【Side:アンジェラ】

「ラシャラ様は城の方に?」
「はい、外での公務の時以外は一歩も外に出られていません」

 城の衛兵から聞いた話では、今週までで既に五十人以上の負傷者が出ていると言う話だった。
 対立派閥の貴族同士による決闘や、暗殺騒ぎなどがその主な原因だ。

「申し訳ありません。このような資材搬入用の入り口から、お招きするような真似になってしまって」
「シトレイユの事情を考えれば仕方ない事ですから、どうぞお気になさらず。こちらこそ、こんな無理を聞いて頂いてすみません」

 水穂さんはそう仰ってくれるが、やはり心苦しい物があった。
 ラシャラ様も、自分に力が足りないばかりに、と嘆いておられた事を思い出す。
 本来であれば、こうして太老様の力をお借りするのさえ、ラシャラ様は望んではおられなかっただろう。
 しかしもはや、そうも言っていられる状況ですらなくなっていた。

「こうなった原因は、やはり太老くんなのでしょう?」
「それは……」
「ラシャラ姫が即位すれば、その後ろには必ず正木商会の、太老くんの姿がある。ハヴォニワ同様、陰から国に影響を及ぼし兼ねない太老くんの存在を彼等は危険視している」

 そう、水穂さんの仰るとおり、ラシャラ様が戴冠されシトレイユの実権を握られれば、その強い後ろ盾となっている太老様の国内での影響力が強まる事は間違いない。
 そうなればハヴォニワ同様、正木太老の手によって『大粛正』や『国の改革』が行われるのではないか、と不安を抱いている者達がいた。
 それだけの力、器、知略、全てをあの舞台で見せつけられたシトレイユの貴族達にとって、太老様は畏敬を抱く人物であると同時に恐怖の対象にもなっていたからだ。

 現状、ラシャラ様を邪魔に思っている貴族達の数よりも、その後ろにいる太老様を恐れている貴族達の方が圧倒的に多い。
 焦って暴走をしている貴族達の大半は、ラシャラ様が即位すれば困る事になる人物達ばかりだ。
 そう、ハヴォニワで粛正されたという、私利私欲に走った封建貴族達と同じ穴の狢。事が成就すれば真っ先に既得権益を奪われるか、粛正される立場にある方々ばかりだ。

「大丈夫よ。こういう荒事≠ノは、私達は慣れてるから」

 そう言って励ましてくれる水穂さんの言葉を、とても心強く感じた。
 確かに、歴戦の戦士を思わせる風格が水穂さんにはあった。
 太老様のような、ほっとする不思議な安堵感とはまた違うが、それは経験の上に成り立つ絶対の自信と言ってもいい。
 この方が言うと、本当に何とかなりそうな、そんな気にさせられる安心感がそこにはあった。

「はい、よろしくお願いします」

 私は深々と頭を下げる。同じ従者として、この方に学ぶべき点は数多くある。
 大切な方を傍で支える一人の従者として、いつかは私も彼女のようになりたい。
 柾木水穂――『天の御遣いのパートナー』と称される、この人のように。

【Side out】





異世界の伝道師 第124話『猫の皇様』
作者 193






【Side:ラシャラ】

 太老が来てくれる。それをアンジェラから聞かされた時は、とても嬉しかった。
 しかし同時に、太老に頼らなければならない、自分の弱さが情けなく悔しかった。
 皇となるため、特化した英才教育を受けてきたと言っても、優れた才覚と知略があると褒められようとも、いざ政治の世界に飛び出してみれば所詮は経験の足らぬ小娘だと、思い知らされる事ばかり。
 これまで、曲者揃いの貴族達をまとめ上げ、抑えてきた父皇の偉大さ、そして一年足らずでハヴォニワをあそこまで立派に改革して見せた太老の凄さを、実感する日々じゃった。

「我はまだまだじゃな……」

 ほんの少し、弱音を漏らしたその時――
 コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。

「ラシャラ様、お客様がお見えになりました」

 部屋に最初に入ってきたのはアンジェラじゃった。
 我に、客がきた事を告げると、その後ろから太老とその護衛と思しき女性聖機師、そして従者が入ってくる。
 従者の女性には見覚えがあった。通信越しであるが、何度か顔を合わせた事もある。
 マリアの話にも度々でてきていた、太老が尤も信頼を寄せているという同郷。柾木水穂と言う女性じゃ。

「お久し振り、ラシャラちゃん」
「太老……す、すまんな。こんな出迎えになってしまって。その……本当はもっときちんと出迎えたかったのじゃが……」

 こんな事を言いたかった訳ではないのじゃが、何故か言い訳じみた言葉しか出て来ない。
 本当なら、もっと上手くやれる物だとばかりに考えていた。
 しかし、その見通しは甘く、想像以上に世間知らずの小娘≠ノ当たる世間の風は冷たく、厳しかった。
 多少の実績や能力など、大して意味がないのだと思い知らされる日々。貴族達の信頼を得るには、我は若すぎ、時間がなさ過ぎた。
 いや、今となってはそれも言い訳にしかならぬだろう。
 きっと、太老にもこんな情けないところをみせて、呆れられていると思う。

「太老?」
「ラシャラちゃんはよくやってくれてるよ。迷惑を掛けたのはこっちなんだから、寧ろ謝るのはこっちの方だよ」
「し、しかし……」
「真面目なのは美点だけど、真面目すぎると損をみるぞ? 大人に任せられるところは任せて、子供は子供らしく甘えないと」

 そう言って我の頭に手を置いて、くしゃくしゃと掻きむしる太老。ただ、呆気にとられるしかなかった。
 軽蔑する訳でも、叱責する訳でもなく、かといって期待を寄せる訳でもない。
 一国の国皇代理に向かって言うような言葉ではない。

(子供らしく、か……)

 我に、皇としての器と、期待を寄せてくる者達は多くいたが、子供らしくしろ、と言った男は太老だけじゃ。
 頼りにされていない訳ではない。寧ろ、太老にとってはそれが自然な事なのじゃろう。
 太老にとって、我はシトレイユの皇などではなく、いつまで経ってもそこらの子供と同じ。
 ラシャラ・アースと言う名の一人の少女に過ぎないのだと、そう思い知らされる言葉じゃった。

(甘えるか……我は甘えてもよいのか? 太老)

 親にも甘えた事など、弱音を吐いた事など我は一度もない。
 だが、太老の残した言葉が、我には深く心に残っていた。

【Side out】





【Side:太老】

「お久し振り、ラシャラちゃん」
「太老……す、すまんな。こんな出迎えになってしまって。その……本当はもっときちんと出迎えたかったのじゃが……」

 随分と気落ちした様子のラシャラ。何だか、表情が暗い。
 そんなに迎えに出て来れなかった事を気にしているのだろうか?
 シトレイユ皇が不在で、公務が忙しい事は知っていたので、迎えに出て来られないくらい俺は気にしていない。

「太老?」
「ラシャラちゃんはよくやってくれてるよ。迷惑を掛けたのはこっちなんだから、寧ろ謝るのはこっちの方だよ」
「し、しかし……」
「真面目なのは美点だけど、真面目すぎると損をみるぞ? 大人に任せられるところは任せて、子供は子供らしく甘えないと」

 ラシャラの頭に手を置いて、少し乱暴に撫でながら俺はそう言った。
 元凶はシトレイユ皇だが、支部の仕事の方も結局任せてしまっているので、そう言う意味では俺も同罪だ。
 マリアもそうだが、責任感が強く真面目なところがあるので、何でも自分で抱え込もうとするのが悩みどころだった。
 遂、甘えて任せてしまっている俺が言えた義理ではないが、もう少し頼って欲しい、と思う。
 頼りにならない大人ばかりならともかく、ここには優秀で頼りがいのある仲間が大勢いるのだから。

 それに今回の一件に関しては、ラシャラには本当に申し訳ないと思っていた。
 ヌイグルミ皇の一件の後、後の事を全て任せたまま、こちらにくるのに一ヶ月も掛かってしまった。
 その間、ラシャラが商会の仕事に、皇の代理と多忙な毎日を送っていた事は想像に難くない。頭を下げるのは、寧ろ俺の方だ。

「あれ? ラシャラちゃん、そう言えばヌイグルミは?」
「ん? それなら――」



「ケット・シー?」

 城の中に設けられた皇族派が立てたという教会。その祭壇に白猫のヌイグルミの姿があった。
 そう、シトレイユ皇だ。

「うむ、自分の事を『皇』だと言うのでな。以前に読んだ、異世界の民話に出て来る猫の妖精≠ゥら名前を取ったのじゃ」

 どうやら、神様か何かに祭り上げられているようだ。
 確かに、動いて話す猫のヌイグルミというのは珍しいだろう。しかし、だからと言ってこれはない。
 沢山の貢ぎ物に囲まれ、何やら満悦そうなシトレイユ皇、いやここではケット・シーか?

「何だか、あれはあれで幸せそうだし、戻さないでもいいような気がしてきたな」
「太老くん、それはちょっと……」

 そう言いながらも水穂も呆れた様子だ。
 何でも、王侯貴族並の待遇で専用の個室が与えられ、毎日のようにこうして信者達が貢ぎ物を持って現れるのだとか。
 所謂、生神様。シトレイユに『繁栄』と『幸運』をもたらす象徴として信じられているらしい。

「即位した暁には、我の紋章にも白い猫を入れる予定なのじゃ!」

 何だか胸を張ってそう言うラシャラに、それだけはやめた方が……とはとても言えなかった。
 腐っても大国の皇様という事か。ヌイグルミになっても失われないカリスマ性には恐れいった。

『遅かったではないか、太老殿』
「これでも急いだんですけどね。何です? その服とマントは?」
『特注で作ってもらったのじゃ。皇家の意匠がこらされた一品物じゃぞ!』

 くるりと回り、自慢気に着ている服とマントを見せるシトレイユ皇。
 ヌイグルミの生活を随分と堪能している様子だ。
 本当に、もう無理して戻らなくていいのではないか? と思えるくらいに。

「じゃあ、俺はこれで」
『ま、待たんか! 儂を助けに来てくれたのではないのか!?』
「いや、だって……ねぇ?」

 俺は訝しい視線をシトレイユ皇に向けながら、大きく溜め息を吐いた。
 シトレイユ皇の事はこの際どうでもいいが、その事でラシャラが大変な目に遭うのはさすがに放っておけない。
 多少なりとも心配していた分、色々と納得の行かないところもあるが、当初の目的通りシトレイユ皇の容態を診る事にした。



「では、何かあったら呼んでくれ。我はまだ仕事があるのでな」
「気を遣わせてしまってごめん」

 ラシャラに話をして、客室を一室借り、俺と水穂、それにシトレイユ皇の三人だけになった。
 扉の前でコノヱに見張りをしてもらっているので、誰かに覗き見される心配もないだろう。
 これから行う事は、誰にでも気軽に見せられる、と言う物ではない。

「どう、水穂さん?」
「……普通、ヌイグルミにアストラルを定着させるだけでも偶然には難しいのに、これは見事に結びついちゃってるわね」
「そうなの?」
「ええ、ここがアカデミーなら、実験のサンプル行き間違いなしのケースね。あ、解析が終わったわ」

 死んだように眠っているシトレイユ皇(ヌイグルミ)。その周囲を無数の空間モニターが取り囲んでいる。
 正面のモニターに解析結果が映し出された。
 簡易キットとは言っても、銀河アカデミーで使われているアストラル解析はかなり優秀だ。
 さすがに、アストラルを同調させて過去の記憶を読み取ったりする事までは出来ないが、簡単な診断と予測くらいはこれでも出来る。
 まずはシトレイユ皇の現在の状態を知らなければ、対処方法も練れない。そのための診断だった。

「……元に戻す方法はあるわ」
「おっ、なら解決じゃないですか」
「……でも、やっぱり無理ね」
「はい? 何か足りない物があるとか?」
「いえ、機材はなんとかなるのだけど、問題は元通りにするために必要なエネルギーの方なのよ」

 こちらに機材がないので無理なのか、と思ったらエネルギーの問題だという水穂。
 それなら、ここにある亜法結界炉で何とかならないのか、と考えたが、水穂はその案にも首を横に振って応える。
 シトレイユ城の亜法結界炉でダメとなると、そこらの大型結界炉ではどうにもならないという事だ。

「無理に引き離した影響で、アストラルラインに損傷が見られるの。それを復元するには、少なくとも第二世代の皇家の樹と同クラスのエネルギー量が必要よ。例え、こちらにある樹の力を借りたとしても、まだ足りないわ」

 それは、絶望的な宣告だった。
 第二世代、水鏡クラスの皇家の樹の力を借りないと元に戻す事が出来ない。
 言ってみれば、こちらの技術力ではどうやっても元に戻す事は出来ない、という事だ。

「どうにかならないんですか?」
「後は自然に回復するのを待つしかないのだけど……」
「……それって、時間が掛かるんです?」
「千年と少し、と言ったところかしら? かなり長生きする必要がありそうよね」

 それこそ、本当に『化け猫』になってしまうくらいの時間が必要だった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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