***

「太老様、私の船に遊びにいらっしゃいませんか? 勿論、桜花ちゃんも御一緒に」
「林檎さんの船へ?」

 ***

 林檎の船へと招待されたのが、遂一時間ほど前の事だ。
 公的には『皇家の船』の所有が許されているのは、四大皇家に在籍する皇族だけという話になっているが、皇眷属であっても所有している者は少なくない。樹に選ばれれば特に樹雷皇家の一族である必要もなく、特に樹雷軍に在籍していて林檎のように能力と立場がある者であれば尚更と言えた。

「この子が穂野火ちゃんです。こちらの方が正木太老様と、平田桜花ちゃんよ。穂野火ちゃん、御挨拶して」
『ウン。タロ、オウカ、ハジメマシテ』
「初めまして。船穂と龍皇とも仲良くしてやってくれ」
「はじめまして、穂野火ちゃん! やっぱり皇家の樹って可愛い!」

 船の中に案内された俺達を居住区で待っていたのは、ハートの形状をしたクリスタルの端末、穂野火だった。
 船穂と龍皇も興味津々で、桜花に抱きしめられた穂野火に近付き、様子を窺っている。桜花の方も、穂野火の事が随分と気に入ったようだ。
 最近では、船穂と龍皇も随分と桜花に懐いている様子だし、桜花に遊んでもらって穂野火もどこか嬉しそうにしている。そんな賑やかな声に誘われ、水鏡も興奮した様子で指輪から光を放っていた。

「穂野火ちゃんも喜んでいるみたいです。太老様や桜花ちゃんの話をする度に、会いたがっていましたから」
「子供同士、気が合うんだろうね」

 桜花も含め、子供同士気が合うのだろう。
 丁度良い息抜きになると考えて林檎の誘いを受けたのだが、正解だったようだ。

「お気に召して頂けましたか?」
「うん、空気も美味しいし良いところだね。水鏡とは、また違った良さがあるよ」

 水鏡の居住区に比べれば狭いが、それでも十分過ぎる広さの自然が、そこには広がっていた。
 穂野火は第四世代の樹だが、船穂や鏡子と同じく鷲羽(マッド)の改造を受けて、明確な意思を芽生えさせるほどに強化されている。この規模の亜空間の固定も、第三世代相当の力を有している穂野火だから出来る事だった。
 俺達が今居る場所、中心にそびえ立つ高さ一キロを超える巨大な樹。その樹を取り囲むように広がる森と河、畑や牧場は、樹雷に伝わる典型的な庭園形式を用いつつも、見ている者をほっとさせる和やかさがある。
 同じ居住区とはいっても、個人の趣向が大きく反映される庭園風景は、所有者の林檎らしく控えめで落ち着きのあるモノだった。

『リンゴ、リンゴ。トードーガネ、オ客様デス、ダッテ』
「お客様? そんな予定は入ってなかったはずだけど……すみません、太老様。しばらく席を外します」
「ああ、気にしなくていいよ。お仕事、頑張って」

 やはり、林檎は忙しそうだ。こうして急に仕事が入って、休日まで仕事をしている事も珍しくない。
 俺も、来月には配備先が決まる、と水穂が言っていたし、そうなったら林檎と水穂の二人を見習って、少しは真面目に仕事しないと、と気を引き締めていた。
 無理矢理宇宙に連れ出された事は確かだが、それで駄々をこねて他の人に迷惑を掛けるような事はしたくない。それに、当面の生活費はあるとは言っても、今後の事を考えるとやはりお金は必要だ。水穂に頼り切りと言う訳にもいかないので、せめて生活費くらいはちゃんと働いて稼ぎたかった。

「お兄ちゃんも、一緒に遊ぼうよ! 穂野火ちゃんも遊んで欲しい、って」
「そうだな。息抜きにきたんだし、目一杯楽しむか!」

 この迂闊な一言が、同じ時間、別の場所でちょっとしたアクシデントを招く事になろうとは――俺が知る由もなかった。

【Side out】





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第26話『酒と女には御用心』
作者 193






【Side:林檎】

 予想通り、桜花ちゃんの皇家の樹との親和性の高さは、相当に高いモノだという事が分かった。
 船穂と龍皇、それに穂野火とも直ぐに仲良くなった事からも、それは明らかだ。
 太老様ほどではないかも知れないが、それでも天樹に拒まれず中に入る事が出来るほどの資質を持っていた。
 少なくとも、『皇家の樹の間』へ入れると言う事は、第二世代の樹の声を聞き、契約をする事が可能という事。
 最終的に判断されるのは瀬戸様と言う事になるが、樹が彼女を選ぶのであれば、それを私達に拒む権利はない。

「東堂、何事ですか? 今日は太老様がいらっしゃるとあれほど――」
「申し訳ありません。しかし、樹雷皇がお見えになりましたので……」
「樹雷皇が!?」

 樹雷皇――阿主沙様がお見えになったと聞き、私は目を丸くして驚いた。
 皇宮に呼びつけられるのならまだしも、樹雷皇が直々に眷属の小娘を訪ねて来られるなど、まず普通なら考えられない。

(私に用事……いえ、考えられる事があるとすれば、きっと太老様の事ね)

 私個人に会いに穂野火まで態々お見えになったとは考え難い。だとすれば、答えは一つしかない。
 私が水穂さんと一緒に、太老様と同居している事は樹雷皇もお知りのはずだ。
 太老様の件で、何か極秘裏に相談があって来られたのだと、推測を立てた。

「やはり、太老様の件でしょうか?」
「それ以外にないでしょうね。先日の侵入者騒ぎの件か……瀬戸様が報告されていない何かを、探りに来られた可能性も考えられるわ」
「一度、瀬戸様にお伺いを立ててみては?」
「それこそ、心配はいらないでしょう。知らないモノはお答え出来ませんし。私も太老様の件に関しては、殆ど何も知らされていないのと同じなのですから」

 私が瀬戸様の副官だから、何かを知っているのではないか、と探りを入れに来られたのだろうが、生憎と今回の件は私も聞かされていない事の方が多い。決して樹雷皇の思惑通りにはいかないだろう。
 しかし、樹雷皇まで知らされていない事があるとすれば、瀬戸様の仰った太老様に関する機密というのは、相当に厄介で重要な物だと考えられる。瀬戸様の意思と言うよりは、津名魅様か、鷲羽様に口止めをされている何かがある、と考えた方が自然だろう。

「お会いしてきます。重要な機密を含む話になりそうです。人払いをお願いします」
「了解しました」

 樹雷皇がそれで納得してくださるかは分からないが、太老様の力が取り扱いを誤れば危険なモノになる事は、私も分かっているつもりだ。
 今は正直に事情を説明し、納得して頂く以外に方法はなかった。

【Side out】





【Side:阿主沙】

 最近、船穂と美砂樹の様子がおかしい。何やら儂に隠れてコソコソとやっているようで、先日の騒動の事が思い出される。
 あの少年……正木太老のところで何をやっていたのか、それが訊ければ簡単なのだが、そう容易い問題ではなかった。
 あそこは神木家の別宅。だとすれば、美砂樹もグルの可能性が高い。この事を知っていて場所を提供したのだとすれば、話の辻褄も合う。
 美砂樹は、船穂を本当の姉のように慕っている。儂と船穂、どちらにつくかと言われれば、間違いなく船穂の味方をするだろう。
 地球へ度々訪問していた事も、少年に入れ込んでいる理由も、船穂が若い男を作り、浮気をしているからだと考えれば合点がいく。
 信じたくはない。船穂を信用したくても、状況がそう物語っていた。

「あなた、今日はどちらへ?」
「公務だ。夜には戻る」

 船穂に呼び止められたが、そう言って逃げるように皇宮をでた。動揺を船穂に勘付かれたくはなかったからだ。
 船穂が浮気をしているなどと考えたくはないが、もしそうだった場合、儂は厳格な態度で挑まねばならぬ。
 美砂樹を差し置いて、船穂を第一皇妃とする事を決め、地球より船穂を連れてきたのは儂だ。
 万が一にも別れるような話になれば、それは樹雷皇としての責任問題になる。儂と船穂だけのプライベートな問題では済まなくなるだろう。皇としての立場が危ぶまれる事になるのは明白だった。
 樹雷皇で無くなる事に、今更未練など無い。しかし、遙照の事が片付いていない今、また次期国皇の座を巡って後継者問題が浮上する事は出来れば避けたい。船穂と美砂樹の夫、一人の男としてではなく、皇として決断しなくては成らない時がある。それが今だと考えていた。

「立木林檎殿はいるか?」
「じゅ、樹雷皇!? 直ぐにお呼びします。どうぞ、応接間でお待ちを――」

 儂は今、立木林檎を尋ねて、神木家の港へ停泊してある皇家の船『穂野火』へと足を運んでいた。
 周囲から『鬼姫の金庫番』と恐れられている女。儂の調べたところ、あの少年に海賊艦一斉捕縛の件で恩義を感じ、水穂と共に神木家の別宅に住み込んでいるという話だった。
 最初は美砂樹に協力を申し出る事を考えたが、美砂樹は船穂の味方をしている可能性が高い。そのため、除外せざる得なかった。
 水穂は『瀬戸の盾』などと呼ばれ、最も鬼姫に近いと言われる人物だ。内海殿も『あれは瀬戸に似てきた』などと言っていたくらいだ。柾木家の女性とはいえ、余り頼りにしたくはない人物だった。
 その点、林檎は『鬼姫の金庫番』などと呼ばれてはいるが、竜木家の眷属『立木』の女性。話の通じない相手ではないはずだ。

「樹雷皇、ご無沙汰しています。今日は、私に何の御用でしょうか?」

 林檎が応接間に姿を現すと、儂が言わずとも直ぐに人払いがされた。
 さすがは『鬼姫の金庫番』と呼ばれる女性だ。その辺りの事は、心得ていると見える。
 今は樹雷皇家のプライベートな問題として済んでいるが、これが外部に漏れればその限りではない。
 例え、ここにいるのが彼女の部下とは言っても、まだ誰にでも聞かせられる段階の話ではなかった。

「実は、尋ねたい事があるのだが――」

 その時だ。突然、船が激しく揺れたのは――
 いつもなら、このくらいの揺れで倒れるような事はなかったのだろうが、ここ最近は船穂と美砂樹に押しつけられた公務が忙しく、船穂の問題で夜も眠れずにいたので疲労が溜まっていた。
 挨拶を交わし、椅子に腰掛けようとしていたところだったので、タイミング悪くバランスを崩し、前へと倒れ込んだ。

「――阿主沙様!?」

 倒れ込もうとしていた儂を慌てて前へ飛び出し、支えようとする林檎。
 しかし次の瞬間、もう一度大きな揺れが儂等を襲った。

【Side out】





【Side:船穂】

「穂野火に……あれは林檎殿の船でしたわね?」
「お姉様……公務と仰っていたのですよね? それなのにお付きの者を一人もつけずに行かれたのですか?」

 美砂樹の言葉に、『まさか林檎殿が相手?』と私は危機感を募らせた。
 眷属とは言っても、林檎殿はあの『立木』を姓に持つ女性。彼女に惹かれている男性は少なくない。
 あの人も皇とはいえ、一人の男。容姿や気品を兼ね備えた彼女のような魅力的な女性が相手なら、決して考えられない話ではなかった。

「中に入ってみましょう。お姉様」
「ですが……他人の船に勝手に入るなど」
「穂野火は第四世代艦。上位の樹の命令には逆らえませんわ」

 そう言って、穂野火の中に入っていく美砂樹。私は直ぐに、その後を追い掛けた。
 上位世代からの命令は絶対で、契約者の命に関わるような危険な命令でない限り、下位の樹は逆らう事が出来ない。
 私達の樹は第二世代。林檎殿の穂野火は、鷲羽殿の強化が施されているとはいえ、第四世代の樹。
 船の中にこっそり忍び込むのは、確かに容易い事だった。

「でも、何処に行けば?」
「お姉様、こっちです!」
「美砂樹さん、あなたどうやって……」
「穂野火ちゃんにアクセスして、林檎ちゃんが今どこにいるのか、聞いたのですわ」

 第二世代の樹『霞鱗』を使って、林檎にリンクしたのだろう。こうした手際の良さは、瀬戸様の娘だと思わせられるところがあった。
 探偵の真似事が楽しいのか、嬉々とした様子で人目を避け、目的地へ向かっていく美砂樹。私はその後を追い掛ける。
 美砂樹は昔から侍従達の目を盗んでは、高い天樹の外壁を通路に使い、私の寝所にも窓から忍び込んでいた。こうした子供ぽいところは、昔と全然変わっていない。

「人の気配が殆どしない……何か変ではありませんか?」
「誰も居ないなら、好都合ではありませんか」

 美砂樹はそう言うが、気配を消し、警戒しながら人目を避けて進んでいるとはいっても、通路からは人の気配が殆どしないの変だ。
 それに皇家の船の中とは言え、余りにも警備が手薄すぎる。まるで、意図的に人払いを行っているかのようだった。

「お姉様、この部屋ですわ」
「この奥に、あの人が……」

 気配を消して聞き耳を立てる美砂樹。私もいけない事とは思いつつも、どうしても気になってその後に続いた。
 部屋の中で何かを話している様子だが、扉が分厚いため、上手く聞き取れない。
 そんな時だ。急に船が揺れ動いたのは――

「地震!?」
「あっ……」

 部屋の中から女性の悲鳴と、物が崩れるような大きな音が聞こえた。
 次の瞬間、異変を感じ取った美砂樹が小声を漏らす。揺れの衝撃で緩んだドアノブが『ガチャッ』と回り、聞き耳を立て、もたれ掛かっていた私達の体重に押され、その重厚な扉が開け放たれた。

【Side out】





【Side:阿主沙】

「――くっ! 何が……」
「阿主沙様……手が……あんっ!」

 揺れが静まり、起き上がろうとした儂の手の平に柔らかく温かい感触が伝わってくる。
 林檎の艶めかしい声で我に返った儂は、自分の手がどこを掴んでいるかにようやく気付いた。
 彼女の胸を鷲掴みにしている手。先程の揺れで倒れ込んだ儂は、林檎に覆い被さるように倒れ込んでいた。

「――いや、これは!?」
「人払いまで行って、何をしているかと思えば……そういう事だったのですね」

 背後から突然聞こえてきた馴染みのある声。
 背中に突き刺さる強烈な殺気を受け、服に肌が張り付くほどの冷や汗が噴き出る。

「船穂!? 美砂樹まで、何故ここにっ!?」
「それは、こちらの台詞です。公務≠セったのでは、なかったのですか?」
「違う! これは……彼女は違うのだ!」
「……彼女は=H」

 黒いオーラを身体中から放出した船穂が、どういう訳か応接間の入り口に立っていた。
 そんな船穂に、嬉々とした表情で『はい、お姉様!』と、どこから取り出したのか、酒の入った大きな徳利(とっくり)を手渡す美砂樹。
 もう片方の手には何故か、撮影用のビデオカメラを握りしめていた。

「お母様からの伝言で、『こそこそとしてるから、そんな目に遭うのよ』だそうよ」

 鬼姫からの伝言を言い残すと、瞬く間に事情が呑み込めず呆けていた林檎を攫い、そのまま儂を残して、その場から姿を消す美砂樹。
 それと同時に応接間は姿を消し、周囲には強力な結界が張ら巡らされ、広大な空間を持つ亜空間へと繋がれていた。

「ぷはーっ!」
「ふ、船穂……飲み過ぎではないか?」
「飲まなきゃ、やってられませんもの。こんな決定的な現場を見せられた後では……」

 そうしている間にも、儂の目の前で徳利に口をつけ、グビグビと酒をガブ飲みしている船穂。その顔は、既に出来上がっていた。
 美砂樹の対応の素早さに驚きつつも、直ぐにその裏で誰が動いているかを察した。
 ここに儂が来る事に、あのクソババア≠ヘ最初から気付いていた、という事だ。

「あのクソババア!」
「誰がクソババア≠ナすって?」
「違う! お前の事を言ったのではなくてだな!?」

 目の据わった船穂を見て、いつの間にか、地雷を踏んでいた事に気付かされたが既に遅い。
 普段、抑えている反動は凄まじい。船穂の酒癖の悪さは、鬼も避けて通るほど最強最悪のモノだった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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