【Side:太老】
「太老。申し開きはあるかしら?」
「ごめんなさい」
俺は華琳の前で土下座していた。かなり怖い。今にも雷が降ってきそうな迫力だ。物言わぬそのプレッシャーが全身にビリビリと伝わってくるのを感じていた。
結局あの後どうなったかと言うと、俺と義勇軍が戦場に乱入した事で一気に勝敗が決した。
賊軍は惨敗。敵は甚大な損害を被ったが、こちら側は死傷者も少なく被害は軽微。結果だけをみれば大勝利といえる戦果で終わった。
とはいえ、折角伏せてあった兵は無駄になり、軍師が考えた作戦も役に立たなかった。
その後は共闘した軍の指揮官と満足に挨拶も交わせないまま秋蘭に連行され、合流した荀イクは顔を合わせるなり、『アンタ、軍師をバカにしてるの!?』とお冠だった。
「はあ……もういいわ。太老の力を見誤った私の責任でもあるのだから。それに結果は出ているのだし……」
何とか華琳に許してもらえて、ほっと胸を撫で下ろす。
後に居る荀イクはまだ何か言いたそうだったが、正直これ以上は勘弁して欲しかった。
自分でも、まさかこんな結果になるとは予想もしていなかったのだ。
「しかし、大人ほどある大岩を投げつけるなんて……とんでもない馬鹿力ね」
「え? 普通は出来るだろう?」
「出来ないわよっ! アンタ、人間を舐めてるの!?」
「あわわ……抑えてください。太老様は天の御方ですから普通の人≠ニ一緒にするのはどうかと」
華琳、荀イクの順に酷い事を言われた。後、雛里。それは全然フォローになってないからな。ストレート過ぎて前の二人よりも酷い。
しかし、やっぱり出来ないものなのかな? 岩くらいは少し鍛えたら誰でも持ち上げられると思うのだが……。
一つ言って置くが俺が特別と言う訳では無い。俺の知っている知人や友人は、殆ど全員がこのくらい余裕で出来た。
その気になれば、もっと大きな物も持ち上げられるはずだ。やはり、それだけ生体強化の壁は厚いという事か。こちらの連中は非常識な奴が多いので、あのくらいの事なら結構簡単に出来ると予想していたのだが見当が外れたようだ。今度、季衣あたりに本当に出来ないのか、試してもらう事にしよう。
で、何故そんな事をしたかというと、遠くから前線が今にも崩れそうなほど押されていたのが見えたからだ。
俺だけならまだしも兵を連れてでは間に合いそうになかったので、援護射撃とばかりに近くにあった岩を投げて加勢しただけの話だった。
特に深い意味は無く、時間稼ぎくらいにはなるだろうと思ってやった事なのだが、それがまさかあんな結果に繋がるとは……。
普段から訓練で罠や不意打ちに慣れているうちの自警団出身者なら、このくらいの大岩は難なく避けられるはずなので目算を大きく見誤った。たったあれだけの事で、一万を超す大軍が瓦解するとは考えもしなかったのだ。
実際、大岩が当たったのは一部で、全体の十分の一も削る事が出来なかったはずだ。でも、敵は自滅した。
後は、うちの義勇兵達が頑張り過ぎた事も要因として大きかった。こちらは賊とは正反対で、想像以上に強すぎたのだ。
個人の武の高さは知っていたつもりだが、連携を組んだ兵達の勢いは圧倒的だった。余りに息のあった動きに思わず感嘆の声を漏らしたほどだ。
これはやはり俺と真桜の作った罠の数々と、沙和の指導と、凪の鍛錬が実を結んだ結果だと言えた。
幾ら相手が混乱していたとはいえ、あれだけ大規模な戦闘だったにも拘わらず、義勇軍の損害は怪我人はでたものの死者がゼロだった事からも、その異常なまでの戦闘力の高さが窺えると思う。
今回連れてきた義勇軍の兵士はその殆どが自警団の初期メンバーで、厳しい訓練に耐え、商隊警護や賊討伐で実戦を潜り抜けてきた屈強の団員達ばかりだ。随分とやる気を漲らせているようで、ありえないほど士気は高いし、個人の武の高さは然る事ながら統率力も華琳の兵を上回っている。
「太老の兵を、他の兵と一緒に考えてはダメみたいね」
「はい。それに本隊と余りに実力に開きがあると連携が取り難いですし……」
「本隊に組み込まなかったのは正解か……。そこは上手くやるしか無いでしょうね。作戦次第と言ったところだけど、詳しくは雛里と話し合って調整して頂戴。頼むわよ、桂花」
「はい」
華琳のところの兵士も以前よりは多少実力が上がっているらしいが、凪の鍛錬を受けたのはまだほんの一ヶ月ほどだ。それでは大きな効果は期待できない。
それに、うちは付いて来られない奴はどんどん置いて行かれる、まさに実力主義だ。大量の兵士を鍛えるのには向いていない。
兵士と言うより、どちらかと言うと樹雷風に言えば闘士を鍛えるやり方なので、どうしても少数精鋭になってしまう。
用兵を用いて数で押し切るこの世界の戦争のやり方からは、大きく懸け離れたものだった。
実のところ、うちの正規団員の給金が城の兵士より高い理由がそこにあった。
一人で十人分以上の働きをするのだから、二倍の給金を払ったとしても懐は痛くはない。実際、うちの自警団の維持費は、城の文官も羨ましがるほど安かった。しかし安いが成果を着実に上げている。団員一人当たりの費用効果が物凄く高いのだ。
それに給金が高ければ、それだけ雇われている団員達の士気向上にも繋がる。一石二鳥どころか、三鳥四鳥を狙った策でもあった。
何よりも金が掛かるのは非生産階級である兵士の維持費だ。そのため、抱える兵数が少ないほどその維持費は安くなるのだが、そう簡単な話ではない。幾ら少ない方が安く上がるとはいっても、常備兵は必要不可欠で数を減らす事は出来ない。徴兵をして兵数ばかりを増やしたところで、兵として使い物になるには時間が掛かる。いざという時に使い物にならないのでは意味が無く、そのために調練を課すのだが、それを維持するには常備兵はどうしても必要だ。
富国強兵という言葉があるが、税収を上げながら国を守るための軍備を拡張する、と言うのは口にするほど簡単な事ではない。その二つは二律背反。そのバランスを取るのが一番難しく大変な事だった。
荀イクと文官達が算盤を弾きながら難しい顔をして唸っている姿を、俺は城で何度か見かけていたので、それが痛いほどによく分かる。
これが軍と自警団の一番大きな違いだろう。
うちの商会では『働かざる者食うべからず』の格言に基付き、三ヶ月の短期集中訓練を終えた者から順に、商隊の警護や街の警備などで普段から扱き使っているので一切の無駄がない。
それに試験に合格し正規隊員と認められるまでは給金も最低限しか支払われないから、連中も楽な暮らしがしたければ頑張るしかない。
それでも衣食住が保証されているので入団希望者は後を絶たないのだが、大抵の者は厳しい訓練に耐えきれず途中で挫折するのがオチだった。
こうした調整は稟や風が頑張ってくれているのもあるが、何だかんだでうちの商会は絶妙なバランスが保てているのだ。
「華琳様。あちらの指揮官が華琳様にお会いしたいと」
「ああ、太老の事で頭が一杯で忘れてたわ……」
「お会いになりますか?」
「そうね。劣勢だったとはいえ、ここに目を付けた相手の顔を見ておくのも一興かしら」
秋蘭からの報告を受け、また何か悪巧みをしているのか、ニヤリと笑みを浮かべる華琳。
取り敢えず、矛先が俺から他に向いたので安心する。だが同時に、名前をも知らぬ相手に同情した。
どこの誰かは知らないが華琳に目を付けられたのだ。まだ賊と戦っていた時の方がマシだったかもしれない。
「太老。あなたも同席なさい」
「へ? 俺も?」
「義勇軍の代表はあなたなのだから当然でしょう?」
確かに助けたのは俺だが、どうにも嫌な予感がしてならない。
また厄介事に巻き込まれそうな予感をヒシヒシと感じながら、俺は雛里を連れて華琳の後を追った。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第21話『理想の在り方』
作者 193
【Side:朱里】
私の名前は『諸葛亮』、字は『孔明』、真名は『朱里』。
今から一ヶ月前、山賊に襲われていたところを桃香様が率いられていた義勇軍に助けられ、それから義勇軍の軍師として行動を共にさせて頂いていた。
その後、義勇軍の成り立ち、桃香様の考え方、目指す理想に共感を覚えた私は真名を預け、愛紗さんや鈴々ちゃんと一緒に桃香様が目指す理想の手助けをするべく知略を振るう事を心に誓った。
志を共にし、一緒に旅に出て離れ離れになったままの親友の安否が気掛かりだったが、それも桃香様が捜すのを手伝ってくれると約束してくださった。
それに私が旅に出た一番の理由は、大陸を包み込んでいる危機的な状況や、力の無い人達が悲しむしかない今の現状が許せなくて、自分達の学んで来た知識をそうした虐げられるしかない力の無い人達のために役立てたいと考えたからだ。
親友の事は心配だが、その事で大切な目的を見誤る訳にはいかない。
「どうぞこちらへ。曹孟徳様がお待ちです」
鈴々ちゃんに留守を任せ、桃香様、そして護衛として同行した愛紗さんと一緒に、先程の戦いの礼を言うため、私達を助けてくれたという官軍の陣地にお邪魔していた。
曹孟徳――陳留を中心に勢力を増している諸侯。勢力では河南の袁術や河北の袁紹には及ばないものの、誇り高き覇者の名に相応しく、器量、能力、兵力、そして財力の全てを兼ね備え、現在最も波に乗っている勢いのある人物だ。
賊軍の討伐に名乗りを挙げている諸侯の中でも実力、度量、人格共に群を抜いた、まさに英傑の名に相応しい人物の一人と言えた。
「うわぁ……」
目にした物の驚きから、桃香様のため息が漏れる。愛紗さんも平静を装っているが、緊張している様子が窺えた。
案内された場所は陣地でも一際大きな天幕の中。兵站の不足している私達の陣地と違い、天幕一つをとってもその充実振りが窺え知れる。
中央の席に案内された私達の目の前に御茶と御菓子が出され、『こちらで、もう暫くお待ちください』と言って案内の兵は下がっていった。
「どうした、朱里。浮かない顔をして」
「いえ……大岩を降らせ、愛紗さんを助けてくださった御方なのですが、男の方だったのですね?」
「うむ。それが、どうかしたのか?」
治政の能臣、乱世の奸雄などと呼ばれている曹操さんには、一つだけ悪い噂というか、悪癖がある事で知られていた。
美しい女性や強い女性、一芸に秀でた人間を彼女は好む傾向にあり、自分の閨には気に入った女性しか入れないという話だ。
最初はその援軍が曹操さんの腹心である事を考えたが、愛紗さんの話では確かに指揮を執っていたのは男性だったという。
大の女好きで知られる曹操さんが、男を重用しているという話は聞いた事がない。そこから考えられるのは、その男性が男でありながら曹操さんに認められるほど優れた力を有しているという事に他ならなかった。
実際、彼の行った奇襲。そして引き連れてきた兵達の力は、私の策を上回るほどの成果を見せた。
援軍に現れたのは僅か千にも満たない兵。だがその力は、まさに万の軍勢をも上回る鬼神の如き活躍を見せた。
その事からも、私の頭の中に一人の人物の名前が頭を過ぎっていた。
――天の御遣い
大陸に名を馳せ、頭角を表してくる事は間違いない英雄、曹孟徳。
そして、そんな曹操さんに管輅の占いにあった天の御遣いが味方に付いた、という噂があった。
最近、飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長を遂げ、勢力を拡大している正木商会。その代表が管輅の占いにあった天の御遣いだという噂が、民の間で持ちきりだったのだ。
事実、そう噂されるだけの成果を、かの商会は上げている。
現在のエン州の勢いは、曹操さんの治政が広く民に受け入れられている事と、その裏では正木商会の支えがあったからだと評価されていた。
天の知識を使い、誰にも思いつかなかったような物を次々に作り出し、農業の分野に置いても革命とも言える成果を上げ、飢えに苦しむ大勢の人達を救ったと言われる博識家。そして武は一騎当千の力を有し、何よりも凄いと噂されるのが彼が鍛えたとされる自警団の存在だった。
州内の匪賊を尽く追い払い、根絶やしにしたというその力。更には五千の盗賊を相手に、たった五百で勝利したという信じられないような話。
それがどこまで信用できる話かは分からない。しかしその噂を裏付けるかのようにエン州は他の諸侯がうらやむほどの発展の最中にあり、実際に私達は千の加勢で万の賊に勝利するという、用兵の常識を覆す出来事を目にしてしまった。
確かに私達の義勇兵五千がいたとは言え、それでも賊軍との兵数には開きがあり倍近くの差があったのだ。
普通であれば千にも満たない加勢に、状況を覆すほどの力は無い。だが現実に私の策を上回る力と、私の常識を覆す奇襲を持って、それを彼は成し遂げてしまった。
あれが天の御遣いの力と言われれば、思わず納得してしまう実力だ。
「天の御遣いか……」
「はい。愛紗さんが見たという男性は、その方で間違い無いと思います」
「凄いんだね、その人。でも、天の御遣いかー。私達の仲間になってくれないかな?」
「と、桃香様!?」
桃香様の言葉に、顔を真っ赤にして反応する愛紗さん。
実際に目の前で、その兵士達の精強さを目の当たりにした彼女からしてみれば、同じ武人としてそんな兵達を指揮していた天の御遣いは興味を惹かれる男性であったに違いない。実際、陣地に戻ってきた愛紗さんと鈴々ちゃんは、その時の事を興奮した様子で私達に語って聞かせてくれた。
「でも目的は同じなんだから、仲良く出来ると思うんだけど……」
桃香様の言うように、『共同戦線を張る』という考え方は私も賛成だ。兵数にせよ兵站にせよ、私達には足りない物が多すぎる。
勝てそうな敵を狙いコツコツと小さな戦果を積み重ねてはいるが、それもそろそろ限界に近い。
この先に待ち受けている二十万を超す敵の本隊との戦いには、私達の力だけでは太刀打ち出来ない。
当然、その戦いには諸侯も参加するだろうが、確実性を増すためにも曹操さんと協力出来るのなら、するべきだと私は考えていた。
今の私達ではどことも協力出来ず、孤立無援となるだけで危険だ。どちらにせよ、どこかの諸侯の助力を仰がねばならない。曹操さんのところなら、ある程度の情報が集まるはず。全面的に曹操さんを信用できる訳ではないが、その力を利用させてもらおうと考えていた。
当然、曹操さんも同じような事を考え、私達を的にするくらいの事は平然とやるだろうが、そのくらいしないと今の私達が名声を得る事は難しい。
しかし同時に、天の御遣いを仲間にするというのは、まず不可能だと私は考える。
確かに天の御遣いは曹孟徳の盟友と言われ、あくまで彼女の協力者に過ぎず、麾下に加わっている訳ではないという話だが、私達の仲間には決して加わってはくれないと思う。
曹操さんがそれほどの人物を手放すとは思えないし、また私達が曹操さんの下に付くという選択肢も無い。桃香様と曹操さんでは考え方も理想の在り方も、全てが相反するものだからだ。だからと言って、今の私達が曹操さんと事を構えるのは失策だ。必要以上卑屈になる理由も無いが、それが機嫌を損ねて良い理由にはならない。
その事を踏まえ、桃香様と愛紗さんに丁寧に説明をする。これから会う相手の事を考えると、不用意な発言は避けるべきだと考えたからだ。
共同戦線どころか、礼をすべき相手を怒らせてしまっては元も子もない。
「うーん。皆、仲良く出来ればいいのに……」
「そうする事が出来れば一番良いのですが、現実には難しいと思います。考え方が違えば最終的に辿り付くところが同じでも対立は避けられません。そして桃香様の目指す理想と、曹操さんの目指す理想は恐らく……」
今は手を取り合う事も可能かも知れないが、その先は恐らく私達が協力し合う事は不可能だ。
天下太平という目的を同じにしていても、想い抱く理想、その過程が違えば対立は避けられない。
似ているようで全く違う理想の在り方。平和を願う想い、民を大切に想う気持ちは同じでも、道が違えれば争いが起こるのは必然と私は考えていた。
桃香様の仰るように皆が手を取り合い協力し合えたら、それは理想的な答えだろう。
だが、曹操さんは違う。自分自身に厳しく、他者にも誇りを求め、常に自身が選択を最善と信じ、理想を追い求めるような人物。先の先を見据え、民の上に立つ為政者として最善の行動を取るように心掛けているような人だ。
彼女が噂に聞くような人物であるのなら、他者の力が必要になるような状況が来る行動を絶対に選択しないはずだ。
また、桃香様の仰るような話をして、素直に耳を貸してくれるような人物とも思えない。
「しかし何故、天の御遣いなどと呼ばれている御方が、そのような人物に協力しているのだ?」
愛紗さんは、私の話を聞いて気に入らない様子だった。
天の御遣いは同じ武人として尊敬出来る相手でも、桃香様の理想と相反する考え方を持つ曹操さんに協力している事が納得行かないようだ。
桃香様達も管輅の占いにあった天の御遣いを捜していた、という話を私も聞いていた。だからこそ、その人物が曹操さんに協力している事に不満を感じているのだろう。
しかし私は、それは必然だと考えていた。その理由とは――
「随分な言いようね。私の陣で言いたい放題。そちらの指揮官は、最低限の礼節も弁えていないのかしら?」
『――!?』
談話をしながら曹操さんの到着を待っていると、背後から発せられた厳しい女性の声が私達の背中を突き刺した。
一斉に振り返る私達。そこには、脇に文官と思しき少女を控えさせた、小柄な体格をした金髪の少女が立っていた。
その小さな身体から発せられている重圧は、少女とは思えないほど大きく鋭いものだった。
一瞬にして場に張り詰めた空気が、その少女が只者では無い事を物語っている。直ぐに目の前の少女が、先程の言葉を発した人物だと分かった。
武人の感覚がそうさせたのか、目の前の少女を警戒して庇うように私達の前に出る愛紗さん。しかし、私達は争いに来たのではない。
このままでは拙いと判断した私は、直ぐに愛紗さんを押しのけ、曹操さんに頭を下げた。
「私は劉玄徳が家臣、姓は諸葛、名は亮、字を孔明と申します。失礼ですが、曹孟徳様でいらっしゃいますか?」
「ええ、初めまして。私が曹孟徳よ」
「先程の非礼をお詫びします。私の説明不足が原因で、孟徳様や他の方々を不快な気持ちにさせてしまいました」
「朱里!?」
「朱里ちゃん!」
彼女は『私の陣』と言った。その事からも曹操さん本人だとあたりをつけて尋ねたのだが、間違い無かったようだ。
だが同時に、私は自分の迂闊さを悔やんでいた。ここに来る前に、桃香様と愛紗さんにはきちんと説明をして置くべきだった、と。
案内の兵士の好意的な態度。そして一際大きな天幕へと案内され、御茶や御菓子で持て成され、少なからず私達は相手の誠意を好意的に受け取っていた。特に桃香様はその好意を素直に受け取り、一切疑っておられなかったに違いない。
本来なら私が一番に気を付けるべきところだったのだが、私の策の上を行く成果を成し遂げた天の御遣いに気を取られ、それを怠ってしまっていた。愛紗さんだけが悪いのではない。私自身にも油断があったのだ。
ここで待つように言われたのは、恐らくは私達の人となりを観察するためだ。
「曹操さん、ごめんなさい」
「……申し訳ありませんでした。曹操殿」
桃香様が頭を下げた事で、愛紗さんもそれに続いて謝罪をする。私も同じように、もう一度曹操さんに頭を下げた。
謝罪に続いて自己紹介を交わす桃香様達。それを見ながら、私はこれからどう行動すべきかを考えていた。
御礼を言いにきたはずの相手の本陣で、愛紗さんのあの反応はまずかった。
これが単に御礼だけであればいいが、武器や食料など圧倒的に兵站が不足している現状もあり、共同戦線を張れないかと打算的な考えもあって曹操さんの元を尋ねたのだ。だがこれで、それも難しくなってしまった。
「不用意な発言は、自分だけでなく主の立場を危険に晒す結果に繋がるわ。その辺りを、よく考えて行動なさい」
「…………」
自分でも失言だった事を自覚してか、愛紗さんはそれ以上何も言えなかった。
しかし一見、嫌味のようにも思えるが、曹操さんが愛紗さんのために苦言を呈したのには驚かされた。
曹操さんの立場からすれば、私達に気を遣う理由が無い。だが敢えて、それを言った事に意味がある。私はそう捉えた。
確かに厳しい感じの人ではあるが、噂とは少し雰囲気が違う気がした。
「後、礼なら彼に言いなさい。太老」
『え?』
曹操さんの一言で、私達の視線が天幕の入り口へと向けられる。
曹操さんに促され、天幕の中に入ってきた一人の男性。
「あなたは――」
愛紗さんの反応で直ぐに分かった。
この人が私達を助けてくれたという援軍の指揮官。あの噂に聞く天の御遣い≠ネのだと。
「初めまして、正木太老です。真名はないから『正木』でも『太老』でも好きに呼んでくれていいよ。後、華琳も余り意地悪してやるなよ」
「意地悪なんかじゃないわよ。私は素直に自分の感想を述べただけ」
「言い方がきついんだよな……。それに天幕の外で俺達を待たせたり、彼女達を試す気満々だったじゃないか」
「うっ……それは仕方なかったのよ」
「大方、暴れ足りなくて、溜まってた鬱憤を晴らそうとしただけなんだろう? 性格に難はあるけど、悪い奴ではないから仲良くしてやってくれ」
「春蘭と一緒にしないで! それと余計なお世話よ!」
「華琳様! 何故、そこで私の名前が!?」
私達は全員、目の前の信じられないような光景に呆気に取られ、目を丸くしていた。
曹操さんの事を真名で呼ぶ男性。しかも彼が現れた瞬間、場に張り詰めていた空気が一瞬にして変わった。
曹操さんの放っていた覇気を物ともせず、たった一言で場を支配していた重い空気を霧散させてしまったのだ。
天幕の外に控えていたと思われる人達まで騒ぎを聞きつけ、一斉に中に入ってきたために場は混沌とした様相を醸しだしていた。
(この人が天の御遣い……)
正木商会の代表。天の御遣い、正木太老。
愛紗さんの言葉に嘘はなかった。そして実際に本人を前にして私は気付いてしまった。
世に広まっている噂は誇張されたモノでなく、恐らくは全て真実であるという事に――
あの曹操さんをあっという間に手玉に取ってしまった手腕。これも恐らくは、態とそのように行動しているのだと私は推察する。
だとすれば場の空気を感じ取り、私達を助けてくれた? でも、何のために?
「――朱里ちゃん!?」
「え?」
そして、ここで私は驚きの再会を果たす。
行方不明になっていたはずの親友が……雛里ちゃんが、噂の人物と一緒に現れたのだ。
覇王、天の御遣いと呼ばれる人物との出会い。そして親友との再会。これが運命の岐路だったのかも知れない。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m