【Side:紫苑】

 私の名は『黄忠(こうちゅう)』、字を『漢升(かんしょう)』、真名を『紫苑(しおん)』。冀州の北部にある楽成城を治める城主だ。
 ここは青州北端に位置する港町。冀州の街を治めているはずの私が何故こんなところに居るかというと、その理由はある事件に遡る。

 今から約半年ほど前、大陸全土を騒がせていた黄巾党が討伐され、仮初めとはいえ誰もが待ち望んだ平和がようやく訪れた矢先の事だ。
 元々エン州を治める曹操とは仲が悪かった袁紹は、黄巾党本隊との戦いで一番大きな損害を被りながら手柄を上げられなかった事を根に持ち、曹操と協力関係にあるという正木商会、黄巾党本隊との戦いで多大な功績と名声を上げたと言われている天の御遣いに逆恨みし、彼等の事を快く思っていない諸侯や中央の宦官達と結託して、黄巾の騒ぎで蜂起した農民達を曹操や天の御遣いに押しつけるといった暴挙にでた。

 それだけで済めばよかったが、その後も袁紹の商会への嫌がらせは加速していき、冀州に出入りする商人から高額な通行料をむしり取ったり、自分の勢力下にある豪族や貴族に対し正木商会と取り引きをしないようにと圧力を掛けたり、まさにやりたい放題。
 それは私が治める楽成の街も例外ではなく、亡くなった夫から受け継いだ城に袁紹の使者を名乗る者が現れたのが、今から三ヶ月前の事だ。
 幽州の公孫賛が正木商会との交易を計画しているという話があり、その牽制にと私の元に幽州からの行商人に対して税や通行料の上乗せを含めた制裁処置を加えるようにとの達しがあった。

 しかし、そのような真似が出来るはずもない。

 行商人が街を訪れる事で、人や物が街に集まってくる。幽州との交易は、楽成の街の皆にとって生活に欠かせないものだ。
 楽成の街は南皮からは距離がある事もあって、その殆どは北方の幽州からの行商人に頼っている。
 米や野菜はまだいいが日用雑貨を始め、何もかもを自分達の街だけで賄うのは無理があった。

 高い税を取り、通行料をむしり取るような真似をすれば、たちまち商人達は寄り付かなくなり街は荒廃の一途を辿ってしまう。
 当然、私はその命には従えないと反対の意思を示した。夫の残してくれた楽成の街を護る事が、私の使命だと考えていたからだ。
 だが、それを反逆の意思と受け取った袁紹は思わぬ行動にでた。予め、城に忍び込ませていた兵を通じ、卑怯にも私の娘『璃々(りり)』を人質に取ったのだ。

 ――素直に従えばよし、そうでなければ娘の命は無い

 と脅され、その上、忠誠を誓う証を立てるために『天の御遣いを暗殺しろ』という脅迫めいた命令が私に下された。

 それが今から一ヶ月ほど前の事だ。

 思い返してみれば、私が拒否する事も含め、全てはこのために仕組んだ策略だったのだろう。
 私がここに居るのは幼い娘のために、民の希望とされる一人の男性の命を奪うためだ。
 こんな事は間違っていると分かってはいても、私も子を持つ一人の親だ。娘の命には代えられなかった。

 しかし、その任務も一度目は失敗に終わった。当然、失敗に終わったからと言って、それで納得してくれるような相手ではない。
 私の名前を呼び、泣き叫ぶ璃々に剣を突きつけながら、『二度目の失敗は許さない』と冷酷に監視役として同行した男は言い放った。
 次に暗殺をしくじれば璃々は殺される。私がそうするしか無いのを見越して、こんなところにまで璃々を連れてきて脅迫したのだ。
 万が一私が捕らえられた場合、璃々の命を盾に何も話させないつもりだ。
 それは最悪、捕まったら責任を全て負い自害しろ。差し違えてでも殺せ、と言っているに等しい脅迫だった。

「璃々……ごめんなさい。でも、あなたの命だけは必ず」

 暗殺に成功したとしても、璃々が助かるという保証はない。それでも私は、その可能性に縋る以外に道がない。

 どうしてこんな事になったのか?
 素直に袁紹の指示に従っていれば、このような事にならなかったのか?

 それは分からない。
 死んだあの人が残してくれた街を護りたい。その想いも、決して抗えない大きな力の前には無力だった。
 街どころか、娘一人護ってやれない情けない母親。それが今の私だ。

「天の御遣い、あなたに恨みはないけど……」

 これも璃々のため、娘のためと自分に言い聞かせ、弓を持つ手に力を籠める。
 必殺とも言えるあの距離の狙撃に気付き、一瞬で対応してみせた彼の反応速度は、凡そ人間と呼べるものではなかった。
 噂に違わぬ力。しかし、私はそれでも諦める訳にはいかない。

 たった一人の大切な愛娘を救い出すために――

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第39話『拾われた仮面』
作者 193






【Side:真桜】

 局長が命を狙われたいう話は、直ぐに正木商会青州支部の皆が知るところとなった。

「ほんま……命知らずな奴がおるもんやな」

 その言葉は局長ではなく、局長を狙ったいう刺客に向けたもんや。
 局長は味方も多いが、敵もその数に増して多い。とにかくやる事なす事、全部派手で目立つから、それも仕方が無い事と言える。
 自重いう言葉が、あの人ほど似合わん人は他におらんかった。

「真桜、本当に良いの? 太老様が危ないんじゃ……。今から姉さん達に言って公演を中止――」
「華琳様もそうしろ言うたらしいんやけどな。局長の意向で公演は中止せん事が決まった」
「でも……」
「気持ちは分かるけど、ウチも局長がやられるところなんて微塵も想像できんしな」

 人和の言いたい事は分からんでもない。
 しかし、それがウチの本音。局長相手に暗殺なんて卑怯な手が通用するとは微塵も思ってなかった。

 局長がこれまでに命を狙われた回数は、それこそ両手両足の指で数え切れないほどに上るけど、成功した試しなんて一度としてない。
 寧ろ、今回の賊は運が良い、というのがウチの見解。
 未遂に終わったとはいえ、大抵の刺客はその段階にすら立たせてもらえん事が殆どやというのに、矢を放つところまでもって行けただけでも幸運な事や。
 万が一、矢が命中したとしても、ウチの螺旋槍で傷一つ付かん局長が鉄の矢一本でやられるとは、とても思えん。
 結果、あの人の場合は心配するだけ損を見る≠ニいうのが、ウチら技術開発局≠フ共通の見解やった。

 大体、これまで局長に関わった刺客や間者の末路を知ってれば、心配する気なんて失せるというもの。
 商会本部のある陳留の警備は厳しい事で知られてるけど、そのくらいは陳留にまで忍び込んでくる工作員の事、知らんはずがない。
 にも拘らず、罠、事故、病気、誤解、様々な要因によって大半の刺客は事を起こす前に自滅する。
 まるで、天災≠ノ見舞われたかのように――

 そやから、この話を知っとる関係者は天の御遣いの下す罰、通称『天罰』と言って畏怖しとるくらいやった。

 ――何人たりとも、彼の者の命、聖域を侵す事は叶わない

 局長を『天の御遣い』言わしめている所以の一つや。

「こんな事もあろうかと¥備だけは進めてたんや! 今回はいつもの十割増しで新作の罠もバンバン仕掛けてるよって、安心してや!」
「それって……」
「局長の許可も出てるし、華琳様からも協力要請がきとるしな。特別出血大奉仕や!」

 局長もさすがに今回は怒っとるんか、『遠慮はいらない』と言ってきとるし、華琳様からも協力要請がでてる。
 なら、文字通り一切の手加減が必要無い。これはウチらにしても、まさに渡りに船の提案やった。

 江東からきた周泰いう少女が、局長以外は誰も攻略できんかった『虎の穴』を完全制覇するという偉業を成し遂げたんが今から二ヶ月前の事。
 とはいえ、攻略されたままいうのは、『虎の穴』の開発に携わった技術者の端くれとして見過ごす事は出来ん。
 周泰から得た情報を基に分析を重ね、更に改良を加えた罠の数々をこしらえ準備を進めてたんも、全てはこんな時のためや。

「ちょっと待って! それじゃあ、あの荷馬車に積まれた大量の荷物の正体って――」
「ああ、元々この興行期間中に試すつもりでおったさかいな。丁度良い機会やろ?」

 塩や船の件は勿論やけど、本命は別にあった。局長が外にでれば、絶対に何か起こる。寧ろ、何も起こらない可能性の方がずっと薄い。
 それを見越して今回、張三姉妹の舞台警備で実験できないか思って色々と用意してきとったんや。
 張三姉妹の入り出待ちをする熱狂的な応援団の中には礼儀の成ってない奴も居て、会場の警備の目を誤魔化して楽屋にまで押し掛けようという不埒な奴までいる始末。連日、満員御礼の入場券は完売という盛況振りもあって、侵入して無料(タダ)で見ようとする馬鹿も居るんで、いつも会場には侵入者用の罠を張り巡らせていた。
 相手は殆どが一般人なので普段は手加減をしとるんやが、局長の許可が出てる今なら遠慮無く実験が出来る。

 まさに日頃の成果、腕の見せ所、いう訳や。

「それって大丈夫なの? あの爆発したりとかは……ここで死人をだされたら正直困るんだけど。風評にも響きかねないし」
「大丈夫や。火薬の量は調整しとるしな。殺してもうたら、この先の実験に使えんやろ?」
「…………」

 最近では自警団の連中も、技術開発局の実験に非協力的になっとるんで、実験対象を確保するだけでも一苦労。
 技術の更なる進歩を目指して、その命知らずな馬鹿には科学の礎となってもらおう、言うのが技術開発局(ウチら)の総意やった。

 そう、全てはより住みよい世界のため≠ノ――

【Side out】





【Side:星】

 私の名は『趙雲(ちょううん)』、字は『子龍(しりゅう)』、真名は『(せい)』。民草の間では『昇り龍』の名で知られた旅の武芸者だ。
 旅の途中、路銀が心許なくなった事もあり幽州の公孫賛の元に客将として身を寄せていたのだが、黄巾党が討伐され幽州の治安が回復に向かった事を機に、その黄巾党征伐で活躍したという噂の人物を一目見るため、幽州を旅立ったのが一ヶ月前の事。

「今日は、この街で宿を取るとするか」

 幽州から冀州に入り、海岸沿いに旅をしてきた私は青州へと入った。
 目的地であるエン州には少し遠回りになるが、冀州からエン州に直接抜ける関所には袁紹の兵達が多く詰めていて、旅人であっても関所を抜けるには法外な通行料を請求されるという噂を耳にしたからだ。
 そのため、沿岸部の青州に抜ける道には袁紹の兵の目もまだ緩いという話だったので、人目を避け一度青州へと抜け、そのあとエン州に向かう算段をしていた。

 全ては正木商会、そこの代表を務めるという御仁。噂の天の御遣いをこの眼で確かめるためだ。

「ふむ。何やら、賑やかだな」

 青州北部のとある港街。街に足を踏み入れた私は、その活気に満ちた人の多さに圧倒された。
 これまで色々な街を回ってきたが、このように活気に満ちた街を見た事がない。
 見れば、旅人や行商人と思しき者の姿も数多く見受けられる。

「そこの御仁。少々尋ねたいのですが、今日この街で何かあるのでしょうか?」
「ん? もしかして、旅の人? 知らないで、この街に来たんですか?」
「はい。青州には先日足を踏み入れ、先程街に着いたところなのですが、この賑わいは一体?」

 その風貌からも、貴族か、名のある豪族の子息と思しき青年に声を掛け、街の事を尋ねて見る事にした。
 他にも多くの人が居たが、何となく真っ先に目に留まったのがその青年だったのだ。
 特に人目を引くと言う訳では無いが、気付けば不思議と自然に声を掛けていた。

「張三姉妹の興行が、この街で今晩あるんですよ」
「張三姉妹?」
「知りませんか? 結構有名だと思うんだけどな。『数え役萬☆姉妹(シスターズ)』って言えば分かります?」
「ああ……黄巾党を歌で鎮めたと噂の歌姫ですか」

 青年が話すのは、天の御遣いの名と同じくらい巷では有名な歌姫の事だ。
 戦場に現れた歌姫。二十万を超す黄巾党本隊を歌で魅了し、戦いを止めたと噂されている三人の少女。別の名を『黄河の歌姫』。
 勿論、そうなるに至った様々な要因は別にあったと言われているが、彼女達が黄巾の乱を鎮めるに至った一因を担ったのは事実。
 正木商会に所属する三人の歌姫の名は、それを機に大陸全土に知られる事となった。

「それは是非、拝聴してみたいものです」
「あー、でも……もう入場券は完売しちゃってると思いますよ」

 入場券が完売してしまっているというのは残念だったが、この人の数を見れば納得が行く。運がなかったと諦めるしか無いだろう。
 次の機会にと参考に値段を聞いてみると、入場券その物はかなり安い代物である事が分かった。
 それに入場券を買う金が無くても、米や野菜などと現物交換も行ってくれるらしく、儲けは二の次のようだ。
 その現物交換された食糧自体、貧困層などを対象に現地で炊き出しなどをして配給されているという話なので、文字通り利益を狙ったものではないのだろう。

 確かに、街の一角では子供からお年寄りまで、様々な人々が列を成して並んでいた。彼の話す、配給を受けるためだ。
 だとすれば、この人の多さにも納得が行く。
 張三姉妹の歌を目当てでやってきた客が居る一方、そこで行われる配給を目当てに近隣の邑から大勢の人が集まってきているのだ。

「兄ちゃん、早くご飯食べに行こうよ! 食べる時間無くなっちゃうよ!」
「ああ、悪い悪い。えっと、迫力には欠けますけど会場の外からでも歌は聞こえるんで、よかったら彼女達の歌、聴いてやってください」

 そう言い残し、青年はダンゴ頭の小さな少女に急かされて走り去ってしまった。
 しかしこの騒がしさの中では、会場の外から張三姉妹の歌声が聞こえるとはとても思えないのだが、果たしてどういう事だろうか?
 軽々しく嘘を言うような青年には見えなかったし、私は話の内容が分からず首を傾げた。
 まあ、公演の時間になれば青年の言った事が嘘か本当か、はっきりするはずだ。

「しかし困った。これでは宿は取れそうにないな」

 問題はこの人の多さだ。この時間からでは、もうどの宿も部屋は全て埋まってしまっているだろう。
 野宿などではなく、久し振りにちゃんとした寝床で眠りたかったのだが、今日の所は諦めるしか無さそうだった。

「私も先に飯にするか。美味いメンマを出す店が無いか、先程の御仁に尋ねておくべきだったかな?」

 何やら興味を引かれる御仁だったが、縁があればまた巡り逢う事もあるだろう、と料理屋を探してブラリと店の建ち並ぶ方へ足を向けようとした時だった。
 足にコツンと何か当たった感触を得て地面に目を向けると、キラリと輝く金色の仮面が目に入った。

 ――先程の御仁の落とし物だろうか?

 私はその仮面を拾い上げ、手にとってじっくりと観察する。

「こ、これは……」

 見事な文様の蝶をカタチどった仮面。見れば見るほどに味のある、惚れ惚れとする代物だ。
 まさに職人の魂が感じ取れる、一目見れば分かるほどに素晴らしい一品だった。
 これほどの物だ。さぞ、由緒ある代物に違いない。
 物からして恐らくは先程の御仁の持ち物なのだろうが、このような物を肌身離さず持ち歩いている青年に興味を覚えた。

「ううむ……やはり、先程の御仁。只者ではないようだ」

 一緒に居た少女の話からも、この先の店に食事に向かったのは間違い無い。
 料理屋を一軒一軒探して回るのは骨だが、この仮面をこのままにして置く訳にはいかない。
 恐らくは無くして困っておるだろうし、出来ればこれを何処で手に入れたのか、尋ねておきたかった。

「ん? あれは……」

 メンマの匂いを追っ……先程の青年と少女を捜して手頃な酒家を見つけ、店の中に足を運ぼうとしたところだった。
 店の物陰から、挙動不審な怪しげな男達が出て来るのを見つけたのは――
 どう見ても、山賊や盗賊といった野盗崩れにしか見えない品の欠片もない風貌をした男達。
 これまでにも盗賊狩りなどを生業に旅をしてきた私だが、その私の勘があの男達には何かあると告げていた。

「これも、何かの縁か」

 あの者達が何を企んでいるかは知らない。本来は放って置いても私には関係の無い話だ。
 しかし張三姉妹の歌を聴きに集まって来た楽しそうな人々の笑い声や、食糧の配給を前に喜びに満ちた笑顔を浮かべる人々の表情を見た後では、祭の騒ぎに乗じて無粋な事を企んでいる者達を黙って見過ごすなどといった気にはなれなかった。

「……見過ごしてはおけんな」

 先程拾った蝶をカタチどった一枚の仮面を胸元に忍ばせ、気配を殺して男達の後を追った。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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