【Side:太老】
華琳の直ぐに人を試したがる癖には困ったモノだ。ああいうところは本当に、俺のよく知ってる人達に似てるんだよな。
感情に任せて失言をした相手も悪いが、そうなるように仕向けて会話を盗み聞きしていた華琳も同罪だ。
喧嘩両成敗という事で仲直りさせて、ようやく一段落付いた。
その代わりに華琳達の怒りの矛先が俺に向き、そっちを落ち着かせる方が大変だったが……。
「これ、無茶苦茶美味しいのだ!」
「ふふ〜ん、そうでしょ! 兄ちゃんのところの食べ物は天下一品なんだから!」
大鍋を挟んでガツガツと『おかわり!』を連発しながら、料理を貪り食っている張飛と季衣の二人。
二人で五十人前はある大鍋を一つ占拠しているあたり、二人の胃袋がどれだけ異常か分かると思う。
正直、この現状は痛い。劉備のところと共同戦線を張る事が決まり、食い扶持が増えた所為で俺は更に頭を抱える事になった。
敵の本隊を早く片付けないと、本格的に食料危機に晒される事になりそうなので、先んじて一手打って置く事にした。
「太老様。何をされているのですか?」
「よく食べる食い扶持が増えただろう? 少し早いけど補給物資を送って貰おうと思って」
「ああ、なるほど……」
軍行動に置いて糧食が足りなくなるほど情けない話はない。本来、こうした計画は余裕を見て事前に立てておくものだが、余りに予想外の出来事が多すぎた。
俺の話に、凪は張飛と季衣の方を見て納得したように頷く。
それで無くても五千人近い義勇兵が合流したのだ。劉備軍も多少は備えがあるとはいってもそれだけでは心許なく、更に言えば賊の蓄えた糧食をこちらが奪う訳にはいかない。劉備軍はそれを一部あてにしていたところがあったようだが、義勇軍ならまだしも華琳は州を預かる太守だ。賊の真似事をする訳にはいかなく、そんな真似をすれば『曹操軍は糧食も足りないのに戦に出た』と言う事で一軍を預かる華琳の風評にも傷が付く。俺も勿体ないとは思うが、砦にあった糧食は全て焼き払うしか無かった。
そのため、劉備軍の足りない糧食はこちらが支援してやるしか無かった。
交換条件として劉備軍は俺達の指揮下に入る事になったが、それでも貴重な物資を持って行かれるのは痛い。だからと言って士気にも関わるし、華琳の面目もあるので出し渋る訳にはいかない。
仕方が無いのでモールス通信を使い、後方部隊に補給を送ってくれるように連絡を取っているところだった。
「騒ぎが収まる頃には、商会の倉が空になっているかも知れませんね……」
「仕方が無いさ。まあ、次の収穫まで保てばそれで何とかなるし、華琳も城の蓄えを出してくれるって言ってたからなんとか保つだろう」
今回の件で商会に支払う代金や、その後に予想される出費を想像して荀イクが頭を抱えていたのは言うまでもない。
しかし食べ物の恨みは恐ろしい。第二、第三の反乱を防ぐためにも、ここで出し渋る訳にはいかなかった。
「分割払いにしてくれないか、って頼まれたよ」
「それは当然でしょうね……」
折角、敵の重要拠点の一つを落としたというのに出て来る話は、現実的な世知辛い話ばかりだ。
エン州の収穫高は以前とは比較にならないほど向上しているし、この時代の人達からすれば異常とも言える伸び率だ。
半年後、一年後を想定すれば、かなりの税収増加が期待できる。それを見越して分割払いをしてくれないか、と頼みにくるくらい実は城の財政事情は厳しかった。あの荀イクが俺に頭を下げにきたのだ。その事からも、どれだけ大変な状態か分かると思う。
先行投資を兼ねた街の開発事業や、農地の開墾でかなり出費が嵩んでいるし、エン州に流れてきた難民の問題もある。金は幾らあっても足りないくらいだ。最近、荀イクが見かける度にブツブツ『お金、お金』と呟いているのをみると、可哀想になってくるほどだった。
これも管理職の悲しい性と言えるだろう。討伐軍を率いて遠征中だというのに、今も帳簿との睨めっこは続いている。城に居た時よりも仕事が増えているくらいだ。
不謹慎な話かも知れないが、賊と戦って身体を動かしている方がかなり楽な気がする。そんな血生臭い息抜きの仕方はごめん被るが……。
「でも、事前に準備をしておいてよかったですね」
「最悪の事態は想定しておかないとな。モールス通信のお陰で連絡の手間が随分と省けるようになったし」
凪の言うように準備は事前にしておくものだ。そう言いながらも、糧食の件は失敗したのだが……腹ペコ魔人恐るべし。
とはいえ、この状況で数日の誤差は大きい。早馬を出す必要もなく、ほんの数分で商会と連絡が取れるのでやはりモールス通信は便利だった。
それに後の事を考えて、しっかりと補給線を確保して置いてよかった。
折角、敵の補給地点である砦を殆ど無傷で解放したのだから、ここを集積地点として再利用させてもらえばいい。
行きだけの分であれば、まだ何とかなる。帰りに補給部隊と合流できれば糧食も余裕で足りるはずだ。それに糧食が余ったら余ったらで、現地で配給するなり方法は幾らでもある。敵は二十万を超す大軍という話だが、実際に戦えるのは五分の一が精々と俺達は考えていた。殆どは食べる物に困って暴れ出した農民の集まりだからだ。
武器も無ければ食料も十分ではない。大義と主張を持つのは極一部の上の者達だけで、その騒ぎに乗じた盗賊や山賊くらいしか、まともに敵になる相手はいないと思っていい。折角、敵を降伏させて捕らえても腹を空かせてまた暴れられたりしたら厄介だ。可能な限りの補給物資、特に食料を持ってくるように連絡しておいた。
正直な話、俺と華琳は朝廷をあてにしていない。そこまで先の事を考え気配りの出来る連中なら、ここまでの苦労は無かった。
「そう言えば華琳と劉備、本当に大丈夫かな……」
総大将、女同士話があるとかで、あの二人は天幕に残ったままだ。
華琳の護衛には春蘭が、劉備の護衛には関羽がついているのだが、それが余計に心配でならない。
一応、抑え役として秋蘭にお願いしたが、また喧嘩をしてないかと内心冷や冷やしていた。
だからと言って、俺や荀イクには仕事があるのでそっちに構ってばかりもいられない。
「華琳様と劉備殿ですか?」
「似た者同士、反発するのは分かるけどな。一緒に戦うんだから、もうちょっと仲良くして欲しいというか」
「あのお二人が似ている? 全然性格が違うと思うのですが……」
俺の二人の評価を聞いて、首を傾げる凪。確かに性格は違うが、俺から見ればあの二人は方向性が違うだけで中身はそっくりだ。
劉備のポケポケっとした性格は、合理的な考え方を持つ華琳には合わない。主義主張も異なる二人。全く噛み合っていないように見える二人だが、根っ子の部分で二人は良く似ている。しかも、どちらも頑固者だ。故に反発しあう。
まさに水と油の関係。どちらの言い分も正しく、考え方が間違っているとは言わない。でも、傍から見れば二人とも極端過ぎた。
互いの長所と短所を認めあえればいいが、多分それは無理だ。いや、よく相手の事を理解できるからこそ、合わないと言うべきか。
一時的に手を結ぶ事は出来ても、根っ子の部分でそりが合わない。例えて言うなら――
「まあ、俺の言っている事が凪にも分かる時が来るよ。多分」
全然性格は違うけど、あの二人を見ていると魎呼と阿重霞を思い出して少し懐かしかった。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第22話『親友と宿敵』
作者 193
【Side:朱里】
話し合いは一先ずの決着がついた。
曹操さんとは共同戦線を張る事で互いに同意し、この戦いが終わるまでは曹操さんの指揮下に加わる事で、兵站も分けて貰える話になった。
最初は諦め掛けていた交渉も、雛里ちゃんが天の御遣いこと正木太老さんに話を通して、間を取り持ってくれた事で助かった。
「雛里ちゃんが無事で安心した。太老さんのところに居たんだね」
「うん。朱里ちゃんも無事でよかった……」
互いの無事を確認した私達は太老さんの計らいで、『二人きりで積もる話もあるだろう』と天幕を一つ分けて貰い、そこで向かい合って話をする機会を得た。
離れ離れになって一ヶ月以上。その間、何があったか、何をしていたか、お互いに話したかった事は沢山あった。
私の事、雛里ちゃんの事、互いに思い思いに自分達の事を語った後は、暫しの沈黙が訪れた。
そう、再会出来たのはいいが、私達の間には一つ大きな問題が残っていたのだ。
「その……雛里ちゃん。桃……劉備様の下で一緒に働かない?」
「ごめんなさい。二人で一緒にって約束したけど、それは出来ない……。朱里ちゃんは?」
私と雛里ちゃんは昔から何をするのも一緒だった。
旅に出る時も、『これからもずっと一緒に頑張ろうね』と約束を交わしたくらい私達は大の仲良しだった。
でも、私達は運命に引き離されるように離れ離れになり、別々の主を見つけて道を分かってしまった。
「ごめんなさい……私も、桃香様を裏切れない」
それが私達二人の出した答えだった。
桃香様と出会うよりも前に太老さんに出会っていれば、また話は違っていたかもしれない。それは雛里ちゃんも同じだろう。
しかし、そんな事は仮定に過ぎない。現に私は桃香様に出会い、雛里ちゃんは太老さんに出会ってしまった。
私が、天の御遣いが私達の仲間には成らないと感じたのには、曹操さんの件以外にもう一つ大きな理由があった。
商会の代表を務めるような人物だ。商会を興したのも財力と兵力、何者にも屈しない独自の力をつけるためだと考えられる。
周囲の反応を見るに、太老さんが曹操さんの盟友だという話も嘘ではないのだろう。その曹操さんと対等に取り引きが出来る組織を、彼は独力で築き上げたのだ。
その能力や、やり方をみれば桃香様より、曹操さんに近いモノを私は感じ取っていた。
商会の代表である彼が、徹底した現実主義者である事は疑いようがない。
人心を掴む掌握力もそうだが、効率を重視したやり方をして来なければ、あれだけの組織を築き上げる事は不可能だったはずだ。
彼が曹操さんを協力者に選んだのも、それを考えれば必然だと考えた。
商会の利益を優先して考えた場合、曹操さんが取り引きの相手として選ばれたのも頷ける。その事からも、同情を誘ったり心情に訴えるだけでは動かす事の難しい人物だと考えられた。
私達に曹操さん以上の何らかの利があれば、彼をこちらに向かせる事は可能かも知れないが、残念ながら今の私達にそれだけの物は無い。
しかしそれは、桃香様の考え方とは大きく異なるモノだ。故に天の御遣いのやり方は、桃香様とは相容れないモノだと感じ取っていた。
「雛里ちゃんはどうして、あの人に仕えようと思ったの?」
「え……」
一つだけ分からない点があるとすれば、そこだった。
太老さんや曹操さんのやり方や考え方は、確かに正しいのかも知れない。現に結果を出している。飢えから民を救った彼等の評判は良い。
現実を見据えれば、こんな小さな義勇軍よりも遥かに大きな力を持った勢力は数多くある。商会や、力のある諸侯のように。
私も、本来はどこかの諸侯にお仕えするつもりで旅に出た。しかし偶然にも、そうなる前に私は桃香様に出会ってしまった。桃香様の目指す甘い理想に魅せられてしまったのだ。
その結果、現実を見据えなければならない。甘い理想と知りながらも、私は桃香様に賭けてみたいと思った。
私が主に求めるモノは一つだけだ。
武に優れている必要も無い。知に優れている必要も無い。他人の上に立つ者の資質。それは他人の力を借りて、自分の力に出来る事。
天下とは、人一人の手に収まるモノではない。天下の名将が力と知恵を寄せ集めても、それだけでは思い通りにいくはずもない。何かが出来る人はそれを他人にさせたがらず、自分を上回る才能を妬む。そうした人一人を思い通りに動かす事さえ、神の手にも余る所業だ。
天下を一つに、自分の才覚が世界を正しい方向に導く、という考え方こそが傲慢だと私は考えていた。
ならば如何にして天下太平を世にもたらすか。その答えを、私は桃香様の理想の中に見た。
徳を持って政治を為す。その行いが甘い理想だと言うのなら、それよりも多くの現実を私達が見ればいい。主君に力と知恵が足りないのであれば、臣下である私達全員で補えばいい。
王が必ずしも有能である必要は無い。今の時代、桃香様のような優しさは希有だ。誰からも好かれる、あれほどの徳を持った人物を私は他に知らない。暗く沈んだ民の心、そしてこの乱世を明るく照らし出す、太陽のような存在が必要だと私は思った。
大切なのは、私達の助けを力を必要としてくれる主の存在。その主の理想を叶えるため、私は自分の知略を役立てたい。
少なくとも、桃香様は私達の力を必要としてくれる。家臣である私達の事を、本当の家族のように想ってくれている。
為政者としては優しすぎるかも知れないが、それが桃香様の人柄であり、多くの人達の心を惹きつける魅力だと私は感じ取っていた。
現実を見て、正論を為す事は確かに大切だ。でも一人くらい甘い理想と言われようが、バカにされようとも、それを大にして口に出来る人物が居ても良いのでは無いか、と私は思う。
私は桃香様の理想の手助けをしたいと思った。天下に安寧をもたらすその時まで、この方を支えようと心に決めた。
その選択を私は間違っていたとは思っていない。そして雛里ちゃんも、私と同じような考えを持っていてくれたと思っていた。
少なくとも私達が主に求めたモノ、望んだモノと、曹操さんや太老さんが持っているモノは大きく違うはずだ。
それなのに、何故? という言葉が頭の中で繰り返す。
「朱里ちゃんは勘違いしてると思う」
「……勘違い?」
「太老様は確かに現実的な行動をされる方だけど、それも全ては皆のため――」
「それは分かる。でも……」
民のためだという事は分かる。曹操さんも同じように民のために努力しているに違いない。
だが、それは桃香様だって同じだ。英雄と呼ばれる人達、誰もが今のままで良いはずがない、と自分を犠牲にして頑張っている。
しかし、曹操さんや太老さんの在り方は私達が目指しているモノと似ているようで全くの別物だ。
それを雛里ちゃんが気付いていないはずがない。
「より住みよい世界に――商会の掲げている理念は太老様の理想でもあるの。誰もが安心して暮らしていける平和な世界。平穏を太老様は誰よりも望んでるんだよ」
「より住みよい世界……」
「理想を掲げる事は大切だと思う。でも今、苦しんでいる人達が確かにそこに居る。そんな人達はどうするの?」
「はうっ……だから、そんな力の無い人達を助けるために私達は――」
「義勇軍の活動は確かに誇れるモノかもしれない。でも、盗賊を退治したらそれで終わり? 家を焼かれた人、田畑を焼かれた人、そうした人達はその後どうやって暮らしていけばいいの?」
それは義勇軍に過ぎない私達が気にしても、どうする事も出来ない。本来なら朝廷が、朝廷に任命された諸侯達が各々で考え、対処するべき政治の問題だ。何とかしたくても私達に出来るのは賊を退治するところまで、内政にまで関与する事は出来ない。
食料だって分けてあげたくても、今の私達にはそんな余裕は無い。当然、私達もそんな事は分かっていた。
だから少しでも早く賊軍を討伐し、この大陸の争乱を鎮めようと――
「その後はどうするの?」
「え?」
「朱里ちゃん。太老様が何故、商会を興したと思う?」
――曹操様に取り引きを持ち掛けるため?
――それとも組織を興して一旗揚げるため?
と言葉を紡ぐ雛里ちゃん。
それは私が考えていた事を見抜くかのように鋭い質問だった。
「朱里ちゃん。美味しい物をお腹一杯に食べられたら、自然と笑顔が溢れるものなんだよ」
「――!?」
「賊を退治する事は確かに良い事だよ。でも、現実に苦しんでいる人達をどうするかも忘れてはダメ。そして本当にそうした人達を救いたいのなら助けた後の事も考えないとダメ。太老様はそのために商会を興して準備をされてきた」
真剣な表情で、そう語る雛里ちゃんの言葉は、私の胸に深く突き刺さっていた。
「困っている人達に手を差し伸べたり、ご飯を分けてあげるくらいの事は出来るかもしれない。でも、彼等が本当に望んでいるのはそういう事じゃないんだよ……」
雛里ちゃんが太老さんに惹かれ仕えるようになった理由は、それだけ聞けば十分だった。
高く遠くを見て、誰よりも甘い理想を彼は抱いているのだ。それはきっと桃香様の理想よりも具体的で難しい願い。
だからこそ、その理想を現実に近付けるために先の先を見据え、最善の一手を打っていく。
曹操さんに問い詰められた時、私達を助けてくれたのさえ、私は打算的な考えがあってのモノだとずっと疑っていた。
(雛里ちゃんが惹かれるはずだよね……)
雛里ちゃんの話を聞かされ、私は太老さんの評価を修正した。
又聞きした話や憶測だけで天の御遣いを推し量ろうとした時点で、自分が如何に愚かだったかを悟らされた。
だからと言って、私は桃香様と同じ道を歩む事を心に決めた。その誓いを翻す事は無い。私は全力で桃香様の理想の手助けをするだけだ。
しかし、私と雛里ちゃんの道は完全に別れてしまったのだと、そうして私は気付いてしまった。
「ごめんね。約束を守れなくて……」
「ううん。雛里ちゃんは悪くないよ。きっと、これが天命なんだと思う」
雛里ちゃんの話で、太老さんの理想の在り方、行動の理由を知る事が出来たのは幸運だった。
「朱里ちゃん。お互い頑張ろうね」
「うん。雛里ちゃんには負けないよ」
そう言って固く握手を交わした。
雛里ちゃんと争う事になったとしても、私は自分の選択を後悔しない。それは雛里ちゃんも同じはずだ。
今はそれで良い。お互いに生涯を賭して仕えると心に決めた主が出来たのだ。親友の新たな門出を、私は素直に祝いたいと思った。
「ところで雛里ちゃん。太老さんの事……好きなの?」
「あ、あわわ……! そ、それは!?」
顔を真っ赤にして慌てる雛里ちゃん。実に分かり易い反応だった。
その後は、太老さんの事を沢山話して聞かせてもらった。優しい御主人様≠フ話を――
その日、親友との秘密がまた一つ増えた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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