【Side:桃香】

「――と成る訳です」

 先生の説明と共に黒板に記されていく摩訶不思議な文字と数字の数々。私、劉玄徳こと桃香は嘗て無いほどの難関に直面していた。
 愛紗ちゃんと鈴々ちゃんは、兵士の皆と一緒に商会の自警団に組み込まれ、訓練と任務の毎日。
 朱里ちゃんは、知識と事務処理能力を買われて商会の総務局という部署に回され、大量の書類に囲まれて過ごしているという話だ。
 そして私は何をしているかと言うと、商会の経営する『学校』という場所で勉強の毎日を送っていた。

『桃香様は、私達の分まで天の知識と技術を学んできてください』

 と、愛紗ちゃんと朱里ちゃんは言ってくれたが、事実上の戦力外通告を言い渡されたのと同じだ。
 何か手伝える事は無いかと思った私だったが、愛紗ちゃんや鈴々ちゃんのように力が強い訳でも武に優れている訳でもない。
 かと言って、朱里ちゃんのように博識な訳でも頭が良い訳でもなく、それでいて物凄く不器用だと自認している。
 結果、鈴々ちゃんは勉強が嫌で逃げ出し、愛紗ちゃんと朱里ちゃんからは『桃香様は将来のために勉強してください』などと言って何も手伝わせてくれなかった。

 だからと言って、皆を責める事は出来ない。私がどうしようもないくらい役立たずなのは、自覚しているからだ。
 ならせめて、皆の言うように今は沢山勉強して、いつか皆の役に立てるように頑張ろう、と思ったのも束の間。
 正直な話、勉強に全くついて行けていなかった。

「来週は試験をします。ここまでの範囲を復習して置いてください」
『ええ――っ!』

 まさに死刑宣告とも言える先生の言葉に反応して、皆の悲鳴にも似た絶望の声が教室に響く。その中には、当然私の声も混じっていた。
 試験……とてもでじゃないけど、今の私の学力では合格する事は難しい。赤点を取る事は必至だ。
 しかし、朱里ちゃんや愛紗ちゃんに『大丈夫! 私、頑張るよ!』などと胸を張って言ってしまった手前、『やっぱり駄目でした』なんて言えるはずもなかった。

 こんな事なら見栄を張らずに、最初から子供教室≠フ方に通っておけばよかったと後悔するが、それも既に手後れだ。
 学校の教室は子供から大人までを対象に幾つかの段階に分けられている。
 私が今通っている教室は、城勤めの文官や元々私塾などに通っていた経験のある人が対象となっていた。
 まだ上があるらしいのだが、そちらは研究者や技術者と言った専門職の人達を対象とした教室で、資格試験を受けて合格した人だけが通う事が許されている特別教室だ。
 別名『研究室』とも言われている凄いところだ。そこを卒業すると商会の『技術開発局』で働く事も可能らしい。

(結構、自信があったんだけどな……)

 私自身、元々は都の盧植(ろしょく)先生のところで学問を学び、ちゃんと卒業の資格を頂いた経歴を持つ。
 そして先生から、『将来有望』とまで言われたくらい優秀な生徒だった……はずだ。
 だから、きっと大丈夫と思っていた。この教室を迷わずに選んだのも、その経験と自信があったからだ。それがここにきて、その自信は大きく揺らぐ結果となった。
 自分が如何に井の中の蛙だったのかを思い知らされる。
 それどころか、嘗て勉強した事すら殆ど忘れ掛けている自分の馬鹿さ加減には、ほとほと呆れ果てているくらいだった。

「試験か〜、桃香は大丈夫そう?」
「……全然。小蓮ちゃんは?」
「……訊かなくても分かるでしょう?」
『はあ……』

 二人して盛大なため息を吐く。私の隣に座って、同じようにため息を漏らしている女の子は小蓮ちゃん。
 天の知識と技術を学ぶために遠路はるばる河南からやってきたらしく、席が隣同士になった事もあって学校で初めて出来た友達だった。
 こうして同じ教室で席を寄せ合い勉強する仲間のよしみで、いつの間にか真名を呼び合う仲になっていた。

「このまま不合格だったら、どうなるのかな?」
「噂では教室替えをされるらしいわ。子供教室からやり直しを言い渡された人も居るって」
「うっ……それは嫌だね」

 本当に死活問題だ。ここで不合格なんて結果になれば、教室を変えられる可能性だってある。
 そうなったら、小蓮ちゃんの言うように本当に子供教室に落とされても不思議では無い。
 私としては、そんな恥ずかしい結果は出来る事なら避けたかった。

「こうなったら特訓あるのみね!」
「……特訓?」
「そう、勉強の猛特訓! ここは協力しない?」

 そう言って手を差し出す小蓮ちゃんの言葉に少し考えるも、私には選択肢が無かった。
 色々と考えた末、小蓮ちゃんの提案を呑み、手を取って頷く私。
 試験に合格するため、子供教室を回避するために、こうして私達の試験勉強と言う名の猛特訓が始まった。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第33話『金色の悪魔』
作者 193






【Side:小蓮】

 太老の役に立てるように頑張ると決め、陳留にきて早一ヶ月半。肝心の勉強の方は思ったよりも捗っていなかった。
 江東に居た頃は、姉様達の言い付けで呉に古くから仕えてくれている忠臣『張昭(ちょうしょう)』に勉強を見てもらって学問を学んでいたから、きっと大丈夫だと思っていた。
 でも、その希望は簡単に潰えてしまった。

 確かに真面目な生徒では無かったけど、それでも幼い頃から続けてきた学問があれば、何とかついて行けると思っていたのだ。
 でも、ここのレベルはそんな領域を遥かに超えていた。
 考えて見れば、現役の軍師や文官達が学びに来るほどなのだ。私達くらいの段階でついて行けるほど甘い世界ではなかった。

 だからと言って、教室を変えるのは正直負けた気がして嫌だった。
 太老のために頑張ると決めた私の気持ちは、この程度で駄目になるほど柔な物では無いはずだ。
 孫呉の女は受けた恩を忘れない。太老から受けた恩を返すまでは、何も出来ずに呉に帰るなんて真似が出来るはずもなかった。
 幸いにも、同じくらいの知力の仲間(桃香)が私には居る。一人の力では難しくても、二人居ればきっと――

「……桃香。ここなんだけど、分かる?」
「……ごめん。小蓮ちゃん、ここはどうするの?」

 と、思っていた時期が私にもあった。しかし、実際にはこの繰り返し。
 頭の出来が悪い二人が集まったところで、馬鹿は所詮馬鹿でしかないと思い知らされた気分だった。
 もっと真面目に勉強して置けば良かった、と思っても後の祭りだ。

「ああっ! もう、こんなのじゃ駄目よ!」
「でも、それだったらどうするの?」
「教師役が居なかったら、私達に分からないところが分かる訳ないじゃない!」

 そう、勉強を教えてくれる人が必要だ。
 天の知識と技術に詳しくて頭が良くて、お馬鹿な私達にも分かり易く教えてくれそうな人を探さないと。
 もはや、ちっぽけな矜持など捨て去っていた。頭を下げて試験に合格できるのであれば、そのくらい安い物だ。
 まずは目の前の現実をどうにかしない事には、『太老に相応しい女になる』という以前の問題だった。

「そうだ! 最適な教師が居るじゃない!」

 私が思いついた教師役。それは思いつく限りで、一人しか居なかった。

【Side out】





【Side:太老】

「それで、俺に勉強を見て欲しいと……」
『はい! よろしくお願いします!』

 俺の部屋にやってくるなり、床に頭を擦りつけるくらいの勢いで土下座をして頼み込む、シャオと桃香の二人。
 何かと思えば、試験で不合格になれば教室替えされそうなので勉強を見て欲しい、とそれだけだった。
 まあ、確かに勉強を見るくらいは造作もない。しかし、俺にも仕事がある。
 自重無し宣言から一ヶ月。多少マシになったとは言っても、それでもかなりの仕事量をこなしていた。

「えっと、素直に子供教室からやり直せば?」
「そんな事になったら、明命から姉様に報告がいくじゃない!」
「駄目だよ! 私だって、朱里ちゃんや愛紗ちゃんに怒られる!」

 そっちが本音か……。まあ、保護者が怖い気持ちは分からないでもない。
 シャオにしてみれば、姉二人に報告されるのが一番怖いに決まっている。明命は護衛の役目を担っているが、同時にシャオのお目付役でもあるのだ。赤点を取って教室を落とされたとなったら、まず間違い無く呉に連絡が行くはずだ。
 桃香も、頑固一徹オヤジといった様子の厳しい保護者と、可愛い面を見せながらも言う時はズバッと厳しい事をいう参謀が後に控えている。
 口でその二人に勝てる訳もなく、現状で言えば立場に置いても桃香はあの二人に頭が上がらない。主君のはずなのに家臣に養ってもらっている立場なのだから肩身が狭い事この上ないはずだ。
 せめて勉強くらいは、と思っていたのかも知れないが、その結果がこれじゃあ……確かに焦りもするだろう。

「はあ……分かったよ」
『本当!?』

 目を輝かせて、俺に迫ってくる二人。余程、追い詰められていたのだろう。
 殆ど自業自得だとは思うが、シャオは呉のため、桃香は皆のため、と頑張っているのは分かるので少しくらい協力してやってもいいか、と思った。
 その上で試験に落ちるようなら、もう責任は持てないが後は本人の努力次第だ。

「それで、何処が分からないんだ?」
「……ここから、ここまで?」
「……私も同じくらい」

 シャオと桃香の二人が教科書を出して俺に見せた範囲は、殆ど全部と言って良いほど最悪なモノだった。
 試験まで残り五日。とてもじゃないが、この惨状を目の当たりにすると試験までに間に合うように思えない。

「全部じゃねぇーか!」
「全部じゃない! シャオ達、そこまで馬鹿じゃないよ!」
「そうだよ! 少しは分かるもん! こことか!」

 そう言って二人が指差したのは、子供教室に通っている子供達でも分かりそうな簡単な算術問題だった。
 現実は俺の予想を通り越して、非常に厳しいものだったらしい。

「そう言うのは分かるって言わん!」

 とてもではないが、俺の手に負える状況ではない。
 五日で試験に合格できるラインにまで二人の学力を引き上げる。それは至難の業だ。
 ここは強力な助っ人≠ェ必要だと俺は考えた。



 で、その助っ人として呼んだのが――

「……太老。私も暇じゃないんだけど?」
「いや、本当に頼むよ。俺だけじゃ、この二人に教えるのは無理!」

 荀イク達軍師や文官は忙しく動き回っている所為で捕まらなくて、暇そうにしていたと言う訳ではないが比較的簡単に捕まったのが華琳だった。
 お馬鹿二人組に勉強を教えるのであれば、それなりに頭が良くて教えるのに適した教師役が必要だ。
 華琳はその点大丈夫そうだし、真桜曰く『他に類を見ないくらい優秀な生徒』という評価を聞いている。
 呑み込みが無茶苦茶早いばかりか、それを教えるのも天才的に上手いというのだから、まさに完璧超人だった。

「あの……太老。出来れば、シャオ達は太老に教えて欲しいなって……」
「うんうん。御主人様の方が、私もいい!」

 不機嫌そうな華琳を見て危険を感じ取ったのか、必死にそう訴えるシャオと桃香の二人。
 だが、その態度がいけなかったようだ。面倒臭そうにしていた華琳の態度が急変した。
 獲物を捕食した猛獣のように、ジロリと思わず畏縮してしまうほどの覇気を纏って二人を睨み付ける華琳。
 小さく『ひぃっ!』という悲鳴を上げて、二人は身を寄せ合って震えていた。

「そう、そんなに私と勉強するのが嫌なの……」
「いやって訳じゃ無くて……その、太守様≠ヘ政務で忙しいんじゃないかな、って……」
「うん! 私達の事で迷惑を掛けて、曹操さん≠ノ無理させちゃ駄目だもんね!」

 普段、『曹操』と呼び捨てにしている癖に『太守様』に変わっているシャオ。
 桃香は呼び方こそ変わっていないものの、明らかに怯えている様子が窺える。
 そんな二人を見て、華琳の口元がニヤリと一瞬歪んだのを俺は見た。

「いいわ。二人の勉強を見てあげる。太老に一つくらい、借りを返しておかないとね。太老、あなたはいいわよ。二人の勉強は私が責任を持ってみさせてもらうわ」
「え? いいの?」
「ええ。この二人は、あなたへの甘え≠ェあるみたいだしね」

 二人にとっては死刑宣告にも等しい華琳の一言だった。ようは、勉強の邪魔になるから俺に出て行け、と華琳はそう言っているのだ。
 俺に助けを求めるように目で訴えてくる二人。だが、勉強を見て欲しいと頼んできたのはその二人だ。
 自業自得で危機的状況を招き、その尻拭いに適任とも言える教師役を連れてきてやったのだから、これ以上危険に足を突っ込んでまで二人を庇ってやる理由は俺には無い。
 俺もこの状態に入った華琳が怖いので、出来る事なら関わりたくないと言うのが本音だった。

「頑張れよ、二人とも。合格できるように影ながら応援してるから!」

 助けを求める声が聞こえたような気がするが、俺はそれ以上は何も言わず部屋を後にした。



 それから一週間後。二人が試験に無事合格したという話を聞かされる。
 だが合格と引き替えに、しばらく二人は『金色の悪魔』の夢にうなされる事となったらしい。
 結果、これまで以上に真面目に勉強に取り組むようになった二人の姿があったとか。

(華琳の奴、一体何をしたんだ?)

 それを知る者は居ない。華琳と、当事者である二人の少女を除いて――

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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