【Side:太老】

「本当に何とか間に合ってよかったな」
「申し訳ありませんでした……」
「真剣勝負だから責めるつもりはないけど、今回ばかりはさすがに肝が冷えたよ」

 凪はあの決闘騒ぎの後、ずっと元気が無かった。
 それはそうだ。もう少しのところで夏侯淵と華琳の二人が大怪我をするところだったのだから――
 真剣勝負の果てに起こった事故とはいえ、華琳を怪我させてしまったら百叩きくらいでは済まない。
 折角上手く纏まりかけていた話も、そうなったら全てが無かった事になるばかりか、凪だけでなく商会の存続や俺の安全も危ぶまれるところだった。
 上手く乗り切れて本当によかったと思う。

「でも、お兄さん大丈夫なんですか?」
「何が?」
「んー、あの大剣を素手で弾いてましたしー」
「ああ、あのくらいなら慣れてるから特に何とも。身体も鍛えてるしね」

 魎呼の光剣に比べたら、鉄の塊に過ぎないこの時代の剣如き高が知れている。こう見えても打たれ強さにはかなりの自信があった。
 衝撃は伝わるし当たれば多少は痛いが、このくらいは別に何て事無いレベルの話だ。
 魎呼や勝仁との鍛錬はかなり過酷なものだったが、今回ばかりはちゃんと身体を鍛えててよかったと思った。

「なるほど! まさに鋼のように鍛えられた身体という事ですね!」
「まあ、そんな感じかな?」
「そこは風が突っ込むところなのでしょうかー?」

 凪の言うように『鋼のように鍛えられた身体』というのは満更間違いではない。
 地球の近代兵器くらいなら、ミサイルでもなんでも余裕で耐えられる自信はあるからだ。
 まあ、そのくらいであれば樹雷の闘士なら誰でも出来る事なのだが……。

「風的に言わせてもらうと、お兄さんはやっぱり色々と変だと思いますー」

 いや、それは違う。俺から見れば、この世界の『武人』と呼ばれる人達の方がおかしい。
 生体強化をしていないなんて嘘としか思えない人間離れした身体能力と体力。常識外れにも程がある力だ。

(俺の場合は、どう考えても鷲羽(マッド)の所為だしな……)

 生体強化された記憶はないのだが、『多分されてるんだろうな』くらいの自覚は俺にもある。
 これまでにもそうとしか考えられない出来事が幾度となくあったし、魎呼と戦って生きてられたのは恐らく知らず知らずの内に鷲羽(マッド)に改造されていたからに違いない、と推察していた。
 今までは周りが凄すぎて余り深く考えたりする機会はなかったが、こちらの世界に来てそれをより強く自覚させられた。

 ――人間って意外と脆いんだな

 と。
 俺が子供の頃に何とかなったような勝仁の訓練でさえ、こっちの人達には死ぬほど過酷な訓練らしい。
 かなり練習量を抑えた物しかついて来られないくらいだし、それでさえ最終的には訓練を受けた内の三分の一も残らない始末だ。
 個人的には『鷲羽特製ドリンク』とかいう子供の頃に飲まされ続けていた、あの色の怪しい栄養ドリンクが一番怪しいと考えていた。
 他にも研究所に運び込まれて意識を失った事なんて幾度となくあるし、知らないうちに改造されていても全然不思議な話ではない。

「お兄さん、それでどうするのですかー?」
「商会をこっちに移設する方向で検討中。確かにこれからの事を考えたら、大きな街の方が色々と利点もあるしね。ある程度の見通しを立てたら、一度商会に戻って商会の皆とも相談してみるよ。こういう時、電話があれば便利なんだけどな」
『電話?』
「ああ、遠く離れた人と会話が出来る便利な道具だよ」

 今一つよく分からないのか、首を傾げる風と凪。
 しかし思い起こして見ると、確かに電話はあると便利だ。無かったら無かったらで不便なのは間違いない。
 手紙ですら、こっちでは行商人頼りでいつ到着するかも分からない不確かな物だしな。

(……しかし手紙か)

 電話はさすがに直ぐには難しいが、もしかしたら手紙くらいなら可能かも知れない、と密かに考えていた。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第8話『軍師の悪巧み』
作者 193






【Side:秋蘭】

 危ないところを助けて貰った件もある。
 一言、太老殿に礼を言おうと部屋を尋ねると仕事中だったようで、凄い勢いで筆を動かし何かの作業をされていた。

「太老殿、少しよろしいでしょうか?」
「ん、夏侯淵さん? 構いませんよ」

 朝からずっと作業をしていたのだろうか?
 既に作業を終えた物と思われる大量の紙が紐を通し丁寧に積み重ねられていた。

「私の事は秋蘭で構いません。それと、昨日の件の御礼を言いにきました」
「えっと……うん、じゃあ秋蘭さん。昨日の御礼って?」
「剣から庇って頂いた件です。私だけでなく華琳様、それに愚姉にまで気を遣って頂いたようで……心から御礼を申し上げます」
「ああ、アレか。こっちこそ、すみませんでした。アレはお互い様ですし、余り気にしなくていいですよ」

 華琳様の仰るように、その事でこちらを責める事もしなければ逆に気を遣う素振りを見せる太老殿。
 あれだけの事をしておきながら気負った様子が一つも見受けられない。
 器が大きいというか、確かに底の知れない御方だ。

「それよりも丁度良かった。意見を聞かせてもらえません?」
「意見ですか? そう言えば、何をされていたのですか?」
「華琳に頼まれた商会移設の件と、街の開発計画の事なんだけど」

 昨日の今日だというのに仕事が早いというか……こうした迅速な行動があの商会の成長の裏にあるのだろう、と考える。
 しかし内容は確かに興味を引く物が多かった。
 ここに来るまでに話していた街灯や水道の設置。そして風力発電という、よく分からない物も中には含まれていた。

「街灯の電力を得るのに風車が必要なんですよ。商会は他に川の流れを利用した水力発電なんかもやってますけど」
「電力?」
「ああ、そこから説明しないといけないのか……えっと電気と言って」

 話を聞いても殆どよく分からないままだったが、ようは動力を得るのに必要な力だという事は理解できた。
 その力を発生させる装置がこの風車と言う訳だ。
 大体工事の内容や、それがある事による効果と必要性は理解できたが、これを見せられ改めて思い知らされた。
 どれもこれも都ですら見た事がないような代物ばかりだ。
 余りこういったカラクリに詳しい訳ではないが、我々とでは基礎にある知識や考え方その物に大きな違いがあるのだと気付かされた。

「しかしこれだけ大規模な工事になると、かなりの費用が掛かるのではありませんか?」
「街全体でこれをやろうとすれば相当に金が掛かるだろうね」
「我々も、それほど資金が潤沢という訳ではありませんからね……」
「そこは徐々にやっていくしかないだろうね。ある程度なら商人達に出資を募るって手もあるし、人が集まれば自然と税収が増えてくる。ようは均衡を保つ事だと思うけど……。取り敢えず、雇用対策なら相談には乗れるよ。うちの商会で手を入れてる土壌があるし、余った人手は農地開拓に回せばいい。生産力を上げればその分、領土内で賄える物が多くなってくるし」
「どちらにしても、華琳様に見て頂く必要がありそうですね」
「まあ、それはそうなんだけどね」

 規模が大きすぎる話だけに、私だけでは判断しかねる内容だ。
 しかしやり方によっては、かなり大きな改革が見込める事が分かった。
 現在、商会が拠点を置く北地方が急速に成長している一因には、この技術革新とも言える天の技術力と知識がある事は間違いない。

「それで相談なんだけど、出来れば街の事に詳しい人を紹介してくれないかな?」
「街の事に詳しい人物ですか? なるほど……」

 確かに尤もな話だ。幾ら優れた草案であろうと、街の実情を知らず本案を纏める事は出来ない。
 しかし政に一番詳しい人物となると桂花なのだが……果たして太老殿に会わせて良いものかを昨日の事があるだけに考えさせられる。
 軍師ともあろうものが姉者のような軽率な行動に出るとは思えないが、万が一という事もある。
 とはいえ、これからの事を考えると避けては通れない道だ。やはり華琳様に相談をするしかないだろう。

「少し時間を頂けますか? 華琳様と相談をしてご返答します」
「ああ、うん。それは良いんだけど、街の方は見て回っても大丈夫かな?」
「ええ、それは御自由にどうぞ。案内役に許緒(きょちょ)≠同行させましょう」

 許緒とは季衣の事だ。真名を『季衣(きい)』、名を『許緒(きょちょ)』、字を『仲康(ちゅうこう)』という。
 昨日は桃の食べ過ぎで腹を壊していたが今朝には快復しており、侍女からもご飯をいつもの三割増しで食べていた、という報告を受けていた。
 また腹を壊さなければいいが、と少し心配していたところだ。

(それに季衣なら、一先ずは太老殿の条件に適しているだろう)

 案内役くらいなら季衣でも十分にこなせるはずだ。それに季衣なら、案内役としても打って付けの人物だと言える。
 護衛としての実力もそうだが、毎日のように警邏を理由にして街に買い食いに出かけている食いしん坊だ。
 内政面などはともかく、どこにどんな店があるかなどは城で働く誰よりも街の事に詳しい。
 特に食べ物屋に関しては、陳留中の店を全て把握しているのではないか、と思えるくらいの幅広い知識を持っていた。

【Side out】





【Side:桂花】

 昨日、調練場であった騒ぎは私の耳にも届いていた。

(正木太老……やっぱり人間ではなく化け物の類だったみたいね)

 鋼の剣を素手で弾くなど人間業ではない。
 世間から『天の御遣い』などという大層な名で呼ばれてはいるが、きっと化け物≠竍物の怪≠フ類に違いないと思っていた。
 華琳様もきっと騙されておられるだけだ。男なんて大なり小なり皆、嫌らしい事ばかりを考えている汚らわしい生き物と相場は決まっている。
 とはいえ単純バカの春蘭だけならまだしも、秋蘭まであの男に加担している様子で、私の味方と言える人物は殆どいなかった。

「そういうのは好きじゃないんだけど……」
「華琳様のためよ。あの男の本性を知れば、華琳様だってきっとお気づきになるわ」
「でも……」
「手伝ってくれたら、あなたの好きな物を好きなだけ食べさせてあげるから」
「ううん、そこまで言うなら……でも、一回だけだよ?」

 季衣があの男の案内をするという情報を入手した私は密かに季衣に接触し、協力を得る事であの男を罠に嵌める策を考えていた。
 ようはあの男が汚らわしい生き物だという事を、華琳様に気付かせて差し上げればいいだけの話だ。

 ――作戦はこうだ。
 まずは私が適当な理由を付けて華琳様を街へと案内する。そこで華琳様を言葉巧みに煽動し女性物の下着が売っている店へと向かい、同じように季衣にも頃合いを見て、正木太老を華琳様の待つ下着売り場へと誘い出してもらう。
 結果、正木太老は女性物の下着を買いに来た変質者、最低の覗き魔という烙印を押され、華琳様に嫌われるという算段だ。

「我ながら完璧な作戦だわ!」

 これなら幾らなんでも華琳様もお気づきになるはずだ。
 あの汚物には丁度良い天罰と言える。しかし出来れば、華琳様の肌を男に晒すかも知れない危険を侵したくはなかった。
 とはいえ既にここまで内部に入り込まれた後では、残された時間は少なく手段を選んでいる余裕も無い。

「そう、全てはあの男が悪いのよ……見てなさい! 華琳様は私がお守りしてみせる!」

【Side out】





【Side:華琳】

「――という事がありまして」
「そう、やっぱりね。全く仕様がない娘ね……」

 何かを企んでいるとは思っていたが、秋蘭の話を聞いて開いた口が塞がらなかった。

 ――そんな策が本当に上手く行くと思っているのだろうか?

 私が桂花の誘いに乗らず、どこにも出かけなければその時点でこの計画はお終いだ。
 第一、桂花と太老を会わせたくないと考えている私からしてみれば、太老が街に出掛けている事を知っていて桂花の誘いに乗るはずもない。
 もう一点、太老がこんな幼稚な策に引っ掛かるとは思えない。女性物の下着売り場という時点で警戒を与えてしまえば、それ以上余程の理由がない限りは店の中にすら入って来ないだろう。そして嫌がっている警戒している人物を店の中に誘い込むような器用な真似が、季衣に出来るとは思えない。
 軍師としては優秀なはずなのだが、感情に走ると冷静な判断力を欠くのが桂花の悪い癖だ。男嫌いもここまで来ると厄介極まりない。

「どう致しましょう? やはり、桂花を太老殿に会わせるのは……」
「いえ、丁度良い機会だわ。桂花の策に乗ってあげましょう」
「しかしそれは……よろしいのですか?」
「これからの事を考えたら、いつまでも桂花を遠ざけておく訳にはいかないでしょ?」

 このまま後回しにしたところで、余りよい結果が出るとは思えない。恐らく、今のままでは桂花の考え方が変わる事はないだろう。
 ならば多少強引ではあるが桂花に無理矢理にでも自分の立場を自覚させ、納得させる以外に方法はない。

「秋蘭は時間を見計らって、太老を店に連れてきなさい。季衣では恐らく無理でしょうし」
「御意」

 口元に薄らと笑みを浮かべ、秋蘭に命を下す。
 本来仕えるべき主人の私を策に嵌め、利用しようとしたのだ。それ相応の報いは受けてもらわないと私の気が済まなかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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