【Side:朱里】

「色々と協力してもらって申し訳ないんだけど、提案は呑めない」
「そう……ですか」

 あれから一週間。北郷さんの答えは私が予想していた通りのものだった。
 愛紗さんはきっと納得が行かないだろうけど、これはこれで良かったと思う。本人の意思に背いて無理矢理協力を仰いだところで、それが桃香様のためになるとは思えない。
 後はここで素直に愛紗さんが諦めればそれでよし。そうでない場合でも、北郷さんの決定が一つの切っ掛けになればと私は考えていた。

(でも、ここからが正念場。上手く立ち回らないと……)

 多分だけど、愛紗さんはそれでも諦めきれないだろう。それほどに桃香様の理想は愛紗さんにとって、全てと言っても過言では無い。
 愛紗さんが私の提案を呑んでくれたのは、私なら北郷さんを説得出来るであろうと考えての事だ。
 それが失敗に終わったとなれば、愛紗さんは何がなんでも北郷さんを巻き込もうと考えるか、他の手を打ってくる可能性は高い。
 だけど、それは好機でもある。凝り固まった頭を解きほぐすには、荒療治ではあるが現実を確りと見せる方が早い。
 愛紗さんにとって何よりも大切なのは桃香様だ。現実を知り、それが桃香様の意思にそぐわない事だと気付きさえすれば、きっと自分の力で立ち直ってくれるはずだ。

 結局どちらにせよ巻き込んでしまう事になり、北郷さんには迷惑を掛けてしまう事になるが、それも愛紗さんのため、引いては桃香様のためでもある。その分の償いは確りとさせてもらうつもりでいた。
 自警団の皆さんや商会のツテを利用して収集を依頼している薬の材料も、正規の予算申請では下りない分の代金と諸経費は私の給金や報償から補うようにしている。
 愛紗さんの件で迷惑を掛けてしまった事へのお詫びと、利用するような真似をしてしまったせめてもの償いと考えての事だ。
 だけど、北郷さんから次に聞かされた申し出は、そんな私の予想を大きく超えるものだった。

「で、相談なんだけど。俺を商会で雇ってもらえないかな?」
「……え?」

 先程、北郷さんは私の提案には乗れないとはっきりと断ったはずだ。それなのに商会で働きたいという真意を計りかねた。
 そんな真似をすればどうなるかなど、北郷さんにも分かっているはずだ。
 だけど冗談を言っているような眼ではない。その態度や言葉からも彼の真剣さが伝わってくるようだった。

「提案は呑めない……んですよね?」
「うん。というか、俺に務まるとは思えないんだよな。その天の御遣いの代行とかって」
「それなら、どうして……」
「だから、それは取り敢えず無しにして、最初からちゃんと雇用契約を結ぼうと思って」
「それはつまり……」
「色々と難しい話は別にして、薬の代金分はちゃんと働かないとダメだと思うんだ」

 ようは、薬の代金を払えないから商会で働かせてくれないか、という北郷さんの申し出だった。
 確かに筋は通っている。でもそれは、私の話を聞いた後ではまた意味が違ってくる。

「……利用されるとは考えないのですか?」
「本気で利用するつもりなら、問答無用で俺を利用すれば良いだけだと思うけど? そもそも、こんな話をする必要性が感じられない」
「それが、私の策だとは考えないのですか?」
「なんで?」
「なんでって……」

 真剣に訊いている方が馬鹿らしく思えるほど、あっけらかんとした様子で首を傾げる北郷さん。
 私はこの人の事を過大評価していたのだろうか? その態度だけを見ると、自分の眼を疑ってしまう。
 でも――

「まあ、そんな風に訊かれると正直困るんだけど、色々と難しい事を考えるよりは自分のやりたいようにやろうと思ってさ」
「やりたいように?」
「お世話になったから御礼がしたい。親切にしてくれたから俺も親切にしたい。ただ、それだけだよ?」
「はわ……それだけ……ですか?」
「うん」

 迷い無くコクリと首を縦に振って頷く北郷さん。とても嘘を言っているようには思えなかった。
 ようやく分かった気がする。私が北郷さんに感じていた物がなんなのかを。
 そう、根本的な部分で桃香様や太老さんと一緒なのだ。この人は――
 困っている人がいるから助けたい。大切な人だから護りたい。そこに深い思惑など無いのだと気付かされた。

「それに情けない話だけど、薬代どころか実際には旅費にも困る有様でね……。ここなら生活に不自由はしないし、お金も稼げて恩返しも出来て一石二鳥かな、って」

 そう言って頬をかきながら苦笑する北郷さんを見て、私は納得してしまった。
 確かに北郷さんは能力だけでいえば、太老さんとは比較にすらならないほど凡才だ。でも、その器の大きさは桃香様や曹操さんと比肩しても遜色の無い物だと私は感じた。いや、太老さんにも匹敵するほどの大物なのかもしれない。

(北郷一刀さん……。この人なら……)

 本人は天の御遣いの代行など務まらないと言っていたけど、私はそうは思わなかった。
 北郷さんは私の思惑を承知の上で私の行いを許し、その上で全てを無かった事にして商会で働きたいと言ってくれた。
 これだけの大度を示され何も返さなければ、私は桃香様の軍師として、そして人として自分を許す事が出来ない。

「北郷さん……いえ、御遣い様。先程までのご無礼の数々、どうか謝罪させてください」
「え? ちょっと諸葛亮ちゃん!?」

 私は席を離れ、床に膝をついて深く頭を下げた。
 愛紗さんだけではない。心のどこかで北郷さんを侮っていたのは私も同じだった。
 だからこそ、謝罪と改めてお願いをしたい。もう一人の天の御遣い様に――

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第56話『謎の仮面戦士たち』
作者 193






【Side:華琳】

「秋蘭、桂花。準備はどうなってるの?」
「兵站の積み込みと装備の確認は数日中には完了する予定です」
「軍の編成も滞りなく進んでいます。春蘭に命じて部隊の編成を急がせていますので、こちらも二日以内には完了するかと」
「そう……ここを三日後には発つわ。それまでに全ての準備を終えておくように。後で確認の書類をこちらに回しなさい」
『御意』

 太老が居なくなって、もう少しで一ヶ月半の時が過ぎようとしていた。
 反董卓連合の根回しは既に済み、数日中には合流地点へ向けてここ陳留を出立する予定だ。
 参加を表明した諸侯は袁術・袁紹の二人を筆頭に、幽州の公孫賛、江東の孫策、西涼の馬騰などが名乗りを挙げていた。
 そしてこの私、曹孟徳に、正木商会からは義勇軍を募って名乗りを挙げた劉備が参戦する予定となっている。数の上では董卓軍に並んだ事になる。

「桂花。洛陽に放った細作からの情報に何か進展はあった?」
「いえ、今のところ特には何も。ただ、妙な噂が……」

 細作の話によれば、洛陽の民の間で宮廷で起こっている騒ぎや事故の事を『天罰』と呼び、天の御遣いの降臨を歓迎する声が上がっているという話だった。
 普通ならば『天罰』なんてそんな馬鹿な話、と考えるところだが私達はその光景を実際にこの眼にしているので直ぐに納得が行った。
 その裏に彼等の噂する天の御遣い――正木太老が関わっているであろう事は明らかだったからだ。

「そう、天の御遣いがね」

 桂花の報告に、フフッと思わず笑みが溢れる。
 簡単に殺されるような太老ではないと思っていたけど、それでも無事な話を聞くとそれはそれで嬉しかった。
 この曹孟徳が唯一自由に出来ない男だ。凝り固まった古い考え方しか出来ない中央の宦官如きが、太老を御しきれると思ったら大間違い。
 細作の報告を聞くまでもなく、結果は火を見るよりも明らかだった。

 では何故、太老の帰りを待たず、このような茶番を演じたのか。その理由は簡単だ。
 このまま放置したところで、第二、第三の董卓が現れないとも限らない。そうなる前に、先に手を打っておく必要性があった。
 どちらにせよ、遅かれ早かれ滅びを待つだけの国だ。ここまで民を蔑ろにし、一度失った民の信頼を取り戻す事は不可能。漢王朝が再び息を吹き返す事は確実に無いと言える。
 太老の件は切っ掛けに過ぎない。この大陸に真の平穏をもたらすためには、現在の腐りきったこの国の在り方を変える必要性があった。
 官匪の蔓延る現在の朝廷は邪魔にしかならない。歪んだ現在の状況を正常な物へと戻すためにも一度全てを破壊する必要がある。そのためにも、乱世の突端をここで開く必要があった。

 悪政を敷いているのが董卓自身とは限らないが、そんな状況を招いたのも董卓自身の責任だ。
 洛陽の民が苦しめられているのは事実。それに民の希望である天の御遣いを不当に連れて言ったのもまた事実。
 裏で何者かが意図を引いていようが、それらは全て董卓の名の下で行われた以上、生半可な事では誰一人納得はしないだろう。
 生け贄――という言葉は好きでは無いが、この騒ぎを鎮め、大陸に平穏をもたらすためには必要不可欠な犠牲であると私は考えていた。
 何よりも当事者である董卓自身、それを一番よく理解しているはずだ。だからこそ、私に出来る事は一つしかない。

 ――逆賊、董卓を討つ

 劉備あたりが真実を知れば間違い無く反対するのだろうが、綺麗事だけでは理想を為し得る事は出来ない。
 太老の救出は勿論の事、それだけは決して覆る事の無い決定だった。

「…………秋蘭」
「はい。どうかなさいましたか?」
「趙子龍はどうしたの? 彼女なら真っ先に義勇軍に名乗りを挙げると思ったのだけど……」

 商会から提出された義勇軍の編成表に目を通し、そこに趙雲の名が無い事を不思議に思った私は秋蘭に尋ねた。
 太老に心酔して商会の門を潜った彼女であれば、今回の(いくさ)に必ず自分の意思で参戦する物と考えていたからだ。

「それが商会に問い合わせたところ、一ヶ月ほど前から行方知れずとの話です。例の華蝶仮面が現れなくなった時期と一致しますし、この街には既に居ない可能性が……」
「それって……」

 秋蘭の言わんがしたい事は直ぐに分かった。
 太老の指示か、趙雲の暴走か、何れかは分からないが『天罰』の噂といい、洛陽の街で何かが起こっている事だけは確かだった。
 その後、直ぐの事だ。洛陽の街で活躍する三人組の正義の味方の話が上がってきたのは――

【Side out】





【Side:張譲】

 次から次へと上がってくる案件の多さに、朝廷の機能は完全に麻痺していた。
 今まで協力的だった宦官達も尽く離反の意を表明しており、皇帝に直接取り入ろうとする者達まで出始める始末。
 傀儡に過ぎなかった皇帝がここにきて頭角を現し始め、皇族派と呼ばれる者達がその数を増やし続けていた。
 そして肝心の皇帝も、頭の痛い問題の一つとなっていた。

「董卓ばかりか、あの男と張三姉妹を牢からだすなど……」

 行方を眩まし今度は何をしでかしたかと思えば、董卓達を勝手に地下牢からだし、自分の客人として扱うようにと言ってきたのだ。

「まだ八つにも届かぬ小娘がただの傀儡でいればよい物を、要らぬ知恵を付け小賢しい真似をしてくれる!」

 しかも状況は悪い事に、それに追従するかのように宦官達が手の平を返し、幼い皇帝を支持し始めたのだ。
 やること為すこと全ては裏目裏目にでる始末。後手に回ったこちらは要である董卓を奪われ、身動きが取れずにいた。

「今は動けない……。下手をすれば、奴等に口実を与える結果になりかねない」

 ここで自分を董卓に殺された事にしたのが裏目に出てしまっていた。
 暗殺の危険にも眼を向けなくてはならない上に、次に失脚させられるのは自分である気運が宮廷の中で高まっているだけに、こちらから皇帝の庇護下にある董卓や天の御遣いに手を出す事は難しい。それでは皇帝に与する官達に余計な口実を与える事になりかねないからだ。
 だが、未だに太平要術の書に妖力は溜まりきっていない。これでは目的を達するには程遠い量だ。それどころか、日を追う毎に洛陽の街は息を吹き返し、以前の活気を取り戻しつつある。原因は言うまでも無い。街に吹聴されている天の御遣いの噂と――

「何者なのだ。この仮面をつけた三人組とは……」

 街に最近姿を見せ始めたという蝶をカタチどった仮面をつけた三人組。
 庶人の味方を気取り尽く我等の邪魔をして、既に警備兵にも大きな損害が出ているという話が上がっていた。
 しかもそれと同時に行商人達が街に出入りするようになり、格安で食べ物や日用品を配って回っているというのだ。
 心当たりは一つしかない。その事からも、あの天の御遣いが裏で意図を引いているとしか考えられなかった。

「余り時間は残されていないか……」

 既に宮中の半数以上が皇帝と董卓の側に回っている。
 こちらの手に董卓がある内はよかったが、董卓を失っただけで一気に形勢は逆転してしまった。

「だが、運が向いてきたのも確かだ」

 反董卓連合なる諸侯連合が袁家の旗印の下で結成されつつあるという情報がもたらされたのは、その直ぐ後の事だった。
 洛陽に諸侯の軍が攻めて来る。だが、これはある意味で好都合でもあると考えた。
 董卓が悪政を実際に敷いていたかどうかなど関係無い。董卓がどのように弁明しようと、一度火のついた諸侯の軍は止められない。嘘か本当か、それが真実かどうかなど問題ではなかった。
 諸侯が欲している物は簡単、名声と実益。董卓という逆賊から洛陽の都を開放し、皇帝を助け出すという名目さえ立てば彼等はそれで良い。
 勝てば官軍、負ければ賊軍。この戦いに勝利した方が、自分達に都合の良い真実を作る。人の作る歴史とはそう言う物だ。
 董卓は戦う他ない。彼女に戦う意思があろうとなかろうと、少なくとも袁家の者は確実に董卓の首級(しるし)を要求してくるはずだからだ。
 そして、それを許容出来るような者達ではない。董卓の臣下とは――

「共倒れになってくれれば理想だが、そうは上手くいかないか」

 諸侯が連合を組めば、幾ら董卓の軍が精強で数が多くても勝ちは薄い。だが、諸侯の軍もただでは済まないはずだ。
 そこを上手く利用すれば、一気に厄介な勢力を叩き潰す絶好の機会でもあると言えた。
 そのためにもまずは――

「見ていろ。董卓、天の御遣い! 最後に笑うのは、この張譲だ!」

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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