【Side:太老】

 久し振りに息抜きしようと一人で市場まで足を運んでいた。

「おっちゃん、串焼き一本おくれ」
「あいよ――おっ、こりゃ御遣い様じゃねーか。ほら、遠慮せず持ってってくんな」
「え……いや、さすがに悪いし金は払うよ」
「いいってことよ! 御遣い様のお陰で生活も随分と楽になってんだ。このくらいさせてくんな」

 実は市場に顔を出してからずっとこんな調子で、俺の両手は今や持ちきれないほどの荷物で一杯になっていた。
 八百屋の前を通れば野菜や果物を貰い、魚屋の前を通れば大きな魚を貰い、こうして屋台に寄ればタダで商品を奢ってくれる始末だ。

 皆が『御遣い様』と、笑顔で挨拶を交わしてくれる。まさか、ここまで顔が知れ渡っているとは思いもしなかった。
 とは言え、どうやら友好的に捉えられているようなので、もうこの呼び方に関しては諦めることにした。
 最初の内は『やめて欲しい』と断っていたのだが、そうすると困った顔をされ、会う人、会う人に同じ事を言われ続けていれば、さすがに否定するのにも疲れてくる。
 だから、もうその呼び方については諦めることにした。
 やはり、これだけ首都の人々に顔が知れ渡っているのは、封建貴族との決闘騒ぎが原因だろう。

(この様子だと首都中に面が割れてると思った方がいいな……)

 あの決闘は街頭テレビで生中継されていた。しかも、この首都には三台もの街頭テレビが設置されている。
 当然その分、他の都市よりも多くの人がその目にしたはずだ。
 この様子から察するに、首都中の人々に顔が知られている可能性が高い。

(まあ、不幸中の幸いは、皆に白い目で見られてないってことだな……)

 あの黄金の聖機人を見られていたかと思うと恥ずかしくて仕方なかったが、そのことを中傷したり冷やかしもせず、皆が温かく迎えてくれたのが嬉しかった。
 きっと『そんなに気にするな』と、励ましてくれているに違いない。幸いにも、心優しい良い人達ばかりで助かった。
 生活が随分と楽になった、と言うのは誇張が過ぎる気もするが、マリア達が頑張ってくれているお陰で、正木商会も以前とは比べ物にならないほど大きくなり、そうしたこともあって仕事も増え、雇用も増えていると聞いている。恐らくは、そのことを言ってくれているのだろう。
 俺だけの功績と言う訳ではないのだが、こうして人に感謝されるのは悪い気はしなかった。

「――放せよ!」
「うるせぇ! このコソドロが! タダで済むと思うなよ!?」

 串焼きを食べながら市場を練り歩いていると、何やら面倒そうな騒動に出くわしてしまった。
 二人組の男が、女と言い争いをしているようだ。
 一人は中肉中背のどこにでもいる極普通の男。そんなもう一人の男とは対照的に、大声で怒鳴っているのがピチピチの白のタンクトップを身に纏った大柄な筋肉質の男の方だ。
 その男達と言い争いをしているのが、褐色の肌に腰まで届く長い栗色の髪、皮のジャケットの下に胸元が大きく開けたタンクトップ、動きやすい長ズボン姿にブーツ。見た感じからして、こちらも随分と威勢がよく、気の強い女のようだ。
 市場に買い物にきていた客や露店の店主達も、何事かと言った感じで様子を見守っている。
 事情はよく分からないが、さすがに男二人掛かりで、女一人に掴み掛かると言うのは見過ごしてはおけない光景だ。

「ほら、ないじゃないか!」
「さっきテメエが擦れ違った時に、俺の財布をくすねたのは確かなんだ!
 それまではあったんだからな! どこかに隠したに決まってる! 引ん剥けば分かることだ!」
「あー、その辺にしとけ」

 財布を盗っただのどうの、この手の人通りの多い場所ではよくある話だが、こんな衆目の前で女性を引ん剥こうなど風上にもおけない奴等だ。

「あん! 関係ない奴は引っ込んでろ!」
「沸点が低すぎるぞ? ちょっと落ち着け。で? そこのアンタ、こいつの財布を本当に盗ったの?」
「う……と、盗ってない! こいつが言い掛かりをつけてきたんだ!」
「何だとテメエ!」

 話にならん。まあ、大体事情は呑み込めたが、少女の方は後で何とかするとして、まずはこのガラの悪い二人の対処だな。
 この横柄な態度に人相の悪いこと、叩けば相当に埃が出そうな連中だ。

「ここで引ん剥くとか暴力行為に出ると言うなら、残念ながらこっちも実力行使にでないといけなくなる。
 それか詰所まで一緒に行くか? ここで無碍に時間を潰して揉めてるよりは、ずっと経済的だと思うぞ」
「くっ! この女を庇うってんなら、テメエも――」

 頭に血が上ったバカと言うのは実に単純だ、と常々思う。
 俺よりも頭二つ分ほど大きな大柄な男の方が、怒りに任せて拳を振り上げてきた。
 振り下ろされた拳を軽くサイドステップで避け、足払いを決めることで、その大きな体がグルリと宙を舞う。

「ぐはっ!」

 そのまま地面に勢いよく叩きつけられ、目を回す大男。打ち所が悪かったのか? 頭を打って気絶しているようだ。
 こっちも両手が荷物で塞がっていたので、首を引いてやると言った器用な真似は出来なかった。
 幸いにも、アスファルトやレンガではなく、ここは柔らかい土の地面だ。
 随分と勢いよく倒れこんだようだが、この程度で死ぬようなことはあるまい。

「お、覚えてやがれ!」

 気絶した男を抱え、お決まりの捨て台詞を残して逃げていく、もう一人の男。
 この台詞を聞く度に毎回疑問に思うのだが、三下が三下の捨て台詞を残すって、世界法則でもあるのだろうか?
 あるのだとしたら、それは確実に鷲羽(マッド)の趣味だと俺は考えていた。





異世界の伝道師 第72話『ボスが来た』
作者 193






「助かったよ。あたしはラン、えっとアンタは――」

 あの後、直ぐに観衆に取り囲まれてしまい、慌てて市場から逃げてくる羽目になってしまった。
 しかし、どう言う訳か、その後も一緒についてきたこの女。名前はランと言うらしいが、どうにも胡散臭い。

「太老だ。お前も食うか?」
「どっかで聞いたことあるような……あっ! とっ!」

 一人で食うのもなんなので、八百屋で貰った果物の一つをランにも投げてやる。慌てて果物をキャッチするラン。
 リンゴに似た果物なのだが、これが丸かじりすると結構いけるんだ。

「あ、ありがと……」

 気恥ずかしいのか? 少し照れた様子で果物を受け取るラン。
 こうやって素直にしていれば可愛げがあるものを、

「全くこんなもの%垂チて、本当に引ん剥かれてたら、どうするつもりだったんだ?」
「あ! それ、あたしの!」
「あたしのも何も、盗んだ物だろうが……」

 俺の手元にあるのは、そう、あいつ等が探していた財布だ。
 そこそこ入っているのかと思ったが、時化たもので重いのは見た目ばかり、中身は小銭の山だった。
 何で俺の手元にこれ≠ェあるのかと言うと、俺がランから市場から逃げる時にこっそりとくすねたからだ。

 あの態度や様子から察するに、ランがあいつ等から財布を盗ったことはあの時点で直ぐに分かっていた。
 とは言え、ランを擁護するつもりもなければ、ああ言う奴等も気に食わない。
 あそこで素直にこちらの意見を聞き入れ、詰所にまで足を運べば、俺もあそこまでするつもりはなかったが、それを拒否して暴力行為に出たのはあいつ等の勝手だ。
 詰所の名前を出した途端、目の色が変わったことといい、どうせ普段から余り褒められたことをしてないのは明白だった。
 そう言う訳で、あんな連中がどうなろうが、俺の知ったことではない。

「まあ、いいや。ほれ」
「わっ! ――って、返してくれるのは嬉しいんだけど、本当にいいのか?」
「あいつ等の場合はある意味、因果応報、自業自得。
 同じ穴の狢同士、財布の奪い合いしようが俺には関係ないし、別にいいんじゃない?」
「む……」

 連中と同類扱いされたのが気に食わないのか、ムッとした表情を浮かべるラン。
 とは言え、これが俺の本音だ。
 毎日を真面目にコツコツと生きている一般人から、金銭をくすねるような真似は俺もどうかと思うが、悪党同士、命の奪い合いをしようが金を奪い合おうが、正直どうでもいいことだ。

「とは言え、スリはスリだし役人に突き出してもいいんだが……」
「ちょっ! 見逃してくれたんじゃなかったのか!?」

 何らかの事情はあったのだろうが、所詮スリはスリだ。褒められたことじゃない。
 随分と手馴れているようだし、この様子から察するに相当の常習犯だろう。
 このままスリを続ければ、俺がここで見逃したところで、そのうち痛い目に遭うことは間違いない。
 本人のためを思えば、早めに更正の機会を与えてやるのが、優しさのような気もするのだが、

「悪漢から助けてやった貸しもあるし、ああ、さっきやった果物の分もあったな」
「ちょっと待て! この果物はアンタが勝手に!」

 本当にバカな奴だ。誰もタダでやる≠ネどと言ってはいない。食った時点で、それは立派な貸しだ。
 しかし、反応を見るに面白い奴だし、まあ、根っから悪い奴でもなさそうだ。
 と言うか、性格的にも余り悪党に向いていない気がする。

「スリ」
「――ぐっ!」
「さて、どんなお願いを聞いてもらおうかな〜」

 態とからかうように、ランの耳元でそう囁いてやると、観念したのか両手両膝を地面に突っ伏し、悔しそうに項垂れてしまった。
 まあ、この手の奴は弱味を握って、少し脅しておくに限る。
 このまま放っておいてもいいのだが、そのことでまたスリを働いて第二や第三の被害者を出されるのも厄介だ。
 第一、さっきの連中が報復に現れないとも限らない。
 こうして一度助けてしまった以上、連中に酷い目に遭わされることが分かっていて、放り出すのも寝覚めが悪い。
 面倒だが、最後まで助けた責任くらいは持ってやろう、と俺は考えていた。

【Side out】





【Side:ラン】

 あたしがこんなところにいるのには理由があった。
 最近、ハヴォニワ中を賑わせている山賊狩りに遭遇してしまい、仲間は散り散りに、恐らくはその殆どが軍に捕まってしまった。
 あたしはどうにか逃げきることが出来たが、着の身着のまま殆ど何も持たずに首都まで逃げてきたため、金もなく、食う物にも困り果て、手頃なカモを見つけてスリを働いたと言う訳だった。

 とは言え、あたしもヤキが回ったもんだ。
 スリを働いた相手に気取られたばかりか、それを妙な男に助けられてしまうなんて……。
 しかもその男、最初は少しいい奴かな、と思っていたが、実はあたし以上のとんでもない悪党だった。

 弱味を握られ、言い返すことも出来ない。
 しかも、さっきの男達との遣り取りを見ていた限り、正面から戦って勝てるような相手とは思えない。
 挙句には、このあたしに気取られることもなく、あっさりと財布をスッてしまうような奴だ。
 とてもじゃないが、逃げる隙すら与えてくれそうにない。

(くそ……何だってこんな事に)

 次の仕事の仕込みでシトレイユに行っている母と仲間に、アジトが軍に抑えられ他の仲間も全員捕らえられたことを、一刻も早く知らせなくてはいけないと言うのに、変な男に捕まってしまい逃げるに逃げられなくなるなんて……最悪もいいところだった。

(ってか、こいつ本当に何者なんだ?)

 こんな悪どい奴、名前くらいは聞いてそうなものだ。
 そう言えば、『太老』とか名乗っていた。どこかで聞いたことのあるような名前なのだが、一向に思い出せない。
 有名な奴なら、一度は耳にしたことがある名前なのかも知れないが、名前と顔が一致しない。
 山賊にそんな名前の有名な悪党っていたっけ? 覚えてる限りの手配書の顔を思い浮かべるが、該当する人物はいなかった。

「落っことすなよ」
「わ、分かってるよ!」

 先程まで、太老の持っていた荷物は、全てあたしの両手の中に収まっていた。
 実はかなり重い。ヨロヨロとバランスを取りながら、どうにか前に進めているような状況だ。
 袋には、野菜やら、果物やら、魚やら、全く共通点のない色とりどりの食材が入っていた。
 とても一人分の食料とは思えない。市場にきていたのだから、買出しにきていたのだろうが、この量だ。
 今向かっているアジトに、相当の数の仲間がいるに違いない、とあたしは考えていた。

「着いたぞ」
「こ、ここ!?」

 でかい。かなり大きな屋敷だった。ざっと見た感じ、外からでは部屋数だけでも何十あるか想像もつかない。
 以前に侵入した公爵の屋敷に比べれば小さいが、首都の郊外にこんな大きな屋敷を持っている奴なんて、そうはいない。
 そこらの商人は愚か、貴族でも、ここまでの屋敷を持っている奴は滅多にいないはずだ。

「こ、これがアンタの家だって?」
「まあ、別邸だけどな。本邸は別のところにあるから」
「べ、別邸!?」

 この大きさの屋敷で別邸だと言う太老の言葉に驚きを隠せなかった。
 一体、どれほどの大悪党だと言うのか? まさか、ここまでの大物だとは思いもしなかった。
 首都の郊外に、こんなにも堂々とでかい屋敷を構えていることといい、城の官吏にも顔が利くほどの大物なのは間違いない。
 どうやらあたしは、とんでもない奴に目を付けられてしまったようだ。

(母さんごめん……もう会いに行けそうにないや)

 覚悟を決めるしかなさそうだった。
 こんな大物に目をつけられてしまっては、とても逃がしてはもらえないだろう。
 この屋敷で永遠に下働きをさせられるか、もしくは奴隷商人に売り飛ばされるかも知れない。
 いや、下手をすれば、何かの犯罪の捨て駒にされ、殺される可能性もある。

(あたしの命運もここまでか……)

 屋敷の正面までやって来た。ギーッと大きな音を立て、開け放たれる重厚な扉。
 その扉はまさに、地獄の門のように、あたしの目には映っていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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