【Side:桃香】

 一度目は、目算が甘かった所為で前線が押し込まれ、愛紗ちゃんや皆が危なかったところを助けてもらった。
 二度目は、私や愛紗ちゃんの失言で朱里ちゃんに迷惑を掛けてしまい、曹操さんに責められ困り果てていたところを庇ってもらった。
 それが天の御遣い――正木太老さんと私達の出会いだった。

「やはり私は納得が行きません……」
「でも、朱里ちゃんも言ってたでしょ? 今は曹操さん達と共同戦線を張った方がいいよ。私達だけじゃ、この乱を鎮めるだけの力は無いし」
「それはそうですが……」

 友達との再会を喜ぶ朱里ちゃんを一人残し、自分達の陣地に戻ってきた私達は天幕の中でようやく一息ついた。
 愛紗ちゃんは曹操さんの事を嫌っている様子で、曹操さん達に協力する事に理解はしているけど納得していないと行った様子だ。
 しかし私達には朱里ちゃんが言うように余裕が無い。このままで行けば半月と保たずに糧食は底を尽きるし、一万の兵に苦戦を余儀なくされていた私達の力では独力で二十万を超す敵の本隊を叩く事は出来ない。今は力のある人達と協力し、少しでも早くこの騒ぎを鎮める事こそ重要だと私は考えていた。
 愛紗ちゃんもその事は勿論分かっているはずだ。
 しかし感情がついていかない。その必要性は理解できていても、感情の部分で納得が出来ずにいた。

「何故、太老殿は曹操に協力しているのですか?」
「……そこまでは分からない。でも曹操さんも太老さんも、早くこの騒ぎを鎮めたいと頑張っているのは本当だよ」

 賊を討伐し、この乱を鎮めるという目的は、私も曹操さんも変わりない。天の御遣いと呼ばれているあの人だって、私達を助けてくれたように力の無い民のために頑張っているのは確かだ。だから、今は曹操さんとも手を取り合えると私は考えた。
 本当は皆もっと仲良く出来るのが一番だと思うけど、朱里ちゃんの言うように曹操さんには曹操さんの考え方があるんだって、じっくり曹操さんと話してみて分かった。
 でも、私だって諦めた訳じゃない。同じ人間なんだから、曹操さんとだってきっといつか分かり合えると信じている。
 そのためにも、愛紗ちゃんは私の事を思って怒ってくれているんだろうけど、今は納得してもらうしか無かった。
 私達は曹操さんと争うために、ここに居る訳ではないのだから――

「分かりました……。納得は出来ませんが理解は出来ます。私の力は、桃香様や力の無い民達を守るためにあるのですから……」
「ありがとう。愛紗ちゃん」

 私の思っている事をちゃんと説明をすると、渋々ではあるが了承してくれた愛紗ちゃん。
 細かい作戦の内容などは、朱里ちゃんが向こうと打ち合わせをしてきてくれる手はずとなっている。後はその報告を待つだけだ。
 尤もそれは建て前で、本当は離れ離れになっていた親友との再会を楽しんできて欲しいと私は思っていた。
 朱里ちゃんが私達と出会ってからずっとその友達の事を考え、心配していたのを知っていたからだ。

 ただ一つ心配な事があるとすれば、天の御遣いの下に居たという朱里ちゃんの友達の事だ。
 朱里ちゃんは私達のところの軍師。一方、朱里ちゃんの友達の鳳統ちゃんは太老さんのところの軍師。今のままでは二人はまた離れ離れになってしまう。
 出来る事なら一緒にしてあげたいと思うが朱里ちゃんは責任感のある子だし、きっと義勇軍を辞めるとは言わないはずだ。それに本音を言えば、軍師である朱里ちゃんに義勇軍を抜けられるのは痛い。出来る事なら残って、これからも傍で支えて欲しいと私は思っている。
 なら鳳統ちゃんが私達のところに来てくれるかどうかだが、正直それも五分五分だと考えていた。
 太老さんは凄く良い人だと思う。実際に私達を助けてくれたし、私達に対しても曹操さんに対しても平等に接してくれる。愛紗ちゃんも、そんな太老さんの事が気に入っているようだった。
 でもそれは鳳統ちゃんも同じはずだ。好きな人と一緒に居たいと思うのは極自然な事。少なくとも太老さんと一緒に居る鳳統ちゃんを見て、私はそう感じ取った。

「……うん、決めた」
「桃香様?」
「太老さんに、私達の御主人様になってもらおう!」
「……え、ええっ!?」

 太老さんは曹操さんに協力しているだけで、家臣でもなければ伴侶でも無いという話だ。
 なら、私達の御主人様になってもらっても問題ないと私は考えた。
 曹操さんとだって、きっと話せば分かり合えるはずだ。それに私も御主人様≠ノは恩を感じているし、少なからず好意を寄せていると思う。
 愛紗ちゃんや朱里ちゃん、皆の幸せを考えるなら、それが一番良い方法だと考えた。

「いや、しかし桃香様。それは……」
「任せて、愛紗ちゃん! 大船に乗ったつもりで!」

 ドンッと自分の胸を叩き、愛紗ちゃんに『私に任せて』と自信を持って告げた。
 皆の幸せのためにも、お姉ちゃんが頑張らないとね。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第23話『誰の御主人様?』
作者 193






【Side:華琳】

 劉備との話し合いは最悪なカタチで幕を閉じた。
 だからと言って公私混同する気はない。貴重な兵の損失を少しでも減らすためにも、劉備軍との共同戦線を張るのには賛成だ。
 劉備軍は兵の練度はそれほど高く無いが士気高く、それを指揮している将の質も悪くない。
 関羽に張飛、そして軍師の諸葛亮。義勇軍にあれだけの逸材が埋もれているとは思わず、正直驚いた。

 そうした希有な人材を惹きつけ、纏めている劉備の存在。
 一見、頭の足らない甘い小娘に思えるが、五千人もの義勇兵を集め、あれだけの将を揃える人物だ。本人の能力はさほど高くは無いが、彼女の真髄はあの性格にあると私は見抜いていた。
 人心を惹きつけて止まない魅力。あの優しさ、人徳こそが彼女の最大の武器と言っていい。真顔で『仲良くしたい』なんて言われた時には正直呆れてしまったが、この時代にあんなバカな事を口に出来る人物が果たして何人居るだろうか?
 現に、劉備の名は私の胸の中に深く刻まれていた。

「華琳様。補給物資の帳簿をお持ち――ひぃッ!」
「ああ、ごめんなさい。見せてくれる? 桂花」
「は、はい……」

 先程の劉備との対談を思い出し、思わず殺気が漏れていたようだ。
 何故、これほど苛ついているのか自分でも分からない。確かに劉備の口にした理想は、私としては受け入れ難い甘く(ぬる)い幻想に過ぎなかった。
 太老も途方もない理念を商会に掲げ、理想を口にしてはいるが、あれの理想は具体的だ。はっきりとした未来像が、太老には見えているのだろう。
 しかし、劉備の語る理想にはそれがない。北斗の彼方を望んだところで、所詮は夢、幻。そんな幻想に辿り着けるはずがない。劉備の口にする理想は甘美だ。彼女の人徳と魅力は、その理想と共に多くの人達を惹きつける。しかし現実の伴わない理想など、私は認める訳にはいかなかった。
 劉備の理想が私にとって受け入れ難いものだからか、それとも個人的な感情で劉備を嫌っているのか、私は自分の感情に戸惑いを覚えていた。

「華琳様……どうかなされたのですか? もしや、劉備と何か……」
「いえ、個人的な事よ。それよりも桂花。共同作戦の方は軍師同士、話し合って決めて頂戴」
「はい。劉備の方はいいですが、太老の義勇軍は扱いを考えないといけませんしね……」

 桂花の口から太老の名前がでて、私は僅かに心が揺れ動いたのを感じた。
 動揺とも違う、もっと別の感情。これは劉備との会話の中でも、ずっと感じ取っていた事だ。

「桂花。いつから、太老の事を名前で呼ぶようになったの?」
「……え?」

 目を丸くして固まる桂花。どうやら本人も気付いていなかったようだ。
 ずっと『アンタ』や『アイツ』。もしくは『御遣い様』としか呼ばなかった桂花が、自然と太老の名を口にしていた。
 確かに私は真名で呼び合うようにと桂花に命令したが、それを太老が『桂花に認めてもらえるまでは、このままでいい』と拒否したのを知っている。男嫌いの桂花が名前だけとはいえ、太老の名前を口にした事に少なからず驚きを覚えずにはいられなかった。

「これは、その! 違うんです! 仕事を色々と手伝ってもら……じゃなくて仕事上、そう仕事で名前で呼ばないと不便だから、決して変な意味ではなくて!」

 慌てて必死に言い訳する桂花の表情がコロコロと変わって面白かった。
 何だかんだ口で言いながらも、桂花が太老の実力を認めている事は知っている。一緒に仕事をする中で、桂花が太老の名前を呼ぶようになっても極自然な事だ。
 そして、なるほど、と私は自分の気持ちに気付いた。先程、桂花の口から太老の名前が出た時と、劉備に向けていた感情は同じものだ。
 自分でも呆れるほど簡単な事だった。少なからず劉備達が助けてもらった恩を感じ、太老に好意的な想いを寄せている事は分かっていた。
 劉備達を庇った太老。そして庇われた劉備達に、私は嫉妬していたのだ。

(この曹孟徳が一人の男を取り合って、まさか嫉妬するなんてね)

 一度気付くと不思議なものだ。自分でも驚くほど、それを素直に認めていた。
 私に王である前に一人の女だと気付かせたのは、太老が初めてだった。
 太老は誰であろうと特別扱いしない。風達にするように私の頭を気軽に撫でるし、無理に休ませようと抱きかかえたりも平気でする。一見、無礼な行いのように見えるが、どうしても怒る気になれないし嫌な気がしないから不思議だ。
 出会ってからまだそれほど経つ訳ではないが、もう何年も一緒だったかのように思えるほど、私は親しい感情を太老に覚えていた。

(そうか……私は太老が好きなのね)

 私は以前に比べて変わったのかもしれない。男にこんな感情を抱く日が来るなんて考えもしなかった。
 いつかは私も伴侶を迎え、子を宿し、曹家の後継者を考えないといけない。だが国の未来図は描けても、そうした自分の未来が私には想像できなかった。
 最初は理想のため、国のためにと太老を籠絡する事を考えていた。
 誰にも従える事が出来ない男ではあるが、伴侶とすれば共に道を歩めるのではないか、と考えたからだ。

 しかし今は一人の女として、太老を誰にも渡したくないと思っている私が居る。いつからそんな感情を抱くようになったのか分からない。だが太老を男として意識している事は確かだった。
 そう、太老は初めて私が認めた男だ。この曹孟徳が、誰かに身を預けたい心を預けたいと思ったのは、これが初めての事だった。
 劉備との出会いは、私にそれを気付かせてくれた。

「フフッ……」
「華琳様?」
「桂花。これからは太老の事を『御主人様』と呼びなさい。春蘭と秋蘭にもそう呼ばせるわ」
「え……ええっ!?」

 なら、私は自分の気持ちに正直に生きるだけだ。勿論、覇業を諦めた訳ではない。
 私は曹孟徳。欲しいと思った物は全て手に入れて見せる。一つとして諦めるつもりはなかった。

(私をここまで本気にさせたのだから、逃すつもりはないわよ。覚悟して置きなさい。太老)

【Side out】





【Side:太老】

「あのな……劉備さん」
「御主人様、劉備じゃなくて桃香だよ。ちゃんと真名で呼んで欲しいな……」

 捨てられた子犬のような目でお願いしてくる劉備……いや桃香。

「うっ……桃香。そんなに気軽に真名を預けていいのか? 後、御主人様って言うのも出来ればやめて欲しいんだけど……」
「御主人様は御主人様でしょ? それに私達を助けてくれた恩人に真名を預けるのは当然だよ」

 朝っぱらから、何がなんだかさっぱり分からん状況に陥っていた。
 この天然娘は全く悪気がない様子で、柔らかく大きく自己主張する豊満な胸を俺の腕に押しつけてくる。

(お、俺はどうすれば……)

 桃香は華琳とは違った意味で美少女だ。
 腰元にまで届く艶やかな赤茶色の髪。女の子を意識させる甘い香りと柔らかな身体。相手に対して強い不快感を与えない愛くるしい人懐っこさと押しの強さは、桃香の人となりを妙実に表している。後の世で、徳を持って政治を為すと言われる劉玄徳。英傑と呼ばれる者達が群雄割拠する乱世の時代に置いて、希有な優しさと魅力を持った女の子である事は確かだった。

「華琳まで、どうしたんだよ……」
「何よ。私が隣に居たら、不服だとでも言うの?」
「そう言う訳じゃないけど……これじゃあ、会議が進まないだろう?」

 何を張り合っているのか、桃香の反対側、俺の右隣に陣取って腕を組んで放そうとしない華琳。
 その所為で先程から会議に参加している文官・武官達の目と、荀イクの殺気の混じった視線に俺は晒されていた。
 恥ずかしいと言うのもあるが、全然生きた心地がしない。やはり、昨日の桃香との話し合いで何かあったと見るべきか。
 あの場の抑え役を依頼した秋蘭に視線を向けるが、『諦めてくれ』と言わんばかりの視線を俺に返してきた。
 俺一人でこの状況を何とかするのは、余りに難易度が高すぎる。

「だそうよ。劉備、少しは遠慮なさい」
「曹操さんこそ。御主人様が困ってるじゃないですか」

 俺を間に挟んで一触即発を言ったところだ。
 痛い。頼む誰か助けてくれ、と視線を送るが全員が視線を逸らしやがった。何て薄情者ばかりなんだ。

「……さっきから御主人様、ってどう言うつもり?」
「言葉通りの意味ですよ。一度目は愛紗ちゃんや皆の事を助けてもらって、二度目も困っているところを庇ってもらって、この人しか居ないって思ったんです。私達の御主人様になってくれるのは」
「それは私に降るという事?」
「どうしてそうなるんですか? 御主人様は曹操さんの臣下ではなく協力者だって聞いてますよ?」

 要約すると皆を助けてくれた恩人である俺に桃香は好意を寄せてくれていて、華琳はそんな桃香が気に入らなくて張り合っていると。
 桃香にしてみれば『御主人様』という言葉も恩人に対しての敬意のようなもので、恩返しのつもりなのだと思う。
 だが桃香とそりの合わない華琳にしてみれば、そんな桃香の行動が気に食わない。

(はあ……華琳って独占欲がこれで結構強いからな)

 俺に結婚を迫ってきたのも、覇業という目的のためだと分かっている。
 当然だが、俺……というか商会を手放すつもりはないだろうし、ぽっと出の桃香に自分の物を持って行かれるみたいな、変な危機感を抱いているのかもしれない。
 桃香にはそんな思惑はないのかもしれないが、華琳からしてみれば黙認できる行動ではないのだろう。
 なら、どうするべきか。この場合、俺の経験上、どちらの味方をするのも得策ではない。

「なら、私が御主人様と呼んでも問題ありませんよね」
「だから、なんでそうなるのよ! その自己主張の強い胸に栄養を取られて、ちょっと頭が足りてないんじゃないの?」
「うっ……酷い。曹操さんこそ、そんなのだから背と胸が小さいんですよ」
「なっ、背と胸は関係ないでしょ!」
「ありますよ。包容力って大切だと思います。胸が小さいから曹操さんは心が狭くって、意地悪ばっかりするんです」
「フフフフッ、良い度胸ね。劉備」

 ああ、やばい。華琳が今にもキレそうだ。お前等、ちょっとは家臣として二人を止めようとしてくれ。
 俺ばかりに任せるのは酷いと思うのだが……うわ、最悪だ。全員、また目を逸らしやがった。
 クッ、仕方が無い。ここは俺がなんとかしなくては会議どころか、ここが戦場になりそうだ。

「二人ともちょっと……いいかな」
『何?』

 一斉に二人の視線がこちらへと向けられ、その迫力に思わず身体が仰け反る。
 だが、言うべきところはちゃんと言っておかないと、後々面倒な事になりそうだ。
 俺は心を鬼にして桃香の方を見た。

「悪いんだけど桃香。俺は君達の御主人様にはなれない」
「うっ……それは曹操さんの方がいいから?」
「いや、華琳とも極普通に友達なんだけど……」

 まずは正論を諭し、桃香の理解を得る事にした。華琳は頭が良いので桃香さえなんとかしてしまえば、理解を得るのは早いはずだ。
 いや、桃香の頭が悪いとか言ってるんじゃないぞ?

 それに華琳と主従関係にある訳ではない。
 桃香は何か勘違いしているようだが、華琳が俺の事を『御主人様』なんて呼ぶところを全く想像できない。
 逆ならありそうだが、俺にそっちの気はないしな。うん、絶対に無いと言い切れる。

「……それじゃあ、友達からならいいよね」
「まあ、それなら……」
「うん。御主人様、これからよろしくね」
「ああ、うん。よろしく?」

 ってアレ? はっきりと告げたのに、何か予想していたのと違う。
 呼び方がさっきと全く変わっていないし、華琳は呆れた様子で俺の方をジッと見ている。
 一方、桃香の中では何だかもう結論が出ているようで、ニコニコと満面の笑顔を浮かべている。
 話が噛み合っているようで噛み合っていないような、不思議な展開だ。

「……よかったわね。可愛いお友達≠ェ出来て」

 華琳の刺々しい言葉が物凄く痛かった。
 華琳の怒りの矛先が桃香から俺へと向き、その後、華琳のご機嫌を取るのに時間が掛かり、会議は大幅な遅れを余儀なくされた。
 更には何故か全員から『お前が悪い』と色々言われ、世の中の不条理さを味わった気がした。

「ふむ、御主人様か。太老殿なら悪くないな」
「ご、御主人様! 腹ごなしに手合わせをしないか?」
「……御主人様。補給の件で少し話があるのですが……クッ! なんでこんな奴を」

 この後丸一日、華琳の命令で秋蘭、春蘭、荀イクの三人に『御主人様』と呼ばれ続ける事になる。
 どうにか桃香を説得して元通り『太老さん』で勘弁してもらう事に成功し、ようやく『御主人様』地獄から脱出を果たすが、この事件は俺の心に深い傷跡を残す事となった。

 桃香と華琳。あの二人、やっぱり似た者同士だ。

 ――俺、悪くないよね?

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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