「うそでしょ……どうして今まで……」
マクロスフロンティアでのファイナルライブを控えたシェリルが、グレイスから聞かされた情報は衝撃的なものだった。
シェリルの故郷であるマクロスギャラクシーが外敵生命体の襲撃を受け、行方不明と言う物。
それは、このライブが終わっても帰るはずの故郷がなくなっていると言うことに他ならない。
シェリルはギャラクシーのことがそれほど好きでも愛着があった訳でもない。
孤児であったシェリルにとって、ギャラクシーでの生活は、むしろ良くない思い出の方が多かった。
だが、あそこは自分が育ち、そして銀河の歌姫≠ニ呼ばれるまでに成長したシェリル・ノーム≠ェ育った場所なのだ。
そこには悪い思い出もたくさんあれば、当然、忘れられない大切な思い出もある。
そして、シェリルを支え、応援してくれた、たくさんの人達がそこにはいた。
「フォールド断層で通信が遮断されてたの……それで連絡が遅れたみたい」
マクロスギャラクシーから、九死に一生を得て逃げ延びた軍によりもたらされた救援要請。
それがなければ、今もギャラクシーが危機に晒されていることに気が付かなかったかも知れないとのことだった。
そこでシェリルの頭に過ぎったのがアキトのことだった。
以前から何かといなくなることはあったが、昨晩は帰ってくることすらなかった。
ラピスも何も言わないし、シェリル自身も何かよからぬことが起きているのだという確証があった。
「アキトは、アキトはこのことを知ってるの?」
「軍よりも先に、このことを連絡してくれたのはアキトくんよ」
やはり、アキトはこのことを知っていた。
シェリルはそのことを気にしていたが、普通に考えればアキトの力を知るものにとって、別段、不思議な事ではない。
むしろ、昨日の様子からも、昨晩からわかっていたであろう情報を、ライブが行われる当日になって、グレイスに知らせてきたことの方をシェリルは気にしていた。
情報の信憑性の確認をとっていた? それもあるだろうが、それならアキトが今もここにいない理由にはならない。
今日も護衛の仕事をラピスに任せて、どこかに姿を消しているのだ。
アキトはどこで何をしているのか? そこに答えがあるような気がしてならなかった。
そして――――それは、消えたギャラクシーに関係しているのではないのか?
そこにシェリルの考えが及んだとき、二人の前に姿を見せたのは小型のバッタを胸に抱えたラピスだった。
その眼は、いつもシェリルに甘えてくる時のラピスの物ではない。
だが、その眼をする時のラピスをシェリルは知っていた。
最近は見ることがなかったが、ずっと二人を見続けてきたシェリルにとって、今のラピスの行動と発している空気は不可解な物ではない。
アキトやラピスと出会った頃、あくまで護衛対象として接するときにシェリルに見せていた感情のこもっていない瞳。
仕事中に時折見せる、その年頃の少女とは思えないほど、冷ややかな冷めた眼。
少女の発している空気と思えないほど、重い空気が辺りを覆っていた。
吸い込まれそうな、そして何もかも見通されていそうな気持ちになる。
普通の人なら、その金色の瞳に見つめられ、萎縮してしまっても不思議ではなかった。
だが、シェリルはそんなラピスを前にしても退かない。
アキトがどんな隠し事をしていようと、そのことに干渉するつもりはシェリルにはなかった。
アキトとラピスの関係や、二人がただのインプラントではないと言うことを見ても、何か隠している事は分かっていたからだ。
そのことを知っていて、自分は二人を受け入れることを決めたのだ。
あの二人は恩人であると共に、銀河の妖精としてではなく、ただのシェリルとして扱ってくれる数少ない友人だ。
だからこそ、踏み込むべきところ、そうでないところのケジメはしっかりとつけていた。
だが、マクロスギャラクシーの件に関しては、シェリルも退くつもりはない。
「ラピス、アキトはどこにいるの?」
「それは言えない……」
「私はクライアントよっ!!」
「だから私がここにいる。依頼はあくまで護衛であり、その身の安全を守ること。
私とアキトはその為に動いてる。お姉ちゃんはアキトのことが信用できないの?」
「それは……」
それを言われては、シェリルも言葉が出ない。
アキトのことを信頼していないはずがない。彼の実力は自分がよくわかっている。
それでも、頭ではわかっていても、信頼しているからと言って納得できることと出来ない事がある。
だからこそ、シェリルはアキトに聞いておきたかったのだ。
「アキトはどうするつもりなの?」
自分の護衛として来ているアキトが、マクロスギャラクシーの救出に動くとは考えられない。
だが、どこかで「アキトならばギャラクシーを救ってくれるのではないか?」と言う甘い想いもあった。
そして、今もアキトはその為に人知れず動いてくれているのではないか?
都合のよい思い込みではあったが、それだけシェリルもアキトに頼っていたことが伺える。
しかしラピスからもたらされた言葉は、そんなシェリルの想いを否定する、非情なものだった。
「お姉ちゃんもプロなら分かるでしょう?
契約内容に変更はない――それがアキトの返答よ」
歌姫と黒の旋律 第5話「デザイア」
193作
「どういうことだっ!! この期におよんで、協力できんとはっ!!」
新統合軍の将官の声が部屋に強く響く。
アキトはマクロスギャラクシー襲撃の報告を受け、再び大統領府に出向していた。
そこで突きつけられたのは「マクロスギャラクシーの救出作戦にアキトも協力するように」と言うものだった。
だが、アキトはこれをまたも跳ね除けたのだ。
軍がこの機会を利用して、自分達に何かを仕掛けてくるつもりなのは分かっていた。
少なくとも、この戦闘に参加するとなれば、ユーチャリスもSMS同様、統合軍の指揮下に入れられると言うことになる。
それだけは了承できるものではなかった。
「話にならんっ!! ギャラクシーは君の故郷だろっ!!」
「ここで感情論を持ち出されても困ります。俺はあくまでシェリル・ノームの護衛としてきている。
それを、シェリルの護衛を放りだして、ギャラクシーの救援に向かえなど通るはずがないでしょう?」
「では……ギャラクシーがどうなっても君には関係ないと言うのかね?」
「そうは言いませんよ。あそこには家もあれば、多少なりとも知人もいる。
しかし、元を正せば、これは軍が不甲斐ないからでは? 船団をあらゆる外敵から護ることは新統合軍に課せられた責務だ。
それを守れなくなって民間に頼ろうとするとは……どちらかと言えばそちらがまずいのではないですか?」
「ぐ……っ!!」
新統合政府、新統合軍が設立されてから、自分達が他の民間企業や組織よりも優遇されているのはあくまで、船団の市民の生活や命を預かり、守っていると言う実績と理念があってこそだ。
だが、それは2050年以降、大きく形を変えてきている。
今や新統合軍以上とも言える技術力と経済力で船団を守っているのは、他ならない民間プロバイダーである彼等だった。
だが、そのことを市民に言えるはずがない。
そこには新統合軍としてのプライドもあるが、それを認めてしまうと言うことは、組織の根幹をなす部分を自分達で否定してしまうという事に他ならないからだ。
アキトも、そのことが分かっているが故の皮肉だった。
むしろ、問題なのはそのマクロスギャラクシーを防衛していた中にも、民間プロバイダーが数多くいたと言う事実だ。
その規模は、ギャラクシーは多くの企業が共同出資して設立、運営していることもあり、フロンティアとは比較にならないほど大きい。
にも関わらずギャラクシーがバジュラの襲撃を受けて行方知れずという事実が、アキトには不可解に思えてならなかった。
バジュラの力は戦ってよく理解しているが、それでも単独でギャラクシーを圧倒できるほどの物と考えていない。
予想しているよりもずっと大きな組織が関与しているのか?
少なくともバジュラを有する敵は、ギャラクシーを九死に追い込むほどの戦力を持っているということになる。
「では、どうしても協力してもらえないということかね?」
「はい……シェリルに危害が及ぶ場合は、それが誰であろうと容赦するつもりはありませんけど……
それが虫であろうが、少しばかり知恵を得たサルであろうが――」
「そうか、わかった。今日はご足労願いすまなかったね」
アキトの皮肉った挑発にも、冷静な態度を崩さないハワード。
他の軍の将官や、政府の高官は苛立ちを隠せない様子であったが、やはり、そこは大統領としてのこの男の器なのだろう。
それ以上何も言わず部屋を後にするアキトの後姿を、ハワードは静かに見送った。
「かまいませんっ!! 本部がなんと言おうと徴発すべきですっ!!」
「そうです、大統領っ! すでに状況は切迫していますっ!!
この状況ならあとで理由などいくらでも付けられます、ご決断をっ!!」
アキトが去った後、政府首脳部を残して高官たちはユーチャリスの徴発と、アキトの強制徴兵を大統領に迫っていた。
彼等の理屈としては、ギャラクシーがバジュラによって壊滅させられ、フロンティアにも危機が迫っているというこの時期に、なんの協力体制も見せようとしないアキトの態度は、新統合政府だけでなく船団市民全てを裏切った恥ずべき行為だということだ。
だが、ハワードは首を決して縦に振らなかった。彼等の言い分もわかる。
しかし、民間の側に立ったアキトの言い分も、決して全てが間違っている訳ではない。
本来、市民を護るべくは政府や軍の責務なのだ。
それを彼等に押し付けてばかりでよいものかと、そういう想いもハワードにはあった。
「よろしいのですか? 皆さん、怒って帰られたようですが……」
「かまわんよ……腰抜けの軍や政治家どもの相手よりも、彼を敵に回すことの方が私にはずっと恐ろしい」
「それほどですか……?」
「まだ、君は若い。だから気付かんのかも知れんな。
あれは損得勘定や、権力を振りかざしただけで御しきれる相手ではない。
まさに獣、いや生来の悪魔とはああ言ったものなのかも知れん」
「悪魔……ですか?」
「そうだ、君は悪魔との契約書にサインをする勇気があるかね?」
レオンの問いに、ハワードはアキトの危険性に気付いた上で真面目に答える。
それは、レオンのアキトに対しての執拗な執着を知ってるが故の、彼なりの警告だった。
ハワードは自分と対等に対峙して見せたアキトという男について考える。
彼はきっと、たった一人を救うため≠ネらば世界ですら敵に回すことを躊躇わない人間だと、ハワードはそう感じていた。
政府や軍に敵対した行動を取っているのも、彼にとってはそれがスタンダードなのだからだろう。
どんな存在も、自分達の自由を、存在を脅かすものには容赦をしない。
これは注意ではない、警告なのだと、彼の態度からもはっきりとわかる。
そんな人間を組織に組み込み、利用することの危険性を彼は十分に理解していた。
少なくとも、自分達が何もしなければ彼が敵に回ることはない。
それに、シェリルがフロンティアにいる限り、ここの安全は守られていると言うことになる。
それだけでよしと考えるべきだと、ハワードは考えを改めていた。
故に、決断したのだ。
フロンティア政府はアキトに対しての一切の干渉をやめる≠ニ言うことを――
「もう一つ、私は大きな決断をしなくてはならないな」
バジュラの報告書を見て、ハワードは静かに息を整える。
「やはり、お気持ちは変わりませんか?」
「このまま黙っている訳にもいくまい。
誰かがいつかはやらねばならん……それが、たまたま私だった。
ただ、それだけのことだよ」
度重なるフロンティアへのバジュラの襲撃。そしてギャラクシーの安否不明。
それは、市民に隠し通せる話ではなくなってきている。事実、ネットを通じて様々な憶測や情報が市民の間で広がりつつあった。
だが、この事実を知れば、どれだけの動揺が市民にでるかわからない。
それでも、大統領としての責務を果たす為に、そして、新統合政府としての理念を貫く為にも、ハワードは大きな決断をする事となる。
「妹さんを私に下さいっ!!」
ここ、リー家ではまた、別の意味で一波乱あった。
先日のゼントラーディのモールで、偶然、ランカの歌を耳にしていた芸能プロダクションベクタープロモーション≠フ社長、エルモ・クリダニクはランカのスカウトの為、リー家を訪れていた。
当初はランカに対して、「ご家族への説明は私に任せてください」と張り切っていたにも関わらず、極度のシスコン、強面で知られるオズマを前にしてエルモは尻込みしていた。
そういうオズマはと言うと、臨戦態勢はいつでも万全と言った様子で、エルモの話を聞いていた。
エルモの後ろにいたランカも、さすがにこれだけ怒っているオズマを見るのは始めてのことなので、顔が引き攣って緊張が隠せない。
最初は格好いいことを言っていたエルモも、そんなオズマの迫力に気おされていた。
事実、オズマは怒っていた。ランカの為をと思い、学費が高いお嬢様学校に入れたと言うのに、先日のミスコンに始まって、今回は突然、降って湧いた芸能界へのスカウトだ。
芸能界のチャラチャラした体質というものが大嫌いだったオズマにとっては、まさにランカがもたらしたニュースは青天霹靂だった。
「――ひぃっ!!」
突然、身体をプルプルと震わせ、拳を握りしめながら立ち上がるオズマに驚き、情けなくもランカに抱きついて助けを請うエルモ。
そして、オズマは目を見開き、大きく腕を振り上げる。
エルモはその瞬間、間違いなく死を覚悟した。だが、実際に降ってきたのは拳ではなく、そのまま頭を下げるオズマの姿だった。
「妹を……ランカをよろしくお願いしますっ!!」
「は、はひぃ!!」
我慢している事は一目瞭然ではあったが、ランカの芸能界入りを涙ながら認めるオズマ。
これには一緒にいたランカも驚きを隠せなかった。オズマなら確実に反対すると思っていたからだ。
エルモも驚きを隠せなかったが、だがそれ以上に自分の命が助かったことを、運命の神様に感謝していた。
こうして、オズマの不可解な行動はあったが、家族にスカウトを認められ、ベクタープロモーションに所属する事となったランカ。
彼女の夢への一歩がこうして始まろうとしていた。
「ラピス……それにシェリルにグレイスもか?
どうした、こんなところに? 今夜のライブの打ち合わせは終わったのか?」
「ごめんなさい、アキトくん……シェリルがどうしてもって聞かなくて」
「グレイス……? そうか、あのことを話したのか」
大統領府を後にしたアキトの前に現れたのは、ラピスとグレイスを引き連れたシェリルだった。
だが、ギャラクシーのことを知ったシェリルが取り乱す可能性があることをアキトはわかっていた。
故郷や大切な物を理不尽に奪われて、それで納得しろと言ってできるものではないとアキトは知っている。
だからこそ、シェリルはここに来たのだろう。そう、考えていた。
「ギャラクシーのことを聞いたのか?」
「そうよ……だからあなたの口から直接聞きに来たの。
アキト、あなたはこれからどうするつもりなの?」
「その答えを君はすでに知ってるんじゃないのか?
オレがどう答えるかと言うのも?」
「……どうしてなの?」
「……シェリル?」
グレイスも、こんなに感情を顕にして動揺を見せるシェリルを見るのは、初めてのことだった。
自分から決して弱音を見せようとしなかった彼女が泣いているのだ。悔しそうに肩を震わせ、唇を噛み締め涙している。
シェリルを知る者だったら、誰もがこんな話を信じようとしないだろう。
だが、それだけ彼女がギャラクシーのことがショックだったいう事実以上に、そんな自分の弱音を見せられるほど、アキトやラピスに信頼を置いていたと言うことに他ならなかった。
――だからこそ、シェリルは思う。
グレイス以外に信頼していいと思えるパートナーに出会えたと思っていたのに、何故、アキトは本当のことを自分にだけは教えてくれないのかと。
仕事は文句のつけようがないほど、上手くやってくれている。
我が侭もなんだかんだ言っても聞き届けてくれるし、その上でも手を抜かず確実に守ってくれている。
でも、アキトは肝心なことになると話をはぐらかす。
今回の件にしてもグレイスやラピスには話せても、自分はずっと蚊帳の外だ。
依頼主であるという以前に、「自分はアキトから信頼されていないのだろうか?」と不安になる。
だからこそ、今回のことで一気に、それが不安となって彼女の心を脅かしていた。
「何もかも全部、自分達で抱え込んで……お願いだから隠さないでよ。
肝心なことは私には内緒で……そんなの、私は頼んでないっ!!
私はシェリルなのよっ!! そんなに頼りない!? 信用できない!?
――ちゃんと私を……シェリル・ノームを見なさいよ!!!」
「お姉ちゃん……」
堪っていた全てを吐き出すかのような叫び。
ラピスもそんなシェリルを見て、痛まれない気持ちで一杯になる。
アキトもシェリルの為をと思いやってきた行動が、彼女の不安を募り、そして爆発させてしまったことに少なからず責任を感じていた。
見誤っていたことがあるとすれば、シェリルは人一倍、勘も鋭ければ頭の良い子だったということだ。
ここまでの事情で、おそらくアキトが何かを隠して、自分に内緒で行動を起こすつもりだと言うことを悟っていたのだろう。
「シェリル……」
「アキト……私ね。ギャラクシーが嫌いだったわ」
彼女には家族がいない。
文字通り、母も父も、兄弟すらも孤児として育った彼女には家族と言えるものがいなかった。
残されたものは、顔も知らない母の形見であるイヤリングだけ――
そんな中で幼い少女が生きていくには、ギャラクシーという箱舟は厳し過ぎるものだった。
頼るものもなく、生きて行く為には何でもしないと生きていけない。
事実、シティと隔絶されたスラムでは、強盗、窃盗、ドラッグと、少年少女達による犯罪が後を絶たなかった。
そんな中で、今の事務所や、歌との出会いがなかったら、こうしているシェリルは存在しなかった。
だからと言って、ギャラクシーは、彼女にとって胸を張って誇れる故郷でも、自慢できる場所でもない。
「でも……それでも私にとっては……」
そこは、自分が夢に描いた理想、胸に懐いた想い成就させた場所。
どんな場所であろうと、そこが自分の帰る場所であり、待ってくれているファンや、応援してくれた人々が、たくさんの生活があるのだ。
そして唯一、母との絆が残る故郷でもある。
母との思い出と言えるものは、このイヤリングを残して何もない。
それでも、家族を知らないシェリルにとって、ギャラクシーの存在は大きな物だった。
「もう、いい……何も言うな」
「ア……キト」
そんなシェリルをそっとその胸に抱くアキト。
こんなに弱った彼女を見たのは、アキトも初めてだった。だからこそ、後悔をしていた。
彼女は強いから大丈夫だと、勝手に思い込んでいた自分の浅はかさと愚かさに……。
シェリル・ノームは、幼少より、誰からも愛されることを知らない子供だった。
愛されることを知らないまま育ったが故に、心のどこかで人一倍、誰かに愛されることを欲していたのかも知れない。
――ギャラクシーが産んだ妖精。
――才能に恵まれ、銀河に祝福された稀代の歌い手。
どれも正解ではあるが、そこに銀河の妖精としての彼女はいても、スラムで育った少女はいなかった。
彼女は、豪華な暮らしや、ただ、有名に成りたかっただけではない。
あそこの生活は嫌だった、抜け出したい、そう言った想いがあったのは確かだろう。
しかし、少女が望んだのは豪華な食事でも、綺麗な服でもない。
たった一つ、愛されることを知らない少女が夢見たのは、お金では決して手に入れることができない理想。
ただ一言でいい、自分が愛する人に、大切な人に、こう言って欲しかっただけなのだろう――
「――頑張ったな……不安にさせてしまって済まない。
ラピスと同じように大切な家族と思っているから、出来るだけ君に汚い部分は見せたくなかった」
「そんなの……ありがた迷惑だわ」
「まったくだな……昔、ある人にも同じことを言われたよ。
オレはどうやら何も変わっていないようだ……
シェリル、こんなオレでよければ、言わせてくれ」
「え……アキト?」
そう、たった一言、妖精と呼ばれた少女は、その言葉を待ち望んでいただけだった。
「――愛してる、シェリル」
ただ一言、その一言を言ってもらえれば、彼女の不安はここまで大きくならなかったのだろう。
涙ぐむシェリルの頭をラピスにするように優しく撫で、今まで見せたことのない優しい笑顔を浮かべるアキト。
だが、シェリルは涙が止まらなかった。むしろ、先ほどよりも多くの涙が浮かんできていた。
しかし、それは嫌な涙じゃない。
アキトのたった一言で、胸が熱くなり、その嬉しさと優しさで心が満たされていくのを彼女は感じていた。
「――家族としてだがな」
「――ちょっと、それじゃ、さっきの告白が台無しよっ!」
「ラピスと一緒じゃ不満か?」
「いや、そんなことはないけど……」
顔を赤くして、いつもとはうって変わって、要領をえない返事ばかりするシェリル。
しかし、そこには、先ほどまで不安で押し潰されそうになっていた、少女の面影は消えていた。
その頃、学園のカフェテリアにはランカを始めとし、ナナセ、ミハエル、ルカ、アルトの五人の姿があった。
彼等はランカの芸能プロダクション入りの報告を受け、集まっていた。
「おめでと――っ!! ランカちゃん!!!」
「ありがとう、みんな」
ナナセは我が事のようにランカの芸能界入りを喜び、ミハエルとルカもそれに釣られて騒ぎ立てる。
そして、その空気についていけないのは他ならないアルトだった。
ランカの歌が凄いのは自分も知っている。
彼女にはその実力もあると思っているし、夢があることもわかっている。
かと言って、無駄なプライドと意地があるアルトには、素直にその輪に入って喜べない理由があった。
あのオズマが、ランカの芸能界入りを認めたという事実もそうだが、シェリルの言うとおりにことが進んでいる現実にも、なんとなく納得が行かない。それは父親の反対を押し切って、勘当同然で家をでてパイロットを志したアルトにとっては両手を上げて喜べない、自分のちっぽけな意地の問題だった。それが自分でも分かっているだけにおもしろくない。
ランカが悪いわけでもないのだから尚更だ。
「ごめんね……本当は一番に知らせようと思ったの……
でも、邪魔しちゃったらとか五月蝿くしたらダメかなって……」
本当は違った。それは自分への言い訳だとランカは思う。
実はゼントラーディーのモールで、ランカはアルトの姿を見つけていた。
実際にはアルトとシェリルだけでなく、アキトやラピス、それにクランも一緒に居たのだが彼女はそれを知らなかった。
ランカがアルトの姿を見たのは、丁度歌が歌い終わり、人が退けた時であった為、傍にはボーッと佇むアルトをからかうように声を掛け近づいてきたシェリルと、ラピスから護衛を引き継いで傍にいたアキトだけだったからだ。
そのアキトはと言うと、シェリルの護衛とランカは認識していた為に数に入っていない。
そのことから、アルトがシェリルとデートしていたのだという誤解にまでランカの中で発展していた。
誤解を更に大きくしていたのは、ミスコンのことで相談しようとランカはアルトに連絡していたにも関わらず、あの件のあと一度も返信がなかったことから、シェリルのことで自分は避けられているのではないかと誤解したからだ。
果てには「嫌われたのかも知れないっ!!」などと勝手な妄想をし、頭を抱えるランカの姿もあった。
「何、今更、遠慮してんだよ。
それにオレも実はあの時、ゼントラのモールにいたんだ」
何を思ってアルトが今更そんなことを言うのかわからない。
だが、ランカはそれをチャンスだと思って聞いてみることにした。もしかすると、あの時に見たアレは誤解だったのかも知れない。
そう思いながら、アルトに質問する。
「そ、そうなんだ? えと、買い物とか?」
「そんなとこだ」
「ひ、ひとりで?」
「……ああ」
それは決定的だった。アルトはシェリルと確かにそこにいたのに、それを隠しがっている。
そのことから、表向きには明るく振舞おうとしてはいたが、ランカは更に深く落ち込んでしまっていた。
「隠さないといけないような仲」=「まさか!? 本当にそんなっ!!」と答えのでない自問自答を繰り返していた。
そんな中、アルトからスカウトの祝い≠ニ言われ渡されたシェリルのライブチケットを手に取る。
「ありがとう……」
夢にまで見た芸能活動に、大好きなシェリルのライブ、そしてアルトからの誘い。
どれも嬉しいはずなのに、心の底から喜べない自分がそこにいた。
その時、フロンティア船団の全チャンネルが切り替わり、大統領からの緊急声明が流された。
「なんだ……?」
一斉に切り替わったその報道に、眼を向ける人々。一連の事件と、突然の緊急声明。
事態の深刻さが人々にも伝わっているようで、その緊張の色が伺える。
そして、ハワード・グラスはその重い口を開き、人々に一連の事件に関する説明を始めた。
「フロンティアの皆さん、ハワード・グラスです。
この度は皆さんに重要なお知らせがあります」
そうしてモニタに映し出されるフロンティアを襲うバジュラの映像。
それは先刻の避難事故の真相を語る物としては十分な証拠だった。それを元に、ハワードはバジュラのことと今現在、フロンティアが彼等に襲われ、危機的状況に晒されていると言う事実を語っていく。
「……そして、バジュラによって、我が同胞であるマクロスギャラクシーが大規模な攻撃を受けたのです」
そこに映し出されたのは、バジュラによって落とされる無数の艦隊、そして攻撃を受けるマクロスギャラクシーの姿だった。
その映像のあまりの凄惨さに、顔を青ざめる人や、その場にへたれこむ人々もいる。
ランカも昔の事を思い出したのか、青い顔をしてアルトの腕にしがみつき、顔を伏せってしまっていた。
「この事態に伴い、我々が同胞ギャラクシーを救うため、そして我々自身を守るため、私は大統領権限において、非常事態宣言を発令致します」
その大統領の発表はフロンティア全域に報道され、人々に衝撃と未知の敵に対する恐怖を植え付けた。
だが、彼等は知らない。それも、これからの戦いの、ほんの幕開けにしか過ぎないことを……。
「シェリルさんの会見は三十分後にセッティングしました」
「彼女にはせいぜい、役にたってもらわないとね」
大統領府の執務室ではレオンとキャサリンが今回の報道に関しての打ち合わせを行っていた。
大統領の正式発表、そして市民とギャラクシーを救う為に立ち上がる新統合政府と軍の勇敢な姿勢。
そこにシェリル・ノームという花を添えることで、舞台は一層盛り上がるだろう。
ここで、バジュラを恐れた市民に萎縮されて、ギャラクシーへの救援を反対されてはレオンの思惑も外れかねない。
その為に、故郷を理不尽に奪われ、悲しむ妖精の姿というのは人民にとっては格好のエサとなる。
そう、レオンは考えていた。
「ところで、キャシー。君にたっての頼みがある。後で正式な辞令が降りるんだけどね」
レオンからもたらされた内容。それはキャサリンを驚かせるに十分な内容だった。
――新統合軍参謀本部所属キャサリン・グラス中尉にSMSマクロスクォーターへの移動を命ず。
「そういうこと……私は彼らにとっても都合のよい人形ってことね」
会見前の控え室で、アキトから見せられた執務室での一部始終の映像を見て、少しずつ事態が飲み込めてきたシェリル。
少なくともアキトが隠していた内容を、自分に教えられなかった理由がわかった。
「舐められたものね……このシェリルをただで利用しようだなんて」
「しかし、上手い手だ。
大統領があれほど大々的に発表した後となれば、君もなんらかのコメントを市民に向けて出す必要性が出てくる。
慰安ツアーとして来ている以上、君は歌手であると同時に、ギャラクシーの親善大使でもあるのだからな」
「わかってるわよ。政府の思惑が別のところにあったとしても、ギャラクシーの救援には素直に感謝してる。
だから、今回は彼等の思惑に素直に乗ってやるわ。ギャラクシーのためですもの」
納得いかない点も多いが、先ほどまでのような不安はない。
政府や軍が、自分達を歯車の一つとして利用しようとしていたことはわかったし、それを知ることで少しでもアキトの負担を減らせられればとシェリルは考えていた。
実戦的な部分では力になれないかもしれないが、シェリルの名を出せば交渉や、政治的な部分でならアキトの助けになれるかも知れない。
シェリルはそう考えるが――
「余計なことは考えなくていい……だから、話したくなかったんだ」
「どう言う意味よ……」
当然、シェリルがそうした行動に出ることがわかっていたアキトは、このことを話す前に彼女に釘をさしていた。
だからと言って「はい、そうですか」と素直に納得できる彼女ではない。
不満たらたらと言った顔で、アキトを睨みつける。
「シェリル……君の仕事はなんだ?」
アキトのその質問に「それは卑怯だっ!」と叫ばずにはいられないシェリルだったが、言葉にだせない。
軍人の仕事が市民の命を守ることであるように、歌手の仕事は一つしかない。
「……歌うことよ」
「わかっているなら、君は君の舞台で戦え。
あの虫に歌は届かないかも知れないが、人の心には君の歌はきっと届く」
素直に直視できないほどの事実を目の前に突きつけられ、たくさんの人がその不安と恐怖に苛まれている事だろう。
こんな時だからこそ、戦うことしか出来ない自分とは違い、歌手であるシェリルにしか出来ないことがあるとアキトは思う。
伝説の歌手、リン・ミンメイのようにとは言わないが、落ち込んでいる人々に笑顔を、勇気を振り撒くことは、彼女の歌で十分できるはずだ。
「私も、お姉ちゃんの歌が聴きたい」
「……はあ、仕方ないわね。あ〜、もう、泣き言はなしよっ!!
アキト、一つだけ約束しなさい。何をするつもりなのかは知らないけど……絶対に生きて帰って来なさい。
ギャラクシーに帰るまで、あなたには私を守る責任があるのよっ!!」
「ああ、了解だ」
アキトの返事に満足したのか、シェリルは気持ちを切り替え、颯爽と立ち上がる。
そして、会見の時間を伝えに来たスタッフに、元気よく返事を返した。
「アキトの戦う場所が宇宙にあるように、私の戦場はステージの上にある。
アキトの言うとおり、歌うことが歌手である私の役目。だからアキト、あなたもあなたの役目をしっかりね。
それを果たさないで途中退場なんて、絶対に許さないから……っ!」
――――!!??
振り向き際、油断していたアキトの唇に、シェリルは自分の唇を重ねる。
動揺するアキトに、悪戯が成功したと言わんばかりに上機嫌のシェリル。
その場に取り残されていたラピスとグレイスも、シェリルのこの突然の行動には驚いた。
他に誰も見ていない密室だったからよかったものの、誰かに知れれば大きなスキャンダルになること間違い無しだ。
だが、悪びれた様子もなく、シェリルは満面の笑顔でアキトに答えた。
「銀河で一番よく効くおまじないよっ!」
銀河の妖精の祝福を受けた死神――。
そのなんとも珍妙な組み合わせに、アキトは運命の女神の悪戯を苦笑する。
そして、もう一人の金色の瞳を持つ妖精もまた、二人のそんな様子をみて、黒いわだかまりを抱いていた。
シェリルとグレイスが会見に出たのを見送った後、アキトとラピスは会場の脇でその様子を眺めていた。
だが、ラピスにしても今回のアキトの行動は不思議だった。
未だ、自分にすら何も知らされてなかったこともそうだが、ギャラクシーの状況を知ったアキトが政府の要請を蹴るばかりか、本当にギャラクシーの救出作戦に参加する気配を見せなかったからだ。
何だかんだ言ってはいても、こっそり出撃すると思っていたラピスは何か納得が行かない様子だった。
「アキト、どうするの? ……本当にこのまま何もしないの?」
「……そうだな。じゃあ、少し例え話をしようか?
たまたまあるポイントに大切な友人を迎えに行く用事があったとして、そこに邪魔をする虫がいたとする。
だとすると、それを駆除する殺虫剤はいると思わないか?」
「虫? 駆除? それって……まさか、そんなはず……オモイカネっ!!」
『スミマセン、ラピス。アキトノ命令デ、合流ポイントヲ変更シマシタ』
ラピスはその一言で全てを悟ってしまった。
アキトが何をしようとしているのかも、そしてこれからどうするつもりなのかも。
おそらくは、これだけ大規模な計画だ。アキトだけでなく、もう一人の妖精の名を持つ少女も関わっていると考えられた。
このことにより、先ほどのシェリルの件も尾を引いていたラピスは、完全に機嫌を損ねてしまっていた。
いつものラピスと違い、ハムスターのように頬を膨らませて、決してアキトの方を見ようとしない。
「ど、どうしたんだ? ラピス……」
「オモイカネとグルになって私を騙して……それにルリとも内緒で通じてたんだ」
「いや、ルリちゃんとはまだ話してないよ。これはプロスさんと……」
「それにお姉ちゃんとのさっきのキスだって……」
「いや、あれはシェリルが強引に……」
「…………」
疑わしいといった感じで、ジト目でアキトのことを見るラピス。
そして痛まれない気持ちで一杯になる、我らが勇者アキト。
ルリの件に関しては、アキトは一切、嘘を付いていなかったのだが、こうした時の説得力は男にはまったくない。
シェリルとのキスに関しても、アキトからはしていないとはいえ、キスをしたということが問題であって、この際、細かい事情なんてものは関係なかった。
純真無垢とも言えるラピスに、そんな眼で見られては、アキトといえど屈するしかない。
その戦いは、始まる前から決していたと言える。
「……ごめんなさい」
「じゃあ、抱っこ」
「え? ここでか? まだ、仕事があるし、帰ってからと言うことには……」
「抱っこ」
「…………」
とことんラピスに弱いアキトだった。
「まあ……」
「……何、してるの?」
会見の終わったシェリルとグレイスを待っていたのは、アキトにお姫様抱っこされ、上機嫌のラピスだったという。
「しっかし、シェリルも言うね〜。会見でまさか、あんな爆弾発言をするとは」
「ですね……これは軍も黙っていないですよ」
ミハエルとルカは、シェリルの出ている報道特番を見ながらその内容に驚きを隠せないでいた。
まさに、シェリルの会見は波乱の幕開けでもあった。
まず、シェリルが最初に会見で行ったのは、フロンティア政府と軍の決断による、ギャラクシーの救援活動に関する謝辞。
ここまでは、会見は終始、穏やかだったと言える。
だが、一人の記者が「そのことが原因でバジュラの目標が、こちらに向く可能性があるんじゃないか?」と、逃げ腰の発言をしたことで状況は一変した。
レオンの件や、政府や軍の対応、長いツアーの疲れも溜まっていたシェリルは、それを切っ掛けに遂にキレた。
すでにフロンティアもバジュラの標的にされているという事実や、二度に渡って避難警報が出される事となった事件を解決したのは軍ではなく、それに協力する民間人や企業なのだとまくし立てたのだ。
生放送だっただけに、これには見ていたレオンやキャサリンも驚きを隠せなかった。
民間軍事プロバイダーの存在自体は、すでに一般人の間でも広く浸透している。
だからと言って、新統合軍という組織がある以上、表立ってその功績を公開できるような組織でもない。
故に、その功績や手柄は軍の物となることが多く、今回の件に関しても、まさにその通りだった。
だが、シェリルが民間プロバイダーの活躍があったことを示唆したことにより、状況は一変する。
彼女の一言だけで、そこまで信憑性がでるものでもなかったが、そのことを知る関係者にとっては、このことが原因で軍の組織力の弱さが内外に露呈する可能性すらあったからだ。
自分達が命を預けている軍が、それほど頼りないとなれば、軍だけでなく政府への不信感も募ることとなる。
厄介な事に、シェリルの発言力というのはバカに出来たものではなかった。
彼女は若者を中心に大きな支持を得ている、ギャラクシーヒットチャートでも上位を占めるトップアーティストだ。
しかも、ギャラクシーの代表としてきている彼女には相当の発言力があった。
実際に、マスコミも彼女の話に食いつき、その裏を洗い始めていた。
一部の過激な若者達においては、軍施設や政府に、真実を伝えるように抗議活動を始める者まで現れ始めている。
そして最後の「今夜のライブは中止か?」と言う記者の質問に、シェリルはきっぱりと答えた。
「ライブはやるわっ! そして私は、私はギャラクシーに帰るっ!!」
少し強引とも言える彼女の行動は、暗いニュースで沈んでいた人々や、待ちわびていた彼女のファンを、幸いにも励ます結果となった。
皆が未知の敵に怯え、震えている時でも、シェリルだけは、銀河の妖精と称された彼女だけは諦めていない。
むしろ、いつも以上に輝いて見えるその妖精の姿は、人々に明るい話題と元気を振りまく切っ掛けとなった。
これに関してはレオンの思惑通りだったと言えるが、そこには少しばかりラピスによる情報操作も入っていた。
今回のことを事前に予期していたアキトには、シェリルのファンだけでなく、フロンティアの多くの人々にシェリル・ノームと言う人物を知ってもらおうと言う狙いがあったからだ。
それは、ギャラクシー襲撃の件がわかった時点で、計画の中にも組み込まれていた内容の一つだった。
ギャラクシーと言う後ろ盾をなくした彼女にとって、フロンティア市民の支持は身を守る上で、非常に大きな武器になると考えたからだ。
レオンは自分の計画のつもりが、いつの間にかアキトの計画の一部を担わされていたと知る由もなかった。
この会見は結果としては、不安に駆られた市民の暴動を抑える事には成功したと言える。
だが、政府や軍にとってはシェリルの余計な一言によって、マイナスのイメージを植え付けられた事の方がダメージが大きかった。
だからと言って、今回のことで彼女を責めれば、自分達でそれを認めているようなもので民衆からのイメージも更によくない。
結果としてレオンは、また利用しているつもりで嵌められたということになるのだろう。
執務室ではその報道番組が流されているテレビを見て、レオンが鬼のような形相で顔を歪めていた。
先ほどもハワードからの緊急コールがあり、今回の会見についての報告書と対策案を提出するように指示されたばかりだ。
同僚の秘書官からは「君らしくない失態だね」と冷ややかに嘲笑されもした。
更に問題を大きくしたのは、この報道がすでにギャラクシーネットワークを通じて、他の船団にも流されていたことだ。
フロンティア内の報道局は全て政府が抑えていたはずなのに、不可解極まりない事態だった。
こうなってしまっては、すぐさま事態に収拾をつけることは難しい。
幕僚本部からは再三、このことについての説明を要求する抗議文が届く始末だった。
どの船団の軍も、民間企業にその役目を追われ、厳しい時期に入っている。
その大変な時期に、この報道は屋台骨を揺るがしかねない失態になる。
「またか、またあの男の仕業なのかっ!!」
勢いよく机に拳を打ちつけ、件の人物に思い至り、悪態をつくレオン。
レオンにとって、テンカワ・アキトという存在は、ライバルや厄介な相手というのを通り越してまさに天敵。
苦手意識すら感じさせる相手となっていた。
だが、ここで退けるレオンでもない。彼は次の一手を必死になって考える。
ハワードに忠告されたにも関わらず、彼の陰謀は止まることを知らなかった。
「あれは不可抗力なんだがな……」
レオンの様子を探る為に回線に忍び込んでいたアキトは、その的外れとも言えるレオンの恨みの矛先になんとも言えない顔をしていた。
確かにシェリルのイメージアップをこの会見を利用して上げるつもりはあったが、彼女の政府や軍を攻撃した不用意な発言はアキトが指示したものではない。
むしろ、そんな組織に恨みを買いそうな行動を取ることをアキトが許可するわけも、要求するはずもなかった。
あの会見の後、グレイスとアキトの前に立ったシェリルは「ごめ〜ん、少し頭にきちゃって言い過ぎちゃった」と悪びれた様子もなく二人を困らせる始末。
挙句には「だって、あのマッシュルームみたいな頭をした親父に、私のいないところで好きなように言われて頭にきてたのよ」と、レオンのことを全面否定。
ラピスともども、この義姉妹の杯(スペシャル・トロピカルフルーツジュース)を飲み交わした姉妹は、レオンのことを相当に嫌っている様子だった。
「お姉ちゃんは悪くない」
「そうは言うがな……」
「悪くない。悪いのは、あの変態キノコ」
「はあ……わかったよ」
シェリルを庇うラピスに折れるアキト。
そして、「キノコ、キノコ」と称されるレオンに敵ながら同情の涙を禁じえなかった。
自分もラピスにキノコと呼ばれた日には、ショックの余り立ち直れないと思う。
まあ、彼の場合は趣味をとやかく言うつもりはないが、自分で格好良いと思っているその髪型に問題があるのだろう。
そんなレオンと付き合っているキャサリンの趣味も、決してよいものと言えなかった。
「ところでグレイス、これからのシェリルの仕事なんだが、ギャラクシーに帰るつもりだったんだ、何も決まってないんだろう?」
「そうですけど……珍しいですね? アキトくんからそんなことを聞いてくるなんて」
アキトは、シェリルの仕事に関しては特に口を出してくることはなかった。
それだけにグレイスも不思議に思う。
「ああ、これからフロンティアでしばらく生活する事になるかも知れないから、その間の君達の仕事に関して、紹介したい人達がいるんだ。
今後、軍からの要請もあるだろうが、そちらと合わせて検討してくれてもいい。
悪いようにはしないから、会って見てくれないか?」
「軍からの仕事なんて、こちらからお断りよ」
ライブ会場の控え室で、テレビを見ながら話を聞いていたシェリルが不機嫌に言う。
レオンの件でかなりご立腹の様子だった。結果として、軍は何もしないまま銀河の妖精≠ゥらも見捨てられたこととなる。
グレイスは溜息を吐きながらも仕方ないかと言った様子で、そんなシェリルを見て話を戻す。
「構いませんけど、それでその会わせたい人達とはどこに?」
「ライブが終われば会えるさ。今、こちらに向かっている」
「他の船団から来られると言うことですか? でも、それでしたらフロンティアでの仕事とは……」
フロンティアでの仕事を紹介すると言っているのに、他の船団から来る人物を紹介するというアキトがよくわからないグレイス。
娘々(ニャンニャン)やMBSなどの他の船団にも多くの支店、支社を持つ会社であればわかるが、基本的には各船団は独自の体系を維持していると言っていい。
政治にしても、社会にしても、縦や横の繋がりは確かに存在するが、船団ごとにその気質といったものは大きく違うのだ。
新統合政府の一部であるフロンティア政府然り、VFなどの開発で見られる兵器メーカー新星インダストリー然りだ。
「船団の外とは言っても少し趣きが違うんだけど……まあ、実際に会えばわかる」
アキトの言っていることがよく理解できないグレイスだったが、少なくともかなりの大物が来るということはわかった。
今更、アキトがどんな大物と知り合いであろうが、驚くことはないだろうと考えていたグレイスは、素直にその話を受けることを了承するのだった。
その頃、アルトはライブ会場をある人物を探して走り回っていた。
大統領の報道の後、SMSの隊員全員に発令された原隊復帰命令。それは入隊契約特例B項の発令を示していた。
SMSが主契約を結ぶ政府が、戦争、もしくはそれに準じる状態となった場合、命令拒否権及び期間終了までの脱退の自由を喪失する≠ニいった新統合軍に組み込まれる強制徴用にも似た内容だった。
言って見れば、この命令により、民間人でありながら彼等は軍人と同じだけの責務を背負うこととなったのだ。
だが、それはSMSに入ったときから、アルトも覚悟をしていたことだった。
むしろアルトにとっての問題は、そのことを知ったランカの気持ちだった。
偶然、ランカに電話をするオズマの会話を聞いたアルトは、ただ一言、ランカに会って、その一言を言う為に会場に足を運んできていた。
チケットは渡してある。ランカは必ずこの会場に来ているはずと、会場内を探す。
中はライブを待ちわびる大勢の客で賑わっていた。
そんな中で、ランカを探すのは砂粒掴むような難しさだが、出撃を控えているアルトにとっては時間もない。
先ほどからランカに電話してはいるが、出撃を控えた軍のECMの調整作業の影響か、それとも会場が混雑している為、電波状況が悪いのか、まったく繋がらない。
「まだ、チケットに書かれている席にもいなかったと言うことは外か?」
と会場の外を探し始めるアルト。
絶望的とも言える時間の中――ミハエルから、出撃を知らせる電話が鳴り響いた。
ランカはライブ会場に向けて走っていた。
大統領の声明を聞いた時はショックだった。
だが、それがあったからオズマが自分の芸能界入りを許可してくれたのだとわかった。
嬉しいと思っていたことが、夢が叶うところにようやく手が掛かるところに来たというのに、素直に喜べない自分がいた。
その後、オズマから掛かってきた電話で、オズマが、アルトが、ミハエルが、ルカが危険な任務についているということがわかった。
オズマは面と向かってそのことを言った訳ではないが、その状況が彼等が戦場におもむくことを示唆していた。
SMSにアルトが入ったときから、オズマがパイロットを続けているとわかった時から「いつかはこうなるのではないか?」という予感がランカにはあった。
だけど、それでも「この時期にどうして!?」という思いが彼女の頭に過ぎる。
どうしても、歌手にはなりたかった。シェリルのようになりたいと思った。
だけど、その夢を「こんなカタチで叶えたいと思ったんじゃない」そう、彼女は思う。
オズマが認めてくれたのは、最後かも知れないと心のどこかで思ったいたからに違いない。
皆が命をかけて戦っているのに、自分だけがその好意と優しさにただ甘えて、本当に夢を叶えていいのだろうか?
そんな想いを彼女は抱いていた。
「ランカ――っ!!」
アルトから貰ったチケットを握り締め、会場に行けばアルトに会える。
そんな気がして会場にきていたランカは、その自分を呼ぶ声に振り返る。
その声の先には、人が行き交う会場の真ん中で、空に向かって叫ぶアルトの姿があった。
「アルト……くん」
この人ごみの中、どこかでランカが聞いていると言う望みにかけてアルトは叫ぶ。
「オレは死なない、絶対に帰ってくるっ! 隊長も、ミハエルも、ルカもっ!!」
――怯えている女の子の一人や二人、オレが守ってやる≠ュらい、言えない訳?
あの時は言えなかった、だけど……今の自分ならと、アルトは自分を奮い立たせる。
そこに泣いている女の子がいるのなら、自分達のことで後ろめたさを感じて、夢に向かって進めないバカな女の子がいるなら、後を押すくらいのことはしてやりたい。
そう気付かせてくれたのは、他ならないその少女と、高慢な妖精の二人なのだ。
「守ってやるっ!! 全部とは大きく言えないが、お前が夢を叶えられる場所くらいは……
だから、歌えっ!! ランカっ!!!」
アルトのその声は、ランカの心を強く揺さぶった。
しょうもない嫉妬で悩んでいた自分がバカらしく思えるほど、彼が自分のことを気に掛けていてくれたことが伝わってくる。
嬉しさから涙が止まらない。そしてそれ以上に、歌いたいという気持ちで彼女の心は満たされていた。
ゼントラーディーのモールで歌ったことのことを思い出す。
あのときは歌うことが楽しくて、聴いて貰えることが嬉しくて、心が満たされていく自分を感じていた。
だけど許されるのなら、今この時だけは、あの宇宙の先――
戦いにおもむく大切な人達に、そして自分の為に叫んでくれたアルトの為に歌いたい。
願いとメッセージをその歌に込めて、ランカは歌い始める。
シェリルの歌を聴きに来たファン達のいるこの会場で、そこにいるたった一人の青年の為に――
たった一言。
――ありがとう。
と言う感謝をこめて。
その歌がアルトに届いたのかはわからない。人ごみに紛れ、アルトは姿を消していた。
だが、その歌は会場に来ていた多くの人々魅了した。
アカペラで始まった歌声は、近くにいた楽器を携えた若者を交え、大きな音の輪へと広がっていた。
それはまるで、これから始まる宴の前夜祭のような、そんな盛り上がりを見せる。
報告を聞いて、こっそり見に来ていたシェリルとアキトは、そのランカを見て苦笑をもらしていた。
「やられたわね……私のライブに来たお客さんを、あの子は飲んじゃった」
「前座としては十分と言ったところか?」
「これが前座? ……冗談」
そうこれは前座なんてものじゃない。
まさに彼女の独壇場、ランカの為のステージがそこに存在していた。
ランカに会った時から感じていたあの吸い込まれるような瞳、風の息吹を感じる澄み切った声。
シェリルは過去に、ギャラクシーを訪れた有名な歌手に会ったことがあるが、ランカはその歌手に負けないほどの魅力と才能を持っていた。
だからこそ、シェリルの直感が彼女は何かをしでかすと告げていた。
とは言っても、まさか、これほど早く成長して自分の前に姿を現すとは思わなかった。
ランカの歌には、人々を魅了する力がある。
身体の内側から発せられる風――それは、そよ風のように優しく、そして時には強風のように力強く、どこまでも魅了してやまない声。
そんな誰にでも持てない可能性と才能を、彼女は持っていた。
「これは彼女のライブ。――彼女はホンモノよ」
シェリルにとって、それは最高の賛辞。
ランカを歌い手と、ライバルと認めたが故の言葉だった。
「あ、しまった……」
会場を後にしたアルトは、ポケットに入れっぱなしにしていたシェリルのイヤリングを取り出す。
先日、シェリルに付き合わされて、このイヤリングを探していたとき、彼女は母親の形見だと言っていた。
だが、今から会場に戻って返していたのでは、出撃に間に合わない。
アルトはどうするべきか、少し考えた後、そのイヤリングを再びポケットにしまう。
シェリルはそのイヤリングを母親の形見というと共に、もう一つ大切な事をアルトに告げていた。
――それは幸運の御守りなのよ。
シェリルにとっては、それはまさに幸運の御守りだった。
彼女がそのイヤリングを大切にしていたのは、母の残してくれたその形見が、身寄りのない自分に残された唯一の物だったからと言うだけではない。
困った時や、辛い時、苦しい時に、そのイヤリングに願いをかけると、どんなに大変な事でも必ずよい方向に転がるという、それはおまじないの様なものだった。
ギャラクシーで誘拐された事件があったあの時も、いつものように肌身離さず付けていたイヤリングに祈りを込めた事により、アキトに出会うことができた。
それは単に偶然が重なっただけのことで、大した根拠があったわけじゃない。
しかし、シェリルにとってその石は、母の形見である以上に、
歌手への道を――
アキトとの出会いを――
幸運の切符を運んでくれた、どんな宝石よりも価値のある物だった。
その時は話半分だったアルトも、そのイヤリングのことを話すシェリルのことは印象深く残っていた。
それだけ、彼女がこのイヤリングを大切にしていたことがわかる。
できれば会場に戻って、シェリルにすぐに返してやりたいアルトだったが、時間もない。
それにせっかくなら、シェリルの言う幸運にあやかってみたいと言う気持ちがアルトに湧いていた。
そして、この決断が、後に彼の命を救う事となる。
その事を、この時の彼は知る由もなかった。
「約束のポイントに到着まで、あと一時間。ルリルリ〜、楽しみね。アキトくんに会えるの」
「……それよりもミナトさん、戦闘が予想されます。フォールドアウト予想宙域の警戒を怠らないで下さい」
「んもう、ツレないわね……」
「メグミさん、リョーコさん達は?」
「エステバリス隊は、すでにスタンバってますよ。リョーコさんは、早くやらせろって騒いでます」
「あはは……リョーコちゃんらしいわね」
ナデシコMはアキトとの合流ポイントに向けて超長距離の連続フォールドを続けていた。
規格外とも言える速度で連続フォールド航行を続けるナデシコM。
クォーター級という大きさにも関わらず、大したチャージ時間も労せずフォールド航行を続けられるその船は、他の戦艦と比べても類を見ないほど異常なものだった。
それを可能としたのは、この世界に持ち込んだ相転移エンジンと、OTMの塊とも言える熱核反応システムをリンクさせた独自の動力炉と、撫子商会が開発した次世代のエネルギー循環システムによるところが大きかった。
そもそも、マクロスの世界でOTMと称されるプロトカルチャーに由来した技術も、ナデシコの世界でいう遺跡に由来した技術も、その世界の文明レベルにはそぐわない、オーバーテクノロジーと呼称してよいほど大きな物だった。
これら、どちらの世界にも言えることは、その技術はあくまで借り物であるということだ。
そして、皮肉にも、彼女達はそのオーバーテクノロジーの産物、ネルガル重工最新鋭艦ナデシコCと共に飛ばされることとなる。
多くの優秀なスタッフ、そしてボソンジャンプに由来するオーバーテクノロジーの第一人者イネス・フレサンジュ博士を乗せたまま消えたナデシコCは、まさに未知の知識と技術を内包した箱舟だった。
これがマクロスの世界において、大きな技術革新をもたらす結果へと繋がっていた。
二つの世界の技術を上手く利用することによって、生み出された数々の新技術、そして見たこともない新製品。
それらは撫子商会を大きくすると共に、技術開発部主任イネス・フレサンジュ、そして撫子商会の初代会長兼、同じく技術開発部所属の才媛、電子の妖精≠アとホシノ・ルリの名を売り込む結果へと繋がっていた。
他にも、その手腕からも呼び声が高い、商会の懐刀、交渉人≠アとプロスペクター。
そしてVFに代わる次世代の高機動汎用兵器として呼び声高い、エステバリスなどの兵器開発主任ウリバタケ・セイヤ。
撫子商会の本拠地、超長距離移動商業船団撫子船団≠フ艦長兼、その操舵、管制を一手に担っている言う弱冠十五歳の天才少年、マキビ・ハリ。
他にも、他の追随を許さない優秀なパイロットを多く抱える他、ギャラクシーヒットチャートでも上位を占める多くのアーティストを抱えていることでも、軍、民間と問わず広く知られ、今では銀河有数の巨大複合企業にまで成長し、政府ならず、多くの企業人からも脚光を浴びていた。
銀河の妖精≠知らないものがいないとまで言われるように、撫子商会もまた、マクロスで暮らす人々にとっては畏敬の存在として広く認知されていた。
「今回の件……思っていた以上に複雑かも知れません」
アキトとラピスが調べた情報、そして商会で調べた情報を元に導かれた答えは、政府や軍だけでなく、複数の企業がこのバジュラの件を注視し、そして動いているということにあった。
その渦の中に、襲撃を受け、今も行方知れずとなっているマクロスギャラクシーや、フロンティアがいることはまず間違いない。
そして、ユーチャリスから送られてきた写真の女性を見て、ルリのその金色の瞳が揺れる。
「……グレイス・オコナー」
フロンティアで待つその女性が、どんな鍵を握っているのかはまだわからない。
だが、今は目の前に待つ脅威を排除することに集中しよう。
そう、気持ちを切り替える若き妖精の姿がそこにあった。
バジュラ、新統合軍、SMS、ナデシコM、そして死神の名を持つ男……。
様々な思惑を孕んだまま、銀河の運命をかけた戦いが幕を開けようとしていた。
……TO BE CONTINUED
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