【Side:天女】
アイリ様の隙をついて、太老くんを助け出した≠ヘいいが、逃走ルートが問題だった。
アカデミーの中は言ってみれば、その殆どがアイリ様の庭のようなモノだ。本気で捜索をされれば、幾ら上手く逃げようと直ぐに居場所を見つけられてしまう。しかし、私とてアイリ様の助手として、伊達に長い間、工房で働いてはいない。
アイリ様の癖や思考パターンは、私も熟知していた。ならば、それを逆手にとって行動すれば、かなりの時間を稼げるはずだ。
――木を隠すなら森の中
人目を避けて移動するのではなく、敢えてアイリ様の懐ともいうべき数多くの工房が立ち並ぶ、哲学科のテリトリーへ逃げ込む事を決めた。
あそこはその機密性の高さから、侵入対策のためのセキュリティレベルが極端に高く設定されているが、逆に内部に入ってしまえば、その機密性の高さが仇となり、私達の姿を隠すのにも役に立ってくれる。例え理事長であったとしても、哲学科の生徒のプライベート空間へのアクセス権限は持ち合わせていないからだ。
彼等は未来の哲学士だ。既に数々の特許を取得し、現役で活躍している者が殆どのため、それぞれに応じたプライベート空間が用意されてあった。そしてここにはアイリ様だけではなく、私の知り合いも数多く在籍している。柾木アイリの第一工房で働いているという実績と立場は、それだけ重要性が高いという証だ。
そうした人物と知り合う機会も、当然それだけ多くなる。彼等の協力を得れば、かなり長い時間、アイリ様の追跡を誤魔化す事が可能なはず、と私は考えていた。
更に言えば、ここの人達に共通して言える事は、そうしたノリと企画が大好きな人が多いという事だった。
ここに居る誰もが、『柾木アイリに一杯食わせたい』と考えている事が協力を取り付けやすい理由にあった。
別にだからと言って、彼等はアイリ様の事を嫌っている訳ではない。所謂、これもアカデミーの伝統といった奴だ。
アイリ様にこれまで散々迷惑を掛けられた人達。アイリ様の悪巧みに巻き込まれ実害を被った人達。アイリ様の――
アイリ様がこれまでやって来た行いは、その功績と同じくらいアカデミーの変人達の間で、伝説とまで呼ばれる鷲羽様ほどではないが、先輩から後輩へと語り継がれていた。
そうした事もあって、アイリ様の被害に遭った人、もしくはその被害に遭った先輩の後輩達は……虎視眈々と柾木アイリを唸らせる瞬間を待っている。
隙あらば――と考えている者達も少なくはなかった。
「んん……」
「太老くん? 目が覚めたのね。安心して、私が守って――」
眠り薬で気持ちよさそうに眠っていた太老くんが、ようやく意識を取り戻した……かのように思えた瞬間、それは起こった。
既に、この辺り一帯の所有者である哲学科の生徒には、事前に話を通してあったので問題があるはずがない。
だが、現にセキュリティは作動していた。あるはずのない誤作動を起こしていたのだ。
しかも私達を、完全に侵入者として捉えていた。
「落とし穴!?」
取り敢えず逃げないと、と警戒をしていた矢先――予想もしなかった落とし穴なんて原始的な罠に、あっさり引っ掛かってしまう。
そのまま私は、太老くんを背中に抱えたまま、底の見えない奈落の穴に落ちていく。
水穂様の邪魔をし、かすみさんを出し抜き、アイリ様を貶めようとした罰だろうか?
人を呪わば穴二つ――そんな言葉が、頭を過ぎっていた。
【Side out】
異世界の伝道師/鬼の寵児編 第40話『かすみの策略』
作者 193
【Side:太老】
何がどうなっているのか?
目を覚ませば、半裸にひん剥かれて、白衣を着た女性達に取り囲まれていた。
「あなたが、正木太老くんね」
「ええっと……まあ、そうですけど」
「いやん、可愛い! こんな子が、あの噂の正木の麒麟児≠ネんて」
「はあ……あの、ここってどこですか?」
「哲学科の工房よ。約束通り、あなたを匿ってあげる代わりに、ちょっとデータを取らせて欲しいのよ」
「あのアイリ様が夢中になるくらいだし、『正木の麒麟児』なんて呼ばれるくらい凄い男の子だものね。きっと凄いデータが取れるわよ」
うむ……よく分からないが、結婚式場の控え室に居たはずの俺は、どこぞの研究施設に運び込まれていたようだ。
これ、もしかしなくてもアカデミーで噂になっている『人間狩り』とかいう奴だろうか?
こんな事態は完全に予想外だった。匿ってくれる、という意味はよく分からないが、まさかあんな場所で拉致されるとは――
(はっ!? もしかして、これもアイリの仕業か!?)
十分にありえると思った。あれだけウェディング体験に拘っていたアイリの事だ。
俺を母さんと水穂から引き離し、そして拉致する事が目的だったとすれば、全て辻褄が合う。
何という事だ。知らず知らずのうちに、アイリの罠に掛かっていたとは――
「あの……それって危なくはないですよね?」
「大丈夫よ。パーソナルデータを少し取らせて欲しいだけだから、直ぐに済むわ」
それならばいいか、と考えた。下手に逆らうよりも、ここは協力的なフリをして、逃げる機会を窺った方がいい。
パーソナルデータを取られたくらいで人間、死にはしない。パーソナルデータを悪用されれば問題だが、ここの哲学科の生徒が、そんな真似をするとは思えない。アイリのように悪ふざけには使っても、そうした事にはプライドを持っている連中だ。研究のサンプル採取が主な目的なのは間違いない。
下手な奴に捕まるよりは、まだ安全だと言えた。
もっとも、アイリの罠に掛かった時点で、この先は何があるか分かったモノではないが――
「それじゃあ、付いてきてくれる?」
「はい」
ゾロゾロと連れだって歩き始めた白衣の女性達の後をついていく。
鷲羽以外の他人の工房に入るのは初めてだが、やはり哲学士の工房は面白い。
哲学科と言っていたから、まだ学生なのだろうが、ここの学生は既に様々な特許を取得している、立派な『哲学士』と呼べる存在だ。
伝説と謳われる鷲羽や、銀河アカデミー理事長にして現アカデミー最高の哲学士と呼ばれるアイリに比べれば、まだまだ駆け出しのヒヨコに過ぎないが、それでも普通の人達から見れば文字通り『天才』と呼べる変人集団だった。
「あれ? これって……」
「あなたも知ってるの? そう、今アカデミーで最も話題沸騰の哲学士『タロ』様のお作りになった変形合体を可能としたガーディアン・システム。その名も『勇者ロボ・シリーズ』よ!」
「これは初期型の中で、数が最も少ないと言われてる『エクス●イザー』ですね。手に入れるの凄く苦労したんですよ」
「タロ様は、私達、哲学科の生徒の憧れなんです〜」
「へえ……凄い人がいるんですね」
何となく俺が過去に作ったロボットに似ている気がするのだが、多分、見間違いだろう。
世の中、似たような考え方をする奴が居ても不思議ではない。俺くらいの発想なら、哲学士なら幾らでも思いつく奴が居るって事だろう。
「着いたわ。それじゃあ、早速お願い出来るかしら?」
「ああ、はい。このカプセルに入ればいいんですよね」
「うん、お願いね」
白衣の女性の指示で、円筒形の入れ物の中に入る。
そういえば、過去に何度かやった事があるが、どういう訳かその度に実験機材が壊れるなどの被害があり、いつしかこの手の実験を鷲羽がしなくなった事を思い出した。
とは言っても、既に実験は始まってしまっている。言うタイミングを完全に逃した俺は、黙って白衣の女性達がデータを取り終えるのを静かに待つ事にした。
【Side out】
【Side:かすみ】
こうも見事に、予想通りの行動に出てくれるとは思ってもいなかった。
(天女ちゃん……もう少し考えて行動した方がいいわよ)
アイリ様に後で目の敵にされず、太老に掛かる負担や損害を出来るだけ小さくするには、手っ取り早く天女ちゃんを利用した方が早いと考えた。
彼女の事だから、アイリ様の追跡を回避するために哲学科の工房に向かうだろうが、既に手は打ってある。
あそこの生徒が、太老のような貴重なサンプルを前にして、黙っていられるはずがない。今頃は、天女ちゃんは罠に掛かり、太老と引き離されている事だろう。
多少、太老に実害があるように思えるが、このくらいであれば、あの子にとっては日常的な事だ。心配はいらない。
寧ろ心配なのは、あそこの生徒達の方だが……これも良い経験になるはずだ。滅多に出来る経験ではないのだから――
「アイリ様は……もう、天女ちゃんを追っていったのね」
「はい……分かりやすい母ですみません」
実に、アイリ様らしい行動パターンだった。しかし、こうなる事も予想済みだ。これでアイリ様と天女ちゃんが二人で潰し合ってくれれば、私としてはいう事がない。
一つだけ誤解の無いように言っておくと、水穂様に語った話は本心だ。しかし、太老の意思を無視して好き勝手やっているあの二人を放っておけない、と言うのも本心だった。
そして、今回はアイリ様の企みが、私への意趣返しだと分かっていたので、敢えて掛かったフリをして逆に策に嵌めただけの話だ。
樹雷の女として、売られた喧嘩を黙っている事など出来ない。後は程々のところで太老を回収――
『水穂、そこに太老殿は――あら、かすみさんも一緒に居たのね』
「これは瀬戸様。お久し振りです」
考え事をしていると、水穂様と私の間に空間モニターが開き、瀬戸様が姿を見せられた。
水穂様の直通回線のようだが、瀬戸様から態々通信を取ってくるなんて、何かあったに違いない。
水穂様も『太老』の名前を瀬戸様がだした事から、事態の深刻さを予測し、少し険しい表情を浮かべていた。
「太老くんなら、天女ちゃんに攫われて、その後を母さんが追っていきましたけど……何かあったんですか?」
『また、そっちは面白い……いえ、大変な事になっているようね。こっちも先程、太老殿の護衛につけていた女官から、『太老様の姿を見失いました』と報告があったところなのよ』
瀬戸様の女官が姿を見失うなど、滅多にある事ではない。
そうなると、考えられるのは一つしかなかった。
「それは、哲学科のテリトリーに入ったからですね。あそこはセキュリティレベルが並ではありませんし」
『ええ……その通りよ、かすみさん。それで、一刻も早く太老殿を見つけて欲しいのだけど』
瀬戸様の様子がおかしかった理由は、監視が太老の姿を見失ったからだった。
しかし、その程度の事は、瀬戸様も予想されていたはず。今になって慌てるような話ではないはずだ。
なのに直通回線を使って、水穂様に連絡を態々取ってきた様子からも、別に何か事情があるものだと、私達≠ヘ察した。
『二人には隠しきれないようね……実は、龍皇がこちらに向かっている、という報告があってね。原因は間違いなく太老殿だろうから、アカデミーの勢力圏に入って人目に付く前に何とかしておきたいのよ』
「龍皇が……確かに太老くんならありえる話ですね」
「あの子……昔から色々なモノに好かれるのよね」
皇家の樹を始め、色々なモノを惹きつける習性があの子にはあった。
特に、癖のありそうな人や、厄介そうなモノばかりを狙ったかのように引き寄せるのだ。
その人≠ェ誰かは、口が裂けても言えないが……。
『一応、ノイケの機転で美守校長に話を通してあるのだけど、九羅密家の艦隊でも今の龍皇を止める事は難しいでしょうしね。十四時間後に演習を控えているこの状況で龍皇に出て来られるのは、余り好ましくないのよ。演習を見物するために、連盟各国の首脳や高官も集まっている。それに軍の連中の目に付く危険性が高くなるし……』
「分かりました。太老くんを見つけて、水鏡に連れて帰ればいいんですね」
『ええ、お願いするわ』
瀬戸様との話を終え、通信が途絶えた事を確認すると、水穂様は何やら端末を開いて作業を始めだした。
「水穂様、それは何を?」
「嫌な予感がずっとしていたから、念のために太老くんに発信機を付けて置いたんです」
「なるほど……でも哲学科の施設なら、セキュリティレベルから考えても、かなり強固なシールドを張って外部と隔離されているはずですよ」
「そうかも知れませんが、哲学科の施設も広いですから。そこまでの足跡を辿って、どこから中に侵入したかだけでも分かれば、捜しやすくなると思って」
流石に、こうした事態には慣れておいでの様子だ。状況が切迫している事は確かなのに、その行動は至って冷静だった。
先程の水穂様の様子を見るに、太老の事が心配でないはずがない。しかし、自分一人が慌てたところで何も解決しない。焦れば焦るほど状況は悪くなるだけだと、自然と理解しておられるのだ。
誰よりも冷静に、そして感情よりも理性を取るその行動こそ、『瀬戸の盾』と呼ばれる水穂様のもう一つの顔だった。
「え? 発信機が反応している……場所は間違いなく、哲学科の施設を指しているのに」
「そんなはずが、あそこは銀河最高のセキュリティで守られているのですよ?」
だが、現に水穂様の言うとおり、発信機の反応が確かにあった。しかも、動いている様子だ。
考えられる事は、何らかのトラブルがあり、哲学科の全システムがダウンしたという事。本来なら絶対にありえる話ではないが、可能性がゼロとは言い切れない。あそこには太老が居るのだから――
私が太老が原因で、生徒達の方が心配だと言った理由に、太老の能力が大きく関係していた。
鷲羽様の工房を幾度となく半壊させた人物。それは美星様を除けば、太老を置いて他にはいなかったからだ。
鷲羽様が嘗て仰っていた事――
『あの子のパーソナルデータは、一種のウイルスなんだよ。時限式の爆弾のようなモノをサーバーに散布しながら、どんどん周囲のモノに感染していく。それら全てが確率の起点になって、最後はドッカーン!』
言ってみれば、結果は開けてみるまで何が起こるか分からないパンドラの箱みたいなもの、と鷲羽様は仰っていた。
それらの散布された起点が全て、太老と同様の確率を引き起こし、システムの混乱を招くというものだった。
(原因は間違いなく、太老ね……)
工房の一つくらい潰す事は予想していたが、哲学科のシステム全てをダウンさせるほどとは、完全に予想外だった。
どうやら私も、あの子の能力を甘く見ていたらしい。
「でも、これで太老くんを追跡しやすくなりました。行きましょう、かすみさん」
「え、ええ……」
何となくだが、私の本能が危険を告げていた。単に哲学科のシステムがダウンしただけならばいい。
しかし、それだけでは終わらない気がする。どうにも、嫌な胸騒ぎがしてならなかった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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