【Side:一刀】

「お兄ちゃん、一緒に遊ぼうよ〜」
「うーん、これが終わったらな」

 ワイワイと元気な声で俺に擦り寄ってくるのは、水鏡塾に通う女学生達。
 女学生とは言っても、年の頃は五つほどから上は十歳くらいまで、とまだまだ遊び盛りの子供ばかりだ。
 この情勢で、どこも人手不足。特に有能な文官は不足しがちで、学のある年頃の娘達は文官として召し抱えられたりして、ここを出て行ってしまい、今は子供達しか残っていないらしい。
 水鏡塾の生徒というのは有能な人材を輩出する事で有名で、ここの出身というだけで引く手数多という話だ。

(一応、ここって私塾とは言っても、女子校なんだよな)

 女子校に男が一人……。
 嬉しいやら悲しいやら、主に俺の理性のためにも子供ばかりで良かった、と喜ぶべきところかもしれない。
 居候の身で、要らぬ問題を引き起こしたくは無いし。

「あなた達、一刀さんの勉強の邪魔をしないの。書き取りは終わったの?」
『終わりましたー!』
「そんなに暇なら、裏で畑の手伝いをしなさい。一刀さんの邪魔はしない事。約束を守れない子は、いつもの倍の課題を言い渡します」

 そこらかしこから『ええー』と不満の声が上がる。
 しかし課題を出されるのが嫌なのか、不満を漏らしながらも逃げるように散っていった。
 今では、これも見慣れた光景だ。

「ごめんなさい。あの子達も悪気はないのよ」
「分かってます。それよりも、俺こそ仕事を手伝えなくてすみません……」
「それは言わない約束ですよ。そんな暇があるなら今は少しでも早く、出来るだけ多くの知識を蓄えてください」

 水鏡さんに本格的に弟子入りするようになって一ヶ月。
 朝と夜は貂蝉に鍛錬を付き合ってもらい、昼はこうして水鏡さんに勉強を見て貰っていた。
 経済、民政、それに兵法に至るまで、こちらの世界に来た時は読み書きで精一杯だったとは思えないほど、様々な事を今は教わっている。

「思っていた以上に呑み込みがいいので驚きました」
「そうですか?」
「切り口や発想が斬新で、正直ここまで出来るとは思っていませんでした。一刀さん、文官や軍師としてもやっていけそうですね。才能があると思いますよ」

 そこまで褒められるとは思っていなかったので、少し照れ臭くなる。
 俺が辛うじてでも水鏡さんの教えについて行けているのは、日本という国で学生であった事も大きな要因の一つにあった。
 学校の勉強が、こんなところで役に立つとは夢にも思わなかった。

「でも、俺は知ってるだけで実際に考えてるのとは違いますし……」

 計算を始めとする基礎的な学力や、特に歴史に関して知っているのと知らないのとでは雲泥の差がある。
 それが経験と知識の足り無さを穴埋めする、大きなアドバンテージと成っているのは明白だった。
 歴史に関しては事細かに詳細を記憶している訳ではないが、それでも先人の知恵を拝借できるという点は大きい。俺はそれを実践しているだけの話で、水鏡さんがいう『斬新な発想』というのも単に知っている≠ニいうだけの事に過ぎない。
 この世界にとっては未来の知識でも、俺にとっては過去の知識なのだから、それは当然と言えば当然の事だった。

 勿論、お世話に成る上で、水鏡さんには俺の事情や境遇を説明した。
 信じてもらえるとは思っていなかったが、俺の事を信じてここに置いてくれている水鏡さんに嘘を吐くような真似はしたく無かったからだ。
 しかし、それでも水鏡さんは――

「何度も言いますが、自分を卑下する事はありません。あなたが誰であろうと、どんな境遇の持ち主であろうと、それも含めて一刀さんの実力なのだと私は思います。こういう時は、素直に褒め言葉を受け取って置くのが礼儀ですよ」
「……ううん、それは分かってるんですけど」
「全然分かっていません。過度な謙遜は嫌味になります。『礼には謝辞を』――謝ることは褒めてくれた相手にも失礼に当たる、という事を覚えておいてください」

 そう言って子供を諭すように叱りつける水鏡さんを見て、『ありがとうございます』と一言、俺は口にした。
 俺にとって、ここは本当に住みよい場所だった。こちらの世界に流れ着いて、初めて手にした安らぎだったのかもしれない。
 元の世界に帰るための手掛かりを探す旅にでる、というのは自分で決意した事ではあるが、正直ここにいると決意が鈍りそうだった。

 水鏡さんは俺にとって恩人だ。
 時に厳しく、時に優しく諭してくれる水鏡さんは、先生であり、姉のようであり、母親のような存在だ。
 自分の世界に帰る事ばかりを考えていたが――

 俺はいつかこの人に恩返しが出来るのだろうか?

 そんな事を考えるように、いつしかなっていた。

 それに、ここで暮らしている人達を見て思った事がある。
 本当に俺は、ここの人達を見捨てて自分の世界に帰る事ばかりを考えて居ていいのだろうか、と。
 今の情勢がどれだけ大変かくらい、俺も分かっているつもりだ。食料一つとっても、居候を養うような余裕があるとは思えない。
 それでも、水鏡さんは俺達を快く受け入れてくれた。

 俺に何が出来るか分からない。家が道場で、多少剣術の心得があるとはいっても、貂蝉に比べれば全然だ。
 武に優れている、と言う訳でもない。かといって特別秀でて頭が良いと言う訳でもない。
 そんな俺が、この世界の人達のために何かをしたい、なんて自惚れ以外のなんでもないのかもしれない。
 それでも――

「迷っているのですか?」
「……分かりますか? 俺、優柔不断で……。一度決心したつもりなのに、本当にこのままでいいんだろうか、って考えるようになって」
「……一刀さんらしいですね」

 気付けば、震えるほどに拳をギュッと握りしめていた。
 それに気付き、そう言って微笑みを浮かべると、水鏡さんはその腕で俺の頭に手をやり、そっと胸に抱き寄せた。

「す、水鏡さん!? 何を――」
「じっとしてなさい」

 子供をあやすように、俺にそう話す水鏡さん。
 不思議と先程までの手の震えが治まっている事に気付き、何だか不思議と安心できた。

「悩む事が悪い事だとは言いません。それが優柔不断な行いだとも思いません。私には、あなたの悩みの全てを分かってあげる事は出来ない。でも一刀さんならきっと、悩み、考え、その果てに自分だけの答えを導きだせると信じています」
「でも、間違うかもしれませんよ。正しい答えを導きだせるとも……」
「これが正しいなんて答えはありませんよ。それに言ったでしょ? 私は一刀さんを信じている、と」
「水鏡さん……」
「山賊に襲われていた私を救ってくれたあなたの勇気。そして子供達に向ける暖かな笑顔と優しさ。北郷一刀という勇気ある若者を私は誇りに思い、信じています。あなたには、それだけの力がある」

 水鏡さんの言葉は不思議なほど、スッと俺の胸の内に入ってくる。
 暖かな温もりと優しい香りに包まれ、先程までの霧がかった気持ちが嘘のように晴れてくるのを感じる。
 こちらの世界で暮らした半年余りの歳月は、夢ではなく現実のものだ。こちらの世界も、元居た世界も優劣なんてきっと付けられない。
 まだ、悩みはある。でも、答えはちゃんと出したいと考えていた。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第17話『二人の御遣い』
作者 193






【Side:太老】

 商会の方を稟に任せた俺は、新しく仲間に加わった雛里、それに張三姉妹と僅かな護衛を引き連れ、華琳と季衣と一緒に馬車で陳留に向けて街道を進んでいた。
 内訳は次の通り。俺、雛里、華琳、季衣が同じ馬車で、張三姉妹が別の馬車に搭乗している。
 何故か、俺がどちらの馬車に乗るかで揉めたのだが、そこはさすが華琳と言ったところか、彼女の一言で場は鎮まり俺は華琳達と一緒の馬車に同乗する事になった。
 二組の代表で季衣と天和がジャンケンをして、季衣が見事に勝利したらしい。

「はい、上がり」
「また!? クッ、この私が十連敗なんて……」

 で、退屈を紛らわそうと、俺達は馬車の中でトランプに興じていた。今やっているのはババ抜きだ。
 こちらの世界に来て俺が商会で広めた遊技の一つで、他にもオセロやチェスなんかもある。娯楽の乏しいこの世界では思いの外、こうした物が好評だった。
 俺は十戦やって十連勝。こう見えて、この手の確率が左右するゲームは大得意で、今まで美星を除けば一度として負けた事がない。
 現在のところ、雛里と華琳が二位争い。季衣がダントツの最下位だ。

「ううっ……華琳様はまだいいですよ。ボクなんて、ずっと最下位だし……」

 季衣は顔に出やすいので、余り駆け引きといったものに向いていないようだった。
 ちなみにここに卑弥呼と華佗が居ないのは、もう少し聞き込みを続けたいというのと、陳留に移動する人達の護衛を買って出てくれたためだ。
 自警団も移動の護衛に付くが、それでもあの二人が一緒に居てくれると心強い。特に卑弥呼は何かと規格外のようだし、山賊に遅れをとるような事はまずないだろう。

 それと華佗で思い出したが、残念な事が一つあった。『太平要術の書』の事だ。

 商会に戻って来た張三姉妹に、太平要術の書の事をそれとなく尋ねてみたのだが、今は手元にないという返答が返ってきた。
 確かに張三姉妹は、自分達の『応援者(ファン)』を名乗る人物から太平要術の書を譲り受けたという話だった。
 しかしどこにいったのか、確かにあったはずの書がいつの間にか姿を消していた、という事だ。
 三人とも心当たりのある場所は全て探してみたらしいのだが、結局は見つからなかったらしい。
 商会の立ち上げ時には色々とゴタゴタしていた事もあり、混乱のどさくさで盗まれてしまったか、どこかに忘れてきた可能性もある。
 移動の際、荷物の中に紛れていないか確認してくれるように商会員には通達をだして来たが、これは勘だが恐らく出て来る事はないだろう。

 華佗の話では太平要術の書には意思があるという話だった。だとすれば、持ち主を自分で選ぶという事だ。
 既に誰かの手に渡ってしまった、と考えるのが自然なような気がする。
 そしてそれだけの力を持つ書であれば、その持ち主が自分の意思で手放すとは考え難い。

(今回の騒ぎに関わってなければいいけど……)

 実のところ一番危惧しているのは、その事だった。
 可能性としては十分にありえる。元々原作でも、太平要術の書は黄巾の乱を起こす上で重要な鍵になったはずだ。
 張三姉妹がここに居る以上、実際の運びとはカタチは変わってしまっているが、現に予定調和のように争乱は起こってしまっている。
 俺が原因の一端を担っている事は分かっているが相手が組織的に動いている事からも、ただの暴徒では無いように思えて成らなかった。

 ただの暴徒であればいいが、現に集団が群れを成し大軍として機能している以上、そこには集団を率いている指揮官が居るという事だ。
 官が事態を重く見て、華琳達に軍令を下してきた背景には、そうした暴徒達の組織だった動きがある。
 幾ら数で勝っているとは言え、武装した兵士の居る城を攻め落とすなど、ただの暴徒の群れとは言い難い。
 青州では首城が攻め落とされ、自治軍は敗退。州牧は殺され、その家族の安否も分からないまま、被害を受けた村や街は無法地帯と化している、という話も聞こえてきていた。
 その影響は、隣接する他州にも影響を及ぼしている。
 袁紹の治める冀州や、その北にある幽州でも匪賊による略奪行為が激しさを増しているという話だ。
 それは袁術の治める河南も同様だ。あちらは、こちらよりも更に反乱の規模が大きいと聞く。自業自得といえば、それまでの事だが。

「どうしたの?」
「いや、ただの暴徒にしては変だな、と思って」
「変?」
「おかしいと思わないか? 幾ら何でも情報が流れるのが早すぎる。敢えて、民の反乱を助長するように吹聴して回ってるとしか思えない。第一、河北はまだ分かるが距離のある河南にまで噂が流れてるってのは……」
「……賊が策を講じていると?」

 俺の言葉に怪訝な表情を浮かべる華琳。だがその可能性には、華琳も思い至っていたはずだ。
 青州だけならまだしも各地で同じように反乱が起これば、必然的に討伐軍は戦力を分散しなくてはいけなくなる。
 それを狙っているのではないか、と俺は考えていた。
 雛里も感心した様子で、俺の考えに頷き返す。そして、その考えを補足するように雛里がより具体的に言葉を付け加えた。

「太老様の仰るように幾ら彼等が数で勝っているとはいえ、それだけでは所詮は烏合の衆。真っ向から軍と戦えるほどとは思えません」
「ふむ……。でも、現に官軍は押され、城も幾つか落とされていると報告を受けているわよ?」
「ですから、恐らく組織だった行動を取っているものと思われます。最低でも、軍を率いる指揮官がいるのは確実ですね。それに兵站の問題もあります。食料や武器が無くては戦えません。数は確かに多いかもしれませんが、実際に戦える者は数が限られてくるはずですから。その事を大軍を指揮している者が分かっていないとも思えません」
「なるほど……なら、各地で起こっている反乱の大部分は?」

 既に理解しているはずだ。
 それでも、そう意地悪く聞き返す華琳に、雛里は真っ直ぐと堂々とした姿で華琳の瞳を見据え、答えを返す。

「本隊を隠すための囮ではないかと。先程も言ったように糧食、武器の問題があります。なら、それらを彼等はどこかから調達している事になります」
「組織だった行動が取れるような連中である以上、どこかに大軍を動かすために必要な物資の集積地点がある。そう、考えている訳ね」
「はい」

 その言葉には、適切な状況証拠と推理に裏付けられた確信めいた力強さが籠もっていた。
 普段の『あわわ』と恥ずかしがってばかりの雛里とは全くの別人。
 こうしていると、小さいながらも歴とした軍師の顔に見えるのだから不思議だ。

「あわわ……太老様。なんで、頭を撫でて……」

 思わず、頭を撫でていた。
 何というか、雛里を見ていると褒めてやりたくなるというか、保護欲をくすぐられるんだよな。
 華琳もそんな雛里を見て、面白い物を見た、とばかりに微笑みを浮かべていた。

「なら、あなたならどうする?」
「え、はい。集積所を襲撃します。補給を絶たれれば行動範囲は狭くなりますし、その上で包囲網を敷くのが最善かと」

 華琳の問い掛けに、俺に頭を撫でられながらも慌てて答える雛里。
 大軍になればなるほど、その動きは取り辛くなる。その一番の理由は糧食の問題だ。
 幾ら彼等が賊の大軍で決まった拠点を持っていないとはいっても、現地調達だけでそれだけの人数の武器や食料を確保できるはずがない。
 だとすれば、大部隊を動かすために必要な物資の集積所がどこかにある、と考えるのが自然だった。

「太老。あなたなら、場所を割り出せる?」
「んー、候補は幾つか絞れると思う」

 商人達の情報網は馬鹿に出来ない。
 うちには数多くの商人が在籍し、行商人も数多く出入りしているため、その手の情報は集まりやすい傾向にある。
 特に相手は大軍という話だ。どこかで人目に付いているだろうし、周囲の目撃情報と照らし合わせれば大体の目星は付くはずだ。
 細作を放つにしても、ある程度事前に情報があるのと無いのとでは効率の問題で段違いだった。

「いいわ。城に到着したら早速行動に移って頂戴。可能な限り、こちらも協力させてもらうわ」

 一先ずの方針が決まり、俺達は再びトランプへと目を向ける。
 こうした切り替えの速さも、実に華琳らしい。実際のところ話が脱線したが、一勝も出来ない事が悔しくて堪らないのだろう、という事は分かっていた。
 だからと言って態と負ければ、それはそれでプライドの高い華琳の事だ。絶対に怒るに決まっている。
 納得の行くまで勝負に付き合うしか、結局のところ俺に残された方法は無い。

「次こそ勝つわ。太老、私が勝ったら鳳統を寄越しなさい」
「え、ええ!?」

 勝負の景品にされた事で、顔を真っ赤にして大声を上げる雛里。

「いや、華琳……幾ら女好きだからって、こんな小さい子を……」
「ち、違うわよ! あなたのところばかり有能な人材が集まって狡いじゃない!」
「それは日頃の行いの問題じゃ……」
「……なんですって? いいわ、見てなさい! 今度こそ、あなたを跪かせてあげる!」
「はあ……」

 華琳の負けず嫌いは覇王であるが故か。
 いつの間にか景品にされた雛里は顔を真っ赤にして『あわわ、あわわ』と落ち着きがなく取り乱していた。
 俺は俺で、華琳に絶対に負けられない理由が出来てしまった。
 華琳はああ言っているが、日頃の行いが行いだけに信用はならない。出来る事なら雛里の教育上、よろしくない展開だけは避けたい。
 俺は覚悟を決める。華琳の毒牙に掛からないように、幼女(ひなり)を守るのが俺の役目だ。

「悪いが、俺にも負けられない理由があるんでね」
「フフッ、言ってなさい。勝負よ、太老。あなたが勝ったら、閨を共にしてあげてもいいわよ」

 冗談でも、それは色々と後で問題になりそうなので勘弁して欲しい申し出だ。
 絶対に荀イクにネチネチ言われるし、バレたら春蘭に殺される。
 しかし――

「この私が完敗なんて……」

 気合いで勝てるほど、勝負の世界は甘く無い。
 結局、その後も俺の連戦連勝が覆る事は無く、雛里の貞操は守られるのだった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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