「ちょっと、アキトいるんでしょ!?」
「なんだ? 騒々しい……」

 鉄製の古びた扉を勢いよく開け、白い肌にウェーブが掛かった金髪の女性の怒声が部屋に響く。
 彼女の名はシェリル・ノーム――彼女を知らない者は、この銀河にはいないとまで言われた歌姫だ。
 新天地に向け航行を続ける第二十一次新マクロス級移民船団マクロス・ギャラクシー出身の彼女は、類稀な美貌と美声を武器に、ギャラクシー・ネットワーク内で絶大な人気を誇り、通称「銀河の妖精」とまで称されている。
 「この銀河に暮らしていて、シェリルの歌を聞かない日は無い」とまで言われる彼女の声に、熱狂的なファンは数多い。
 もっとも――

「何が不満なんだ? お嬢さま」
「何が不満ですって!? これよ、これっ! どう言うことよ」

 この傲慢でプライドの高い性格は、彼女の美点でもあり短所でもある。
 それは、シェリル・ノームをシェリル・ノームと言わしめる所以だ。
 シェリルがアキトの前に出した紙の束、そこには「シェリル・ノーム、銀河横断ツアー警備報告書」と大きく書かれている。
 アキトがここ二週間、シェリルのライブツアーに同行するに当たって頑張って考えた警備内容なのだが――

「これは、一体どう言うことよ……」
「……何か、問題でも?」
「大アリよ! 何で、こんなに自由時間一つ無いのよっ!
 しかも、宿泊先の欄っ!! 何よ、このユーチャリス内で待機って!!」

 シェリルが指差すその先には、ツアー中の警備スケジュールとその方法が書かれていた。
 そこには赤い線でマークがしっかりと引かれ、「ツアー中、用が無い場合は艦内で待機」と明確に提示されていた。
 アキトにして見れば、彼女の人気を鑑み、その安全性を最大限考慮するなら、移動だけでなく寝泊りも艦内にした方が絶対的に安全であり、そこらのホテルや政府が用意した宿泊施設よりもずっと信頼が出来る。
 そう考えての案だったのだが、それがシェリルには気に入らなかったらしい。

「だが、お前の安全を考慮したら……」
「このシェリル・ノームにずっと閉じ篭ってろ! とでも言う気!?」

 グイっと机に身を乗り出し、アキトに迫るシェリル。
 「はあ……」とアキトは溜息を付くと、両手を挙げ観念した素振りを見せる。

「分かった、それでどうしろと言うんだ?」
「それは、仕事の時間以外に観光やショッピングもしたいし、出来れば見晴らしの良いスイートに泊まりたいわね」
「却下」
「ちょっと、何でよっ!」
「見晴らしの良いスイートって……狙撃して下さい、狙って下さいと言ってる様なもんじゃないか。
 それに観光なんて人目が付く行動を許可出来ると思うか?」
「私はクライアントよ! アンタもプロなら、依頼主の要求を最大限に満たした上で護ってこそ、一流なんじゃない?」
「ターゲットに護られていると言う自覚と注意が無ければ、それも無駄だ」
「う〜〜〜〜」

 シェリルはその人気故に行過ぎた過激なファンも多い。
 不特定多数の大衆と言う群れから個人を守るのは、殺し屋などから身を守るのとは違った意味で難しい。
 シェリルの要求を満たすことは可能だろう。だが、その事で彼女自身を危険に晒すだけでなく、その周囲の人間にも害が及ぶ可能性がある。
 もっとも、彼女の言いたい事も分かる。これから行われる三ヶ月以上にも渡るツアー。
 その間、ずっとこの艦の中で過ごさせると言うのは、確かに彼女の精神衛生上も良くないかも知れない。

「仕方ない……妥協案だ」

 アキトの出した妥協案、それは、ツアー中、こちらが決めたルートや指示に必ず従う事、自分の傍を決して離れない事、ホテルに関しても事前にこちらでチェックするので選ばせる、場合によってはユーチャリスで寝泊りして貰う可能性もあるが文句を言わないと言うのが条件だった。
 幾つが腑に落ちない点や、最後のホテルの件に関しては口を挟みたい様子ではあったが、これ以上ゴネても進展はしないだろうと、シェリルも渋々承諾する形となった。





歌姫と黒の旋律 第1話「ファースト・コンタクト」
193作





 テンカワアキト、自称二十五歳。過去の経歴などは一切不明。ギャラクシーのスラム街で要人警護から運び屋まで何でもこなす便利屋。
 一年ほど前にギャラクシーに突然姿を現し、そこからはマフィア、政府と様々な組織から依頼を受け、その任務を完遂させている。
 その依頼達成率は何れも99%以上。軍関係者でさえ見た事がない私設艦を有し、VFシリーズとは違う人型兵器も保有して居ると噂されているが、その真相は定かではない。
 もっとも、私設艦を有していたと言うのはユーチャリスを見れば明らかであり、どこからどこまでが真実かは知れないが、彼がただの便利屋で無いことは明らかだった。
 そんな彼も、裏の世界では「黒き死神」と呼ばれ恐れられていると言う。
 一人で、幾つもの裏組織を潰しているとか、軍のエース級パイロットが駆るVF−22、一個小隊を圧倒したとか、政府やその組織のほとんどが彼に情報を握られており裏で様々な取引がなされたとか、眉唾物の話ばかりだが、それでもその中には幾つかの真実が隠されている物と推測される。

「テンカワアキト……」

 三ヶ月前、謎の組織のシェリルを狙った誘拐事件があった。身代金の要求や、犯行声明のような物は一切なし。
 一時はシェリルの立場を利用したギャラクシー船団に対する報復、もしくは政治的介入を狙ったテロ犯罪かと思われた。
 事態は難航を極め、シェリルの救出は絶望的かと思われた矢先――
 それを解決したのは政府でも、軍でも、警察でもなく、ただの民間人。
 彼、テンカワアキトだった。

 彼の噂を聞きつけた政府の関係筋が依頼したと言うことだが、その手腕は見事と言う外ない。
 誰にも発見することが出来なかった犯行グループのアジトを探し当てたばかりか、犯人にも気づかれることなく建物に侵入し、無傷でシェリルを救出。
 武器のような物を一切使わず、犯行グループを殺すことなく取り押さえたと言う。
 これがエージェントなら、彼は文字通り一流の――いや、訂正しよう。超一流の逸材と言うことになる。

 そして、今回のツアーが決まるや否や、その警護役としてアキトを指定したのは他ならぬシェリル自身だったと言うのも、グレイスには予期せぬ事態だった。
 彼女がマネージャー以外に他人を傍に置くことなど、考えられなかったからだ。
 有り得なかったことだけに、シェリルが「アキトをボディガードに雇いなさい」と言い出した時にはグレイスも驚きを隠せなかった。
 シェリルの警護の問題は以前から問題にもなっていた。それに先日の誘拐事件の後だ。
 タイミング的にはシェリルの要望を断る理由などない。
 だが、グレイスにはアキトを完全に信頼することが出来なかった。
 その過去も然ることながら、彼には不審な点が多過ぎたからだ。

「テンカワアキト……あなたは何者なの?」

 彼女こそ、シェリル・ノームの敏腕専属マネージャー、グレイス・オコナー。
 そんな彼女のその問い掛けに、答える者は誰もいなかった。






「うわ、可愛い〜!! やっぱり似合うと思ったのよね。ね、こっちも着て見ない?」

 ツアーに旅立って一ヶ月。ここまでは順調に事が運んでいた。
 アキトの警護も然ることながら、ラピスの施設ハッキングによる、ライブモニタを介した全方向監視も行っているのだ。
 現状、素人が付け入る隙などあろう筈が無かった。
 だが、アキトは今回ばかりは思い悩んでいた。
 特に必要がないと思い、ラピスの事はシェリルに伏せていたのだが、それが先日思わぬことでバレる事となったためだ。
 シェリル曰く、「アキトが少女を監禁している」とんでもない言い掛かりだ。
 彼女がユーチャリスの管制を担当している事を話すと、シェリルは目を見開いて驚いている様子だった。

「インプラント?」

 と、最初は訝しんだ彼女だったが、ラピスはアキトの相棒であり、アキトが身寄りが無いラピスの保護者代わりをしているのだと話すと、取り合えずは納得したようだった。
 それでも、「ずっと艦に閉じ込めて置くなんて可哀想よ、保護者失格ね」とラピスを連れて買い物に出たのがことの始まりだ。

 この世界にはアキトの世界で言うナノマシン工学とは別に、インプラントと呼ばれる肉体の電脳化技術が出回っている。
 シェリルの出身であり、現在アキトが事務所を構えているギャラクシーは、そのインプラント技術やサイバネティクスの最先端を行っており、一般的にも広く認知されていた。
 もっとも、一部の船団ではインプラントは「人体改造だ、自然の摂理を犯している」と敬遠され、法律で禁止されている所もあるのだが、他所は他所、ギャラクシーでは特に珍しいことではない。
 アキトとラピスも自分達の身を隠すのには最適と、一般の目にはインプラントと言うことで話を通していた。

「うん、やっぱり女の子なんだからお洒落しないとね」
「それ……全部買うのか?」

 シェリルがラピスの為に見立てた服が、アキトの前に山のように積み重なっていた。
 一体何着あるのだろうか? 女性が買い物好きと言うのを知っているつもりでいたが、さすがのアキトもこれには驚きを隠せなかった。
 そもそも、これだけの服を本当にすべて着ることがあるのだろうか?
 そんなアキトの疑問をそっちのけに、シェリルは店員を呼び、カードでさっさと会計を済まそうとする。

「それはラピスのだろう? なら、オレが……」
「いいのよ。私が彼女に着て欲しいから買うの」
「……ありがとう」

 シェリルにきっちりと頭を下げて礼を言うラピス。余り嬉しそうに見えないが、それでもラピスなりに精一杯、お礼をしているつもりだ。
 若干、頬が高潮しているように見える事からも、ラピスも嬉しいのだと言うことは周囲にも何となく感じ取れた。

「ううん! お持ち帰りしたい」

 と、目を輝かせて不遜な事を言うシェリル。
 シェリルは荷物をユーチャリスに届けるように店員に指示すると、アキトの方を見て不敵な笑みを浮かべる。

「フフン! それじゃ、次ね」

 シェリルのその不気味な笑みの真相をその時、アキトは何故深く考えなかったのかと、後で心底後悔することとなる。



「全く、オレの言った事を覚えてるのか? キミは……」

 あの後、シェリルに買い物、映画と散々連れ回されたアキトは、疲れて寝てしまったラピスを背負いながらユーチャリスに戻るため、港を歩いていた。
 シェリルはその横を歩きながら久々に遊びまわれて満足したのか、疲れなど微塵も見せず終始笑顔だった。

「分かってるわよ。あなたが私の事を心配してくれているって言うのも……そして、それがあなたの仕事だって言うのも」
「それが分かっているなら、もう少し大人しく言うことを聞いてくれないか?」
「でもね、『あなただから私は護衛に選んでも良い』そう思えたのよ。このシェリルが選んだの、あなたを」
「何だ? それは……」

 アキトの前に出て駆け足で距離を取ると、そのまま立ち止まりアキトの方を向くシェリル。
 両手を腰に当て、しっかりとアキトの方を見据えると、先程までとは違い表舞台で見せる凛とした表情を作る。
 そこにはステージで人々の前に立つ「銀河の妖精」の姿があった。

「あなたなら、どんな状況でも私を守ってくれる。私はそう思えたから、あなたに傍に居て欲しいと思ったのよ」
「理由になってないな……どんな根拠があって……」
「勘よ! インスピレーションとも言うわね」
「勘って……君はそんなことでオレをわざわざ指名したのか?」
「勘って重要なのよ? ……でも、守ってくれるんでしょ?」

 シェリルの見る先は、どこまでも真っ直ぐだった。
 アキトがどう答えるのか、それを知っていてこの質問を投げ掛けている。
 アキトにして見れば、強気で、真っ直ぐで、自分の信念を曲げない女性と言うのは、苦手ではあるが嫌いにはなれない。
 嘗て、アキトの周りの女性と言えば我が強く、強情な女性が多かった。
 それだけに、この目をした相手が何を言った所で自分を曲げないと言う事は分かっていた。

「やられたな。キミの勝ちだ」

 アキトは心底そう思った。それがシェリル・ノームとの長い付き合いの始まりだったのだろう。

「シェリルよ。アキト、全然、名前で呼んでくれないんだから……
 お嬢さまとか、キミとか、おまえ以外に、私には立派な名前があるの」
「……シェリル、なら先ほどの質問に答えよう」

 依頼主とボディガード、ただのビジネスの付き合いだ。それはシェリルもわかっている。
 望んだはずなのに関係なのに、それでもアキトのことが気になってきている自分にシェリルは気付かされる。
 だからこそ、名前で呼んでもらうことに拘った。
 他の誰でもない。シェリル個人として対等に見てもらうために――

「守るさ、それがオレの仕事だ」

 そして、アキトがだした答えは簡潔だった。






 更に五十日余りの時が過ぎ、シェリルの銀河横断ツアーも残すところ、後一つとなっていた。
 最後の目的地である超長距離移民船団「マクロスフロンティア」に向けて、ユーチャリスは航行を続ける。
 若干のトラブルはあったが、ラピスの働きもあり、概ねツアーも順調。何事もなく、ここまで来れた事にアキトも安堵していた。

 こちらの世界に流れ着いて一年以上、今は帰る手段は愚か、今後どうして行くかも不透明なままだ。
 だが、そんな中で、こうして仕事を得て、足場を固めることが出来ただけでも、アキトにとっては僥倖であったと言える。
 ラピスのハッキング能力や、自身の技能を生かして非合法な事もかなりやった結果ではあるが、少なくともギャラクシーでの居場所と言えるものを確立した。
 戸籍も何もなく、この世界で自分達の身分を証明する物など当然何も無い。
 その上、自分達の持つ能力や技術は、この世界の人々の目には異質な物だ。
 そんな中で、ラピスと暮らして行ける居場所を確保するのには、相当大変だった。
 ギャラクシーの政府上層部に自分達の情報を一部流し、非合法な仕事を引き受ける代わりに、自分達の事を黙認させ、IDを発行させることにも成功した。
 ラピスの能力を使えば偽造ID等も問題なく作れただろうが、どこで足が付くとも限らない。
 それ故に、しっかりとした足場を作る事を優先し、情報収集にも余念がなかった。
 シェリル・ノームとの接点は予定外ではあったが、長い目で見れば彼女の存在は自分達にとっても有利に働くかも知れない。
 アキトはそう考える事で、今回の件を締めることにした。

 「オレの手は既に血で穢れている」

 前の世界でも、こちらに来てからも、アキトはたくさんの人を殺して来た。
 そのことで、自分の手が誰よりも汚く、血に染まっていることを知っている。
 それでもなお、ラピスだけには「出来れば日の当たる場所で普通の生活を遅らせてやりたい」そう考えていた。
 だが、ラピスの重要性や、自分達の立場を考えればそれは容易に叶うことではない。
 そんな中、シェリルのような存在は、今のラピスにとって大切な物だとアキトは思う。
 友達と呼ぶのは些か違うかも知れないが、アキト以外の人間と触れ合う機会はラピスにとっても良い影響として出ている。
 ここ数ヶ月でラピスの表情は、以前とは比べ物にならないほど豊かになって来ていた。
 今ではシェリルのことを「お姉ちゃん」と呼び、随分と慕っているのがわかる。
 ラピスは感情が無い訳ではない、感情を表現することに不器用なのだ。
 それも、過去の事件が影響しているのだから仕方ないと言えるが、シェリルと出会ってからラピスは随分と良い表情をするようになった。
 アキトは自分にそれが出来なかったことが少し寂しくもあったが、同性の話し相手がラピスに出来たことを心から喜んでいた。
 それだけでも、今回の仕事は有益な物だったと言えるかも知れない。

「シェリル・ノームか……」

 アキトは思う。「あの性格を除けば、美人ではあるのだが……」と、少し不謹慎なことを考えながら警備報告書を作成していく。
 アキトにとってはそれほど重要な物でもないが、これはシェリルの護衛をするに当たって条件として提示された物の一つだった。
 ツアー期間中、シェリルの身にあったことは出来るだけ詳細に包み隠さず報告書として提出する事。
 この警備報告書はグレイスがギャラクシーに戻るまで保管すると言うが、アキトは最初、この条件を聞いたときにグレイスのその行動を訝しんだ。
 マネージャーとしてシェリルが心配であると言うのはわかる。
 それに、シェリルの重要性はギャラクシーだけでなく、この銀河を往き来する船団すべてに関わる問題だ。
 ただの歌手という枠に止まらず、それだけの影響力を彼女は持っているということになる。
 だが、「本当にそれだけなのだろうか?」これは、アキトの直感のような物だったかもしれない。
 別にグレイスにおかしな点があった訳でもないが、その不安はアキトの胸の内から消えることはなかった。
 その時だった。ユーチャリスの艦内に異変を知らせる警報音が鳴り響く。

『アキト――っ!!』

 慌てた様子でウインドウを開き、アキトに通信を取るラピス。
 その只ならぬラピスの様子に、アキトも緊張を募らせる。

『前方五百、隕石群の中で交戦を確認。片方は多分、マクロスフロンティアの所属VFだと思う……でも、もう一方は……』

 画面に映し出されたのはVFが二機と、赤色の奇妙な形をした生物兵器だった。
 Variable Fighter=A通称VFと呼ばれるこの機体はこの世界の主力兵器であると共に、多くの民間企業、軍などで採用されている可変戦闘機だ。
 戦闘機型――通称ファイターモードでの高速機動に、バトロイドと呼ばれる人型や、その中間にあたるガウォークと呼ばれる形態に変形することで様々な状況、環境下での運用が出来る様に開発されている。
 船団規模での開発が推し進められる中、企業や軍によって様々なタイプのVFが存在するが、一律して熱核バーストタービンエンジンと呼ばれるOTM(オーバーテクノロジーマクロス)開発の研究の結果生み出された動力機関を搭載しており、アキトの世界のエステバリス同様、この世界における主力兵器として存在していた。

 モニタに映し出されているそれは、新統合軍が主力兵器として採用しているVF−171だった。
 だが、それよりもそのVFが対峙している未確認兵器、そちらの方がアキトの興味を大きく引く。
 兵器と言うよりも、怪物……そう言い表すのが正しいのかも知れない。
 昆虫のような姿をし、それでいて生物的でありながらミサイルやレーザーのような物を身体から出す兵器をアキトは知らない。
 少なくともそれがまともな相手ではないのは明らかだった。
 新統合軍には悪いが、戦況は劣勢と言える。VFのパイロットも必死に逃げるが、相手の動きはそれを上回っている。
 アキトは考えた。今、迂回すれば、この相手をやり過ごす事も可能だろう。
 だが、「ここで見捨てて良い物か?」と考える。今更、善人や正義の味方を気取るつもりも無いが、ここで見付けてしまった物を見過ごすのはアキトに取っても余り気分の良い物ではなかった。

「仕方ないか……」

 部屋を飛び出し、ブラックサレナの置いてある格納庫に走るアキト。
 アキトの部屋から格納庫までの距離は然程遠くない。ユーチャリスはそもそもが試験艦と言うこともあり、最低限の居住空間しか用意されていないのだ。それも、できるだけ緊急時に、即座に対応出来るだけの距離しか開けていない。
 時間に一刻の猶予もなかった。ここでもたついていては、先程の怪物に全機撃墜されるのは時間の問題だった。
 だが、そんなアキトの気持ちを知ってか知らずか、艦内の異変に気がついたシェリルが、アキトの行方を遮った。

「どう言う事!? 何があったの?」
「今は問答してる時間が無い、戻ったら説明する」

 シェリルを押し退け、格納庫へと走るアキト。
 こんな慌てた様子のアキトを見るのはシェリルは初めてだった。
 どんな時も、涼しい顔で当たり前のようにやってのけるのがアキトだと思っていた。
 だが、そんなアキトがどんな理由にしろ、余裕を欠いていると言うのはただ事ではない何かが起こっているのだとシェリルに思わせる。
 アキトの向かった先、その先にはグレイスですら立ち入りを禁止されていた格納庫があった。
 その先に、ずっと不思議に思っていたアキトの秘密がある。
 ダメだとは思いつつも、アキトの後を追ってシェリルは走り出す。
 真実を知ることが必ずしも幸せとは限らない。その扉に自分から手を掛けてしまったら、抜けられなくなるかも知れない。
 そんな予感がシェリルにはあった。
 だが、目の前にあるチャンスを無視して、湧き上がる好奇心を抑えることは出来なかった。






「くそっ! 何なんだっ!! あの化け物は……!?」

 未確認飛行物体の報告を受け、偵察に出ていたマクロスフロンティア所属のパイロットは、見たことも聞いたこともない怪物に恐怖し、ただ逃げるしかなかった。
 すでに味方の機体はやられ、自分だけしか残っていない。なんとか、このデータをフロンティアに持ち帰らなくてはならない。
 そう思うが、現実は彼に非情な運命を突きつける。VF以上の機動力で迫るUNKNOWNは、すぐ後ろへと迫っていたのだ。
 迫る恐怖、ここで死ぬのだと彼は覚悟を決める。だが、その運命が彼に訪れることはなかった。
 突然、どこからか飛来した銃弾が化け物を弾き飛ばす。
 何が起こったのか、彼には理解できなかった。目の前に現れた真っ黒な機体が、常識では考えられない速度で化け物へと迫る。
 それはまさに圧倒的だった。自分達を追い詰めていたはずの化け物が、成す術もなくその黒い機体に蹂躙されていく。
 少なくとも自分を助けてくれたのであれば、あれは味方なのだろう。だが、あんな動きが人間に可能なのだろうか?
 と、彼はその黒い機体のパイロットに畏怖を覚えた。






『殲滅を確認、近くに敵の姿はありません。お疲れ様、アキト』
「しかし、こいつはなんだったんだ? 少なくとも、人が乗っているようには見えなかったが……」
『一応、モニタしたけど、ダメ……何か生物的な兵器であると言う事以外は分からない』
「そうか……まあ、倒せない相手ではなかったと言う事は、何とかなると言うことでもある。
 分析は後でも出来る、取り合えず、今は保留にして置こう」

 こちらの世界に来てから、あのような怪物を見るのはアキトも初めてだった。
 VFなどの戦闘機と戦闘をする事は何回かあったが、あんな生物兵器があるようなことは聞いた事がない。
 全船団の中でも有数の技術力を持つギャラクシーでも、あのような生物兵器が研究されていたなどと言う噂はなかった。

「一度、情報を洗いなおす必要があるか?」

 フロンティアに着いたら、例の生物兵器についても調べてみようとアキトは考えをまとめる。
 取り合えず怪物の件に関しては、保留にして置くことにした。
 だが、新統合軍を行き成りで助ける結果になったが、自分達の力を大っぴらに晒すつもりも無い。
 そもそも、ここに来たのはシェリルの護衛であって、フロンティアの軍隊に恩を売ることでも、力を見せびらかすことでも、あの様な怪物と戦うことでもない。
 ラピスに助けたVFの記録映像を削除する事を指示すると、アキトは何も言わずユーチャリスへと帰還した。






「で、どう言う事か、説明してくれるんでしょうね?」

 格納庫では、ブラックサレナから降りて来たアキトを、睨み付けるようにシェリルが待ち構えていた。
 ブラックサレナの隠してある区画の鍵は普段はロックしていた筈なのだが、急いでいたこともあり、そのままにして出撃してしまったことをアキトは今更ながら悔やんでいた。
 シェリルの行動力を甘く見ていたと言うべきか、下手な言い訳では彼女は納得しないだろうとアキトは溜息を洩らす。

「VF? じゃ無いわよね……この船にして、この機体……アキト、私に何を隠してるの?」
「何も……それにこの機体に関してはノーコメントだ。今は答えることが出来ない」
「……私にも言えないってこと?」
「シェリルに関わらず、この事は誰にも言うつもりは無い……悪いが話せないんだ」

 誤魔化しても彼女は納得しないだろうと思い、アキトは正直に話せないと告げることにする。
 どっち道、自分達の事を話したとしても普通の人なら、荒唐無稽な話と笑うだろう。
 だが、ことブラックサレナや、ユーチャリスに関してはこの世界にない技術で作られた、言わば異世界のテクノロジーの塊だ。
 自分達の存在を証明すると共に、ラピスを危険に晒す可能性があることをアキトは危惧していた。
 彼女のことを信頼していない訳ではないが、それでもおいそれと話せる内容ではない。
 それに、シェリルに話せないのには別の理由もあった。
 グレイス・オコナー。そして彼女を取り巻く環境――そのいずれもアキトは完全に心を許していない。

「良いわ……この事は黙っていてあげる」

 予想外にあっさりと引き下がるシェリルにアキトはその行動を訝しむ。
 彼女ならもっと深く追求してくるだろうと覚悟していただけに、この行動は完全に予想外だった。

「何となく分かるのよ。これが大っぴらに知れれば、あなただけでなくラピスも困ることになるんでしょう?」
「…………」
「何も言えないってことは、肯定ってことよね。
 私だって、ラピスのことは本当の妹の様に大事に思っているんだから、そんなことは出来ないわよ」

 そう言うシェリルの顔には曇りが見えた。
 本当にラピスの事が心配なのだろうと言うことが、彼女の言葉からも、その表情からも伝わって来る。
 しかし、それ以上にそんな二人の秘密を共有出来ないことが寂しいのだろう。
 だが、アキトは何も言えなかった。そんなシェリルの想いがわかっていながら、その想いに応えることが出来ないでいた。

「それにね、アキト。あなたの事も嫌いじゃないもの」

 無理に笑顔を作り、アキトに笑いかけるシェリル。
 そう言い残し立ち去るシェリルの後姿を、アキトは無言で見送るしかなかった。






 超長距離移民船団マクロスフロンティア。
 人類が宇宙に新天地を求めて旅立ち、二十五番目となるこの巨大移民船団は、その中に山、海、空と地球と変わらぬ環境を人工的に作り出し、人口千万人以上が生活を営んでいる。
 ここに一人の少女の姿があった。垂れた犬の耳みたいに左右に別れた特徴のある緑色の髪に、その小さな身体には少し大きいブカっとしたワンピースを羽織っている。見た感じでは天真爛漫、可愛い子犬とも言える雰囲気をもったその少女の名はランカ・リーと言った。
 その手にはシェリル・スーパーライブ≠ニ書かれたチケットを握り締め、ライブの行われる会場へと、その嬉しさを隠そうともせずに足早に駆けていた。

「ううん……ここ、どこだろう? 急がないとシェリルのライブ始まっちゃうよ〜」

 ライブ会場の近く、人ゴミを避けようと脇道の森に入ったランカは道に迷い、途方に暮れていた。
 出口を探して、森の中へ森の中へと奥に進んでいく。人口的に作られた森ではあったが、その中はランカが思ってた以上に広く、この辺りの地理に不慣れな者なら迷ってしまっても不思議でないほど入り組んでいた。
 大きな木の幹に辿り着き、その先に大きく陽の射した場所を見つけたランカは小走りにそこに向かって走る。
 だが、少し開けた場所に出た所で散水用のスプリンクラーに足を引っ掛けて転び、その反動で作動したスプリンクラーの煽りを受け、水浸しになってしまう。

「うわ……ビショビショ」
「……ん?」

 声のした方を振り向くランカ。そこにはまるでお伽の国のお姫様の様な、綺麗な長髪をした男――
 早乙女アルトが立っていた。






「ほら、乾いたぞ」
「……ありがとう」

 アルトは無愛想ながらも、濡れた服の代わりに自分のシャツをランカに貸してやり、シェリルのライブで使うために持ってきたEX(エクス)ギアのバーニアを使って、濡れた服を乾かす。
 EXギアは元々、バージョンアップを繰り返すことで機動性が上がり、操縦者の身体的負担が大きくなったVFのパイロット用強化外骨格として開発された物で、VFの動作を助ける操縦桿の役目を果たす他、背中に取り付けられた小型の熱核タービンエンジンとウイングを展開しての単独飛行や、緊急時の射出シート、耐G効果なども備える。
 軍用で最近、試作機として上がってきたYF−24や、LAI社のVF−25のパイロットスーツとしても採用されている。
 そんな中、アルトの通う美星学園ではパイロット養成コースの練習用として、民間や軍に先駆けて最新の簡易EXギアが支給されていた。

「なんだ……? 人の顔をジロジロ見て」
「ううん。なんでもない……ただ、お姫さまみたいに綺麗だなって」
「誰が女みたいだっ」
「あうぅ……ごめんなさいっ」

 ランカも、アルトとのそんなやりとりに戸惑いながらも、「女の子みたいに綺麗で、少し怖いけど優しい人」と自分の中で納得してアルトのことを良い人≠ノ勝手に位置付けていた。
 乾いた服に着替えたランカは、EXギアを身に着けたアルトに、ライブ会場まで案内してもらう。

「ありがとね。案内してくれて」
「お前が勝手に付いて来ただけだ」
「そうだ、今度お礼するね。私、娘々(ニャンニャン)でバイトしてるから来て」
「ニャン……ニャン?」

 少し戸惑った様子のアルトに優しい笑みを浮かべるランカ。
 だが、アルトは娘々と言われてもピンとこなかった。元々、率先してそういう店に自分から行くことなど少なかったし、友達といえばミハエルやルカくらいの物で、男同士でショッピングなどするはずもない。
 普段やってることと言えば、学園でEXギアを飛ばしているか、決まって空を眺めてぼーっとしているくらいだった。
 考えてみたら寂しい青春だ。その見た目だけなら上物に入る筈なのに、女関係においてはアルトは悪友のミハエルに遠く及ばない。
 その無愛想な性格もそうだが、本人にその気がない以上、長続きもするはずがなかった。
 
 娘々という名前を聞いて小首を傾げるアルトの疑問に答えたのはランカだった。
 中華料理店「娘々」のCMの踊りを、歌に乗せて踊って見せる。
 猫の手のように掌を丸め、お尻を突き出してポーズを取る。中華風のリズムに乗せ、そのフレーズを口ずさみながら踊るランカ。
 かなり奇怪な踊りではあるのだが、それでも小柄なランカが踊ると、どことなく愛らしく見える。

「ゴージャス、デリシャス、デカルチャ〜♪ ってCM知らない?」

 最後にクルっとポーズを決め、アルトにもう一度聞くランカ。
 アルトもなんとなくだが、そのフレーズには聞き覚えがあった。
 元々、娘々は多くの船団でチェーン展開されている有名な中華料理店で、テレビを見ていれば一度や二度は必ず聞いたことがある人が多い。
 街中でも度々、目にすることが多いCMだった。
 そんなことを二人でしていると、ランカの携帯電話から、ライブの時間が迫っていることを告げるアラームが鳴り響く。
 ランカは慌てて携帯電話を確認すると「あ〜、もうこんな時間だ」と会場に向けて走り出していた。

「絶対、絶対きてね!!」

 去り際に振り返り、そんなことを言って走り去るランカ。
 その勢いに圧倒され、ただ呆然とするアルトだったが、そんなランカを見て、何かを吹っ切った様な顔になる。
 ランカと出会うまでずっと考えていた悩みが、まるで嘘のように吹っ飛んでいるのを感じていた。

「フ……変な女」

 ランカ・リー、そして早乙女アルト。
 それが、運命の二人の最初の出会いだった。






「私の歌を聴け――っ!!」

 シェリルの声がライブ会場に響く。
 ホログラフィで衣装を変えて歌うシェリルの周りを、EXギアを身に着けたアルトたち学生が、空を舞い光の粒子で演出する。
 幻想的な雰囲気に見せられ、興奮する観客達。その中に先程の少女、ランカの姿もあった。
 彼女自身もシェリルに憧れるファンの一人で、生のシェリルに会える今回のライブを楽しみにしていた。
 軍の下請け会社で事務員として働く兄に無理を言って頼み、入手困難なプレミアチケットを手に入れてもらった。
 そして待ちに待ったライブ当日。ランカはその会場の熱気に飲まれ、感動のあまり声を上げる。
 熱狂的な応援に後押しされ、終始ハイテンションで続くライブ。
 アルトもまた、その中で会場の熱にほだされてる人物の一人だった。

 元々、この学生によるEXギアでの空中ショーは主催側の政府がプログラムに組み込んだもので、シェリルには伝わっていなかった。
 そのこともあり、シェリルが素人をバックにつけたことに対し、主催側に抗議したため、土壇場で予定していた学生のプログラムが大幅にカットされてしまっていた。
 それに、事故や何かがあってからでは遅いと、主催側も学生達に危険なアクロバット飛行は避けるようにと通達してきていた。
 学生側の責任者を請け負っていたリーダーのミハエルはそれに同意するが、それを快く思わない者も当然多かった。
 アルトもそんななかの一人だった。
 この空中ショー自体も、軍の要請で断れなかったからとミハエルが持って来た物で、そもそもアルトは乗り気ではなかったからだ。
 そこに来て、今回の土壇場でのスケジュール変更だ。アルトにしてみれば、もうどうでもよかった。

 だが、それもランカと出会ったことで大きく変わっていた。
 ずっと色々と悩んでいたが、ランカを見ていると何故かやってやろうと言う気持ちが湧いてきていた。
 アルトはその目で、会場のどこかにいるランカを探す。
 一際目立つ、ワンコのような癖っ毛のある緑色の髪。アルトはランカの姿をその目で確認すると、大きく隊列を崩し、前へ出る。

「アルト、いい加減にしろ!」
「喜んでるだろ? 客っ」
「アルト!!」

 禁止されていたアクロバット飛行で、隊列から突出して自由気ままに飛び回るアルト。
 そうなってはミハエルの言葉に耳を貸すアルトではない。
 段々とそのパフォーマンスはエスカレートして行き、ギリギリの高度まで下がって身体を捻るように回転するアルト。
 だが、それがまずかった。
 バランスを崩したアルトがシェリルにぶつかりそうになり、それをかわそうとしたシェリルがステージから転落する。

「くそぉぉぉっ!!」

 予想しなかった事態に慌て、落ちていくシェリルを追いかけるアルト。
 スレスレというところで、どうにか体勢を立て直しシェリルを空中で拾い上げる。

「す、すまない……すぐにっ」
「いいから、このまま飛んで!!」

 自分の失敗でライブを中断してしまったことを謝ろうとしたアルトをシェリルは有無を言わさず、命令することで叱責する。
 訳もわからないまま、そのままシェリルを抱えて空中に飛び出すアルト。
 しかし、それはシェリルの歌手としての機転だった。
 アルトに抱えられたまま、空中でライブの続きをはじめるシェリル。
 それに気がついたミハエルは、隊列を建て直し、アルトの後ろに学生達を続かせる。
 その失敗を機転で演出に見せたシェリルの策は、見事に成功していた。アルトの腕に抱えられ空でその歌声を披露するシェリル。
 観客も勢いを取り戻し、そのライブに熱中していく。

「すごいな、あんた……」

 それが早乙女アルトと――
 シェリル・ノーム――銀河の妖精と呼ばれる歌姫の初めての出会いだった。



 その頃、舞台裏では、アキトはユーチャリスで待機していたラピスからの通信を受けていた。

『第一警戒ラインが抜けられたみたい……多分、もうすぐ避難警報が発令されると思う』
「相手は先日の生体兵器か……」
『軍の識別コードでは敵生体兵器をビクターと呼称してるみたい。アキトどうする?』
「今は軍に任せる……だが、最悪の場合はブラックサレナで出る。ユーチャリスの発艦準備も進めて置いてくれ」
『了解』

 ステージも中盤に差し掛かり、シェリルが衣装を変え、別の曲を歌い始めた頃――それは起こった。
 突然、会場の照明が明るくなり、非常警報を知らせるアラームが周囲に鳴り響く。
 シェリルの身をまとっていたホログラフィも消え、周囲には避難警報を促す立体映像が映し出される。
 周りが突然のことに呆然とする中、この事態にすばやく動いたのはアキトだった。

「ちょっと、これ、どう言うこと!?」
「話は後だ、今は避難するぞ」
「え、ちょっと……」

 会場から素早くシェリルを誘導し、外に待たせてある車に連れ込むアキト。
 シェリルも状況が飲み込めず困惑するが、そんなことを言ってられる猶予も余裕もありそうになかった。
 外にはすでに警戒ラインが引かれ、次々に一般人もシェルターに避難させられていく。
 だが、二人の後を追って来たアルトが、車で避難しようとするシェリルとアキトを静止した。

「おい、待てよ! あんた等だけで逃げるのかよっ!!」

 声を荒げて叫ぶアルトに、シェリルは冷たい表情を向ける。
 ここからは、お遊びではない。アキトの様子や軍の動きを見る限り、これは訓練でもゲームでもないことは一目瞭然だった。
 たしかにライブを途中で中断して逃げることは辛いが、それでも歌手の自分に出来ることは歌うことであって戦場に立つことではない。
 ここに残って、アキトや皆の重荷になることは出来ないとシェリルは思う。
 自分が残ると言えば、ここにいる観客は率先して避難しようとしないだろう。
 そうなれば、より多くの人が傷つき、命を落とすことになると、彼女はこの状況からわかっていた。
 だからこそ、アルトの行動を理解はしていても、投げ捨てるように言い放つ。

「ここからはプロの仕事よ。素人は引っ込んでなさい」

 と、シェリルは一言で切り捨てた。それを聞いたアルトは舌を打ち、その場から走り去ってしまう。
 他に言いようもあるだろうと、隣にいたアキトは苦笑をもらしていた。
 シェリルのその行動は結局、アルトのことを思ってのことだったのだが、あの言い方ではアルトは間違いなく近くのシェルターに行かず、街の方に向かうだろう。
 軍の避難誘導もこうした事態に慣れていないせいか、上手く機能していない。
 遠からず、アルトに関わらずフロンティアの人々すべてが危険に晒されていることに違いはなかった。

「随分と意気の良い青年だな……」
「馬鹿な子……」
「そう言いながら、随分と気にしてるように見えるが?」
「今日は随分と舌が回るのね、アキト。あなたならこの状況、何とか出来るんじゃないの?」
「……買い被り過ぎだ。それに、今のオレはキミの護衛だ」
「ここが危険になれば、私だってタダじゃすまない……なら、あなたとの契約には抵触しないと思うわ」
「……ふう、素直じゃないな」

 先程の青年が心配なら心配と言えば良いものを、素直になれないお嬢様に溜息を洩らすアキト。
 すぐに、ユーチャリスにいるラピスに連絡を取ると、ポイントに海上近くの軍港を指定し、シェリルの保護とブラックサレナを指定ブロックに撃ち出すことを指示する。

「シェリル、ユーチャリスで待っていろ。憂いは必ず取り除いてやる」
「心配はしてないわ、信頼してるもの」

 去り際、シェリルの顔は本当になんでもないかのように安心し、笑っていた。
 それだけアキトのことを信頼しているというのもあるが、どんな時でもアキトは約束を破らないと言うことを、誰よりも信じていたからに他ならない。
 シェリルが車で軍港に向かったことを確認すると、街中に姿を現した怪物を静かに睨み、アキトは一言「ジャンプ」と呟いた。






「やめろ――っ!!!」

 ビクターの攻撃により荒らされた街中、アルトの目前で軍の最新鋭機VF−25がビクターに取り付かれ、身動きが取れないでいた。
 パイロットはすぐにコクピットから抜け出し、手持ちのライフルで攻撃を加えるがビクターにそんな小さな銃弾では効果がある訳も無く、その巨大な手に捕らえられ、握り潰されてしまう。
 その光景をすぐ近くで目撃していたアルトは叫び声を上げ、呆然とする。目の前で見た、初めての人の死。
 こみ上げてくる嘔吐に耐え、目の前の怪物に対する恐怖で震える身体を、なんとか両手で押さえつけようとする。
 だが、そんな余裕すら、次々に迫る運命は与えてくれない。
 崩れたビルの片隅で逃げ遅れたランカを発見したビクターが、その狙いを彼女へと移し――迫る。

「――くっ!!」

 ――彼女を助けないと!! そう思ったアルトの行動は素早かった。
 すぐさま、先程の乗り捨てられたVF−25に乗り込むと、装備していたEXギアと接続を繋ぎ、不慣れながらも機体を動かすアルト。
 そのまま、ランカに迫るビクター目掛けて機銃を放つ。

「うおおおぉぉ――っ!!!」

 放たれた銃弾の嵐を受けながらも、ゆっくりと振り向き目標をアルトに変え、移動を始めるビクター。
 アルトは位置をずらしながら、ランカからビクターを少しずつ引き離していく。
 だが、それも長くは続かなかった。機銃の弾が切れ、逆に追い込まれるアルト。

「くそうっ! やべえ!!」

 ゆっくりと迫る怪物の顔、その角のような部分が光を放ちだすのを確認するとアルトは目を瞑った。
 ――もう、ダメだ!
 そう思った瞬間、空中から現れたアーマードパックを装備したVF−25がビクターを弾き飛ばす。

「アーマード……」
「誰だ、貴様っ!! ギリアムはどうした!?」

 アルトはビクターとアーマードの戦いを見て、先程までの集中が解けたのか、現れたVF−25のパイロットに大声で叫び返していた。
 だが、アルトの質問に答えが返って来ることはなかった。
 そのVFは、そのままビクターとの戦闘に入り、その火力を使って、ビクターとの間合いを開いていく。

「隊長っ! ギリアム大尉っ!!」
「そいつはギリアムじゃない! 素人だっ!!」

 通信で応援に駆けつけた別の機体に状況を伝えると、「隊長」と呼ばれた先程のVF−25のパイロットはアルトに向かって大声で怒鳴る。

「そこの素人っ!! 事情は後だ、すぐにその娘を連れて逃げろっ!!」
「――っ!!」

 その一言に、状況を再認識したアルトは、ランカをVFの腕で掴み上げ、その場から緊急離脱を試みる。

「しっかり捕まってろよっ!」
「う、うん」

 旋回してその場から離脱するアルト。
 逃げるアルトの後ろに、他から進入していた小型のビクターが迫る。

「くそっ!!」

 逃げ一辺倒で悪態を付くアルト。
 だが、その時――
 援護をしようとしていたVFと、アルトの前で信じられない事が起こった。
 まさに一瞬。何かが空から飛来したと思った瞬間、アルトを追い掛け回していたビクターが、一瞬で四体とも粉々に砕き散ったのだ。






 アルトの援護をしようとビルの影からスナイパーライフルを構えていたVFのパイロット、ミハエル・ブランはその有り得ない光景に目を奪われていた。
 突然現れた漆黒の機体。それは、全力で逃げるアルトのVF、それを追撃するビクターを追い越し、すれ違いの一瞬で瞬殺したのだ。

 ビクター。先程からそう呼んでいるこの固体名称は、軍が作戦用の識別コードとして出している物で正しくはそうではない。
 彼等はこの怪物、または化け物のことを、バジュラ≠ニ呼んだ。
 その特徴、生態などは詳しい事は一切わかっていない。ただ、わかることは、そのバジュラと呼ばれる固体は軍の所有するVF以上の機動力を持ち、戦艦並みのレーザー砲や、ミサイルを所持している――正真正銘のバケモノだと言うことだけだった。
 だからこそ、先の機体の凄まじさが際立つ。先程からミハエル達が苦戦していたのも、火力よりもむしろ、そのバジュラの機動性にあった。
 最新のVF−25だからこそ、どうにか捉えられるほどの機動性能をバジュラは持っている。
 故に、軍のVF−171や錬度の低いパイロットでは反応が追いつかなく、ゴーストはバジュラのECMで無力化されてしまうため、出撃可能な新鋭機だけでは数が足りず、苦戦を強いられていたからだ。
 だが、その不利な状況を、あの機体は単機で覆してしまった。

 狙撃を得意とするミハエルだからこそ、その機体の異常さを更に認識する事となる。
 目で追うのも大変な程の高速機動を行っているにも関わらず、あの機体のパイロットは無駄弾を一切使っていないのだ。
 先程の四体のバジュラを破壊した時に打ち込んだライフルはたったの三発。
 ただ、一撃一撃を正確に決めただけで無く、中心に切り込んだその瞬間に前の敵に二発、振り向かずに敵の軸線を合わし、その上で背後の敵に向かって正確に撃ち込んでいた。
 どうやったらあんな芸当が出来るのか? ミハエルには想像が出来なかった。
 その黒い機体は、進入してきた小型のバジュラを瞬く間に破壊すると、先程、アルトが対峙していた大型の赤いバジュラに向かって移動を始めた。






 目の前の小型のバジュラを倒し、アルトと少女の無事を確認するとアキトは意識を切り替える。
 ユーチャリスから送られて来ているデータから残りの敵の数、位置は全て把握出来ていた。
 後は、街にこれ以上被害を出さない様にするためにも、どれだけ早く敵を倒せるかだけだ。
 アキトが意識を集中すると、手に刻まれたIFSが輝きを増し、その肌に青白い神経のようなラインが浮かび上がらせる。
 マシンチャイルド――ナノマシンの証とも言える傷痕をその身に刻み、黒い光の蹂躙が始まった。

 まるで、一筋の光が交差しているかの様なダンス。高速機動を巧みに使い、後部にスラスターから排出した光の残滓を残し移動するその姿は、見る者には美しく、追われる者には恐怖を与える。
 ほんの数分の出来事だった。あれだけ進入していたバジュラが全て、その恐怖に飲まれて姿を消していた。
 アキトは最後の目標である、指揮官と思われる赤いバジュラにその視線を移す。
 そこでは、今までアキトが見たどのパイロットよりも熟練している、エース級のVFがバジュラと対峙していた。
 動きだけを見ればVFのパイロットが押している。だが、決定打が足りない。
 あのバジュラの装甲相手では、通常弾では撃ち抜けないだろうと見て取れた。
 だからと言って、大技を撃つ隙を与えてくれるほど、甘い敵でもないように思える。

「腕は悪くない……だが……」

 機体の慣熟が済んでいないのか、時折ぎこちない動きが雑じっているのをアキトは見逃さなかった。
 ブラックサレナをバジュラの後方に移動させ、装甲と装甲の間、間接部目掛けてライフルを正確に打ち込むアキト。
 その攻撃でバジュラの左右の腕が吹き飛び、その隙を突いて、先程のパイロットがVF−25の短刀をビクターの頭部目掛けて刺し込む。

「うおおおおぉぉぉ!!!」

 ナイフがその首元に深く突き刺さり、奇声を上げ、沈黙するバジュラ。
 最後のバジュラの断末魔。フロンティアの外の方も、どうにか片付いたことをアキトはレーダーで確認していた。
 そのまま逃げるように粉塵に紛れ、アキトは倒壊したビルの隙間に身を隠す。
 慌てて近くにいたVFはアキトを追おうとするが、そこにはすでに姿はなく、まるで亡霊のように姿をかき消していた。






「それにしても、今日は助けてもらってばかりだね。ほんとに、ほんとにありがとうっ!」

 あれから数刻、緊張の糸が途切れたランカは、バジュラを見たショックからアルトに抱きついたまま泣き続けた。
 その後、両目を晴らしながらもどうにか平静を取り戻し、身を呈して守ってくれたアルトに対して心から頭を下げ礼を言う。
 だが、アルトは素直にランカの感謝の気持ちを受けることが出来なかった。
 目の前でバジュラに握り潰され、死んでいったギリアムと言うパイロット。
 そして自分を助けたあの圧倒的なまで強さを持った黒い機体。
 自分は何もしていない、また何も出来なかった。その苦悩がアルトの心を蝕んでいた。

「オレは……オレは何も……」
「あ、待って! あなたの名前はっ!!」

 ランカの制止も聞かず、その場から逃げるように走り去るアルト。
 彼の表情には生き残ったことの嬉しさよりも、その悔しさから滲みでる苦痛の色が浮かんでいた。






 瓦礫に沈んだ街を、立ち並ぶ高層ビルの中から見下ろす老人と、軍服を着た若い男の姿がそこにあった。
 一人はハワード・グラス。ここフロンティアの新統合政府を治める大統領であり、実質的な最高責任者だ。
 もう一人の若い男はレオン・三島。大統領首席補佐官であり、ハワードを補佐する有能な人物として内外に広く知られている。
 
「遂にこの船団も連中に補足されたか……今まで以上に彼等に頼らなくては行けなくなるな」
「こちらが損害処理と環境被害の報告書、そしてマスコミ、ネット対策を含めた情報対策の報告書です」
「相変わらず、手回しがいいな」
「お褒めに預かり光栄です」
「それで……例の機体の情報は掴めたのか?」
「いえ……以前。ただ、シェリル・ノームを護衛して来たと言うギャラクシー所属の私設艦、あの艦が怪しいと思いますが」
「シェリル……それにギャラクシーか……迂闊に臨検などを行えば、外交問題にもなりかねんな……」
「現状では監視体制を強化して、様子を見るしかないかと……それにあの艦にはギャラクシー政府の特務事項が適用されています。
 表向きにはシェリルの重要性を考慮した上での、自衛権の行使という事になっていますが……」
「それにしては、あの黒い機体……あれは異質過ぎる」

 VF−25を上回る高機動性能に、それを操っていたと思われるパイロットの技量。
 どれを取っても、ただのアイドルシンガーの護衛とは思えぬ程の戦力だ。

「我々の敵はバジュラだ……何としても、この危機を乗り切らねば、人類に明日はない」

 あの黒い機体が我ら人類の救世主となるのか、人類の芽を摘み取る死神と成るのか、見極めねば成らない。
 メサイアと言う名を与えられし人類の希望、VF−25。そして、その有用性を嘲笑うかの様に現れた謎の機体。
 ハワードの瞳には、瓦礫に沈み紅く燃える街の灯が映っていた。





 ……TO BE CONTINUED

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