【Side:ラピス】
リチア様を連れて戻ってみると、太老様が大勢の方々に取り囲まれ握手を求められていた。
「相変わらずのようですわね……あの方は」
「そこが太老様の良いところとも言えますし」
相手が誰であろうと態度を変えず、同じように優しい笑顔を向けられる太老様。
身分の差を理由に適当にあしらう事もなく、そこにいる方々全員に、同じように分け隔て無く接しられていた。
あの方が民から人気のある理由も、この光景を見れば良く分かる気がした。
「あなた方、噂の当事者に会えて嬉しいのは分かりますが、こんなにも寄って集って、正木卿のご迷惑になっては意味がないでしょう? もう少し、紳士淑女らしい慎ましさを持って行動してください」
『リチア様!?』
リチア様が割って入ると、蜘蛛の子を散らすように太老様から離れ、距離を取る子女達。中には生徒達の身内と思われる貴族の方々もいたようだが、リチア様に言われた事が堪えたのか、バツが悪そうな表情を浮かべ、大人しくその場を退かれた。
この場で変にごねるような真似をして、リチア様だけでなく太老様の心象を悪くする事を恐れたのだろう。
「お久し振りです、太老さん」
「助かったよ。どうもありがとう、リチアさん」
「あなたも有名人なのですから、もう少し、ご自分の立場を自覚して行動してくださらないと」
「ははは……面目ない。よくマリアにも言われてるんだけどね」
本当に申し訳なさそうに頭を下げ、リチア様に謝られる太老様。リチア様も、そんな太老様の素直な態度に、どこか困った様子だ。
太老様の事だ。場を騒がせてしまって申し訳ない、と本当に心から反省されているのだろう。
それに騒ぎ立てた周囲の方々を責めようとせず、自分が真っ先に頭を下げ謝る事で、周囲にリチア様の怒りの矛先が向かないように、と配慮されたのだと気付かされた。
そんな時、戸惑うリチア様に、太老様は屋台の店主から受け取った綿飴を一つ差し出した。
「これ、お詫びって訳じゃないけど、前から色々とお世話になりっ放しだしね。はい、ラピスちゃんにも」
「私にもですか……あ、ありがとうございます」
やはり、太老様は他の男性聖機師の方々や、大貴族と呼ばれる諸侯の方々と違う、不思議な温かさと心地よさがあった。
私は最初、太老様の活躍の話を聞いて、怖い人だったらどうしよう、という不安を持っていた。
民を蔑ろにし、私腹を肥やしていた悪い方々が相手だとはいっても、大勢の貴族の方々を粛正されてきたような御方だ。
その功績から、女王様や民からの信頼も厚いという話だが、きっと不正に厳しく、とても厳格な方なのだという想像を膨らませていた。
しかし、実際にお会いしてみて、そのイメージとは全く違っていた事に驚かされた。
とても心が広く、お優しい。太老様の言葉や仕草には、心から安心できる不思議な力がある。その場にいるだけで、ぽかぽかと暖かくなるような、まるで空に昇るお日様のような方だと、私は太老様を見て思った。
執務能力の高さに加え、厳格な姿勢と公平さから、歴代で最も有能な生徒会長と称されるリチア様でさえ、あの太老様の前では自分のペースが掴めず、ずっと傍でお仕えしている私でさえ、見た事がないような表情を浮かべられる。
太老様の一番の凄さは、自然と相手の本質を引き出す、その魅力にあるのではないか、と私は考えていた。
(太老様なら、もしかしたらリチア様の助けになってくださるかも)
教皇様の孫、そして次期教皇の有力候補とされ、その期待に応えようと努力を重ねてこられたリチア様。私はそんなリチア様を、ずっとお側で見てきた。
元々、リチア様はそれほどお体が丈夫でもない。それなのに、特に生徒会長に就任してからは、毎日のように遅くまで執務室に籠もって仕事をされる日々を送られている。
学業に生徒会長としての仕事、そして教皇様の孫という立場、それに課せられた公務。
疲労を隠して、無茶をされるリチア様を見て、私は従者として何の力にもなれない自分を情けなく思っていた。
リチア様のよい相談役で、最も親しい友人ともいえるシュリフォンの王女様の言葉でさえ、リチア様の耳には届かなかった。それほどに、リチア様に周囲が寄せる期待は大きい、という証明でもある。
しかし、年相応の自然な表情を浮かべられるリチア様を見て、太老様ならあるいは……そう期待を抱かずにはいられない。
「うっ……」
「リチアさん!?」
「リチア様!?」
心配していた矢先の事だ。
突如、目眩を起こし、その場に倒れられるリチア様。直ぐに太老様が、気を失ったリチア様の体を支えられる。
最近は特に、生徒会の通常業務に加え、武術大会の準備や調整、更には太老様の件で教会本部とやり取りをされていた事もあり、毎日いつもより遅くまで仕事をされていた。その疲労が溜まっていたに違いない。
お叱りを受けようとも、私がもっと注意をして気をつけていれば……そんな今更考えても仕方のない、過ぎた後悔を、私は抱いていた。
【Side out】
異世界の伝道師 第141話『大会前日の夜』
作者 193
【Side:リチア】
「ここは……」
先程まで、闘技場前の広場にいたはずなのに、気付けば私は自分の部屋のベッドで横になっていた。
「よかった……リチア様、お目覚めになられたんですね。気分は如何ですか?」
「そうね、悪くないわ。寧ろ、前よりも調子が良いくらい……ラピス、何があったの?」
「すみません、少し失礼します」
私の質問に答える前に、自分の額を私の額にあて、熱を計るラピス。
先程まで、泣いていたのだろうか? 少し目元が赤い。渇いた涙の跡が、はっきりと私には見えた。
(また……心配を掛けてしまったようね)
恐らく、私はあの場所で気を失って倒れてしまったのだろう。
こうしてベッドの上で眠っていた理由も、何となくだが理解出来た。
ここ最近、仕事が忙しかった事もあり、無理が祟ったのだろう。自分では大丈夫なつもりでも、疲労が蓄積していたに違いない。
「……熱も下がってる。もう、大丈夫なようですね」
「ラピス、あの後、結局どうなって……」
――コンコン
と再度ラピスに事情説明を求めようとすると、今度は部屋をノックする音が聞こえた。
私は慌てて衣服を整え、『どうぞ』と返事を返す。
「よかった。目が覚めたようだね」
「太老さん……では、やはりあなたが」
「あ、そのままでいいよ。少し良くなったからって、無茶したらダメだよ。病人は病人らしく、大人しく寝てないと」
「でも……うっ、分かりました」
部屋に入ってきた太老さんの姿を見て、起き上がろうとしたところを、半ば無理矢理ベッドに押し戻されてしまった。
意外と強引というか、でもこういうところが彼の良いところでもあるのだろう。
事実、私を心配して気遣ってくれている事は、その態度を見れば疑いようがない。
ここまで私を運んでくれたのも、やはり彼なのだということは、直ぐに分かった。
「大分疲労が溜まっていたみたいだね。一応、疲労回復の薬は打っておいたけど、調子はどう?」
「そう言えば、随分と体の調子が……医療の心得まであるのですか?」
「まあ、多少はね。医療部で使われている薬や技術の殆どは、俺や水穂さんが手を加えた物だから」
聖機師として有能であるばかりか、類い希ない商才と、あのフローラ様やシトレイユ皇を唸らせるほど、為政者としても優秀だという話は聞き知っていたが、その上、医学にまで通じているとは思いもしなかった。
その証拠に、昨日までの疲労が嘘のように消え、体の調子が良くなっていた。
以前とは比べ物にならないほど体が軽い。彼の処方した薬というのが、それだけ効果があった証だ。
全く、どこまで万能なのか。知れば知るほど、底の知れない方だと思う。
「ラピスちゃん、食後にこの薬を飲ませてあげてくれる?」
「あの……私は、薬は」
「はあ……子供みたいな事を言ってないで、良くなりたいならちゃんと薬を飲む事。ラピスちゃんに心配は掛けたくないでしょ?」
「ですが、その……」
「大丈夫。ラピスちゃんから薬嫌いだって前もって聞いて、甘い飲み薬にしてあるから飲みやすいはずだよ」
太老さんの言葉には、有無を言わせぬ説得力があった。
歳は同じくらいのはずなのに、どうにも子供扱いされている気がして成らない。しかし、不思議と嫌な気はしなかった。
強引ではあるが、そこにはちゃんとした理由があり、そして彼なりの心遣いが見えたからだ。
損得などではなく、心から私の事を心配して言ってくれている事が分かる。それが多分、一番嬉しかったのだと思う。
(嬉しい? 私は何を……)
気恥ずかしくなって、慌てて自分の考えを振り払おうとする。
教会の中には、彼を危険視する声もあるようだが、私には彼がそれほどの危険人物には思えなかった。
確かに彼の力は驚異的ではあるが、自らを律し、それを自制するだけの力と人格が彼には備わっている。
実際に、彼に会ってみて、その考えは確信へと変わっていた。
【Side out】
【Side:太老】
苦い薬がダメなんて、リチアも可愛いところがあるものだ。
丁度、大会の事もあって薬も一通り持ってきていたので、タイミングもよかったと言える。
子供でも飲みやすい甘い薬を用意した。これならば、薬が苦手な人でも多分大丈夫なはずだ。
「すまなかったな、友人を助けてくれて礼を言う。しかし、大した物だ。その薬は、自分で調合したのか?」
「うちの医療部で使われてる薬は大抵そうかな?」
リチアに処方した薬は、鷲羽直伝の疲労回復・体力増強剤だ。
手っ取り早く体を強くするならナノマシン強化が一番早いのだが、薬による療法でも疲労を和らげ、適度な運動を繰り返す事で体力をつける事くらいは出来る。
体が弱いとの事だが、体力がつけば疲れにくくなるし、立ち眩みを起こして倒れるような心配も減るだろう。
俺と話をしているダークエルフの女性は、リチアの友人で名前を『アウラ・シュリフォン』という。名字からも分かる通り、シュリフォン王国の王女様だ。
リチアが広場で倒れたという話を聞きつけ、こうして心配して駆けつけてくれた、何とも友達思いな少女だった。
特徴のある褐色の肌と尖った耳、ユキネと比べても遜色ない美少女だった。
シュリフォンは、ダークエルフが多く棲む国だと聞いている。よくある話では、エルフは美形揃いだという説が多い。皆、こんな美少女ばかりなら、是非とも一度行ってみたいものだ、と考えた。
「しかし、あのリチアに大人しく言う事を聞かせるとは、本当に大した物だ」
「そんな事はないと思うけど……薬嫌いの子供の言い分を一々聞いていても仕方ないし、強引に言い含めただけだよ? いっそ、ラピスちゃんが涙目で訴える方が、彼女には効果あるかも」
「ふふっ、リチアが子供か。しかし、良い手だ。今度、リチアが話を聞いてくれない時はラピスに頼むとしよう」
俺の予想では、『ラピスのお願い作戦』は効果バツグンだと思う。
リチアのラピスへの態度は、ただの従者への接し方ではなかった。マリアとユキネの関係を、一番近くで見ている俺にはよく分かる。
本当の妹のように可愛がっているラピスに、涙ながらに頼まれれば、きっとリチアは『嫌』とは言えないはずだ。
「よかったら、夕食など一緒にどうだ? リチアを助けてくれた礼もしたい。是非、誘いを受けて欲しいのだが」
「んー、でも何の連絡も入れてないから、もう用意してるかもしれないしな」
既に日は沈み掛けていた。こんな時間からでは、既に夕食の準備を進めているはずだ。
なのに外で食べてきたでは、張り切って夕食の準備をしてくれている侍従達に申し訳ない。
以前に、何の連絡もしないまま『外で食べてきた』といった時の、侍従達の落ち込みようといったらなかった。
正直、あんな罪悪感は二度と体験したくはない。
「あ、それじゃあ、うちで一緒に食事しません? そっちも既に準備して待ってる、とかなら仕方ないけど」
「いや、私は構わないのだが……いいのか? 本来なら、礼をするべきは、こちらの方なのだが」
「別に、そんなつもりで助けた訳でもないし、気にしなくていいですよ。知り合いの女の子を助けるのに、理由なんていらないでしょ?」
あの二人には、以前から学院を案内してもらったり色々と世話になっている。
このくらいは、その事を考えれば当然の事だ。それに、目の前で苦しんでいる美少女がいて、助けないなんて薄情な真似は俺には出来ない。
どちらにせよ、俺が好きでやった事なので、友達とはいってもアウラにそこまでしてもらう理由はなかった。
「なるほど、リチアが気に入る訳だ。正木卿、改めて自己紹介をしよう、アウラ・シュリフォンだ。『アウラ』でいい。これからも、リチアとラピス共々、よろしく頼む」
「俺の事は『太老』でいいですよ、アウラさん。それで、どうします?」
「折角のお誘いだ、お持て成しを受ける事にしよう。それに、ハヴォニワの料理にも興味がある」
念のため、ポケットに入れていた小型の亜法通信機で連絡を入れて、アウラが行く事を屋敷で待っている侍従達に告げる。
普段から大目に用意してあるので、一人や二人増えたところで全然大丈夫だろう。
「こ、これは……この香りは」
いつもの通り、『ご主人様と一緒に食事など頂けません!』と頑なにマリエルと侍従達に拒まれ、残った水穂とラン、それに今日はアウラを加えて夕食を取っていると、食卓に並んでいる料理の中からキノコ料理を見つけ、アウラが驚いた様子でプルプルと震えていた。
そんなにキノコ料理が珍しいのだろうか? それは水穂が、ユキネを連れて山籠もりの修行に行く度に拾ってくる白いキノコだった。
松茸のように香りが良いキノコで、土瓶蒸しや炊き込みご飯で頂くのだが、アウラはその料理が余程気に入ったのか、涙ぐみながらキノコ料理を頬張っていた。
誘った方としては嬉しい限りだが、料理一つでここまで感動出来るなんて、何とも感受性の豊かな女性だ。
「そんなに気に入ったなら、お土産に持って帰ります? このまま残しても勿体ないし」
「い、いいのか!?」
アウラが一緒に行くと連絡をした所為か、侍従達も随分と張り切って用意してくれたようで、食卓には食べきれないような量の料理が並んでいた。
俺も料理を残すのは本望ではないので、喜んで食べてくれる人がいるのなら、その人に食べてもらった方がいい。
大袈裟なほど感謝して、侍従から折り詰めされたキノコ料理を受け取り、ご機嫌のアウラ。
(なるほど、彼女の好物はキノコなんだな)
今度からアウラを持て成す時は、あのキノコ料理を用意しておこう、と心から思った。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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