地球統合政府――新統合政府と通称呼ばれるこの組織は、旧国家の垣根を越え、異種族との交流、接触を念頭に考え設立された人類初めての統一政体組織である。人類最初の地球外生命体との惑星間戦争第一次星間戦争≠初めとし、その後、敵異星人であるゼントラーディとの和平が成立したことを切っ掛けに、人類はその目を宇宙に向けることを余儀なくされる。
戦術核により90%以上と言える絶望的な種の減少、そして母なる地球も死の雨に晒され、人の住めない荒廃した星へと変貌を遂げていた。
この事により生き残った人類は種の生き残りをかけて、人類播種計画と呼ばれる大移民計画を立案する事となる。
戦争終結から三年、人類の種の生き残りをかけて実行されたこの計画は、先刻の戦争に習い、外敵襲来に対し種の拡散と保存を図り、予想される人口の増加による資源枯渇を考慮した大移民計画であった。
太陽系外の住める惑星を求め、次々に旅立つ移民船団。
数百万、数千万人とも言える人々を乗せ旅立つその船は、現代では新マクロス級移民船団と呼ばれ、山や海、公園、テーマパークなど人々の生活に必要な物を全て兼ね備えた、言わば小さな国家と呼べる規模を持っていた。
この宇宙移民時代と呼ばれる時代の幕開けと共に、統合政府もまた新たな垣根を迎えることとなり、新統合政府の下、再編成され設立された新統合軍は銀河を往き来する移民船団の護衛や、移民星系の治安維持が主な任務となっていた。
だが、中央集権的なこの政治体制は多くの反発を招き、反乱や独立運動を誘発することにも繋がっていく。
絶対的な中央主権とも呼べるこの体制は、一部で統合政府、牽いては統合軍を増長させることにも繋がり、民間の中には彼等に利益を搾取されるもの、または移民先となる惑星の先住民達との間でいざこざが絶えないと言う現状が続いていた。
2050年以降、この危なげな現状は今も変わらないまま、OTM技術を始めとするインプラント、サイバネティクスなど技術の進化は民間企業の力を強くする物となり、資本主義の象徴とも言える民間軍事プロバイダーの出現により、嘗てのような求心力は統合軍になくなり弱体化を余儀なくされていた。
第一次星間戦争から半世紀、新マクロス級の25番目となる移民船団マクロスフロンティアもまた、その例外ではない。
軍の質の低下は、予定航路の偵察任務など多くの重要な仕事を、民間軍事プロバイダーに取って代わられる結果となっていた。
かつては種の存続に関わるまで低下した人口も、半世紀経ち急激な増加の傾向にあり、統合政府や軍の主導によって動かされていた時代は少しずつ趣を変え、現在では民間軍事プロバイダーを持つ大企業や、VFシリーズなどで絶対的なシェアを獲得した新星インダストリーや、統合政府からの一部脱却を果たしたゼネラルギャラクシーなど、軍事から民間に問わず流通の主流を担う企業体が各船団規模でも大きな力を持つに至っていた。
資本主義による時代の流れは暮らしを豊かにすると共に、統合政府や軍の求心力を削ぐ結果へと繋がっていたが、それで納得する統合政府でもなかった。
今まで人々の生活を守り、時代の先端を担って築いてきたのはまぎれもなく統合政府であり、急激に力をつけてきた企業、団体との摩擦が生まれていくのは言うまでもない。
更に、資本主義の象徴とも言えるマクロスギャラクシーにおいては、先進企業の粋を集めた他の船団に類を見ない最先端技術を行く船団でもあった為、他の船団と比べても統合政府の威光は届き辛く、その関係は好ましい物と言えなかった。
だが、ギャラクシーネットワークを始めとする多くの情報、流通ルートはそれらの企業に頼っている為、統合政府もかつてのような強権を振るい難い現状があったのだ。
そんな中、シェリル・ノームの護衛としてマクロスフロンティアに現れたテンカワ・アキトの存在は、統合政府、特にレオン・三島にとっては目障り極まりないものだったと言える。
見たこともない最新鋭の私設艦に、軍の所有するどのVFにも勝る謎の人型兵器を所有し、マクロスギャラクシーの後ろ盾ばかりか、ギャラクシーネットワークを主軸とする民間企業体に深いパイプラインを持つ男。
政府の主軸たる地球統合政府に問い合わせてみても、返ってきた答えは「決して関わるな、余計なことをするな」の二点のみ。
あまりに上層部の逃げ腰とも言える低い姿勢に、レオンならずとも不快な思いを懐いていた。
奴は何者なのか? だが、それを調べてみようとしても余りにも何もでてこない。いや、でてこなさすぎると言うべきか。
過去については愚か、ギャラクシー政府の公認を得て便利屋のようなことをやっていると言うこと以外は何もでてこないのだ。
あの機体や船についても、地球統合政府本部において機密レベルS以上の極秘資料とされ閲覧は拒否されていた。
唯一分かったのは、あの艦の製造先と呼べる企業の名前だけ――
撫子商会――。
三年ほど前に設立された民間企業とのことだが、その成長は他に類を見ないほど著しいものがあった。
医療分野におけるナノマシン治療から、軍事においてはVFに代わる次世代の新兵器の開発に至るまで各所に名前が見受けられる。
わずか発足三年ほどにしか満たない企業とは思えない成長力。
新星インダストリーやゼネラルギャラクシーなどと比べれば見劣りする企業とは言え、彼の企業に一目をおいている組織、政府は少なくない。マクロスギャラクシーなど一部船団ではすでにその中枢にまでその力が及んでいると言う。
少なくとも、テンカワ・アキトが撫子商会と、それに関連する企業や組織と繋がっているのは間違いなかった。
「どうして、この時期にこんな男が……」
レオンが危惧するのはシェリル・ノームの護衛として、アキトがバジュラの現れたこの時期にフロンティアに訪れたという偶然。
はたして、それが偶然なのかもわからない。だが、情報戦においても、軍は全て敗退していると言う事実。
そしてその相手であるアキトやラピスは、最先端のインプラントであると言う情報もある。
現状、レオンの手持ちにある札は少なすぎると言えた。
重要なデータは全て、外部のネットワークから隔離された場所に補完されている為、アキトにもバレていないと思われるが、それでもこの驚異的な力を眼にした今、それも完璧であるとは言い難い。
それだけ、自分の計画にとってテンカワ・アキトという存在は、不安材料としてはこの上ない人物と言えた。
力を削ぎ落とそうと思っても、現状でその手段はすでに断たれていると言える。
だが、あの艦や、黒い機体、アキトの所有していると思われるギャラクシーの最新技術は喉から手が出るほど欲しい
ならば、この際、相手の土俵に立って交渉してみてはどうかとレオンは思う。
便利屋などと称して起業している以上、統合政府からの要請、契約という形ならば交渉の余地はあるのではないかとレオンは考えていた。
相手が統合政府、大統領からの直々の依頼となれば無碍に断ることも難しいはず。
今、この船団はそれでなくてもバジュラと言う脅威に晒されている。
そこで統合政府からの要請を受けないと言うことは、市民としての義務を放棄するということだ。
マクロスフロンティアの住民でないとは言え、シェリルの安全も掛かっている以上、そこをつけば断ることは難しいのではないかと考えていた。
「いざとなれば、やりようはいくらでもある」
シェリルや、あの一緒にいるラピスと言う少女を攫って脅迫するなり、方法はいくらでもあるとレオンは考えていた。
それこそが、もっともやってはいけない最悪の手段と知らず、レオンは策を巡らす。
放っておけばアキトは自分達に危害が及ばない限り、特に手を出すことも、レオンの計画を妨害することもなかっただろう。
だが、彼は失念していた。上層部が「決して関わるな、余計なことをするな」と釘をさしたのも、民間企業体である彼等がギャラクシーネットワークを通じて、アキトやラピスに手を出すことを注意したのも、それは彼等の実体験によるところが大きかったからだ。
テンカワ事務所と撫子商会に関わったものは破滅を招く
もっとも、注意した側もその理由を話せるはずがない。それ故に、レオンは気付くことがなかった。
自分が決して触れてはいけない、危険なパンドラの箱に手をかけていると言う事を――
歌姫と黒の旋律 第4話「ネゴティエーション」
193作
「なんでオレがこんなことを……」
手で額を押さえながらアルトはぼやく。だが、それも無理はなかった。
今朝、登校中にその身に及んだ不運。それを彼はその時ほど呪ったことはない。
登校途中にシェリルに強引に拉致されたアルトは、彼女の失くしたイヤリング探しに付き合わされていた。
「まったく、当日になってドタキャンよ! 信じられる!?
なんか急用ができたって言ってたけど、もし言い訳して逃げたなら、いくらアキトでも許さないわ」
「お姉ちゃん、アキトが用事あるのは本当。だから、あまりアキトを虐めないで……」
アルトはそんな二人の少女のやりとりを横目で見る。
シェリルが一緒に連れてきた少女、桃色の長い髪の毛に金色の瞳が特徴的なその少女はラピスといった。
だが、自分が何故、そんな二人に付き合わされているのか? それは少し前に遡る。
シェリルの機嫌が悪い原因である約束をすっぽかした相手の代わりに、イヤリングを失くした直接の原因であるアルトにその役目が回ってきていた。
本来なら、ただのとばっちりで巻き込まれているのならごめん被りたいところだが、シェリルがイヤリングを失くす切っ掛けとなった事件が、先日のライブにあると聞いてアルトは渋々イヤリング探しに付き合うことを了承したのだ。
アクロバット飛行の失敗でシェリルを危険な目にあわせ、それが原因で大切な母の形見であるイヤリングを失くしたと言われれば、義理堅いアルトは何も言い返せなかった。事実、あの時のことは自分が悪いとアルトは思っている。
それに、先日の待避壕での借りもシェリルに返していなかった。
胸を見た……と言うのもそうだが、シェリルの言葉はアルトの胸に深く残っていた。
シェリルがそれを貸しだと思っているかはともかく、あの時の自分は忘れて欲しいほど恥ずかしかったとアルトは思う。
「ダメだ。今日は非番らしい」
例のライブ会場の遺失物を調べてみようと思い至り、会場の管理室まで来ていた三人だったが、担当者が不在と言う事で足止めを食っていた。シェリルは自分の立場を持ち出して管理責任者を呼びつけようとするが、それをアルトは止めに入る。
「バカっ!! オレが明日、落し物がなかったか調べておいてやるからやめろってっ!!」
今にも電話をかけそうになっていたシェリルを咎めるアルト。
せっかくの休日だと言うのに、彼女の我が侭で呼び出される担当者のことを思うとしのびない。
ラピスはそんなシェリルの行動に慣れているのか、予測の範囲なのか?
黙って言い争う二人の姿を見ながら、来る途中でシェリルに買ってもらった娘々(ニャンニャン)の餡団子を美味しそうにモグモグと食べていた。
「それじゃ、これは担保に預かっておくわ」
そう言って、アルトが首から提げていた御守りを奪い取るシェリル。
アルトは慌てて取り返そうとするが、そんなアルトの行動を予測してシェリルは御守りを胸の谷間に隠してしまう。
「ふふ〜ん、やっぱり取れないんだ」
顔を真っ赤にして、手を止めるアルトに勝ち誇った顔をするシェリル。
そんな二人のやりとりもそっちのけに、ひたすら餡団子に集中するラピス。
傍から見たら幸福な、本人にしてみたら不運なアルトの一日はこうして始まった。
その頃、アキトはSMSのクラン・クランとオズマ・リーに案内され、大統領府に来ていた。
「まったくキャシーの奴、オレを案内役にするとは……」
「オズマは分からなくないけど、なんで私まで?」
「すまない、どうやら休暇中のところを巻き込んでしまったようだな」
先日の襲撃事件以降、度重なる統合軍の召集を蹴っていたアキトに痺れを切らしたレオンは、キャシーを通じて表向きは同じ民間であるSMSにアキトの身柄の拘束と仲介を依頼していた。
フロンティア政府としては上層部の意向もあり、表立ってアキトの身柄を拘束することは出来ない。
それ故に表向きは同じ民間であるSMSに依頼をしたのだが、いくら雇い主であるフロンティア政府の依頼とは言え、民間人を攫ってくるわけにもいかず、SMSを代表してオズマとクランが仲介兼案内役として、アキトに頭を下げに来ていた。
アキトにしても、いつかは直接対峙する機会をと思っていただけに、SMSからの仲介の話は悪い話でもなかったと言えた。
先日の件があるだけに統合軍からの要請では召集などまともに受ける気はなかったが、民間企業が間に入る以上、向こうも少しはまともな交渉をする気があるということだと考える。
単純にこれが政府から依頼を受けた統合軍の召集であった場合、そこにまともな交渉の余地があるかどうかはかなり怪しい物となる。
それが出来ないように上から圧力がかかるようにしているとは言え、アキトは統合政府や軍と言うものをそれほど信用してはいなかった。
「ようやく会えたね。テンカワアキトくん」
そう言って、通された部屋で最初にアキト達に声をかけて来たのは、レオン・三島だった。
会議室のような一室に、フロンティア政府や統合軍の幹部と思しい人物が座っているのが見受けられる。
そして、その席の一番奥。中央に腰掛けている人物こそ、マクロスフロンティアで一番の権力者、大統領ハワード・グラスだった。
「はじめまして、テンカワアキトです。しかし、そうそうたる顔ぶれだ」
案内役として同行していたオズマとクランも、この席の只ならぬ空気に息を飲む。
政府から直接の依頼だったと言うこともあり、アキトがかなりの重要人物であると言うことや、政府が直接交渉することが難しいなんらかの理由が孕んでいるとは踏んでいたが、まさかフロンティアの権力者自らがこれほど列挙して待ち構えていると思ってはいなかった。
だが、この状況を予測していたのか、アキトはまったく驚いた様子も、怯むこともなくこれだけの相手を前に堂々と対峙していた。
「君達、ご苦労だった。席を外してくれたまえ」
「おや、それはおかしいな? SMSの仲介で正式な立会いの下、交渉をしたいと伺っていたのですが?」
「くっ! ここからは軍事機密をはらむ、部外者は出て行ってもらう!?」
「仲介人が部外者? なら、この話はなかったと言うことで……」
アキトの指摘が頭にきたのか、予想通りとも言える横暴な態度で接してくる幹部。
どうせ話し合いになると思っていなかったアキトは、その場を立ち去ろうとする。
だが、部屋から出ようとするアキトを取り囲むように、統合軍の兵士が銃を構えていた。
そんなお決まりとも言える軍の横暴な対応をみて、アキトの表情が険しいものへと変わっていく。
――やはり、まともに交渉するつもりはないと言うことか?
どこの世界でも、長く世界に根付き中核をなす組織と言う物は中から腐ってくるものかと、アキトは溜息を吐く。
民間企業を仲介によこしたということは、少しはまともに交渉する姿勢が出来たのかと考えていたが、まさか呼び出しておいて不意打ちのような策に出るとは、想定していた中でも最悪とも呼べるケースだっただけに落胆の色は隠せなかった。
故に、アキトから強烈な殺気がもれだしていたのを銃を向けている軍人だけでなく、そこにいた者達は感じ取っていた。
部屋に充満する鋭い刃物のような殺気。冷たい空気が周囲を包み込む。
額に汗を流し、その一触即発の状態に一番危機感を感じていたのは、近くにいたオズマだった。
この場の全員を殺しかねないその殺気に耐えながら、いつでもアキトを取り押さえられるように体制をとる。
いくら向こうに非があるとは言え、アキトにここで一人でも殺されれば、仲介を買ってでたSMSの責任問題にもなりかねない。
だがその緊張の中、先に動いたのはアキトではなく、ハワード・グラスだった。
「すまなかった、テンカワくん。他の者の無礼はこうして詫びさせて頂く。
図々しいことと思うが、SMSのお二方に改めて仲介と立会いの役を頼みたい。
どうか私の謝罪をもって、この場を治めてもらえないかね?」
アキトに深く頭を下げ、陳謝するハワード。当然、その行為にその場にいた全員が驚く。
仮にもマクロスフロンティアを治める大統領が、軍人でも政府の人間でもない一介の民間人である青年に頭を下げたのだ。
政府に非があったとしても、これは異例とも言える出来事だった。
だが、その事によりこのハワードという男の評価を改めねばならないとアキトは思った。
非公式とは言え、幹部が集う席で船団のトップが頭を下げるということは簡単なことではない。
だからこそ、それをこの男がやったことにより、アキトは抜きかけた刀を鞘に収めるしかなくなっていた。
仮にも船団のトップに立つ人間に頭を下げさせたのだ。
少なくとも交渉というテーブルに着くという礼節を果たさないことには、この場から立ち去れそうになかった。
「理知的な大統領で安心しました」
「私としても、君とこれ以上関係を悪化させたくないのだよ」
お互いにテーブルに着き言葉を交わす。
クランに至っては、この胃をキリキリと蝕む席に自分が呼ばれたことを心底後悔していた。
オズマも、ジェフリー大佐はこれを予期して逃げたのではないかと、ここに自分達を代理にやって逃げた上司のことを恨めしく思っていた。
表向きは和やかに見えるその会談も、先ほどの件もあって空気はかなり重いものとなっている。
アキトとハワード以外、その場に口を挟むものはいない。
レオンも事務的なことで口は発してはいても、その口調にはかなり苛立ちが目立っていた。
「では、こちら側からの要望ですが……」
軽く挨拶が済むと、ハワードに代わり補佐官であるレオンが統合政府からのアキトへの要望書を読み上げていく。
その内容は、「アキトの所有している技術全ての軍への提供」「緊急時におけるユーチャリスを含む所有兵器の徴発許可」「SMS同様、統合政府傘下への出動要請」と、とてもアキトからすれば飲める内容ではなかった。
もっとも、統合政府が発してくるような要望書≠ニいう名前の命令書≠ェこういう内容であることはアキト自身もわかっていた。
だが、最初の行動を見るにSMSの見ていないところで脅迫でもして、これを飲ませるつもりだったのだろうかと考えると、少し頭が痛くなってしまう。
「はっきり言って、そんな内容が通ると本気で思ってないでしょ?」
「思ってないが通してもらいたい。本来なら強制的に身柄を拘束して、徴発してもいいのだよ?
今は君も知っている通り、謎の異星生物の襲来を受けている非常事態だ。
人類を守る為に有する権利を我々は保持していると言うことを忘れないでほしい」
「それに関しては地球統合政府、上層部からも止められてるはずでは?
そちらがそうした強引な行動に出れないことも、こちらは知ってますよ」
レオンの高圧的な交渉とも脅迫とも取れる態度にも、アキトは動じず答える。
だが、それで納得する相手ならこんなことにならなかっただろう。
彼等の要求は続くが、アキトはそのいずれも上層部である地球統合政府が了承するはずもないことを知っているので拒否していく。
飄々と要求を突っぱねるアキトの態度に、レオンならずともそこにいる幹部全員は苛立ちを感じていた。
「だとすると、そちらは何も飲めないと言うのですか?」
「当然でしょう? それに三島補佐官、こちらはまだ襲撃事件の謝罪も頂いていない。
あの時の賠償をそちらに請求しても、こちらとしてはよかったのですが?」
「……あれは政府とは関係がない。暴走した軍の下士官が勝手にやったことだ」
もちろん、アキトはレオンがそれを企てたことも知っている。
たとえそれが軍の下の人間が勝手にやったことだとしても、政府になんの責任もないわけがない。
だが、彼等にそのことを言ったところで、所詮は話し合いにならないとわかっているだけにアキトはそれ以上何も言わなかった。
アキトにして見れば、自分達にこれ以上関わらないのであれば前回の件も荒立てるつもりはなかった。
相手がどんな人間だろうと、何を企てていようと、それは自分達には関係ないと言う見解だった。
――少なくとも今までは。
だが、バジュラと言う危機に晒されているが故に、フロンティア政府がアキトの力を欲しているのもわかっている。
少なくとも先ほどからの態度を見る限り、ハワードという大統領はこの船団の安全と、市民の命を考慮しているのがわかる。
しかし、アキトが危惧していることは別にあった。
――レオン・三島――
彼の目的は別のところにある気がしてならない。
一種の勘のようなものだが、レオンの中にある言い知れない野心をアキトは確かに感じていた。
それに、政府や軍と言うものをアキト自身が全くと言っていいほど信用していなかったと言うのもある。
「やはり、交渉というものにはならなかったですね。
それに、あなた方は何か思い違いをされているのかもしれませんけど、こちらは今、シェリル・ノームの護衛できています。
来週にはツアーも終わる。そうなれば、ギャラクシーに帰りますので、あなた方の要求は受けられません」
「……なら、君は何故ここにきたのかね?」
交渉に入ってからは一切口を挟もうとしなかったハワードが口を開いた。
それならば、交渉の席に来る必要もなかったはずとアキトに問う。
同じ民間の要請とは言え、SMSの要請を蹴ることはアキトにはできたはずだった。
だが、それをしなかったのには他にも理由があったからだ。
「まだ、はっきりと意思表示していなかったので、こちらの態度を直接伝えて置くべきかと思いまして」
先ほどまでとはうって変わり、殺気をめぐらし笑みを口元に浮かべるアキト。
「どのような人物なのか会って見たかった。ただ、それだけです」
――敵に回るなら容赦はしない。
それは、そこにいる全員に対する警告でもあった。
レオンはプライドが高く、自尊心の強い人物だと言うことはわかっていた。
それゆえに、自分をターゲットにするような挑発を取ることで、彼の矛先を自分だけに向けようとしていた。
少なくとも彼はテンカワ・アキトと言う存在を見逃すつもりはないと言うことは先日の襲撃でわかっている。
だからこそ、出来るだけ行動が予測しやすい状況を作りたかったのだ。
もう一つは直接揺さぶりをかければ、彼が何らかの行動を起こすだろうと予測していたというのもある。
事実、レオンは鬼のような形相でアキトを睨んでいた。
ハワードもアキトとSMSの二人が退場するまで終始無言であったが、内心は穏やかではなかっただろう。
だが、彼はアキトの狂気と危険性をこれで認識したはずだ。
大統領の椅子にいる彼は、自分の力量と御せる力の範囲というものを理解している。
ただ優秀なだけでも、野心や欲望が強すぎても、トップ足りえない。
少なくともハワード・グラスは、他のどの人物よりも政治家としての大器を持っていた。
『随分と派手な交渉をやられたようですな』
「ただの警告だ。少なくともオレは家族を守りたいだけで、彼等と自分から争いを起こすつもりはない。
それと統合政府への根回しの件、礼を言っておきます。プロスさん」
『いえいえ、あなたには随分と借りもありますからな』
大統領府を後にしたアキトは携帯からフォールド通信行い、とある人物に連絡をとっていた。
この世界において唯一アキトやラピスの正体を知り、協力してくれるかつての仲間。
そして、深い絆で繋がっている古き友人だった。
アキトからの通信を受け、久しぶりに直接的な会話を交わしたプロスペクターは、その通信を傍受していたであろう少女に声をかける。
「気になるのでしたら、ご自分から声をかければよろしかったのに」
『すみません……でも、まだ直接話すには気持ちの整理がつかなくて……』
ラピスと同じ金色の瞳に人形のように白い肌、藤色の髪を左右で結んだツインテールの少女、ホシノ・ルリは寂しそうに返事をする。
アキトが同じ世界にいると知ったのは半年前。
シェリル・ノームの誘拐事件を解決した人物がテンカワ・アキトと言う便利屋を営む青年だったと知り、胸が高鳴るのを感じた。
しかし、未だマクロスギャラクシーにいるアキトに会いにいけていない。
あの後、幾度となく跳ね除けられた手のことが頭を過ぎる。
その度に、私は彼にとってすでに必要な人物ではないのではないか?
そう思えてならなかった。
自分に会うことで彼が苦しむのなら、会わない方がいいかもしれない。
でも、会って確かめたい。もう一度あの手に、あのぬくもりに包まれたい。そう思う自分がいることに気付かされる。
しかし、もう一つ私を思い止めているのは、時間の問題だ。
私がこの世界に着いたのは三年前。そしてアキトがこの世界に現れたのは一年前。
あの時から二年の空白が私達の溝をさらに広げていた。今年で私は二十歳。
彼の中で少女だった私はすでにいない。
そして、その三年と言う時間は私を臆病にしてしまった。
それに、私には――
「では、ルリさん。時間ですし、参りましょうか」
「はい」
まだ、やるべきことが残されている。
「ランカちゃん、いい加減に機嫌を直して家に帰らない?」
「いやっ! お兄ちゃんが認めてくれるまで絶対に帰らないっ!!」
ご機嫌斜めのランカを諭しながら少し後ろを歩くミハエル。これには止むを得ない事情があった。
SMSで常識となりつつある、ランカとオズマの兄妹喧嘩にミハエルは巻き込まれていた。
ことの発端はランカのミスフロンティアにまで遡る。
オズマはランカをお嬢様学校に態々入学させるほどの誰もが知る「シスコン!」極度の過保護体質だった。
にも関わらず、ランカはそんなオズマに内緒でコンテストを受けたばかりか、テレビに出たことが学校にバレて停学処分を受けてしまっていた。
そのことに激怒したオズマとの間で喧嘩が勃発。
歌手になりたいと言うランカに、オズマは「ダメだ」の一点張りで話し合いにならず、今回の喧嘩は怒ったランカが家を飛び出すという事態にまで発展していた。
話がそこで終わっていたら、ただの家出、兄妹喧嘩で済んでいたのかもしれない。
だが、オズマはランカ可愛さから強権を発動してスカル小隊の全員にランカ捜索の任を通達してしまっていた。
即座に自分の足でランカを探しに飛び出したいオズマではあったが、アキトの案内役を頼まれていたこともあり、その役目を自分の部下に振ったわけなのだが、振られた方はたまったものではない。
これ以上巻き込まれてなるものかと、いち早く学校から抜け出したミハエルだったが、それが災いして誰よりも早くランカを見つける結果へと繋がってしまう。
だが、見つけてしまったものを放っておけるわけもなく、怒り心頭のランカをなだめながらその後ろを付いて行っていた。
正直、自分はなんでこんなことに巻き込まれているのだろうと、ミハエルはわびしい気持ちで一杯になる。
ランカは一度こうなったら素直に言うことを聞くタイプでもないし、おさらく怒りがある程度おさまるまで待つしかないだろう。
オズマも「これがなければ立派な隊長なんだけど」と愚痴を吐きたくなるミハエルだった。
そうこうランカと話をしながら後ろを追いかけているうちに、二人はいつの間にかアイランド3にあるゼントラーディモール「フォルモ」に着ていた。
「うわ〜、なにっ!? これ、おもしろ〜いっ!!」
シェリルの我が侭に付き合わされ、色々と案内させられていたアルトはアイランド3にあるゼントラーディモール「フォルモ」に着ていた。
ここ、アイランド3はフロンティアの中でもゼントラーディ人が巨人サイズで生活が出来る数少ない生態系艦の1つで、ゼントラーディ人が多く生活を営んでいる。
そして、このモールではたくさんの巨人サイズの生活用品や衣服などが販売されていた。
そもそも、アルトがシェリルやラピスをここに案内したのには理由があった。
メールに入っていたランカの停学の件がどうしても気になっていた矢先、ミハエルとランカがアイランド3行きのモノレールに乗るところを目撃していたからだ。
だが、そんなことを素直に二人に話せないアルトは、表向きはシェリルとラピスを案内を続けていた。
こっそりと、どこかにランカがいないかと目で捜しながらも……
「でも、おまえ有名なアイドルだろ? 護衛もなしにウロウロしてて大丈夫なのか?」
「大丈夫。私が護衛」
「へ……?」
自分がその護衛だと言うラピスに、正直なんの冗談だ? と思うアルトだったが、実際には口にはださなかった。
少なくともシェリルを守れるほどにこの少女が強そうには見えない。
だとすれば、シェリルのことを「お姉ちゃん」と言って慕っている様子からも、彼女を大切に思ってるラピスが勝手にそう思ってるだけだろうと解釈していた。
だが実際には、光学迷彩でその姿を隠したバッタが後を着いて来ているばかりか、ラピスは所持しているIFS付の携帯端末でシェリルの行く先々の安全確認や、いざという時の為の逃走ルートの確保もしっかりと行っていた。
確かに個人としての戦闘能力は限りなくゼロと言えるラピスだったが、その能力を活かして防御や逃げることに徹した場合、その護衛スキルは箱舟の中である以上、アキト以上に優れたものだった。
加えて、その気になればオモイカネと繋がっているラピスはいつでもバッタの増援やユーチャリスをこの場に呼べる。
それに余程のことがない限り、オモイカネやラピスが出し抜かれるという状況も考え難い。
故に、鉄壁とも言える布陣がしかれているのだが、アルトはそれに気付くことはなかった。
ここに来るまで、シェリルがサングラスで顔を隠しているだけと言う軽装にも関わらず、誰にも騒がれなかったのにもそういった裏がある。
実際には気付いた人達もいたのだが、突然閉まる防火シャッターや、急に逆方向に進み始める歩行用道路などに阻まれ、シェリルに到達することもなく人知れず排除されていただけだった。
「心配しなくても大丈夫、ラピスは優秀なんだから。
それにいざとなったらアキトが必ず助けにきてくれるし問題ないわよ」
「……アキトってこないだの?」
「そう、こうして約束をすっぽかされちゃったけど、その辺は心配してないのよね。
グレイスもアキトも、仕事の約束は絶対と言っていいほど確実に果たしてくれるから」
この我が道を行くと言わんばかりのシェリルが、そこまで信頼しきっているアキトと言う人物に、少なからずアルトは興味を懐いていた。
「でも、本当に小人になったみたい。不思議なところよね」
ゼントラーディの為に作られたコップや皿、様々な日用品を目の前に、自分達はまるで絵本の中に迷い込んだ小人のようでさえあった。
そんな光景に何か感じるものがあったのか、「きた、きたわっ!」と叫び出すとシェリルは突然走り出し、飾ってあった巨大なショーツをひっぺ返して、そこに歌詞を書き始める。
「あ、おいっ!!」
さすがに商品に落書きしたらまずいと、シェリルの突飛な行動を止めようとするアルトだったが、そんなアルトを跳ね除け、必死な形相で歌詞の製作に打ち込むシェリルを見て言葉を失ってしまっていた。
先ほどまで、あれほど我が侭のし放題で遊びまくってた少女の姿はそこにはなく、アーティストとしてのシェリルがそこにいた。
「いつも、こうなのか?」
「……時々こうなる」
そう淡々と答えるラピスの言葉はある意味、シェリルという人物の事を明確に示唆していた。
シェリル・ノームはただの天才ではない。それに見合うだけのたゆまない努力と、行動力、そして何よりも彼女は歌を愛している。
それが彼女であり、銀河の妖精と言われる歌姫シェリル・ノーム≠セ。
アルトがこんなシェリルを見るのは二度目だった。
一度目はライブ会場で観客に向かい、どんなアクシデントにもめげず、歌を熱唱していたシェリルを見た時。
あの時のシェリルも凄いと思ったが、どんな時でも歌の事を考えているのだと気付かされるほど、彼女のこの行動力は本当に凄いとおもう。
音楽バカと言う言葉があるなら、今のシェリルにこれほど似合う言葉はないだろう。
ただ、それほどに今の彼女は輝いていた。
その頃、アキトもクランと一緒にフォルモを歩いていた。
もっとも、クランはゼントラーディにも関わらず、アイランド3に入った今もマイクローン化したままではあったが……
「わりぃな、アキト。アイスまで奢って貰って」
「気にするな。今日は迷惑をかけたからな」
その両手にはアキトに買収され渡された茶色と白いソフトクリームが二つ握られていた。
すでにいつの間にか打ち解けてしまったアキトとクランは、大統領府での交渉のあと、シェリルを追って着ていた。
シェリルの居場所は逐一オモイカネから送られてきていたので問題はなかったが、それでも約束をすっぽかしたことを少なからず気にはしていた。
もう一つ気になることもあったのだが、それはすでに手は打ってあるし問題はない。
「オズマ少佐にも迷惑をかけたようなので、何かお礼をしたかったのだが」
「まあ、仕方ねえよ。オズマだけまた別の任務で統合軍に呼ばれていったんだから」
そう、オズマ・リーだけがあの後、迎えに来たキャサリン・グラスに連れられて統合軍に出頭していた。
まさか、こんなに早く行動を起こすとは思ってもいなかったが、ある意味、今回の件は予定調和だったのかもしれないとアキトは考える。
彼等が同じアイランド3の施設にいることはわかっていたし、それにそこに何があるのかもすでに調べはついている。
――異星生物研究所。
そこに先日のバジュラを回収して研究している事はすでにオモイカネの調べでわかっていた。
今になって十一年前の移民船団の生き残りである彼等を集めて何をするつもりかは知らないが、レオンの行動を見るにまだ彼自身もバジュラについてほとんど何もわかっていないのだろうと推測がつく。
だとすれば彼の狙いはバジュラの兵器転用、そしてそれに伴う利益の独占か、発見の功績による統合政府での地位か。
順当に考えればその辺りだろうが、まだ何か裏があるようにアキトは感じていた。
少なくともレオン・三島の裏には何らかの背後関係が見える。
「知ってしまったからには、このまま見過ごすこともできないか……」
「うん? あれ、アルトじゃないか?」
クランの見つけた先にはアルト、シェリル、ラピスの三人の姿があった。
シェリルは熱心に大きなショーツに何かを書いている。
そして、アルトとラピスはその後ろのベンチに腰掛け、兄妹のように仲良くソフトクリームを味わっていた。
アキトは目の前にいるアルトと言う少年を見て、ランカと言う少女の事を思いだしていた。
来週になれば自分はシェリルと共にマクロスギャラクシーへと帰らなくてはいけなくなる。
だが、バジュラの出現により知ったランカの過去や、フロンティアの人々と出会いがそんなアキトの心に迷いを生んでいた。
少なからず、彼等はこの件の渦中にいる以上、いずれ選択を迫られる時が来るだろう。
かつての自分のように、それは運命付けられていて回避する事はできないと――
その実感がアキトにはあった。
「アキトっ!」
遠巻きにアキトの姿を見つけたラピスが駆け足でアキトに近づいてくる。
そして、隣にいたクランを押し退けアキトの腕を奪い取っていた。
クランにして見ればよくわからないが、ラピスが無言のプレッシャーをかけてきているので、素直にアキトの傍から離れ、アルトの隣に行くことにした。
「アキト、また余計なことを考えてる?」
「……そうだな。で、シェリルはいつものあれか?」
「うん」
少しラピスに見透かされたようで焦るアキトだったが、すぐにシェリルの方に話題をそらす。
時々、何かが舞い降りたように歌詞作りに熱中して周りが見えなくなってしまうシェリルを知ってるだけに、ラピスの反応も慣れたものだった。
そんなシェリルを視界の端に入れながら、ラピスを連れてアルトとクランのいるベンチに近づくと、アキトは正面のベンチに腰を下ろす。
持っていた紙でいつものようにベンチに腰掛け紙飛行機を折るアルト。横目でアキトの方を観察しながらその様子を窺がう。
アキトも自分と同じ民間軍事プロバイダーのような、特殊な訓練を受けている人間なのだろうと思っていたからかも知れない。
それが原因なのかはわからないが、出会った頃のようなギスギスした感覚と違い、今はアキトに妙な親近感もあった。
危険な仕事と言う意味では同じような立場にあり、シェリルの知り合いという共通点がある二人――
いつしかアキトに興味を持ち始めている自分にアルトは気付き始める。
「あの……」
「なんだ?」
「シェリルの護衛なんですよね? どうして、クラン・クラン大尉と一緒に?」
「仕事の件でクラン大尉に政府との仲介をしてもらったので、そのお礼にソフトクリームをおごらせて貰っていたんだ。
クラン大尉がここのソフトクリームは絶品だと言うのでね」
「ああ、なるほど……」
シェリルは仮にも要人だ。おそらく警護の話でもあって、それにSMSも少し噛んでいるのだろうとアルトは思っていた。
まあ、あたらかずとも遠からずと言ったところだが、実際こういうときに下手な嘘はつかない方が上手くいく。
相手がそれをどう解釈しようが、それは嘘にはならないのだから。
「それはそうとシェリルが随分と迷惑をかけたみたいだ。礼を言わせて貰う」
「いえ、でも、ここに来てからずっとこうで……」
「ああ、たまにあるんだ。気にしないでやってくれ」
「いえ、そうじゃなくて……」
「……?」
アルトはそんなシェリルを見て、不思議に思っていた。それは自分自身も悩んでいた事だからに他ならない。
自分はSMSに入隊して、結局は何をしたいのかということ?
ただ、空が好きと言うだけで戦闘機のパイロットをしていて本当にいいのだろうか? と言う葛藤。
理由は後からついてくるものだと思っていた。とにかくチャンスを掴みたい。
そこに明確な理由がなくても、きっと自分で選択したことなら、納得してその道を歩けると思っていたから。
だけど、訓練を通してクランやミハエル、オズマ、SMSの皆の命をかけて戦う姿勢や、先日のバジュラとの実戦を体験して、その気持ちが少し揺らいでいた。
自分にはまだ、覚悟が足りないのじゃないかと。
「……はあ、それはなんの覚悟だ? 死ぬ覚悟か、生きる覚悟か?」
「え……?」
「お前、バカだと思ってたけど本当にバカなんだな」
「クラン大尉……オレは真面目にっ!」
「――バカね。そんなの簡単じゃない」
先ほどまで、歌詞を書くことに没頭していたシェリルは起き上がると、アルトの疑問を嘲笑する。
クランと同じく「こいつ、何を言ってんだ?」と言わんばかりに飽きれた様子だった。
「私は歌いたいから歌うに決まってるじゃない。アルトだって空が好きだから、飛びたいからパイロットになりたかったんでしょ?」
やりたいことだからやる。好きだから好きという。ただの我が侭のようだが、賢い生き方だと思う。
シェリルの一番の長所はこういうところなのだろう。
本人に言うと怒られるかもしれないが、簡単に言うと自分にバカになれるかどうかだ。
アルトは次席という成績からも頭もよく、VFの操縦技術も卓越したものがある。
本当に多才な才能を秘めているのだということが見ていてわかる。
天才と言うのを称するなら、おそらくアルトみたいな人間をさすのだろう。
だけど、彼は物事を難しく考えすぎる悪い癖があった。
シェリルのように素直に、クランのように少しバカになってみれば楽になれるかも知れないのだが、それが今の彼にできるわけもない。
「空を飛びたいから飛ぶ――っか」
出来上がった紙飛行機を空に向かって投げるアルト。一度回るように旋回すると、そのままフラフラとモールの上を滑空していく。
どれだけ悩んでも現状が変わるわけではない。なら、自分の思うようにやってみよう。
アルトはそう思い、空を舞う紙飛行機を目で追っていた。
「―――――」
「あら、この声……」
モール全体に響く、凛とした綺麗な歌声。それは、そこにいる皆が聞き覚えのある少女の声だった。
シェリルとはまた違った、柔らかなその声に通り行く人々の足も止まり、その歌へと自然と耳を傾ける。
「――ランカっ!?」
声のする方に誘われるように走り出すアルト。
そこで目にしたのは大勢の人に囲まれながら歌うランカの姿だった。
――歌いたいから歌う。
そう表現したシェリルの言葉を体現するかのように、ランカは歌い続ける。
そこには少女の願いが、歌が大好きだという沢山の想いがこもっていた。
「参ったね。こりゃ……」
ランカにここで歌うように煽ったミハエル自身もこの結果には驚いていた。
オズマのことを理解しようとしないで、自分の事ばかりを主張するランカの身勝手な言動に頭にきたミハエルは、ランカを突き放すような態度を取る。
「じゃ、ここで歌える? だれもランカちゃんの歌を聞きに来ていないここでっ!」
と我ながら子供染みた挑発をしたものだと思う。
実際、ランカにはそこまでの力はないとミハエルは甘く見ていた。
やけになって歌ったところで、そんな歌が誰にも見向きもされるはずがないとさえ思っていたのだ。
だが、予想に反して彼女は凄かった。一瞬で、モールに来ていた人達を魅了し、その歌声で惹きつけたのだ。
先ほどまで家族連れやカップルで賑わっていた中央広場は、ゼントラーディ、マイクローンを含む大勢の人々で埋め尽くされ、ランカの為の野外ライブ会場と化していた。
――歌うのに場所なんて関係ない。歌いたいと思ったその時が、その場所が、ステージになる。
と言った一人の歌手がいた。
一人の無名の少女が手にしたのは、ただのマイク。
そこに楽器はなく、バックコーラスもいない、ましてや彼女の歌を聴きにきた観客などいるはずもない。
まだ巣立ってさえいない少女は無名だった。
誰も彼女のことなど知らない。知る由もない。
だけど、少女は歌った。
バカにされて、悔しくて、自分の覚悟が子供染みてると嘲笑されて、涙がこみ上げてくるほど辛かった。
切っ掛けは「違う」と声を荒げ、自分の覚悟が夢が本物だということを見返してやりたい。
と、そう思ったからなのかもしれない。
でも、歌いだしたらそんな気持ちはどこかに飛んでいた。
――気持ちいい。
誰かに聴いてもらえるということ、自分の歌が届いているのだと言う実感。
歌えることの喜びを、聴いてもらえることへの感謝を、一つ一つの音を繋ぎ合わせる様に私は魔法を唱える。
その歌声にのせて――――――
「もう、出て来たのね」
「まるで、こうなることがわかってたみたいだな」
「出る子は放っておいてもでてくるのよ」
「スカウトの才能もあるんじゃないか?」
これを見越してランカに声をかけていたのだとしたら、シェリルはまさに原石を見つけていたと言うことになる。
それも特上の原石を――
音楽に詳しくないアキトにもそう思わせる魅力が、今のランカの歌声にはあった。
それはランカ・リーと言う、後世に名を残す一人の歌手が、その小さな芽を噴き出した瞬間だった。
「はい、バジュラの件はこちらにお任せください」
レオンは異星生物研究所での秘密の会談を終えた後、自室にて謎の人物と連絡をとっていた。
その声から相手が老人であると言うことはわかる。
相手は余程の権力者なのか、いつになく丁寧な応対をするレオンの姿がそこにあった。
だが、レオンはその裏で厭らしい笑みを浮かべる。レオンにとってその相手も大統領すらも自分の野心の道具に過ぎない。
しかし、彼はその電話の相手もそうだが、自分以外の他人を甘く見る悪い癖があった。
所詮、周りは新たな時代の駒に過ぎない。だから、自分ならば上手く利用して立ち回れるという絶対の自信と野心があったからだ。
それこそが彼の驕りであり、過ちだとは気付かずに――
受話器の向こうで、その老人が笑っていたことを彼は知らない。
お互いを利用し、そして食い合う関係。
一代にしてその財をなし、今もなおその野心の尽きない男――リチャード・ビルラー。
その老人の狡猾さを、彼はまだ知らない。
「それが、バジュラか?」
レオンからの電話を受け取っていた老人の後ろに、長身で細身の中年男性が立っていた。
独特のマントで身を隠し、頭にはかぶり笠を身に着けたその出で立ちはその場では奇怪そのものであったが、老人は気にする様子はない。
男はバジュラと一緒にモニタに映し出されたブラックサレナを目にすると、さらに歪んだ笑みを浮かべていた。
「……知り合いか?」
先ほどまで一言も口を開こうとしなかった老人が男に質問する。
老人はこれほど楽しそうに笑う男の姿を見たことがなかった。
それ故に興味が惹かれたのかもしれない。
「クク……古い友人と言うべきか。そう、好敵手という名の」
「ほう……」
この男を拾ってから三年、長い付き合いだ。
老人は男の実力を知っていただけに、彼が好敵手と呼ぶ相手に僅かな好奇心と畏怖を覚えていた。
「復讐人。再び、貴様と刃を交える事になろうとは……」
隠し切れない殺気を放ちながらマントを翻し、老人に背を向けて立ち去る男。
それはバジュラをも上回るかもしれない、更なる災厄の始まりだった。
運命の悪戯により、出会うべくして出会った二人の死神の――
狂気の舞踏へ誘う、死へのチケット。
「マクロスギャラクシーが……」
マクロス18に仕事できていたルリにもたらされた一方は「ギャラクシーが敵の襲撃を受け、行方不明」という簡素なものだった。
「ううむ……わが社の施設もあっただけに、安否が気になりますな」
マクロスギャラクシーは他の船団に類を見ないほどの最先端の技術を誇っていた。
それに見合うだけの兵力や、多くの民間軍事プロバイダーがいるはずだった。
そんなギャラクシーが襲撃を受けたという事実は、それほどまでに衝撃的なものだった。
撫子商会も工業プラントを構える船団の一つであった為、そのギャラクシーが落とされた可能性があると言うことは他人事でない。
それにあそこにはアキトの事務所もあるのだ。
フロンティアに今は仕事で出ていることは知っていたので心配はしていなかったが、それでもあそこが今のアキトの家であることに違いはない。
アキトやラピスがそう簡単にやられるとは思えないが、それでも一歩間違えば巻き込まれていた可能性があるだけに、ルリもショックを隠せなかった。
「まあ、敵の正体も判明していることだし、今後の対策をとることにしましょう」
そういって現れた金髪に白衣の女性、イネス・フレサンジュは最後にギャラクシーを通じて送られてきていた敵の映像を注視していた。
まるで怪物のような姿、兵器なのか生物かもわからないその姿は、クラシックなSF映画以外に出て来た地球外生命体を思わせる。
「たしか、お兄ちゃんの報告ではバジュラと言ったかしら?」
「ええ……今、フロンティアを騒がせている化け物ですな。まさかそれがギャラクシーを襲うことになるとは」
「単独でフォールドできる上に、高圧縮ビームに体内で生成されると思われる有機ミサイル。そしてVFと酷似するエネルギー転換装甲。
随分と洒落のきいた化け物みたいね」
ユーチャリスから送られてきた資料を基にバジュラに関してわかっていることを説明しだすイネス。
だが、そこには不安や恐れなどではなく、好奇心に駆られる研究者としての顔があった。
「少なくとも自然的なものではなく、このバジュラは人工的なものである可能性が高いわね」
「……生物兵器、ということですかな?」
「ご明察。詳しくはサンプルを捕獲して調べてみないとわからないけど、こんな生物は自然発祥するものじゃないとだけは言えるわ」
「では、マクロスフロンティアも!?」
「お兄ちゃんのレポートにもあるけど、連中本気で襲ってきている様子はないんでしょう?
だとするとフロンティアは当分は大丈夫のはずよ。
何かそこに理由があるのか……それともまだ船団を補足できていないだけか」
ルリはイネスの説明を聞いて、静かに口を閉ざす。
マクロスギャラクシーのことはショックだったが、このバジュラを放置しておけば更なる犠牲者を出すかもしれないと言うのも事実だ。
放っておけば、自分達にもアキトにも被害が及ぶ可能性もある。とくにフロンティア船団はすでに二度の襲撃を受けていた。
その上で考え付いた結論はただ一つしかなかった。
そもそも、ギャラクシーという後ろ盾の一つを失えば、アキト自身も危ない可能性があるのだ。
フロンティア政府の強引さは報告を受けている。そしてバックにいるであろう企業と人物の名前も。
ギャラクシーが直接的な被害を被ったと言うことを知れば、上層部の意向や民間組織の言う事など無視してでも、政府がその強権を発動してアキト達の拘束に動き出す可能性がある。
もっとも、弱体化している統合軍などにアキトが敗れるなどとは思ってもいないが、それでも船団から孤立して行き場を失うと言うことは出来れば避けたいはずだ。
そうなればラピスだけでなく、護衛対象であるシェリルを巻き込むことにもなる。
「プロスペクターさん、外に出ている皆さんに連絡を取ってください。
本艦は行方不明になっているギャラクシーの安否の確認とプラントの人々の救助を目的とし
フロンティアにいるアキトさんの救援の為に一時マクロスフロンティアに向かいます」
「フロンティア政府と共同戦線を張るということですかな?」
「いえ、あくまでナデシコはユーチャリスの支援と、ギャラクシーで行方不明になっている我が社の生存者の確認を優先します」
「それで、統合政府が納得しますかな?」
「プロスさんを信頼してます。それに、いざとなればあれを使います。
本当なら同じ人間で争いたくないのですが、最悪の場合は止むを得ないです」
ルリの決断を予測していたのか、プロスペクターは黙って肯くと行動に入る。
火星の後継者との戦いから主観で四年。あの時に掴み損ねたあの手を、もう一度掴みたい。
それはルリの唯一つの願いだった。
今でも思い出す温かい家庭。
アキトがいて、ユリカがいて、そして三人で暮らす夢を今でも見る。
そのささやかな幸福を、日常を奪ったのは他ならぬ同じ人間だった。
そして、私達の時間は狂ってしまった。
彼等はテロリストのテンカワアキトと言う狂人を生み出し、歴史を血の色で染め上げ、多くの人々の未来を奪った。
そして、この世界にはアキトがそうまでして望んだユリカはいない。
「だけど、私はアキトさんを助けたい。
ナデシコの大切な仲間だから……あの人は、大切なヒトだから」
撫子商会クォーター級新造艦、ナデシコM。
出向の時は近づいている。
時は三年前に遡る。
火星の後継者との戦いから一年――。
あれからずっと帰ってくる兆しを見せないアキトを追うため、かつてのナデシコのメンバーが再び集まった。
最初はアキトを迎えにいくだけの、簡単な同窓会のつもりだった。
遺跡とのリンクの後遺症でネルガルの病院で療養中のユリカやアカツキを残し、ほぼ全員が集合したナデシコCは、ホシノ・ルリを艦長にアキトがいると思われる木星圏に向かっていた。
だが、辿り着いた先で見たものは、火星の後継者の残党と戦闘を繰り広げているユーチャリスとブラックサレナの姿だった。
何故、戦闘になっているのか? それもわからないまま、アキトを救う為にナデシコCはその戦闘の渦中へと飛びこんでいく。
だが、それこそがこの数奇な運命の始まりだったのかもしれない。
木星圏のコロニー。そこで目にしたものは、そこに存在しているはずがない物。
火星での事件以降、連合宇宙軍に徴収され厳重に封印されていたはずの遺跡が、何故かそこにあった。
だが、それこそが罠だったのだろう。
追い込まれた敵の自爆により、暴走する遺跡の力。
それは周囲のコロニーだけでなく、敵味方関係なく木星圏にいる人達を飲み込んでしまった。
遺跡そのものを中心としたランダムボソンジャンプ。
その結果、目を覚ました私達がいたのは、どことも知れない別世界の宇宙だった。
同じようにジャンプした私達にもジャンプした場所、時間など大きな違いがあった。
ナデシコCに乗っていた私達は三年前の四月に、マクロス11船団の近くにボソンジャンプした。
そして、遺跡にもっとも近いところにいたユーチャリスとブラックサレナは、そこから二年後の五月にマクロスギャラクシーの近くにボソンジャンプすることとなる。
アキトがマクロスギャラクシーにいることを知る事となる切っ掛けとなったシェリル誘拐事件。
当事、ギャラクシーネットワークをにぎわせたニュース。
それが幸いして別の場所、別の時間に移動したナデシコとユーチャリスが連絡を取る事が可能となった。
この世界に遺跡を含め、木星圏にいた人達が散らばっている可能性は危惧していた。
だが、時間と場所は違うとは言え、ユーチャリスがこの世界にきていたことで、その予想は当たっていた事となる。
遺跡の存在しないはずの別世界で、未だ可能なボソンジャンプ。
これが意図する先には、あの遺跡もこの宇宙のどこかに転移している可能性があるということ。
今となっては、遺跡がなぜ木星のコロニーにあったのかはわからない。
だが、それが原因でこの世界に飛ばされたという事実は変わりようがなかった。
結局、理論も方法もわからない以上、帰ることも出来ず、私達はこの世界で生きていく以外に手はない。
撫子商会は飛ばされたと思われるユーチャリスの発見、遺跡の回収を目的に作った。
そして前者はすでに果たされている。
残されているのはこの世界に多大な影響をもたらす可能性がある遺跡の回収と、一緒にボソンジャンプしたと思われる敵、火星の後継者の残党の処理。だけど、未だアキト以外の同じ世界出身の人間を見つけることは出来ていない。
相転移エンジンやナノマシン技術はともかく、ボソンジャンプは決して表に出させるわけに行かない。
それは歴史が裏付けていた。
その為に、この世界にとっては異物であり、異邦人である私達にできる役目は決まっている。
「フォールド航行や重力技術など、この世界にもプロトカルチャーと呼ばれる古代文明が残した多くのオーバーテクノロジーが存在するわ。
それでも、ボソンジャンプの危険性はそれと比類してもとても大きいものと言える」
ただの移動手段ではないボソンジャンプの危険性は言うまでもない。
普通のワープのような物なら、フォールドという手段が存在するこの世界でそれほど問題にはならかなかっただろう。
だが、ボソンジャンプはフォールドと違い、短い距離での移動、ピンポイントでの移動を可能とする画期的な技術だ。
兵器に転用すれば、どうなるかは私達の世界の歴史が答えをだしている。
そして、今回のランダムジャンプでその危険性は更に増したとイネスは考えていた。
時間や場所を移動するだけでなく、数多くある並行世界を渡ることも可能とする究極の移動技術。
それはこの宇宙の根幹を揺るがしかねない危険なものと言えた。
『みなさん、こんにちわ〜!! ホウメイガールズでーすぅ!!』
シェリルが滞在しているフロンティア、アイランドワン内の高級ホテル。
そこで、ラピスはMBSで放送されている音楽番組を見ていた。
ホウメイガールズ、ナデシコ出身のアキトの仲間。
五人組の美少女グループとして、ギャラクシーネットワークでも常に上位に入る人気ユニットだ。
「ラピス? また、アキトはいないの?」
「うん、アキトは忙しい」
「忙しいって……私の護衛が仕事のはずでしょう? 何か隠してる?」
「……ううん、なんでもない」
「今の間が何かあるって言ってるようなものだけど……もういいわ。
私に話さないってことは意味があるんだろうし……」
話の最中にも、テレビにジッと集中するラピスを見て、シェリルは不思議な顔をする。
ここ最近、出会った頃に比べてラピスは色々なものに興味を持つようになった。
その中でも、シェリルの影響もあってか、音楽を好んで聴くようになっていた。
自分の大切な、妹のような存在であるラピスが、音楽に興味を持ってくれることはシェリルも嬉しい。
「ね、ラピス。音楽は好き?」
「うん」
「それじゃあ、歌ってみたいとは思わない?」
「……少し思う」
ラピスの少しはかなり興味があるということだと、シェリルは理解していた。
「……試しに一緒に歌ってみない?」
それは悪魔の囁きだったのかもしれない。
……TO BE CONTINUED
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