【Side:人和】
「う〜ん……太老様、今頃どうしてるのかなー?」
「陳留に行くなら、ちぃも連れてってくれれば良かったのに……」
太老様が陳留の曹操様の元に出掛けられてから、ずっとこの調子の姉さん達。
太老様に会えなくて寂しい気持ちは分からなくもないが、もうちょっと真面目に仕事をして欲しい。
次の興行まで余り時間もないと言うのに――
「天和姉さん、ちぃ姉さん。二人とも舞台があるんだから仕方がないでしょう? それに太老様だって遊びに行っている訳ではないのだから……」
「それは分かってるけどー」
「ちぃも大きな街で買い物したかったの!」
私は深くため息を吐く。毎度の事とはいえ、姉二人の我が儘振りにはいつも手を焼かせられる。
それでも天和姉さんは太老様の仰る事なら素直に聞いてくれるだけ、まだマシだった。
地和姉さんも以前に比べたらマシにはなったが、この二人の唯我独尊振りは以前変わらないままだ。
正直あのまま太老様と出会わなかったら、と思うと考えたくない想像ばかりが頭を過ぎる。
「はあ……はっきり言って、ここ以上に物が豊富な街はないと思うわよ?」
「人和、分かってない! ちぃは太老と一緒にお買い物したかったの!」
「ちぃちゃん狡い! それはお姉ちゃんがするの!」
また言い争いを始める姉さん達。こうなったら何を言っても無駄だと判断した私は、二人を放置して自分の仕事に集中する事にした。
太老様と出会って半年余り。太老様のお陰で以前の売れない歌い手から一転、商会の看板歌姫としてエン州で成功を収めた私達『張三姉妹』は、それを足がかりに近隣の州へと影響力を広げつつあった。
太平要術の書を偶然手に入れた時は『これで大陸を取れる』と息巻いたものだが、太老様に師事して教わっている内に自分の考えの浅はかさに気付かされた。
あのまま勢力を拡大していれば、私達は取り返しのつかない騒ぎに巻き込まれていた恐れがある事に気付かされたからだ。
大した後ろ盾もなく、更には大勢の人々を集め大きな混乱を招くような行動を取れば、官に目を付けられるのは必然。そうなれば、太老様の言うように暴徒として処分されていた可能性がある。
何事も楽で簡単な道程など無い。物事には段取りが必要だという大切で基本的な事をここで教わった。
時間は掛かるかも知れないが、確かに一歩ずつ前に進めている実感が今の私達にはある。
この一歩ずつを大切に噛み締め、いつかは私達の歌で大陸中の人達を感動させられる事が出来たとしたら――
それは本当に幸せな事なのだろう、と考えていた。
僅か半年で、あの纏まりのなかった集団の意識を統一し、ここまでの組織を作りあげた太老様の才覚と手腕。
それを見せられた時、私達の夢のような目標も太老様と一緒であれば叶えられる。そう、私も信じられるようになっていた。
「あれ? そう言えば姉さん、太平要術の書を知らない?」
「うん? 私は知らないよ。ちぃちゃんじゃないの?」
「え? 人和でしょ?」
「おかしいわね……それが見当たらないのよ」
商会の設立から興行が順調で忙しかった事もあって忘れていたが、太平要術の書がいつの間にか見当たらなくなっていた。
私の記憶が確かなら部屋の荷物の中に大切に仕舞ってあったはずなのだが、どこにもその姿はなかった。
「別にあんなのいいんじゃない? 太老様のお陰で上手くいってるんだし」
「そうそう、ちぃ達も大分有名になったよねー。この間も瓦版で――」
太老様のお陰で必要が無くなったとは言っても、あの本が貴重且つ危険な物である事に変わりはない。
太老様の下で様々な事を学んだ今だから分かる。あの本の危険性が――
あれは使い方を誤れば、人心を惑わし世の理を歪める物だ。
(嫌な予感がする……何も起こらなければ良いのだけど)
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第9話『二人の妹』
作者 193
【Side:太老】
秋蘭から外出の許可を貰った翌日、許緒の案内で早速街を散策する事にした。
都市開発計画の視察も兼ねての事だが、商会で留守番をしている皆にお土産を買って帰ってやりたい、と考えていたからだ。
以前に一度見た限り、華琳が治める街と言うだけあって陳留の治安はそれほど悪くない。寧ろ、この手の大きな街にしてはかなり良い方だ。
凪には護衛としてついて来てもらったのだが、これならばそこまで警戒する必要は無いだろうと考え、凪には予定していた城の兵達の調練をお願いする事にした。
都市開発の方で俺も手一杯なので、どちらも平行してというとやはり難しい。
特に調練のように毎日顔を出さなければ意味のないモノは、纏まった時間を取る事が難しく下手をすると中途半端な事に成りかねない。
一週間も続けてみれば、どれだけの兵がついて来られそうか大体の目安がつく。こちらと自警団ではやり方も違うだろうし凪には兵達の事を任せ、責任者の春蘭と相談をして今後の方針を決め、俺と華琳に具体的な改善案を提出して貰う事にした。
何事も役割分担が肝心という奴だ。普段から自警団の教官として調練を担当してくれている凪なら安心して任せられる。
それと俺が『春蘭』と呼んでいるのは、ちゃんと本人の許可を得ているからだ。
何だかよく分からない内に、凪の武術の師匠が俺だという話が春蘭に伝わり、そこから春蘭に一目置かれるようになった。
別に凪の師匠というつもりはないのだが……何を言っても聞き入れてもらえそうになかったので仕方なく放置している。
「許緒が居てくれて助かったよ。本当に店とか詳しいんだな」
「えへへ……季衣で良いよ。華琳様と真名を呼び合うような仲なんでしょ? それに春蘭様からも兄ちゃん≠フ事は聞いてるしね」
「兄ちゃん?」
「やっぱり……ダメかな? 何か本当のお兄ちゃんみたいって言うか、こんなお兄ちゃんが居たらいいな……って思えるから」
「いや、好きに呼んでくれて構わない。ふむ……じゃあ、風とは姉妹みたいなもんだな」
「えっと……お兄さん?」
「風も、俺の妹みたいなもんだしな」
そう言って、風と季衣の頭を撫でてやる。照れた様子で頬を染め、顔を背ける二人。初々しい妹達≠セ。
風が『お兄さん』と慕ってくれるのは嬉しいし、季衣のような女の子に『兄ちゃん』と言われて嬉しくない男はいない。
ああ、一言いっておくが俺はロリコンじゃない。可愛い物が大好きなだけだ。
誰だって風や季衣のような可愛らしい女の子に『お兄ちゃん』と呼ばれてみろ。拒めるはずがない。
それで『嫌』と言える男が居るなら、そいつは男として死んでいる。間違っている。断言してもいい。
「お兄さん、そろそろお昼にしませんか?」
「ああ、そう言えばもうそんな時間か」
懐に忍ばせた懐中時計に目を通す。季衣に付き合ってもらって皆への土産物を見て回っていたのだが、あれから一刻ほど既に経っていた。
季衣の案内してくれる店は品揃えがよく、珍しい物や良い物を揃えた店が多かったので、かなり有意義な時間を過ごさせてもらった。
そうした事もあって、思っていたよりも時間が経っていたようだ。
「兄ちゃん、それ何?」
「ん? これか? これは『時計』って言って時間を知る道具だよ」
この世界に来て驚いた事の一つに、時計が無い事があった。
一応あるにはあるのだが、何時何分とかを知る物ではなく『砂時計』と言った経過時間を計るタイマー的な役割の物が殆どだ。
一日の時間を知る術は日の高さや大まかな感覚でしかなく、当然ではあるがそれでは個人差が大きく曖昧な物となってしまう。
そうした事もあって水道や街灯と平行して、まず何よりも優先して必要と感じたのがこの時計だった、と言う訳だ。
現在、商会では様々な時計が活躍している。というか、無ければ仕事にならない。
商会に所属する商人達にも好評で、正木商会に所属する商会員の証としてこの懐中時計は配られていた。
「へー、いいな。これがあれば約束の時間に遅れる事とかなさそうだし」
「遅れるのか?」
「あはは……ご飯食べるのに夢中になったり、寝坊したり……」
「……それは時計と関係ないような」
俺のツッコミに渇いた笑い声を上げる季衣。明らかに時計の所為ではない。
でも、まあ……アラーム機能があれば少しはマシになるだろう。
それでもアラームに気付かなければ意味がないが、そこまで責任を持てない。
「少し時間をくれるか? 季衣用の時計を用意してやるよ」
「ほんと? でも、高そうだし……」
「今日、案内してくれた御礼って事で気にするな」
高いとは言っても、材料費くらい大した物じゃない。
それに最近、エン州に流れてくる行商人が増えてきた事もあって、材料の仕入れに以前よりも苦労をしなくなった。
うちの商会が必要と思っている鉱石などの素材も、こちらの人達からすれば使い道の分からない道端に転がっている石ころと変わらないような物も多くある。何でもそうだが、その物の価値が分からない内はガラクタと一緒だ。
そうした物に価値を付けて引き取っているのはうちの商会だけなので、殆どタダ同然で仕入れられている物も沢山あった。
「やったー! 兄ちゃん、ありがとう!」
両手を挙げて全身で喜びを表現する季衣。時計一つくらいで、そんなに喜んでくれるなら易い物だ。
「……お兄さん。風も時計が欲しいです」
「え? 風は持ってただろ?」
「季衣さんと同じ時計が欲しいです。……ダメですか?」
「いや、別に構わないけど……」
そんなに季衣と同じ時計が欲しかったのだろうか?
まあ、アラーム機能付きの新型時計を開発しようかと思っていたし、別に構わないのだが……。
ちなみに俺が担当しているのは主に企画と設計だが、基本どれも職人による手作業になるので大量生産は利かない。
特に時計のような精密機械になると余計だ。現在のところ、この『懐中時計』も一般には販売せず、商会員だけに配っているのにはそうした事情があった。
商会が大きくなって、もっと多くの職人や技師を抱えられるようになれば事情も変わってくるのだろうが、今はこれが限界だ。
「まあ、こんな小さいのじゃないけど、陳留にも公共時計は設置するつもりだしな」
「公共時計?」
「誰でも好きな時に時間を確認できる。街の皆のための時計、ってところかな? 皆が時計を買えるほど裕福な訳じゃないだろ?」
「あっ、そっか」
貨幣が流通しているとはいえ、未だ小さな村では物々交換が行われているような世界だ。時計を買えるような人は限られている。
こちらも慈善事業をやっている訳ではないので採算度外視で販売する訳にはいかないし、そこはどうにも出来ない事情があった。
今は精々、村や街に皆が利用できる大きな公共時計を設置するくらいの事しか出来ない。それでも、そこに住む人達には感謝されていて『助かっている』と好評ではあるのだが――
うちの商会に訪れた商人や豪族の多くは水道や街灯に驚くと同時に、『時計』に対し興味を持つ人達が多く、自分達の住む村や街、屋敷や城に時計を付けて欲しいという依頼も数多く寄せられていた。
それらが現在の商会の貴重な収入源の一つに成っている、と言っても良い。
だが、個人で小型の時計を所持している者はまだまだ少なく、実際この時計を持っているとかなり珍しがられる。先程の季衣の反応が良い例だ。
「でも、やっぱりそんなに高価な物をもらっていいのかな……」
「役立ててくれるならそれでいいさ。どの道、市場に供給できるほどの数はまだ用意できないんだ」
季衣が遠慮する気持ちも分からなくはないが、幾ら貴重な物であろうと、それで出し惜しみしていても意味がない。
商会に所属している商人達もそうだが、市場に安定して供給できるほどの数はなくとも、知り合いに融通するくらいの数は何とでもなる。
時計でも何でも、生活の中で活用されてこそ意味があると思っている。心から喜んでくれる。役立ててくれる人達に使って欲しい。そうした願いは職人や技師、物作りに携わる者の願いでもあった。
「太老殿」
「秋蘭さん?」
どこかで昼食を取ろうと市を散策していると、秋蘭とバッタリ出会った。
警邏の途中か、それとも市で買い物でもしていたのだろうか?
「これから皆で昼飯を食べに行くんですけど、秋蘭さんも一緒にどうですか?」
「これからですか……季衣。少し良いか?」
「はい? 秋蘭様?」
季衣を呼び『暫くここでお待ち頂けますか?』と言うと、そのまま季衣を連れて路地裏に隠れる秋蘭。
俺に聞かせられない話をいう事は任務絡みの事か、と状況から推察した。
「兄ちゃん、大事な用事を忘れてた」
「大事な用事?」
「えっと……その言い難いんだけど。先にボク達の買い物に付き合ってもらって構わないかな?」
「まあ、別にいいけど……秋蘭さんの用事っていうのもそれ?」
「はい。実は華琳様に頼まれた用事がありまして。是非、太老殿にも同行して頂きたいのですが」
季衣と秋蘭の話に何だか腑に落ちないモノを感じながらも、華琳の用事と聞いて付き合わない訳には行かなくなった。
それに秋蘭が俺に、『同行して欲しい』と態々言うからには何か理由があるに違いない。
【Side out】
【Side:桂花】
華琳様を店に誘い出す事に成功した。
しかも、邪魔者の春蘭は兵の調練。そして秋蘭は華琳様の用で外に出掛けているいう事で、私と華琳様二人きりという思わぬ状況だ。
(これであの男の件が無ければ、華琳様との楽しい買い物で済ませられたのに……)
滅多にない好機なだけに、それだけが残念でならなかった。
「桂花。折角だし、これを試着してみてくれる?」
「え? いえ、私は……今日は華琳様のために」
「あら? 私の勧めた下着は着けられないと言うのかしら?」
「そ、そんな事はありません!」
そろそろ季衣が、あの男を店に連れてくる時間だ。
しかしどういう訳か華琳様は先程から私の下着ばかりを見て、ご自身の下着を試着されようとはされない。
華琳様に下着を選んで頂ける事は確かに嬉しいのだが、このままでは――
「どうしたの? 何か気になっている様子だけど……私と下着を選ぶ以外に気になる事でもあるのかしら?」
「いえ、そんな! 何でも……ありません」
まさか、ここに正木太老が来るのを待っている、などと言えるはずがない。
(うう……どうしたら)
このままでは、正木太老に私の下着姿を見られてしまう。そんな事になったら何もかもお終いだ。
あの男の嫌らしい目で視姦されれば、絶対に孕ませられるに違いない。
「あれ? 私の下着は……」
「桂花、やっぱり別の下着にするわ。選んでくるから、そのままの格好で待っていてくれるかしら?」
脱いだ服と下着を探すも、どこにも衣服を入れて置いたはずのカゴ≠ェ見つからない。
今の私は一糸纏わぬ生まれたままの姿だ。
こんなところにあの男が来たら、と思うと背筋に強い悪寒が走った。
「華琳様! お待ちくださ――」
華琳様が傍を離れたという心細さ。男に見られるかも知れないという恐怖。
その焦りから、『何でも良い。直ぐに何かで肌を隠さないと』と慌てて試着室を飛び出した。
錯乱していたのだ。この状態で試着室を出ればどうなるかなど、少し考えれば分かる事なのに――
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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