【Side:水穂】

「本当にこんな事で慣れるんでしょうか?」
「当然よ。普段通りの生活を送れるようにするためには、まずは力のコントロールを覚えないとね」

 私がミツキにやらせているのは所謂メイド修行だ。
 普段の私生活で必要な力加減を覚えるなら、実際に実践して習得する方が間違いなく早い。
 前から思っていたことだが、彼女の物腰を見れば大体どのくらい出来る≠ゥは分かる。
 私の想像が正しければ、ミツキの武術の実力は――

「ほら、この広いお風呂を全部掃除しちゃわないといけないのよ? 喋ってないでさっさとやる」
「は、はい!」

 私の後ろには折れたブラシが十数本積み重なっていた。
 とは言ってもあれから三十分余り、すでにミツキはブラシを折ることなく、ぎこちない動きではあるが確実に力加減をものにしつつある。
 足捌きや体の運び、実際に戦ってみないことには何とも言えないが、私の予想が正しければミツキの実力はユキネ以上のはずだ。
 聖機師を目指していたと言う話を聞いていたが、耐久持続性の問題さえなければ達人≠ニ呼ばれるほどの聖機師になっていても不思議ではなかったはずだ。
 それほどの実力があると、私は彼女のことを評価していた。
 そんな彼女を資質のあるなしだけで安易に手放すとは、随分と見る目がない連中もいるものだと私は心から思う。

「そこが終わったら、次は屋敷の方の掃除もあるのよ。出来るだけペースを上げてって」
「……わ、分かりました!」

 この調子なら十日も掛からずに、力を制御できるようになるはずだ。
 しかし、彼女の能力は実に魅力的だった。基礎能力だけでもユキネ以上かも知れない逸材。
 シンシアとグレースの母親と言う事だから、頭の方にも期待できる可能性は高い。
 あの双子の能力を知った時には、私も言葉を失うほどに驚いたくらいだ。

(彼女達は太老くんの秘密を知っている上に、彼への恩義があるし好意も抱いている)

 これは使える、と私は口元を緩ませる。
 ミツキにシンシアとグレース、そしてユキネ。重要な駒は揃いつつある。
 後は残りの必要な駒をどう揃え、手足となる人材をどのように育成するかだ。
 それさえ目処が立てば、思い描いていた組織体制を築き上げるのに、それほどの時間は有さないだろう。

 ――正木卿メイド隊情報部

 太老くんの能力の抑止力であり、彼の矛となり盾となる組織。
 樹雷情報部副官の名に懸けて必ず最高の仕上がりにしてみせる、と私は決意を固く宿していた。

【Side out】





異世界の伝道師 第68話『ミツキの夫』
作者 193






【Side:太老】

 あれから更に五日が過ぎた。やはりシンシアとグレースは凄い。
 彼女達のお陰で、すでに半分以上の書庫の目録の作成が終わっていたからだ。
 驚異的な速読もそうだが、彼女達は一度見聞きした物を決して忘れない、と言ったズバ抜けた瞬間記憶能力も保持していた。
 単純な知識の幅で考えれば、この世界に限って言えば彼女達の覚えている知識は俺の比ではないだろう。

「太老、これ中央の棚のリストな」
「ありがとう、グレースちゃん」
「…………」
「シンシアちゃんもありがとうな」

 グレースの頭を撫でてやると、自分もとばかりに頭を差し出してくるシンシア。
 どれだけ凄い能力を持っていようと、こう言うところ見るとまだまだ子供なんだなと思わせられる。

 しかし、双子でも随分と違う物だ。
 敢えて例えるなら、シンシアは理論派、グレースは実践派と言ったところか?
 物事を深く考え、読み取る力はシンシアの方が長けている。情報処理能力の点で言っても僅かにシンシアの方が上だろう。
 ただグレースはそれらの知識を幅広く応用することに長けていた。
 シンシアの集めた情報から物事を類推し、その考えを補足し、グレースがそれを実際に実践で使用できる形へと変えていく。
 この目録作りを通して二人の能力を見せてもらったが、あちらの世界に行っても十分に天才≠ニ褒め称えられるほどの力だった。

 こんな子達があんな小さな村に埋もれていた、と言うだけでも驚きだ。
 この調子なら十日と経たずに書庫の目録作成も終わってしまうだろう。

「そう言えば、二人は何か欲しい物でもあるの?」

 約束した手前、俺は二人のお願いを聞くことになっている。
 これだけのことを手伝ってもらったんだ。
 出来るだけ二人が望むことであれば、叶えてやりたいとは思っていた。

「私は自分だけの工房が欲しいな!」
「工房?」
「ああ、まだまだ知りたいこともあるし、実践してみたいこともある。それには工房が必要だろ?
 何なら太老がスポンサーになってくれてもいいぜ」

 工房と聞いて軍の技師連中が頭に思い浮かんだが、グレースはあんな技師になりたいと言う事か。
 確かにグレースなら、立派な技師になることが出来るだろう。
 経験は足りないが、はっきり言ってそこらの技師よりはグレースの方が俺は上だと思っている。
 将来性を見込めば、十分に期待は出来る。最も、鷲羽(マッド)のようになられても困るのだが。

「そっちは考えておくよ。シンシアちゃんは何か他に欲しい物ある?」
「…………」

 おずおずとした様子で恥ずかしそうに、俺に一冊のスケッチブックを手渡してくるシンシア。
 そこには絵が描かれていた。お世辞にも上手いとは言い難い、子供らしいパステル色の強い独創的な絵だが、そこに人が描かれていることは俺にも分かる。
 小さい金髪の女の子二人はシンシアとグレースだろう。その後に青い髪の人物、これはマリエルだと予想する。
 だとすれば、もう一人の大きな金髪の女性はミツキと言ったところか。
 一つだけ分からないのがあった。黒髪のこの人物は一体誰なのか?

「……ん? もしかして、俺?」
「……コク」

 どうやら俺だったらしい。
 家族の絵が描かれているところに、俺の姿があると言うのは何処か気恥ずかしくも嬉しい物だ。
 シンシアがそれだけ慕ってくれている、と言うのは俺としても喜ばしいことだった。
 とは言え、欲しい物と聞いてこれを見せてくると言う事は、

「お兄ちゃんになって欲しい、とか?」
「……フルフル」
「違う? じゃあ……」

 正直、まさかとは思いつつも一応聞いてみる。

「お父さんになって欲しい……とか?」
「……コク」

 そのまさか≠ェまさか≠ナはなかったようで、俺は本気でどうしたものかと考える。
 シンシアとグレースが父親を亡くしていることは俺も知っているので、そこで駄目とは強く言う事が出来なかった。
 おそらくは父親のような存在が恋しいということなのだろうと思ったからだ。
 シンシアが本気で望んでくれるのなら、本物の父親になることは出来ないが、父親の代わりのようなものなら俺にも出来るかも知れない。

「分かった。今日から俺がシンシアのパパ≠セ!」

 俺がそう言うと、花開いたように満面の笑顔になるシンシア。
 ここまで頼られているとあっては、俺も男だ。立派にシンシアのパパ≠ノなれるように努力してみせるさ。
 娘のことを『ちゃん』付けで呼ぶのもどこか変なので、呼び捨ててみたのだがシンシアは嬉しそうだった。

「はあ……こうなるような気はしてたけどな」
「当然、グレースも俺の娘だからな。パパに甘えてもいいんだぞ」
「ちょっ、お前調子に乗るな! 放せよ!」

 グレースのこれが照れだと言う事は俺も理解している。
 こう言いながらも何処となく嬉しそうなグレースを見ると、俺も思わず表情が綻んでしまう。
 突然大きな娘が二人出来てしまったが、マリアという妹のような前例もあるのだし、まあいいだろう。

 と、俺はこの時、シンシアとグレースの二人に懐かれたことで舞い上がり、軽い気持ちで考えていた。

【Side out】





【Side:マリア】

 とんでもない噂を耳にしてしまい、私は大慌てでお兄様の姿を捜していた。
 お兄様がシンシアとグレースの二人を呼び捨てにし、更には二人に父親のように慕われていたと言う話だ。
 これまでもそのような節はあったが、今回は随分と状況が違うようだ。
 お兄様の二人に接する態度が侍従達から見ても、仲の良い親子そのものだった、と言うのだ。
 彼女達の勘はバカに出来ない。真相のほどをお兄様に直接尋ねてみないことには――

「ああ、そのこと? えっと、まあ色々とあってそういう事になってね」
「では、やはり……」
「うん。シンシアとグレースの父親をやってるよ」

 噂は本当だった。お兄様の口から聞かされ、私は大きなショックを受ける。
 シンシアとグレースがお兄様の娘と言う事は、母親役は当然ミツキさんと言う事になる。
 マリエルの母親だと思って、完全に対象外にしていたと言うのに、ここにこんな大きな伏兵がいたなんて、とわたしくは目眩を覚え額に手を当てた。
 とにかく、ミツキさんにも詳しい話を聞いてみなくては――

「もっとも父親役、二人が慕ってくれるからって代わりのようなものだけど……って、あれ? マリアは何処に?」



 お兄様から言質を取り、私はミツキさんの部屋へと向かった。
 この時間であれば水穂さんとのリハビリを終えて、自室で休まれているはずだ。
 いつの間にお兄様とそんな関係になったのかは知らないが、ミツキさんの気持ちをしっかりと聞いておかなくてはならない。

「ミツキさん、いますか?」
「はい、どうぞ」

 扉を二回ノックすると、部屋の中からミツキさんの返事が返ってきた。
 私は「失礼します」と一声掛けて部屋の中に入る。
 どうやら椅子に腰掛け、編み物をされていたようだ。

「これもリハビリの一環なんですよ。何気ないことでも結構大変で」

 そうミツキさんは教えてくれた。軽く話を聞いていたが、生体強化のリハビリというものは相当に大変なようだ。
 確かにある日突然、常人の何倍もの身体能力を得れば、その力を持て余すと言うのにも頷ける。
 自分ではいつものように力を籠めているつもりでも、これまでの何倍もの力がそこには掛けられていることになる。
 壁に穴を空けたりベッドを叩き折るような力。制御出来ない大きな力ほど危ないものはない。
 リハビリが終えるまで娘には絶対に会っては駄目だ、と水穂さんが彼女に厳命したのにも頷けるというものだ。

 と、そんな事を聞きにきたのではなかったことを思い出す。

「ミツキさん、一つお尋ねしたいのですが……」
「はい、何でしょうか?」

 さすがに突然お兄様との関係を尋ねるのは、私も躊躇してしまう。
 二人のプライベートに土足で上がり込むようなものだし、それに内容によっては、私の方が酷いダメージを負ってしまいそうだ。
 だから、取り敢えずミツキさんの気持ちだけでも確かめておくことにした。

「ミツキさんは、お兄様のことをどう思われているのですか?」
「太老様のことですか?」
「はい」

 考え込む様子で唸るミツキさんの返答を私は静かに待った。
 今になって思えば、お兄様が今までずっと秘密にしていた話を打ち明ける気になったのも、彼女の体のことがあったからだ。
 当然、目の前で苦しんでいる人がいて、見過ごすことなで出来るお兄様ではないことは分かっている。
 しかし、お兄様の語った秘密は誰それと聞いてよい類の話ではない。ただ異世界人と言う事よりも、ずっと重要な意味を持つ話だった。

 それでも尚、お兄様は自身の秘密を語り、彼女に自らの力を分け与え、治療することを選ばれた。
 それは本当にマリエル達のためだけだったのか? 私にはお兄様の気持ちを知る術がない。
 もしも、お兄様が心のどこかでミツキさんに惹かれていたのだとしたら――

「太老様は私にとって、とても大切な方ですね」
「大切……」
「はい。太老様がいなければ私はこうしてここにいることも、命を繋ぎ止めることも出来なかった。
 太老様は娘達の恩人である前に、私にとってもとても大切な、掛け替えのない御方です」

 やはり、私の考えは間違いではなかった。
 お兄様の言葉、そしてミツキさんの想い、それが意味するところは一つしかない。

(お兄様はミツキさんを選ばれたと言う事……で、でも……)

 そう、ミツキさんを選ばれたのはシンシアとグレースのことがあったからかも知れないし、まだミツキさんと結婚すると決まった訳ではない。
 とは言え、シンシアとグレースを自分の娘だと、お兄様が認められたのもまた事実だ。それだけは由々しき問題だ。
 しかし、これはある意味でチャンスでもあるかも知れない、と私は考える。

 切っ掛けはどうあれ、お兄様がミツキさんを受け入れられたのは間違いない。
 今までのお兄様であれば、誰の告白であっても受け入れるような真似はしなかったはずだ。
 それが心変わりする心境に至ったのは、やはりシンシアとグレースのことが影響しているのだろう。
 ならば、私達にも十分にチャンスがあると、私は考えた。

(お兄様の心を必ずこちらに振り向かせてみせますわ!)

 そして取り敢えず、ミツキさんにも同盟の話をして、勧誘しておくことにした。
 今は一歩も二歩もリードされている形だが、いつかはミツキさんのようにお兄様を振り向かせてみせる。
 そう、決意を新たにして――

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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