【Side:太老】

「くっ!」
「――太老!?」

 あ、危なかった。少しでも判断が遅れていたら、危ないところだった。
 顔を真っ青にして身体を震わせてはいるものの、見た感じ荀イクに目立った外傷は見当たらない。
 幸いにも飛び出すのが間に合ったようで、荀イクに怪我はなかったようだ。

「よかった。大丈夫だったみたいだな。怪我してないよな?」
「う、うん。太老、あなた……怪我を?」
「ん? ああ、少し捻っただけだ。問題ないよ」

 荀イクを庇って無理な態勢で倒れ込んでしまったために、少し足首を痛めただけだ。
 走ったりすると痛むかも知れないが、このくらいであれば問題ない。
 寧ろ、このくらいの怪我で済んで良かった。
 鉄の矢なんか直撃していたら、俺はともかく荀イクは無事では済まなかったところだ。

「兄ちゃん!」
「太老、さっきの音は何!?」

 華琳と季衣、それに親衛隊が騒ぎを聞きつけ、慌てて中庭へと飛び出してきた。
 散乱した書簡に、倒れた椅子と机。そして、仰向けに倒れた荀イクに覆い被さる俺の姿がそこにはあった。
 チラリと横を見ると、直ぐ傍の机には先程、荀イクを背後から襲った鉄の矢が突き刺さっていた。
 だと言うのに――

「兄ちゃん、桂花と何してるの?」
「嫌がる桂花を押し倒して、まさか無理矢理――」
「いやいやいや!」

 本当に何をしているのか分からないといった様子で首を傾げる季衣に、そんな季衣に釣られて的外れな事を口走る華琳。
 何処をどう見たら、そんな結論に達す――
 ああ、確かにそんな風に見えなくはないか、と納得してしまえる自分がいた。
 今の俺の姿を客観的に見れば、確かに荀イクを地面に押し倒しているように見えなくない。
 いや、でも荀イクだぞ? こうしていて悲鳴を上げられたり殴られてないだけ、どれだけ奇跡的な事か考えて欲しい。

「これを見ろ! これを!」

 身の危険を感じた俺は慌てて起き上がると、机に突き刺さった鉄の矢を指差した。
 このままでは刺客にではなく華琳に殺される。そう思ったからだ。

 ――あっ、刺客?

「あちゃあ……」

 額に手をあてて、やってしまった、と後悔しても既に遅い。周囲に気を配ってみるが、それらしい気配は感じ取れなかった。
 この矢を放った犯人だが、完全に取り逃してしまったようだ。

(さっきの矢の軌道からして、狙われたのは荀イクじゃなく俺だよな……やっぱり)

 荀イクが席を立ち上がらなければ、その矢は間違い無く俺への直撃コースだった。
 荀イクが立ち上がったから視線をそちらに向け、奇跡的に矢に気付く事が出来たのだ。

 俺は鉄の剣でも槍でも弾き返す、かなり特殊な身体をしている。魎呼のよく使っていた光剣やビーム兵器でも持って来られなければ、試した事は流石にないがミサイルでも耐えられる自信がある。まあ、あくまで多分だが、あんな矢一本で致命傷に至るような事は無い。それでも結果的に、荀イクを危険に晒してしまった事に変わりはなかった。
 刺客を取り逃した事もそうだが、下手をすれば俺の代わりに荀イクが怪我を負っていた可能性もある。今回のは失態だった。完全に俺の油断が招いた種だ。

「……詳しく、事情を話してもらうわよ」

 さっきまでの勘違いから一点して、ようやく状況を理解した華琳の眼が鋭く光る。
 もう少しのところで桂花が矢の餌食になっていた可能性もあるのだ。華琳が怒るのも無理はない話だ。
 隠し事を許さないといった有無を言わせぬ迫力に、俺は覚悟を決め、静かに首を縦に振った。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第38話『百合と乙女の恋心』
作者 193






【Side:華琳】

 大きな物音がしたから慌てて部屋の外に出てみれば、中庭で太老が桂花を押し倒していた。

 と、それも勘違いだったのだが、言い訳ではなく私が勘違いしたのも無理はない。
 あの大の男嫌い≠ナ知られている桂花が、男に押し倒されて抵抗するどころか、悲鳴一つ上げていなかったのだ。
 これで何も無かったと信じる方が無理があるという物だ。

 状況から察するに、刺客に襲われたというのは本当の話だろうが、桂花の様子を見るにただそれだけとは到底思えなかった。
 太老と仲良くするように、と言ったのは確かに私だったが、思わぬ伏兵の登場に複雑な心境を味わっていた。

「矢を放った刺客の姿は見なかったのね?」
「ああ、ごめん。正直、油断してた。荀イクを助けるので頭が一杯で」
「仕方が無いわ。私の大切な部下を助けてくれたのだもの。礼を言わせて頂戴」

 桂花の命を救ってくれたのだ。本来、礼を述べ頭を下げるべきは私の方だ。
 しかし、首を横に振って『狙われたのは俺だ』と話す太老。
 寧ろ、桂花を巻き込んでしまったと逆に頭を下げられてしまった。

「それでも太老が助けてくれなかったら、桂花が危なかったのは事実よ。ありがとう」

 これは本音だ。狙われたのは太老かも知れないが、桂花を護ってくれた事に変わりはない。それに、刺客が襲ってくるのは予測できた事だ。
 陳留では自警団や私の兵の目があるために、ここ最近、間者や刺客は身を潜めていた。
 だが、ここは陳留とは違う。太老の命を狙っている者達にとって、今が絶好の機会とも言える状況下にある。
 にも拘わらず、警戒を怠ったのは事実だ。その責任は太老だけではない。私にもあった。

 危険を承知で視察に赴いたとはいえ、やはり親衛隊しか連れて来なかったのは失策だった、と考えさせられる。
 今、親衛隊に周囲の警戒をさせているが、ここまで誰にも気付かれずに入り込んだほどの手練れだ。
 連れてきている人数では護りに徹するのが精一杯。このまま追撃を掛けたところで、襲撃犯を捕まえる事は難しいだろう。

「公演は中止した方が良いかもしれないわね」
「駄目だ。街の人達も楽しみにしているのに、それは出来ないよ」
「でも、命を狙われているのよ? せめて、あなたはここで大人しくして置いた方がいいわ」

 何処に刺客が潜んでいるか分からない状況で、大勢人が居る場所に出て行くなど自殺行為だ。
 今回は何事も無くすんだが、次も大丈夫という保証はどこにもない。太老の実力は認めているが、何事にも絶対という事はないからだ。
 ましてや太老が倒れれば商会だけでなく、ようやく復興を始めたここ青州や、商会と親交の深い地域全てが立ち行かなくなる。
 太老の存在価値は、太老が考えている以上に重い物だ。相手もその事が分かっているからこそ、太老の命を狙ったのだと考えられた。

「でも、視察にきて挨拶も無しっていうのはな」

 舞台挨拶に商会の代表として、太老も特別に出演する事が決まっていた。
 この街には商会の支部もある。地元の人達との交流は、確かに重要な仕事と言えなくはないが状況が状況だ。
 今回だけは何としても諦めてもらおう、と太老に忠告しようとしたのだが――

「華琳ならどうする? 素直に諦めて部屋に籠もってる?」
「そ、それは……」

 そこで頷ければよかったが、私には出来なかった。
 刺客を恐れ、部屋に引き籠もるなんて情けない真似が、覇道を志す私に出来るはずもない。
 私なら、周囲の反対を押し切っても公務を優先する。そう、言い切れたからだ。

 自分に状況を照らし合わせた時、私は太老に『行くな』とは言えなかった。
 太老もまた、誇り高い一人の英雄なのだ。
 命を惜しんで刺客から姿を隠すなどといった情けない真似を、英雄と呼ばれる者が出来るはずもない。
 本心で言えば、行って欲しくはない。それは曹操として、一人の女、華琳としての本音でもある。
 だけど私は同じく『英雄』と呼ばれる者の一人として、自分の我が儘を太老に強要する事は出来なかった。

「分かったわ。でも、護衛は付けさせて頂戴。季衣」
「はい。兄ちゃんはボクが絶対に護るから!」
「それは頼もしいな。よろしくな、季衣」

 そうは言いながらも、自分一人で全て背負おうとしている意思が太老からは感じ取れた。
 刺客が狙ったのは、他の誰でもなく太老だった。
 太老が姿を隠せば、その矛先は私達に向かう可能性もある。恐らくは太老は、その事を一番危惧しているのだ。
 正面から堂々と姿を現せば、その注意は自然と太老へと向く。太老の狙いは、刺客の注意を自分に向けさせる事にあるのだと感じた。

(あなたの覚悟は受け取ったわ。必ず、刺客は私達の手で捕まえてみせる)

 太老の命を狙い、大切な桂花を危険に晒した刺客を必ず捕らえ、相応の報いを受けてもらう。
 それが太老の覚悟に報いるために、私達が取れる唯一の選択だった。

【Side out】





【Side:太老】

「公演は中止した方が良いかもしれないわね」
「駄目だ。街の人達も楽しみにしているのに、それは出来ないよ」
「でも、命を狙われているのよ? せめて、あなたはここで大人しくして置いた方がいいわ」

 ここまで来て、公演を見に行けませんでした、何て話になれば後で地和達に何をされるか分かったものじゃない。
 華琳が心配してくれる気持ちは分かるが、俺からすれば刺客などよりもそっちの方が死活問題だ。
 刺客に命を狙われるよりも、女性の機嫌を損ねる方が遥かに怖い。これは俺の経験から来る確信だった。

 例えばだ。水穂と買い物に出かける約束をしていたとしよう。
 しかし命を狙われているから家に居るようにと言われて、買い物を断念するかと言えば、そうではない。俺は水穂との買い物を優先する。
 俺に対してか、刺客に対してかは分からないが、どちらにせよ後で黒水穂が降臨する方が刺客なんかよりも遥かに怖いからだ。
 例えがあれだが、俺からすればそれが一番重要な問題だ。どちらの方が優先度が高いかと言われれば、迷う必要がないくらいはっきりとしている。
 ヘタレと思ってもらって結構。キレやすい、個性豊かな女性達に囲まれて育てば、俺の気持ちがよく分かるはずだ。
 柾木家の男性が女性に弱いと言われているが、それは女の方が強すぎるだけの話だ。

 それはこちらの世界でも変わりがない。力で幾ら勝っていても、立場的に弱ければ一緒だ。
 商会の代表なんて務めているが、力関係でいえば間違い無く風よりも下だという自負がある。
 重要な位置を占める割合が、女性の方が圧倒的に比率が高い組織や社会の中で、男一人の力など如何に非力なものか……。
 自慢にもならないが、俺は声を大にして言おう。プロの暗殺者よりも、本気で怒った女性の方が遥かに怖いと――

「華琳ならどうする? 素直に諦めて部屋に籠もってる?」
「そ、それは……」

 卑怯な訊き方かも知れないが、華琳ならばそんな真似は絶対にしないという確信があった。
 彼女は覇王だ。刺客に背を向けて、命惜しさに隠れるような真似は決して選択しない。いや、出来ない。
 それが彼女の誇りであり、生き方そのものだからだ。英雄である事、誰よりも誇り高く、気高い王である事を彼女は望む。
 何が言いたいかというと、華琳が覇王として生きる事を自分の命と天秤に掛けて悩むくらい、俺にとっては重要な話だという事だ。
 まさに、命懸けと思ってくれていい。財布が軽くなるだけならまだしも、地和なんて何を要求するか分かったものじゃないからな。

(俺の勘が告げている。絶対に碌な目に遭わないと……)

 それに、さっきのような失態はもうするつもりはない。予め心構えが出来ているのと出来ていないのとでは、先程のように不意打ちされるのとでは大違いだ。
 それに俺を襲った刺客は運がない事に、ある重要な事を見逃している。そう、真桜達、技術開発局がここに来ているという点だ。
 こればかりは相手に同情を禁じ得ない。自業自得と言ってしまえばそれまでだが、本当に『運がない』と。

「分かったわ。でも、護衛は付けさせて頂戴。季衣」
「はい。兄ちゃんはボクが絶対に護るから!」
「それは頼もしいな。よろしくな、季衣」

 本当は季衣に危ない真似をして欲しくないのだが、言ってもこれ以上は聞いてくれそうにない。
 ならば俺の傍に居る方が安全だろう、と考える事にした。

 それに多分、この屋敷に居るよりも確実に安全なのは張三姉妹のコンサート会場だ。
 それは何故か、彼女達の舞台裏には真桜達、技術開発局が深く関わっているからだ。
 何故、技術開発局が深く関わっていると安全なのかは『推して知るべし』とだけ言って置く。

 何度も言うが、本当に運のない。
 うちの自警団連中でさえ、技術開発局と関わる事は避けると言うのに……。

(今回は荀イクも危なかったしな。どうなっても俺は知らん)

 自分の命が狙われて、しかも大切な仲間が危険に晒されて、相手の心配をしてやるほど俺はお人好しではない。
 結果は見えているが、今回ばかりは文字通り一切の手加減、自重を制限するつもりはなかった。
 俺の命を狙った報いだ。マッドの恐ろしさを存分に味わうと良い。

「取り敢えず、俺達も会場に向かうか……って、どうしたんだ? 荀イク」

 華琳が親衛隊を集めて何やら指揮をしている傍らで、さっきから一言も発せずに俺の顔をジーッと見詰めている荀イク。
 何を考えているのか知らないが、どうにもさっきの一件から様子がおかしい。
 確かに一つ間違えば命を失っていてもおかしくない事件だったが、怪我はしていないはずだ。それほどに怖かったのだろうか?
 華琳の傍にいて、軍師として幾度となく戦場を経験している事からも、そんなにショックを受けるとは思っていなかっただけに少し意外だった。
 やはり、年相応に女の子な一面が、荀イクにもあったという事だろうか?
 そんな事を考えていると、ツカツカと俺の方に早足で歩み寄ってきて――

「桂花!」
「……へ?」
「いつまでも他人行儀に、『荀イク』って呼ばれるのは嫌なのよ! 真名を呼びなさい!」
「いや、でもそれは……」

 などと顔を突き出して叫んでくれた。
 以前、確かに真名で呼んで良いと話があったが、それは華琳の命令で嫌々という感じだった。
 そのため、荀イクが認めてくれるまでは真名で呼ばない、と約束をして今に至る訳だ。
 それを突然、『真名で呼べ』などと一度は話の付いた問題を再び持ち出してくる荀イクの考えを図りかねた。

「私が良いって言ってるの! とにかく、次からは真名で呼びなさい! これは命令よ!」

 何だか無茶苦茶な話だが、これは真名を許しても良い程度には俺の事を認めてくれた、と考えていいのか?

「えっと、桂花?」
「何で疑問系なのよ……」

 いや、余りに唐突で、突発的な状況について行けないだけの話だ。
 季衣は『兄ちゃんと桂花、喧嘩してたの?』などと首を傾げているが、より困惑しているのは俺の方だったりする。

 さっき助けてやった御礼とか?
 もしくは、そんなに塩の件が嬉しかったのか?

 怒ったり、喜んだり、猫耳軍師の考える事はよく分からなかった。
 取り敢えず、『桂花』と呼ぶ。俺が真名で呼ぶ事は、彼女の中で決定事項のようだ。
 華琳からの命令じゃなく本人の希望なのだから、ここは素直に聞いて置くべきなのかもしれない。
 ここで真名で呼ばないなんて選択をすれば、更に猫耳軍師の機嫌は悪くなるに違いなかった。

「随分と仲が良さそうで、安心したわ」

 ニコニコと笑ってはいるが、背中に黒いオーラを背負った華琳の物言いと視線が凄まじく怖かった、とだけ付け加えて置く。
 華琳と桂花がそういう関係≠セと言うのは知っているが、以前は『仲良くしろ』と自分で言っていた癖に理不尽な反応だ。
 桂花と仲良く(?)している事に対する嫉妬だろうが、そんなに警戒しなくても桂花が俺になびくなんて事はありえない。
 大の男嫌いな上に、華琳命の城一番の百合属性を持つ桂花が男を好きになる≠ネんて状況、全くと言って良いほど想像が出来なかった。
 しかも相手が俺とか、絶対に無いと言い切れる。普段の態度から考えても、とても好かれているとは思えないからだ。華琳も無駄に警戒しすぎだ。

(はあ……)

 これで、先程俺が言った『刺客よりも女の方が怖い』というのは、よく分かって貰えたと思う。
 華琳の放つプレッシャーを一身に受けながら、俺は心の中で深くため息を漏らした。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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