【Side:太老】
お知らせがあります。俺はあの地獄にも等しい苦行に、どうにか耐え切ることが出来ました。
試練の四日間を耐え切った自分を褒めてやりたい。最初のユキネにしろ、後のマリアにしろ、まったく遠慮がなかった。
こんなに四日間が長いものだったとは知らなかった。もう、何年も山篭りしていた気分だ。
「外の空気は美味しいな」
ああ、自由って素晴らしい。心の底から、そう思う。
どうにか、マリアとユキネの許可を貰えたので、俺は久し振りに仕事をしようと自室に戻った。
気持ちを切り替えて、真面目に仕事に取り組もうと決意したのは嘘ではない。
それに、ああしたことがあった後だと言うのに、何もしないと言うのはさすがに気が引けると言うのもあった。
しかし、あれほど山積みになっていた書類がすべて片付いていたことで、手持ち無沙汰になってしまっていた。
仕方ないので、誰かに仕事を分けて貰おうと、忙しそうにしている奴を片っ端から探しているところだったりする。
気持ちを一新して、今は仕事に打ち込みたい気分で胸が一杯だったからだ。
「え? 仕事がない?」
「は、はい、申し訳ありません。それでは、し、失礼します」
何か、ずっとこの調子なのだ。
誰かの仕事を手伝おうと声を掛けると、何故か皆、口を揃えて『仕事がない』と言う。
先日まで、猫の手も借りたいほどに忙しかったと言うのに、俺が苦行に耐えている間に何かあったと言うのか?
「まさか……本当に仕事がないのか? だとしたら」
スケートにファーストフード、どちらも飽きられたのかも知れないと俺は考えた。
有り得る話だ。今までは、その人気と流行に後押しされて、ここまで急速に成長することが出来たが、人の心は移ろいやすい。
と、言う事は、ブームが過ぎ去ったと言う事なのだろう。商会の仕事が暇になるはずだ。
なら、どうするべきか? ここで終わらせてしまうのは、頑張っているマリアや皆に申し訳ない。
それに、今の商会は多くの職員の生活を預かる立場にある。
ここで商会が潰れてしまえば、彼等は職を失い、路頭に迷うことになるだろう。
『おじさん、いつも公園で何をしてるの?』
『……鳥を見て、羨んでいるのさ。私の翼≠ヘもう折れてしまっているからね』
公園のベンチで、鳥を相手に黄昏るおじさん≠増やしてしまうのは心苦しい。
更には夫婦仲が悪化して、家庭崩壊なんてことも十分に有り得る話だ。
早まって自殺を考える人も出てくるかも知れない。
突然、職を失うことの怖さは、あっちの世界で嫌と言うほど知っている。
「な、何とかしないと!」
さすがにそうなってからでは寝覚めが悪い。俺は焦っていた。
しかし、どうする? 飽きられているのであれば、似たようなものではダメだ。
出来れば一時的なブームに影響されず、長く人々に愛されるもの。より生活に密着したものの方がいいのかも知れない。
「そうか! あれなら!」
現代人の味方。今となってはあれ≠ェない生活なんて考えられない。
「そうと決まれば、早速、企画書を作らないと――」
俺は駆け足で自室へと戻る。
皆を決して路頭になど迷わせない。その強い決意を胸に秘めて――
異世界の伝道師 第29話『正木マート』
作者 193
【Side:マリア】
また、タロウさんが何かを始めた様子。
皆には、可能な限り彼に仕事を回さないようにお願いしておいた。そうすれば、少しは彼も楽が出来るだろうと思ったからだ。
しかし、やはりその考えは甘かったようだ。また、何かを思いついたようで、自室に篭もって何か仕事に取り組んでいる。
『相変わらずのようじゃな。太老は』
「まったくですわ……ラシャラさんからも、一言お願いします」
今、私はラシャラさんと、そのことで通信をとっていた。
本当なら一週間は療養して欲しかったくらいなのに、彼の強い希望でそれは叶わなかった。
病み上がりなのだから、本当は余り無理などして欲しくはないのだが、それを言っても彼は聞いてはくれないだろう。
取り敢えず、皆にも前のようなことがないように、注意して気に掛けておいてもらうことにする。
『まあ、言って聞くような男ではないと思うがな。ところで同盟≠フ件じゃが』
「はい」
『御主は本当にそれで構わぬのか?』
構わないかと問われれば、全然嫌な気がしないわけじゃない。
どうせなら彼を独り占めしたいとは思っている。しかし、それではずっと彼は振り向いてくれない。それは予感ではなく確信だ。
だからこその解決案。自分の幸せは当然願っているが、彼にも幸せになってもらいたい。
結婚がすべてだと言う気はないが、誰にも頼らず孤独に生きていくなんて悲しすぎる。
彼にはそんな生き方をして欲しくない。これは、私の我が侭でもあった。
「ええ、ラシャラさんも分かっておられるのでしょ? タロウさんなら、何と仰るか」
『そうじゃな……太老はそういう奴じゃ』
「それでは……」
『うむ、その話、受けよう。どの道、シトレイユにいる我では色々と不利じゃしな。
保険を打って置くに越したことはないじゃろ』
「ラシャラさん!?」
『ハハハ、じゃあの。余り浮かれて、シトレイユ支部視察の件も忘れるでないぞ』
そう、私に釘を刺し、通信を一方的に切るラシャラさん。
まったく、あの方は、こう言うところはお母様とよく似ている。しかし、彼女の言うように、シトレイユ支部視察の件があった。
タロウさんが倒れたりと色々とあったので、頭から抜け落ちていたが、そもそもアレは彼を療養させるために仕組んだ出張だ。
言っても聞かないのであれば、強引にでも休まざる得ない状況に持って行くしかないだろう。
「日程を上手く調整しなくてはいけませんわね」
すぐにと言う訳にはいかない。私とタロウさんにも仕事があるからだ。
それに、彼は何か一つの物事に集中すると、それが落ち着くまで周囲の話を聞いてはくれない。
取り敢えずはこちらの予定を消化しつつ、彼の行動待ちと言う事になるだろう。
彼のことだ。何かを始めたと言う事は、数日以内に何らかの行動を取る筈だ。
「歯痒いですけど、待つしかないのなら、彼を信じて待ちましょう」
彼を心配しているのは本当だったが、次は何を見せてくれるのかと言う期待感≠熨蛯ォかった。
【Side out】
【Side:ユキネ】
太老が部屋に引き篭もったままになって、すでに三日目になる。
食事は取っているようだが、また無茶をしていることは間違いない。
部屋から、ずっと出て来ないくらい仕事に集中するなんて、太老らしいと言えば太老らしいが……。
いずれにしても、そろそろ止めるべきだと私は思った。マリア様も、そのことを随分と気にしている様子だったし、仕事を取り上げることは出来ないまでも、少しは手を休めさせるべきだと私は考える。
このままだと、また前のようになってしまう可能性が高いからだ。
「太老――」
コンコンと部屋を少し強めにノックする。仕事に集中している時の彼なら、このくらいでも気付かないだろうからだ。
返事がないので扉を開けて部屋に入ってみると、案の定、机に噛り付いて何か黙々と作業をしている太老の姿があった。
「……太老、いい加減に」
何度呼びかけても反応がない。それだけ、手元の作業に集中しているのだろう。
どうやら、何かの企画書を作っているようだ。
マリア様が、また何か新しいことを始めたようだと仰っていたので、おそらくはそれ関連の何かだと推測する。
私は気付いてもらうため、もっと近くで声を掛けようと太老に近寄る。
「正木マート事業計画書?」
私は、ふと目に入った、無造作に机の上に置かれていた書類の文字を読み上げた。
正木マート? 一体なんのことだろうか?
太老のことだから、新しい商売の方法を思いついたのかも知れない。
何はともあれ、まずは太老をこちらに振り向かせないと――
「太老――っ!」
「――痛ぅ! ユ、ユキネさん!?」
傍まで寄って、太老の耳元で大声で叫ぶと、やっとこちらのことに気付いた彼が、困惑した表情でこちらのことを見ていた。
仕事の手を止めさせるだけでも一苦労だ。
「何度、呼んでも返事がなかったから……」
「あ……そうなんだ。ごめん」
本当に申し訳なさそうな顔をして謝る太老。そんなつもりではなかったので、少し気が引ける。
しかし、どうやら仕事の方も一段落したところだったらしい。タイミングは悪くなかったようだ。
「これ、軽くまとめた草案なんだけど、どう思う?」
そう言って、太老に手渡された書類に目を通す。
どうやら、先程目にした『正木マート』についてまとめた資料のようだ。
草案とは言っていたが、実によくまとめられている。太老らしい斬新なアイデアが盛り込まれた、目新しい商売方法だった。
「この、二十四時間と言うのは?」
「そのまんま。朝も夜も、丸一日ずっと開けてる。それも基本的には年中無休で」
そんな、型破りな店をやろうと言うのか? 相変わらず、発想が凡人とは違う。
それでは店で働く者の体がもたないと指摘すると、三交代、もしくは四交代に時間を割り振って、交代で店を見るようにするらしい。
給金も日当制≠ナはなく時間給≠ニ言うものにし、半刻ごとに給金が付くシステムにするのだとか。
そうして、時間交代制にすることで、より多く必要になる人件費を抑えようと言う考えのようだ。
それにこれなら、何らかの事情で長時間働けない者でも、時間を調整することで仕事に就くことが可能になる。
おそらくは、そうしたところも狙っての計画なのだろう。
それに二十四時間と言うのは盲点ではあったが、意外と良い手のように思える。
この商会で働く職員もそうだが、街の至るところで、夜遅くまで、下手をすれば明け方まで働いている労働者は多くいる。
その理由は、ここ最近、急速に進み始めているハヴォニワの開拓事業のせいだ。
太老の領などは、その中でも最も代表すべきもので、ここ一ヶ月で辺境の未開拓地だったとは思えないほどの活気を見せ始めている。
領民税を無税にしたことで急速に人が増え、農地開拓などの事業が好調に進んでいるためだ。
そのため、深夜遅くまで作業をする者も多くいるのだが、夜遅くと言うと酒場のような場所しか開いていない。
夜食を取ろうと思っても持参するか、そうした酒場で食事を取るしか方法がなく、市場も空いていないので、ちょっとした物も手に入り辛い。
それに酒場で食事と言うのは男性ならばいいが、女性は意外と利用し辛いものだ。特に女性だけならば余計だ。
ここ最近では、そうした開拓事業に男性だけでなく女性の労働者も多く増えている。
そうした女性達には、少し不便な思いを強いられていた。
この正木マートは、どうやら色々な物を取り扱った雑貨店のようなものらしい。
お弁当や飲み物、小規模な設備でも可能な、揚げ物などの惣菜を始め、日用雑貨なども取り扱うようだ。
小さな市場≠ニ言ったところだろうか? 確かにこれは便利だ。
凝ったものや専門的なものは取り扱ってはいないが、利便性という点では、これ以上の店は他にないだろう。
「太老、これは凄いです」
「お! いけると思う? やっぱり、コンビニ≠ェあるのとないのとでは、全然違うからな」
「これは、コンビニと言うの?」
「うん。正確にはコンビニエンスストア≠チて言うんだけどね。
それにほら、夜とかは街灯とか少なくて薄暗いところも多いじゃない。
こうした店があるのとないのとでは、治安の意味でも随分と違うと思うしね」
「――!?」
そこまでは頭が回らなかった。さすがは太老だ。
夜遅くまで働く女性のためにも、より安全を確保しておきたいと、街の治安にまで目を向けているに違いない。
これは画期的な案だ。ただの店と言うだけでなく、緊急の避難所、詰所のような役割を副次的に持たせる訳だ。
「太老、すぐにマリア様に、この話を持っていきましょう!」
「そこまでユキネが乗り気になるとは思わなかったよ」
彼もこの案には自信があったのだろう。自分の計画が褒められたことが嬉しかったようだ。
しかし、これは自信を持っていい。早速、マリア様に相談しなくては――
そうして、太老を休ませると言う当初の目的も忘れ、いつの間にか彼のペースに巻き込まれていた。
【Side out】
【Side:太老】
気付けば、ユキネが俺の耳元で大声で叫んでいた。
何やら俺を呼びに来てくれたようで、企画書を作るのに集中して無視してしまっていたようだ。悪いことをした。
時間もそろそろお昼だし、昼食に誘いに来てくれたのだろう。しかし、面白くなって一気に集中してやってしまった。
生活に密着したものと言う事で、俺の頭に真っ先に浮かんだのはコンビニ≠セった。
現代人の感覚かも知れないが、あれがあるのとないのとでは、全然生活の便利さが違う。
一度、慣れてしまうと、コンビニがないだけで随分と不便に感じるものだから不思議なものだ。
いつかはやりたいと思っていたことなので、一度取り組み始めると面白くて仕方なかった。そのため、三日も自室に閉じ篭って企画書をまとめてしまったくらいだ。
どんな商品を取り扱うか? とか、考えるだけでも結構楽しい。
この機会にくじ≠竍食玩≠ネんかもやってみてもいいかも知れないと考えていた。
夢は膨らむ。コンビニならば大抵の物は取り扱えるし、色々と試し見るのもいいだろう。
取り敢えず俺の感覚が、この世界の人々に素直に受け入れられるのかどうかだけが分からないので、ユキネに意見を聞いてみることにする。
これが駄目だと言われると結構ショックなのだが、現代人の俺からすると馴染みのある便利なものだが、彼女達にそれが合うとは限らない。
目的の一つに、職員を路頭に迷わせないために商会の建て直しをすると言うのも入っているので、無茶なことは出来ない。
タクドナルドのように、俺の自腹と趣味で始めたことなら問題はないだろうが、今は多くの職員を抱える身だ。
出来るだけ失敗を起こさないためにも、一人で行動を起こすのではなく、綿密なリサーチをしておくべきだろう。
「この、二十四時間と言うのは?」
「そのまんま。朝も夜も、丸一日ずっと開けてる。それも基本的には年中無休で」
コンビニと言えば二十四時間が定番だ。地方などは深夜開いてないところもあるらしいが、基本的にコンビニは年中無休、二十四時間開いているものだと俺は思っている。
でなければ、コンビニの持ち味である利便性が失われてしまうことになる。
徹夜でゲームや、深夜アニメとか見ていた後に、ちょっと小腹が空いて何か欲しいと思った時でも、コンビニがあれば安心できる。
年末年始など店が開いてない時でも、コンビニにいけば大抵の物は手に入る。雑煮や御節とかに飽きた時に、あのチープなフライ製品とかが意外と心をくすぐるのだ。
「太老、これは凄いです」
「お! いけると思う? やっぱり、コンビニ≠ェあるのとないのとでは、全然違うからな」
ユキネも気に入ってくれたようだ。やはり、あるのとないのとでは違うものな。
企画書を見て、ユキネもコンビニが如何に便利なものかを悟ったのだろう。
「これは、コンビニと言うの?」
「うん。正確にはコンビニエンスストア≠チて言うんだけどね。
それにほら、夜とかは街灯とか少なくて薄暗いところも多いじゃない。
こうした店があるのとないのとでは、治安の意味でも随分と違うと思うしね」
一時期、そう言う側面があるとかどうのでコンビニの二十四時間運営を擁護するか、環境保全を目的する観点から否定するかで揉めていたことがあった。
しかし、俺もコンビニが二十四時間でないと困る派なので、コンビニが二十四時間でなくなるのは困る。
それに防犯の意味合いがあると言うのも、完全に否定は出来ない。開いている店がある、人がいると言うだけでも安心感があるのは確かだ。
誰かに目撃される可能性があると思わせるだけでも、犯罪というのは起こり難くなる。
「太老、すぐにマリア様に、この話を持っていきましょう!」
「そこまでユキネが乗り気になるとは思わなかったよ」
ユキネは随分と気に入ってくれたようだった。
確かに便利だものな。こんなのがあったら利用してみたいと思う気持ちは、俺にも良く分かる。
それに、正木マートがオープンしたら、また俺の理想にも一歩近付く。
後は、この企画がマリアに認められ、成功することを祈るばかりだった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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