【Side:ババルン】
ダグマイアが婦女暴行の現行犯で逮捕された、という話は直ぐに儂の耳に届いた。
問題を起こしたかと思えば、その反省もないまま、舌の根の乾かぬ内に次々に問題を起こすダグマイアに辟易としていた。
計画に必要がないどころか、足ばかり引っ張りおって……邪魔者でしかない。
計画に支障をきたす前に、奴の処遇を考えねば、太老の言う通りに面倒なことになりかねん。
『それはそれは……彼も災難でしたね。それで兄上は私に何をしろと?』
「奴を卒業までの間、聖地に軟禁する。シトレイユに戻って来れぬようにな」
『私に彼の監視役をやれと?』
「そうだ。奴がバカなことをしないように、しっかり見張っておけ」
ダグマイアにこれ以上、引っ掻き回される訳にはいかぬ。
ただでさえ、正木太老の所為で計画に遅延が出ているというのに、これ以上余計な仕事を増やされては堪ったものではない。
通信機越しに、聖地に教職員として潜り込んでいるユライトに、そのことを厳命した。
『ところで、兄上から見て、正木太老という人物、如何でした?』
ユライトの冷たい視線が突き刺さる。我が弟ながら、ダグマイアとは違い、賢い男だ。
正木太老の恐ろしさに、ユライトも薄々と気付いておるのだろう。
一言で表現するなら――あれは怪物≠セ。
それも、一見、温厚そうに見えて、中身は凶悪な肉食獣、いや、それ以上の化け物と言って差し支えないほどの。
経験に裏付けられた卓越された戦闘技術。僅か一年余りで大商会のトップにまで上り詰めた高い知略と、支配者に相応しい度量も兼ね備えいる。
更には冷酷とも思える的確な判断力。一度、目的の邪魔になる、排除すると決めた相手には、一切の容赦をあの男はしない。
これ以上ないくらい、厄介な相手だった。この儂ですら、あの男と正面から力比べをすれば勝てるとは思えない。
正攻法でいけば、間違いなく身の破滅を招くのは、こちら側だ、と儂は考えていた。
『それほど……ですか』
「迂闊に奴に手を出そうとするな。ダグマイアにも、そこだけは徹底させろ」
正木太老との戦いは、生きるか死ぬかの二択しかない。
稀代の天才と謳われるハヴォニワの女王や、明主として名高い我が国のシトレイユ皇も、あの男に比べれば可愛いものだ。
どんな策を練ろうが、どれほどの力を持ってしようが、あの男が相手では、これで確実と言える手はない。
こちらも全てを捨てるほどの覚悟を持って挑まなければ、僅かな勝ち目すらないだろう。
『それでは、兄上は彼が聖地に来ると?』
「あの男も聖機師≠セ。この事実を知って、教会の者達が放っておくまい」
正木太老の聖機人が、修復のために教会に運び込まれた、と言う報告を受けていた。
亜法ですら回復が不可能なほどに組織が劣化し、使い物にならなくなっていたという。
聖機人では、あの男の全力を受け止めることが出来なかった、ということだ。
それがどういうことか、聖機人を知る者であれば誰でも分かる。
正木太老の聖機師としての資質と実力は、歴史上、比肩する者がいないほど異常に高いものだ、と言う事が。
そして黄金の聖機人――儂の推測が正しければ、あの男は最大のイレギュラー≠ニなりかねない危険な存在だ。
教会の旧い文献に残されている伝承に、光と闇の属性の話がある。
――光を纏いし者、世界を救い
――闇を纏いし者、世界を滅ぼす
と言った、よくある御伽噺にも似た伝承が、この世界には残されていた。
しかし、それは御伽噺でもなんでもない。現実に、それらの属性を持つ者が存在するという確証を、儂は得ていた。
ならば、語り継ぐこと、名前を記すことすら憚られるとされた、もう一つの伝説≠ェ真実であったとしても、何ら不思議な話ではない。
その名は――黄昏
ただ、名前だけが残された旧き伝承。
それが何かを知る者は、今となっては誰一人としていない。
【Side out】
異世界の伝道師 第89話『黄昏の伝説』
作者 193
【Side:太老】
「――い様、お兄様、起きてください!」
チュンチュン、と小鳥の囀る声が聞こえる。
大きな声と共に、体を激しく左右に揺すられ、呻き声を上げながら目を覚ます。
どう言う訳か、目の前にはマリアがいた。
「……あれ?」
周囲を見渡してみるが、俺の部屋じゃない。
(ああ、そういや)
一瞬、首を傾げるが、ようやく昨日の出来事を思い出してきた。
ここはハヴォニワではなくシトレイユ皇国。そして、昨日は城の晩餐会に招かれ、シトレイユ皇の厚意で一泊させてもらったんだった。
昨晩はシトレイユ皇、ラシャラの父親と意気投合して、随分と遅くまで酒を酌み交わし、ドンチャン騒ぎをした。
大国の皇と言う割には、偉ぶっている訳でもなく、気さくで人柄も良い人だった。
ラシャラの肉親だし、悪い人ではないと思っていたが、思ったよりもずっと親しみやすい人で安心した。
――ラシャラのことを頼む
と酒の席で頼まれてしまったことを思い出す。
これからも、ラシャラの友人として手助けしてやって欲しい、そう言いたかったのだろう。
大国の皇と言う前に、娘想いのよい父親でもあるようだ。
「おはよう、マリア」
そう言えば、何でマリアが起こしにきたのだろう、と首を傾げる。
普通、起こしに来るのなら、城の使用人か、従者のランといったところだろう。
(あれ? ランはどこで何をしてるんだ?)
周囲を見渡してみると、昨晩、男性聖機師達から掠めた戦利品を大切そうに握り締めながら、ふかふかした大きなソファーに丸くなって眠っているランを見つけた。
ここからでも、如何にも幸せそうに寝息を立てていることが分かる。
従者としての自覚が本当にあるのか疑わしい光景だ。
いや、多分ないだろうな……ランだし。
「大変なんです、お兄様!」
「大変?」
いつになくマリアは慌てた様子で、俺の手を引っ張る。どこかに連れて行きたいようだ。
その行動を訝しく思いながらも、事情が分からないのでは判断のしようがない。
一先ず、マリアを落ち着かせることにした。
「マリア、落ち着け。一回、深呼吸しろ」
「は、はい!」
スーハー、スーハーと一回多く深呼吸して、息を整えるマリア。
マリアが少し落ち着きを取り戻したところで、何を慌てていたかを聞いてみることにした。
主語もなく、『大変です』だけじゃ、何が大変なのかが分からない。しかし、マリアにしては珍しい慌てようだ。
この様子から、余程の問題が起こったに違いない、と俺は考えた。
「シトレイユ皇が事故に遭われました」
◆
シトレイユ皇が、ラシャラの父親が事故に遭った。正直、未だに信じられない。
だが、マリアの案内で通された部屋の重苦しい空気が、それが事実だと言う事を妙実に物語っていた。
「お兄様をお連れしましたわ」
マリアが案内してくれたのは、城の中央コントロール室のようだ。
無数のモニタや、城の機能を管理していると思われる高度な亜法機械が所々に見受けられた。
その部屋の中央に、ラシャラはいた。
「マリアか……太老も、こんな時にすまぬな」
顔色が優れない様子で、俺にそう言って頭を下げてくるラシャラ。
無理もない。昨日あんな事が遭ったばかりだというのに、父親が事故に遭ったと聞けば。
「ラシャラちゃん、気分が優れないところすまないけど、状況を説明してくれるかな?」
気になるのはやはり、シトレイユ皇の安否だった。
慌てて駆けつけたため、まだ『事故に遭った』としか、マリアには話を聞いていない。
「うむ、実は――」
シトレイユ皇が今居るのは、ここ中央コントロール室のずっと下、大型の亜法結界炉がある機関室だということが分かった。
どうやら、そこにある大型の亜法結界炉が暴走したらしい。
救出や確認に向かおうにも、大型結界炉の放つ亜法波が強過ぎて誰も近づくことが出来ず、手を拱いているという現状のようだ。
「何で、シトレイユ皇はそんなところに?」
機関室の整備員じゃあるまいし、皇自らが行くような場所じゃない。
そのことを疑問に思いながら首を傾げる。
「実のところ、父皇も聖機師、それも飛び抜けて優秀な聖機工なのじゃが……」
ラシャラの話す『聖機工』というのは、聖機人の整備や開発を行える技師のことだ。
彼等は聖機人を扱うという性質上、亜法波に耐性のある聖機師であることは珍しくない。
ハヴォニワの工房にも一般の技師に交じって、何らかの事情を抱え正規雇用の聖機師にはなれなかった者達が、聖機工として働いていた。
勿論、現役の聖機師の中にも、『聖機工』と呼ばれる技術を持った者達はいるが、その大半は実のところ男性が多い。
理由としては、やはり戦力として数えられ、前線に出るのは女性聖機師ということになる。
男性の聖機師は、その稀少性から前線には出してもらえない。だからこそ、後方任務に就くことが多い。そこに原因があるのだろう。
聖機工になり技師として生きる道は、そんな男性聖機師にとって数少ない選択肢の一つなのかもしれない、と俺は考えていた。
とは言え、実際には開発といっても、聖機人その物を作ったり、大幅に改修するような大きな改造が出来る訳ではない。
聖機人は、既にある程度完成された兵器だ。その差は、聖機人そのものではなく、搭乗する聖機師に委ねられる部分が多い。
だからと言って、何もしないで手を拱いていては、他国に後れを取る原因にもなる。
少しでも戦闘を有利に進めるために、聖機人用の装備を開発したり、聖機人の仕組みを解析し理解を深めることで、他の分野にその技術を生かす研究や開発をすることが、彼等の主な仕事だった。
一般的な亜法機械を開発している技師と比べると、こちらの方は研究者と言った意味合いの方が強い。
だが、それだけではシトレイユ皇が機関室にいる理由にはならない。
そんなものは聖機工でなくても、普通の技師で十分な話だ。
「実はその結界炉なのじゃが、父皇とババルンが共同開発した物でな……」
この要塞のような巨大な城のエネルギーを、殆ど賄っている大型結界炉。
それを開発したのが、シトレイユ皇とババルンだというのだから驚いた。
ババルンも聖機工だという事実に驚かされたが、シトレイユ皇もまた、ラシャラの言葉通り優れた技師のようだ。
ラシャラの話によれば、以前から大型結界炉の調子が少しおかしかったらしい。
エネルギー漏れが原因とのことだが、本格的に修理するとなると、金も掛かるし、色々と大変な話になるので、様子を見ていたということだった。
しかし、今朝になって急に動作が不安定になり、生活エリアに供給しているエネルギーが行き渡らなくなる、といった不測の事態に陥ったそうだ。
そのため、自動ドアは開かない、エレベーターは稼動しない、と言った最悪な状態になったらしく、そのことを知ったシトレイユ皇が自分から言い出し、結界炉の修理に向かったという話だった。
他の者に任せるよりも、自分が造った物の修理は自分でした方が早い、とでも考えたのだろう。
完全な修理は無理でも、応急的な処置くらいなら直ぐに済む、という話だったので、『機械弄りが好きなシトレイユ皇のことだ』と、いつもの事と皆は軽く考えていたらしく、まさか、こんな事故に発展するとは誰も想像していなかったらしい。
(でも、亜法結界炉が暴走か……)
壊れて動かなくなるのなら分かるが、暴走というのが少し引っ掛かった。
暴走してエネルギー漏れが起こったというのなら話の筋は通るが、以前から調子がおかしかったようだし、実際、朝には施設にエネルギー供給がいかなくなるほどに、大型結界炉の出力は下がっていたはずだ。
それが、シトレイユ皇が修理に向かった途端に暴走なんて、余りに話が出来すぎているように思える。
まさか、とは考えるが、今はそんな話をしてラシャラの不安を煽りたくはない。
「今、亜法波の耐性の高い聖機師を呼びに行ってもらっておるのじゃが、このままでは間に合いそうもない……」
確かに、事態は一刻を争う。ラシャラが焦るのも無理はない。
幾らシトレイユ皇が聖機師であるといっても、限界を超える亜法波を浴び続ければ、最悪の場合、命を落としかねない。
マリアが急いで俺を呼びにきた理由がようやく分かった。
暴走した大型結界炉に近付いても大丈夫なほど、亜法波への高い耐性を持った聖機師。
そのいるはずもない都合のいい人物が、ラシャラ達の目の前にいる。
――そう、俺だ
「事情は呑み込めた。直ぐに行ってくるよ」
「……すまぬ。今は御主しか、頼れる者がおらぬのじゃ……父皇のこと、よろしく頼む」
切羽詰った様子で、頭を下げて頼んでくるラシャラ。
そんなラシャラを、俺は少しでも安心させようと、優しく言葉を掛ける。
「大丈夫、必ず助け出してくるから」
色々と腑に落ちない点もあるが、まずはシトレイユ皇を助けることを優先しよう、と頭を切り替えた。
「太老様、私が案内致します」
「太老、時間がない。急ぎましょう」
ラシャラとマリアに別れを告げ、先に準備を済ませて待っていたエメラとユキネの案内で機関室へと向かう。
シトレイユ皇が無事でいてくれることを祈りながら。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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