【Side:太老】

 ここは渤海(ぼっかい)に面した青州のとある漁港。張三姉妹と合流する予定となっている街だ。
 青州は東端を海に突き出した半島になっており、現代で言うところの中国の山東省に位置する場所にある。
 東側を黄海(こうかい)、北側を渤海と呼ばれる陸に囲まれた内海と面していて、俺達が今居る漁業が盛んなのが北側の渤海と言う訳だ。
 その中でも比較的大きな漁港がある街。現在、商会の支部があり最も開発の進んでいる街がここだ。
 現在この街には近隣の村や街からも張三姉妹の歌が目当てで人が集まってきているらしく、お祭りさながらの賑わいを見せていた。

「待ってたで! 局長!」
「……真桜。何で、お前がここに居るんだ?」

 そんな中、技術開発局の仕事で忙しいはずの真桜が、五十名ほどの技師と一緒に俺達の到着を待っていた。
 張三姉妹の舞台は夜という話なので、華琳、季衣、荀イクを入れた俺達四人は、先に予定していた塩田と漁港の視察を済ませてしまおうと港に顔を出したのだ。

「仕事に決まっとるやろ?」
「仕事って……その格好でか?」

 そう、真桜が着用しているのは水着だった。
 普段の格好も水着か下着か区別の付かないような代物だが、はっきりと水着と分かる虎柄のビキニを今日は身に着けていた。
 大体、他の連中も海パンを履いて『海』に遊びにきたって格好をしている上に、彼達の後に見える浮き輪やらパラソルやらを見ると仕事と言われても全く説得力が無い。公私混同甚だしいとはこの事だ。

「海、言うたらこれしかないやろ? それにちゃんと仕事はしてるで」

 そういう真桜の指差す先には、明らかに他に停泊している漁船とはカタチからして違う一隻の船の姿が見えた。
 三国志で登場する船と言えば、楼船を始めとした『ジャンク』と呼ばれる竜骨の無い底が平べったい木造帆船が有名だ。
 ガレー船のように船の背骨とも言える竜骨が無ければどうしても耐久性に問題が残るが、この時代の漁業と言えば比較的、波の穏やかな近海や河川での漁を対象としているため、遠海に出るような機会は殆どと言って良いほどない。外洋にさえ出なければ、必要十分な条件を満たした船と言えた。
 日本では『唐船』と呼ばれ、古くから東アジアでは蒸気船が登場するまで活躍した船舶様式の一つだ。
 しかし、その殆どは軍船に限った話で、地方の漁師が使っているような物は『丸木舟』と呼ばれる一本の巨木から彫りだした小舟が主流だった。
 ここは青州にある港町の中でも特別大きな漁港だが、それでも大きな船といえば板で小舟を繋ぎ合わせただけの楼船とすら呼べないような不格好なカタチの船が数隻あるだけだ。
 造船技術の問題もあるが、一介の商人や庶民には大きな船を建造するだけの資金が集められない事も理由として大きかった。

 だが、漁業を活性化させるのであれば、やはり丸木船では不十分だ。安全面から考えても、板で繋ぎ合わせただけのような船では危険だ。
 大型船とまでは言わないまでも、最低でも何隻かのまともな船を揃えない事には、予定している漁獲量にも大きな影響がでる。
 ならばと、ガレー船のような竜骨を備えた大型船を知識だけで設備や技術を無視して一足飛びで用意する事は難しくても、今ある船の質を向上する事くらいは出来ると考えたのだ。
 楼船自体、百人以上収容が可能な大型船も存在するくらいだ。中には五百人以上を乗せて外洋を旅したジャンク船もあったという話がある。
 俺の持つ知識や技術を用いれば、かなりの性能向上が見込めると考えていたのだが――

「どうや! 動力には電動アシスト式の人力駆動スクリューを装備。外洋航海にも耐えられるように耐波性に優れた耐久性を実現。賊に備えて左右十門の砲台を完備。更には――」
「やり過ぎだ!」

 目の前の船は軍で用いられている大型船に比べれば大きいとは言えないが、五十人くらいなら優に乗れるほどの大きさはあった。
 楼船の弱点とも言うべき機動性、そして耐久性を最大限に向上させ完成させたのが真桜の言う船だった。

 とは言え、砲台まで付けろなんて指示はしていないし、スクリューってなんだ!? スクリューって!

 この時代の船と言えば、風頼りか、オールを用いた物が主流だ。
 それを()を無視して、一気に人力とはいえスクリュー駆動を実現するなんて何を考えてるのか分からない。
 確かに自重無し宣言をしたのは俺だ。だが、ここまでしろとはさすがに言っていない。
 夏侯惇大将軍のロケットパンチ辺りから思っていた事だが、こいつらの自重の無さが最近、度が過ぎてきている気がしてならなかった。

「んで、こっちが船の仕様書。後で塩田の方と合わせて報告書を提出するんで」

 真桜から手渡された船の仕様書を見て、更に頭が痛くなった。一応、俺の注文通りといえば通りなのだが、明らかにオーバースペックだ。
 この時代の船に比べて、耐久性、特に速度に置いてはもはや比較の対象にすらならないレベルの性能だ。
 船の速度向上は、確かに水上ルートを使った交易にも役立つ。船で荷を運べば陸路よりも安全に、より速く沢山の荷を運びだす事が出来るからだ。
 鮮度が命の海産物を運ぶ手段としても大いに役立ち、更には交易に掛かる経費を削減できるという利点もある。だが、さすがにこれは――

「心配ならいらんで。局長の指示通り、現地で人材調達を終わらせて、もう次の造船には取り掛かってる」

 既に量産体制が整いつつある現状を教えられ、俺はその場に突っ伏した。
 駄目だ。俺が何を言っても、こいつ等は止まりそうにない。

「真桜。この船は直ぐに量産が可能なの?」

 そんな中、新しい船に目を付けたのは、やはり華琳だった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第37話『マッドと船と新事業』
作者 193





「ええ。取り敢えず、局長に言われた通り、二十隻ほど用意するつもりですけど」
「なら、費用は私が持つわ。倍、いえ五倍の百隻を用意できないかしら?」

 そりゃ、こんな船を見せられたら眼の色が変わって当たり前だ。
 船をまじまじと観察する真剣な様子からも、もう華琳の眼にはこの船しか映っていない。

「ですが、華琳様。それでは城の予算が……」
「今は決断する時よ。一年、二年先を見越した時、必ずこの船は必要となってくる」

 頑張れ、荀イクと思ったが、あえなく撃沈した。もう、真桜と商談に入っているし、俺の意見など聞き入れてもらえそうにない。
 陸上戦は滅法強い華琳の軍だが、水上戦は土地柄の問題もあって得意とは言えない。
 管輅の占いでもあるまいし、今から『赤壁の戦い』を想定している訳では無いだろうが、華琳が本気で大陸の統一を望むのならば今からそうした事態を想定して準備を進めるのは分からない話ではなかった。

 しかし、少し想像して見て欲しい。
 この船の量産が整えば、幾ら孫策率いる呉の兵士が操船技術に長け水上戦に強かろうが、船の性能差で全くと言って良いほど勝負にならない。

(うん。考えるだけ無駄だな)

 今更、歴史がどうの考えるのはやめた。最初から、おかしくなっているしな。無駄な考えはよそう。
 華琳に協力すると決めたのも、それが平穏への近道だと考えたからだ。
 これでも最初は自重していたんだ。それをやめさせたのは、頭の悪い中央とそれに結託した諸侯達だ。
 誰も本当は戦争なんて望んではいない。庶人のためを思えば、これはこれで理に適っていると考える事にした。
 それに……マッド集団へまっしぐらの技術開発局の連中を止められるとは俺には思えない。これは経験から来る確信のようなものだ。

「太老、あなたにも利はある話だと思うのだけど、どうかしら?」
「一応、俺の意見も聞いてくれるんだな」
「……あなたの商会でしょ?」

 もう、真桜達が関わっている時点で何を言っても無駄と思っていただけに、華琳の提案は嬉しかった。
 華琳の話を要約するとこうだ。
 平時は城の兵士達を漁業や交易船に従事させ、国内の生産力を高める事に集中させる。それで造船に掛かった費用を取り返そうという算段だ。
 それにこれからの事を考え、水上に慣れさせる意味では、そうした船での仕事に従事させるというのは悪い案ではない。
 所謂、水上訓練を兼ねた護衛兼労働力として使ってくれないか、という提案だった。

 華琳の言うように、こちらにも確かにメリットはある。
 戦時には船を押収される事になるが、それは戦時下に置いては商会の船であったとしても同じ事だ。華琳の勢力下で優遇されている現状を考えれば、協力を要請されれば船を差し出さない訳にはいかない。船の貸し渋りをして、国その物が無くなってしまったら意味が無いからだ。
 それならば、確かに最初から造船費用を出してもらった方が良い。
 軍船を平時は貸してくれるというのであれば、ゼロから全て揃えるよりも遥かに導入コストを削減できる。一隻でも船が増えれば、より大きな商売をする事も可能だろう。
 他にも、華琳のところから兵をだしてくれるのなら、商団の警護や治安維持などで不足している自警団の穴埋めにも使える。
 出向扱いとはいえ、兵の給金は華琳持ちなのだから人件費も最低限で済むのは魅力的な提案だった。

「なら、費用は折半にしよう。条件面の交渉は帰ってからって事で」
「……いいわ。それでいきましょう」

 残るは利益の分配と権利の問題だ。
 新規開拓した交易路や造船技術は商会の物だが、造船費用を全て華琳に持ってもらったのでは、こちらの発言権はどうしても弱くなる。
 ここは共同出資というカタチで落ち着かせておくのが一番無難な回答だと考えた。
 それならば、いざと言う時にこちらからも条件を提示しやすい。少し思案した様子だったが、華琳も直ぐに了承してくれた。

 それに華琳も無い袖は振れぬはずだ。現実的な問題を考えれば、共同出資という案は悪い話ではない。
 農耕地の開墾や、風車の設置や街灯整備を始めとした都市計画など、新しく増えた領地の再興と開発に多額の資金が掛かっている。
 そのため華琳は、うちの商会にかなりの借款をしている状況なので、幾ら返すあてがあるとは言っても百隻を超す造船費用は決して安い金額ではない。
 荀イクが華琳の先程の発言に渋い表情を浮かべたのも、そのためだ。

「うう……折角、ニンジンの取り引きで少し余裕が見えてきたのに」

 頭巾(フード)の猫耳が垂れ下がり涙声を浮かべる荀イクを見て、心の中で『ご愁傷様』としか言えなかった。


   ◆


 その後、予定していた塩田の視察までを無事全て終えた俺達は、夜に備えて一休みする事になった。
 船の件で気落ちしていた荀イクも、塩の生産が好調で予想以上の収益が見込めると知ってか、一転して上機嫌に変わっていた。
 ここ最近、益々金に五月蠅くなった気がする荀イクだが、勢力が拡大し組織が大きく成ればそれも仕方の無い事と言える。
 現に、俺も人手は確かに増えているはずなのに、書類整理は減るどころか逆に増えるといった悪循環を味わっていた。

「何で視察先にまで来て、書簡と睨めっこしないといけないんだ?」
「文句を言わないで手を動かす! 全く、なんで私がアンタと二人でこんな事を……」

 と文句を言いながらも、手伝ってくれる荀イク。街に居る間、宿の代わりとして使わせてもらっている地主の屋敷。
 その屋敷の中庭で、俺と荀イクは先程の視察の内容を纏めるついでに、こうして現地で手渡された報告書の処理に明け暮れていた。
 これが商会の仕事だけであれば俺が一人でやれば済む事だが、今回の視察には荀イク達も深く関わっている。
 書簡の中には、華琳が提言した造船の件や塩田の報告書も含まれているので、俺一人が確認をすればそれで終わりという話では無かった。

 で、先程の話に戻るが、事業を拡大すれば人が増え、仕事が増えれば書類も増える。
 何をするにも企画書、申請書類は必要となり、それに目を通し決済する立場にある人間の仕事も必然的に増えるという組織の仕組みだ。
 当然、俺一人でそれらを全て処理する事など出来ないので、権限の一部を各部署の代表に委ねたりと仕事の効率化を図ってはいるのだが、それでも組織が拡大を続ける以上、仕事が減る事は無かった。

 荀イクも立場からいえば、俺と似たような状況にあると言える。
 よく風や稟を相手に『使える人材をこちらにも回して欲しい』と愚痴もとい交渉しているところを見かけているので、その大変さが窺い知れる。特に財政面の問題は、荀イクの頭を悩ませる一番の懸念材料となっているようだ。
 領地の再興と開発にはお金が掛かる。しかし華琳の理想のためにも、内政だけでなく多少無理をしても軍備拡張を進めておく必要がある。軍拡と生産は二律背反。富国強兵という言葉があるが、それを実現するのは用意な事ではない。
 塩田の話は実は余り期待していなかったらしく、それが大きな収入源になると知ると凄く嬉しそうだった。

 荀イクの機嫌が直る原因となった塩の生産。この国では塩と言えば岩塩が主流とされる中、俺は敢えて海水から塩を作り出す塩田製法に拘った。その理由となったのが、専売制による中央の塩の独占だ。
 岩塩が産出される塩鉱などは厳格に朝廷の監視下に置かれているため、俺達が立ち入る隙はない。なので別のアプローチが必要だった。
 海水ならば資源が尽きる心配をする必要も無く、塩田製法は天候に左右されるという弊害はあるものの上手くすれば毎年かなりの量の塩の生産を見込む事が出来る。
 結果、十七世紀中期から昭和の初期まで長きに渡って使用されていた、『入り浜式塩田』と呼ばれる潮の満ち引きを利用した塩田製法を用い、塩の生産体制を整える事に成功した。

 現代主流となっている電気による海水の分解法式を採用した場合、確かに天候に左右される事は無いが現段階でそれに耐えうる設備や施設を用意する事はかなり困難と言わざるを得ない。
 その設備を一つ整えるために労力を費やすくらいなら、有り余っている土地を使って塩田を広げた方が効率的だと考えたからだ。
 幸いにも人手には困っていない。塩田を開発するための人員、そして生産に掛かる労力を考えても、当面はそれで十分に凌げると考えての判断だった。

「ふう……これで一通り片付いたな。素直に華琳にも手伝ってもらえばよかったのに」
「この程度の事で、華琳様のお手を煩わせたくないの」
「俺ならいいのか……」
「当然でしょ?」

 このやり取りも慣れたものだ。荀イクはどう思っているか知らないが、俺は別に荀イクを嫌ってなどいない。
 素直じゃなくて口が悪くて生意気で、大の男嫌いという点を差し引いても性格の悪い奴ではあるが、仕事に関しては有能で出来る奴だと認めているし、それなりに良いところだって多少≠ヘある事を知っている。
 荀イクなりに少しずつではあるが、男が苦手なのを克服しようと努力している姿が見受けられるからだ。
 その証拠に最近では、名前で呼ぶまでに歩み寄りの姿勢が見える。それに――

(華琳の相手は大変だろうしな……)

 これは本人には内緒の話だが、本当によく我慢してやっていると荀イクの努力の跡は認めていた。

「ねえ、塩の件だけど、本当にあの条件で構わないの? 裏があるんじゃ……」
「何度も言うけど全く裏は無い。華琳との話し合いでも決まってる事だし、そこは心配しなくていいよ」

 荀イクが訝しむのも無理はないが、俺は最初から塩田には利益を期待していない。正直な話をすれば、物の次いでと言ったくらいだ。
 商会で扱う塩の州内での取引価格の優遇と、開発と生産に掛かった費用の穴埋めさえ約束してくれれば、こちらから他に要望するような事は一切無い。
 塩が専売制である事を考えれば、それはある意味で当然の処置だと考えていた。

 それでなくても塩の売買には朝廷から厳格な規準が設けられていて、無届けでの勝手な売買は原則禁止されている。特に塩は前漢時代から中央の貴重な財政基盤となっており、それは漢王朝の支配力が弱まった今でも変わりがない。
 太守であったとしても例外はなく、塩の生産をする際には朝廷への報告を義務付けられ、生産高に応じて税を上納する決まりとなっていた。
 どうせ滅び行く国のする事だ。それも後少しの我慢と言ってしまえばそれまでかも知れないが、俺達が塩の売買を先導して行っていると知れば、また色々と難癖を付けてきかねないだけに危険を冒してまで塩の取り引きに執着する理由は俺達には無かった。
 それならまだ、華琳達に恩を売っておいた方が賢いというものだ。
 太守である華琳が主導でやっている限りは、連中も迂闊に手を出し難いはずだ。そうした狙いもあった。

 塩の確保は事業拡大のついで、本来の目的は漁業の活性化と新鮮な海産物を水上経由で入手する方にある。
 海の物は内陸部では手に入り難く、特に鮮度が命の魚介類は沿岸部の街や村で無ければ口にする事は殆どと言って良いほど無い。沿岸部と違い内陸部で魚と言えば、食卓に並ぶのは長江や黄河で取れた川魚が殆どだ。
 だが、うちの商会の強みは他には真似できない技術と知識にある。所謂、科学の産物である冷凍技術や、新型船を使って考えている『安全且つ迅速に』取引先に商品を届ける流通業がそれだ。
 これが上手く行けば、以前話にあった宅配や手紙の問題も早期解決に向かうのではないか、という狙いもあった。
 真桜達、技術開発局に楼船の改良を依頼していたのも、そのためだ。何故か、軍艦みたいになってしまったが……。
 交易路の確保と販路の拡大。流通を抑える事は商売の基本だ。この大陸の常識を覆す、一大プロジェクトを企画していた。

 さすがに前日に注文した品物が翌日届くような事は不可能だが、これが成功すれば注文した冬物の服が真夏に届くといった事態にはならない。
 この時代、物の流れは行商人の足任せなところがあり、それも山賊や盗賊の被害があって確実と言えないところが問題にある。
 現代と比べると飛行機や車と言った物が無い以上、流通速度に大きな開きがあるのは当然の事だ。
 そこに革命とも言うべきメスを入れようというのが、現在商会が取り組んでいる計画の内容だった。
 人と物の流れを制する事は、情報を制するのと同じくらい商売に置いて重要な事だ。
 上手く行けば一気に商会の理念、俺の夢に近付く。逆にそれが出来ないと、これ以上の飛躍的な発展は難しいと考えていた。

「本当に良く頭が回るわね……それも天の国の知識?」
「それもあるけど、経験によるところが大きいかな?」

 水穂や林檎に習って、色々と仕事を手伝っていた経験がここに生きているとも言える。
 鬼姫の情報部の仕事は何も諜報や情報収集だけが仕事ではない。無駄を省き、活動資金を調達する事も大切な仕事の一つだった。
 口には出来ないような活動をしているため、そのための活動資金は当然正規の予算からは下りない。結果、裏資金の確保が重要と成る訳だ。
 特に鬼姫は時々、水穂や林檎が頭を抱えるような思いきった金をの使い方をするところがあり、決して無駄遣いと言う訳ではないのだが、それが経理部の頭の痛い種となっていた。
 水穂が副官を務める情報部と、林檎が代表を務める経理部が密な関係を築いている背景にも、そうした裏事情があったからだ。
 その関係上、俺も舞台裏を色々と見て知っているので、商売や組織運営に関するノウハウをそれなりに理解している点が大きかった。
 あの経験がまさかこんなところで生きる事になるとはさすがに思いもしなかったが、結果オーライという奴だろう。

「船の本来の狙いはそちらなのね。流通速度の向上と、交易の活性化」
「孫策も協力的だし、袁術は扱いやすいからな。他の諸侯も協力的なところが増えてきているし」

 河南に関しては孫策の協力もあって商会の支部を設立するまで話が進んでいるが、河北の方は袁紹との交渉が上手く行ってない事もあって交易が上手く行っていない。
 寧ろ、うちの商会だけ暴利な通行料を要求されるため、交易の妨げとなっているのが現状だ。かなり、嫌われたものだと思う。
 だが、幽州の公孫賛が商会との取り引きに乗り気だという話もあるし、輸送船の建造が上手く行けば冀州を迂回して海上ルートから幽州に向けて交易路を確保する事も可能だと考えていた。
 袁紹の権力と財力は確かに驚異的ではあるが、その権力も朝廷がここまで力を失ってしまっては、もはや飾りのようなものだ。
 財力に関しても、このまま意地を張り続けていれば将来、経済的にも孤立する事は想像に容易い。後は時間の問題だろう。

 はっきり言って、桃香や華琳のように大きな理想を持った人物など、まずこの世の中殆どと言って良いほどいない。
 大半の権力者が恐れているのは、自分達がこれまで築き上げてきた既得権益を侵される事だ。
 中央に付いている連中にしても、漢王朝に先が無いのは知っていても離れられないのは朝廷に潰れられると困る者達が大半だからに過ぎない。
 それならば、話は簡単だ。相手に分かり易い明確な旨味を提示してやれば良いだけの話。その話が自分に利があると思った者達から、自然と協力的になるという算段だ。
 うちの商会はそうする事で、交易相手を着実に増やしていた。黄巾の乱で得たネームバリューも、やはり大きな武器の一つと言えるだろう。
 有言実行。積み重ねてきた実績と成果は、公正な取り引きに置いて重要な要素を持つ『信用』となって俺達に返ってくる。華琳の後ろ盾があると言うのもやはり大きいが、取り引き相手から信用を得るというのも商売の基本だ。

「はあ……アンタを敵に回した馬鹿に同情するわ」

 荀イクはため息を漏らしながらそう言うが、別に敵に回った奴等を貶めようとか考えている訳ではない。
 目的のために行動した結果、相手が勝手に自滅するような方向に向かっているだけの話だ。

「……恨みを買うはずよね」
「そういうのを逆恨みって言うんだけどな」

 俺が悪くないとまでは言わないが、勝手に自滅しておいて俺の所為にされても正直困るというのが感想だ。
 それが嫌なら素直に自分達も便乗すれば良いだけの話で、逆恨みなんて勘弁して欲しい。
 しかし二人でやるとさすがに仕事が速い。荀イクが手伝ってくれた事もあって、予定よりもかなり速く仕事が片付いた。
 荀イクの疑問点も解決し仕事も一段落して、そろそろ解散という時間に迫った時だった。

 予期せぬ事件が起こったのは――

「まあ、塩の件がこれで良いのは分かったわ。それじゃあ、私はこれで――」
「荀イク! 伏せろ!」

 ヒュン――と、矢が風を切る音が僅かに耳に届く。
 席から立ち上がろうとした荀イクの背後に迫る鉄の矢。矢の接近に気付き、荀イクを庇おうと飛び出す俺。

 まさに一瞬の出来事。机が、椅子が、派手に倒れる大きな音が中庭に響く。
 次の瞬間、世界が凍り付き、時が制止したかのような静寂が辺りを包み込んだ。





 ……TO BE CONTINUED



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