【Side:黒子】
あのファミレスでの一件から今日で三日目。
未だに気持ちの整理がつかないまま、今日までズルズルときてしまった。
あれ以降、太老に会っていない。毎日、毎日、幻想御手を使って悪事を働く犯罪者の確保に明け暮れる毎日だ。
書庫のデータとレベルが合わないことをいいことに、犯罪を犯す能力者は後を絶たなかった。
幻想御手の感染者は分かっているだけでも十万人。いや、実際には、もっと被害が拡大している可能性は高い。
一刻も早く何とかしなくてはいけないというのに、犯人も分かっていて、解決する手段も目の前にあるというのに、今のわたくしには答えを何一つだすことが出来なかった。
強引に木山春生を確保するような真似をすれば、間違いなく太老が敵に回ることになるだろう。
味方にすれば、これほど心強い味方はないが、敵に回せば、これほど厄介な相手はいない。
それに、太老の言っていることも理解できた。
木山春生の取った行動、それは無関係の人達を大勢巻き込むことで、決して許されるような計画ではない。
しかし、彼女をそこまで追い込んだのは他の誰でもない、この学園都市その物だ。
親に捨てられた子供達、その子供達を使った人体実験――妹達の件にせよ、『科学の発展』という大義名分の下、学園都市で行われてきた数々の非道な実験。
本当に裁かれるべきなのは、統括理事会であり、この学園都市の科学者達だということは、わたくしも気付いていた。
今まで、それが当たり前と思って疑いもしなかった現実。
能力の研究、頭の開発と掲げているこの学園都市のやり方が、本当に非人道的でないと誰が言えるのか?
太老の言葉は、わたくしに大きな疑問を投げ掛けていた。
妹達、そして犠牲になった子供達。
わたくし達も彼女達と変わらず、この巨大な都市に囚われた、実験動物なのかもしれない、と。
風紀委員としての義務と責任、白井黒子としての感情と理性が、わたくしの中でせめぎ合っていた。
「黒子、こんなところにいた」
「お姉様……」
警邏の途中で休憩を取るため、街中の広場のベンチで休んでいると、走ってこられたのか? 随分と息を切らせた様子で、お姉様がわたくしの前に立っていた。
「こんなところで何してるのよ! 携帯に電話しても全然でないし」
「……け、警邏の途中ですわ。事件は待ってはくれませんから」
それが単なる言い訳に過ぎないことは、わたくしも分かっていた。
しかし、こうして体を動かしていないと落ち着かず、気持ちの整理が全くつかなかった。
いや、こうすることで答えを先延ばしにして、今の自分を見せたくない余り、太老やお姉様を避けていたのかもしれない。
「正木の言ったこと、まだ気にしてるんでしょ? 顔に書いてあるわよ」
「……では、お姉様は気にならないんですの?」
「気にはなるわよ。でも、私は私の信じたようにしか動けない。
アイツの言葉が正しいかどうかなんて関係ない。元凶が別にあるというのなら、その元凶をどうにかするしかないでしょう?」
「……学園を敵に回すことになるかもしれませんわよ。これまでお姉様が努力して手に入れてきた、その力も、地位も、常盤台の生徒であるということも、全てを失ってしまうからしれない。それでも――」
「それでも、私は自分が間違っていると思わない限り、前に進むわ。
木山のこともそう。あの女が正しいとは今も思わない。でも、一つだけはっきり≠オていることがある」
そう言って、お姉様はニカッと笑われたかと思うと、わたくしの前に手を差し伸べ――
「私も子供達を助けたい。その気持ちは嘘じゃないもの」
「あ……」
――己の信念に従い、正しいと感じた行動をとるべし
わたくしは、いつの間にか、大切なことを忘れていたようだ。
太老が、何故あんなことを言ったのか? 太老だって、あの木山だって、誰かを犠牲にしたいなどと思ってはいないはず。
歪んだ社会構造。理不尽な現実。強大で抗うことも難しい運命を前にしても、太老は何と言ったか?
そう、彼は『戦う』と宣言したのだ。その上で、『子供達を救いたい』と彼は言った。
「何か動きがあったらしいわ。正木も先に行って待ってる。黒子、アンタはどうするの?」
「……そんなこと、決まっていますわ」
差し出されたお姉様の手を、しっかりと握り返す。
こうして、太老の手を取ったあの日のことを思い出す。私はきっと、彼に自分の理想を重ね、そして恋い焦がれていた。
だから、あんなことを言われて、心のどこかで裏切られたような気持ちになっていたのだろう。
勝手に憧れて、勝手に失望して落ち込むなんて、わたくしは本当に身勝手な人間だ。
彼だって人間だ。出来ること、出来ないことがある。
木山春生がそうすることでしか子供達を救えなかったように、太老もまた自分に出来る最善の行動を取ろうとしているだけの話。
なら、わたくしも自分に出来る最善の行動を取るだけのこと。
自分が正しいと感じた行動を、わたくしは選択するだけのことだ。
事件を早く解決したい、街の人達を救いたい。
それと同じくらいに、子供達を助けたい、という思いは、わたくしも同じだった。
【Side out】
異世界の伝道師外伝
とある樹雷のフラグメイカー 第29話『アクシデント』
作者 193
【Side:太老】
俺は今、例のファミレスで、木山と一緒に美琴達が来るのを待っていた。
「答えは出たようだな」
「キミ達に協力する。私はどうなってもいい、子供達が本当に助かるのなら……だが、それが叶わない時は」
「万が一なんてのはないよ。それに、答えがどうであれ、俺のすることに変わりはない」
「……その言葉、今は信じよう」
行き成り、『他に助ける方法がある』と言われても、木山が信じ切れないのは無理もない話だ。
彼女は、何年もその手段を探しながら、結局は見つけることが出来ず、こんな行動にでるしかなかったのだから。
こうして約束してしまった以上、責任は重大だが、俺としても、子供達を何としてでも救ってやりたい、と考えている。
全力を尽くすんじゃない。やるからには必ずやり遂げる。そのくらいの覚悟で今回の事件に挑んでいた。
「しかし、協力するとはいっても、実のところ、私にも想定外の事態になっててね」
「想定外?」
「十万人もダウンロードする人間がいるとは思いもしなかった、というのが一つと――」
木山にとっても、ここまで大規模に広まる事態になるとは、想定外のことだったようだ。
しかし、それ以上に次の話の方がもっと予想外の物だった。
「脳波パターンが別の人間の物になってる? それじゃ、何の意味もないじゃないか、何でそんなことに?」
「それは私が聞きたいくらいだ。このことに気付いたのは、幻想御手が広まった後のことでね。
どういう訳か、別の人間の脳波パターンが、私の代わりに曲データにインストールされていた」
もし、その話が本当だとすれば、幻想御手の担い手が別にいると言うことなる。
今更、こんな事で冗談を言う木山でないことは分かっている。
「まあ、どちらにせよ。アンインストールする治療用プログラムを流せば、幻想御手は防げるんだろ?」
「ああ、治療用プログラムなら――」
その時だった。
店内に掛っていたラジオ放送から、五感に訴えてくるような不思議な音楽が流れ始めた。
その曲を聴いて、驚愕の表情を浮かべる木山。
「何故、この曲が……」
「嫌な予感しかしないんだが……まさか」
「そのまさかだ。幻想御手がラジオに流れている」
それは学園都市を崩壊へと誘う、鎮魂歌だった。
◆
「どういうことですの!?」
「街中で同じ音楽が流れてるし、これって!」
店に入って来るなり、凄い剣幕で攻め寄ってくる黒子と美琴の二人。
この二人の様子から察するに、やはり街中でも同様の音楽が流されていたようだ。
俺は二人に、幻想御手が放送を通じて、誰かの手により意図的に流されたことを告げた。
「どっかの馬鹿が持ち込んだか、リクエストしたのか。詳しい経緯はさっぱり分からないけど。
詳しい情報は一切、情報統制を布いて隠していたからな。放送局も大した疑問を抱かずに、流してしまったのかも」
幻想御手の情報を規制し、中途半端に抑制したことが仇となった格好だ。
主犯が誰かは分からないが、リクエストした人間、局に曲を持ち込んだ人間、調べ上げるだけでも相当に手間が掛りそうだ。
愉快犯の可能性もあるが、単なる興味本位でリクエストした者達も少なくはないだろう。
「美琴、どのくらいが感染したと思う?」
「この時間、街中でもよく耳にする人気のリクエスト番組だから……十分の一、いや下手するともっとかも。
相当数の人が感染してることは間違いないと思う」
しかも、俺達も聴いてしまった、というのが痛かった。
このままでは数日後には、意識不明患者の仲間入りをする、といった事態になりかねない。
「木山春生! 直ぐに治療用のプログラムをだしなさい!」
「それなんだが……」
「無理だ。それが出来るなら、とっくにやってる」
木山の話によれば、今朝のこと、何やら血相を変え、慌てた様子の初春が研究所の方にやってきて、その治療用プログラムを持って行ってしまったらしい。
そのことを黒子に告げると、顔を青ざめて慌てて携帯電話を取りだした。
「でませんわ……あの子、一体何を」
黒子が初春に電話をするが、それは木山に携帯電話を借り、既に試してみた。
初春とは、どういう訳か連絡がつかない状態。彼女が治療用プログラムを持って行方を眩ましている現状では、対処のしようがない。
「予備はないんですの!?」
「研究所に行けばあるんだが……」
「では、直ぐに――」
「警備員が既に踏み込んだ後だ。データは既に全て失われてしまっている」
木山の淡々とした返答に、ショックを隠しきれずに絶句する黒子。
これもどういう訳か、木山春生が幻想御手の犯人とバレたようで、俺達がここにいる間に、警備員が彼女の研究室に踏み込んでいた。
研究室の様子は、木山の手にしている端末から分かるらしく、所定の段取りを踏まずに機械を起動すると、全てのデータが削除されるようにプログラムしていたそうだ。
用心深いように見えるが、科学者ならある意味で当たり前の処置ともいえる。
鷲羽も研究室に対侵入者用のトラップを数多く仕掛けていた。その罠にまんまと引っ掛かった警備員の連中が間抜けだとしか言えない。
「では……」
「打つ手がない。初春ちゃんを捕まえないことには、ここにいる全員が数日後には意識不明になるだろうな」
木山の話では、今から治療用プログラムを作ろうにも、データが完全に失われてしまった後では早くても一週間は掛かってしまうとの話だった。
俺の方も、全くのゼロから解析するとなると何日掛かるか予想がつかない。
一日、二日で解析できればいいが、木山と協力してもギリギリ間に合うかどうか微妙なところだろう。
「全く! あの子は一体何を考えて――」
黒子の怒りはもっともだ。しかし、何の理由もなしに初春がそんな行動に出たとは思えない。
そこには、何かしらの理由があるはずだった。
「ダメです。佐天さんにも連絡がつきませんわ……」
ガックリと肩を落とす黒子を見て、俺は思案する。
どうにも、全てが何者かの思惑で動かされているような気がしてならない。
余りに、状況が上手く行き過ぎている。初春の行動、警備員の踏み込むタイミング、学園都市中に流された幻想御手。
偶然の一言で片付けるには、無理がある内容だった。
「何れにせよ、彼女を見つけないことには話にならない」
「分かった! 初春さんを探せばいいのね!」
「風紀委員の各支部にも協力を要請しますわ。木山は――」
「彼女には俺と一緒に来てもらう。警備員に追われている現状では、一人にはしておけないしな」
警備員の俺が一緒なら、例え見つかっても多少の時間稼ぎや誤魔化しは利くはずだ。
とにかく初春を見つけること、それが何よりも最優先だった。
念のため、別行動をしているミサカにも連絡を取っておく。こういう時、妹達の情報網は馬鹿に出来ない。
「あ、そう言えば、脳波パターンの人物って誰だったんだ?」
黒子と美琴と別れた後、先程は話の腰を折ってしまって聞きそびれていたことを思い出す。
あの時は、治療用プログラムさえあれば、幻想御手を治療できると考えていたから、遂、後回しにしてしまった。
しかし、ここまで物事が悪い方にばかり上手く進みすぎると、何らかの意図が働いているとしか思えない。
疑う訳ではないが、木山と入れ替わったという脳波パターンの人物のことが気になっていた。
その人物が、事件と何らかの関係性がある可能性は十分にある。木山なら、そのことが発覚した時点で、人物の特定を行っているはずだ。
書庫のデータには、身体検査を受けた学生ばかりでなく、病院の受診や、職業適性試験などを受けた大人のデータも補完されている。
学園都市に住む二百三十万人のほぼ全てのデータが補完されているといっても過言ではない。
「……第七学区立柵川中学一年、佐天涙子」
「なっ!?」
それは、まさかの予想外の人物の名前だった。
余りのショックに言葉もでない。こんなところで、初春と繋がる人物の名前が出て来るとは思いもしなかったからだ。
「一つだけ言っておくと、幾ら幻想御手を使っても十万人、それ以上の人間の脳を統率し、完全にコントロールすることは不可能だ。
私が、この人数を想定外といった理由はそこにもある。
幾ら、脳をネットワークで並列に繋ぎ、演算速度を高めているとはいっても、その処理を行うハードは人間の体だ。
人間一人の脳で制御できる限界を大きく超えている」
「……もし、そんな状態で幻想御手を起動したら?」
「確実に暴走する。自我の崩壊……それだけで済めばいいが、AIM拡散力場を刺激することで、何が起こるかは私にも分からない」
話の腰を折った俺が言うのも何だが、そう言うことは早く言って欲しい。
何が何でも、初春と佐天を探し出す理由が出来てしまった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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