【Side:太老】
俺がこっちの世界に来て、そろそろ一年が経とうとしている。
ラシャラが帰国して、あれから三ヶ月余り。正木商会も当初の予想を大きく超えて、急速な成長を続けていた。
来年度から試験的に、ハヴォニワ、シトレイユの二国以外にも、支部を立ち上げていく計画が上がっており、益々持って俺の目論見からは大きく外れる結果となっている。
このままでいけば、『市場経済の裏側から世界を支配する大企業』と言ったように、某漫画やアニメでありがちの展開に発展しかねないと、冗談としては笑えない想像が俺の頭を過ぎり始めていた。
これと言うのも、マリアとフローラ、それにラシャラの三人が、商会のためにあれこれ≠ニ手を尽くしてくれていることが大きな要因にあった。
「マリアちゃん、頑張ってくれるのは嬉しいんだけど、無理だけはしないでね?
程々≠ナいいからね。程々≠ナ。もっと、ゆっくり休みながらやってくれてもいいんだよ?」
「タロウさん……私の体を気遣ってくれるのですね」
「そう! だから、ね? ちょっとは手を抜いて――」
「ご心配なく。そのお心遣いだけで、私は胸が一杯ですわ。
タロウさんが頑張っておられるのに、私だけ楽をする訳にはまいりませんから」
どう見積もっても、マリアは俺の三倍は働いてる。色々な意味で、ちゃんと休んで欲しいのだが話を聞き入れてくれない。
こんな風に何を言っても、俺の言葉はマリアの耳に届かない状態が、ずっと繰り返されていた。
思い込みの激しい子だとは知っていたが、こんなところに落とし穴があろうとは完全に予想外だった。
マリアだけではない。ラシャラとフローラも、何故か妙に張り切っていて、俺の話など聞いてくれる様子ではなかった。
こうして、正木商会は成長を続けている。
マリア達はこの調子だし、俺も彼女達ほどではないが仕事が忙しい。
と言うのも、仮にも商会の代表だ。俺だけが仕事をサボって楽をするようなことは出来ない。
ありがた迷惑とは言っても、一生懸命に働いてくれているマリア達や、そして商会で働く職員達にも示しがつかないだろう。
すべてに納得がいっている訳ではないが、自分の我が侭で周囲に迷惑を掛けるような真似だけはしたくはなかった。
それに、子供達に、そのことで嫌な思いをさせたり、失望されることが一番怖かったと言うのもある。
結局のところ、今の生活はそれなりに気に入っているので、失いたくはないだけだ。
慕われている分、マリアやラシャラに嫌われるのは辛い。だから、今の生活を守るために、俺は手を抜かず懸命に働く。
当初の目的、『より住みよい世界に』についても、今の仕事を続けることは理に叶っているので、そう言う意味でも頑張ることが出来た。
異世界の伝道師 第24話『姫君の心配』
作者 193
今の俺の生活環境だが、執務室兼、自室のような状態になっている。
毎日のように皇宮からこちらに出向くのも面倒臭いので、商会の一室に住処を移して今は生活している訳だ。
皇宮の無駄に広く豪勢な部屋に比べれば、小さく小汚い部屋ではあるかも知れないが、小ぢんまりとしていた方が俺としては使いやすく住みやすい。
以前とは比較にならないほど裕福になったはいいが、俺の貧乏性はずっと変わらない。
多少、金持ちになった程度で、今後もそれは変わることはないだろう。
所謂、それは俺のアイデンティティ≠フようなものだ。
俺の目的だって、そもそもはそう言う生活が嫌で、計画したところが大きい。
根っから、考え方が庶民なのだろう。骨身に染み付いた生活スタイルと言うのは、そう簡単に抜けきらない。
使用人のたくさんいる大きな屋敷に住んで、毎日フルコースのような豪勢な食事を取って、寸法のピッタリしたオーダーメイドの洋服に袖を通すような生活は、息が詰まって仕方がない。
小さい家でも不便が無ければそれでいい。
食事は美味しいに越したことはないが、たまにはインスタント食品のようなチープな物だって食いたくない。
毎日が豪勢な食事では、有り難味も何もない。それでは、すぐに飽きるだけだ。
それに、洋服もあまり自分にあったピッタリしたものばかりだと、背中がむず痒くなる。
皇宮での生活が肌に合わないと思った原因の大半はそこだ。
別に生活に不自由がある訳ではないのだが、どうしても俺の肌には合わなかった。
「マリアちゃん、農業地の開拓の件はどうなってる?」
「仕事にあぶれていた人達を雇い入れて進めてもらっていますわ。しかし、本当にあれでよかったんですの?」
「ああ、土地を遊ばせておくのも勿体無いし、農地開拓なんて投資費用もバカにならない。一朝一夕に出来るものでもないしね」
マリアに頼んでいた新規事業の進行具合を説明してもらう。
これは、どうにかあの土地≠フ有効活用が出来ないかと模索し、密かに手を打っていたものの一つだ。
俺がやったのはフローラから頂戴した領地≠、働きたいと言う奴等に無税≠ナ解放してやっただけだった。
せっかく自由に出来る土地があるのに、無駄に遊ばせておくことほど勿体無いことはない。
商人達に、職にあぶれ困っていた彼等を雇い入れることで、領地に掛かる税をなしにしてやると話を持ちかけると飛びついてきた。
国が定めている法令の税は、三割ほどと言ったところだが、どこの領主も農地の広さや収穫高に応じて税金を上乗せし、領地の管理費などに回している。国から支給されている給金だけでは、とてもではないが屋敷や領地の維持など出来ないからだ。
しかし、それだけならば生活に必要なものだと言う事で領民も納得が行くだろう。治水工事や、街道整備など、生活に必要となる公共事業は少なくない。
だが、酷い貴族などは三割だった税を六割、七割と言った具合に引き上げ、過剰分を自分の懐に入れていると言う話がある。
実際、それは何処の国でも、国の目を盗んで日常的に行われていることで、そうした利益は貴族達の既得権益となっているため、なかなかに改善されることが少ない。
そこで俺は、国税以外の税をすべて無しにしてやることで、商人達に働きかけ、農業地の開拓をさせ始めた。
当然、農業地の新規開拓には莫大な費用が掛かるのだが、それは彼等と折半することで話をつけ、その代わりに取れた農作物に関しては一定の価格と需要を保証してやることで、一手に正木商会が買取ることで話をつけた。
運び込まれた農作物は、商会独自の流通ルートを経て、傘下の各支店に送られる。
当然、仲介となる業者を一切通していないので、仕入れ価格をある程度上乗せしてやったところで安く済む。
それに、彼等を雇い入れている商人を含め、すべてこちら側で監督、管理している以上、収益の殆どは市場と言うサイクルを経て、自動的に商会に還元されることになる。
最初は投資額の方がどうしても勝ってしまうが、長いサイクルで見た場合、無税にすることにより得をすることの方が大きい。
こちらが負担することになる領地の維持費などを計算に入れても、十分に黒字に転ずることが可能だった。
こちらとしても、事業の大幅な拡大を行っている今、これからも大量の農作物や資材が必要となってくるので、今後のことを考えれば、ここで手を打っておくのは悪いことじゃない。
仕事があれば人が集まる。そうすれば、開拓もより速く進み、資金を回収するのもそれだけ早くなる。
「それに、どうせ税を取るなら無いところから取るより、皮下脂肪の無駄に多い連中から搾り取る方が経済的だよ」
「……そう言うところは、タロウさんらしいですわね」
損得云々を抜きにしても、知れば知るほど、腐った貴族連中のやり方が気に食わないと言うのが本音だった。
◆
【Side:マリア】
タロウさんはいつも、私の体を気遣って休むように注意してくれる。
そうして、彼に想われていると言うのは嬉しいが、そんな彼の優しさに甘えてばかりではいられない。
現在、商会は飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長を遂げている。
そのため、支部はもちろんだが、それを統括する本部は更に忙しい毎日を送っていた。
彼も皇宮にも戻らず、本部にずっと泊り込みの毎日を送っている。
それほど、彼が仕事に打ち込んでいると言うのに、どうしてわたしくしだけが休めるだろう。
むしろ心配なのは、彼の体の方だ。一度、ちゃんと休んで欲しいと進言したことがあるのだが――
「大丈夫。ここでも十分に休めてるから」
などと言って、聞き入れてはくれなかった。
十分に休めているなどと嘘に違いない。こんなに埃っぽく狭い部屋で、十分に休息が取れるはずもない。
仕事で使う資料や、仮眠に使ったのであろう毛布なども散乱し、片付けや、掃除も忙しさからか行き届いていないようだ。
とても、人が生活をするような環境ではない。
おそらくは寝る間も惜しんで、深夜もここで仕事をされているのだろう。
しかし、彼はそんな現状に愚痴一つ溢さず、熱心に仕事に打ち込んでいた。
それと言うのも、やはり商会を少しでも早く大きくしたいと考えているからに違いない。
『より住みよい世界に』
あの時の彼の決意の言葉は、ずっと私の胸の中に残っていた。
そして、それを一日でも早く叶えたいと考えているのだろうと、私は彼の心情を察する。
私達が不甲斐ないばかりに、彼にばかり負担を掛けてしまっていることが悔やまれてならなかった。
しかし、そうは思っていても、彼の発想はやはり素晴らしい。
「どうせ税を取るなら無いところから取るより、皮下脂肪の無駄に多い連中から搾り取る方が経済的だよ」
正木商会に、ある意味で今一番、金を落としてくれているのは、その金に目がくらんだ商人≠竍貴族£Bだ。
この急成長の波に乗り遅れてはならないと、今や商人も貴族も、皆が躍起になって市場に睨みを利かせている。
少しでも美味い話があれば、我先にと飛びついてくる連中ばかりだ。
そして、そんな彼等を上手く利用してやることで、市場に大きな金が回り始める。
今を生きるため、生活を良くするためにと、税の安い方に人心は動く。
少しでも豊かな生活を求め、能力を活かせる場にと、優秀な人材は正木商会の門を叩く。
目先の大金に目を奪われ、自分達の既得権益≠ェ知らず知らずの間に傷つけられていることを、彼等≠ヘ気が付いていなかった。
【Side out】
【Side:太老】
マリアがずっと感心した様子で、こちらの話を聞いて、しきりに頷いている。
さっきの農業地開拓の件も、そんなに凄い案でもなんでもないと思うのだが、どこか気になるところでもあったのだろうか?
しかし、マリアは本当に優秀だ。商会の運営の殆どは、実はフローラとマリア、それにラシャラの三人が切り盛りしていると言う背景がある。
俺の補佐であるマリアに至っては、本部の運営を一手に引き受けてくれているので、俺も随分と楽をさせてもらっていた。
本当はもっと手伝いたいのだが、マリアの方が仕事が実に早いのだ。
それに、俺が手伝おうと声を掛けても、頑なに断られる始末。おそらくは、頼りにならない俺に仕事を任せるよりも、自分でやった方が早いと思われているのだろう。
面と向かってそう言わないのは、マリアなりの気遣いだと俺は考えていた。
これでは、どちらが商会の代表なのか分からない。実務的なレベルの話では、俺は間違いなくマリアの方が上だと思う。
いっそ、子供でなければ、マリアに代表の座を譲っても、誰からも文句はでないだろう。
もっとも、本人が了承してくれるかどうかは話が別だ。
やはりハヴォニワの王女さまが、商会の代表と言うのは対外的にも問題だろうし、表向きはこうして俺が商会の代表を続けることが一番よいスタンスなのかも知れない。
しかし、マリアとフローラがいれば、後、一年ほどで、ハヴォニワの市場経済を完全に掌握できる気がしてならない。
シトレイユもラシャラがいれば、時間の問題な気がするのは、果たして、俺の気のせいだろうか?
「タロウさん、頑張って商会を盛り立てましょうね!」
「そ……そうだね」
マリアのやる気に満ちた表情を見ていると、その未来も決して遠くない気がしてならなかった。
【Side out】
【Side:ラシャラ】
シトレイユ支部の方も順調に軌道に乗り、一安心と言ったところじゃ。じゃが、これで満足する訳にはいかない。
太老が本部で寝泊りをするほど、熱心に仕事に取り組んでいると言う噂は、支部の方にまで聞こえてきていた。
皆、その話を聞いて、この程度のことで満足などしていられないと思ったのじゃろう。
その噂が広まった翌朝から、気を引き締め直す思いで、更に熱心に仕事に打ち込む職員の姿があった。
ここ、遠く離れた支部の人間にも影響を与えるとは、さすがは太老じゃ。
じゃが、余り無理をしてなければよいのじゃが……それだけが我には気掛かりでならなかった。
マリアがついているとは言っても、素直にその言葉に従う太老とは思えぬ。
きっと今も、他人のために身を削る覚悟で、仕事に打ち込んでおるのじゃろう。
「ラシャラ様、太老様の支部視察の件ですが――」
「うむ。本部の方からは、なんと言ってきておる?」
「そのことでマリア様からお話があると、こちらに通信が入っております」
「……なんじゃと?」
アンジェラの報告に我は眉をひそめる。こちら同様、向こうも相当に忙しいはずじゃ。
だから、文書での返答でもよいと言っておいたのじゃが、まさかマリアが直々に連絡してくるとは……。
太老のシトレイユ訪問に関しては、こちら側としてもちゃんとした理由がある。
太老と約束したからと言うのもあるが、支部の者達とも一度は顔合わせをさせておきたいと言うのが一つ。
こちらで登用した人材の多くは、代表の顔を間接的にしか知らぬ。
皆、太老に直接会いたがっておったし、支部の結束力を高める意味でも、太老の視察は良い活性剤になると考えたからじゃ。
そしてもう一つ、年始の式典でも顔を見ることが出来なかったがために、父皇が随分と太老に会いたがっておったことじゃ。
正直、我も顔を合わす度にせっつかれておって、ほとほと困り果てておった。
一度、会わせれば納得もするじゃろうし、太老には是が非でも会って貰わねば我が困ると言うのも理由にあった。
「なんじゃ? 御主から連絡してくるとは珍しいではないか」
『ラシャラさん、タロウさんのことなのですが……』
「む……」
ここでいつものマリアなら、我の言葉に反応して憎まれ口の一つでも叩いてくるところじゃが、どうにも様子がおかしい。
何時になく、しおらしいマリアを見て、我も只事ではない気配を感じ取った。
「そうか……太老がの」
『ですから、シトレイユへの出張を口実にして、タロウさんには休養を取って頂きたいのです』
マリアの話を聞いて、何故、マリアが直々に連絡をしてきたのかを我は理解した。
太老が周囲が止めるのも聞かず、仕事に打ち込んでおるとは話に聞いておったが、まさかそこまで酷い状態だったとは……。
マリアが心配するのも無理はないじゃろ。
我とて、太老のその状態を見ておれば、きっと同じことを考えていたに違いない。
ここは、よく知らせてくれたとマリアに感謝するべきところやもしれぬな。
父皇には悪いが、最悪の場合は太老の休養を優先させ、予定はすべてキャンセルする方向で行くしかあるまい。
多少、我が困ることになるやもしれぬが、太老のことを思えばそのくらいの苦労、たいしたことではない。
「マリア、よく知らせてくれた。こちらの準備は万事任せておくがよい」
『ラシャラさん……感謝致しますわ』
ここまで素直に頭を下げ、礼を言ったマリアを見たのは、初めてのことではないじゃろうか?
それだけに、事態の深刻さが痛いほどに分かるようじゃった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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