【Side:美瀾】

 机の上には請求書の束が山のように積み重なっていた。
 美星の船の修理請求書に、美星が壊した会場の修繕請求書。先日のドックの修繕費と合算すれば途方もない金額に上る。
 後者は整備部の特別予算で計上したとはいえ、その余計な出費の所為で儂を含める役員の賞与がカットされるなど散々な結果に陥っていた。
 以前にも、九羅密家が所有する恒星規模艦『ちょび丸』の再建費用を確保するために姉さんには庭園惑星を取り上げられ、美星の件で追い打ちとばかりに請求書の山を送りつけられ、儂の懐は痛むばかりだ。

「どこで、間違ったのだろうな……」
「姉さんを甘やかすから、こういう事になったのでは?」
「お前こそ、乗り気で以前は協力しておったではないか!」
「それは昔の事です。あの頃の僕は若かったですから……それに今は妻も居ますし」

 久し振りに顔を出したかと思えば、嫁の自慢ばかりで儂の事など心配する欠片も見えない美咲生。
 もう直ぐ一児の父になるという事で、まさに幸せの絶頂と言ったところに美咲生はいた。
 以前は儂と一緒になって美星の件であれこれと暗躍しておったというのに、他に女が出来た途端これだ。

「それより、引き受けて頂けますか?」
「書類に不備はないようだしの。まあ、これはなんとかしておくわい」

 久し振りに儂のところに顔を見せたかと思えば、演習騒ぎで破壊された軍施設の被害内容の報告と、例の惑星規模艦の改修依頼書を持参してきた。
 さすがは設計をアカデミーの技師が担当しただけの事はある。動力炉は失ったモノのそれ以外は大きな被害を受けている訳ではなく、アカデミーの協力を得られれば十分に改修が可能な内容である事がその報告書からも分かった。
 銀河軍としてもあの一件が響いており、軍の再編をしたくとも予算申請もままならないような状況だ。
 財政事情は火の車。かと言って今のままでは軍としての機能にも支障を来す。少しでも使えるモノがあれば、何でも利用したいというのが本音にあるのは分かっていた。

「恩に着ます。その御礼と言ってはなんですが、お祖父様が気になっているであろう情報を持ってきました」
「何?」
「疑問に思っておられるのではないですか? 演習の件から引き続き起こっている一連の不思議な出来事について――」

 そう言って儂の前に、一枚のデータチップを置く美咲生。

「そこには真相とまではいきませんが、事件の黒幕に関する情報が記載されています」
「そんなの物をどこで……」
「気になって調べてみたんですよ。僕は一応、銀河軍所属≠ナすからね」

 肩をすくめ『美守様にはご内密に』と言って立ち去る美咲生。
 複雑な心境で儂はそのデータチップを手に取り、端末へとアクセスした。

【Side out】





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第64話『振り回されし者達』
作者 193






【Side:吟鍛】

「よかったのですか? お祖父様にあんな物を渡して」
「フッ、構わないさ。このままクソババアの思惑通りに利用されるのも面白くないからな。それに我々としても保険は欲しい」
「まあ……僕達が直接動くと、あっという間に勘付かれちゃいますからね」

 そう言いながら苦笑を漏らす美咲生。以前は甘ったれた小僧に過ぎなかった息子も、今では立派に軍人の顔をするようになった。
 結婚する事で大切な物、守るべき物が出来た事が美咲生に心境の変化を与える良い切っ掛けになったのだろう。
 それに鬼姫の考えている事にも大凡の見当は付いていた。本気で組織その物を解体するつもりなど無い事も――

(今の首脳陣を失脚させ、古い体制を排除する事が鬼姫の狙い。だとすれば枠組みだけを残して、軍内部の浄化と組織再編が一番の目的か。恐らくは美守伯母もそれを承知の上で鬼姫に協力している)

 樹雷と世二我の和解というカタチで戦争が集結し、もう随分と経つが、未だに連盟内部には樹雷の事を快く思っていない者達が数多くいる。その中でも最たる勢力が銀河軍と言われていた。
 アカデミーのもたらした技術革新によってGPと軍の装備差は殆ど無くなり、これまで軍が請け負っていた仕事の殆どはGPへと併呑され、軍その物もGP内部の一部門へと格下げされてしまった。
 そうした力関係の逆転が大きな波紋を呼び、軍内部に時代に逆行するかのように軍拡を唱える反発者を出す結果へと繋がっている。
 銀河軍に所属する私が言うのもなんだが、組織内部から浄化作用を働かせるには既に無理があるところまで来ている事も承知していた。

(しかし、軍は必要だ。そしてそれは決して樹雷の傀儡であってはならない。一国の思惑に左右されるようでは意味がない)

 だが本当に銀河軍その物が必要無いのか、と問われればそうだとは言い切れない。
 平時であれば軍縮が進められるのは当然の事。しかし軍人の役割は何も戦争をする事ばかりではない。強い力と権限を持つとはいえ、GPの母体は警察機構であり治安維持を目的とした組織だ。謂わば防衛に特化した組織という事になる。軍とは性質からして、そもそも大きな違いがあった。
 軍の役割として一番重要となるは抑止力としての力だ。
 内へ向けた物ではなく、外に向けた防衛と抑止の力こそ軍が必要とされる一番重要な部分だ。
 それは平時であっても変わらず。逆に平和だからこそ、その平和を維持するために必要な力というモノがあった。

(とはいえ、今の体制ではそれも難しい。樹雷の鬼姫殿の策が成功した時、どれだけこちらに譲歩を迫れるか、今はそれが重要だな)

 何もかもをGPに背負わせるのはやはり難しく、だからといって今の内輪揉めばかりしている銀河軍ではいざという時の力が疑問視されるのは当然。銀河軍が連盟のお荷物扱いされる一番の理由はここにあると私は考えていた。
 そしてその銀河軍の浄化が成功したからといって、それをサービス精神で見返りもなしにやってくれる鬼姫ではない。
 一言でいえば、我々は試されているのだ。ここで手をこまねいて見ている事しか出来ない無能であれば、あの人は容赦なく我々を切り捨てるだろう。ヒントや手助けはしてくれるが安易に答えはくれない。それが分かっているだけに、今も鬼姫の手の平の上で踊らされているかと思うと複雑な心境だった。

「鍵を握るのは彼=Aですか」
「そう考えて間違いないだろうな。全く美守叔母も人が悪い。我々を挑発してるのさ。クソババア連合全員でな」

 恐らくまだ色々と隠しているのだろうが、態と部分的に情報を流出させる事でこちらの動きを誘っているのだ。
 美守伯母も鬼姫と同様だ。我々が動く事は承知の上で、それを利用して彼≠ニの接点を持とうとしている。
 そして我々も同じ、鬼姫に睨みを利かされている現状では身動きが取り難い。結果、お義父さんに頼らなくては彼に近付く口実も作れない。

「はあ……胃が痛い話だよ」
「胃薬持ってきてますけど、必要ですか?」
「すまない……貰うよ」

 美咲生から受け取った胃薬を呑み込み、苦笑を漏らす美咲生を横目に見ながら溜め息を吐いた。
 どれだけ足掻こうと美咲生も私もクソババア連合の鎖付きである事に変わりはない。
 そしてその足掻く姿を見て、クソババアどもが楽しんでいるかと思うと、何とも言えない気分だった。

【Side out】





【Side:美守】

「――以上で報告を終わります」
「ご苦労様。引き続き監視と調査をお願いします」
「了解しました」

 足音一つ立てずスッと引き上げていく女性。私の下で働く九羅密家の情報部の人間だ。
 彼女からの報告を受けて、私は口元に微笑を溢す。全員が全員、あの少年一人に振り回されているかと思うと、可笑しくて仕方がなかったからだ。
 吟鍛も美咲生も全ての黒幕は瀬戸様や私だと思っているようだが、それこそが大きな誤りだと言えた。
 私達もそういう意味では被害者なのだ。自分達から関わっておいて被害者というのは変かも知れないが、振り回されているという一点に置いては私も瀬戸様も彼等と何も変わらない。
 まだ十五年余りしか生きていない少年一人に銀河中が踊らされていた。

(この騒動の元凶がたった一人の少年の仕業と知ったら、どんな顔をするんでしょうね?)

 西南くんの件でも楽しませてもらったが、太老くんは本当に色々≠ニ楽しませてくれる。
 吟鍛達を始め、関係者が全員真実を知ればどんな顔をするか、想像するだけでも笑いが込み上げてきそうだった。
 不謹慎かも知れないが、今の瀬戸様の気持ちが少し分かるようだ。

 ――彼は面白い

 西南くんの時に感じた高揚感と同じ。
 正木太老という人間を知る度に、私の心と身体は熱を帯び、何とも言えない疼きに侵される。
 以前にウィドゥーと面会し『感染』させられた疼きは、私の心と身体の中に未だに残っていた。
 その疼きが彼に反応している事が分かる。私の中のウィドゥーという存在が彼の中にある別の何か≠フ存在を認識し、それを何よりも心地よいと感じていたのだ。それは身体を重ねる男女の営みにも勝る快感でもあった。
 西南くんの時は結局最後まで傍観者に徹したが、今回もそうあるべきかどうかを考えさせられる。
 今は理性でちゃんと抑制できているが自覚したからこそ、日を重ねる事に私の中の彼への想いは強くなっていた。

「本気で瀬戸様と取り合う事を考えさせられるなんて……フフッ、本当に女たらしね。彼は――」

 先程までの老婆の身体から一転。瑞々しい引き締まったボディラインの若い女性の姿へと、私は変貌を遂げていた。
 これが私の本来の姿。普段の老婆の姿から偽装を解くと、身体に精神を引っ張られて少し積極的且つ好戦的になるのが困りものだった。
 年寄りの姿の方が何かと都合が良いというのもあるが、主には自制を促すためという理由もある。
 私にとってこの姿は、自分を女として一番強く意識させる諸刃の剣なのだ。

「良い風ね」

 ここは銀河アカデミーの本星にある九羅密家の屋敷。プライベートに使う別宅の一つだ。
 山と森に囲まれた自然の豊富な場所で、山の風に吹かれて流れてくる緑の匂いが気を落ち着かせてくれる。
 身体の火照りと疼きに誘われるように偽装を解き、私は星空の見えるテラスへと出ていた。外の冷たい風に当たり、少しでもこの火照りを抑えるためだ。

「今すぐにどうの、というつもりはないけど」

 何もかもが片付いた時には、その時はきっと――

【Side out】





【Side:太老】

 ――ブルッ!

「どうかしたの? 太老くん?」
「いえ、何かちょっと寒気がしたっていうか……」
「風邪かしら?」

 肉食獣に捕食されたかのような、凄まじい寒気と危機感を感じ取った。
 水穂の言うように風邪とかではないと思う。何というか、それよりも遥かに厄介で危ない嫌な感じの気配だ。
 大抵こういう時の自分の勘が当たる事を知っているだけに、何とも言えない心境になる。
 とはいえ、原因が何かまでは分からないので、事が起こるまで待つ以外に方法はない。面倒な事にならないように今は祈るばかりだった。

「大丈夫ですよ。多分、気の所為だと思いますし」
「そう? 最近、仕事が忙しかったから無理とかしてない?」
「いや、本当に全然大丈夫ですから」

 確かにあのクリスマスパーティーの後、書類整理などの事務仕事が信じられないほど増えていた。
 情報部だけでなく女官達全員で頑張っているが、あれから半月経った今も一向に仕事が減る気配がない。海賊艦二千を撃沈とか、犯罪者や捕まったという侵入者の数も冗談としか思えない件数だ。まさかあのパーティーの裏で、こんな事件が起こっていたなんて全く知るよしもなかった。
 西南や美星も参加していたし、大方あの二人が原因だとは考えているのだが、それにしても確率の天才というのは恐ろしいものだ。
 その元凶の二人はというと、もうとっくの昔に帰ってしまった後で、残された俺達はコツコツと後始末をしている、と言う訳だ。

(まあ、犯罪が減るのは良い事なんだろうけどな……)

 これで少しは治安が良くなると考えれば悪い話ではない。大変な作業ではあるが、これが仕事なので頑張る他なかった。

「そうだ、太老くん」
「はい?」
「琥雪さんから連絡があって、来週にでも樹雷に戻ってくるらしいわ」
「琥雪さんが?」
「太老くんによろしく、って言ってたけど……」

 水穂から話を聞いて、俺もよく分からず首を傾げた。アクセサリーの件で御礼に送ったジュースの件だろうか?
 まあ、それならば納得できるが本当に律儀な人だ。あの人もやはり林檎と同じ『立木』を姓に持つ女性なのだな、と思わせられた。

「それじゃあ、歓迎会でもやります? アカデミーではお世話になったし、今度はそのお返しって事で」
「そうね。この仕事も今週一杯である程度落ち着くと思うし、そうしましょうか」

 水穂と話をして、どんな風にするかは後で林檎や桜花も交えて話し合う事になった。
 琥雪にはちゃんと御礼をしたいと思っていたし、丁度良い機会だと考えていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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