【Side:グレース】
ハヴォニワ王国の首都、北部に位置する官庁街。
ハヴォニワ城を始めとする、行政が集中する官吏の街。この国の政治の中枢がここにあった。
その一角に、名家の貴族や大商家の子女が通う、最先端の知識と技術が集るハヴォニワ随一の名門――ハヴォニワ王立学院はある。
『最高の教育を受けられる』と明言するだけあって、教鞭を執る教師のレベルも設備の充実度も、他の学校とは比べ物にならないほど高い水準を保っていた。
今更、学校に通うつもりなんてなかったのだが、太老に交換条件を突きつけられてしまっては仕方ない。
それに、ここは研究開発に携わりたいと思っていた私にとって、悪い環境ではなかった。
街の工房では、まずお目に掛かれない最新の設備や、王立というだけあって秘蔵されている蔵書の数だけでも半端ではない。
しかも、どれもこれも貴重な書物ばかり、思わず目移りしてしまうほどの品揃えだった。
更には正木商会の依頼で、ずっとやってみたかった『新型亜法結界炉』の開発にも携わることが出来た。
自ら望んで得た結果ではないが、結果としては申し分ない。
今のところ、順風満帆の日々を送れている、と言える。
「グレースさん、今日の保護者参観、どなたがいらっしゃいますの?」
「別に……誰も来ないよ」
この馴れ馴れしい同級生達を除けば、と言う点に尽きるが……。
今でこそ落ち着いた物だが、入学当初はシンシアと一緒に、『天才の双子』などと注目され散々な目に遭わされた。
休憩時間の度に声を掛けてくる同級生達。
クラスメイトは疎か、学院中の生徒から注目され、心休まる時間など殆どなかった。
異世界の例えに習えば、『客寄せパンダ』というのに近い状態だ。
ずっと無視を続けていたら、一人減り二人減って、もうクラスメイトでも数人の女生徒が、こうして話し掛けてくる程度に落ち着いていた。
それでも、未だに諦めずに話し掛けてくるクラスメイトがいることが驚きだが、私は友達付き合いなどに最初から興味はないので、率先して話を合わせようという気は更々なかった。
「そうですの……残念ですわね」
残念なことなど何もない。今の今まで、参観日のことなど忘れていたくらいだ。
別に、親に観に来て欲しいなどと思ったことはいない。
そう、別にきてくれなくたって……何一つ、私は困りはしないのだから。
「おーい! シンシア、グレース!」
「――なっ!?」
意外な人物の声が、教室の入り口から聞こえてきた。
こちらに暢気な笑顔を向けて、大声で私とシンシアの名前を呼び、両手を振って嬉しそうにしている太老。そして、その後ろに続き、教室に入ってくる母さん。
そんな太老の恥ずかしげもない行動に、シンシアは顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いていた。
参観日だって知らせてなかったはずなのに、どうして? と言う疑問が湧くが、その答えには直ぐに思い当たった。
この事を知っていると思われる人物は、私の知る限り一人しかいない。
(水穂の奴っ!)
ニヤリと笑顔を浮かべる水穂の顔が、脳裏を過ぎっていた。
【Side out】
異世界の伝道師 第105話『保護者参観』
作者 193
【Side:太老】
昨日、水穂から、シンシアとグレースの参観日の話を聞かされていなければ、危うく二人に寂しい思いをさせるところだった。
先週の週末、折角二人が屋敷に帰ってきてくれたと言うのに、生憎と俺は仕事が詰まっていたこともあって商会に缶詰になってしまっていた。
恐らくはその時に、俺やミツキに今日のことを話すつもりでいたのだろう。本当に悪いことをしたと思う。
「おーい! シンシア、グレース!」
教室に入って、シンシアとグレースに呼びかけると、二人は恥ずかしかったのか? その場で黙って俯いてしまった。
何も言わずに唐突にきてしまったから、驚かせてしまったのかもしれない。
「あ、あの! 正木太老様ですか!」
「ん? そうだけど……」
二人に意識を向けていると、いつの間にか教室の女生徒に取り囲まれていた。
何やら緊張した面持ちで名前を尋ねられ、その場の雰囲気に流されて素直に頷いてしまう。
「お会いできて光栄です! あの……よろしければ握手して頂けませんか?」
「私も、お願いします!」
我先に、と詰め寄ってくる女生徒の迫力に、思わず物怖じしてしまう。
しかし、シンシアとグレースの参観にきて、今更逃げ出す訳にもいかない。
仕方なく営業スマイルを浮かべ、握手を求めてくる女生徒の要望に応える。
ミツキはその様子を見て、何が可笑しいのか? クスクスと微笑を零していた。
(他人事だと思って……)
とは言え、ハヴォニワ国内で『天の御遣い』だの、名前が知れ渡っていることは俺も自覚している。
未だに市場に行くと、色々とタダで売り物を分けてくれたり、行く先々で握手を求められたりするくらいだ。
これでも、こうして取り囲まれることには、随分と慣れた方だった。
余り嬉しい状況でないのは確かだが、好意を向けられることに関しては嫌な気はしない。
「こら、お前達! 何を騒いで――」
「あっ、すみません。騒がせてしまったみたいで」
教師が教室に入ってきたのを確認して、俺は頭を下げた。
これと言うのも、黄金の聖機人の一件以来、ハヴォニワ中に知れ渡ってしまっている俺の顔と知名度が原因だ。
俺本人にそのつもりはないのだが、行く先々でこうして取り囲まれることは珍しくない。
生徒ばかりか、他の保護者も居る中で、教室を騒がしくしてしまって申し訳ない気持ちで一杯だった。
「正木卿!?」
「はい、そうですけど?」
「わ、私も握手して頂いてよろしいでしょうか!」
「…………」
シトレイユ皇国で催して貰った送別会の再現――それは言い過ぎかもしれないが、近い物があった。
その後も、教師、保護者の方々、生徒達と、全員入り乱れての握手会となった。
授業の開始が一時間ばかり遅れることになったのは、今更言うまでもない。
【Side out】
【Side:グレース】
抜き打ちで、太老と母さんの二人がやってきたことで、教室は大騒ぎになった。母さんは別として、太老がきたのだ。この騒ぎも無理はない。
私達が、入学当初から学院で注目を浴びていた理由の一つに、私達の後見人兼、推薦人に、太老の名前が挙がっていたことも大きく関係していた。
ハヴォニワに身を置く者で、『正木太老』の名前を知らない者は一人としていない。
知らない者がいるとすれば、余程の田舎者か、重度の世間知らずのどちらかだ。
ましてや、ここは名家の貴族、大商家の子女ばかりが通う、ハヴォニワきっての名門学院。
太老のことを知らない無知な者など、一人としているはずもない。
家が、正木商会の世話になっている者達も少なくはないだろう。
それほど、あの大商会はハヴォニワの経済に深く根を張っていた。
私が、太老に参観に来て欲しくなかった一番の理由がこれだ。
シンシアのことを可愛がっている太老なら、保護者参観の話を聞けば、何が何でも真っ先に駆けつけてくることは分かっていた。
しかし、太老が参観にくれば、間違いなく学院は大騒ぎになる。そして、その予想は見事に当たっていた。
太老は、自分のことになると無頓着なところがある。
自分がどれほど有名で、どれだけの影響力を持っているかを、全く理解していない。
良く言えば自然体、それが太老の良さとも言えるのだが、もう少し考えて行動して欲しいと思わなくはなかった。
「……シンシアはやっぱり、太老と母さんがきてくれて嬉しい?」
「……コクッ」
私の唐突な質問に、少し考えた様子だったが、直ぐに笑顔を浮かべて頷くシンシア。
こうなってしまっては、今更何を言ったところで意味はない。
シンシアが喜んでいるのなら、それもいいか、と私は諦めた。
どちらにせよ、取り囲まれて苦労するのは太老であって、私やシンシアではない。
色々と自覚の足りてない本人には、少しいい薬だろう、と考えた。
「グレースさん、シンシアさん」
「ん?」
「あの噂は本当だったんですのね。お二人が正木太老様の養女≠セという話は」
「ああ……」
忘れていた。太老がここにくる、と言う事は、今では静まっている、あの噂を証明しているということだ。
養女というのは語弊があるが、書類上は太老の庇護下にあることに違いはないので、満更間違っていると言う話でもない。
しかし、困った。ようやく私達への興味も遠のいて、騒ぎも治まり始めていたと言うのに、これではまた再燃しかねない。
とは言え、言い逃れできる状況ではなかった。
中途半端な返答をしたところで、彼女達は納得しないだろう。
「養女ってのは少し違うけど……太老が私達の後見人になってることは本当だよ」
「まあ! やっぱり」
ワイワイと騒ぎ始める女生徒達。こうなることが分かっていたので、余り正直に答えたくなかったのだ。
しかし、こうなってしまってはどうしようもない。異世界の諺に『人の噂も七十五日』という言葉がある。
その内、飽きて噂もされなくなるだろうから、それまでの辛抱だ。
私は、これからの学院生活のことを思って嘆息した。
「二人とも、しっかり学院に馴染んでるようで安心したよ」
「う……もう、用はないだろ? 仕事も忙しいだろうし、このまま帰ってくれても」
「俺の仕事を心配してくれてるのか? その心遣いは嬉しいけど、大丈夫。
今日は水穂さんとマリアのお墨付きで、ちゃんと休みを貰ってきたから、以前のように仕事で二人に寂しい思いをさせることもないよ」
いや、早く帰って欲しくて言ったのだが、太老は直ぐに帰る気はないようだった。
しかし、水穂の奴。仕事の件といい、予め手を回しておいたのだろうが、間違いなく確信犯だ。
「ミツキと二人で、先生と話があるから少し待っててくれるか?
後で、二人が開発主任をしてるっていう研究室に案内してくれ」
「……いや、でも」
「二人の参観に顔を出したかった、てのもあるけど、こっちは商会の仕事として気になっててね。
水穂さんからも経過確認をしておいて欲しい、って頼まれてるんで悪いけど頼むよ」
そう言われて断れるはずもない。正木商会は、私達の研究開発費を持ってくれている重要なスポンサーだ。
しかし、水穂の提案というのが如何にも怪しかった。これも、水穂の計略と見て間違いないだろう。
私達、いや明らかに私を困らせようと企んでいることは明白だ。
シンシアは何だかんだで嬉しそうなので、こうして困っているのは私だけだった。
【Side out】
【Side:ミツキ】
グレースの困った様子が、少し新鮮だった。
今回のこと、水穂様が仕掛けたのだろうが、確かにグレースには良いことなのかもしれない。
グレースはシンシアとは別の意味で、周囲と態と距離を取ろうとする子だ。
学院に入ればそれも少しは変わるかもしれない、と思っていたが、グレースからは一向に友達が出来たと言う話を聞かない。
それどころか、保護者参観のことを私にすら話そうとしない始末。
保護者参観を通し、こうして学院での生活を覗かせてもらったが、友達がいないばかりか自分から距離を取ろうとしている。
親としては、確かに心配になる部分だった。
「行き成り押し掛けて、グレース怒ってたのかな?」
「いえ、あれは照れてるんですよ」
心配して頭を捻る太老様に、私はそう言って安心させる。
確かに、少し怒っていたのかも知れないが、あれは本気で嫌がっていない時の態度だ。
グレースは本気で怒っている場合、口も聞かない、完全に相手を無視する癖がある。
嫌々でも応対しているということは、態度とは裏腹にそれほど嫌な訳ではないのだろう。
それに、多少嫌なことであっても、今のグレースには必要なことだと、私は感じていた。
「ミツキさんが言うなら、そうなのかな?」
「それよりも、先生がお待ちですよ。急ぎましょう」
――今回、こうして機会を与えてくださった水穂様には感謝しなくては
あの二人には、勉強以外にもっと多くの大切なことを学んで欲しい。
沢山の人達との出会い、この学院での生活が、二人に良い影響を与えてくれることを、私は心から願っていた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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