【Side:林檎】
「ごめん……林檎さん。羽目を外し過ぎちゃったみたいで」
穂野火が急に揺れたので何事かと思っていたら、遊んでもらった事で興奮した穂野火が船体の拘束具を無理矢理引き離し、港から船を出航させてしまった事が原因だった。
「余り、穂野火を責めないでやってくれる? 港の修理費とかは、何とか働いて返すから……」
「いえ、お気になさらないでください。お招きしたのは私です。それに穂野火の件は本を正せば、私に責任がありますので」
最近、仕事が忙しかった事もあり、余り穂野火の相手になってあげられなかった事も一因にある。
余程、太老様と桜花ちゃんに遊んでもらったのが嬉しかったのだろう。それなのに、太老様や穂野火を責める事は私には出来ない。
ましてや、港の修理費を出して頂くなんて恥知らずな真似が、出来るはずもなかった。
(阿主沙様……大丈夫かしら?)
それよりも問題は、船穂様にズタボロにされて帰った阿主沙様の事だ。
一応の治療は施させて頂いたが、包帯を全身に巻き、ミイラ状態になった阿主沙様に『今日の事は忘れて欲しい』と頼まれてしまった。
船穂様は怒って先に帰られてしまったし、美砂樹様は『迷惑を掛けてごめんなさいね』と、いつもの軽い調子だった。
何の前触れもなく突然現れたかと思えば、嵐のように突然過ぎ去ってしまわれ――結局、何をしに来られたのか、分からないままだ。
「泥だらけですね。着替えを用意させますので、先にお風呂にどうぞ」
「……お手数をお掛けします」
こんなに泥だらけになるまで、穂野火の我が儘に付き合ってくださったのだろう。太老様には本当に、ご迷惑をお掛けしてばかりだ。
色々とアクシデントがあったが、しっかりと太老様のお持て成しの続きをしなくては、と気持ちを新たにする。
桜花ちゃんの樹との親和性を実際にこの眼で確かめる事も目的の一つに含まれていたが、ずっとお返し出来ずにいた太老様への感謝の気持ちを少しでも示しておきたかった、というのが一番の理由にあった。
友達としてお招きするのであれば、太老様も受けてくださるだろう、と考えての事だった。
【Side out】
異世界の伝道師/鬼の寵児編 第27話『林檎のお持て成し』
作者 193
【Side:太老】
桜花に後で呆れられるほど、思わず童心に返って羽目を外しすぎてしまった。
折角誘ってくれたというのに、林檎には迷惑を掛けてしまって、本当に申し訳ない気持ちで一杯だ。
「お兄ちゃん、自分で洗えるよ!」
「いつも背中を流してもらってるしな。それに……ほらっ! 秘密兵器も持参済みだ!」
「シャ……シャンプーハット」
「これなら。泡が目に入らなくて安心だろ?」
先日、市場で発見した時には驚いた。
こんなところに地球ではお馴染みの代物があるとは、思ってもいなかったからだ。
大きな露天風呂がある、という話は聞いていたので、念のために持ってきて置いて正解だった。
「うん……もう、お兄ちゃんの好きにしてくれていいよ」
遂に観念したのか、大人しくなった桜花。ああ、一つだけ注意をしておくが、俺は腰にタオルを巻いているし、桜花も真っ裸という訳ではない。ちゃんと湯着を着用している。
こちらでは、風呂に入る時は湯着を着用するのが常識らしく、真っ裸で風呂に入る事に慣れている俺にとっては、かなり新鮮だった。
医学的な観点や宗教的な理由から湯着を着用する事は確かにあると聞くが、混浴でもない限り、風呂に入る時に専用の服を着るなんて習慣は現代人には余り馴染みがない。俺も、その馴染みがない人間の一人だった。
風呂と言えば裸の付き合い。素っ裸で入るのが普通だと考えていたからだ。
桜花が『一緒に風呂に入る』と言っていた時も、てっきり裸だと思って警戒していただけの事だ。
しかし、実際には前も後も区別がつかない幼児体型の桜花に大人の魅力などあるはずもなく、服を着ているのであれば、こんな物は水着と大差がない。慣れてしまえば、何て事はなかった。
「お兄ちゃん、何か失礼な事を考えてない?」
桜花は意外と鋭かった。
「お前達も洗ってやるから、こっちに来い」
落ち着きのない船穂と龍皇、それに穂野火を呼びつける。三匹とも泥遊びを一緒になってしたので泥だらけだ。
こんな状態で風呂に飛び込んだら、湯が濁って大変な事になる。念入りに洗っておかないと。
「こら、逃げるな。大人しくしろ!」
林檎が勧めてくれた風呂は高台に造られた露天風呂になっていて、水鏡ほどの広さはないが岩風呂という風情あるモノだった。
それに、水鏡ほど広くはないとはいっても、あちらが広すぎるだけで、こちらも楽に数十人単位で利用する事が出来る、十分な広さを持っていた。それに、風呂から覗ける景色もまた素晴らしい。
眼下に広がる大自然。そして中央にそびえ立つ一キロを越す巨大な樹が、幻想的な一枚の絵を創り出していた。
「よし、全員風呂に行っていいぞ」
「お兄ちゃんは?」
「俺も身体を洗ったら、直ぐに追い掛けるよ」
「じゃあ、桜花が――」
「桜花ちゃんは船穂と龍皇の面倒を見てやって、放って置くと何するか分からないし」
「ううん……分かった」
湯船に向かって跳ねていく船穂達を見て、納得した様子で渋々頷く桜花。
そんな彼女達の背中を見送ると、俺も自分の身体を洗うためにタオルを手に――
「あれ?」
「これをお探しですか?」
「ああ、ありがとう」
身体を洗うためのタオルを受け取って、石鹸を馴染ませる……受け取って?
「林檎さん! 何で、ここに!?」
「勿論、太老様のお背中を流すためです」
「いや、そんなの自分で出来るからっ!」
「そうは参りません。太老様は大切なお客様なのですから、お持て成しを受けて頂かなければ、私が困ります」
「……えっと、どうしても?」
「どうしても、です」
有無を言わせぬ林檎の迫力に、首を縦に振るしかなかった。
時々思うのだが、林檎はかなり強引な時がある。無茶な要求と言う訳ではないのだが、そういう時は決まって折れてはくれないのだ。
あの朝食の件以降、台所になかなか立たせてもらえない事も、そう思う理由にあった。
「太老様、次は前を――」
「前はいいです! 前は!」
「ですが……」
桜花と違って出るところが出ている林檎の身体は、女性として十分過ぎるほどの魅力を醸し出している。
幾ら湯着を着ているとはいっても、林檎が着るのと桜花が着るのとでは全然違っていた。
林檎の場合は妙な色気があり、裸よりもエロイくらいだ。湯で湿った湯着が肌にピッタリと張り付き、強調されたボディラインが何とも言えない色気を滲ませていた。
そんな林檎に前を現れなどしたら、理性が吹き飛んでしまっても不思議ではない。
「分かりました……そこまで仰るのでしたら」
シュンと落ち込んだ様子の林檎を見て、何故か胸がチクチクとする。何とも言えない罪悪感が込み上げてきた。
しかし、これだけは譲る訳にはいかない。何としても、最後の防衛ラインだけは死守しなければ、俺の理性のために――
「お兄ちゃん、まだ洗い終わらないの?」
「うっ! 桜花ちゃん」
「あっ! 林檎お姉ちゃんだけ狡い!」
更にタイミングが悪い事に、なかなか露天風呂に顔を出さない俺の事を心配して、桜花が戻ってきた。
林檎と鉢合わせる事で、案の定、いつものように子供ぽい対抗心を燃やす桜花。
慌ててこっちに走ってくるものだから、石鹸の泡で滑りやすくなっていた床に足を取られ、そのままツルッと転倒する。
咄嗟に身体が動き、直ぐに桜花を支えようと飛び出した俺。しかし、同時に林檎も素早く桜花の元に飛び出していた。
「うわっ!」
どうにか桜花の身体を掴んだものの、林檎と交わるように重なり、勢いを殺しきれないまま湯船の方へと突っ込む。
――バシャッ!
高い水飛沫が上がり、風呂に沈む三人。どうにか温泉が緩衝材になってくれたお陰で怪我をせずに済んだが、思いっきり湯を飲んでしまったようで、思わず咳き込んでしまう。
「ゲホッ、酷い目に遭った。桜花ちゃん、林檎さん大丈夫?」
二人も何とか無事だったようで、水面から顔を出していた。
二人の無事な姿を確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
「太老様もご無事ですか?」
「ああ、うん。全然……!?」
俺に怪我がないかを心配して近付いてくる林檎。しかし、次の瞬間――俺は顔を真っ赤にして、その場に固まった。
本人は慌てて気付いていないのかもしれないが、先程のショックで湯着を留めていたボタンが外れ、そのまま湯着は湯に流されて、白い肌と柔らかな肢体が完全に顕わになっていたからだ。
しかも、その状態で俺に詰め寄ってくるばかりか、前から俺の後頭部を優しくさすり、胸を身体に押しつけてきていた。
「り、林檎お姉ちゃん! な、なななな、何を!?」
「太老様がお怪我をしていないか、確認しているのですが?」
「そうじゃなくて、お姉ちゃんの服!」
「……え?」
ようやく、自分が何も着ていない事に気付いた林檎は、顔を真っ赤にしてその場で呆然と固まる。
今更ながら、自分がどれだけ大胆な行動を取っていたのか、気付いた様子だった。
慌てて胸を腕で隠し、パッと俺から距離を取る林檎。照れているのは確かだが、その仕草が妙に可愛らしい。
「えっと、まあ……結構な物をお持ちで。うん、全然気にする事ないよ。自慢できると思う」
俺も自分で何を言っているのか、よく分かっていなかった。
ここで謝るのも何だか違う気がするし、だったら褒めておくべきか、と考えたのだが……それがトドメになったようだ。
「おっ、お粗末様でした!」
そう言って脱兎の如く、湯から上がり風呂の外に逃げていく林檎。
その後ろ姿を、俺はただ呆然と見送る事しか出来なかった。
「お兄ちゃん……後でちゃんと謝って置いた方がいいよ」
「うん、そうする……」
俺が全面的に悪い訳ではないが、最後のアレは自分でもまずかったように思える。
桜花の言うとおり、後で林檎には頭を下げて謝っておこうと思った。
【Side out】
【Side:水穂】
仕事が終わって帰ってきてみれば誰も家にいないし、誰かが尋ねてきたと思えば――
「えっと……ようするに家出をしてきたと」
「はい、ここに置いては頂けませんか?」
「部屋も余ってますし、それは全然構わないのですが……本当によろしいのですか?」
「構いません。あの人が自分から頭を下げて謝ってくるまで、帰るつもりはありませんので」
船穂様が玄関先に立っていた。しかも、準備万端に荷物を抱えた状態で。
阿主沙様と喧嘩をして、家を飛び出してきたという船穂様。あの温厚な船穂様がここまで怒るなんて、阿主沙様が余程の地雷を踏んだのだろう事は想像がつく。正直、余り巻き込まれたくはないのだが、ここで頼ってきてくれた船穂様を追い返すような真似が出来るはずもなかった。
詳しい事情は後で聞くにして、取り敢えず船穂様には家に入って頂く事にした。
天樹の天守閣に居を構える皇居ほど広くはないが、神木家の別宅だけあって広さも設備も十分に行き届いている。
贅沢を仰るような方ではないし、不便をお掛けするような事はないだろう。
「それで、何があったのですか?」
「お世話になるのですから、事情を説明しておかなくてはなりませんね。実は――」
話を聞いて、私は驚かずにいられなかった。あの阿主沙様が浮気をしている、と言うのだ。
しかも、その現場を目撃したとの事で、どうやら船穂様の勘違いでもない様子だった。
相手の女性が誰かは教えてはもらえなかったが、それ以上はプライベートな問題だ。覚悟もなしに、私が踏み込んでいい問題ではない。
しかし、あの阿主沙様が……正直、信じられないような話だった。
阿主沙様が地球から船穂様を連れ出し、周囲の反対を押し切って第一皇妃にされた、というのは有名な話だ。
私は、まだ生まれていなかったので当時の事は知る由もないが、周りの力に屈さず、美砂樹様ではなく、遥か辺境の惑星で偶然に出会い恋に落ちた船穂様を第一皇妃に指名した阿主沙様の行動は、当時、国民の間でも注目の的だったらしい。
それほどの大恋愛の果てに一緒になった二人が、破局の危機に晒されていようとは想像もしなかった。
「分かりました。そう言う事でしたら、好きなだけここにいらしてください。ですが、瀬戸様には一言ご報告を差し上げますが、よろしいですね?」
「はい、よろしくお願いします」
ここは神木の別宅だ。住人を増やす以上、瀬戸様に報告をしない訳にはいかない。
あの方なら嬉々として、この状況を楽しみそうで怖いが……船穂様が不利になるような真似は決してなさらないだろう。
過程で羽目を外しすぎてやり過ぎてしまう事はあっても、最終的には本人達が納得するカタチで上手く収められる方だ。そこだけは心配はしていなかった。
(内緒にすると、後が面倒なのよね)
逆に、黙っていてバレた時に、へそを曲げられる方が厄介だった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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