【Side:太老】
あの後、華琳の親衛隊に犯人を引き渡した俺は、会場で事態の収拾にあたっていた桂花の皮肉に満ちた出迎えを受けた。
『アンタ!? 遂にこんな子供にまで手を――』
いやいやいや、という桂花とのツッコミどころ満載のやり取りがあったのが昨日の話。
今度、桂花が俺の事をどう思っているのか、じっくりと問い質す必要があると再認識した。
昨日は騒動の事後処理だけで一日を費やす羽目になったため、華琳達とゆっくり話している時間も無かった。
そのため、黄忠親子には一先ず屋敷に逗留してもらう事になり、
「ちゃんと、こっちを見て話しなさい」
「……は、はい」
俺は現在、華琳の尋問を受けていた。
はっきり言って、無茶苦茶怖い。眼を見て話せないくらい覇気を撒き散らし、プレッシャーを俺にぶつけてくる。
事情説明は昨日の内に報告書に纏めて桂花に渡してあるから華琳も知っているはずだ。
とはいえ、あの報告で納得してもらえるとは俺も考えていない。怒られている理由は分かっていた。
「本気なの? あなたの命を狙った狙撃犯は彼女なのでしょう?」
「はは……やっぱり、気付いてた?」
「当然でしょう? 無理があるわよ。あんな男が実行犯だなんて冗談も良いところよ」
華琳の眼力は誤魔化せないと思っていたので、バレる事に関しては予想済みだった。
しかし、報告書にはそのように記載するしか無かった。そうでなければ、黄忠の罪を問わない訳には行かなくなるからだ。
華蝶仮面と茶番を演じたが、それで黄忠の罪が消える訳ではない。彼女が俺の命を狙ったのは紛れもない事実だ。
正直に説明したところで、俺が納得したからといって周りも同じように納得してくれるとは限らない。
「でも、事情が事情だし……俺はそんなに気にしてないからさ」
「確かに、彼女の事情は同情するところがあるわ。でも、それも覚悟の上で彼女は暗殺なんて所業に加担したはずよ」
「それは分かってるけど……」
「分かっていないわ。あなたは命を狙われたのよ。それなのに気にしてないなんて……甘い、甘すぎるわ」
危なかったのは俺だけではない。桂花も危ない目に遭っているのだ。
そして会場の件はともかく、矢で狙われた件に関しては黄忠が実行犯を担っている。華琳が怒るのも無理はない話だ。
だが、俺はこの件に関して自分の考えを曲げるつもりはなかった。
「華琳の怒りは尤もだと思う。でも、その報告書にある事が全てだ。俺は自分の考えを変える気はないよ」
俺も組織の一員だ。一度決まってしまった決定は、個人の感情論だけでは覆らない事を知っている。
暗殺なんて真似をした以上、その事実を認めてしまえば未遂とはいえ厳しい処罰は免れない。
だからこそ、認める訳にはいかなかった。華琳になんと言われようと、こればかりは譲るつもりはない。
「それは……黄忠のため?」
「いや、俺の我が儘かな?」
「そう……」
黄忠を裁くつもりはない。
何よりも、幼い少女から母親を取り上げるような真似を俺は取りたくはなかった。
だから、これは黄忠のためでも、彼女の娘のためでもない。俺の我が儘だ。
「いいわ、この話はここまで。私は何も聞かなかった。事件の詳細は報告書通り、それでいいのね」
「ありがとう、華琳。ごめんな、嫌な想いをさせて」
「……フ、フン! 別に太老や黄忠のためじゃない。そう、子供のためよ……」
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第44話『当たり前の日常』
作者 193
【Side:華琳】
人の上に立つ者としては甘い、甘すぎる考えだ。だが、それが太老の良いところでもあるのだと理解していた。
太老は徳の高さを売っているのだから、ある意味でその選択は当然だ。太老なら、黄忠の事情を聞いて黙っていられるはずがない。
黄忠の件は、確かに娘を人質に取られていたという事情があるだけに同情の余地はある。しかし、だからと言って彼女の罪が消える訳ではない。彼女自身、それを覚悟していたはずだ。
だが、太老は黄忠を助ける道を選んだ。こうして私に追及される事を理解していながら、茶番を演じて見せた。
自分の我が儘と言っていたが、恐らくは黄忠の娘のために――
「はあ……嫌な女ね。華琳」
自分を諫めるように、私はそう言葉を漏らす。
本当のところ、為政者として太老を責めたのではない。子供のためと分かっていながら、女として黄忠に嫉妬していたのだ。
冷静な判断力を欠いていたのは、私の方だ。
「この私が、こんなにも男に振り回される事になるなんて……」
ここ最近の私は、自分でもはっきりと分かるほどらしく≠ネい。太老に対する気持ちを自覚してからは悪化する一方だ。
このままではいけないと自覚しつつも、これまでにこういった経験が無いだけにどうしていいか分からないでいた。
我ながら、ここまで不器用だったとは知らなかった。恋は人を変えるというが、よく言ったモノだ。
まさか、自分で経験する事になるとは思いもしなかったが、これは認めない訳にはいかないだろう。
少しずつではあるが、私は変わりつつある。その原因は間違い無く太老だ。
「今は保留ね。それよりも問題は――」
太老の暗殺未遂。冀州で起こっている不穏な動き。全ては繋がっている。そして恐らくは、中央の権力争いも無関係では無いはずだ。
黄巾の乱以降、霊帝の症状が思わしくなく床に伏せているという情報もある。中央はそれを必死に隠そうとしている様子だが、後継者擁立の動きがあるのは確かだ。
出る杭は打たれる――それは、いつの世も同じ。そう言う意味では、太老だけでなく私も暗殺の対象に入っていておかしくはない。
自分が清く正しい人間だとは私も思ってはいない。太老を重用している事は勿論だが、それ以外にも都には私を毛嫌いしている者も少なく無いはずだ。
だが、今回命を狙われたのは太老だけだった。問題は、それほど単純な事で無いように思えてならない。
「失礼します。華琳様、陳留から使者が――」
人の歴史は戦いの繰り返し。血で血を争う戦いの先にしか、束の間の平和は訪れない。
そして、黄巾の乱は起こるべくして起こった。
もはや朝廷にこの国を治める力は無く、漢王朝は滅亡の一途を辿り始めている。
「そう……今回の一件の裏が読めてきたわね」
この騒ぎの中、舞い込んできた新たな情報。桂花から聞かされた霊帝の死去。
そして時を同じくしてこの国の支配者が死んだ事で表面化した、大将軍何進≠ニ張譲ら十常侍の確執。
――霊帝の妻、何太后とその姉である何進によって擁立された皇太子、劉弁
――霊帝の母である董太后と、張譲ら宦官一派に擁立された劉協
都での血で血を洗う権力闘争の中、予断を許さない緊迫した状況へと駒を進めていく。
息を殺し、力を蓄えながら、ずっと待ち続けた状況。
黄巾の乱がさざ波に思えるほどの大きな波が、この国に迫ろうとしている。
(太老の事は後回しね。そう、私は一人の女である前に王≠ネのだから――)
待ち望んでいた群雄割拠の時代が、兆しを見せ始めていた。
【Side out】
【Side:太老】
「えっと……黄忠さん、趙雲さん」
「『紫苑』とお呼びください。御主人様」
「私の事は『星』で結構です。主」
華琳に叱られて、これ以上怒られないように残りの仕事でも片付けようと部屋に戻ると、部屋の前で黄忠と趙雲……いや紫苑と星が俺の帰りを待っていた。
昨日の礼を改めて言いにきた、と言うので部屋の中に入れたのだが、俺の事を『御主人様』や『主』と呼んだり様子がおかしい。
挙げ句には、二人とも床に膝を突き、俺に頭を下げて傅く始末だ。
「既に城には戻れぬ身。本来であれば、あの場で斬り捨てられても文句を言える立場にはありませんでした。それを願いを聞き届けてくださったばかりか、娘共々命を助けられた以上、その恩に報いない訳にはまいりません」
などと頭を下げて言われてしまっては、断るに断れない。
そんなつもりで助けた訳ではないのだが、だからと言って紫苑が納得してくれるかと言えば話は別だった。
しかし、なんで星まで……。頭を下げて礼をするのは、寧ろこっちの方なのに……。
「私は主に惚れ込んだだけの事。生涯仕えるべき主は御遣い殿、あなたを置いて他に居ない」
いや、惚れ込んだと言われても正直困るんだが……俺、どこかでフラグを立てたか?
もしかして仮面の事を言っているのだろうか?
それなら、確かにありえるかも知れないと考えた。
あの仮面は本来の持ち主の手にあるべきだと考えたので、そのまま星に持っていてもらう事にした。
華蝶仮面の正体を知っているのは、今のところ俺と紫苑だけだ。あれだけバレバレな姿だと他にもバレているかも知れないが、星はバレていないつもりでいるので敢えて水を差すつもりはない。
だとすれば、華蝶仮面誕生の切っ掛けを作った俺に惚れ込み、正体を口外しないか監視の意味も込めて仕えたいというのは分かる気がした。
まあ、取り敢えず商会で働きたいというのなら、お世話になった事だし面倒を見るのは吝かではない。星ほどの武芸者なら、きっと自警団でも活躍してくれるはずだ。
(……まあ、確かに最後まで面倒をみるのが筋だよな)
華琳にも自分の我が儘と言った手前、助けておいて、そこで放り出したのでは無責任だ。
紫苑の事情を考えれば、楽成に帰るという選択は彼女には無い。帰ればどんな目に遭わされるか、分かったモノではないからだ。
亡くなった夫から譲り受けたという城や街の事は確かに心配だろうが、娘の事を考えるのなら戻るべきでは無いだろう。
そうした事も考えてみると、色々とやる事は山積みだった。
俺に仕える仕えないは別として、紫苑と璃々の面倒を最後までみる責任が俺にはある。関わってしまった以上、楽成の件も放置と言う訳にはいかないだろう。
幼女のためとはいえ、厄介な面倒事に足を突っ込んだものだと自分でも思った。華琳が怒る訳だ。
まあ、それでも幼女のためだ。どれだけ大変だろうと、自分の選択に後悔はしていない。
「分かった。歓迎するよ。紫苑さん、星さん」
「ありがとうございます、御主人様。ですが、その……」
「我々の事は呼び捨てで結構です。主」
ならば、と俺も『御主人様』と『主』を二人にやめさせようと考えたのだが――
「じゃあ、俺も太老で――」
「それは出来ません。御主人様を呼び捨てにだなんて……」
「何を奇っ怪な事を……主は『主』でしょう?」
俺の意見は言い終える前に却下されてしまった。
前々から思っていた事だが、何故かこの手の話題で俺の意見が通った例がない。
――俺、御主人様だよね?
やはり、女性に弱いのは血筋かもしれない。女性に甘いのは、樹雷の男子の宿命か――
「ごしゅじんさまー!」
「璃々! 突然なんですか!」
「うぅ……お昼ごはんの時間だから……でも、お母さんもごしゅじんさまもいなくて……」
「ああ、ごめんごめん。璃々ちゃん、昨日約束したもんな。天の国の料理を食べさせてあげるって」
「うんっ!」
と、幼女にも甘い俺だった。
いや、これは無理だろう。幼女の純真無垢な涙に何も感じない奴が居るとしたら、そいつはとんでもなく冷酷な人間だ。
昨日はバタバタとしてた事もあり、今日も朝から華琳に呼び出しを食らっていたので璃々との約束を守れないでいた。
「御主人様。ですが、お仕事があったのでは……」
「ごしゅじんさま……おしごとなの?」
「そんなの昼飯を食べてからでも出来るよ。それよりも璃々ちゃんとの約束を果たす方が大事だもんな」
仕事と聞いて寂しそうな表情を浮かべる璃々を、俺はひょいっと担ぎ上げ、風にいつもしているように肩に乗せた。
「わーい! たかいたかーい!」
少し驚いた様子の璃々だったが直ぐに元気を取り戻し、嬉しそうにパタパタと手足を動かしてみせる。
子供は元気に、こうして笑っているのが一番だ。
特に人質に取られていた間は母親と引き離され、ずっと寂しい思いをしていたのだから、今くらいは我が儘を黙って聞いてあげても罰は当たらないはずだ。
仕事は確かに大切だが、それで幼女との約束を破り泣かせていては本末転倒。一日や二日徹夜する事になったとしても、この笑顔には代え難いものがある。
「主。それは私も御一緒しても構いませんか?」
「まあ、そりゃ構わないけど……そうだな。今日くらいは俺が奢るよ」
「よろしいのですか?」
「星には世話になったしね。昼飯代くらい出すよ。勿論、璃々ちゃんと紫苑の分も」
「ですが……御主人様にそこまでして頂く訳には……」
「手持ちの金なんて殆ど持ってないんじゃない? 面倒を見るって決めた以上、その辺りの事は心配しなくていいよ。璃々ちゃんに不自由させる訳にはいかないしね」
面倒を見ると決めた以上、男に二言はない。ましてや、育ち盛りの璃々に不自由をさせるような真似だけはしたくなかった。
その分は、これから紫苑が働いて返してくれればいいだけの事だ。真面目に働きさえすれば、支度金くらい直ぐに返せるはずだ。
城主をしていた経験があるというし、商会でもそれなりのポジションで働いてくれる事を期待している。
有能な人材は幾ら居ても困らない。こちらとしても、執務経験がある人材に来てもらえるのは大助かりだ。
武芸に特化しているよりは、どちらかというとそちらの方がありがたい。最近、書類仕事で死にそうな目に遭ってるしな……。
「兄ちゃん! 外に御飯食べに行くならボクも一緒に行く!」
「ちょっと、太老! ちぃを放って置いて、他の女と食事に行くってどういう事!?」
「太老様〜っ! 私達へのご褒美は!? 昨日は大変だったんだから!」
「ああ、もう! 姉さん達ったら、また!」
どこから話を聞きつけたのか、部屋から出たところで季衣、地和、天和、人和の四人に捕まった。
しかも会話の流れから、何だかんだで俺が全員分の昼飯を奢るという話になっているし。
――ちょっと待てお前等は遠慮を知らないだろう!
と、ツッコミを入れようとしたところで、
「太老の奢り? そうね。それなら私も一緒に行きましょう。桂花」
「はい、華琳様。昨日の事もありますし、遠慮は要りませんね」
いや、マジで遠慮してくれ。特に桂花! その邪悪な笑みが凄く不安なんですけど……。
とはいえ、華琳に睨まれては俺も反論し難い。遠慮の無さそうなのが二人加わり、益々退路を塞がれてしまった。
「局長! ウチも欲しいもんがあるんやけど――」
「真桜、お前は自重しろ! そんなの自分で買え!」
「贔屓や! 差別や!」
「減給半年にするぞ」
「そんな殺生な! 職権乱用や!」
いや、今回の騒動の原因の一端は技術開発局にあるし、それは当然の対応だろう。そもそもこの上、俺に奢らせようとする神経を疑いたい。
俺だって華琳に怒られるし、全員の昼飯を奢らされるし、帰ったら稟と風の説教が待ってるんだ。
マッド連中も、ちょっとは反省して欲しい。
「フフッ、やはりあなたを主に選んで正解だったようだ。退屈しそうにない」
「ええ、本当に……」
星の発言は冗談に聞こえなかった。俺の不幸を退屈凌ぎの肴にしないで欲しい。
ただ、その時に見せた紫苑の表情。初めて見せた優しい微笑みは、素直に綺麗だと感じた。
これが本来の紫苑なのだろう。弓を構え、俺に向けていた悲しげな表情よりは、ずっとこちらの方が魅力的だ。
紫苑の慈愛に満ちた瞳。璃々の嬉しそうな声。皆の笑い声が絶えないこの時間が、俺が理想とする日常なのだと再確認した。
「ごしゅじんさま、おなかすいたーっ!」
「ああ、はいはい。それじゃあ、行くか。皆で」
平穏――言葉にするのは容易いが、それが難しい事だと俺は知っている。
そして、そんな時間こそが一番掛け替えの無い物だという事も――
璃々のような子供が、こんな風に笑顔でいられる世界。そんな世の中を華琳達は作ろうと頑張っている。
(そうだよな。俺に出来る事なんて、昔から一つしかない)
少しでも長く続くように、こんな時間を守っていきたい。大切にしたい。そんな気持ちを育んでいた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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