【Side:水穂】

「ごめんなさい、船の操縦まで任せてしまって」
「いえ、ですが、この船でよろしかったのですか?」

 私と太老くん、それに船の舵を取るアンジェラ、太老くんの護衛騎士のコノヱの四人で、シトレイユ皇国に向かっていた。
 先日、太老くんが私に相談を持ち掛けてきた、シトレイユ皇の容態を見るためだ。

「今回は公式な訪問と言う訳ではないし、出来るだけ大事にしたくはないのよ」

 そう、今回は前回のような正規の手続きを踏んだ訪問ではない。
 正規の手続きを踏んでいては、シトレイユの内政問題が解決するまでの間、半年、一年と先延ばしにされ、待たされる可能性が高い。
 そのため、ラシャラ姫と一部の関係者のみに知らされ、皇族派の手引きとアンジェラの案内で、私達は秘密裏にシトレイユ領内に入ることになった。
 それなのに、太老くんの黄金の船では余りに目立ち過ぎる。
 あの船では、ここに正木太老がいる、と公言しながら飛んでいるような物で、それではたちまちシトレイユの領内入った時点で注目の的を浴びてしまう。

 それに、私にはもう一つ心配なことがあった。
 太老くんならば大丈夫だとは思うが、先日からシトレイユ皇国ではかなり不穏な動きが目立ちつつある。
 実のところ、ここ一週間ほどで太老くんの屋敷に不法侵入しようとしたシトレイユからの間諜の数が急増していることも、不安要素の一つとして懸念された。
 中には、明らかな殺意を持って侵入をしてきていた者達もいたからだ。

 そう、暗殺者だ。

 事がここまで大きくなってしまうと、シトレイユ皇の容態がどうと言う問題よりも、国にいるラシャラ姫の身が心配になってくる。
 恐らくは、国の実権を巡って、皇族派と宰相派が激しい争いを繰り広げていることに原因があるのだと思うが、ラシャラ姫の一番の支援者とも言える太老くんの暗殺をあちらが計画してきたと言う事は、宰相派は既に手段を選んではおらず、強硬的な手段すら厭わなくなってきていると言う事だ。
 当然、事の当事者であるラシャラ姫にも、暗殺者が差し向けられていることだろう。
 商会の人間ではなくアンジェラがハヴォニワを訪れたのにも、その辺りの事情が関係しているのだと私は推察していた。
 だからこそ、太老くんもそのことを察して、彼女に案内役を頼んだのだろう。

 そのこともあって、出来るだけ目立つ行動は取りたくない。
 アンジェラが乗ってきたシトレイユ支部の商船を使わせてもらうことにした。
 定員数は十名ほどの小さな小型船だが、後ろのコンテナにはワウの工房で出来上がったところの試作品≠ェ積んである。
 さすがに戦争をしに行く訳でもないので、他国にハヴォニワの聖機人を持ち込む訳にはいかないが、後ろのコンテナに積んである物は別だ。
 表向きはシトレイユ支部への納品扱い。それが武器に見えなければ武器ではない。

「アンジェラさん、シトレイユにいる間はこれを身につけておいてくれる?」
「あの……水穂様、これは?」
「お守りよ。それと、私のことは『様』付けでなくても構わないわよ? 同じ従者なのだし」
「ですが……いえ、分かりました。では、水穂さんと」
「ええ、よろしく。アンジェラさん」

 用心を重ねておくことに越したことはない。アンジェラに渡した腕輪は、彼女の身を守るために必要な一種の保険だった。
 優れた知略、才覚を持つとはいえ、ラシャラ姫は未だ十一歳。
 皇不在による早すぎる世代交代と言われる中、国の実権を巡り混迷の最中にあるシトレイユ皇国。
 そして、ラシャラ姫の支援者であり、今回の騒動の鍵を握る人物――それが太老くんだ。
 確実に何かが起こる。これまでの私の経験と予感が、それを告げていた。

【Side out】





異世界の伝道師 第123話『指輪の意味』
作者 193






【Side:ユキネ】

『ユキネさん、これを身につけておいてくれるかな?』
『これは……指輪?』
『うん。宝石に見える部分は樹液の固まった物で、俺の故郷ではお守りにしてるんだよ。
 俺の手作りだし、それほど高価な物ではないけど』
『でも……私よりも、もっと他に』
『ユキネさんだから受け取って欲しいんだ』

 ――マリア様を差し置いてこんな物をもらえない

 そう言えればよかったのだが、太老の言葉に、私はどうしてもその一言を言う事が出来なかった。
 嬉しくない、と言えば嘘になる。私だって女だ。好意を抱いている男性から、贈り物を貰って嬉しくない訳がない。
 それに、太老からもらった特別な指輪。彼の手作りと言う事が余計に嬉しく感じられた。

「でも、マリア様にどう言えば……」

 しかし、ここに一つの問題があった。
 遂、嬉しくなって試しに左手の薬指に指輪を填めてみたのだが、その指輪は最初から私の薬指のサイズを知っていたかのように、ピッタリと拵えられていた。
 太老のことだ。私の指のサイズを知っていても不思議ではないが、どうして薬指なのか?
 そこにどういう意味があるのか、変に勘ぐってしまい、余計に意識をして恥ずかしくしなってしまった。
 でも、その後にもう一つ困ったことがあった。どういう訳か、指輪が指から外せなくなってしまったからだ。
 太老の作った物なのだから何か意味があるのだろうが、指輪が抜けない、と言うのは困る。
 結局、マリア様に同行するはずだった太老の見送りは、体調不良を理由に辞退させて頂き、こうして一人部屋で思い悩んでいると言う訳だ。

 マリア様は、太老を同じように想う同志だと仰ってくださったが、こうなってしまった後では、抜け駆けをしたようで申し訳ない気持ちの方が大きい。
 それでも、断れずに指輪を受け取ってしまったのは、やはり私が太老のことをそれだけ愛しているからなのだろう、と改めて自覚させられてしまった。
 実のところ、マリア様を言い訳にしてはいるが、私自身が太老と顔を合わせるのが恥ずかしかったから、と言うのが一番の理由にあるのかも知れない。

「でも、いつまでも黙っている訳にはいかないし……」

 マリア様の信頼を裏切るような真似だけはしたくない。
 いつまでも隠し立て出来るようなことでもなし、ここはやはり正直にマリア様にもお話するべきだろう、と私は考えた。

「なるほど、ユキネちゃんの様子がおかしかった原因はそれね」
「――!?」

 その時だ。後ろから突然声を掛けられ、私は慌てて左手を隠しながら前へ飛び退く。
 振り返ってみると、そこにはフローラ様がいた。
 しかも、ニヤニヤとしたこれまた良い笑顔を浮かべて。

「ごめんなさいね。ノックはしたのだけど、返事がなかったから勝手に入っちゃったわ」
「あのフローラ様! これは――」
「太老殿からの贈り物なのでしょう? まさかユキネちゃんに先を越されることになるとは思っても見なかったけど……いえ、それも可能性としては十分にありえたわね。同じ従者時代からの付き合いで、呼び捨てあうような仲なのですもの」
「いえ、フローラ様、それは……」

 太老のことは何度か『様』付けをしなくてはならない、と思い試したことがあるのだが、その度に太老が嫌そうな顔をするので、公式の場でない限り、今まで通りに名前で呼び合うようにしていただけのことで、そこに他意はない……はずだ。
 少なくとも、私は今までそう思っていた。
 しかし、こうして指輪を貰った後となっては、それも説得力のない話だと言うのは分かる。

「でも、よりによって左手の薬指とは……太老くん、本気なのね」
「あの……やはり、まずいでしょうか? 確かに太老は聖機師ですが、私は……」
「ユキネちゃんは太老殿のことが好きなのでしょう? そして、太老殿もユキネちゃんを選んだ。
 なら、私から言う事は何もないわ。後は、二人の問題だもの」
「フローラ様……」

 左手の薬指には、私達にとって、特に聖機師の女性にとっては重要な意味がある。
 それは婚姻の証。異世界から伝わっている古き伝統に習い、男性から指輪を送られ、左手の薬指に填めると言う事は、その相手との結婚を承諾するという意思表示を示していた。
 本来であれば、聖機師同志の婚姻は国によって管理され、フローラ様の承認がなければ許されることはない。
 この指輪も、正式な儀式で本来は渡されるべき物であって、このような行為は国家への反逆行為と取られても文句は言えない。
 責められることも覚悟していたのだが、しかしフローラ様の反応は違っていた。

「マリアちゃんも、そう思うでしょ?」
「……おめでとう、ユキネ」
「マ、マリア様っ!?」

 扉の陰に隠れていたマリア様に気付かないなど、私は余程、気が動転してしまっていたらしい。
 しかし、若干困惑した様子でありながらも、笑顔で『おめでとう』と言ってくださったマリア様のお言葉が、何よりも嬉しかった。

「でも、ユキネちゃんだけ、と言うのは不公平よね」
「珍しく意見が合いますわね。それには、深く同意しますわ」
「……あのお二人とも何を?」
「あら、決まってるじゃない」
「そうですわ。何も相手が一人でなくてはならない、ということはないでしょう?」
「それに、何れはこのハヴォニワも太老殿の物になるのですもの」

 お二人の話に、一瞬ついて行けなくて困ってしまったが、仰りたい意味は何となくだが理解できた。
 太老は男性聖機師であるばかりか、異世界人。その中でも、更に特別な存在だと言える。
 聖機師やそうでない者に拘わらず、太老との結婚を望む女性は多い。いや、太老と知り合った殆どの女性が、少なからず好意を抱いていると考えて間違いないだろう。
 そのことが分かっていてフローラ様は、太老にこの国を継がせるおつもりでいる、と言う事だ。

「だとすれば、問題は誰が第一王妃になるか、ですわね」
「あら? それは勿論、私と太老殿がまずは結婚して、そしてハヴォニワの王位を譲るのが一番じゃないかしら?」
「ちょっと、お母様!? それを言うなら、私とお兄様が結婚をして、お母様は隠居なさればいいじゃないですか!」
「私だって、まだまだ現役よ? それに、マリアちゃんが結婚できる歳になるには、まだ何年掛かるかしら?」
「うっ……そうですわね。その何年後かには、お母様は見向きもされない可能性もありますものね。焦る気持ちも、よーく分かりますわ」
「……なかなか、言うようになってきたわね。マリアちゃんも」
「……いえいえ、お母様ほどではありませんわ」

 お二人の迫力に気圧され、私はただ事の成り行きを見守ることしかできなかった。
 帰ってきたら待ち受けているであろう、太老の苦難を思うと何となく不憫に思えてくる。

『ユキネ』
「?」

 誰かに呼ばれたような気がして周囲を見渡してみるが、そこには誰の姿もなかった。

「気の所為?」

【Side out】





【Side:太老】

 ――ブルッ

「ううぅ、な、なんだ?」
「太老様? どうかなされましたか?」
「いや、ちょっと寒気がしたんだけど……」

 何だか分からないが、背筋に物凄い悪寒を感じた。

「風邪を引かれたのではないですか? 直ぐに薬をご用意します」
「いや、そう言うのじゃないんだ。嫌な予感がしたというか……」
「嫌な予感?」

 コノヱに心配してもらうほどのことでもない、と思うが、こういう時の勘というのは良く当たる。
 どこかで誰かに噂されているような、よからぬ事が起こる前触れのような、そんな嫌な悪寒だった。
 用心しておくに越したことはないだろう。

「水穂さんの態度といい、今回のシトレイユ訪問には何か余程の事情がお有りなのですね」
「うん、まあね。詳しく説明出来ないのは心苦しく思うけど……」
「いえ、それは心得ています。私の任務はあくまで、太老様の護衛ですから」
「そう言ってくれると今は助かるよ」

 シトレイユ皇がヌイグルミになったので、それを治療しに行くなどと言えるはずもない。
 あの大国の皇不在の理由が、不注意でヌイグルミに憑依してしまって抜けられなくなったから、では余りに情けなすぎる。
 ここは本人の名誉のためにも、そしてラシャラに恥ずかしいトラウマを与えないためにも、俺はこの真実を墓にまで持って行こう、と固く心に誓っていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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