
「これが、サイト・ヒラガが大事にしたというものですか?」
ベアトリスは小首を傾げた。
「確かに、見たことのない銃ですけど」
シエスタもベアトリス同様だ。ただ、ルイズだけは黙っていた。かわり、神父が口を開く。
「これは、ヒラガ中将の母国の……軍旗と、小銃だそうです。私がまだ小さなころ、この地に異人が迷い込んできました。その男が持っていたものです」
サイトの母国と聞いた瞬間、ルイズは様々な憶測を浮かべた。
「異人……その異人は、もしかして黒髪だったかしら?」
憶測のなか、一番有り得そうなことをルイズが尋ねた。すると、老人は目を丸くした。
「そうです。その男は確かに黒い髪をしていました」
「成る程……まあ、その男のことはいいわ。一体、これを見てサイト・ヒラガはなんと言っていたのかしら?」
答えを早く知りたくて、サイト・ヒラガと口にすることも、もどかしく思えるルイズであったが、そう焦っても仕方ないのも事実だ。
「はあ……ヒラガ中将は、かつて男が大切にしまいこんだこの軍旗と銃を見たい、と申されまして。保管してあった倉庫にお通ししたところ、とたんに膝を折って頭を垂れたのですよ」
「どうしてそんなことしたんでしょうね?」
シエスタは指を頬にあて、疑問を口にした。老人は言葉を継ぐ。
「ヒラガ中将は倉庫を後にして、その男のことを私に尋ねました。私は男のことで知っていることを全て話ました。それこそ全てです。そして、男がこの地で没したことを言うやいなや、男の墓場まで案内してくれと頼まれました」
「……サイト・ヒラガにも望郷の念があったのでしょうか?」
ベアトリスはいよいよ首を捻った。彼女からすれば、サイトが祖国に帰りたいという節はまったく見えなかった。
「それはなかったと、あたしは思いますよ?」
「どうしてですか?」
「だって、あのサイトさんがル……その、大切な人が国で待っていたんですから。離れることを選択するなんて、有り得るとは」
シエスタはあやうくルイズの名前を出しかけたが、何とか違う言葉で取り繕い笑った。ベアトリスは虚を突かれたが、すぐに同じように笑い、二人してルイズを見た。
「……それで、サイトは男の墓にいって、どうしたの?」
ルイズは目をそらして、老人に話を促した。
「はい。ヒラガ中将を男の墓まで案内しまして……すると今度は墓に向かって敬礼をしたのです。私が見たなかで、一番美しい敬礼でした。そして敬礼したのち、ヒラガ中将は二三、墓に向かって話されました」
老人もシワだらけの顔に気色を浮かべ、述べた。
ルイズはいよいよ俯き、杖を見つめた。どうにも、サイトが褒められるのはくすぐったい気がすると同時に、負の感情が襲う。かわりに「サイト・ヒラガはなんと言われたんですか?」とベアトリスが聞いた。
「誰某かは聞き取れませんでしたが。その方が天寿を全うされたことを報告し、彼の墓碑にたいして安らかに眠るよう、申されましたな」
「いったい、誰だったのかお聞きには?」
ベアトリスが重ねて質問する。
「聞きましたとも。もしかしたら、男のことを知っていたのかと思ったので。しかし、ヒラガ中将は赤の他人だと言うのです」
「他人、と言っても同郷なのでしょう? 普通に慰霊はするんじゃないですか?」
「それはないわね、シエスタ」
ルイズは断言した。彼女はサイトの祖国の人口の多さを知っていた。それに、常識で考えて同じ時代の人間でないのだからわからないと判断するのが普通だ。
「え、どうしてですか?」
「ともかく、それはないのよ。それで?」
明言はさけ、ルイズはシエスタを黙らせ、老人に話を促す。
「ヒラガ中将は自国のミカトのことを報告したのだ、と。どう言う意味なのかと聞きましたら、簡単に言えば私たちの父だとか」
「イマイチ、わからないです……」
頭を抱えたシエスタと同じくして、ベアトリスも難しい顔をした。だが、ある程度彼女は理解できていたともいえる。
「おそらく、サイト・ヒラガが元々住んでいた国の元首か。それにしてもこの軍旗と小銃、形態保存の魔法がかけられているなんて、余程のものなんでしょうね」
恒久的に形を守る魔法は存在するが、並大抵の魔法使いではできないことだ。特にガリアには優秀な魔法使いが多くいるとは言いがたく、余程の金を注ぎ込んだこともベアトリスは見ぬいていた。
「男は、魔法をかけてもらうために、半生働いて貯めた金をつぎ込みましたよ」
「成る程……と言うことは、その方は長らくこの地で?」
「終生、彼はこの地から離れませんでした」
「ご子孫の方は?」
「残念ながら、いません。彼は一生独身のままでしたから」
「そうですか……」
ベアトリスは悔しそうな顔をした。もしも子孫がいたならば、サイトのことを含め、サイトの故郷の話を聞けると思ったのだ。ちらりとルイズを見ると、彼女は俯いていながらも歯がゆさをにじませていたのがわかる。
「……さて。案内の方はこれで終わりになります。この老骨の長話にお付き合いいただき、ありがとうございました」
「あ……いえ、こちらこそ貴重なお話をありがとうございました」
「そうです、とても楽しかったです。ありがとうございました!」
二人は老人に謝意を述べた。しかし、ルイズは宿に戻るまで、決してその顔を上げることはなかった。
W 三姉妹
神父の話が終わった時、時間はまだ三時だった。ルイズは随分と長い時間聞いていたような気がしていたが、それは精神的に疲れたせいだろうと思った。
ティファニアのことについては、ベアトリスに聴きこみを頼んで、ルイズは先に宿に戻ることにした。疲労を感じている自分が、聴きこみで足手まといになることはわかっていた。
シエスタは一緒に宿に戻ってきているが、気を使ってくれて厨房の方に用があると、外してくれた。
杖と、着ていた上着は適当に投げうって、髪をぐしゃぐしゃとして、自分の寝ていたベッドにルイズは座った。そして一言。
「もどかしい……」
と、独語した。
サイトのことを調べるのが、いや人から聞くことがこうもじれったいとは、ルイズも想像していなかった。
何よりも、ガリア王国では妙にサイトが美化されているようで、嫌だったのだ。
ルイズの知るサイトは決して、望んで戦争に従事していなかった。敵味方に限らず、誰もが血を流すこの狂瀾をサイトは止めようとしていた。だが結局、一兵士の力の限界を前に屈し、サイトは皆の前から消え去った。
サイトが戦争に参加してから、いなくなるまでの間に、どんな葛藤があったのか知りもしないくせに、さも当然のように語られることがこんなに腹立たしいとは!
ルイズは胸の奥底から湧き出る、自分の感情を抑えることができなかった。同時に、サイトのことを全て知ったかのようにしている自分がいることに気づき、今度は愕然とする。
私はなんてことを考えているのだ、とルイズは思った。
ルイズがこんなことを思うのも、心の何処かにティファニアと言う女性の存在があることは間違いない。
彼女の存在がサイトにとってどんなものなのかは、完全に人伝の話に頼るしかない。そうなれば当然、ルイズは心の中でまた、そんなわけがないと否定する。
そのことに自分自身で気づいてしまうことが、ルイズの哀れなところであった。自己嫌悪はここに極まり、いよいよもって精神が持たないと、ルイズは感じた。
嫉妬など、恥ずべきことなのだ。そう思って、震える両手で顔を覆い、ルイズは視界を閉ざした。そしてすぐに、ベッドに両腕を広げて倒れこむ。
「眠れば、忘れられるかしら」
その言葉はむなしく部屋に響いた。今はルイズ以外、誰もいない。
次にルイズが気づいたのは、身体が妙に揺すられたからだった。目を開けると、シエスタが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「やっと起きてくれました。ああ、良かった」
ルイズが目覚めたので、シエスタは安堵した。
「ちょっと、寝ていただけよ」
起き上がり、ルイズは背伸びした。
「今、何時?」
「四時を回ったところです」
「何だ、まだそんな時間か」
一時間に満たない睡眠だったが、ルイズとしてはらしくない。普段、昼寝など彼女はしないのだから。
「やはり、随分とお疲れの様子ですね。ですから、起こさない方がいいかとも思ったのですけど」
「けど?」
「このまま一人にしておくわけにはいけないと思いまして」
シエスタはルイズの前にしゃがみ込むと、頬を軽く指でなぞり、ぱっと頬を手で包んだ。目線はそらさない。
「な、何をするの」
「ご自分でお気づきになっておられないようですが……ルイズさん、寝ながら涙を流されたでしょう? 涙のあとがつたっているし、まぶたも、少し腫れています」
手を離し、シエスタはエプロンのポケットから手鏡を出してルイズに渡した。ルイズは鏡を見て、自分が本当に泣いていたことを確認した。
「それに実は、ルイズさんにお飲みになってもらいたいものがあって、起こしたんです。だけど、この顔では外には行かれませんよね。ちょっと取ってきます」
シエスタは立ち上がり、さーっと部屋を出ていった。
「あ……」
思わず、シエスタの後ろ姿に手を伸ばす自分に、ルイズは驚いた。すぐに手は引っ込めたが、なんとも言えない気分になっていた。
シエスタが部屋を出てから、戻ってくるのに十分かかった。それもそのはず、彼女は飲み物を淹れたカップの他に、温めたタオルを持ってきた。それで、時間を少し取られたのだ。
「これを、まぶたに当てていれば。少しは良くなりはずです」
シエスタはカップをベッド横のナイトテーブルに置いた。
「え、ええ」
ルイズはおとなしくタオルを受け取ろうとした。しかし、シエスタがそれを許さなかった。彼女はルイズの横に座った。ルイズに眼を閉じさせると、彼女はまぶたにタオルを当てた。
「自分でできるわ」
真っ暗な中、ルイズは言った。しかし、シエスタはそれを許さなかった。
「いいえ、あたしに任せてください」
「……そう、わかった」
それから寸刻、シエスタがタオルを当てている間のことだが、二人は何も言わなかった。ようやくタオルが離されると、何となくまぶたの腫れもひいていた。
「うん、これで大丈夫ですね。じゃあお次は」
タオルをテーブルに置き、カップをルイズに差し出した。
「これは、ココア?」
「はい。疲れている時は、甘いものがいいんですよ」
「……ありがとう」
一言礼を言うと、ルイズはカップに口をつけた。不思議と、丁度いい温度だとルイズは思った。
「心が安らぐわ、本当、ありがとう」
「いえ、これくらい」
シエスタは照れくさそうに笑った。そんな彼女に甘えても許されるか、なんて思ってルイズは思い切って話をすることにした。
「ねえシエスタ、私って醜い女よね」
カップを両手で持ち、膝の上に置く。ルイズの様子がかわったことを、シエスタは察した。
「どうしたんですか、藪から棒に」
「……うん、さっきのことよ」
ぽつり、ぽつりとルイズはさっき自分が抱いた負の感情について、話した。シエスタはルイズが話し終えるまで一言も発せず聞いていた。
すべてをシエスタに打ち明けると、途端に心が軽くなったようにルイズは感じた。そして、本音が溢れる。
「こんなに嫉妬するものだとは思わなかったわ、私」
そう言って、話す間に冷めてしまったココアをルイズは飲んだ。飲みを終えるを見計らいって、シエスタは言葉にする。
「普通は、そんなものだと思います。むしろ、ルイズさんはそういう感情を今まで表に出そうとしなかったから、辛かったんだと思います」
「そっか……私、そんなに自分を抑えようとしていたのか。旅に出てから色々と気付かされる」
ルイズはようやく、笑うことができた。
「これからもっと、あいつの話を聞いていくのに、これじゃあ駄目よね」
「駄目、ということはありませんよ。あたしとしてはむしろ、嫉妬するルイズさんが新鮮です!」
今まで見たことのない主の姿に、シエスタはややもせば興奮していた。可愛らしいとさえ思えたシエスタは病気だ。恋は盲目とはいったものだが。
「でもあたしは、あんまりサイトさんのことで心配するようなことはないと思いますよ。そりゃあ、ああいう美談にされがちなお人柄をしていたのは事実でしたけど。間違いないのは、サイトさんがずっとルイズさんのことを愛していたってことです。決して、他の方に色目など使う人じゃない」
シエスタの発言に、ルイズは目を丸くした。
「どうしてそう、言い切れるのよ?」
「だって、サイトさんはあたしのライバルですから。それは今もかわりません」
シエスタはウインクをしてみせた。つまり、自分もルイズのことを愛していると同義である。
「そう、愛ですよ、愛」
「ちょっと……それは、困るわ……」
ルイズはカップをテーブルに置いた。同時に、余計な一言がなければ誰にでも誇れるメイドなのに、とルイズは心の中でため息をついた。
「えぇっ!? そこでひかれたら、あたしも困ります。こうガバっと、『シエスタッ!』と叫んで胸に飛び込んできてくれたっていいんですよ!」
「……はぁ」
呆れつつもとルイズはシエスタのおどけた態度に感謝した。いつだってシエスタはルイズの心模様を察してくれるのだ。
一歳年上なだけなのにお姉さんのような態度を取る、とルイズは普段は不満気にしているが、その実、親元を離れ、姉妹とも会えない彼女にとってシエスタは姉代わりのところがあった。
厳しくも優しさがあふれる長女のエレオノールでもなく、慈愛を余すこと無く注いでくれた次女のカトレアでもない。友人の気安さがありつつも、いつも傍にいてくれる姉が、ここにはいる。
悔しいけど、やっぱりシエスタは自分よりも大人なんだ、と感じるところがルイズにはあった。
そして、これまた彼女は認めたくないが抱擁力も、ある。今も隣で腕を広げる彼女に、いよいよ根負けしてしまった。
「えへへ、それでいいんです」
シエスタはルイズを優しく抱きしめ、頭を撫でた。これじゃあベアトリスの時と、立場が逆だとルイズは思った。
でも、それでいいのだ。ルイズが毅然としていられるのも、シエスタがいたおかげなのだから。
ならば、今日はいっそのこと甘えきってしまおう。ベアトリスの手前、無理をしてきたのもあるが、それももうお終い。そうルイズは決めた。
すると、途端にルイズはお腹がすいてきた。思えば、寝坊してより、ろくに食べていなかった。
「ねえシエスタ」
顔をあげ、シエスタに訴える。それだけで、彼女には十分だった。
「もちろん、食事ならもう用意できています。無理を言って、私を厨房に立たせてもらいました」
なるほど、だから席を外していたのもあるのかとルイズは納得した。
「本当、貴女は頼りになるわ」
さてこそ、シエスタはルイズのことならなんでもお見通しのお姉さんだ。ルイズの思わんとすることは、その屈託のない顔にあらわれていた。
あとがき
傍にいて欲しいと、そんな強い『想い』がこの物語は出ていると、私も書きながら感じることがあります。
そんな時、ふと耳に響いてくる『 STAND BY ME 』という曲。映画ともども、皆様に強くご鑑賞をお勧めしたい作品です。
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