【Side:太老】
「正木さん……何だか凄くやつれてますね」
「白井さんも……魂が抜けたみたいになってますけど、何かあったんですか?」
初春と佐天に、こうして会うのは何日振りのことだろう?
もう半月くらい、彼女達の顔を見てない気がする。実際、事件の日から数えて十日くらい経っていた。
黒子の方は何があったか知らないが、一週間ほど前からずっとこの調子だ。
うわ言のように「お姉様に誤解されたお姉様に誤解いされた」と反芻していた。
何を誤解されたのかは知らないが、美琴至上主義の黒子がこんな状態になるくらいだ。余程のことがあったのだろう。
そして俺が潰れているのには別の理由がある。
ここ一週間、不眠不休で続けていた妹達の延命調整が原因だ。
約一万人だ。それだけの人数を延命調整する羽目になった俺の苦労を考えて欲しい。
余り長引かせれば、生体強化や延命調整のことを学園都市の研究者達に勘付かれる可能性が高い。また鬱陶しい連中を撃退するのも面倒なので、さっさと面倒なことは済ませておきたかった、と言うのも理由にあった。
「じゃあ、妹達の治療は終わったんですね?」
「何とかね……」
俺は、机にぐだーっと、だらしなく上半身寝そべった状態で、初春の質問に答える。
初春の方は今日は風紀委員の仕事で報告書を纏めるため、妹達の経過確認に俺のところまできたらしい。
何故、初春が俺のところに確認にきたか、と言うと、彼女達の管轄がどう言う訳か、今は『俺』と言うことになっているからだった。
――というか、された?
今まで沈黙を守っていた上の連中が、妹達が自分達の言うことを一切何も聞かなくなっていると言うことを知って、延命調整を俺が引き受けたことで『これ幸い』と、全部俺に丸投げしてきやがったのだ。
芳川の保護観察は引き受けたが、一万人以上もいる妹達の面倒なんか見てられるか。
とは言え、俺に直接ではなく、警備員と風紀委員に伝達してくる辺り、姑息な連中だ。
妹達も、それを了承したというのが致命的だった。
(調整だけでも大変だったってのに……)
何とか一週間で全員の調整を終えたはいいが、一日約千五百人の調整を施した計算だ。計算すると一時間六十二人だ。
一分に一人の計算だぞ? 幾ら手早く済むと言っても、入れ代わり立ち代り一人一分では無理だ。
どうせ機械が全部やってくれるので、後はマニュアル通りに順序の確認をするだけだし、調整の方は途中から芳川に全部任せた。
その間に俺は研究施設の設備を使って追加の機械を増産することにした。
一番時間のかかるナノマシンの生成は既に終了していたので、必要となるのは培養槽とナノマシン注入用の機械の調整だけだ。
僅か一日で更に三台の設備を整え、そこからはかなりのハイペースで妹達の治療を進めた。
台数が合計四台に増えたからといって、楽になると思ったら大間違いだ。
同時にこなせる数が増えると言うことは、同時に気を配らなければならない数も、台数分倍増するということ。
そりゃあ、後半に行くにつれて地獄のように忙しくなっていた。
芳川などは、俺と違って極普通の人間だ。積み重なった疲労は相当のものだったに違いない。
その所為か、今は俺のアパートで死んだように眠っている。
本当に死んでるんじゃないか? と思えるくらいピクリとも動かないので、仕方なく俺のアパートに放り込んできた次第だ。
(今になって思えば、殆ど睡眠なしで一週間以上も強制労働ってのは、普通の人間には相当に無茶だったかもな……)
芳川を真っ先に生体強化するべきだったか? と冗談とも思えることを本気で考えるほど、この一週間は大変だった。
研究所と機械の方はその後、跡形もなく粉々に破壊。今、研究所のあった場所には、ビルの解体工事跡のように瓦礫の山が積み重なっている。
どの道、この世界の技術レベルでは、生体強化に必要なナノマシンの製造方法や、生体強化に使用しているプログラムの解析など、一切何も分からないだろうから、瓦礫の中から機械を掘り起こしたところで複製も修復も不可能なはずだ。
第一、アカデミーで使われてる技術だ。暗号化も鷲羽仕込みの物を使ってあるので、未開惑星の技術者如きに解ける代物じゃない。
彼等が宇宙に進出した後、更に数百年、数千年先にどうにか追いつくかどうか、と言う遙か未来のオーバーテクノロジー≠ホかりだ。
実際問題、石斧を振り回していた石器時代の人間と、二十二世紀からやってきたネコ型ロボットの時代くらいの差が、『俺達の世界』と『こちらの世界』にはあった。
以前に鷲羽が地球のパソコンを見て、『原始的』と称した理由もよく分かるというものだ。
「それで、えっとミサカさん達はどうしたんですか?」
「あいつ等なら、何も心配いらないよ……俺より金持ってるし」
おずおずと右手を上げて質問してくる佐天に、俺は投げ気味にそう答えた。
妹達を学園都市外部の協力機関に委ねる際、向こうの研究機関に謝礼として支払われる予定となっていた金を、妹達の今後の生活費や慰謝料として学園都市に出させ、不平等のないように均等に分配しておいた。
その額、一人二千万円。これを高いと見るか安いと見るかは人それぞれだろうが、一万人もいることを忘れないでもらいたい。
今回、学園側が被った被害総額は研究者共の比ではない。妹達への慰謝料だけで総額二千億円以上だ。
他にも、学園都市二百三十万人に知れ渡ることになり、これだけ堂々と国際法違反を犯していたことが明るみになった。
学園都市が治外法権であることを主張、その特権を行使して、国連からの査察要求を拒否しているらしいが、このままでは済まされないだろう。
水面下では、連中にとって相当に頭の痛い遣り取りが、各国と協議されているはずだ。
「でも……彼女達、大丈夫でしょうか? 幾ら事情があったとしても、クローンに理解ある人ばかりではありませんし、心無い人達に絡まれでもしたら……」
初春の心配は分かるが、正直、俺はその心配は要らないと思う。
寧ろ、彼女達に手を出してくる馬鹿な奴がいるとすれば、心配するのは相手の方だ。
だって、そうだろ?
「大能力者一万人に……勝てる奴がいると思うか?」
戦闘用と言う訳ではないので身体能力が大幅に上昇した訳ではないが、生体強化を受けたことに変わりはない。
今の妹達の思考能力は以前の数倍に跳ね上がっている。
当然、脳が強化されたことで、思考速度の倍化、能力の処理速度が向上し、制御能力やイメージ伝達率も上昇したことにより、以前より威力のある電撃が放て、能力の運用効率も大幅に上昇している。
この学園都市がやっている『頭の開発』の代わりに、『生体強化』というちょっとしたチート技術を施しただけで、こんな結果になった。
「はは……一万人の大能力者……無理ですね」
初春は渇いた笑い声を上げ、冷や汗混じりにそう言った。
更に補足するなら、彼女達はミサカネットワークで全員が繋がっているため、ミサカの一人が襲撃を受けた時点で、他の妹達にそれらのことは全て筒抜けとなる。
例え一対一でミサカの戦闘力を上回っていたとしても、一人と戦っている間に、他のミサカが駆けつけてきて返り討ちにあうのが関の山だ。
幾ら超能力者だって、一万人もいる大能力者の集団には勝てないだろう。
現段階でいえば、警備員や風紀委員以上に高い戦力を持った、『学園都市最強の組織』といっても間違いではない。
そんな集団に手を出そうなんていうのは、怖いもの知らずの無知な連中か、余程の馬鹿くらいのものだ。
異世界の伝道師外伝
とある樹雷のフラグメイカー 第22話『太老と駄犬』
作者 193
「正木さん、お疲れのところ、ありがとうございました」
一通り俺の話を聞いてメモを取り終えると、丁寧にお辞儀をして礼を述べてくる初春。
俺と繋がりがある、と言うことでこんなことを頼まれたそうだが、世間は夏休みだというのに風紀委員も大変なことだ。
これでボランティアだというのだから、『ご苦労様』とただ労いの言葉しか出て来ない。
「一つだけ、こっちから質問してもいいかな?」
「はい、何ですか?」
一つだけ気になっていたことがあったので、折角の機会だし初春に尋ねてみることにする。
実は事件の後、実験関係者をあれだけスムーズに検挙できたのも、初春が指揮をして逸早く部隊を展開してくれていたから、という話を黒子から聞いていた。
そこまで出来る有能な人物だとは思っていなかっただけに、色々と驚かされもしたものだが、それってどうやったんだろう? と疑問が出て来た。
話を聞く限り、俺が連中のデータを送る以前から手配を済ませていたようだし、幾らなんでも動きが早すぎる。
まるで、今回のことを予知していたかのように的確な行動だった。
初春の能力が何かを聞いていなかったし、『未来予知』とか、そういったものかとも考えたのだが、彼女は低能力者だという。
とてもじゃないが、例えその手の能力者だったとしても、そんな先の未来を的確に予知できていたとは思えない。
「随分と対応が早かったらしいけど、どの段階で気付いたの?」
「……え?」
「ほら、警備員への伝達が早く、既に街中に風紀委員を配備していたって聞いたから」
「そ、それはその……」
何だか歯切れの悪い様子の初春。手帳を片手にあたふたと手を左右に振っている。
何か、聞いてはまずいことでも聞いてしまったのだろうか?
この様子から察するに、聞かれてはまずい事情が何かあることは確かだと思うが。
「そう言えば、そうでしたわね。お姉様のことで今の今まで忘れてましたわ」
「し、白井さん……」
さっきまで魂の抜けた抜け殻のようになっていた黒子が、俺達の会話を耳にするなりムクリと起き上がった。
「さあ、初春どうやったんですの? 大人しく吐いた方が身のためですわよ?」
「ううぅ……」
黒子に詰め寄られ、益々逃げ場をなくしていく初春。
「初春……もう隠し通せないよ。正直に話そう」
「……佐天さん」
隣に座っていた佐天に肩を掴まれ、「観念しよう」などと何やら説得されている。
その二人の態度を訝しく思う、俺と黒子。
『実は――』
そうして二人の口から語られる事件当日の出来事。
それは、何とも馬鹿らしく、想像もしなかった理由だった。
◆
「あはは……あの時は一杯一杯で、でも今になって思えば少しおかしかったかなーって」
「そ、それにですよ! そのお陰で、こうして事件も無事に解決できたんですから!」
必死に弁明する佐天と初春。
なるほど、あの風紀委員に追い掛け回されたのは、統括理事会が手を回したのでもなんでもなく、勘違いした初春と佐天が暴走した結果だった、と言う訳か。
黒子の電話に出なかったのも、この事実を知られたくはなかったからだろう。
「わたくしとお姉様が、太老と駆け落ち……ですって?」
黒子のツインテールが、ゆらゆらとメドゥーサの髪のように揺らめいていた。
「し、白井さん落ち着いてくださいっ!」
「本当にごめんなさい! 悪気なんてなかったんです!」
同僚から追い回され、一時は表の生活に戻れないのではないか、と不安を抱えながらも、覚悟を決めて『事件を解決しよう』と懸命に立ち向かった黒子からしてみれば、それが『勘違いでした』では納得が行かないだろう。
さすがにこれでは、俺も二人をフォロー出来ない。巻き添えなんて、食らいたくないし。
肩を寄せ合ってガタガタと震える佐天と初春。もはや、二人の弁明の声など、黒子の耳には届いていない様子だった。
(しかも、一番ありえない可能性だもんな……)
俺と黒子、それに美琴の三人で駆け落ちって……どれだけ最近の中学生は想像力豊かなのか?
正直、普段の黒子を見ていれば、そんな推測に行き着くはずもない。
美琴命を体中で表現している真性の百合属性持ちの黒子が、俺になびくはずもないじゃないか。
第一、美琴などは先日、能力を全開にして、本気で俺の命を奪いにきたくらいだ。
とても、そんな甘い関係に発展するとは思えない。
まず、断言できる。そんなことは万が一にもありえない、と。
(うっ……言ってて悲しくなってきた)
別に黒子や美琴に好かれたいと思ってる訳ではないが、それにしたって自分で自分のことをモテないと言ってるようで悲しくなる。
まあ、それが現実なのだが、それを抜きにしても、こっちの世界に来てから散々な目にしか遭ってない気がする。
鷲羽に気絶させられ異世界に送り込まれたと思えば、
――警備ロボや風紀委員に追い回され
――生活のためとはいえ警備員にされて扱き使われ
――その仕事の最中、一番会いたくない一方通行に遭遇し
――事件に巻き込まれた挙句、妹達を押し付けられ
――美琴には勘違いから命を狙われる
本当に呪われているんじゃないか? としか思えないくらい碌な目に遭ってない。
「た、太老! 何を泣いてるんですの!?」
「……少し、悲しくなってね」
色々とこれまでのことを振り返ってみたら、思わず涙が零れてきた。
あっちの世界の方がよかったと言う訳ではないが、俺はいつになったら平穏な生活を送れるのだろう?
別に大金が欲しい訳でも、偉くなりたい訳でもない。世界の支配者になりたい、とかそんな途方もない理想を抱いている訳でもない。
ただ静かに暮らしたいだけなのに……どう言う訳か、そのささやかな願いすら叶わない。
「……白井さんに否定されて悲しかったんだね」
「正木さん……そんなに白井さんのことを」
「太老、あなた……」
佐天、初春、黒子の三人が何かを言ってるようだが、俺には何も聞こえない。
(はあ……本当に、これからどうしよう)
もう、溜め息しか出て来なかった。
◆
色々とあったが、ようやく警備員に復帰することが出来た。今朝も五十人ほど馬鹿な能力者を捕まえてきたばかりだ。
打ち止めは家出したままだが、一方通行と一緒だという連絡はもらってるし、心配はいらないだろう。
天井の事件が原因で一方通行は確か脳に障害を負うことになったはずだが、天井が重症を負った上、捕まってしまった後となっては、その事件も起こらない。
第一、生体強化を施した今の打ち止めや妹達に、生半可なウイルスを打ち込んだところで意味はない。
表層部分には俺の作ったプロテクトが施されているし、例え、それを突破したところで妹達一万人の演算能力は学園都市の計算機の遙か上を行く。生半可なものでは、勝手に自動修復されるのがオチだ。
学園側から慰謝料として踏んだくった現金も持っていることだし、彼女達のことは放って置いても大丈夫だろう、と俺は考えていた。
まあ、ミサカが減っただけ、俺の方も生活が楽になって万々歳だ。
最初に助けたミサカだけは、どう言う訳かどこにもいかず、俺のアパートに居ついてしまったが。
ちなみに、その後に確保した五人は、芳川と一緒に別の場所で生活を共にしている。
金のない芳川が、ミサカ達に養ってもらっている、といった逆パターンなのが少し笑えるが。色々と一般常識をミサカ達に教える代わりに、養ってもらっているような現状らしい。
それも仕方ないだろう。結局、今回の事件で研究者も続けられなくなって、完全に無職になってしまったし。
でも、芳川の場合、頭は良いのだし、研究者でなくても、幾らでも再就職先など見つかるだろう。
現在も、収容施設に隔離されてる研究者達に比べればマシだ。例え出て来ても、借金に追われる生活だしな。
「介旅初矢?」
「先日の爆破事件の犯人のことですわ」
「ああ……あいつ、そんな名前だったのか」
「色々とゴタゴタしてて、こちらも確認が遅れたのですが……わたくし達が妹達の事件に巻き込まれた翌日、気を失い、意識が戻らなくなったらしいんですの」
俺と黒子は二人で、今や行き着けと成りつつある、例のファミレスにやってきていた。
店員は既に耐性が着いたのか、俺達の応対も落ち着いたものだった。
(意識を失ったってことは、考えられるのは幻想御手≠オかないな)
色々とあって完全に忘れてた。そういや、幻想御手なんて事件もあったんだっけ?
とはいえ、あれから十日余りだ。もう、八月に差し掛かろうとしている。
この時期といえば、原作通りなら事件が解決していても不思議ではない。
俺も細部まで詳しく覚えている訳じゃないが、本来なら上条当麻が解決するはずだった絶対能力進化計画も、俺というイレギュラーの介入により、こんなにも早く片がついてしまった。
そのことで、本筋が歪んでしまっていても、何ら不思議なことではないが、そうなると更に今後の展開は予測が付かなくなってくる。
「同様に、今週に入ってから意識を失う人達が続出していますの」
黒子に相談がある、と話を持ちかけられたはいいが、さすがに犯人の名前までは覚えていない。
幻想御手がどういったものか、と言うことも、今となっては記憶が薄れ、細部まで細かく思い出せない。
「幻想御手との関連性も考えて探してはいるのですが……」
「ふむ……」
相談を持ちかけられた以上、何らかの力になりたいが、幾ら頭を捻っても出て来ないものは出て来ない。
そうこうして二人で頭を悩ませていると、大きな人影がテーブルに射し、懐かしい下品な声が聞こえてきた。
「ククッ! 随分とお困りの様子じゃねーか、正木太老」
「――あなたはっ!?」
黒子は驚きの声を発すると共に、バッと席を立ち上がり、スカートの内側、太股に忍ばせていた鉄矢を手に取って、臨戦態勢を整える。目の前の人物に、強い警戒心と敵意を向けていた。
黒子が警戒するのも無理もない。
いつ、どうやって収容施設から出て来れたのかは知らないが、目の前にいる人物は、俺達にとって余り好ましい人物ではなかった。
そんな黒子の敵意ある視線を受けながらも、にやけた笑みを浮かべ、余裕ある態度を崩さない白衣の男。
「何のようだ? 木村?」
「木原だ! 木原数多! てめェ、やっぱり態とだろ!」
すまん……実はかなり大真面目に間違っていた。よくある名前だから、紛らわしいんだよ。
第一、男の、しかも変態の名前なんて、好き好んで覚えたいものでもないし。
木原数多――今や、その殆どが骨折などの大怪我をし、警備員に拘束され、収容施設送りになったり、再起不能の隊員が出たり、と壊滅的な状態にある猟犬部隊の首領。
また、会うことになるとは思いもしなかった。正直、会いたくもない嫌な男≠ニの再会だった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m