宇宙に上がり、鬼姫の下で働くようになってから約八ヶ月が過ぎようとしていた。
「桜花ちゃん、ラウラちゃん。もうちょっと手加減してくれると、お兄ちゃんは嬉しいかな?」
「買い物に付き合ってくれるって約束した」
「何でも買ってくれるって約束した」
「グッ……」
桜花とラウラの一言に屈服し、頭を垂れる俺。俺は子供に弱いのか、甘いのか、どうしてもこの二人には頭が上がらない。
最近ではラウラも以前よりずっと態度が軟化して、必要最低限ではあるが口を利いてくれるし、率先して家事や仕事を手伝ってくれるようにはなった。
で、臨時ボーナスが入ったので普段のお返しに『何でも驕ってやる』と約束したのが先週の日曜。
今日は休日を利用して、天樹でも一番大きな百貨店に買い物に来ていた。
メンバーはいつもの通り、桜花、ラウラ、それに――
「太老様。あの……似合いますか?」
薄い紫のビキニに身を包んだ林檎が、少し恥ずかしそうにしながら、そう尋ねてきた。
今日は四人揃って、水着専門店に新しい水着を買いにきていた。
荷物持ち兼、財布持ちは勿論――この俺だ。
「に、似合ってますよ。でも、もうちょっと大人しめの方がいいかな」
「そうですか? 夕咲様は『露出の多い方が男性は喜ぶ』と仰っていたのですが……」
実にあの人らしい。
間違っているとは言えないが、林檎さん……あなたはまた騙されています。
いや、この場合は遊ばれていると言った方が正解か。
「お兄ちゃん、どう?」
「ビキニは早いだろ。二人とも、こっちにしておきなさい」
「……お兄ちゃん、それスクール水着」
「……マニアック?」
呆れた様子で溜め息を吐く桜花に、自分の口にしている意味がよく分かっていないのか、首を傾げるラウラ。
失礼な。幼女にスクール水着は基本だろう。ビキニなど断じて認められん。
しかしこの店、本当になんでもあるな。
密かに『名札サービスします』とか書いてあるし……本当にただの水着専門店か?
水穂は鬼姫の付き添いで公務に出掛けており、琥雪は前の働き先の同僚の結婚式があるとかで銀河アカデミーに行っている。
どちらも帰宅は一週間後を予定していた。
その事からも分かると思うが、全体的にのんびり休暇モードの雰囲気が漂っていた。
鬼の居ぬ間に何とやら、というが鬼姫が居ないというだけで樹雷は平穏その物だ。
こうして新しい水着を買いに来たのも、そうした休暇気分を満喫するため満場一致で水鏡のプールで泳ごうという話になったからだ。
鬼姫の向かった公務は連盟の定例会議なのだが、護衛を兼ねて第七聖衛艦隊から精鋭を選出して引き連れてはいるが、皇家の船は会議を前に相手に要らぬ不信感を与え刺激する恐れがある、とかで水鏡は事実上の留守番となっていた。
何でも、半年前に起こった演習騒ぎに配慮した結果らしい。
で、プールの話に戻るが、水鏡の本体に取り付けられている二重のリング構造体。その中には水鏡の名にちなんで真水が張り巡らされているのだが、そこで皆で泳ごうと言う話になったのだ。
とはいえ、別に珍しい話ではない。
女官達も時々、息抜きにプール代わりに使っているし、以前に俺も一度だけ利用した事がある。年中タダで利用できて泳ぎ放題なのだから、利用しない手はない。
樹雷で働くようになって、よかったと思えるのは無料で使える慰安施設が充実している点だ。
皇家の船限定とも言えるが、温泉といい、プールといい、更には部屋どころか一軒家まで無料で貸してくれるのだから、その待遇は破格と言って良い。鬼姫の下で働く様々なデメリットを考えれば、このくらいのメリットはあって当然と言えるのかもしれないが……。
「太老様。私の分まで、本当によろしかったのですか?」
「普段、お世話に成ってる御礼だと思って気にしないで。それに林檎さんの水着姿を見られるなら逆に役得だよ」
「うっ……あ、ありがとうございます」
結局、桜花はワンピースタイプの白い水着を、ラウラはそのまま紺のスクール水着を購入した。
林檎はというとパレオの付いた桜色のビキニを購入。林檎は随分と遠慮していたが、桜花とラウラの分を出して林檎だけ除け者と言う訳にはいかない。会計は全部俺が持つ事にした。これも男の甲斐性だ。
それに鬼姫の下で働くというのは精神的に疲れる事も多いし大変だが、それに見合うだけの対価はちゃんと貰っている。
給料は物凄く良い。水穂の副官という立場もあるのかもしれないが、管理職クラスの給料を貰っているので水着くらいで懐は痛まなかった。
それに先日、臨時ボーナスが出たばかりだ。
その臨時ボーナスと言うのが、四半期の海賊の捕縛数が一番だった者に与えられる成果報酬の事だ。
自分が一番だったと言うのにも驚いたが、これが俺の給料の三ヶ月分相当と結構な額だったので懐はかなり潤っていた。
「お兄ちゃん。次の店、行くよ」
「え……まだ、買うの?」
余裕のある財布に的を絞った小悪魔が一人。男の甲斐性には金が掛かるようだ。
異世界の伝道師/鬼の寵児編 第77話『新設部隊』
作者 193
水鏡のプールで、マットタイプの浮き輪の上で寝そべりながら飲み物を片手に寛いでいると、林檎から仕事の話を持ち出された。
どうも、話をするタイミングを窺っていたらしい。
桜花とラウラは、同じくプールに泳ぎにきていた女官達と一緒にビーチボールで遊んでいた。
「囮艦ですか?」
「はい。GPの囮部門のように、樹雷でも試験的に実施してみようという話になりまして」
樹雷に囮部門なんて物は無い。いや厳密に言えば無くもないのだが、樹雷は情報部の質が桁違いに優れている事や皇家の船という強大な戦力がある事もあって、囮なんて面倒な事をしなくても海賊の対処には困らない。
寧ろ、皇家の船と遭遇する事を恐れて樹雷領を避ける海賊の方が殆どなので、そうした心配は余り必要が無いと言うのが現実だった。
後、もう一つ付け加えるなら、皇家の船以外の樹雷の情報収集艦なども海賊艦やGPの船と比べれば、その性能は群を抜いている事も関係している。
闘士という破格の兵士を有し、艦隊戦に置いても無敵の強さを誇る軍事国家――それが樹雷≠セ。
だからこそ、GPに比べて囮に関しては、どうしても需要が低くなる。樹雷の船というだけで普通の海賊は近付いても来ないからだ。
「偽装艦を用意して泳がせるんですか?」
「一応、その予定です。守蛇怪を覚えていますか?」
「ええ、まあ……」
「プロフェッサー鷲羽に依頼して、あれを改造して頂いています」
鷲羽に依頼という時点で物凄く不安だ。
まあ、中途半端な物は決して造らないだろうし、戦力としては十分な物が出来上がると信頼はしている。
樹雷の船は巨大樹を材料に外装が造られているため、それだけで樹雷の船と分かるほどに目立つ代物だ。
そのために金属を使用した特殊外装で偽装や強化をする事があるのだが、こうした物は樹雷の闘士の間では評判が良くない。
正々堂々、強さを誇りとし重視する闘士ならではの拘りと言ったところか?
鬼姫のような搦め手を得意とする人物の方が、どちらかと言うと少ない。トップの樹雷皇からして、そういう意味では正統派と言える。
囮艦が深く浸透しない理由の一つに、こうした闘士達の気質の問題もあると考えられた。
とはいえ、少なくとも情報部と経理部に関して言えば、そんな事を気にする人物は一人として居ないと断言できる。
鬼姫の女官達は、どちらかというと誇りより利を取る現実主義者が多い。これも鬼姫の下で働く者には必要不可欠な柔軟さだ。
「後日、正式に辞令が下ると思いますが、太老様にはその囮艦の艦長になって頂く予定です」
これには驚いた。
話の流れ的にそんな感じはしていたのだが、まさか行き成り新設部隊の艦長に任命されるとは――
「それって決定事項?」
「はい。申し訳ありませんが、拒否権はありません」
鬼姫の決めた事だろうし、当然と言えば当然か。
軍属である以上、上からの命令は絶対だ。多少不安ではあるが、鷲羽の造った船があるのなら多少はマシかと考えた。
さすがに魎皇鬼や福のような強力な船ではないだろうが、あの鷲羽の造った船が普通≠ナあるはずがない。
嘗て柾木アイリの工房で造られたという新造艦『守蛇怪』。その量産型は普及し始めたばかりで数こそ少ないが、現在も樹雷軍で採用されている最新鋭の主力艦だ。
GPの主力級戦艦の十分の一というサイズと、五分の一という破格の維持コストでありながら、性能はそれに匹敵するほどの力を有している。
皇家の船と比べれば能力的に大きく見劣りするが、量産型という事を考慮すれば、この性能は破格と言ってもいい。
それを鷲羽が改造したのであれば、まず普通の改造では済まない。理由は言うまでもなく、マッドサイエンティストだからだ。
完全にワンオフ仕様なのか、それとも量産型としての延長なのか、そこでまた大きく変わってくるだろうが九分九厘&£ハの船ではないと断言できる。
良い意味でも悪い意味でも、鷲羽が普通の物を造った記憶なんて俺の知る中には無かった。
「まあ、仕方が無いか」
「ですが、ご安心ください。私と水穂さん。それに他にも数名、船に同乗する事になっていますので」
「へ?」
予想もしなかった林檎の一言。『瀬戸の盾』と『鬼姫の金庫番』が同乗すると言う話を聞かされて、俺は目を見開いて驚く。
「情報部は? 林檎さんも経理部の方はいいの?」
「ご安心ください。私達が居ないくらいで回らなくなるほど、うちの部署の娘達は無能ではありません」
「いや、それはそうだろうけど……」
鬼姫の抑止力としては必要不可欠なんじゃ、と言おうとして躊躇われた。
今では何となくそれが当たり前になっているが、実際この二人が居ないと鬼姫の悪ふざけを止められる人間なんて居ない気がする。
他の人には荷が重すぎる。
「それに船と部隊の性能評価試験も含まれていますので、私と水穂さんはアドバイザー′島試験官≠ニ言ったところです」
「ああ、なるほど……確かにそういう事なら」
水穂と林檎が同行するくらいだから、余程重要なプロジェクトなのだろう、と考えた。
最近は樹雷領も平和になって、海賊艦の検挙率も下がっている。遭遇率や犯罪件数自体が減っているので当然といえば当然だ。
しかし、それは根本的な解決には成っていない。樹雷領に海賊が近付かないというだけの話で、特に未開拓宙域と呼ばれる場所を根城に海賊の活動が活発になっているという話が上がっていた。
最近同じく好調だというGPに追い立てられ、行き場を失った海賊達が別の場所で徒党を組んで輸送艦を襲っているのだ。
実のところ検挙率のアップに比例し海賊がGP艦を意図的に避けるようになったためか、被害は民間船へ集中しているのが現状で、そこが頭の痛い種となっているのが現状だった。
(囮艦の役目は、その海賊達を誘い寄せる事か……差し詰め、餌ってところかな?)
未開拓宙域とは、その名の通りまだ人の手が入っていない宙域の事を指す。
銀河連盟や簾座連合などといった大小様々な勢力がこの銀河には存在するが、それでも人が行き来しているのは銀河全体の三分の二ほどで他は手付かずとなっているのが現状だ。
理由としては色々とあるが、一番に生活圏ばかり広すぎても意味がないというところがある。
人口の増加に伴い徐々に範囲を広げてはいるが、銀河全体にその手が及ぶのはまだ数千、いや数万年先の事だと思われる。
今は海賊達がその穴を利用して、GPや樹雷の追跡から難を逃れていた。
今までであれば、そこまで執拗にGPや樹雷も海賊達の事を追いかけはしなかっただろう。
しかし、それは暗黙のルールがあったからこそだ。
これが今まで通り、GPの輸送艦に的を絞った物であれば、ここまでの事態には発展しなかったはずだ。
だが、民間船に的を絞るようになった海賊の行為は、GPや樹雷としても見過ごせる範囲では無くなってきていた。
実際、民間人にも少なくない被害が出ていると聞く。
「危険な任務だとは思いますが……」
「ああ、うん。出来るだけ頑張ってみるよ」
「お兄ちゃん、林檎お姉ちゃん! こっちで一緒に遊ぼうよ」
桜花の乱入があって、そこで話は中断された。
危険な任務である事は間違いないが、それは軍に所属した時点である程度は覚悟していた事だ。
アドバイザーとはいえ、水穂と林檎が同乗してくれるのは心強い。それに――
「どこを見て……はっ!? ラウラ、逃げて! お兄ちゃんがスクール水着を視姦してる!」
「ちょっと待て! 誤解だ!」
「……ロリコン?」
ラウラのような境遇の子供を増やさないためにも、俺に出来る事をやりたかった。
……TO BE CONTINUED
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