【Side:太老】
俺は今、ハヴォニワ自慢の高地間鉄道に乗り込み、聖地との境界線にあるハヴォニワの国境に向かっていた。
時期は地球で言うところの七月に入り、日本の夏ほどではないが日差しが強く少し蒸し暑い季節となっている。
聖地は七月から八月一杯に掛けて約二ヶ月の長期休暇、所謂『夏休み』に入っていた。
何故、俺が聖地行きの列車に乗り込んでいるかというと、話は一ヶ月ほど前、水穂から持ち掛けられた話に遡る。
***
「教会からの使者ですか?」
「ええ、以前に太老くん聖地入りを断ったでしょ? でも、それは聖機師として避けられない義務でもあるから、向こうも難色を示しているのよ」
「はあ……」
「そこで考えたの。向こうから態々出向いてもらわずに、こちらから下見を兼ねて見学に行ってみてはどうかと」
「見学ですか? まあ、確かに何も知らずに一方的に断るというのも悪い気がしますけど」
「でしょ? それに、その方が交渉もやりやすそうだし。何より、面白い事になりそうじゃない?」
「……最近、本当に鬼……いえ瀬戸様に良く似てきましたよね」
***
などという、やり取りがあった。
鬼姫に似ていると言うと随分とショックを受けたようで、その後の水穂を宥める方が大変だったと、ここに補足しておく。
いや、随分と楽しそうに話している水穂を見て、鬼姫が悪巧みをしている姿と被って見えたのだ。別に悪気があっての事じゃない。
まあ、水穂にそれは禁句だという事を忘れていた、俺も軽率だったと思うが……。
で、今こうして鉄道で聖地に向かっている、という事だ。
本来この聖地への直通便は、ハヴォニワからの貨物を運ぶために用いられている物らしく、本来正式な入り口には船で向かう必要があるらしいのだが、今回は見学という事で特例中の特例で学院側に許可を貰ったという事だ。
船の場合、随分と迂回していく必要があるので、聖地までの日数も余分に掛かる上、正門から通るとなると色々と手続きも面倒になる。
その点、この高地間鉄道はハヴォニワに代表される移動手段の一つで、高い渓谷に囲まれたハヴォニワならではの移動手段でもあった。
その名の通り、高地とハヴォニワを結ぶ鉄道であると同時に、聖地や迂回をせねば喫水外を越えて行かなくてはいけないような場所にも線路を敷く事で、スムーズな移動を可能としている。
そのため、通常であれば迂回ルートを通れば二日以上掛かる道程も、鉄道を使えば半日ほどで到着する事が出来る、と言う訳だ。
「はい、これ太老くんの分ね」
「駅弁ですか……しかも正木商会の文字……」
色々と手広くやっている事は知っていたが、こんなところにまで手を広げているとは自分の商会ながら驚きだ。
とは言え、水穂から受け取った幕の内弁当を食べながら、随分と久し振りになる列車の旅を満喫していた。
一番、ご機嫌そうに見えるのは、間違いなく目の前にいる水穂だと思うが。
今回、見学という事で同行が許されたのは一人だけだった事もあり、護衛兼従者として同行したのは水穂だけだった。
コノヱなどは残念がっていたが、向こうが提示してきた条件とあっては仕方がない。
「でも、何だか嬉しそうですね」
「聖地との取り引きは、必要な物資の搬入や極一部に限られているからね。太老くんの話を条件に少し吹っ掛けてみようと思ってるのよ」
「吹っ掛けてって……」
「どうせ、聖地に通う事は避けられないのよ? なら、出来るだけ好条件の方がお得じゃない?」
浮かれている水穂には口が裂けても言えないが、やはりあのアイリの娘。鬼姫の副官だと思ったのは、ここだけの話だ。
異世界の伝道師 第132話『聖地見学』
作者 193
「ようこそ、いらっしゃいました。お二人の案内役を仰せつかったラピス・ラーズと申します」
聖地につくと、随分と可愛らしい学院の生徒と思しき少女が出迎えてくれた。
学院は下級生が四年制で、上級生が二年制と言う話だが、見た感じこの少女は下級生のようだ。
年の頃は十四、五と言ったところ、見た目マリエルとそれほど変わらない大人しそうな少女だった。
「うわ……想像していた以上に大きいな。俺が思ってた学校とは大違いだ……」
「聖地は聖機師の他に王侯貴族の方々も大勢通われていますから、シュリフォン管轄の森を含めた学院全体となると、島一つ分くらいの広さは十分にあると思います」
「そんなに……学院内を行き来するだけでも大変じゃない?」
「学舎と寮の距離はそれほど離れていませんし、実際に授業で行き来する範囲は限られていますから、それほどでもありませんよ? それに立ち入り禁止の場所も多いですから」
「立ち入り禁止の場所?」
「はい、森もそうですが、ここは以前は遺跡だった物の上に建てられているので危険な場所も多いんです。ですから、一般の生徒は立ち入りを禁止されている場所も数多くあります。実際に私達が行動できる範囲となると、それほど広くはありません」
「なるほどね」
道中ラピスに案内して貰いながら、俺と水穂は学院長が待つ学院長室にまで通された。
丁寧な装いで『失礼します』と声を掛け、部屋の中に入っていくラピス。
直ぐ様、学院長の許可を得たラピスに部屋の中に案内され、俺達は部屋の中央に足を踏み出した。
「ようこそ、正木卿。お待ちしておりました」
歴史を感じさせる趣ある部屋の奥、重厚な椅子に腰掛けている温和そうな年配の小太りの女性。どうやらこの女性がこの聖地の最高責任者、学院長のようだ。
そしてもう一人、正面の席に腰掛ける学院長の傍らに背筋をピンと伸ばし、風格ある堂々とした態度で控えている女性。
「生徒会長のリチア・ポ・チーナ。いえ、正確には二学期からの引き継ぎなので、今は代役なのですが」
「代役?」
「謙遜する事はありませんよ。最終学年は上級生も何かと忙しいですから、殆ど生徒会の仕事もこなせないのです。それに彼女は次の生徒会長への就任が決まっていますから」
リチアの自己紹介を学院長が補足してくれたので、大体の事情は分かった。
「ようするに、就職活動で忙しくってそれどころじゃない、って事ですね」
「おほほ、なかなか面白い事を仰いますね。噂通りの方のようで安心しました」
俺も経験がある。就職するのであれば、まだ内定が決まっていない学生の夏と言えば、今後を左右する重要な時期だ。
大学三年時で就職が決まっていればそれでいいが、俺もスタートが遅かった事もあり、期間ギリギリまで焦った口なのでよく分かる。
特に、この世界の聖機師は卒業した後、国との雇用契約が結べていなかった場合、即『浪人』決定だ。
当然、浪人には国に雇われている正規の聖機師と違い、聖機師に与えられるべき特権の数々がない。
聖機師を志す彼女達にとっては、この夏がラストチャンスと言う訳だ。
「それでは、学院の案内は彼女達に任せます。見学したい場所があれば、彼女達に言って頂ければ立ち入り禁止の場所を除き、自由に見学してもらって構いません。それで、私と直接交渉したいと言う話でしたが」
「それは、私が一任されています。太老様=A学院を一回りしてきてくれますか? その間に交渉の方を進めておきますので」
水穂が俺の事を『様』付けで呼んだという事は、ここから先は仕事の話という事だ。
邪魔をしても悪いので、俺は素直にリチアとラピスに学院を案内してもらう事にした。
色々とやり手の学院長みたいだが、水穂なら任せて置いて問題はないだろう。
【Side out】
【Side:水穂】
「太老様の従者を務めています、柾木水穂です。では、早速ですが学院長。正木卿の就学条件の交渉に入りたいのですが」
「構いません。教皇様からも便宜を図ってくれるように、との御言葉を頂いていますから、正木卿の立場も考え慎重に検討させて頂きます」
聖地を任せられている最高責任者。
この巨大な学院の長と言うだけあって、目の前の女性が持つ雰囲気はこれまでに出会った他の者達と一線を画していた。
しかし私も、太老くんのためにも一歩も退く訳にはいかない。目的の遂行や、正木商会の更なる発展のために、という思惑もあるが、まずは太老くんの身の安全を確保する事が重要となる。
ここは言ってみれば教会の庭。太老くんならば、余程の事がない限り心配はないとは思うが、万が一という事もある。
特に私達の目的は、教会の意向とは相反する可能性が高いため、出来るだけ慎重を期しておいてやり過ぎという事はない。
「正木卿の仕事の事は理解できますが……商会の支部を聖地の中にですか」
「はい。太老様が不在ともなれば、ハヴォニワの経済に大きな影響を与えかねません。いえ、他の国々にとっても大きな損失に繋がる恐れがあります。ですから、ハヴォニワにいるのと同様、仕事と公務に支障がないように便宜を図って頂く事が、こちらの最低条件です」
表向きはそうだが、商会の支部を聖地の中に作るという事は、人や物資を送り込むのも容易になるという事だ。
こちらの方が、私達にとっては重要な意味を持っていた。
ただ、太老くんだけを聖地に送り込んだ場合、商会からの支援、ハヴォニワからの協力がし辛くなる。
当然、教会は修行を名目にそれらの支援を断り、太老くんを聖地に隔離しようと考えてくるだろう。
これは、そうして太老くんを孤立させないための重要な予防策の一つだ。
それに聖地に通う方々は、各国でも重要な立場にある王侯貴族や、後に国を支えて活躍する事になる聖機師の卵ばかり。人脈を作る上でこれほど都合の良い場所はない。
商会の利益にも繋がるし、それに私達の目的を考えれば、賛同者を得るのにも適していると言える。
「分かりました。これに関しては直ぐに答えは出せませんが、前向きに検討させて頂くとお約束させて頂きます。後は、正木卿の入学時期や在学期間の問題ですが――」
学院長が提示してきたのは、私達が想定していた通り、来年度からマリアちゃんと同時期の入学だった。
これに関しては私達も異存はない。これ以上引き延ばす事は立場を悪くするだけで難しいだろう、と考えていたからだ。
それよりも寧ろ問題なのは、在学期間の問題だった。
私としては、太老くんの行動が制限される状況が長く続くのは好ましくない。それを考えても出来るだけ短い期間で済ませたかった。
だが、教会側は当然のように、下級生を短縮二年、上級生を二年の四年制を提示してきた。
下級生を二年間短縮出来ると言う話は、私も聞いている。だが、付けいる隙があるとすれば、太老くんが普通の聖機師ではない、と言う点だ。
正式な聖機師として認められる上級生。男性聖機師は下級生から聖機師として認められている訳だが、下級生と上級生では発言力や影響力も大きく違う。それに、在学期間が四年から二年に短縮出来ればそれに越した事はない。
「上級生からの編入ですか……しかし、それは余りにも」
「御言葉ですが、太老様は他の聖機師とは一線を画すほどの実力者です。同じ授業を受けさせたとしても、ここで教えるレベルからは逸脱しすぎているのではないですか?」
「それは……しかし、余り特例を認めすぎては、他の方々に示しがつきません。下級課程を飛ばして行き成り上級生からなど、全く前例がない事ですし」
そう切り替えされる事は予想していた。確かに、学院長のいう事にも一理ある。
しかし、太老くんが『特別である』という認識を持たせる事が、私の一番の狙いでもあった。
「なら、試験をされてみては如何ですか?」
「試験……ですか?」
「編入試験を受けさせると言うのも勿論ですが、それと年に一度、聖地の闘技場で行われるという武術大会。それに太老様が参加をして、優勝すればこの話を検討して頂く。優勝が出来なければ、そちらの提示して頂いた条件通り、下級生からで問題はありません」
「あの武術大会は学生だけでなく、達人と呼ばれる世界中の聖機師が集まって腕を競い合う大会なのですよ? その大会で確実に優勝が出来ると?」
「ええ、勿論。黄金の聖機人を駆る『天の御遣い』――その噂を知っているからこそ、教会が直接交渉に応じてくださっているのではないのですか?」
今回、聖地に赴いてまで直接交渉を望んだ一番の狙いは、実はこの武術大会への参加の件だった。
こう言われれば向こうは乗ってこない訳にはいかないはず。太老くんは今回が初参加となるが、ハヴォニワの代表として参加を期待する声が高まっている。それを上手く交渉の材料に出来ないか、と考えていたからだ。
「……いいでしょう。教皇様には私の方から提言しておきます。正木卿が武術大会で優勝すれば、上級生からの就学の件、必ず検討させて頂くと約束します」
一番、太老くんの実力を知りたがっているのは教会のはずだ。
そう言う意味でも、武術大会は太老くんの実力を測る意味で絶好の場所のはず。しかし、これは私達にとっても絶好の機会でもあった。
正木太老の有能さを、聖機師を保有する大陸中の諸侯に見せつける絶好の機会。
聖機人こそ絶対兵器として信じられているこの世界で、もし何人も寄せ付けない圧倒的な聖機人を操る聖機師が存在するとなったら。
それは、正木太老の重要性と、ハヴォニワの軍事面での優位性を外に知らしめる切っ掛けになる。
シトレイユとハヴォニワの同盟。そして連合の設立。ただ反対する事しか出来ない五月蠅いハエを黙らせるのに、もっとも簡単な方法。
重要なのは相手を交渉のテーブルに着かせる事だ。そのための最後の布石を打つのに、教会を利用させてもらおう、そう私は考えていた。
「では、よろしくお願いします。これからも良いお付き合いが出来る事を、心より願っていますわ」
これで計画の準備は終えた。後は太老くん次第。
だが、太老くんなら確実に予想以上の結果を引き出してくれる、と私は信頼していた。
そう、私の計画がこの世界の未来を決めるのではない。太老くんの行動が、未来を切り開くのだから――
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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