中学二年の夏。それは突然、やってきた。

 丑三つ時。草木も寝静まるその時間に、枕元に立つ、薄らと光りを放つ白い影。
 これだけを聞くと、よくある怪談話にしか聞こえないだろうが、嘘ではなく現実だ。
 俺の枕元に立つ影、それは――

「枕元になんか立つから……驚いたじゃないか」
「すみません……どうしても伝えておきたい話があったもので……」

 本当に申し訳なさそうに頭を下げる津名魅。
 この手の事には耐性のある俺だったからよかったモノの、普通の人ならビックリして腰を抜かしているところだ。

「私と砂沙美が、完全に同化する時が近付いています」

 津名魅の突然の告白。いつかは来ると思っていた事が、遂にやってきた、という感じだった。

 嘗て、樹雷星を襲ったという、魎呼と魎皇鬼の襲来。
 その時、騒ぎのどさくさに紛れて皇家の樹の間へ忍び込んでいた当時三歳の砂沙美は、天樹を襲った爆発の衝撃に見舞われ、そのまま最下層の始祖の間へと転落。小さな身体を強く地面に打ち付け、重傷の大怪我を負った。
 そんな今にも死にかけていた砂沙美と同化し、傷を癒して命を救ったのが津名魅だった。

 既に津名魅の意識は、殆ど砂沙美と同調している、と言っても良い。
 砂沙美は今年、生理年齢で言えば二十三歳になる。
 着ているモノや雰囲気からしか違いを感じ取れないほど、今の砂沙美の容姿は津名魅と瓜二つだ。

「どうして俺にその事を? もう、決めちゃってるんだろ?」
「はい……ですが太老、あなたに一言お別れと御礼を言いたかったのです。以前に……『津名魅と砂沙美は別人だ』と、私の事を考え、はっきり言ってくれた事を、今も嬉しく思っている事は確かですから」
「いや、全然違うだろ?」

 容姿など似ている部分は確かにあるが、津名魅という人格と砂沙美は全くの別人だ。
 記憶の逆流で一つになるとはいっても、人格の違う二人が一緒になり、俺はそれが津名魅だとは思えない。
 砂沙美は砂沙美、津名魅は津名魅。それが、俺の答えだった。

「砂沙美ちゃんの傷はとっくに治ってるんだろ?」
「……ありがとうございます。ですが、私は彼女と共にある事を望んだ。彼女の意思は私の意思。私の意思もまた、彼女の意思なのです」
「う〜ん」
「今は理解出来ずとも構いません。ですが、きっとあなたにも、その意味が分かる時が来ます」
「……でも、やっぱり俺は俺でありたいと思うし、誰かと一つになりたいとか思わないと思う」
「それもまた、一つの答えなのでしょう。いえ、太老ならば、そうなのでしょうね」

 津名魅の意思が変わらない、という事は既に分かっていた。これは確認の意味を込めての最後の問い掛けに過ぎない。
 俺の予想通り、やはり津名魅の意思は変わらないようで、これ以上、その事に関して話を蒸し返すような真似はしないと決める。
 例え、二人が完全に同化し、一人の人格になったとしても、俺は砂沙美との付き合い方をこれからも変えるつもりはない。
 始祖の樹だとか、頂神だとか、そんな大層な理屈を抜きに、津名魅と砂沙美は俺の家族であり、俺にとって砂沙美はやはり『砂沙美ちゃん』である事に変わりはないのだから――

「『さよなら』ってのは無しな。砂沙美ちゃんと同化するのなら、これからもずっと一緒って事だろ? いつでも会えるんだから、そういう別れの挨拶とか無しにしよう」
「太老……そうですね。望めば、いつでも会えるのですから」
「おやすみ、津名魅」
「おやすみなさい、太老」

 それが、この津名魅≠ニ最後に交わした会話。
 柾木砂沙美樹雷と一つになった彼女が、この先、一人の人間として何を考え、どういう人生を歩む事になるのかは俺には分からない。
 ただ、その選択が『正しかった』と笑って言えるように、砂沙美にも津名魅にも幸せになって欲しい。
 そう、願わずにはいられなかった。





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第9話『砂沙美と津名魅』
作者 193






「太老ちゃん? 今日は朝稽古もないのに随分と早いね。もう少し待っててね。直ぐに朝食の準備しちゃうから」
「そんなに急がなくてもいいよ? 魎呼さん達も、まだ寝てるみたいだし」

 結局、寝付けないまま朝になってしまい、台所で鳴り響く包丁の甲高い音と美味しそうな匂いに誘われ居間に向かうと、砂沙美とノイケが慌ただしく、いつものように朝食の準備に追われていた。

「ん? このダンボール一杯の野菜の山は?」
「船穂様からです。以前にお野菜を頂いた時、『皆で美味しく頂きました』と御礼を申し上げると、今年もまた、こうして送ってきてくださったんです」
「ああ、確かにあの野菜は美味しかったな」

 天地の畑のニンジンと甲乙つけ難い味の、美味しい野菜を船穂から貰った事があった。
 あれは俺の入学祝いで、自分の領宙で採れた野菜をくれたんだった。
 しかしこう考えると、離れて暮らす子供に畑の野菜や果物を送ってくる、田舎のお袋さんみたいな感じだ。
 実際、勝仁や、ここに阿重霞と砂沙美がいる以上、それも間違った例えではないのだろうが――

「天地さんの畑って、殆どニンジンばかりだし……バリエーションがな」
「――みゃ!?」

 いつの間にか居間にいた魎皇鬼(ヒューマノイドタイプ)が、何やらショックを受けた様子で表情を硬直させていた。
 ニンジン畑の話をしていた所為で、自分の所為とでも思ったらしい。
 どうやら、自覚はあったようだ。

「みゃあ……」
「いや、別に悪いと言ってる訳じゃないからな? ニンジンは美味しいし栄養もバッチリだし」
「みゃ……」
「それに砂沙美ちゃんの作るキャロットサンドは最高だもんな」
「みゃあ!」

 ふう……魎皇鬼も成長しているとあって、身形は殆ど俺と変わらない癖に、中身は子供と大差ないので相手をするのも一苦労だ。
 子供を泣かせると後が大変なので、大抵はこうして俺から折れる。今では魎皇鬼の扱いにも慣れたモノだ。
 そんな俺達のやり取りを見ていたノイケが、微笑ましいモノを見るような表情で微笑んでいた。

「太老ちゃん、朝ご飯出来たよ。皆を起こしてきてくれる?」
「ああ、了解。魎皇鬼、一緒に行くか」
「みゃあ!」
「じゃあ、お前は鷲羽と魎呼さんをお願いな。他は俺が引き受けた」

 さり気なく、一番厄介な人物を魎皇鬼に押しつける――

「みゃみゃ、みゃあ」
「ちょっと待て!? そっちは天地さんの部屋だろ!? おい! 魎皇鬼カムバーック!」

 ――つもりが、世の中そんなに甘くはなかった。

【Side out】





【Side:砂沙美】

「……どうか、されましたか?」
「……ううん、何でもないよ」
「そうですか。それでしたら、いいのですが……」

 私の中の彼女≠ェ昨晩、太老ちゃんに会いに行った事を私は知っていた。
 津名魅の言葉は、私の言葉だ。太老ちゃん伝えたあの言葉に、嘘偽りはない。
 でも――

「ノイケお姉ちゃん、ちょっと聞きたい事があるんだけど……」
「はい?」
「ノイケお姉ちゃんは……その、神我人ちゃんと同化したよね。あの時って、やっぱり少しは悩んだ?」
「いえ、彼女と私は元々一つでしたし、それに彼女も私も天地様の事を、す……好きでしたから」

 神木ノイケ樹雷――旧姓酒津。私の叔母様にあたる。
 お祖母様の養女となり、柾木家の監視をさせるために天地お兄ちゃんの許嫁として、お祖母様が送り込んできた女性。
 でも、今では……いや、最初からノイケお姉ちゃんは、天地お兄ちゃんのよい許嫁だった。

 過去にDr.クレーに赤ん坊まで退化させられ、それが原因でアストラルが分化した彼女は、後にそれが切っ掛けとなり、ある事件を引き起こす事になる。それが、ノイケお姉ちゃんと私達が出会う事になった、あの思い出の事件だ。

 その事件の後、二つの人格へと分化していた彼女は一つに戻る事を決意。
 二つの人格を一つに、アストラルを同化し、一つになった。
 多少の違いはあるが、私が置かれている状況に似ている、と言えなくもない。

「何故、そのような事を?」
「それは……」

 他人に答えを求めようとしたところで意味が無い、という事は分かっていた。
 だが、一度自分で決めた答えにも拘わらず、私は、私の中の彼女も迷っていたのだ。

「何を悩んでいるのか、それは私には分かりませんが……自分の思うようにやる事、それは自分の決断に責任を持つ事なのだと私は思います」
「責任を持つ……」
「そして、決して後悔しない事。私は彼女を受け入れた事、過去の自分を取り戻した事を、後悔などしていません。それも含めて私であり、逆に後悔する事は自分の過去を、彼女の存在を否定する事にも繋がりますから」

 一切揺らぎのないノイケお姉ちゃんの言葉が、私の心に大きな動揺を与える。
 神木ノイケ樹雷であり、ノイケ・酒津であり、神我人でもある。
 過去の自分、今の自分、その全てがノイケという一人の女性をカタチ作っていた。

(私から見た津名魅……津名魅から見た私……)

 私にとっての津名魅。津名魅にとっての私。その答えはどこにあるのか?
 死にかけていたところを同化する事で、私の命を救ってくれた津名魅。その時、私は『柾木砂沙美樹雷』になると同時に、始祖樹『津名魅』にもなった。
 津名魅が過ごしてきた無限ともいう時の中で、私がこれまで生きてきた人生など、砂一粒にも満たない短さしかない。
 しかし、その小さな命の一つにしか過ぎない私を救い、共に生きる事を決断してくれたのは津名魅だった。

「うん……やっぱりそうだよね」

 そう、私が悩んでいたのは、太老ちゃんに言われたからではない。
 彼を理由にして逃れようとしていただけで、本当は津名魅が同化して消えてしまう事が、どうしようもなく寂しく、悲しかったのだ。

「少しは、お役に立てましたか?」

 しかし、完全に同化するという事は、本当の意味で一つになるという事。
 二つの意識が一つになり、一人の人格になるという事は、彼女を消す事でも、殺す事でもない。
 彼女に救われた過去も、彼女と共に過ごした歳月も、全て砂沙美の記憶であり、津名魅の思い出でもある。
 これからずっと一緒に――共に生きていく事なのだと、私は思う事にした。

「うん……ノイケお姉ちゃん、ありがとう」

 それに一つだけ、はっきりしている事がある。
 私も津名魅も、天地お兄ちゃんの事が大好きで、そして太老ちゃんの事を本当の弟のように大切に想っている。
 ここにいる皆も同じ、柾木家の皆、私が、私達が大好きな皆がいるここが、私の帰る場所、居るべき居場所だ。
 それは二人が一つになったからといって、変わるモノではない。

 私はきっと――私達はきっと、これからも変わらない。
 例え同化したとしても、大切な人を想う気持ち、そこに変わりはないのだから――

【Side out】





【Side:太老】

「頼むから、罠を仕掛けないで普通に出迎えられないのか?」
「別に良いじゃないか。段々と避けられるようになってきただろ? これも母親の愛情表現の一つさ」

 そんな愛情表現の方法、迷惑以外の何者でもない。
 そんな時だ。ドンッ! と、何かが爆発するような凄い音と振動が家に響いたのは――

「太老! テメエだろ! こんなモノを仕掛けて行きやがったのは!」
「あ、おはようございます。魎呼さん」
「おはようございます……じゃねぇ! 人の枕元に時限爆弾なんて設置しやがって!」
「でも、目が覚めただろ? というか、普通に起こしたってなかなか起きないから、面倒になっちゃって」
「……アンタも私の事を言えないと思うけどね」

 失礼な。鷲羽(マッド)よりはマシだ。
 魎呼の枕元に設置した時限爆弾だって、家を吹き飛ばす訳にはいかないし、魎呼なら死なない程度に加減もしてある。
 脅かすのが目的なので、音と光が派手なだけの一種の閃光弾のようなモノだ。

「太老さん、魎呼さん、後片付けはちゃんとお願いしますよ」
「え? ちょっと、待て! あれは太老が――」
「ちゃんと起きてこない魎呼さんも同罪です」

 ノイケに叱られ、ガクッと肩を落とす魎呼。
 反撃が怖いので、俺はさっさと食卓に避難する事にした。食事中に喧嘩を仕掛けてくるような事はあるまい、と考えての事だ。
 そんな事をすれば、今度こそノイケと砂沙美の怒りを買い、大変な事になる。
 食事抜き、下手をすれば魎呼にとっては生命線ともいえる、『禁酒』を言い渡される可能性だってある。
 よって、柾木家の暗黙のルールとして、食事中の争い事は原則禁止されていた。

「太老ちゃん。はい、ご飯大盛りで良かったよね?」
「ありがとう、砂沙美ちゃ……ん? 何かあった?」
「ううん……それよりも太老ちゃん、また『砂沙美ちゃん』って呼んでる」
「だから、それは『太老ちゃん』って呼び方を改めてくれれば考えるって……せめて『くん』付けで」
「ダメだよ! 太老ちゃんは『太老ちゃん』なんだから!」

 砂沙美から大盛りご飯の入った茶碗を受け取りながら、いつもの平行線を辿るやり取りをする。
 いつまでも『ちゃん』付けに拘っている俺も俺だが、いい歳をして同じように拘っている砂沙美も砂沙美だ。

「……でも、まあいっか。そうだよね。太老ちゃんにとって、私は『砂沙美』なんだもんね」
「……はい? 熱でもあるとか?」

 呼ばれ方で怒ったかと思えば、次の瞬間にはニヤニヤと気持ち悪い笑い顔を浮かべる砂沙美。
 正直、どうしていいか困る反応だ。
 心配になり、風邪でも引いたか、悪いモノでも食ったかと思い、そっと額に手を当てると、

「もう、そんなんじゃないよ!」

 と、怒られてしまった。
 しかし、次の瞬間には笑顔に戻り――

「太老ちゃん、これからもよろしくね!」

 本当に意味が分からない。女心は複雑だ。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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