【Side:太老】
「……え?」
「ですから、領地運営に関する報告書と資料をまとめ終わりましたと」
マリエルから手渡された報告書に目をやる。
無駄なく綺麗に、バインダー十冊程に上手くまとめられた文句のない報告書だった。
資料の方も開拓済みの領地の総面積から、そこに住む領民の数、そして現在の農作物の収穫高や公爵が保有していた財産の詳細まで、事細かに書かれている。
領地の情報自体は、フローラから予め手渡されていたとは言っても、それは無造作に乱雑された資料とは呼べない代物だった。
そのままでは使い物にならないので、彼女達の能力を見る意味で報告書と資料のまとめをお願いしたのだが、それにしたって早すぎる。
彼女達に依頼したのは昨日ことだ。それをまさか翌日に提出してくるなどと、誰が予想しよう。
(この子達……俺より仕事できるんじゃ……)
生体強化による倍速運動≠ネどの裏技を使えば、俺にも出来ないことはないかも知れないが、マリエル達は違う。
生体強化も受けていない極普通の一般人だ。しかし、この仕事振りを見る限り只の一般人とは思えないスペックだった。
城の侍従と言うのは皆、こんなに優秀なものなのだろうか? と勘繰ってしまうほどの仕事の出来だ。
元々、マリエルの能力を疑ってはいなかったが、これなら他の侍従達の能力も信用できそうだ。
「何か、至らないところでもありましたか?」
「いや、上出来だよ。これなら、安心してマリエル達に仕事を任せられそうだ」
とてもじゃないが、文句のつけようがない。ここまで優秀なら、別に俺のところに来なくても引く手数多だったろうに。
このテスト、彼女達の給料査定も含めていたのだが、優秀な文官並の仕事をやってくれそうだ。
当初、想定していた額より多くなるが、それなりの対価を支払わなくては、この仕事には見合いそうにない。
幸い、普段から金は余り必要としないので、今となっては使いきれないほどの蓄えがある。
彼女達に支払う程度の給料なら、例え後百人、二百人いても問題にはならないだろう。
先日の公爵の件や舞台での借りもあるし、多少、色をつけて渡しておくか。
急にこちらに仕事を移すことになって、色々と支度にも金が必要なはずだ。
「マリエル、銀行でこれ≠渡せば金を渡してくれるから、それをこっちの紙に書かれてる額だけ、皆に分配してやってくれ。
ああ、念のため、商会の男衆を何人か護衛に連れて行くといいよ」
「え、はい…………っ!」
マリエルに全員の給与分を記した小切手を手渡す。一方、マリエルはと言うと、小切手を手にしたまま固まっていた。
心ここに在らずと言った様子で、呆けている。
(もしかして少なかったか?)
先日の借りもあったので、多少上乗せしたつもりだったが、彼女達の能力なら城の給金より少なかったのかも知れない。
城がどの程度の給金を支払っているかは知らないが、そこらのボンクラ貴族より役に立つ彼女達をそれ以下の給金で雇う訳にはいかない。
仮にも商会の代表をしている身だ。能力があるのなら、それ相応の待遇で迎えないことには面目が保てない。
(やはり、もう少し見直すべきか?)
給料交渉は大切なことだ。出来ることなら、遣り甲斐のある仕事だと思って、仕事をしてもらいたい。
給金=やる気とは言わないが、少なからず生活にゆとりがある方が仕事も捗る。
他者を気遣ったりする心の余裕≠ニ言うものは、やはり経済的に余裕がないと難しいと俺は考えてるからだ。
自分の腹が減ってて、他人の飯まで気にする余裕なんてないのと同じことだ。
「もしかして少なかった? そっちで必要な額を言ってくれれば、こっちとしても交渉に応じるけど」
「い、いえ! じゅ、十分です!」
顔を真っ赤にして、大慌てと言った様子で手をブンブンと胸の前で振り、交渉は必要ないと言うマリエル。
彼女のことだ。仮にも俺は雇用主、爵位を持つ貴族な訳だし、面と向かって言い難いのかも知れない。
とは言っても、今更、小切手を返してくれと言っても、目の前で金額を書き換えるようなことは彼女が許さないだろう。
(今回の給金は支度金≠ニ言う意味での前払いだし、来月支払う正式な給金≠ノ色をつけて渡せばいいか)
異世界の伝道師 第39話『メイドの事情』
作者 193
【Side:マリエル】
太老様に認めて頂けたようで一安心と言ったところだ。
皆、随分とやる気を出していたこともあり、寝る間も惜しんで資料整理に走った甲斐があった。
しかし、私は先日の太老様の仕事振りを実際に目にしている。あの御方なら一人でやってしまわれる仕事でも、私達は十人掛かりでやっとと言ったところだ。
まだ不慣れとは言え、あの程度≠フ仕事で、一日もお待たせてしまって申し訳ない気持ちで一杯だった。
今回の仕事も、おそらくは私達の能力を測って置きたいと考えられたからに違いない。
「マリエル、銀行でこれ≠渡せば金を渡してくれるから、それをこっちの紙に書かれてる額だけ、皆に分配してやってくれ。
ああ、念のため、商会の男衆を何人か護衛に連れて行くといいよ」
「え、はい…………っ!」
太老様から手渡された小切手に記されている金額を見て、口から心臓が飛び出しそうになった。
平民上がりの一介の侍従が受け取るような額ではない。全員に分配したとしても、一人当たり城の給金の三ヶ月分に相当する額だ。
私の分はメイド長≠ニ言う役職のためか、皆より更に多めの額が記されていた。
貴族の方に奉公する場合、どうしても高待遇の城の給金より、下がることはあっても上回るようなことは滅多にない。
皆が皇宮や城に勤めたがる理由の一つはそれだ。私達も給金に関しては下がることを覚悟の上で、太老様の元に赴いた。
しかし、その給金は下がる所か、大幅に上回るものだったのだから、驚かずにはいられない。
「もしかして少なかった? そっちで必要な額を言ってくれれば、こっちとしても交渉に応じるけど」
「い、いえ! じゅ、十分です!」
これでも多過ぎるほどだ。大した仕事も出来ていないのに、そんなに受け取れるはずもない。
しかし、太老様はどうして、こんな過ぎた報酬を私達に与えてくださったのか?
(もしかして、太老様は私達の事情を配慮して…・・・ )
太老様の元に赴く時に真っ先に頭に過ぎったのは、故郷にいる家族のことだ。
城に勤めている多くの使用人達は、何も贅沢がしたくて高待遇な仕事を求め、城に勤めている訳ではない。
少しでも、家族に楽な暮らしをさせてやりたいと考えているからだ。
私達のような貴族でもなく、商家に生まれた訳でもない一般の平民は、贅沢な暮らしをすることは許されない。
特に、私の家のように、女と子供ばかりで働き手の少ない底辺の家庭は、食べていくのがやっとな慎ましい暮らしを余儀なくされている。
だからこそ、城での高給は、そんな生活を支える上で重要な糧の一つとなっていた。
太老様は商会の代表をされているような御方。当然、それらのことも熟知されているに違いない。
そして、私達に多分な給金を支払ってくださったのも、私達に掛ける期待の大きさと、そんな私達の事情に配慮した太老様の御優しい気持ちの表れなのだろう。
貰い過ぎだと断ってしまうのは簡単だが、それでは太老様の御心遣いを無碍にすることになる。
(太老様、必ずこの対価に見合う働きをしてみせます)
太老様を支えるつもりで御傍に赴いたはいいが、これでは太老様に逆に助けられてばかりだ。
この対価に見合う働き、太老様にお認め頂ける仕事を私達は果たさなくてはならない。
それが、この方に対する唯一の恩返しになるのだから――
【Side out】
【Side:太老】
「領地に?」
「はい。タロウさんに商会の仕事があるのは存じてますが、領民に顔を見せて置くのも重要なことですわ。
それに、公爵領の領民は領主が代わったばかりですし」
確かにマリアの言う事にも一理ある。
代理人ばかり立てて、数えるほどしか自分の領地に赴いていないのは確かだ。それでは領民も不安に思うことだろう。
それに突然、領主が変わってしまった公爵領の領民のことも気に掛かる。
トップが変われば、生活にも当然変化が生まれる。その分、不安も大きいはずだ。実際のところ、かなり困惑している可能性は高い。
侍従達を雇い入れて一週間。彼女達の予想以上の働きにより、当初予定していた仕事の殆どは片付き始めていた。
寧ろ、俺の仕事まで何時の間にか片付けてしまうほど優秀なので、手持ち無沙汰になって困っていたほどだ。
商会の仕事は何故かマリアが譲ってくれないし、領地運営や自分で見付けて来た仕事も、侍従達が張り切って片付けてしまう。
これでは皇宮でマリアの従者≠していた頃に逆戻りだ。
「分かった。一度、領地の方に顔を出してみるよ」
「でしたら、早速手配致しますね。私も直ぐに、残った仕事を片付けて参りますわ」
「え? マリアちゃんも来るの?」
「はい! 当然です!」
当然なのか? まあ、それは良いとして何か俺の領地に用事でもあるのだろうか?
ああ、農地開拓の件かも知れないな。あの農地開拓は商会が率先して進めている事業だ。
仕事熱心なマリアのことだ。元々、大量生産によるコスト削減を目的に始めた事業なので、実際に自分の目で見て、どの程度、開拓が進んでいるのか確認しておきたいのだろう。
言うなれば現場視察か。だとすれば、俺の領地への顔出しも、そうした意味≠煌ワまれていると考えて間違いないようだ。
「了解。侍従達にも伝えておくよ。自分達の奉公することになる屋敷も見学させておきたいしね」
今は、俺の部屋がある、商会の三階部分を間借りしてる状態で彼女達を住まわせている。
元々、商会で忙しく働く職員の仮眠のために用意したスペースだけに、このままと言う訳には行かない。
それに、今の状態では彼女達も色々と不自由だろう。
商会と割と近いところに売りに出されていた手頃な屋敷を見つけたので、そこにはマリエルと手元に残す数名のメイド達を住まわせるつもりだ。
残りは元公爵の屋敷、今では俺の屋敷となるそちらに移ってもらい、領地運営に集中してもらうつもりでいた。
サポートを何人か用意すれば、彼女達なら十分に自分達だけでもやっていけるだろう。
公爵の屋敷と言う事だから、かなり大きいに違いない。多少、大所帯になるが、部屋数は十分に足りるとは思う。
この際、全員に見学させておくのも悪い選択ではない。
「……彼女達も連れて行かれるのですか?」
「ん? 何か、不味いことでもあるの?」
彼女達を同行させられない理由と言うと、商会の運営に関わる重要な何かがあるのかと考えた。
それなら確かに、彼女達を同行させるべきではないだろう。
彼女達はあくまで俺が個人的に雇った使用人だ。商会の機密に関わるようなことを彼女達に知らせるべきではない。
「構いませんわ」
「え? いいの?」
「はい。タロウさんの領地なのですから、タロウさんの好きになさってください」
マリアは何かを考え込む様子で困った顔を浮かべていたが、一転してマリエル達の同行を許可してくれた。
何か理由はあるのだろうが、そうした場所にマリエル達を同行させなければ良いだけだと考え直してくれたのかも知れない。
マリアは優しい子だからな。彼女達だけ仲間外れにするのは心苦しいと思ったのだろう。
先日、俺が侍従達に着替えを手伝ってもらっているところをマリアに目撃され、ちょっとした騒動に発展した一件があるので、彼女達と上手くやれるかと心配していたのだが、その心配は必要ないようだ。
マリアも、侍従達も、心優しい良い子達ばかりだから、きっと上手くやっていけると俺は信じている。
特にマリエルには、俺の専属で補佐をやってもらうつもりでいるので、マリアとも顔を合わせる機会は多くなる。
出来るだけ仲違いをして欲しくはなかった。
「それじゃ、出発は三日後にします。タロウさんも、そのつもりで」
三日後か。色々と楽しみな旅になりそうだ。
【Side out】
【Side:マリア】
「領地に?」
「はい。タロウさんに商会の仕事があるのは存じてますが、領民に顔を見せて置くのも重要なことですわ。
それに、公爵領の領民は領主が代わったばかりですし」
これは建て前だ。実は調査の結果、公爵の領地に天然の温泉があることが分かった。
実際、公爵も密かに独占して楽しんでいたようで、かなり豪勢な露天風呂を拵えていたらしい。
私の目的はこうだ。
タロウさんを上手く領地に誘い出し、仕事の疲れを取って欲しいと温泉に誘う。
当然、ユキネも連れて行く。三人で仲良く温泉に浸かり、彼の身も心も癒して差し上げる。
裸の付き合いを通し、男と女、自然と意識し合うようになった私達は――
この先は言う必要もないだろう。
この計画が上手く行くかどうかは、彼を領地に誘いだせるかどうかに懸かっている。
ここ最近、彼がまた、凄い勢いで仕事に取り組んでいると言う報告を受けている。
あれだけあった領地の資料整理も終わらせ、新しい領地運営に関する計画書の作成も済ませていると言うのだから、一帯、この一週間でどれだけの仕事をこなしたのか想像もつかない。
私が知らないだけで、他にも多くの仕事を抱えているのは間違いない。
ほんの少し前に、自分が過労で倒れたことを忘れてはいないか? と心配でならないほどの仕事振りだった。
しかし、それだけ集中して取り組んでいる仕事を放り出して、領地に誘い出そうと言うのだ。
「温泉に行きましょう」
などと正直に言ったところで、太老さんが素直に頷いてくれるはずもない。
彼の優しさに付け入るようで心苦しいが、領民のことを引き合いにだせば、彼も断りきれないはず。私は、そう考えていた。
「分かった。一度、領地の方に顔を出してみるよ」
「でしたら、早速手配致しますね。私も直ぐに、残った仕事を片付けて参りますわ」
「え? マリアちゃんも来るの?」
「はい! 当然です!」
私が行かなくては意味がない。何のための計画だか、それでは分からなくなる。
取り敢えず、どうにか彼を誘い出すことには成功したようだ。
後は、早く自分の仕事をすべて片付けて、ユキネとも相談して準備を万端に整えないと。
「了解。侍従達にも伝えておくよ。自分達が奉公することになる屋敷も見学させておきたいしね」
…………は?
一瞬、目が点になった。侍従達も連れて行くと言うタロウさんの反応に、私は驚きを隠せない。
この展開は予想外だ。侍従達も来るとなると、色々と計画に修正を加えなくてはならなくなる。
三人で温泉と言うのも、彼女達が一緒では難しくなるだろう。
「……彼女達も連れて行かれるのですか?」
「ん? 何か、不味いことでもあるの?」
ここで不味い等と言えば、タロウさんに勘繰られてしまう可能性が高い。
彼に気付かれれば、その時点でこの計画は終わりだ。不本意だが、侍従達の同行を許可しなくてはいけないようだ。
折角、タロウさんに色々とアピールしようと計画したと言うのに、彼女達が現れてからと言うもの、その機会に恵まれない。
タロウさんの侍従なら、もっと気を利かせてくれてもいいものを……。
いや、タロウさんを慕って、彼の侍従になった少女達だ。主人に悪い虫≠ェ憑かないようにと目を配っているのかも知れない。
「構いませんわ」
「え? いいの?」
「はい。タロウさんの領地なのですから、タロウさんの好きになさってください」
彼女達がそのつもりなら、こちらにも考えがある。
正々堂々と、私達の魅力でタロウさんを篭絡すれば、彼女達も文句一つ言えなくなるだろう。
「それじゃ、出発は三日後にします。タロウさんも、そのつもりで」
決戦は三日後だ。必ず、タロウさんを侍従達の手から奪い返してみせる。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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