聖地から南下した場所にある山岳地帯。岩壁と喫水外に囲まれたその堀の中に、教会の本拠地はあった。
シュリフォン王国、ハヴォニワ国、そしてシトレイユ皇国の三大国家の中央に位置する独立領。
三国の中心という立地条件ながら、そこは教会の管理下にあり、ここから聖地に指示を送り、各国に対する牽制と睨みを利かせていた。
先史文明の遺産。そして、それを基に開発された聖機人。謂わば、この世界『ジェミナー』の文化と歴史、その権威と力の全てがここに集約されている。
「正木太老……彼は何者なのだ?」
「黄金の聖機人など前代未聞だ。しかも、ハヴォニワだけでなく、シトレイユすらも彼の影響下にある」
「それだけではない。シトレイユが動いたことで、今まで静観を決め込んでいた各国の諸侯達も、彼に取り入ろうと動きを見せ始めている」
精悍な趣の大聖堂。その中央に、八人の黒いローブを身に纏った老人達の姿があった。
彼等が話し合っているのは、今や大陸中を賑わせている話題の人物、正木太老のことについてだ。
「返却された聖機人は、修復が困難なほど組織が劣化していたという。どんな乗り方をすれば、そんな事が可能だというのか?
聖機人の活動限界値すらも容易に超えるほどの能力。明らかに、彼の力は常軌を逸しています」
黒いローブの老人の一人が、危機感を募らせながら、上座に座る白髪の老人に意見する。
地味な黒のローブを身に纏っている八人の老人と違い、意匠の凝らされた仰々しい真紅のローブを身に纏い、自らの権威を象徴するかのように精悍な佇まいで玉座に腰掛けていた。
彼こそ、この教会の絶対的権力者であり、現代の教皇、その人だ。
次々に自分達の意見を矢継ぎ早に並び立て、纏まる物も纏まらず議論を続ける老人達の話に、教皇は黙って耳を傾けていた。
「ハヴォニワは何を企んでいる!? それ以前に、あのような男を今までどうやって隠していたのか!?」
「彼は異世界人なのでは?」
「いや、それはおかしい。もしそうだとしても、時期の問題はどう説明する?」
正木太老に関する情報は錯綜していた。ハヴォニワでの件もそうだが、シトレイユでの話も既に広まり始めている。
しかし、どの話も実際にその目にしなければ信じられないような物ばかり。
だが現実に、大国と呼ばれる国が彼のことを重要視し、注目しているという事実が、噂の信憑性を高めていた。
もう一つ、黄金の聖機人の映像が流れていたことも、話をより現実味のある具体的な物として伝えるのに一役買っていたとも言える。
「しかし、彼は危険だ! 現に、各国の軍事バランスは彼一人の存在で大きく崩れかかっている」
彼等がこうして議論を重ね、正木太老の存在に危機感を募らせているのには、ある理由があった。
それは、教会の存在意義や、ジェミナーという世界の仕組みに大きく関係している。
教会が聖機人の数を制限し、各国の戦力バランスを調整しているのは、各国に聖機人という絶対兵器を使い競わせることで、大きな争いを行わせないため、一国による支配体制を築かせないためでもあった。
一国に過剰な戦力が集中してしまえば、このバランスが崩れ、余計な野心を抱く物が現れないとも限らない。
今までは力の拮抗した三国が睨みを利かせあうことで、どうにか取れていたバランスが、たった一人の男の登場でもろくも崩れ去ろうとしていたのだ。
ハヴォニワにその意志はないと言ったところで、その話を素直に聞き入れられる者などいるはずもない。
この戦力バランスの崩壊は大きな諍いを予兆させ、大陸の勢力図を大きく塗り替えてしまう恐れもある。
彼等が正木太老の存在を危険視し、焦る気持ちも無理はなかった。
「静まれ!」
『――!』
教皇の一喝で、口を噤む黒いローブの老人達。
先程までの喧騒とした雰囲気はそこになく、沈黙という名の静けさが場を支配していた。
「正木太老を招聘する。まずは本人を見てみなくては何も決められぬだろう。
彼も聖機師だ。聖地の学院で修行をする義務がある以上、この招聘には逆らうことなど出来まい」
教皇の決断に、一先ず納得したかのように頷く、黒いローブの老人達。
聖機師である以上、聖地の学院に通うことは義務であり、責任でもある。
ここで正式に聖機師として認められなければ、他国の聖機師との婚姻も許されない。
聖機師であること、それはこの世界において最高の栄誉であり、権威の象徴。
誰でも聖機師に成れる訳ではなく、生まれもった才能のある者でしか成ることが出来ない、誇り高い仕事だ。
聖機師に選ばれて、断る者などいるはずもなく、ましてや、彼は数少ない貴重な男性の聖機師だ。断ることなど出来るはずもない。
その上、他に例がないほどの有能な資質を持つ聖機師でもある。
そう言う取り決めになっている以上、この話を彼が断るはずもない、と彼等は確信していた。
異世界の伝道師 第98話『教会の思惑』
作者 193
【Side:太老】
「――という要請が教会からあったのだけど」
「え? 嫌ですよ。面倒臭そうだし」
ようやく二日貫徹の仕事が終わって、屋敷に戻って水穂にシトレイユ皇のことを相談しようと思っていたら、今度はフローラに呼び出されてしまった。
確かに、帰ってきてからマリアやユキネに任せきりで、一度もフローラに挨拶もしていないし、一度くらい顔を見ておこうかと城に訪れてみれば、今度は『聖地の学院から招聘が掛っている』と何とも嫌な話を持ちかけられた。
来年、マリアが通うことになっている、例の聖機師や王侯貴族だけが通うとかいう学院のことだ。
――何が悲しくて、今更学校に通わなければいけないのか?
この世界の歴史とか、色々疎い部分は確かにあるが、向こうの世界では義務教育はちゃんと卒業しているし、鷲羽や母親のお墨付きでアカデミー卒業程度の学力は認められている。
専門的な技術など、この世界の技師よりも遙かに進んだ知識を持っているくらいだ。
大体、前世から換算すれば、もう何年学生をやっているか分かったものじゃない。俺からすれば、全く必要性を見出せなかった。
「そうよね……太老ちゃんなら、そう言うと思ってたわ」
「じゃあ、そういう事で断っておいてください」
「それが、そう単純な話でもないのよ。ほら、聖機師だってことがバレちゃったでしょ?」
聖機師だということがバレたのがいけなかったらしいが、別に聖機師であることで良かったと思ったことなど一度もない。
逆に、妙なトラブルばかり舞い込んできて、辟易としているくらいだ。今更だが、あの黄金の聖機人を人前に晒したことを心底後悔していた。
戦時下じゃあるまいし、やりたい奴だけやってれば十分だと俺は思うのだが、この世界の人達は聖機師に偏重し過ぎている気がしてならない。
どちらにせよ、男性聖機師は貴重だからという理由で戦力には数えてもらえず、前線になど出してもらえないのだから、他に何をしててもいいと思うのだが?
「幾ら言っても無理ですよ? 俺にだって生活がありますし、領地のことや商会の仕事だって」
そう、俺にだって生活がある。学院に通いながら、商会の仕事をして、領地のことを見る、何て三足草鞋は不可能だ。
大体、こちらの事情も聞かず、一方的に通告してくるなんてやり方も気にくわなかった。
「出来れば、二学期から編入して欲しいと向こうは言っているのだけど……無理よね?」
「無理も何も、行く気なんてこれっぽちもないですよ?」
大きく溜息を吐き、珍しく頭を抱えているフローラ。
そんなに厄介なことなのだろうか? 彼女の場合は立場もあるし、教会との関係を余り悪化させたくはないのかもしれない。
しかし、フローラがなんと言おうが、俺には行く気など全くないし、暇人じゃあるまいしそんな急には無理だ。
「大体、二学期からって、何ヶ月も猶予がないじゃないか」
こちらの暦は大体地球のそれと酷似している。今は五月、こっちの学校にも夏休みなどの長期休暇があることは、以前マリアに見せてもらったパンフレットを見て知っているので、二学期というと九月からということになる。
そのことを考えると、向こうが提示してきた猶予は半年もない。
バカも休み休み言って欲しい。教会の仕事がどれだけ暇かは知らないが、こっちは毎日が戦争のように忙しい日々を送っているというのに、全く時間が足りない。
聖機師なんかよりも、今の生活を維持する方が遙かに大切だ。
フローラの立場も分かるが、やはりどう考えても無茶な要求だろう。スパッと断ってもらうしかない。
「分かったわ……向こうには、そのように返答しておくから。急に呼び出したりして、ごめんなさいね」
「こっちこそ、我が儘を言ってすみません」
フローラは悪くないのだから、頭を下げられても困ってしまう。まあ、どこにでも相手の都合など考えないバカはいるものだ。
聖機人や先史文明の遺産といった、この世界の根幹に関わる仕組みを管理しているような組織だ。
俺が今まで見てきた貴族以上に、伝統や風習に凝り固まって、上の連中も相当に頭が固いに違いない。
『郷に入っては郷に従え』という諺が確かに日本にはあるが、ここはハヴォニワだし、そう言う自分の都合しか考えてないような連中の言う事を聞いてやる義理はなかった。
【Side out】
【Side:フローラ】
教会からの要請があった時、遂にきたか、という思いと共に、こんな事になるのではないかと思っていた。
案の定、太老には断られてしまった。『面倒臭い』などと言っていたが、彼は聖機師などに興味はないのだろう。
正木商会のこと、それに領地で推し進めている農地開拓や、最近浮上してきた都市計画。その上、軍を使って山賊退治まで始めていると聞いている。
学院に通っているどころの話ではない、と言う彼の話も納得が行くものだった。
「でも、前代未聞よね……教会の反応は容易に想像がつくわ」
向こうも、まさか断られるなどと微塵も考えてはいないだろう、と言う事は容易に想像がつく。
資質のあるものが、聖機師になるために学院に通うのは当然のことだ。しかも、それが男性であれば尚更のこと。
最初から断るなどといった選択肢があるはずもない。しかし、何事にも例外はつきものということだ。
彼は、その例外中の例外といったところだろう。
聖機師である前に、ハヴォニワにとって欠かすことの出来ない重要な人物であり、大貴族。
しかも、今やハヴォニワ最大の大商会を束ねる代表でもある。故に、彼は聖機師であることを、それほど重要には捉えていない。
聖機師であるということも、彼にとっては持ち札、手段の一つに過ぎず、目的のために利用することはあっても、固執する必要はないからだ。
「教会は間違いなく、反論してくるでしょうね。交渉役か、調査隊を送ってくるかもしれないわね」
断るなんて行動を取れば、教会の対応など決まっている。
通信や文書で駄目ならば、と直接交渉に出てくることは間違いない。いや、交渉というよりは勧告と言っていい。
教会から聖機人を供与されている立場にある各国は立場が弱い。このハヴォニワといえど、最初から教会に対する拒否権などないからだ。
誰が来るのかは知らないが、そんな一方的な通告に応じる太老ではない。間違いなく、一悶着起こるだろう。
「各国も注目している。そして、教会も彼の存在を放っておくことなど出来るはずもない」
たった一人で戦局を左右してしまいかねないほどの聖機師。しかも、ただ力があるだけではなく、知略に長け、先見の力もある。
何より、商会を例にとっても分かるとおり、判断力も高く、周囲が感嘆するほどに博識で、欠点らしい欠点など見当たらない。
その上、人柄も良く、誰にでも平等に優しく、民にも人気があるので、女王の私ですら、最近は彼の影響力に押され霞んでしまっている。
噂にある『天の御遣い』という名は伊達ではない。自称や自惚れなどではなく、皆がその名で呼ぶことを認め、彼の力を評価し、支持している証拠に他ならない。
教会が、どう思っているかは分からないが、少なくともハヴォニワにとって彼は、無くてならない欠かせない存在となっていた。
余り無茶な要求はしてこないとは思うが、私は女王として、最悪の場合も想定しておかなくてはいけない。
彼を、無条件で教会に差し出すなんて真似は論外だ。そんな事が出来るはずもない。
教会と問題を起こしたくはないが、メリット、デメリットで考えた場合、私は迷わず彼との関係を取るだろう。
先を見据えた場合、彼という存在が現れた時点で、教会には未来がない。
これは飽くまで私の勘だが、近い内に、この世界の仕組みを根幹から変えてしまうほどの事件が、起こることは間違いない。
その中心に、彼がいると私は考えていた。
「暫くは向こうの反応を見ながら、静観するしかなさそうね」
時代の岐路に、私達は立たされていた。
この変革を受け入れることが出来るかどうかが、この先、生き残れるかどうかに左右する。
道を誤れば、あの粛正された貴族達のように、身の破滅を招く結果に終わるだろう。
正木太老――彼は最強のエースであると同時に、私にとって最悪のジョーカーでもあった。
使い方を見誤れば、身の破滅を招くほどの強大な力。あるのは成功と失敗のみ。
ハヴォニワの未来は、この選択に委ねられていた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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