【Side:人和】

「はあ……退屈だね」
「太老に置いてけぼり食らったしね……」

 天和姉さん、地和姉さん、二人とも大人しくしてくれているのは良いがここ数日というもの、ずっとこの調子だった。
 賊の動きが活発化しているとの話で興行は暫く休業する事が決まり、退屈なところに加えて太老様について行けなかった事が不満のようだ。
 太老様も遊びに行っている訳ではない。賊軍の本隊を討伐し、この騒ぎを平定するために命懸けで遠征しているのだ。姉さん達も、その事を分かってくれていると思いたい。

「そういえば、天和姉さん」
「何? 地和ちゃん」
「太老に何を買ってもらったの?」
「何も……というかそんな暇なかったし、太老様休みが全然ないんだもん。本当はさー、お願いして一緒に買い物とか食事して、その後は……もうっ! 地和ちゃん恥ずかしい事を言わせないで!」
『……はあ』

 桃色の空気を全身から放ちながらクネクネと身悶えている天和姉さんを見て、私と地和姉さんは大きなため息を漏らす。
 いつもならここで『また抜け駆けして!』って怒る地和姉さんも、自分の世界に入って身悶えている天和姉さんの相手はしたくないようだ。

「でも、その手があったか……」

 そしてそんな天和姉さんを見て、地和姉さんはまた悪巧みをしている様子だった。
 我が姉ながら少し恥ずかしい。だが、こんな姉達の相手が出来るのは太老様以外にはいない。太老様との付き合いはもう半年以上になるが、妹の私から見ても姉達の扱い方が上手いと思うくらい太老様は二人の扱いに手慣れていた。
 その割に女遊びが好きと言う訳では無い。特定の女性との噂は聞かず、そんな暇がないだけなのかもしれないが、どんな相手にでも太老様は紳士的だ。
 そのためか、太老様は非常に女性から人気があり、私達の親衛隊の他に商会には別の勢力が存在するほどだ。それが太老様の非公式親衛隊≠フ存在だ。
 商会に関係している女性の実に半数以上がこの親衛隊に加盟しているいう話で、姉さん達の太老様への接し方が段々と過激になってるのも、そうした太老様を狙う人達に焦りを感じているからに他ならない。

(太老様も次から次へと大変ね……)

 そんな風に思いながらも巻き込まれるのが嫌なので、私は基本的に一歩引いたところから静観する事に決めていた。
 太老様の事は嫌いでは無い。尊敬もしているが、異性として好きかどうかは分からない。それに例えそうした好意を持っていたとしても、姉さん達と争う気にはなれなかった。
 二人の姉がこの状態なのに、そこに私まで加わっては抑え役がいなくなる。『数え役萬☆姉妹(シスターズ)』の活動にも支障を来す恐れがあるし、そうなったら太老様に余計な心労と迷惑を掛ける事になるのは明白だ。大恩のある御方に、これ以上迷惑を掛けたくない。
 姉さん達もその辺りの事情を汲んで、もう少し気を遣ってくれると嬉しいのだが、基本的に自分に正直な姉達にそれを要求するのは無理だと私は痛感していた。

「何だか、随分と慌ただしくなってきたわね」

 商会の外と内。両方で人の出入りが激しくなり、バタバタと慌ただしくなってきた。
 どうやら商会の外に備え付けられた倉から、食料の備蓄を担ぎ出しているようだ。

「何か、あったの?」
「――張梁様! 太老様から補給物資の要請がありまして、これから予州に向けて部隊を派遣するところです」
『それだ!』

 私が自警団の団員を呼び止めて話を聞いていると、後で聞き耳を立てていた姉さん達が声を合わせて飛び出してきた。
 団員に詰め寄って『私達も一緒に行く』と勝手な事を言い始める二人。
 補給部隊に付いていくなんて、一体何を考えているのか?

「姉さん達……彼等は遊びに行く訳じゃないのよ?」
「分かってるわよ、そんな事くらい。お姉ちゃんバカじゃないんだからー」
「そうそう、これは仕事なのよ! 数え役萬☆姉妹(シスターズ)のね!」

 遠征中の兵士の慰安訪問として一緒に向かい、興行を行うと話す姉さん達。

 ――自分達だけ安全な場所で守られてばかりはいられない
 ――私達も街を守りたい。商会の役に立ちたい

 などと言っているが、二人の様子から察するに魂胆は透けて見えていた。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第24話『困った時の御遣い様』
作者 193






【Side:太老】

 砦に二千の兵を残し軍の再編成を終えると、俺達は荊州に向けて進軍を開始した。
 予州と荊州の州境に二十万を超す大軍が集まっていると言う話だ。こちらは集積地点に残してきた兵の数を差し引き、華琳、そして桃香、俺達を合わせても兵の数は一万弱。数の上では圧倒的に敵の本隊に劣っている。
 しかし征伐に名乗りを挙げた各地の諸侯が続々と集まっているという話だし、敵も二十万を超えるとはいえ殆どは非戦闘員で構成された烏合の衆だ。全く勝ち目が無いと言う訳では無い。寧ろ、勝つだけなら可能性は十分にある。
 ただ、それでも数の暴力というのはバカに出来ない。油断は出来ない状況である事に変わりはなかった。

「桂花。まずは状況報告を――」
「はい」

 目的地まで半日といった場所で、俺、華琳、それに桃香、後は三軍の軍師を交え、状況確認を含めた作戦会議を行っていた。

「黄巾党ね……」

 軍議で聞かされた賊軍の通称。官軍は賊軍の名前を『黄巾党』と、そう呼称しているらしい。
 こちらに張三姉妹が居るというのに、ここで黄巾党の名前が出て来るとは歴史の修正力と言うべきか。
 黄巾を纏い『蒼天已に死す、黄天當に立つべし、歳は甲子に在りて、天下大吉』などと理念を掲げ、各地で暴れ回っていたそうだ。
 これは大筋、歴史通り。問題はそれを統率している指揮官の方だった。

「太老はどう思う?」
「後で煽っている奴が居ると考える方が自然だろうな。そこらの豪族や盗賊が、これだけの組織を纏められるとは思えない」

 華琳と俺の情報力を持ってしても、分からない事が一つあった。
 各地で自分勝手に暴れ回るしか能の無かった匪賊達が、こうして結託している背後には必ず何らかの意思が働いていると考えるのが自然だ。
 しかし盗賊団や各地の豪族達が協力している事は分かるが、裏で糸を引いていると思われる指揮官の正体が掴めない。
 そんな事が現実にありえるのだろうか?

「一応、何人か有力な将の名前が挙がっているのだけど……」

 荀イクはそう口にしていても、余り納得が行っていない様子。
 彼女の口から次々に挙がってくる黄巾党を率いている指揮官の名前。何れも歴史上、黄巾党に名を連ねる将軍の名前に間違いなかった。
 その中に名前が見当たらないのは張角、張宝、張梁の本来黄巾党の中核を為すはずだった人物の名前だけだ。
 腑に落ちない。歴史上、黄巾の乱に深い関わりを持つ将の名前が挙がっているが、今一つそれだけでは弱い。

 ぶっちゃけてしまうと、誰が本物の黄巾党の指導者なのかよく分からない状況。
 指揮官と呼べる者は確かに存在するが、総大将が宙に浮いたまま寄り集まっているようにしか見えないのだ。
 盗賊や豪族、そして農民を主体とした反漢王朝連合といえば聞こえはいいが、それぞれの思惑が見え隠れする烏合の衆でしかなかった。
 こんな癖のある連中が一つ所に集まり、カタチだけとは言え足並みを揃えているなど、何か見えない力が働いているとしか思えない。

「太平要術の書……」
「華佗が探していると言っていた、あの書物の事ね」
「俺の勘だけどね」

 華琳の言うように華佗が探していた妖術書。人の心を惑わし、負の感情を増幅するという厄介な代物。
 原作でも、この黄巾の乱に深く関わっていた書物だ。現に反乱は起こり、張三姉妹が居ないのに黄巾党は結成されてしまった。
 それに華佗の話では、この太平要術の書というのは今までにも何度も大きな騒ぎの引き金になっていたという話だ。
 重要なファクターの一部として太平要術の書が関わっていても不思議ではない。しかしそうなると厄介な問題が浮上する。

「これ、思ったよりも簡単じゃないかもしれないな……」
「どういう事?」
「総大将が居ないという事は、例えば一人や二人、指揮官ぽいのを倒したところで騒ぎは収まらないかもしれないって事だよ」

 俺の話を聞いて、華琳は苦しげな表情を浮かべた。俺の危惧している事を、それだけで悟ったようだ。
 二十万と言うのは確かに大軍だ。しかしその殆どは非戦闘員。だからこそ、こちらに勝機があったのだが、本来なら頭さえ討ち取れば終わるはずの戦いが、それだけでは終わらないかも知れないという問題がここに来て浮上した。
 諸侯と連携すれば、こちらの兵の数は十万を超える。相手は練度も低く装備も不十分な事から考えても負けはしないだろうが、現状のまま押し切れば多くの犠牲者を出す殲滅線に発展しかねない。
 ましてや俺が一番危惧しているのは、連中の精神状態が普通ではない時どうするかだ。
 終わりの見えない大軍と大軍による消耗戦。積み重なる死体の山。予想される被害は敵だけじゃない。こちらも甚大な損害を被る可能性を視野に入れなくてはならない。太平要術の書に連中が操られていた場合、それが現実となる可能性が高かった。

「雛里、桂花、それに諸葛亮。あなた達の意見を聞かせて頂戴」
「それは、妖術書の話を真実と仮定しての話ですか?」
「そうよ。私も太老と同意見。今回の件はどこか変だわ」

 朱里が信じられないのも無理はない。人の心を惑わす妖術書なんて、如何にも胡散臭い内容だしな。
 ちなみに話が少し脱線するが、朱里、愛紗、鈴々の三人には真名を預けてもらった。
 桃香が真名を許した人物だから自分達も同じように真名を預けたい、という話だったが華琳がそれを聞いて、また少し不満げだったのは言うまでもない。
 真名って神聖な物だと聞いていたが、結構気軽に教えてもらっている気がするのは気の所為か?

 ――閑話休題

 雛里、荀イクも軍師として、そんな不可解な物を出来る事なら信じたくないと思う気持ちは分かる。分かり易く表情に出ていた。
 だが、万が一の場合を想定して置くのは大切な事だ。警戒を怠り、貴重な兵士を余計に失う訳にはいかない。
 それに華琳も何処か確信している様子が窺える。彼女の勘は良く当たる。俺も悪い方の勘は良く当たる方なので、出来る事なら当たって欲しくないが可能性としては高いと考えていた。

「……それが真実だと仮定すると、仰るように最悪の事態が予想されます。だとすれば、皆に掛かっている妖術を解く事が先決でしょうね」

 朱里の言っている事は正しい。だが、誰が太平要術の書を持っているのか分からないのでは意味が無い。
 目印となる物は無く、普通に総大将の首を討ち取る事よりも難しそうだ。

「それは太平要術の書の確保を優先するという事ね。でも、誰が持っているのか分からないのでは意味が無いわよ?」
「確かに太平要術の書が何処にあるかは分かりませんが、持っていそうな人物ならある程度特定できます」

 朱里の話に頷く雛里。その話を補足するように口を開く。

「これだけの人数に妖術を掛けるとなると組織の内部事情に精通している者。組織の中枢に居なければ、時間的にも難しいと思います。恐らくは、指揮官の誰かが隠し持っている可能性が高いです」

 華琳の質問に、はっきりと答える朱里と雛里。二人の言う事は尤もだった。
 幾ら太平要術の書が凄い力を持っているとはいえ、一人ずつに術を掛けて回るような手間を掛けられるとは思えない。

 なら、書の持ち主はどうしたのか?

 大軍に成ればなるほど、組織を維持するために確立された指揮系統が必要になる。
 一番簡単な方法は先に軍の指揮官に術を施し、そこから兵を一箇所に集めてもらうなりして軍内部に術を浸透させて行く事だ。
 だがそれが可能な人物となれば、必然的に組織の中枢に出入り出来る者に限られる。そこで複数居る指揮官の中に居ると言う話になる訳だ。
 しかし、それでもかなりの人数だ。それに指揮官を討ち取ればそれで終わりと言う話では無く、太平要術の書を俺達は確保しなくてはならない。

「更に絞り込めると思います。そんな物を使って悪巧みを考えるような人物です。兵を率い、先陣を切って飛び出してくるとは到底思えません」

 朱里は迷わずそう言い切った。だが相手の心情を考えれば、確かにそれは一理ある。
 朱里の言うように広い戦場の中で場所を特定できるだけでも、かなり相手を絞り込めるはずだ。

 しかし、ここでもう一つ問題点が浮上した。
 相手が飛び出して来ないのであれば、必然的に黄巾党の相手をまずしなくてはどうしようもない。
 本陣に攻め込むにしても、こちらの攻撃を警戒して向こうも当然布陣を敷いてくるはずだ。
 非戦闘員を合わせ二十万を超える壁を、俺達は何とかして乗り越えなければならないと言う話になる。
 結局、被害が大きくなるのではないか、と思ったところに荀イクが俺の考えを読むかのように対策を口にした。

「方法ならあります。本陣を奇襲する策が――」

 そう言って、俺の方を見る荀イク。一斉に皆の視線が俺へと集まる。

「なるほど、確かに太老なら」
「その手がありましたね。太老様なら、適役だと思います」
「確かに、あの兵の練度があれば……太老さんの武も凄いと聞きましたし」
「アンタに大役を任せてあげるんだから、華琳様のためにしっかり働きなさいよ」

 華琳、雛里、朱里、荀イクの順で、納得した様子で思い思いの事を口にする。
 俺としてはそんな四人の態度に、物凄く嫌な予感しかしなかった。

「ちょっと待て! まさか!?」
「その、まさかよ」

 敵本陣の奇襲部隊に任命された俺達。
 しかも、太平要術の書の確保という重要な役目だ。一番重要で一番危険な任務という事になる。
 だが、華琳の反応を見るに拒否権は無さそうだった。
 先日の事もあって、俺と商会の義勇軍は遊撃部隊として運用した方が効果的だと言う話が上がっていた矢先の事だ。

「太老さん」
「……桃香?」
「頑張って! 太老さんなら絶対に大丈夫だよ!」

 ずっと後で見ているだけで会議に参加しようとしなかった桃香の一言で、退路は完全に断たれた。
 桃香にキラキラとした目で過度の期待を寄せられ、『信頼しているわよ』と華琳の一言で責任重大な任務を負わされた俺達。
 黄巾党本隊との決戦が、いよいよ幕を開けようとしていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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