【Side:一刀】
俺は肝心な事を忘れていた。
貂蝉は変人……いや、変態だが、この隊の兵士達もそのカテゴリーに足を突っ込んだ変人だったと言う事を――
貂蝉にとっては罠などやはり物の数ではないようで、その鋼の肉体と超人的な反射神経で罠を全て完全無効化していた。
兵士達も曲者揃いで、元は自警団にいたと言う者や技術開発局で技師をやっていたと言う者まで中にはいて、シ水関まで張り巡らされた大量の罠を器用に無効化しながら進んでいた。
単に士気が高いと言うだけではない。文字通り『変人』と言う名のプロフェッショナルなのだと、気付かされた瞬間でもあった。
しかもだ。なんでそんなに慣れているかと訊いてみたら――
『周泰様や太老様の仕掛けられる罠の方がずっとえげつないですしね。これならギリギリ難易度シーってところですかね?』
最高ランクがAで、それを攻略できているのは今のところ周泰ちゃんだけなのだそうだ。川魚の一件を思い出し、確かにあの忍者少女ならと思った。
とはいえ、そんな変人達を指揮している部隊長の俺だが、残念ながら俺自身は至って普通の人間だ。最近ではホモ疑惑やロリコン疑惑、果てには両刀疑惑まで出て来ているが、決して変人でも変態でもない。
歩いているとどこからともなく矢の雨が降ってきたり、崖から大岩が転がってきたり、落とし穴ならまだ可愛げがあるが底なし沼が用意されていたりと、そんな罠の数々に襲われて平然としていられる変人と一緒にはしないで欲しい。貂蝉や隊の皆がいなければ死んでいた。命の保証がされてるなんて絶対に嘘だ。
これも『孔明の罠』と言う奴か、などと考えながら剣を杖代わりに全身泥だらけ一人満身創痍と言った様子で、シ水関を目指して進軍を続けていた。
「あれがシ水関か……。やっとゴールが見えてきたな」
まだ遠くに小さく見えるだけだが、ようやくゴールの姿を視認できる場所まできた。
しかし左右を高い崖に挟まれたこの一本道では姿を隠せるような場所はなく、これだけ派手に進軍してきたら既にこちらの位置も敵にばれているはず。そう考えてみると、この先が一番大変だ。
「さて、どうしたもんかな……」
正面から行って、約八万という相手に勝てるはずもない。なんらかの策を考えないと、何も出来ないまま全滅なんて事になりかねない。
だが少なくとも、これ以上近付かなければ敵も砦から出て野戦を仕掛けてくるような愚行はしないはずだと考えていた。
これだけ多くの罠が張り巡らされた場所では、敵の方も思うように身動きが取れないはず。
そうした意味では少数精鋭の分、こちらの方が断然動きが取りやすい。そこを上手く利用できれば、と考えるのだが――
「この辺りに陣を構えて、先に何人か偵察にだして様子を見るのが賢明か?」
「でも、ご主人様。余り時間が無いのではなくて? 帰りの時間を考えると、そう長くはここに留まってられないわよん」
「それなんだよな。全く、本当に厄介な任務を与えてくれたもんだよ……」
そう、貂蝉の言うように余り時間が残されていない。ここで時間を費やせば費やすほど、諸葛亮ちゃんと約束した期限が刻一刻と迫ろうとしていた。
袁紹に押し切られて、義勇軍がこのまま先陣を取らされるような事があれば、大きな被害は避けられないものとなる。
そうなってしまえば、劉備さんや皆が危険に晒される事になる。
そうなると分かっていて、このまま黙って見過ごすような真似は出来なかった。
いっそ、無茶を承知で突っ込んでみるか?
いや、それは勇気ではなく無謀だ。
陽動を仕掛けるにしても、身を隠す物が何も無いこんな場所では相手に気付かれる可能性が高い。
せめて――
「砦の様子を見渡せて、目の前の罠を回避できるようなそんな都合の良い道……あるはずもないしな」
「あら? あるわよん」
「へ? どこに?」
「ご主人様、お忘れ? 普通の人には無理でも、彼等は商会の精鋭なのよ?」
貂蝉の言葉に、そこにいる兵士達全員が首を縦に振ってウンウンと頷いていた。
全員の視線の先にあるのは、目の前のシ水関へと続く道ではなく左右に高くそびえる断崖絶壁。
この後、俺は自分の何気ない発言を心の底から後悔する事になった。
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第65話『両刀の男』
作者 193
「無理! 無理! 絶対に死ぬ!」
「大丈夫よん。落ちたら、わたーしの熱い抱擁で受け止めてあ・げ・る≠ゥら」
「それも嫌だぁぁぁっ!」
残してきた兵士達に陽動を頼み、俺と貂蝉は百名余りのこうした事に慣れた兵士を引き連れて岩壁をよじ登っていた。
しかもだ。なんの訓練も受けていない俺が、道具も無しに壁をよじ登るフリークライミングを要求されているのだから泣きたくもなる。
だがしかし、落ちたら貂蝉の熱い抱擁とつきっきりの介抱が待っているかと思うと、絶対にこの手を放す訳にはいかなかった。
落ちたら死ぬよりも辛い目に遭うのは確実だ。その恐怖が、この無理難題の窮地の中で俺の心を支えていた。
「隊長、頑張ってください! 後、もうちょっとです!」
「……お前達と同じ基準で考えないで欲しいんだけど」
というか、この絶壁を手を使わずに足だけで駆け上がれる貂蝉は別として、なんで他の兵士まで平然とした顔で当たり前のように壁をよじ登れるのか?
変人過ぎる。いや、もう何があっても驚くつもりはなかったけど、これは幾らなんでもおかしすぎるだろう。
分かっていた事とは言え、こんな訓練を当たり前のように課している商会の自警団は変だと思った。まあ実際、役には立っているのだが……。
技術も然る事ながら、まず第一に超人的な体力と筋力が要求される壁登りだ。
俺もまさか、毎日欠かさずに続けてきた鍛錬が、こんなところで役立つとは思いもしなかった。
「残り十メートルほどか……。というか、もう手や足をかけるところないんですが……」
「隊長! そういう時は、手を岩に突き刺すんです!」
「できるか!」
「え? 御遣い様はいつもやってるよな?」
「ああ、というか、あの人の場合は落ちる前に次の足を踏み出せばいいって崖を器用に駆け上がってるしな」
「あの……人間でも出来るアドバイスをして欲しいんだけど……」
貂蝉みたいな事が出来る人間が他にもいたとは……。いや、やっぱり人間じゃないな。その人。
「とにかく、どこか手頃な足場を探さないと……おっ」
周囲を見渡し、ようやく足場になりそうな場所を見つけて移動しようとした瞬間だった。
掴んだ岩の出っ張りがガタンという音を立てて脆くも崩れ去り、フワッと身体が浮き上がり岩壁から離れていく。
「え、ええええ!?」
残り僅かというところまできて、為す術もなく落下を始める身体。
何とも言えない浮遊感を味わいながら、俺は悲鳴と共に奈落の底へと落ちていった。
◆
「はあ、はあ……。本気で死ぬかと思った」
「大袈裟ね、ご主人様は……。落ちたら助けてあげるって言ったでしょ?」
「その助け方を俺は言ってるんだよ!」
確かに貂蝉は助けてくれた。空中で俺を拾うと、軽やかな身のこなしであっと言う間に崖の頂上まで駆け上がった。
そこには感謝しているし、とやかく言うつもりはない。問題はその助け方だ。
普通に助けてくれればいいのに、なんで全身で熱い抱擁をされなくてはならんのだ!
手を放せば崖の下に真っ逆さま。手を放したくても放せない地獄を俺は味わった。
「やっぱり隊長って……」
「ああ、間違い無いな」
「北郷両刀……」
「そこ! 変な渾名を俺に付けるな!」
命は助かったが同時に大切な物を失った気がした。主に男の……いや、人間の尊厳か何かを。
「……というか、こんな事が出来るなら最初から連れてきてくれれば」
「あらん? そんなに野暮な事はしないわよ。そ・れ・に、それじゃあご主人様とくんずほぐれつ密着できないでしょ?」
「やっぱり、確信犯か!」
もういい、なんか疲れてしまった。ここまでの道程よりも遥かにずっと……。
早まったかもしれないな。幾ら、薬代を稼ぐためとは言っても選択を誤ったかもしれん。
そもそも、貂蝉が一緒と言う時点でこうなる事は予想して然るべきだった。
自分の認識の甘さを今更呪ったところで全ては遅すぎる。『両刀』の名からしてそうだ。この噂を取り除くのは並大抵の事では無理だ。
この変人の集まり、いや変隊(誤字にあらず)の首魁として名が広まっていく自分の未来を想像して、背中にどんよりと暗い影を落とした。
「まあ、とりあえず崖の上には無事に辿り着けた訳だし……。さっさと目的を果たして帰るか」
後ろ向きに考えると更に暗くなるので前向きに任務の事だけ考える事にした。
それに、いつまでも敵の目を誤魔化せるとは思えない。
こんな非常識な場所から伏兵がやってくるとは敵も思ってはいないだろうが、陽動とバレるのは時間の問題のはずだ。
残してきた隊の皆が頑張ってくれている内に、目的を果たさないと――
「それじゃあ、隊長! 俺達、準備がありますんで!」
「え? 準備って……お前達何を……?」
「俺、李典様の工兵部隊に居た経験があるんで、この手の仕掛けはお手の物です!」
兵達が何か大きな道具を担いでいた。
あんな物をどうやってこんなところにまで運んだのか、と貂蝉の方に視線をやる俺。
「あらん、そんなに熱い視線を送られると胸がキュンッと高鳴っちゃうわん。さあ、ご主人様! 二人でもう一度、愛を確かめ合い――」
「絶対にありえないから! てか、近付くな!」
身の危険を感じた俺は迫ってきた貂蝉をいつもの調子でかわし、素早く距離を取って退避する。
その様子からも、これが貂蝉の仕業というのは直ぐに分かった。
――しかし仕掛けってなんだ?
俺達の任務は『偵察』だったはずだ。コイツ等、一体何をする気――
「北郷隊の強さを奴等に見せてやりましょう! そして、人和ちゃんと!」
「地和ちゃんと!」
「天和ちゃんと!」
『すとろべりーな一時を!』
いつの間にやら、彼等の中で握手会からハードルが上がっていた。それは望んでも絶対に無理だと思うぞ。
そして大切な事を失念していたのに気付かされる。また俺は大きな過ちを犯していた。
彼等が何故これほどやる気を見せていたのか、その原動力を考えればそれは直ぐに分かる事だった。
「お前等、わかってるよな! これは偵――」
『勿論! 俺達にお任せください!』
やる気に満ち溢れた目の前の兵士を見て、俺は激しい不安を覚えた。
【Side out】
【Side:霞】
「連中、何を考えとるんや? 千にも満たん兵でシ水関を攻めてくるやなんて……」
ここまでの罠を抜けてきた事からも、そうした事に特化した兵で構成された精鋭部隊だというのは分かる。
しかし解せないのは、まるでこちらを挑発するかのように千ほどの部隊でシ水関の正面に陣取っている事や。
何か策があると考えるのが普通。用意周到に罠を仕掛けて待ち構えていたのはウチらの方なのに、今は立場が逆転していた。
逆に罠を仕掛けられ、待ち伏せされているかのような違和感。
シ水関に籠もっているウチらの方が圧倒的に有利なはずやのに、武人としての勘が何かがおかしいと警笛を鳴らし続けていた。
「打って出ますか?」
「アホ言うな! そんな事したら敵の思う壺や。ここはじっと我慢しい」
「しかし連中の所為で、シ水関周辺の罠は次々に解除されています。このままでは作戦に支障が……」
「わかっとる。もしかしたら連中の狙いはそこにあるのかもしれん……」
少なくともシ水関を落としにきた戦力とは思えない。あれだけの部隊でウチ等を相手にするなんて勇気を通り超して無謀や。
最初は偵察が目的かと思ったが、それにしては連中の行動は目立ち過ぎる。それに連合の本隊に目立った動きがあったと言う話は無い。
残された可能性は罠を解除しにきた先行部隊と考えるべきやが、それだと余りに突出しすぎているし今のこの行動の説明が付かない。
「とにかく、暫くは様子見や。連中に何か策があったとしても、ここは難攻不落の要塞『シ水関』や。千や二千の兵に落とされてたまるかい!」
ここはシ水関。虎牢関に次ぐ難攻不落の要塞。どんな策があろうとそれに乗らなければ良いだけの話や。
ウチらの任務はあくまで時間稼ぎ。罠をああも簡単に抜けて来られたのは予想外やったが、まだシ水関が落とされた訳やない。
関にさえ籠もっていれば連中がどんな小細工を練ろうが、少なくとも時間だけは稼げると考えた。
そう、関にさえ籠もっていれば……そう考えていた時だった。
――ズドンッ!
突如、大きな地鳴りがシ水関を襲った。
慌てて外壁の上から音のした方角を振り返ってみれば、食料庫の方からモクモクと煙が立ち上っている姿が見えた。
「ご報告します!」
「今度はなんや!? まさか、敵襲か!?」
やはり、目の前の敵は罠か、とウチは心の中で舌打ちをした。
しかし左右を崖に挟まれ、洛陽まで伸びるこの一本道に伏兵を忍ばせておけるような場所はない。
一体、どこから……と兵の報告を待っていたところに、ウチの目にとんでもないもんが飛び込んできた。
「なっ、ななななっ!? なんやて!?」
「崖の上から奇襲! 直接、こちらを攻撃してきています!」
奇襲なんて次元の話ではなかった。
何やら崖の上から投げつけられ飛んでくる物。その物体が砦に落ちたかと思うと、大きな爆音を放ち周囲の建物を吹き飛ばす。
直ぐに頭を過ぎったのは、黄巾党本隊の拠点を僅か一部隊で壊滅寸前にまで追い詰めたと言われている部隊の話やった。
その時の部隊長は、天の御遣いと呼ばれている太老。そして構成された兵は何れも、太老が育てたという自警団の精鋭部隊。
そして、その部隊は今もまだ商会に――
「やっぱり、正面の敵は陽動か!? くっ! まさか、例の部隊を伏兵で崖の上に忍ばせとったとは!」
装備を抱えたままあの険しい崖を登り、移動するのは並大抵の事ではない。しかも部隊で行動していると尚更、その難易度はグンと跳ね上がる。
その難題を軽々とやってのける桁外れの精鋭部隊が、あの崖の上に潜んでいたという事実にウチは驚愕さえ覚えた。
そうや、間違い無い。あの噂の部隊が来とるんや――
「た、大変です! この先、二里の地点に砂塵を確認! 牙門旗には『袁』の文字! 連合軍の本隊が迫ってきています!」
「くっ! 本命はそっちか! こんなにも奴等がはよう動いてくるとは……」
布陣は完璧やった。しかし、それを逆手に取った鬼謀の持ち主が相手におる言う事や。
罠を張って待ち構えられている以上、籠城戦で講じられる策なんて限られてる。
こちらを誘い出すなんらかの策を講じるのが普通やが、この相手はそのウチらの意表と油断をついて敢えて危険な奇襲を仕掛けるという策を取った。
固定観念に囚われず籠城している相手に、こんな変わった攻め方をする相手が太老の他にもおったとは……。
「なんて、奴や……」
太老が不在の中、その精鋭部隊を指揮しているという指揮官。そいつが今回の策を実行したウチ等の敵。
士気高く勇猛な兵達を自在に操り、これだけの危険な任務を平然とこなす人物がいる。
商会の技術力に頼った戦い方ではあるが、この局面でこれだけの作戦を実行する胆力は並大抵の物では無い。
「くっ……やはり、そう上手くはいかんか……」
太老が代表を務めるという商会の義勇軍。
これが今回の一番の難敵やとは予想しとったが、まさかこれほどの人物が太老以外におるとは思っとらんかった。
距離から考えて連合の本隊が到着するまでに、それほどの時間的余裕があるとは思えない。
この混乱した状況の中、あれだけの人数に攻め込まれたら幾らシ水関といえど、それほど長くは保たない。
「全部隊に通達! 虎牢関まで後退する!」
「シ水関を捨てられるのですか!?」
「あの黄巾の乱で活躍した部隊の話をしらん訳やないやろ!? あそこにおるのはその部隊で間違い無い!」
「なっ!?」
「どの道、このままやったらシ水関は長くはもたん! 大きな犠牲が出る前に一時撤退する。仕切り直しや!」
「――りょ、了解しました!」
事態の深刻さをようやく呑み込めたのか、慌てて撤退の準備を始める兵達。
あの黄巾の乱の話は都にも伝わっていた。天の御遣いの名を大きく広める事になった事件の一つ。その話を知らない者は少ない。
話を信じる者もいれば、そんな馬鹿なと笑う者もいる。そんな御伽話にも等しい噂の部隊が、敵としてウチ等の目の前に現れた。
ここで少数と侮って反撃すれば、確実に大きな痛手を被る事になる。それはウチ等とて望むところやない。
「せやけど、この借りは必ず返させてもらうで……」
予定の半分も時間を稼げんかった。
それを成し遂げた顔も名も知らぬ敵の指揮官。悔しくもあり、まだ見ぬ強敵の登場に不謹慎にもウチの武人としての心が震えていた。
「撤退!」
その直ぐ後の事。斥候の報告から、シ水関をたった千人で落とした指揮官の名が伝わってきた。
名は北郷一刀。『両刀』の二つ名で呼ばれる男。
その二つ名からも、恐らくは二本の剣を自在に操る凄腕の武人とみて間違い無い。
太老以外に心から戦ってみたいと感じた、二人目の男の登場やった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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