【Side:シトレイユ皇】

『ううむ……困った』

 体が透けている、と言うよりも今の儂は幽霊そのものだった。
 この城の地下に設置されている亜法結界炉は、スワンなど大型の船の動力にも用いられている大型結界炉六台を連結させた物で、この城の維持に必要なエネルギーを全てこれ一台で賄っている。
 エネルギー漏れということは、その連結部分の故障だと儂は推測を立てていた。
 案の定、見てみれば連結部分の配管が腐食しており、そこからエネルギー漏れを起こしておることは直ぐに分かった。
 修理そのものは簡単なもので、応急的な処置ではあるが配管の周りを補修することでエネルギーが漏れでないように修繕した。
 ここまではよい。問題は、その後だった。

 実のところ、自分から修理を言い出したのには、ある理由があった。太老殿のことだ。
 今のところ、太老殿の件では我がシトレイユは出遅れている。ハヴォニワに一歩も二歩も後れを取っていることは間違いない。
 このままでは、フローラのいい様にされ、太老殿とマリア姫は遠くない未来、婚姻を結ぶことになるだろう。
 そうなってからでは、ラシャラが入り込む隙がなくなってしまう。
 娘のため、というのもあるが、シトレイユのためにも、そして何よりも儂自身が太老殿のことを気に入っていたというのが大きかった。
 そして、色々と考えている内に、一つの疑念が出た。

 ――太老殿は何者なのか?

 あの歳であれだけの力を持つ者は、大陸に二人といないだろう。
 年の頃はババルンの息子と大差はない。にも拘らず、その実力には雲泥の差がある。
 知略に長け、支配者としての度量も兼ね備え、戦闘技術も達人級――人柄も申し分ない、息子に欲しいくらいだ。
 だからこそ、太老殿の正体が気になって仕方なかった。
 聖機師としての資質も話に聞いている通りなら、太老殿は異世界人である可能性が高い、と儂は読んでいたからだ。

 しかし、時期的な問題がある。

 異世界人の召喚にはある条件≠ェ必要となるため、召喚できる時期は限定されている。
 よって、太老殿が極最近召喚されたとは、とてもではないが考え難い。そのことから考えても、不可思議な点が多かった。

 以前の召喚から、ずっと結界工房≠ナ冬眠させていたとしても、余りにも若すぎるのだ。
 結界工房の中は外界との時間の流れが大きく違うため、歳を取り難いという特徴がある。しかし、全く歳を取らないと言う訳ではない。
 その点を計算に入れたとしても、太老殿の年齢は余りに若すぎる。
 だからこそ、その理由を知りたかった。

 しかし、聞いたからといって、素直に教えてくれるはずもなかろう。
 現に、昨日の会話の節々で、それとなく太老殿の故郷の話などを聞きだそうとしたが、良く分からない話ではぐらかされてしまった。
 そこで儂は考えた。余り良い趣味とはいえないが、これも娘のため、シトレイユのためだ。

 ――太老殿の記憶を少しでも読み取れないか

 方法は一つだけある。儂のアストラルボディを実体化させ、それを太老殿に同調させることで、アストラル海に埋没した記憶を読み取る。
 ただ一つだけ、この計画には問題があった。アストラルボディを実体化させるための亜法はあるが、それを実行するに伴うエネルギーは大型結界炉一台では足りぬほどに膨大なものだ、と言う点だ。
 しかし幸いにも、この城の大型結界炉は、そこらの物とは比較にならないほど高出力のエネルギーを発生させることが出来る。
 儂一人分のアストラルボディを実体化させるくらいは造作もないこと――のはずだった。

『やはり、応急修理だけで無茶をさせたのがいかんかったか……』

 無茶をさせたのが禍してか、大型結界炉は暴走。
 アルトラルボディの実体化には成功したが、大型結果炉から放出された想定以上のエネルギーが思わぬ作用を引き起こし、自分の意志で肉体に戻れなくなってしまった。
 まだ死んではおらぬが、肉体の方は仮死状態にある。精神だけが、外に飛び出しておる状態だ。
 直ぐに死ぬようなことはないが、このままずっと戻れなければ、食事も取れず衰弱して肉体の方が先に駄目になってしまうだろう。
 そうなってしまっては、戻る体がなくなってしまう。文字通り、本物の幽霊になってしまうのだけは困る。

『父親が幽霊になった、と知ったらラシャラは何と思うかの』

 国皇が幽霊の国……想像するだけで嫌なものがあった。

【Side out】





異世界の伝道師 第90話『皇の災難』
作者 193






【Side:太老】

 ユキネとエメラの案内で、機関室のある地下最深部まで降りてきた。
 まだ結構な距離があるというのに、ここからでも感じられる大型結界炉の放つ強い振動波。

「大丈夫か? 二人とも」
「は、はい何とか……」
「……正直、少し辛いかも」

 エメラは壁に持たれかかり苦しそうな表情を浮かべている。
 ユキネの方はまだマシなようだが、それでも額に脂汗を滲ませ歯を食いしばって我慢しているのが分かる。
 二人は、これ以上、奥に進むことは難しいだろう。最悪の場合、二次災害の恐れもある。

「ここまで案内してくれれば十分だ。二人は先に戻っててくれ」
「で、ですが……」

 エメラは食い下がるが、とてもじゃないがこんな状態の彼女を連れて行く訳にはいかない。
 それに俺の方は、多少の不快感があるものの、二人に比べて特に亜法酔いなどしていないので大丈夫だ。
 亜法結界炉の放つ振動波への耐性は、ハヴォニワの工房の技師達のお墨付きでもある。
 ユキネには『人間?』と疑問視され、フローラには珍獣扱い、思い込みの激しいマリアに至っては、俺を端から人外に格付けし『怪獣』か何かだと本気で思っていた。
 言ってて悲しくなるが、ようはそのくらい亜法結界炉の放つ振動波に対し、高い耐性を持っているということだ。
 このくらいであれば、正直な話、大したことはない。

「分かりました……確かに足手纏いなようですし」

 少し昔話を交えつつ、自分の頑丈さをアピールして、エメラを納得させる。
 ユキネの方は、もう端から帰るつもりだったのか、持って来た荷物を降ろし、帰り支度を始めていた。
 俺の丈夫さは知っているから、最初から心配をしていないのだろうが……。

「これを結界炉の制御パネルの穴に差し込めば、リングの動作も止まるらしいから」

 ユキネが荷物の中から取り出したのは、皇家の紋様の入った意匠の凝らされた銀製の鍵だった。
 これで、大型結界炉の暴走を止めろ、と言う事らしい。
 その他に救急用のキットが入った鞄も手渡され、さっさと立ち去っていくユキネとエメラの背中を見送る。
 信用されてるのか? 諦められているのか? 正直、分からない場面だ。

「おっと、急がないと」

 こんな事をしている場合ではなかった。
 早くシトレイユ皇を助けに向かわないと、手遅れになってしまう可能性がある。
 そうなってしまっては、ラシャラに弁明も出来ない。
 俺は、ユキネから手渡された荷物を手に、大型結界炉のある機関室へと向かった。


   ◆


『いやはや、太老殿がきてくれて助かったぞ』
「それは、いいですけど……何で、こんな事に?」

 魑魅魍魎などといった実体のないものに耐性のある俺だったからよかったものの、マリアやユキネなどが見たら顔を青くして卒倒していただろう。
 ラシャラなどは、自分の父親が幽霊になったなんて知ったら、どう思うか。
 そう、結界炉にまで着いてみれば、その前に頭を抱えて身悶えている幽霊がいた。
 それが誰かなど、今更いう必要もないだろう。この国で一番偉い人……のはずのシトレイユ皇だ。

「じゃあ、残念ながら間に合いませんでしたって報告しておきます」
『うむ、よろしく頼む――って、まだ死んどらんよ!?』

 ちょっとした冗談だ。相変わらずノリのいい皇様だな。
 アストラルボディが肉体から剥離してしまったようで、どうにも自分の意志で元に戻れなくなってしまったらしい。
 取り敢えず、このままでは何なのでユキネから受け取った鍵を使って、大型結界炉の動作を止める。
 暴走と聞いていたので、すんなり停止するとは思っていなかったのだが、シューンという音と共にあっさりと静かになった。

「……壊れて暴走したんじゃないんですか?」
『いや、応急修理は終わったんだがの。問題は、その後で……』

 結界炉の制御弁を緩め、出力を上げたばかりに、こんな事態になったそうだ。
 何でそんな事をしたのか、と問い質すと、何やら気まずい様子で言葉を濁すシトレイユ皇。
 碌でもない理由を隠していそうなので、このことは後でラシャラに報告し、しっかりと問い詰めてもらうことにした。

『それで、儂……戻るのかの?』

 不安そうな表情を浮かべ、俺にそう聞いてくるシトレイユ皇。
 ユキネから受け取った救急用のキットなど、幽霊に効果があるはずもないし、さて、どうしたものか?
 肉体の方は息をしているようだし、今は眠っているような状態だ。直ぐにどうにかなる、ということはないだろう。
 だが、困った。向こうの世界なら、こういうことの専門家を知っているのだが、生憎と俺はそこまで詳しくはない。
 アカデミークラスの設備があれば、原因を解明してアストラルボディを肉体に戻すといったことも可能かもしれないが、こちらにはあちらのような機材もなく設備も整っていない。

「無理ですね」
『そ、そんな……』

 両手両膝を床につき、失意のどん底に突き落とされたかのように暗い影を落とし、落ち込むシトレイユ皇。
 まあ、何となく自業自得な気配がするので放って置いてもいいのだが、それではラシャラが悲しむだろうし。

(うーん、どうしよう)

 何とかしてやりたくても、現状、俺だけでは、どうすることも出来ない。
 ハヴォニワに戻れば、簡易とはいえ、生体強化に使用する診断用のキットもある。
 肉体を眠らせておいて、水穂と相談してから対策を考える以外に手はないだろう。

「シトレイユ皇、取り敢えず、これに入ってもらえます?」
『……ほ、本気か? 太老殿』
「そのまま人前に出れないでしょうが……」

 目に見える幽霊など、人前に出たら大騒ぎ間違いなしだ。
 しかし、ここまではっきりとしたアストラルボディも珍しい。普通、肉体から外れれば、精神強化も施されていない並の人間のアストラルボディなど、普通の人には視認できないほどに存在感の薄いものになるのが普通だ。
 それが、多少透けてはいるものの、はっきりとしたカタチを保ち、こうして意思もしっかりしている。
 余程、シトレイユ皇の精神が強いのか、もしくは暴走した大型結界炉の影響を受けた副作用か。

 何れにせよ、このままラシャラ達のところに連れて行く訳にはいかない。
 丁度いい具合にユキネから受け取った荷物の中に、都合の良い物が入っていた。
 でも、何でこんな物が紛れ込んでいたのだろう? ユキネの私物だろうか?

『こ、これでよいか……』
「上出来です。それじゃ、体の方は俺が担いで行きますので」
『手間を掛ける……』

 そう言ってシトレイユ皇の亡骸……じゃない、体を背負う。
 そして、シトレイユ皇本人はというと、憑依した白猫のヌイグルミ≠フ状態で、俺の頭の上に乗っかっていた。

 もう、皇としての威厳など微塵もない。
 ラシャラが、自分の父親がヌイグルミになった、何て知ったらどう思うだろう?
 とは言え、話さない訳にはいかない。体に戻る方法が見つかるまで、このままで生活しなければならないのだし。

(あれ? 待てよ? ってことは、シトレイユの国皇がヌイグルミになるのか……)

 想像してみると、凄くシュールな光景だった。

 ――玉座に座って臣下に命令をするヌイグルミ
 ――執務室で、自分よりも大きな書類の山に埋もれるヌイグルミ

 シュールどころではない。シトレイユ皇国の先行きが不安になる光景だ。
 もしかしなくても、国家の一大事。実は、大変な問題に関わってしまったのではないだろうか?

(何だか、嫌な予感しかしないんだが……)

 正直、この先のことを考えると不安で一杯だった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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