【Side:霞】
「張遼将軍! 斥候からの報告で十里先に敵影を確認! 連合軍と思われます!」
「五日か……。賈駆っちの言うた通りになったな。結構、時間を稼げた方か」
ウチらに与えられた任務は連合軍を倒す事でも、シ水関を死守する事でも無い。ただの時間稼ぎや。
シ水関や虎牢関を除く小さな関所だけでは、十万を超す連合軍を止められるだけの力は無い。
兵の殆どをシ水関と虎牢関に集結させたのも無駄な戦力を消耗させないためと、敢えて油断を誘っていると相手に思わせるためでもあった。
予想通り相手はこちらの策に嵌り、五日の時間を浪費する結果になった。兵の損害をださずに、これだけの時間を稼げれば上々と言える。
「まあ、華雄は連れてこんで正解やったかもな」
本来、シ水関の護りは華雄の務め。しかし、この作戦の目的はあくまで時間稼ぎ。そのためには打って出るのではなく、如何に忍耐強く敵の出方を待てるかにある。『忍耐』という言葉をどこかに忘れてきたかのような猪武者の華雄は、連れて来なくて正解やったとウチは考えていた。
ちなみに華雄は何をしてるかというと、姉さんの指示を受けて街で広報活動′セうのをやっとる。華雄を言葉巧みに言い含めて、あんな仕事をやらせる辺り、姉さんも相当に意地が悪い。
月のためと考えたら仕方の無い事とはいえ、今回の作戦といい、太老や姉さんを敵に回すのだけは絶対にしたくないと思った。
「打って出られますか?」
「アホか。華雄みたいな事を言っとらんで作戦通りにいくで。罠の準備は?」
「完了しています。ですが、よくあんな厭らしい罠ばかり思いつきますね……」
兵の言葉に、その罠を考えた張本人を思い浮かべてウチは苦笑を漏らした。
確かにこの作戦が上手く行けば、犠牲を最小限に留める事が出来るかもしれん。しかも時間も稼げて一石二鳥言う訳や。
武人としては正々堂々と戦場で強い奴と戦ってみたい、いう想いは確かにある。そう言う意味では、華雄の気持ちも分からんでもない。
しかし、武人の誇りと月の命。その二つの内どちらかしか選べんとすれば、ウチ等にとっては天秤に掛けるまでもない話やった。
「最低でも二週間。連合軍をここに釘付けにするで!」
『応っ!』
最初は詠もウチ等も、どんな犠牲を払っても月だけは護るつもりでいた。勿論、自分達の命を懸ける覚悟もあった。
そやけど、天からきたと言うあの二人はそんなウチ等の覚悟を真っ向から否定した。
――最初からそんな気持ちでどうする。お前達が犠牲になって、それで命が救われて喜ぶような女の子なのか?
はっきりと、どちらも見捨てるつもりはないと言った太老。それは姉さんも同じ考えやった。
月を助け、被害を最小限に食い止め、諸侯を納得させ連合を引かせる策。そんな都合のよいものなどあるはずもないと思っていたウチ等に、希望を提示してくれたのは他ならぬあの二人や。だからこそウチは自分で志願し、この任務を引き受けた。
アホみたいな理想と笑う奴は確かにおる。そやけど、そんな欲張りで甘々な願いを叶えるためにウチは戦場にいる。
月だけのためやない。ウチが信じた姉さんと惚れた男≠フため――
「さあ、第一の関門『シ水関』。攻略できるもんならやってみい!」
武人の誇りを譲ったんや。帰ったら、絶対にウチと仕合てもらうで、太老!
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第64話『シ水関』
作者 193
【Side:一刀】
シ水関まで残り五里と言ったところで、思わぬ足止めを食っていた。
諸葛亮ちゃんの話によれば、この先に大量の罠が仕掛けられているという話だ。しかも峡間の入り口と思しき場所には、大きな立て札が突き刺さっていて――
――ようそこ、第一のアトラクション『シ水関』へ
と書かれていたそうだ。どこから突っ込んでいいのか分からないくらい不自然な内容だった。
何がおかしいとか今更な話かもしれないが、アトラクションは無いだろう、アトラクションは……。
罠と分かっていて突っ込む馬鹿はいない。当然、偵察隊をだしたそうなのだが、それも全滅。誰一人死んではいないそうだが、全員が顔中に落書きをされて満身創痍で戻って来たという話だった。
で、どんな罠が他に仕掛けられているか分からない以上、大部隊で移動すればどれほどの損害がでるか分からない。結果、俺達はここに足止めを余儀なくされていた。
(アトラクションか……。何考えてるんだろうな)
今はその対策会議を行っているところだ。
明日には連合の本隊もこちらに合流する事になる。それまでに対策を練っておかなくては、大変な事になりかねない。
あの袁紹の事だ。話に聞く限り、相当の馬鹿だというのは分かっている。何の策も無しに『突撃』と号令を掛けられでもしたら被害は広がるばかりだ。
「この手口……。間違い無く太老さんですね。自警団の名物『虎の穴』と内容も酷似していますし……」
「それって、天の御遣いが董卓の側についたって事?」
「太老様はそんな人じゃない! きっと、きっと何か理由があるんだよ……」
諸葛亮ちゃんと俺の話に過剰に反応して、劉備さんが声を荒らげる。
無理もない。彼女からすれば、これから助けに行こうとしている人物が実は敵に寝返っていたなど信じられる話では無かった。
勿論、俺も天の御遣いなんて呼ばれている人が、何の理由も無く董卓の味方をしているとは思っていない。
「桃香様、落ち着いてください。太老さんが敵になったとは一言もいってませんよ?」
「でも……」
「この件に太老さんが関与しているのは確かです。でも、考えてみてください。罠は張られているのに犠牲者は一人もでていない」
「え? どういう事?」
「相手には私達を殺すつもり……いえ、戦う意思がないのかもしれません。だとすれば目的は――」
諸葛亮ちゃんの言いたい事は直ぐに分かった。
妙に手のこんだ罠といい、怪我は負っているものの誰一人犠牲者がでていない事といい、敵に真っ向から戦う意思がないと仮定すると考えられるのはこの場合一つしかない。
「足止め。時間稼ぎか」
「その通りです。さすがですね、北郷さん」
「いや、そこまで言われれば馬鹿でも分かるよ」
これでも、水鏡さんのところで嫌と言うほど学んできているしな。
諸葛亮ちゃんがヒントを提示し、これだけ条件が揃っていれば誰にだって分かる簡単な問題だ。
それこそ、水鏡塾に通う子供達にだって分かる問題だろう。
「……ごめんなさい。どうせ、私は馬鹿ですよ。朱里ちゃんみたいに頭もよくないし……」
「ああっ、ごめん! 俺が悪かった! そう言う意味で言った訳じゃ!」
そんなつもりで言った訳じゃなかったのだが、劉備さんが自分の事を言われたと勘違いして拗ねてしまった。
その所為でクスクスと失笑が飛び交う。しかし同時に先程まで重く張り詰めていた軍議の空気も、少し和らいだ感じがした。
これを狙ってやったのだとすれば凄いのだが――
「みんな、笑うなんて酷いよ!」
そう言って顔を真っ赤にし、頬を膨らませて抗議する劉備さん。大将として威厳の欠片も無い。
少しでも感心した俺が甘かった。はっきり言って、これは天然だ。先日の勘違いも、その天然の所為でずっと引き摺ったままなんだよな。
男色疑惑は確かに解けたが、代わりに両刀使いだと言う噂が広がりを見せている。しかも諸葛亮ちゃんとの関係を疑われ、ロリコン疑惑まで再び浮上してきていた。
「これまでの敵の動きはどこか変でした。それが私達を混乱させ、時間を稼ぐためだったと考えれば納得が行きます」
「……時間を稼ぐのが目的だとして、それでは敵の狙いはなんだ? 時間を稼ごうとするからには何か理由があるのではないか?」
「普通に考えれば、兵糧が切れるのを待っているのかもしれません。あちらと違ってこちらは遠征軍ですから、戦いが長引けばそれだけ不利になります」
関羽さんの質問に、軍師の視点から的確な答えを返す諸葛亮ちゃん。
そこには普段の頼りなさげな少女ではなく、自信に満ち溢れ、威風堂々とした軍師諸葛孔明≠フ姿があった。
しかし自分で言った答えに満足していないのか、『ですが』と付け加える諸葛亮ちゃん。
「それだけでは、こちらの兵を殺さなかった理由としては弱い気がします」
「単にトドメを刺す余裕が無かっただけではないのか?」
「その可能性はあります。ですが、怪我は負っているものの一人も欠ける事無く戻って来られたのは、やはり不自然です」
関羽さんの疑問に、シ水関に辿り着くどころか入り口で全滅しているんですよ、と付け加える諸葛亮ちゃん。
確かにその通りだ。でも――
「あの、ちょっといいかな?」
「はい、北郷さん」
「態と手傷を負わせるだけで逃がしたんじゃないのか? さっき兵糧を使わせるのが目的って言ってただろう? それなら怪我人がいた方が俺達の足枷にもなるし、物資の消耗を早くするならそっちの方が確実なんじゃ……」
人数が多い方が食糧の減りが早いのは当然、怪我人がいれば薬や包帯も消費する事になる。
「北郷さんの言うように確かにそうも考えられますが戦力を削ぐ絶好の機会だった訳ですし、情報を持ち帰られる危険を冒してまでするような行為とは思えません。それに相手から敵意が感じられないのが、正直気に掛かるんです……」
「ううん……。他に何か企んでいると?」
「はい。それに今回の件に太老さんが関わっているとなると……」
軍師としては予想し難いと言葉を漏らす諸葛亮ちゃん。それは他の面々も同じのようだ。
「朱里ちゃん。北郷さんに任せてみたら?」
「え? でも、それは……」
「北郷さんなら機転も利くし、指揮官としても十分な資質を持っている。それに私達にはない発想が出来る人、太老様に似た考え方の出来る人は北郷さん以外にいないと思う」
「雛里ちゃん、もしかして気付いて……」
そこまで期待されると正直困るのだが、鳳統ちゃんの言いたい事も分からないでは無かった。
現代人の感覚というのは、確かにこの時代の人達には馴染みのないものだ。
諸葛亮ちゃんが行動を予想し難いというのも、そこに理由があるのだろう。
難攻不落の要塞と脅されてやってきてみれば、『アトラクションへようこそ』だもんな……。あれはさすがに予想できんよ。
「……北郷さん。お願い出来ますか?」
「……えっと、それはどういう?」
「シ水関を落としてくれとまでは言いません。お願いしたいのは、あくまで偵察です」
それでも命懸けの仕事には変わりない。
自警団の訓練は一度見せてもらった事があるけど、その中でも『虎の穴』といえば数ある試練の中で一番の難関という話だった。
そんな中に飛び込んでいって俺なんかが無事でいられるとは思えないのだが、諸葛亮ちゃんの表情は至って真剣そのものだ。
しかも軍議に参加している全員が、期待の籠もった眼差しで俺を見ていた。
いや、そんな目で見られても無理なものは無理なんだが……。貂蝉なら、確かに出来そうな気がしなくもないが……。
「大丈夫よん! ご主人様ならきっとやれるわ!」
「隊長と一緒なら、俺達どこにでもついて行きます!」
「そうです! 言ってくれたじゃないですか! 好機を掴めるかどうかは自分次第だって!」
「って、お前等いつの間に!?」
噂をすればなんとやら。軍議の席に、いつの間にか貂蝉と北郷隊の兵士達が紛れ込んでいた。
既に断れるような雰囲気では無くなっている。うちの奴等は全員やる気をだしているし、自己完結した様子で軍議に出席していた軍師や部隊長はウンウンと頻りに首を縦に振って頷いていた。
「はあ……。やれるだけ頑張ってみます」
「よろしくお願いします。明後日の朝までに、出来る限り多くの情報を持ち帰ってきてください」
連合軍の本隊の進行を止められるのは、そのくらいの時間が限界という諸葛亮ちゃんの話だ。
数で押せば確かに罠を突破できるかもしれないが、その場合は甚大な損害を被る事になるだろうと言う話だった。
与えられた任務の重さがよく分かる。最悪の場合、ここで全滅の危険もあると言う事だ。
(責任重大だな……)
【Side out】
【Side:朱里】
「雛里ちゃん。やっぱり、北郷さんの正体に気付いて……」
「うん。太老様に似ている人だなとは思っていたけど、朱里ちゃんや関羽さんの反応を見て確信したの」
「……私達の反応?」
「関羽さん、さっきの軍議の席でもずっと北郷さんの事を見てたよね? それに朱里ちゃんも、私が北郷さんを推薦した時に動揺したでしょ?」
そう言われて、先程の軍議の席の事を思い出した。
愛紗さんだけではない。無意識に北郷さんの事を意識していたのは私も同じだ。
自分でも気付かない内に、少し不自然な態度を取っていたかもしれないと考えた。
「お友達だからね、些細な反応でも気付くよ。ずっと朱里ちゃんと一緒だったんだから……」
「ごめん。雛里ちゃん……」
改めて友達と言われて嬉しい反面、その友達に隠し事をしていたという後ろめたさもあった。
先日、雛里ちゃんが感じていた気持ちは、きっとこんな感じだったのだと今更になって思う。
「あわわ……別に朱里ちゃんを責めてるんじゃないよ? それに大丈夫。北郷さんの事は誰にも言わないから……」
「雛里ちゃん……」
「北郷さんのためなんだよね? 朱里ちゃんが黙ってたのって」
雛里ちゃんにそう訊かれて、私は首を縦に振って頷く。
「これが明るみになれば、北郷さんに取り入ろうという人や利用しようと考える人が出て来るかもしれない。私は出来る事なら、そんな風になって欲しく無かったの……」
試すような真似をした私達を彼は快く許してくれた。その彼から受けた恩を仇で返すような真似だけはしたく無かった。
だからこそ、北郷さんの事だけは誰にも絶対に話す訳にはいかなかった。
例えそれが、雛里ちゃんや桃香様であったとしてもだ。
「でも、雛里ちゃん。どうして、北郷さんを推薦なんか……」
「一つは、さっきのが理由だよ。北郷さんが本当にそうなのか確かめたかった。太老様のためにも……」
雛里ちゃんの言いたい事は分かる。きっと私でも同じ事をしたはずだ。
「後は軍師としての考え。本当は朱里ちゃんにも分かっているんでしょ?」
この状況をなんとか出来る隊は限られている、と話す雛里ちゃん。
その通りだ。太老さん考案の罠が張り巡らされた渓谷を抜け、シ水関まで辿り着ける人材となれば義勇軍の中でも限られている。
自警団の中から選出された人達。楽進隊か于禁隊、そして李典隊の三隊だ。
愛紗さんと鈴々ちゃんの隊は残念ながら、こうした絡み手を使った局面には弱いところがある。
それに以前にも愛紗さん達は自警団の試験を不合格になっている。軍師として可能性の薄い賭けに乗る事は出来ない。
後は、三羽烏の皆さんの隊。李典隊には引き続き、罠の調査と撤去作業を継続してもらう必要があった。
強硬手段で渓谷を走り抜けなくてはならない可能性も考慮されるからだ。そうならないように策を講じている訳だが、最悪の場合でも最小限に被害を食い止めたい。
楽進隊と于禁隊ならそうした心配はいらないが、彼女達の隊の性質から言って偵察任務に向いているとは言えない。それに彼女達の隊は義勇軍の主力となる部隊だ。敵の勢力圏内で本隊から主力を外す訳にはいかず、いざと言う時に一番働いてもらわなければならないのが彼女達の隊だった。
動きの取りやすい人数で、それでいて太老さんの罠にも対応でき、咄嗟の判断もこなせる有能な兵の集まった隊。
更には有益な情報を持ち帰るには優れた洞察力も必要となる。
洞察力に優れ、私達には予測できない太老さんの考えに通じる人となると、たった一人しかいなかった。北郷さんだ。
上手く行けば、完全に罠を撤去するまでの数週間。連合軍をここに留めるための理由を作れるかもしれない。
今のこの状況では仮に話をしたとして、袁紹さんや袁術さんを納得させる事は出来ないだろう。少しでいい。話に説得力を持たせられるだけの情報が欲しかった。
仮に袁紹さんと袁術さんが異を唱えたとしても、他の連合に参加している諸侯ならば上手くこちらの話に乗ってくれるはずだ。
大きな被害がでると分かっていて、無策で敵の罠に突っ込んで行こうという愚か者はいない。それに進路を変更し迂回するにしても、ここからでは更に多くの時間を要する事になる。兵糧の問題だけでなく、敵に時間を与え更に防備を固められてしまう事を考えると、余り私達には時間が残されていなかった。
「それにここで上手く時間を稼げれば、太老さんの狙いも読めるかもしれない。そうでしょ? 雛里ちゃん」
「うん。太老様が何の考えも無しに、こんな策を講じたとは思えない。きっと何か事情があるんだと思う。だから……」
「予想が出来ないのなら敢えてその策に乗って、そこに活を見出す」
そう言って、二人一緒に笑みが溢れた。
水鏡先生の下で一緒に学び、数え切れないほどこうして雛里ちゃんと知恵を競い高めあった、あの頃の事を思い出す。
「さすがだね、朱里ちゃん」
「雛里ちゃんこそ」
だからこそ、お互いに今、何を考えているかが手に取るように分かった。
「凪さん達も手を妬いていた人達を上手く扱える北郷さんなら、きっと上手くやれる。だから、大丈夫だよ。朱里ちゃん」
「……うん。今は北郷さんを信じて、私達にしか出来ない仕事をやろう。雛里ちゃん」
そう、まだ始まったばかり。立ち止まってなんていられない。ここからが軍師の腕の見せ所だ。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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