【Side:干吉】
「まさか……あんな方法で太平要術の洗脳を解いてしまうとは」
水晶球から覗いた戦場の光景を、唖然とした表情で私は見ている事しか出来なかった。
張三姉妹の近くに卑弥呼と華佗の姿が見える。恐らくはあの二人の入れ知恵なのだろうが、
「正木太老……侮っていたのは私の方だったようですね」
――ギリッ!
血が滲むほどに強く唇を噛み締めた。正木太老が得体の知れない介入者である事が分かっていたつもりでも、所詮は人間と侮っていたところが私の中にもあったのは事実だ。
管理者の側に立つ私達に、舞台の登場人物である彼等が敵うはずもない、と。その油断と慢心をつかれた。
私の行動を嘲笑うかのように、あの男は私の先の先を行く一手を打ってきたのだ。
『俺を排除しにきたとか?』
その言葉を思い出し、ハッと私はある事に気付く。
――何故、彼は自分を排除しにきたのだと思ったのだ?
――自分に差し向けられた暗殺者だと思った?
いや、違う。あれは私を試した言葉だ。彼は知っているのだ。私達の事を――
どこまで詳しく知っているのかは分からないが、少なくとも私が管理の側に立つ人間だと理解している。
バラバラだったパズルが一つのカタチへと収まっていく。そう考えれば、合点のいく事が幾つもあった。
「ならば、彼の目的は……それに彼の正体は?」
貂蝉や卑弥呼のように、この外史に送り込まれた私達と対立する側の存在?
いや、しかし私も左慈も、彼のような存在が居るなどと話にも聞いた事がない。
老人達の差し金かとも思ったが、彼の様子を見ている限り、その線も低いと言わざるを得ない。
「フンッ、偉そうに言っていた割には随分と手酷くやられたようだな」
「左慈……」
面白くないといった様子で悪態を吐きながら私の前に現れる左慈。
私達の目的を考えれば、彼の怒りは尤もだ。全てを見抜かれていたかのように先手を打たれ、私は失敗した。
だが、それは言い訳にしかならない。左慈からしてみれば、私は策に溺れ失敗した道化に思われても仕方が無い。
「太平要術の件はどうなった?」
「ダメです。書の再生は完了しましたが、蒐集した妖力は殆ど失われてしまいました。これでは計画の遂行もままならないでしょう」
あの書は、この世界の鍵となる物の一つ。灰になったからと言って、完全に失われる訳ではない。
ただ一度原型を留めないほど失われてしまうと、再生と同時に苦労して集めた妖力の大半を失ってしまうのが難点だった。
私達の目的は黄巾の乱を引き起こす事その物よりも、その騒ぎを利用して太平要術に妖力を集めさせる事にあった。
そのために数十万という人々を利用し、その者達の欲望や心の叫びを太平要術に吸わせ、妖力の糧としていたのだ。
全ては計画のために、どうしても必要な事だった。だが、それも正木太老の所為で全てが台無しにされてしまった。
「どうするつもりだ?」
「集め直すしかないでしょうね。一応、あてはあります。計画に多少の遅れは出ますが、この際仕方が無いでしょう」
「……もう、失敗は許されないぞ。俺達は後戻りが出来ないところまで来ている」
「心得ていますよ」
今回はしてやられたが、一つだけこちらにも収穫があった。あの男の正体に関する足掛かりだ。
正木太老は私達の事を知っている。それが分かっただけでも、これからの方針を決める上で大いに役に立つ。
少なくとも、私にもう油断はない。油断の成らない相手だという事は、今回の件で嫌と言うほど身にしみた。
(恐らくは、アレも警告だったのでしょうね)
本当に嫌な男だ。しかしだからといって私達が計画を中断し、彼の忠告に大人しく従う理由はなかった。
それに左慈の言うように、もはや私達は後戻りが出来ない。
私達のやろうとしている事は、貂蝉や卑弥呼だけでなく私達と立場を同じくする老人達≠フ思惑にも反する行いだからだ。
「それで左慈。あなたの方はどうでした? 老人達の小言を聞いてきたのでしょう?」
「……無理だった」
「……はい?」
「管理側への道が寸断されている。俺達はこの外史という檻に閉じ込められてしまった籠の鳥と言う訳だ」
「老人達の仕業? いや、それにしては……」
左慈の話を聞いて、私は思案する。老人達が動いたのか、と考えたがそれにしては行動が早すぎる。
ましてや、行動を起こす前から露見したとは考え難い。ならば、何が起こっているのか?
そこでもまた、あの男の名前が頭に思い浮かんだ。
正木太老――全てはあの男が介入した事によって生まれたイレギュラーばかり。
全ての原因の中心に、あの男の存在がある事だけは間違いなかった。
「どうするつもりだ? また、物語に介入するのか?」
「暫くは様子を見ましょう。事前に手は打っておきました。人形達の方で勝手に争ってくれるでしょう」
「チッ!」
自分の出番が無いと知り、不機嫌を顕わにする左慈。
「まだ、不確定要素に直接関わるべきではありません。左慈、あなたには別の鍵を集めてもらいます」
「……分かった。だが、干吉。貴様も、もう失敗は許されないぞ」
「……分かっていますよ」
そう言い残し、姿を消す左慈。彼が居なくなった事を確認すると、私は小さくため息を漏らした。
次から次へと起こるアクシデント。思うように進まない計画に苛立ちを感じているのは左慈ばかりではない。
これも安定を求める世界の意思なのか、それともあの男が世界に与えた影響の所為なのか、今は分からない。
それでも、私達は立ち止まる訳にはいかなった。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第29話『天然の怖さ』
作者 193
【Side:太老】
荀イクの機嫌が悪かった。いや、正確には軍師全員の機嫌が余りよろしくない。
「今回の事でよぉぉく分かったわ。別働隊なら少しは使えると思った私の考えが甘かったって!」
「……そうですね。まさか千にも満たない兵で奇襲を成功させたばかりか、敵城をあんな方法で跡形もなく吹き飛ばすなんて、誰にも予想がつかないと思います」
「あわわ、皆さん落ち着いてください! 太老様は変態……いえ、私達の常識では量れない天の御方なのですから、寧ろこのくらいで済んでよかったと思いますよ!」
荀イク、朱里に言葉責めされてへこんでいるところに、雛里のフォローにも成っていないフォローで更に俺は落ち込んだ。
張三姉妹の歌声で洗脳の解けた黄巾党は即座に投降の意思を示し、この長かった戦いにあっさりと終止符が打たれた。
そこまではよかったのだが、馬元義を始めとする黄巾党の主犯格と思しき指揮官の連中が、俺達の奇襲に巻き込まれて全員戦死していた事が痛かった。
結果、黄巾党の本隊にトドメを刺したのは天の御遣いという話になり、真桜が派手に爆撃なんてする物だから城は木っ端微塵になってしまい、その惨状を見た諸侯に恐れられると同時に、俺達がやったという決定的な証拠となった訳だ。
どういう事かというと、諸侯が一番欲しがっていた名声と言う名の物を、俺が横から掠め取ったという事に他ならなかった。
彼女達が怒るのも無理はない。
特に荀イクからしてみれば、華琳に手柄を立ててもらおうと色々と考えての策だったはずなのに、それを俺というイレギュラーの所為で台無しにされてしまったのだ。
その怒りや、先程の荀イクを見れば分かると思う。推して知るべし、とだけ言って置く。
「桂花。そのくらいにしておきなさい」
「ですが、華琳様!」
「これは太老の力を過小評価していた私の失態よ。それに被害を最小限に抑え、結果を出す事が出来たのだから、これはこれでよかったのよ」
「……はい」
華琳に助けてもらえるとは思っていなかったので驚いたが、ほっと胸を撫で下ろす。
しかし、その後直ぐに『アンタ、覚えてなさいよ!』と言わんばかりの視線で睨み付けてくる荀イクを見て、嫌な汗を流した。
「朱里ちゃんも御主人様≠虐めたら可哀想だよ」
「はわわ、わ、私はそんなつもりじゃ……」
「結果的にはみんな助かったんだから、これで良かったんだよ」
「ですが、桃香様。朱里だけでなく、些か私も納得が行かないと申しますか……」
「鈴々も気合いを入れてきたのに消化不良なのだ」
さり気なく、桃香の呼び方が『御主人様』に戻ってないか?
責められても仕方が無いと思っているところに、華琳と同じように助け船をだしてくれる桃香。
だが、朱里は勿論の事、特に愛紗と鈴々は納得の行っていない様子で不満を顕わにしていた。
いざ、気合いを入れて敵の本陣に乗り込んでみれば、全て終わった後でした。では、確かに消化不良も良いところだろう。
特に彼女達は立場的に考えても、一番名声を欲していたはずだ。この戦いの結果次第では、朝廷からの報奨も期待できたはずだったのだから、不満の一つも言いたくなるという物だろう。
俺はその可能性を摘み取ってしまったのだから、恨まれても仕方の無い事だと諦めていた。
しかし、桃香の考えはそんな俺の予想の斜め上を行っていた。
「大丈夫。心配しなくても、御主人様が私達の面倒を見てくれるから」
『へ?』
桃香の予想外の発言に、よく分かっていないといった様子の鈴々以外の全員が、驚いた様子で頭に疑問符を浮かべる。
しかし口にした本人は、さも当然と言った様子でニコニコと笑顔を崩す事はなかった。
「ちょっと待ちなさい、劉備! 一体、どう言うつもり!?」
「どう言うつもりも何も、そのままの意味ですよ? 戦いが終われば義勇軍である私達に行き場はありませんし、だから御主人様にここに居る全員を雇ってもらおうと思っただけです。兵士さん達もその方が良いって快く了承してくれましたし」
「――なっ!?」
桃香の説明に言葉を失う華琳。その表情は絶句しているといった様子だ。
一を聞いて十を知る。華琳には桃香が何を企んでいるのか、それだけで全て分かったに違いなかった。
これまで賊を討伐してその賊から奪った物資や、助けた街や村からの援助でどうにか組織を維持してきた彼女達からすれば、この戦いに終止符が打たれるという事は、それら全てを失いかねない大問題だ。
朝廷から満足な報奨を得られなかった場合、桃香達は本当の意味で行き場失う事になる。
拠点を持たず、補給もままならない現状では、自ずと彼女達の行き着く先は義勇軍の解体か、賊に身を落とすかのどちらかしかない。大義名分を失った義勇軍など、武装した盗賊や山賊と大差が無いからだ。
本人達にその気がなくとも今までのような行いをしていれば、今度は彼女達を対象に討伐命令が下る恐れがある。
「戦いが終わったと言っても、脅威が完全に無くなった訳じゃないですよね。残党の処理などが残っている以上、どうしても兵力は必要になる。曹操さんは今回の成果で領地を拡大させるでしょうから、御主人様の自警団も今の数では手が回らなくなるんじゃないですか?」
「くっ……」
桃香の言っている事は尤もだ。華琳もその事が分かっているからこそ、反論できないでいた。
俺は華琳の協力者という扱いになっている。となれば、俺の行った成果の全てとは行かないまでも、華琳には当然ながら朝廷からの報奨が支払われる事になる。
それに張三姉妹はうちの商会に所属する人間だが、その策を持って被害を最小限に抑え騒ぎを鎮めた華琳の名は否応でも高まるはずだ。
特に朝廷からすれば、一商会の義勇軍の活躍で騒ぎが鎮められたとするよりは、そこに諸侯の名を挙げた方がずっと体裁が良いに決まっている。
華琳の性格からしてそんな状況を喜びはしないだろうが、統治能力の無さを浮き彫りにしたからと言って、まだ朝廷の命令に表だって逆らうような愚行は決してしないだろう。
現実的な考え方が出来るからこそ、例え他人の尻馬に乗ったような状況であろうと、華琳は素直に朝廷からの報奨を受けるはずだ。
少なくとも名は別として、実を得る事には成功しているのだから、完全な失敗とは言えない。
予想では以前に華琳が言っていたように、幾ばくかの領地と官位が与えられる物と考えていい。
桃香が言っているのは、そういう事だ。一番、華琳にとって言って欲しくない。それでいて、反論しづらい点を的確についてきていた。
「御主人様。私達の提案を受けてくれますよね?」
「うっ……」
俺も、彼女達には悪い事をしたという負い目がある。それに、これからの事を考えると自警団の拡張は必要不可欠だ。
桃香のところの兵士は、質、量ともに申し分無いし実戦経験も豊富。鍛え直せば、それなりに使えるようになる逸材ばかりだ。
更には朱里という名軍師を抱え、愛紗と鈴々という一騎当千の猛将を有している彼女達の協力があれば、確かにそれらの問題は一気に解決する。
少なくとも、団員の増強や華琳のところの兵士の調練が済むまで彼女達の協力を得られれば、目先の問題は解決したも同然と言えた。
(……意外と抜け目がないな)
それに桃香達にとっても、これは悪い話ではない。補給の問題が一気に解決されるばかりか、上手く行けば力を蓄える事にも役立つ一石二鳥の策だ。
うちの訓練を受けさせる事で兵士の力の底上げと、商会の知識と技術の両方を取り込む事も考慮しているに違いない。
ほわわんとしている癖に、二癖も三癖もある桃香の手腕に俺は驚きを隠せなかった。
これを天然ではなく狙ってやっているのだとしたら、とんでもない智謀の持ち主だ。
いや、とても策謀を巡らせるような人物には見えないし、天然の方が正しいと思う。
どちらかと言うと『困っている時は皆で助け合う』みたいな考えの方が先にあるのだろう。
結果的に自分にプラスの方向に働くように流れを操作しているのだから、それはそれで厄介な人物だと俺は桃香の事を評価した。
俺がその事に気付けたのも、こうした人物を何人か知っているからだ。
「…………」
華琳の方をチラリと盗み見るが、明らかに不機嫌そうなオーラを発し、俺を睨み付けていた。
出来る事なら桃香の申し出を拒否したいが、ここで桃香達を放り出すのも正直気が引ける。
しかも、俺は俺で商会の代表として事前に取れる手段があるのであれば、商会の皆のために決断しなくてはならない立場にある。
「はあ……分かった。その申し出を受けるよ。でも、なんで『御主人様』に戻ってるの?」
「え? これから私達の雇用主になる人の事を『御主人様』って呼ぶのは自然でしょ?」
何を当たり前の事を言ってるの? といった様子で首を傾げる桃香。
せめて『御主人様』はやめて欲しかったのだが、この様子だと何を言っても徒労に終わりそうだった。
「……よかったわね。可愛らしい部下が出来て」
「か、華琳様! ちょっとアンタ! 後で覚えてなさいよ!」
頬を引き攣らせ、無言の圧力を俺に浴びせた後、その場を去っていく華琳。
その後に追従するように捨て台詞を残して去っていく荀イクの背中を、俺はただ静かに見送る事しか出来なかった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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