【Side:マリア】

 お兄様が調子を悪くされて、部屋で休まれているとの話をマリエルから聞いた。
 封建貴族達の粛清から始まり、領地改革に山賊退治、更には慰安に訪れたはずのシトレイユ皇国でも度重なるアクシデントに見舞われ、疲労も溜まっていらっしゃったのだろう。
 ラシャラさんも、今回の事は自身の不手際だと、らしくもなく随分と気にしていた様子だった。
 確かに、ラシャラさんやシトレイユ皇に、何の責任もない、と言う訳ではない。
 国内の不穏な動きを事前に察知しながらも、抑え切れなかったのはラシャラさん達の力不足が原因だからだ。

「……これから、シトレイユは荒れそうですわね」

 ハヴォニワ以上に、シトレイユもまた厄介で難しい問題を抱えていそうだった。
 国皇が倒れ、これから益々、ラシャラさんは厳しい立場に立たされる事になるだろう。
 大国を二分する二大派閥、宰相派と皇族派。話には聞いていたが、ここまで厳しい内情だとは考えていなかった。
 その点でいえば、ラシャラさん同様、私の見込みも甘かったという事だ。

 ハヴォニワとシトレイユの諍いを回避できたのも、お兄様の機転があったから。
 シトレイユ皇の事も、お兄様があの場にいなければ、最悪の場合、命を失っていた可能性もあった。

 無理をさせないようにしよう、と思いながらも、結局はお兄様に頼らなければならない現実。
 こうして、お兄様に負担ばかりを掛けている現状に、苦い思いをしているのは、ラシャラさんばかりではない。
 私も、自分の力の無さが情けなかった。

「お兄様? いらっしゃらないのですか?」

 そろそろハヴォニワに到着する時間になったので、お兄様を起こして差し上げよう、と部屋にまで訪ねていくと、そこにお兄様の姿はなかった。
 マリエルの話では、疲れた様子でぐっすりと休まれている、と言う話だったので、てっきり部屋にいるものとばかりに思っていた。
 早くに目を覚まされ、散歩にでも出掛けられているのかもしれない、と考えた私は、お兄様の姿を捜して船の中を散策する事にした。

「どこに行かれたのかしら?」

 この船はスワンのように巨大な物ではなく、中型船と呼ばれるそれほど大きな船ではないが、使用されている技術はハヴォニワでも最先端の物ばかりを取り入れた新鋭艦だ。
 外部装甲には、お兄様の聖機人のデータを基に開発された特殊素材を用い、多少の亜法攻撃など弾き返してしまうほどの耐久値を弾き出している。これはまだ、どの国にも採用されていないハヴォニワ独自の軍事技術だ。
 更には、極限まで機能美を追求した洗練されたフォルムから生まれる、従来の軍艦を大きく越えた機動力。
 動力として使用されている亜法結界路も、『結界工房』から態々取り寄せた特注品を使用していた。
 軍艦ではないので武装は施されていないが、個人所有の船としては飛び抜けた物だと言える。

 お兄様に相応しい船を、と考えた場合、従来のそこらにあるような生半可な船では意味がない。
 お兄様の期待に応えられるように、と造られたこの船は、まさに『天の御遣い』のために存在する船だった。

 ――名は、カリバーン

 船名を登録する際に、船にこの名前を付けられたのはお兄様だ。
 私が、その意味を尋ねてみると、ある物語に出て来る伝説の剣の名前だと教えてくれた。

 ――勝利すべき黄金の剣

 お兄様の乗る船に、これほど相応しい名前はない。
 シトレイユでも、この黄金の船は周囲の注目を大きく集めていた。
 そのうち、この名はお兄様の名と共に、広く大陸中に知れ渡る事になるだろう。

「あ、いらっしゃいましたわ」

 甲板にまで出たところで、お兄様の姿を発見した。外の風にでも当たられていたのだろう。
 私は、お兄様に声を掛けようとして前に出る――その時だった。

「理想を叶えるために! より住みよい世界を造るために!
 ハヴォニワよ! 私は帰ってきた――っ!」

 城の方角に向かって、声高らかに宣言をするお兄様。
 その一言は、私の胸を強く打った。

(帰ってきたばかりだというのに、もう次の事を考えていらっしゃるなんて)

 前に前にと突き進む、お兄様。その理想は高く、目標は果てしなく遠い。
 しかし、それでもお兄様ならば、その理想を叶えてしまわれるだろう。

(お兄様ばかりに、頼ってはいられませんわ)

 私も決意を新たにする。
 いつか、お兄様の横に並び立てるように――と願いを懸けて。

【Side out】





異世界の伝道師 第97話『新たな恋敵』
作者 193






【Side:太老】

 帰ってきてからというもの、マリアの様子がどこかおかしい。
 おかしいというか、張り切りすぎている、といった方が正しいかもしれない。気合いの入り方が、以前と大きく違っていた。
 シトレイユに行き、大国の空気に触れ、親友のラシャラの頑張る姿に感化でもされたのだろうか?
 帰ってきたばかりだというのに、一息つく間もなく、仕事に打ち込み始めるマリア。
 シトレイユ支部から持ち帰った資料を商会に運び込み、自分の書斎に籠もると早速、書類整理を始めていた。

「本当はゆっくりしたいところだけど、マリアだけに仕事をさせる訳にはいかないしな」

 実のところ、今日は真っ直ぐ屋敷に帰って、ゆっくりするつもりでいた。
 しかし、マリアが商会に荷物を運び入れるや否や仕事を始めてしまったので、俺だけが帰る訳にもいかず、こうして書斎に籠もっていた。
 ユキネもフローラへの報告で城に戻ってしまった以上、シトレイユから持ち帰った資料は、一人で片付けられるほど生易しい量ではない。
 まさか、マリア一人に書類整理を全部任せて、俺一人が家でゆっくりするなど出来るはずもない。
 マリエル達だけを先に屋敷に返し、俺は商会に残って仕事をする事にした。

 マリエルは、自分も手伝うと申し出てくれたが、彼女には屋敷での仕事も残っている。
 それに、向こうで彼女達には十分すぎるほど働いてもらった。帰ってきて早々、余り無理をさせるのは忍びない。
 手伝いならランもいるので大丈夫、と説得し、どうにか引き下がってもらった。

「太老、あたしこういう細かい作業は苦手なんだけど……」
「俺だって、余り得意じゃない。文句言う暇があったら、頭と手を動かせ」

 ランに無理矢理手伝わせ、段ボールに山積みに入っている資料を片付けていく。
 向こうで積み込む際、資料整理をやりやすいように、と予めマリエル達が項目順に分類しておいてくれたので、思った以上に大変な作業ではなかった。

 しかし、それでもかなりの量がある。それはそうだろう、シトレイユ支部のこれまでの実績データがそこにはあった。
 その中には、先日倒産したという大商会からせしめた不動産や流通販路、幾つか吸収した事業内容の詳細も記載されていた。
 ずいぶんと手広くやっていたらしく、銀行、建築、病院、不動産と様々な分野の事業が名を連ねていた。
 その中でも、特に業績を上げていたのが交通・運輸業だったらしく、シトレイユ国内だけでなく、各国を繋ぐ貨物船や連絡船などの運航も手掛けていたようだ。
 神器の密売や、人身売買など、この流通ルートを利用して非合法な商売を繰り返していたと考えて間違いないだろう。

「何を真剣に見てるんだい?」
「ああ、例の大商会の残した資料を少しな。でも、これは意外と使えそうだ」

 以前から考えていた格安の交通事業を、これを使って始められないか、と俺は考えていた。
 大商会の保有していた船は全部で三十四隻。内、数百人単位で人を乗せられる大型船が十隻もある。
 亜法結界炉を利用した船の利点は、燃料費が必要ない事だ。燃料コストが一切必要ないという事は、かなり大きな利点といえる。
 港の利用料など、その他に掛かる諸経費を計算に入れても、かなり大きな利幅が生まれると考えていい。
 シトレイユの大商会の事業の中で、一際この業種が大きな成果を上げていた理由の一つが、そこにあった。

 貴族でも商家の生まれでもない平民の利用率は、全体の一割にも満たない。これは、船の乗船料が余りに高すぎる事による弊害だ。
 乗船料の大幅な値下げをすれば、確かに一時的に利益は減少する事になるだろうが、その分、利用者が増えれば数で補う事が出来る。
 三百人乗りの船で、一割にも届いていない乗船率は、はっきり言って無駄としか思えない。
 特権階級や金持ちなど、全体のほんの一部の人間だけだ。国を支えている人々の大半は一般人、極普通の平民だ。
 その事を考えれば、富裕層向けの事業を絞り、一般人向けの低料金の船を多く用意した方が、遙かに広いシェアを獲得できるはずだ。

「シトレイユ支部と話し合って、交渉してみる価値はありそうだな。
 ラン、経営会議を開きたいから、シトレイユ支部に連絡を取ってスケジュールを確認しておいてもらえるか?」
「え? 日取りはこっちから指定しなくていいのか?」
「向こうも、今はゴタついている時期だろうからな。
 こっちもやる事が詰まってるし、出来る限り向こうの希望に添った日に合わせてくれ」

 シトレイユ皇が、あんな事になった後だ。ラシャラも何かと忙しいだろうし、商会の方も上があの状態ではゴタゴタしているはずだ。
 優秀な人材に恵まれているとは言っても、やはり、あそこまで大きくなれたのはラシャラの手腕によるところが大きい。
 オーナー兼シトレイユ支部の代表とも言うべき人物が、思うように身動きがとれない現状では、商会内部も相当に混乱を来しているに違いない、と俺は推測していた。
 以前から考えていた事だけに、早く手を打ちたい内容ではあるが、これだけは向こうと足並みを揃えない事には難しい。

「あ、それと、これをマリアのところに持って行ってくれ。こっちの資料に、向こうのが紛れ込んでたみたいだ」
「人使いが荒いな……」
「使ってもらえるだけマシと思え。『給料泥棒』なんて言われたくはないだろう?」

 ランに、丁寧にファイリングされた資料を手渡し、マリアに届けるように指示をだす。
 紛れ込んでいた書類は、経理関係の書類のようで、これはマリアの管轄になっていた。

 正木商会の経理は、殆ど一手にマリアが担ってくれていた。
 情報処理、分析能力に長け、経済観念がきっちりしているので、安心して任せられる。
 それに、商会が出来た頃から率先してマリアがやってくれている事もあって、今ではすっかりその手の仕事はマリアの仕事になっていた。
 元々、フローラへの報告も兼ねていたので、マリアがやった方がいろいろと手間が掛からないというのも理由にあるのだが、それを差し置いても、この商会でマリア以上に情報処理に長けた人物はいない。

 水穂や、グレースにシンシアといった例外もいるが、あれは例外中の例外だ。
 それに彼女たちは俺が個人的に雇っている使用人であって、商会に所属する職員ではない。
 経理なんて重要な部分の仕事を部外者に手伝われる訳にも行かないので、最初から除外されるべき人物だ。
 それに、水穂は水穂で情報部の設立などやる事があって、それどころではない事は分かっていた。

「あ、そういえば情報部の件どうなったんだろ?」

 ランを送り出してから、ふとその事に気がつく。
 シトレイユ皇の件もある。相談ついでに進行具合でも聞いておこう、と考えていた。

【Side out】





【Side:マリア】

 ――コンコン
 部屋の扉をノックする音が聞こえる。その音に気づき、時計の針に目をやると、仕事を始めてから既に五時間が経過していた。
 随分と集中していたようだ。お兄様に触発されたからとはいえ、余り無理をして体を壊しては元も子もない。
 扉の向こうの人物に返事を返し、一息入れようと席を立った。

「マリア様、向こうの書類にこれ≠ェ紛れ込んでたらしくて届けに来ました」
「そこの机の上に置いておいて。あ、ランもよかったら御茶でも如何?
 ちょうど、一息入れようとしていたところだったから――」
「あっ、だったら、あたしが淹れます!」

 ランに任せて大丈夫だろうか? と彼女の大雑把さを知っているだけに訝しい表情を浮かべるが、随分とやる気を出している様子だったので思い切って任せてみる事にした。

「あら、美味しい」
「でしょう!」

 私が言いつけた課題を真面目に勉強していたようだ。マリエルやユキネほどとはいかないが、十分に美味しい紅茶だった。
 後は経験の問題だし、これだけ出来れば十分に及第点をあげられるだろう。
 ランも、『美味しい』と言ってもらえた事が嬉しかったのか? 自信満々といった様子で胸を張っていた。

「太老に付き合ってもらって、かなり頑張ったからね」
「はあ……お兄様が何も言わないのは分かってますが、目上の方なのですから出来るだけ『様』をつけて呼びなさい」
「あ……申し訳ありません。マリア様」

 丁寧に言い直すランだったが、やはりまだ慣れないのか? 硬さが抜けきれていなかった。
 この調子では、まだまだ『一人前』と呼べるようになるには、随分と時間が掛かりそうだ。

「そう言えば、お兄様に手伝ってもらったって……」
「えっと、正確にはエメラに教えてもらいながら、太老に味見役をしてもらってたんですけど」

 味見役というか毒味役ではないだろうか? と失礼な想像が頭を過ぎった。
 ここまでなるのに、どれだけ練習をしたのかは分からないが、お兄様も大変だっただろう、という事は容易に想像できた。

「一つ聞きたいのだけど、エメラはあなたから見てどうでした?」

 最初は警戒していなかったのだが、私やラシャラさんを出し抜いてお兄様とお風呂を一緒していた、というのが気になっていた。
 単に従者として、お兄様の背中を流しにきただけならいいのだが、どうにもエメラのお兄様を見る目が普通とは違うように思えてならなかった。

(気にし過ぎとは思うのですけど、あんな事があった後ですし)

 暴漢に襲われそうになっていたところを助けてもらったのだ。
 エメラが、お兄様にそう言う感情を抱いていたとしても、何ら不思議な話ではない。

「エメラですか? まあ、ちょっと堅物かな? って思うところもあるけど根はいい奴だと思いますよ。
 文句一つ言わずに、一晩中、紅茶の特訓に付き合ってくれましたし」
「一晩中? お兄様の部屋にあなた達は一晩中いたのですか?」
「ええっと……まあ……」

 私の知らないところで、そんな事があったとは思いもしなかった。

(一晩中お兄様と一緒だなんて、何て羨まし……破廉恥な)

 やはりランには、従者としての心構えから厳しく教えないといけなさそうだ。
 シトレイユ城でも、お兄様と同じ部屋で寝ていた様子だったし、幾ら従者だからといって、公私はきちんと分け、淑女らしい慎みを持って欲しい。
 しかし、それはそうとエメラまで一緒だったと言うのが、どうにも解せない。
 ランの話によると、紅茶の特訓に付き合ってもらったのも約束していた訳ではなく、偶然のようだった。

「では、エメラからお兄様の部屋を訪ねてきたんですのね? 深夜遅くに」
「何か用事があるみたいだったけど……あたしは知りませんよ? 何も聞いてないし」

 余り考えたくないが、やはりそういう事≠ネのかもしれない、と状況から類推した。
 お兄様に好意を抱いている女性は大勢いるが、エメラほど大胆な女性は今のところ見た事がない。
 知り合って間もないというのに風呂に押し掛けたり、深夜遅くに部屋を訪ねていくなど、エメラは随分と積極的なようだ。

(ま、まずいですわね。私も、もう少し大胆になった方がいいのかしら?)

 大人しそうに見えて、かなり強かな女性のようだ。

 今回は、ランが一緒だったために事なきを得たが、次も何もないという保証はない。
 これから先、エメラのような積極的なアタックを仕掛けてくる女性が出て来ないとも限らない。
 体を武器に勝負を仕掛けられたら、将来性はあっても、今の私では勝ち目がない。

 お兄様が、色香などで簡単に籠絡されるとは考えにくいが……私の不安は尽きなかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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