【Side:美守】

「美守様」

 太老くんとの会談を終え屋敷を出たところで、『瀬戸の盾』の名で呼び声高い柾木水穂≠ウんに呼び止められた。
 その少し後には、これまた鬼姫の金庫番の名で恐れられている立木林檎≠ウんが控えている。
 私の視線に気付き、軽く頭を下げて会釈する林檎さん。瀬戸様の副官の中でも中核を担う大物の二人だ。

「お久し振り。二人とも」
「ご無沙汰しています。少し、話をしてもよろしいでしょうか?」
「次の予定が詰まっているし、歩きながらでよければ構わないわよ。よかったら、案内して頂けるかしら?」
「……よろこんで」

 こうして私を待っていた訳――敢えて理由を聞くまでもなく太老くんの事なのは察しがつく。
 宇宙に上がった太老くんの保護者役を担っているという水穂さん。そして太老くんに恩義を感じ、その力となり支えとなっている林檎さん。
 太老くんが私の誘いを断り、大切な家族と言った内の二人だ。
 並の者であれば名前を聞いただけでも震え上がるほど有名な人物を指し、迷い一つ無く極当たり前に『家族』と称した太老くん。
 あれには事前に太老くんの人柄を調査し、知っていた私ですら驚かされた。

 そこにあるのは思い上がりなどではない。だからといって気後れしている訳でもない。
 彼の眼に映っている物は、世間一般で認知されている物とは懸け離れていた。

 それはきっと『盾』や『金庫番』などといった世間一般の俗称ではなく、柾木水穂、立木林檎という二人の女性に向けられた純粋な想い。
 仕事の仲間や立場を抜きにして、彼にとってはこの二人でさえただの女性≠ノ過ぎないのだと考えさせられる。
 私とて最初から、太老くんを連れて行けるとは思っていなかった。
 彼が私の誘いを受けるはずが無い事も分かっていた。

 ――知りたかったのだ。正木太老という青年の事を
 ――紙面では伝わってこない、彼の本質を

 だが、良い意味で期待は裏切られたと私は喜んで居た。
 敢えてプレッシャーを与えるような物言いをした私を相手に、気後れすることなく堂々と答えた彼の胆力もさることながら、彼がどういう人物か、その本質に少しでも触れる事が出来たのは僥倖だった。
 この姿を晒した私を前にすれば、大抵の者は気後れするか言葉すら発する事が出来なくなるのが普通。雰囲気に呑まれ、場の空気に耐えきれず喚き散らしながら逃げ出す者も少なくはない。
 事実、私は彼との対談の際、逃げられてもおかしくないほどのプレッシャーを彼に向けていた。
 にも拘らず、九羅密美守を『綺麗な人』と言い、ただの女性として扱ってくれた若者は彼で二人目だ。
 西南くんとはまた違った意味で、心を刺激される興味深い青年だった。

「一つだけお聞きしてもよろしいですか? どうして太老くん、なんですか?」

 水穂さんからの質問。それはシンプルでありながら、一番的を付いた良い質問だ。
 恐らく既に気付いているのだろう。私が太老くんに会いに来た理由に――
 その上で尋ねているのだ。私が本気≠ネのかどうか。

「刺激されたから、かしら?」
「刺激?」
「彼という人間を知る内に、段々と私の心の中で彼という存在が占める割合が大きくなっていった。全身が麻薬に冒されていくような、とても刺激的で不思議な感覚だったわ」

 死と隣り合わせの戦場にも似た高揚感。身体が熱くなり、性欲を持て余す発情期の獣のように迸る熱い感覚。
 知れば知るほどに彼に近付きたく、彼の事をもっと知りたくなる。
 その欲求は自分でも驚くほどに、私の中で大きな割合を占めるモノとなっていた。

「この姿で会いに来たのも本音をいえば、彼に本当の私を見て欲しかった。彼の前だけは老婆の姿ではなく、綺麗な私で居たかったのだと思うわ」
「それって……」
「フフッ、これから私達は恋敵(ライバル)ね」

 そう返されるのが分かっていたのか、思ったよりも冷静な反応をする水穂さんと林檎さん。
 しかし、その表情は何とも言えない困惑に彩られていた。

「大丈夫よ、そんな顔をしなくても。今すぐ彼をどうこうしようというつもりはないから」
「そんな事はさせません。例え、美守様でも太老様を困らせるような事があれば……」

 あの大人しい林檎さんが、はっきりとした意志の籠もった眼で私を睨み返す。
 そこには、大切な人を守りたいという純粋な想いが宿っていた。
 それは水穂さんも同じ。私が彼の意思を無視し強引な手段に出れば、間違いなく彼女達は敵に回ると確信できる。それほどの強い意志。

「九羅密美守の名に誓って、そんな事はしないわ。ただ私は――」

 ただ私は見てみたかっただけだ。正木太老という一人の人物が織り成す未来を――
 彼は樹雷の枠に収まる人間ではない。それは世二我とて同じ事。

 銀河統一の夢。その先にある未来を築いていくのは、私でも瀬戸様でもない。
 新しい世界。その世界の未来に、彼が必要だという確信めいた予感が私の中にはあった。

【Side out】





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第76話『未来を担う者』
作者 193





【Side:林檎】

「太老くん、これから大変ね」

 そう言って、深く溜め息を吐く水穂さん。私も同感だった。
 太老様の凄さは知っていたつもりだが、あの美守様の心をも動かした点に置いては、驚きを通り越してただ呆れるしかない。
 更には瀬戸様に内海様という伴侶が無く、独身だったらと考えると目眩を覚える。
 瀬戸様がずっと仰っておられる『銀河統一』の夢。
 まだ様々な問題を残したままではあるが、太老様であれば叶えてしまいそうな気になるから不思議だった。

 最初は伝説の哲学士の後継者。そして次は鬼の名を継ぐ者。
 阿主沙様や船穂様の覚えもよく次期樹雷王≠ニも目され、極めつけは九羅密美守様に見初められたとくる。
 太老様であれば本当に銀河統一、いや銀河支配が出来るのではないか、と思えて成らなかった。

「太老くんが居なくなったら、そのまま戦争に突入しちゃいそうよね」
「水穂さん……冗談になってないです」

 冗談ではなく、太老様の死が原因となって再び大戦が勃発する可能性は否定できない。
 それほどに正木太老≠ニいう一人の青年が与えている世界への影響は大きい。
 少なくとも経済への影響は避けられず、連盟だけでなく樹雷も甚大な被害を受ける事になるだろう。
 私達だけの問題ではない。太老様一人を失えば人類の損失。いや、世界全体の大きな損失となる事は一目瞭然だ。

「このままだと戦わずして銀河支配が叶ってしまいそうですね」
「統一でなく支配って……。でも、否定できないわね。遠くない未来、銀河統一世界の代表とかになってたりして」
「水穂さん。それも冗談になってないと思います」

 何を夢物語な、と太老様の場合は冗談としては笑えない話になりそうで怖い。何となくだが、そうなってもおかしくないと思える根拠があった。
 太老様の場合は底が見えないというよりは、際限が無いように思えてならない。放って置けば、私達の理解の及ばない速度で、どこまでもどこまでも上り詰めていく。限界という言葉は、太老様の前では意味をなさない。
 夢を現実へと変え、不可能を可能としてしまう力。それが生まれながらにして、太老様には備わっているように思えてならなかった。

 そしてその考えは恐らく間違っては居ない。きっと太老様なら、この世界を変えてしまわれるだろう。
 水穂さんの言うように遠くない未来、太老様の時代がやってくる。
 そう、私は心から信じていた。

「一応、美守様の件は頭の片隅にでも置いておきましょう。美守様の言葉を信じるなら太老くんの敵にはならないでしょうし」
「……ですね。そのような嘘を仰る方とも思えませんし」
「林檎ちゃん。冷静に取り繕っているけど本当は、美守様がライバル宣言した事を一番気にしてるんでしょ?」
「うっ……それを言うなら、水穂さんだって気にされているのではないですか?」
「わ、私は別に……太老くんは弟みたいなものだし」

 顔を赤くして顔を背ける水穂さん。その行動が全てを物語っていた。

【Side out】





【Side:太老】

 あの後、気晴らしに皇家の樹の間にある工房で作業をしていると、桜花が血相を変えて飛び込んできた。

「お兄ちゃん! 美守様に告白されたって本当!?」
「ブッ! 桜花ちゃん、それをどこで?」
「さっき、そこで琥雪さんから聞いたの。その様子だと本当なんだね……」
「いや、あれは告白とは違うような……。九羅密家で働かないか、って誘われただけだよ」

 告白なんてストロベリーな展開ならどれだけマシか。いや、それでも最悪か。
 どちらにしてもターゲットされた事に変わりはないのだから、厄介な話だ。

「お兄ちゃん……九羅密に行くの?」
「行かないよ。ここが俺の居場所だし」

 九羅密に行けば最悪の展開を辿る事が分かっていて行くはずもない。
 俺は静かに平穏に暮らしたいんだ。何故か、その願いと真逆の展開が起こってばかりだが……。
 ずっと不運続きなので、少しでもいいから美星の幸運を分けて欲しいと切実に思う。破壊と言う名の偶然は要らないが。

「そ、それって桜花のため?」
「いや、自分のためかな。俺にとって桜花ちゃん達が必要不可欠だし」
「……達」

 桜花達が一緒ならまだしも、あんなカオスなところに単身乗り込む勇気は俺にはない。

 何だか、桜花の様子がおかしかった。
 嬉しそうな笑顔を浮かべたかと思えば、葛藤している様子で頭を左右に振り、次は肩を落としてブツブツと独り言を呟いている。
 まあ、桜花の奇行はいつもの事なので、今更ではあるが。

「そうだ。桜花ちゃん」
「……何? 鈍感なお兄ちゃん」

 桜花は俺に何か恨みでもあるのだろうか?
 鈍感言われされるような真似をした記憶は一つもないのだが……。

「これを女官さん達に配ろうと思うんだけど、どうかな?」
「……これって、お出掛けセットに入ってた」
「あれの量産品。皇家の樹の実の成分を抽出して作った栄養ドリンクね」

 最近、仕事が多くて疲れが溜まっている同僚のために、少しでも役に立てないかと考案した物だ。
 俺は毎日一杯、皇家の樹の実のジュースで健康生活している所為か、身体的疲労は余り無かったりする。
 最近の女官達を見ると、肌が荒れて眼の下に隈を作って仕事していたりと、見るに見かねない状況が続いているので、何とか力に成れないかと考えていた。

 書類整理などは俺も手伝っているとはいえ、仕事の面ではこれ以上役に立てそうに無い。
 そこで考案したのがこの栄養ドリンク、通称『ハイポーション』。
 病気などは治らないが、体力だけでなく命に関わる重傷でもない限り、これ一本で完全回復する優れ物だ。
 売りに出せるほど数は無いが、身内に配る程度なら十分すぎるほど数を確保できる事が分かった。
 量産体制も整った事だし、せめて普段お世話になっている水鏡で働いている女官達に無料で配ろうかと考えていた次第だ。

「……うん。いいんじゃないかな? きっと皆喜ぶと思うよ」

 何だか投げやりな態度で、そう言葉を口にする桜花。
 投げやりというか、呆れているというか、疲れ切っているといった様子だ。

「大丈夫? 熱でもあるんじゃ……」
「――!」

 先程からどうも様子がおかしいので気になっていた。
 熱でもあるのではないか、と額を合わせて桜花の熱を測ってみる。
 やはり少し熱い気がする。それに顔も赤い。

「桜花ちゃん、熱があるんじゃ? 風邪薬と栄養ドリンク飲んで休んだ方がいいよ」
「だ、大丈夫。風邪じゃないから……」
「え? でも、こんなに汗も掻いてるみたいだし、一応ここにもベッドがあるけど家に戻った方がいいかな?」
「べ、ベッド!?」
「あ、その前に汗を拭いて着替えさせないとな。桜花ちゃん手を上げて――」
「な、なんで桜花の着替えがここにあるの!? お、お兄ちゃんの変態! 唐変木! 女(たら)し!」

 俺の手からパジャマを奪い去り、考えられる限りの罵詈雑言を吐いて、顔を真っ赤にして走り去る桜花。
 ちなみにここに桜花の私物があるのは工房≠フ事を話す機会があり、その時に夕咲が用意をして俺に持たせてくれたからだ。
 俺の名誉のために言って置くが、勝手に持ってきたり盗んだ訳ではない。
 普段のお返しに、ただ着替えさせて看病してあげようと思っただけなのに、酷い言われようだった。

「……俺、怒らせるような事をしたか?」

 取り残された俺は、何がなんだか理由が分からず首を傾げる。
 泣き叫びながら立ち去る桜花の背中を、ただ呆然と見送る事しか出来なかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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