【Side:ラン】
「ラン、お兄様は?」
「太老様なら、もう闘技場に行ったよ。開会式の後、直ぐに試合だし」
「はあ……やっぱり間に合いませんでしたか」
マリアが、太老の独立寮を尋ねてきた。大方、試合前に太老を激励しに来たのだろう。
だが、ここには既に太老はいない。それを知るや、ガックリと肩を落とすマリア。
王侯貴族とはいえ、闘技場入りをした選手に面会する事は規則で固く禁じられている。
各国の思惑が交錯するこの大会では、自国の聖機師を勝たそうと試合前に事前工作をしようとする者や、有能な聖機師の引き抜きや買収など、様々な不正が予想されるからだ。
事実、そうした駆け引きは大会前から始っており、参加者の聖機師に何かあってはいけないと、聖地の警備も厳重な警戒を敷いていた。
学院に通う生徒達の保護者や使用人を除く、一般観戦者が当日入りしか出来ないのも、そうした事前工作をさせないためだ。
これは王侯貴族といえど例外はなく、マリアやフローラも当日まで聖地入りを許される事はなかった。
「ところで、それは?」
「ん? ああ、これは――」
あたしが先程からチェックしているのは、聖地は勿論、各国の教会に設けた臨時の賭け札売り場で、今朝まで販売されていた前座試合の賭け札の集計結果だ。
さすがに一対二十という悪条件が響いたのか、男性聖機師の方が圧倒的優勢という見解が大半を占めていた。
賭け札の購入対象となるのは、その殆どが聖機人の事をよく知る各国の貴族達だ。
どれだけ、『達人』と称される聖機師であろうと、一対二十では勝負になるはずもない、と考えるのが普通だ。
だが、相手はあの太老だ。そんな常識が通用する相手と思う辺りが、まだまだ認識不足だと言わざる得ない。
これなら学院の女生徒達の方が、現実を直視している。
見る眼があるのか? 勘がいいのか? それとも単に噂に踊らされているだけか?
掛け率は、太老と男性聖機師、一対九といったところだが、学院に通う女生徒達の大半が、太老の勝利に賭けていた。
「見る眼のない方々ばかりですわね」
「それには同意かな。でもま、侮ってくれる方が、こっちは儲かるからいいんだけど」
「それはそうですけど……お兄様が低く見られているようで、腹立たしいですわ」
気持ちは分からなくもない。太老を崇拝している、と言ってもいいほど慕っている彼女なら余計だろう。
それにマリアだけではない。ハヴォニワの人達は、誰も太老が負けるなどと微塵も思ってはいなかった。
その証拠とばかりに、ハヴォニワの人達の殆どが、太老に賭けていた。
ちなみに、正木商会関係者は賭け札の購入は出来ない。全員が太老に賭ける事が分かっているのに、そんな事を許可できるはずもない。
勿論、マリアとフローラ、太老の侍従達も同じ扱いだ。本人達は不満そうだったが、『その分、応援を頑張る』と大きな横断幕を拵え、気合いを入れていた。
「まあ、後悔する事になるのは太老に賭けなかった連中だし。その分、彼等が損をすると思えば、少しは気が晴れるんじゃないです?」
「それもそうですわね。フフッ、お兄様の凄さをその目に焼き付けて、恐怖と後悔を抱きながら自国に逃げ帰るといいのですわ」
時折、太老や水穂が見せる黒さがマリアから滲み出ていた。
あの二人を『お兄様』、『お姉様』と実の兄や姉のように慕っているマリア。
段々と彼女も、太老や水穂の影響を受けて黒くなってきたな、と思わずにはいられなかった。
【Side out】
異世界の伝道師 第142話『ダグマイアの策略』
作者 193
【Side:キャイア】
太老様と男性聖機師達が試合をする。前座試合の話は、直ぐに私の耳にも入ってきた。
こう言っては何だが、はっきり言って、男性聖機師達に勝ち目があるとは思えない。
あの方の実力は、聖機人戦ではないとはいえ、実際に対峙した私にはよく分かっているつもりだ。
数で掛かればどうにかなるような、そんな生易しい相手ではなかった。
(何故、こんな事に……)
メスト家の独立寮の前。ギリギリまで思い悩んだ末、ダグマイアが闘技場入りをする前に、何としてもこの無謀な戦いを止めようと、私はダグマイアが寮から出て来るのを待っていた。
メスト家とフラン家。代々シトレイユ皇国に聖機工として仕えているメスト家と、結界工房の聖機工だった私の父は、仕事の関係からも親交があった。
その繋がりで、私とダグマイアは幼少期から一緒にいる事が多かった。剣術の稽古に、一流の聖機師となるため勉強を積み重ね、姉さん、ダグマイア、そして私――何をするにも、三人一緒だった。
しかし、そんな楽しい日々も、いつかは終わりを告げる。そう、いつまでも子供ではいられない。いつしか私達は、立場と責任のある大人へと変わっていた。
私はラシャラ様の護衛機師に――姉さんは学院を卒業後、そのまま教会の聖機師となり、聖地で教師をする事になった。
そしてダグマイアは一足先に聖地入りを果たし、一流の聖機師になるべく修行に勤しんでいた。
それぞれの家の事情や立場。理由は様々だが、そうして仲のよかった私達の道は分かれてしまった。
――それから二年。聖地で再会したダグマイアは、以前にも増して実力をつけたようで、生徒達から尊敬と敬意を持って、羨望の眼差しで見られるほどの聖機師へと成長していた。
彼よりも遅れて聖地入りする事になったが、ラシャラ様の護衛機師に選ばれた事もあり、下級課程を二年短縮する事が出来た。
道は分かれてしまったが、今は同じシトレイユに仕える身。再びダグマイアとの交流を持てるか、と私は考えていたが、それは甘い考えだったようだ。
二年――言葉にすれば短いようだが、その二年という歳月は、世間の事を何も知らなかった子供の私達を、大人へと変えるのに決して短い時間ではなかった。
聖機師としての立場や役割、そして私達が抱える事情や、置かれている状況。
それらは、二年前のあの時とは一変していたのだから――
(こうして、会いに来る事自体、ラシャラ様への裏切りなのかもしれない……でも、私は)
シトレイユは宰相派と皇族派に別れ、今も水面下で激しい攻防を繰り広げている。
――ダグマイアはメスト家の嫡子。あのシトレイユの宰相、ババルン様の息子
――私は、次期シトレイユ皇と称される皇族派の御旗、ラシャラ様の護衛機師
ダグマイアが以前のように接してくれないのも無理はない。
互いの立場を考えれば、例え同じ国に仕える身だとしても、不用意な接触は避けるべきだという事は、私にも分かる。その事が原因でいらぬ疑いを掛けられれば、ラシャラ様にも迷惑を掛ける事になるからだ。
だからこそ、私も出来る限り、ダグマイアとの接触を避けてきた。しかし、今回ばかりは黙って見過ごす事が出来なかった。
彼の聖機師に対する強い拘りとプライドの高さは、私もよく知っている。『有能な男性聖機師』と世間では言われているが、その裏で才能に驕らず、一流の聖機師として強くなる努力を続けてきた彼の事を、私はよく知っていた。
だからこそ、その努力や才能だけではどうにもならない壁にぶち当たった時、彼がどうなるか、想像する事が怖かった。
太老様は全てが規格外な御方だ。聖機師としての資質も、戦士としての実力も、為政者としての格や知略も、全てに置いてあの方は他者と一線を画している。
そんな相手と一対一ならまだしも、今回のような条件で戦い、完膚無きまでに破れたとしたら――
「ダグマイア――」
扉が開く音が聞こえ、ダグマイアかと思った私は、脇道から屋敷の前に飛び出す。
しかし、そこに居たのはダグマイアではなく、
「……キャイア・フラン」
「あなたは……」
そう、ダグマイアの従者。エメラだった。
【Side out】
【Side:エメラ】
「ダグマイア様ならいらっしゃらないわ。三日前から寮には戻られてないの」
「そ、そう……なんだ」
ダグマイア様がここにいないと知ると、肩を落とし、落ち込んだ様子のキャイア。
そう、何も彼女を困らせたくてこんな事を言った訳ではない。ダグマイア様は、確かに三日前から寮に戻られていなかったからだ。
恐らくは、試合を前にして、私と顔を合わせたくなかったのだと思う。
前座試合の話が決まってからも、やめて頂くようにダグマイア様との話し合いの場を設け、何度も頭を下げてお願いをしてきた。
しかし、結局は聞き入れてはもらえなかった。
あれほどお願いしたにも拘わらず、太老様の事を快く思っていない男性聖機師達を集め、こんな恥ずべき条件の前座試合を、生徒会役員である立場を利用して自ら申し入れるなど、救いようのない愚かさだ。
結局、私にはダグマイア様を止める事は出来なかった。
「何をしにここへ? ダグマイア様を止めるつもりだったの?」
「……こんな試合、間違ってると思うから。どちらにしたって、ダグマイアは傷つく事になる。だから――」
彼女の言うとおりだろう。このような条件で勝利を収めたところで、ダグマイア様が得られるモノは何一つない。
ましてや、私はこの条件でも、太老様が負けるとは考えていなかった。
無謀と分かっている勝負を受けられるような方ではない。太老様がこの勝負を受けたということは、間違いなく自分の勝利を確信している、という事。そして、私は太老様ならば、それだけの力があっても不思議ではない、と考えていた。
「無駄よ。あなたには何も出来ないわ。学院でダグマイア様を避けていたのなら、あなたにも分かっているはずよ。ここにいる事自体、互いに不利益にしかならない」
「それは……でも、ダグマイアは私の――」
「私の何? 幼馴染み? 学友? 恋人? 違うわ。ダグマイア様は男性聖機師、そしてメスト家の跡取り。そしてあなたは女性聖機師、ラシャラ様の護衛機師。その立場を自覚しなさい」
彼女が、ダグマイア様に抱いている感情には、私も気付いていた。
だからこそ、私は彼女が嫌いだった。それが嫉妬や憎悪といった感情に似たモノだという事を、私は自覚していた。
ラシャラ様の護衛機師として選ばれ、女性聖機師として順風満帆な人生を歩んでいる彼女。
才能もあり、それに見合う努力を彼女がしている事を――その結果、ラシャラ様の護衛機師に選出され、聖機師としてエリートの道を突き進んでいる事も知っている。
しかし同時に、同じように努力を積み重ねても『才能』という一言の前に、どうしても一歩及ばず、周囲からの期待や偉大過ぎる父親の影に怯えながら、もがき苦しんでいる一人の青年を知っていた。それが、ダグマイア様だ。
そして、ダグマイア様が必死になって上を目指そうとされる理由。無理に背伸びをされている理由の一端に、彼女があるということに私は気付いていた。
だからこそ、私は彼女を憎む。ダグマイア様が、私の言葉に耳を傾けてくださらない理由。その一端を担っている彼女を、私は酷く憎んでいた。
それが嫉妬や逆恨みだと分かりつつも、今も尚、こうしてダグマイア様の前に現れ、あの方の心を惑わそうとする彼女の行動が許せない。
「ダグマイア様はきっと負ける。でも、今も、その後も、これから先もずっと、あの方の隣にあなたの居場所はないわ」
「…………」
「思い出は過去でしかない。今、あなたが本当に何を成すべきか、それをしっかりと考えなさい。キャイア・フラン」
それはキャイアだけでなく、自分に宛てた言葉だったのかもしれない。
私も選択の時が迫っていた。ここに私の居場所はなかった。ダグマイア様が望めば、私はあの方の望むとおりに使命を果たそうとしただろう。
例えそれが、祖国や、太老様に仇なす事だとしても、私はダグマイア様のために働く覚悟があった。
しかし、あの方は私を必要とされなかった。所詮は私も彼女と同じ。あの方のコンプレックスの対象に過ぎなかった、ということだ。
傍にいるだけで、あの方にとっては苦痛でしかない存在――どれだけ想おうと、その想いが遂げられる事はない。
(臆病だからこそ、誰よりも強い力を求めようとされた。それが分かっていながら、何とかしようと試みても、その結果はこの有様。結局は、太老様に全てを委ねるような結果に終わってしまった)
太老様なら、悪いようにはなさらないでくださるはずだ。
後々、出来るだけ問題にならないように、と前座試合などという話にしてくださったのも、太老様の気遣いだと私は察していた。
その事を考えれば、命を奪われるような事にはならないはず。ババルン様からは今度こそ見放される可能性が高いが、生きてさえいればやり直しは利く。
その後、立ち直れるかどうかはダグマイア様次第。この先、私がダグマイア様のためにして差し上げられる事は何一つない。
(これがきっと最後になる……それでも)
最後に、私がダグマイア様のために残せるモノ。
それは――思いつく限り、たった一つしか残されていなかった。
【Side out】
【Side:ダグマイア】
前座試合が、もう直ぐ始る。待ちに待った、正木太老との決着をつける時が迫っていた。
俺は闘技場の入場口で、亜法結界炉に火の点っていない、コクーン状態の聖機人のコクピットで、静かに息を潜めていた。
『ダグマイア、仕掛けは上手くいった』
「そうか、なら後は、この試合で奴を始末するだけだ」
『しかし、本当によかったのか? 相手はあの正木卿だぞ? 下手をすればハヴォニワが黙っていない』
「言っただろ? 奴はシトレイユにとって最悪の侵略者だ。売国奴である皇族派と結託してラシャラ様と婚約を結び、ハヴォニワに国を売ろうとしているのだからな。アラン、お前も聞いたはずだ。シトレイユで起こった粛正の話を」
『確かに……シトレイユとハヴォニワの同盟の話がある、という噂は俺も聞いている。それに正木卿が一枚噛んでいるという話も……』
「奴を生かしておけば、シトレイユだけでなく世界の災いとなる。そうなる前に、早い内に災いの芽は摘みとらなければならない」
同じ聖地の学院に通う男性聖機師であり、古くからの友人でもあるアランが、通信を使って声を掛けてきた。彼に頼んでいた『仕掛け』が滞りなく済んだようだ。
アランは心配するが、ハヴォニワなど、あの男がいなければ何も出来ない臆病者の集団だ。
ここで奴を始末する事。それこそが、計画のためにも絶対に必要な事だと俺は確信していた。
シトレイユを手中に収め、ラシャラに代わり、支配者に相応しい絶対的な権力を手にするためにも、一番の障害となる奴をまずは消す。
その後の些事など、奴さえいなくなればどうとでもなる。これが成功すれば、父とて俺の事を認めざる得ないはずだ。
『分かった……もう、後戻りは出来ないぞ、ダグマイア』
「くどいぞ! 俺達はやるしかないんだ。あの悪魔に勝利するために――」
そう、今日が奴の命日になる。
この闘技場が、奴の墓標となる瞬間が、刻一刻と迫っていた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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