【Side:太老】
あれから一ヶ月。
街を放棄しての大移動は無事に終わり、商会本部は陳留に移しての再出発となった。
現在、商会のあった街には自警団から募った義勇兵三百と、華琳の精鋭部隊七百が駐在しており、青州と冀州に睨みを利かせる州境の防衛線として機能している。
ここ一ヶ月の間で二度ほど小競り合いがあったらしいが、あの街ならまずそう簡単に落とされるような事はないだろう。
「太老様。細作からの報告がありました」
新しい商会は、今は殆ど使われていない華琳の別宅を譲り受けて改装した。
別宅とは言っても、軽く二十人くらい共同生活できるほどの広さがある屋敷だ。
以前の商会の建物と比べても遜色のある物ではない。
いつもの通り、書斎で日課と成っている書類整理をしていると、稟が二度扉をノックして来意を知らせ、部屋の中に入ってきた。
「例の報告か。意外と早く見つかったな」
それは今から三週間前、行商人の話から候補となる賊徒の集積地点を割り出し、調査に向かってもらった細作からの報告だった。
細作と言うのは、あちらの世界で分かり易くいうと諜報員のような物だ。こちらでは『細作』、もしくは『間諜』や『間者』と呼ぶ事の方が多い。
稟から手渡された書簡に目を通し、廃棄された城を転々としながら青州から徐州へと迂回し、予州方面へと移動している事を知る。
集積所は途中で手に入れた、誰も使わなくなった砦や城を再利用しているようだ。
移動速度からみても、使い捨てて転々としていると言ったところか。
「なかなか考えてるみたいだな。敵さんも」
「エン州方面の進路は諦めたようですね。それに河北での暴動は、やはり陽動でしたか……」
「狙いは、やはり河南の集団との合流か」
「はい。それしか無いと思います」
幾つかに部隊を分け、移動していると思われる集団の数は凡そ十万。
河南の賊と合流すれば二十万を超す大軍団となる。確かにそれだけの数となると一朝一夕になんとかなる数ではない。
手段を選ばなければそれなりの方法があるのだが、それにも時間は足りないし華琳もそんな事を望みはしないだろう。
俺も余り大っぴらに保有している技術を見せびらかしたくはない。大きすぎる力は恐れられ排斥の対象となるのがオチだ。
そうなったら華琳にも迷惑を掛ける事になるし、俺の平穏は益々遠のくばかり……。
それに、そこまでしなくても何とかなると考えていた。数が数だけに、敵にそれなりの指揮官が居るとなると厄介だが――
「手は打ってくれたんだろ?」
「はい。幾ら数が多くても、敵は所詮寄せ集めの集団に過ぎません」
今回の場合、数は有利にならない。逆に、多すぎる数が徒となる。俺達は、そう考えていた。
そのための策の一つとして賊の侵攻ルートを割り出し、その界隈にある村や街を放棄させて一時的にエン州に移動させる、という大胆な作戦を実施していた。
その際、連中に奪われる恐れのある、特に糧食などは全て持ち出させていた。
こうする事で、決まった拠点を持たない連中は糧食の補充が出来なくなる。武器、糧食、その両方が不足している大軍の末路など、考えるまでも無い事だ。
こんな無茶が通ったのも、商会の活動が周辺の州の人達にまで知れ渡っていた事が大きい。
それに相次いで、本来街を守るべき権力者の多くが早々と都に逃げてしまったため、民の官に対する不信感は募り、長年育った土地に対する愛着感といった物が薄くなっていた事も理由にあった。
食べる物に困っているくらいだから、それは当然と言える。
俺達は、そこを利用させて貰った訳だ。こちらとしては願ったり叶ったり、抵抗する奴が居ないお陰でやり易くて助かった。
後は情報伝達の速さも功を成していた。
州全員の大移動となると大変だが、敵の移動先だけとなればそれほど無茶な話ではない。
電話や通信機がなくても、素早く情報を伝達する方法が一つある。それがモールス通信だ。
折角電気があるのだから、照明の光を利用したモールス通信が行えないかと考えた。
この時代、情報の伝達には時間が掛かる。どれだけ早くても、距離によって数日を要する事が当たり前だ。
馬や人を使った情報伝達手段しかないのだからそれは当然と言えるのだが、それでは動きの速い賊の動きを正確に掴む事は難しい。
だがこの方法なら、中継地点を設ける事で数百キロ離れた距離であっても、僅か数分で情報を伝達する事が出来る。
必要なのは強い光を発する照明器具と発電機、符号を解読出来る人材だけだ。
華琳が一番注目していたのは、実はこの技術だった。
戦争に置いて情報は勝敗を左右する生命線とも言える物。華琳が商会の力を欲した理由の一つに派手な兵器とは別に、商会が持つ独自の情報網があった。
「そろそろ頃合いかな。こちらも動くか」
今まで軍を動かして来なかったのは、余計な戦費の出費を抑えるためだ。負けてしまったら元も子もないが、出来るだけ余力を残して置きたいというのが本音にあった。
華琳の兵、それに俺が編成した義勇軍を含めると、その数は軽く一万を超す。
それだけの大軍を動かすとなると、武器や糧食だけでもかなりの負担となる。
確かに農地開拓が成功したお陰で、民に配っても今後食べていくには十分過ぎるほど食料に余裕はあるが、問題は暴動を抑えた後の復興の方だ。
幸いにもエン州の被害は軽微ではあるが、恐らく今の規模では直ぐにきつい状況に見舞われるはずだ。
それほどに民の食糧事情は困窮を極めている。現状では難民の受け入れにも限度があるし、そのための対策は行っているが直ぐに解決する物でもない。
負担が大きい以上、賊徒を平定した後、朝廷からどれだけ物を引き出せるかに懸かっているが、それも余り期待は出来ないと言うのが実情だ。
華琳の話では、精々僅かな領地の拡張と官位くらいの物だろう、という話だった。
今の弱体化した漢王朝に出せる物は少ない。官位とは言っても、漢王朝でしか役に立たない飾りのようなものだ。
だからこそ、出来るだけ早くこの事態を収拾する必要があった。
時間が掛かればかかるほど被害は拡大するばかり、それだけ復興も遅れる事になる。
(戦争が長引くと、こっちまで大きな損失を被る事になるしな……)
世知辛い話だが、無い袖は振れぬと言う訳だ。
今後の事を見越して、最低でも後二ヶ月。季節が移り変わる前に、この戦いを終わらせたい。
それが華琳と俺の共通の考えだった。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第18話『義勇軍の軍師』
作者 193
【Side:雛里】
太老様にお仕えするようになって凡そ一ヶ月。『天の知識』と噂される知識と技術は、私の想像を遥かに超える物だった。
様々な本を読み、誰よりも勉強をしてきたつもりだが、太老様と比べれば如何に自分が井の中の蛙だったか思い知らされる。
真に博識と呼べるのは、太老様のような方を言うのだろう、と私は痛感した。
それに太老様は、その知識を生かす知恵をお持ちだ。
僅か半年余りでエン州がここまで裕福な土地になったのは、殆ど太老様のお陰だと華琳様自身も仰っておられた。
その言葉に間違いはないだろう。
私が華琳様の事を真名で呼んでいるのは、そう呼ぶ事を許されたからだ。
その際に私の真名もお預けした。馬車での一件でどうやら華琳様のお眼鏡に適ったらしい。何度か、自分の下に来ないか、とお誘いを頂いた。
華琳様は噂通り知≠ニ武≠ノ優れた有能な方だが、しかし私には太老様という、既に心に決めた主が居る。
太老様に必要とされる限り、私はあの方に一生を捧げたいと考えていた。
助けられた恩もあるが、それだけではない。
太老様と、太老様を慕って集まってくる大勢の人達の笑顔を見て、仕えるならこの御方しかいない、と私が自分で決めた事だった。
太老様の作られる『平穏な世界』をこの眼で見てみたい。それが今の私の願いであり、目標だ。
今の生活は充実している。遣り甲斐のある仕事。一生を捧げても仕えたいと思える主君。
世のために自分の知識を役立てたい、と旅立った、あの時に望んだ理想の全てがここにあった。
ただ、一つだけ気掛かりな事がある。
「朱里ちゃん……」
あの後、直ぐに山賊討伐に部隊を派遣してくださった太老様。呆気なく山賊の拠点は発見されたが、そこに山賊達の姿は無かったらしい。
何者かと争った痕跡が残されていたとかで、太老様でも華琳様でもない、何者かが山賊を既に討伐した後の可能性が高いという話だった。
朱里ちゃんは、その山賊を討伐したという人達と一緒にいるのだろうか?
これだけの情報では何とも言えないが、朱里ちゃんはきっと無事にどこかで生きている、と私は信じていた。
「……うん、きっと朱里ちゃんは大丈夫だよね。私は今、出来る事を精一杯頑張ろう」
稟さんに付いて色々と教わり、商会の仕事にも慣れてきたところだ。この調子で太老様のお役に立ちたいと思っていた。
それにここは、一人の文官としても知識欲のくすぐられる場所だった。
城勤めの文官達も、商会にある貴重な書物を読むために、仕事の合間を縫って毎日のように訪れているという話を聞いている。
商会の横に造られた建物は、太老様曰く『図書館』という施設だそうで、持ち出しや購入は出来ないがここで読む分には全部無料で、文官や商会員だけでなく街の人達にも開放されている知識の宝庫とも言える場所だ。
特に人気を博しているのが、天の知識で書かれたという技術書≠ニ料理本≠フ数々だった。
技術書は特に問題の無い物だけ公開しているという話だったが、それでも他の場所では見た事も無いような貴重な内容が書かれた本ばかりで、これらを全て太老様が執筆されたと言うのだから、ただ驚くばかりだ。
全てを理解する事は難しいが、技術開発局が週二回実施している講座を受ければ、分からないところを丁寧に教えてくれるので興味のある人達はそちらを重用しているようだった。
実は、華琳様もこの講座の常連だったりする。
料理本は料理屋や屋台で働く人達に人気で、天の料理を学ぶために訪れている人達が殆どを占める。
天の料理はその変わった見た目と味わいから、庶民の間でも人気が高く、ここ陳留でも僅か一ヶ月で行列の出来る人気商品となっていた。
食糧不足が問題となり、他の州では匪賊の略奪行為が横行しているとは思えないほど、ここは治安が良く平穏に満ちていた。
市一つを見ても、旅の途中見てきたどの街よりも活気があり、呼び込みの声や買い物客の話し声が途絶える事は無い。
特に子供達が笑顔で居られるこの街は、華琳様の治政と、太老様の行ってきた活動が実を結んだ結果だ。
それは街の人達全員が感謝している事でもあった。
太老様の話では、あと半年もすれば風車や電灯、歩道整備や時計の設置なども完了して、今よりも住みやすい環境になるという話だった。
最初に商会のある街を見て感心したが、太老様の目指されている理想の世界は、私の想像を遥かに超える物と思って間違いない。
それはまさに天の楽園を、地上に創り出すような行いだと、私は考えていた。
そして、それが可能なのは太老様だけ。
華琳様は確かに優れた為政者ではあるが、華琳様だけでは決してこのような街を造り出せない。
だからこそ、華琳様も太老様を自分の部下とするのではなく、盟友として対等の扱いをしているのだと想像が付く。
「雛里ちゃん、居るですかー?」
「は、はい! 風ちゃん、何かご用ですか?」
その時だ。考え事をしながら仕事をしていたところで、風ちゃんが部屋を尋ねてきて慌てて私は筆を置いた。
最近、何かというと太老様の事ばかりを考えているような気がする。
太老様の事を考えると胸が熱くなるというか、鼓動が激しくなるのを感じる。
それは緊張した時とかに感じる、いつもの胸の動機とは少し違っていた。
「どうかしたですかー?」
「い、いえ! 何でもないです!」
「そうですか?」
気を落ち着かせるので精一杯で、手を左右に振り、思わず大袈裟な態度を取ってしまう。
そんな私を見て、訝しげな表情を向けながら首を傾げる風ちゃん。
彼女とは稟さんと同じく、太老様の下で働く事が決まってから直ぐに真名の交換をした仲間だ。
歳が近いこともあって、同じご主人様に仕えるただの仕事仲間、と言うよりは気の知れた『友達』と言った方が正しい。
「おー、なるほどなるほど。また、お兄さんの事を考えていたのですね」
「うっ……」
一を聞いて十を知る、と言うが、やはり文官としても軍師としても優秀な風ちゃんを誤魔化しきれなかったようだ。
「相変わらず小さい形の癖に、妄想だけは十人前だな」
「宝ケイ。例え本当の事であっても、そういう事は口にしてはダメです。女の子は繊細な生き物なのですよー」
「ううぅ……」
風ちゃんの頭の上にいつもある人形。名前を『宝ケイ』さんと言うらしいのだが、少し毒舌なのが玉に瑕だった。
喋る人形が実在するとは思っていなかっただけに、初めて見た時には凄く驚いた。
風ちゃんの相棒で、ずっと昔から一緒に居る友達との話だ。
少し口が悪いが、宝ケイさんは間違った事を言っている訳ではない。
風ちゃん本人と見間違えるくらい指摘は的確だし、多少苦手意識は持っているが嫌いでは無かった。
ただ、もう少しやんわりと言葉を包んで欲しい、と思わずにはいられなかった。
「そんな訳でお兄さんが大好きな雛里ちゃんに、丁度良い仕事を持ってきたのですよー」
「仕事……ですか?」
「はい、仕事です。雛里ちゃんには義勇軍の軍師として、お兄さんに同行してもらいたいのですよー。ああ勿論、お兄さんや稟ちゃんの許可は貰ってますので」
「あわわ……わ、私が太老様と……。でも、それなら風ちゃんや稟さんの方が相応しいんじゃ……」
商会を立ち上げる前から、ずっと太老様と共に行動してきた風ちゃんと稟さんの二人。
長い間、商会を陰から支えてきた立役者と言うだけあって、今の私よりも広い知識を有している。
知略にも長けていて、それらの知識を生かす知恵は商会の運営一つを取ってみても、朱里ちゃんと比べても遜色の無い物だと私はお二人の事を評価していた。
更には盗賊との実戦経験もあり兵法の心得まであるお二人が、軍師として有能で無いはずがない。
義勇軍の軍師として同行するのなら、私よりも寧ろお二人の方だと思っていただけに、この誘いには正直驚かされた。
「私達はお兄さんに任せられた都市計画と商会の仕事があるので、ここを離れられないのです」
「確かに……風ちゃん達が抜けるのは、商会にとって痛手ですね……」
「お兄さん、私、それに稟ちゃんが居ないと分からないところがあるでしょうし、今回は凪さん達三人も義勇軍に参加しますしねー。雛里ちゃん一人で商会の運営を責任もってやってくれるのなら、何も問題はないのですが」
「うぅ……それは無理です」
幾ら仕事を覚えてきたとはいっても、太老様、稟さん、風ちゃんほどの仕事をこなすのはまだ不可能だ。
商会創設時から中心になって、商会を支え、盛り上げてきた三人の手腕は見事と言う他無い。
今、私に丸投げされても、これだけの規模の商会を運営するのは無理だと言わざるを得なかった。
「それにお兄さんと一緒に行けば、友達の手掛かりが何か見つかるかもしれませんよ?」
「……風ちゃん?」
風ちゃんが何故、太老様と一緒に行く軍師の役目を私に譲ってくれたのか、その一言で分かった。
本当は風ちゃんも一緒に行きたいはずだ。それは稟さんも同じ気持ちだろう。
それでも商会の仕事がある、と言って私に役目を譲ってくれたのは、朱里ちゃんの話を知っているからだ。
朱里ちゃんは軍師だ。もし生きているとすれば、どこかの部隊で軍師としてこの戦いに参加している可能性が高い。
そうでなくても、各地の諸侯が集まるその場所に行けば、何らかの情報を得られる可能性がある。
二人はその事が分かっていて、私に軍師の役目を譲ってくれたのだと、私は気付いた。
「風ちゃん、ありがとう……」
「御礼なんていいのですよ。お兄さんが無茶をしないように、しっかり守ってあげて欲しいのです」
私は涙を流しながら、風ちゃんの言葉に無言でコクリと頷いて返した。
ここには温かい人達が沢山いる。朱里ちゃん以外の『友達』と言う名の仲間。
太老様やこの人達のために私は頑張ろう、と再度、心に誓っていた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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