「連合の『両刀』って奴の噂きいたか?」
「ああ、とんでもなく強い双剣使いって話だろう?」
「……俺達、大丈夫かな?」
「バカ言え、呂布将軍や張遼将軍がこっちにはいるんだぞ?」
「そうそう、それに今の虎牢関を突破できる奴なんて居る訳がねーよ」

 ここは虎牢関。洛陽へと続く峡谷にそびえ立つ難攻不落の要塞だ。
 兵士達の話題の中心となっているのは、先日シ水関を陥落させたという『両刀』の噂についてだった。

 凄腕の双剣使いと噂されるその人物については、シ水関を千にも満たない部隊で攻略してみせたと言う事くらいしか分かっていない。
 男だというのは後から斥候によってもたらされた情報で、実のところ『両刀』の二つ名以外は殆ど何も知られていない謎の多い人物だった。
 故に噂には尾ひれが付き、

 ――見るだけで足がすくんでしまうようなバケモノを従えているだの
 ――男でも女でも頭からバリバリと食べてしまうだの
 ――光を反射する不思議な衣を身に纏っていて槍や剣が通用しないだの

 なんの根拠もない根も葉もない噂ばかりが広まっていた。
 とはいえ、火のない所に煙は立たない。噂とは、どこか真実を含んでいるものだ。

「お前達、そんなところで何サボってるですか!」
「うっ、陳宮様!」
「敵はそこまで迫ってるのですから、早く持ち場に戻るですよ!」
「は、はい!」

 小さなこれまた幼い少女に怒られて、慌てて散り散りに持ち場へと戻っていく兵士達。
 この小さな少女は『陳宮』、字を『公台』。真名を『音々音』という、ちょっと変わった名前の女の子だ。
 自称『呂布の軍師』を名乗る少女は、これでも一応は董卓軍に所属する軍師の一人だった。

「全く、弛んでるですよ」
「まあ、浮き足立つ気持ちは分からんでもないけどな」
「それほどなのですか?」
「ああ、あれは只者や無かった」

 音々音の質問に、霞はシ水関での出来事を思い出しながらそう言った。
 戦場で感じたあの嫌な空気が勘違いであるはずもなく、霞の武人としての勘が一筋縄でいく相手では無いと警告を鳴らしていた。
 口では色々と言ってはいても、音々音も霞の武人の勘を信じていない訳ではない。
 実際に戦場に立ち、その相手と対峙した霞が言う以上、それなりの説得力がある言葉だと彼女も分かっていた。

「でも、恋殿が居れば負けるはずがないのです!」
「まあ、恋は確かに強いけどな……」

 天下無双とまで言われる飛将軍『呂布』の強さは、音々音に今更言われなくても霞も分かっていた。
 しかしそれでも不安が拭いきれないのは、これまでに戦った事の無いような不気味さを相手から感じ取っていたからだ。
 ただ武に優れただけの武人なら大勢居る。知に優れただけの軍師なら大勢居る。
 しかし武と知に優れ、更には指揮官としても有能な人物など探したところでそうは見つかる物では無い。
 そして今回の相手は霞の勘が正しければ、その全てを兼ね備えた『英傑』とでも言うべき相手だった。

(その上、運を味方につけとるのも確かや……)

 流れは向こうにあると霞は考えていた。
 以前として有利なのはこちらだが、連合軍に勢いがあるのは確か。
 しかも、まだ曹操や孫策と言った英傑が控えている以上、油断は出来ないと霞は考える。

「とにかく、ウチ等の目的は時間稼ぎや。出来る限り、ここで時間を稼ぐで」
「言われなくても分かってるですよ」

 もう後がない、とばかりに霞は覚悟を決めて、音々音にそう言った。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第72話『干吉のシナリオ』
作者 193






【Side:太老】

「そろそろ、虎牢関に連合が接近する頃か……」

 通信機でもあれば便利なのだが、そんなの物がこの世界にあるはずもなく商会で使っている連絡手段も今回は間に合わなかった。
 機材を確保しなくてはならないと言うのもあるが、モールス通信は一朝一夕に出来る物では無い。
 あれでも、うちの連中は厳しい訓練の合間に講義を受けて、勉強しているから知識に長けているだけの事だ。
 時間稼ぎのために先にでた霞達に、それを教えている時間は無かった。

「心配なのは分かるが連絡を待つしかないじゃろ?」
「そうなんだけどね。やっぱり通信網のインフラ整備は必要不可欠だな」
「つうしんもう? いんふら?」
「分かり易く言うと、遠くの人と連絡が取れるようになる道具かな? 馬で何日も掛かる距離を一瞬でやり取り出来るんだ」
「おおっ! それは便利そうじゃな!」

 虎牢関から早馬を飛ばして三日。この三日と言う時間は、戦争に置いて運命を分ける貴重な時間となる。
 今更無い物ねだりをしても仕方が無い事ではあるが、光を使ったモールス通信の配備、もしくはもっと簡単に腕木通信なんて方法もある。あれなら望遠鏡さえ確保できれば、比較的簡単に大量に設置する事も可能だ。
 まあ、林檎が色々とあちらの世界から工房のアイテムを持ってきてくれているので、やろうと思えばもっと本格的な事も可能かもしれないが、それもこの戦いを無事に乗り越えてからの話だった。
 色々と始めようにも、まずはここに居る全員が生き残る事が最優先だ。霞達の頑張りを無駄にする訳にはいかない。

「天の世界には本当に不思議な物が色々とあるのじゃな」
「まあね。機会があれば、色々と見せてやるよ。商会に行けば、こっちに来てから俺が作った道具が幾つかあるし」
「うむ。楽しみにしておるぞ」

 以前に比べて少し柔らかくなった笑顔の劉協を見て、俺はそんな時が来る事を心から祈った。
 先日、皇居を抜け出して遊んで帰った俺達は、林檎や女官達、果てには話を聞きつけてやってきた大長秋にこっ酷く叱られる事となった。
 ただそれ以降、張り詰めた以前の感じが劉協からは殆ど感じられなくなった事に、俺は安心感を覚えていた。
 少しでもアレが息抜きになったのだとしたら、叱られた甲斐もあったと言う物だ。

 思い詰めた表情よりは、こうして笑っている方がずっと可愛らしい。この笑顔のためなら、少々無茶な事でも俺は頑張れる。
 劉協だけではない。子供達が笑って過ごせる。腹を空かせて泣く事もない。そんな世界であって欲しいと俺は願っていた。
 多分それは俺だけでは無い。あの華琳だって、心の奥底では一番にそれを願っているはずだ。だから、こんな戦いは一刻も早く終わらせたい。

「全部片付いたら、劉協ちゃんも学校に行くか」
「がっこう?」
「同じ年頃の子供達が集まって、一緒に勉強するところだよ」
「太老。御主……」

 劉協に足りない物。それは友達だ。俺や月達も劉協の事を当然ながら思っているが、やはり大人と同世代の子供達とでは全然違う物だ。
 皇帝と言う立場が邪魔をして、彼女には同世代のそうした友達が居ない。それが俺は良い事だとは思えなかった。

 こんな小さな身体で、国という大きな重みを一人で背負う必要なんて無い。
 出来ないのは当たり前だ。知識が足りない、力が足りない、経験が足りない。幾ら背伸びをしたところで、急に大人になれる訳ではない。
 子供時代の思い出は子供の時にしか作れない物。だからこそ、劉協には皇帝としてではなく、少しでも子供らしい生活を知って欲しかった。
 そこからしか学び取れない物、得られない物が必ずある。バカな事と笑うような思い出でも、それは劉協にとって掛け替えの無い思い出として記憶の中に残るはずだ。
 同世代の友達は居たものの、男友達の少なかった俺だからこそ、その事がよく分かる。後、非常識な大人達に囲まれてたしな。
 まあ、何を言いたいかというと大人の都合に振り回される子供を俺は見たくないのだ。

「……太老。この戦いが終わったら、我の願いを一つだけ聞いてはくれぬか?」
「願い? まあ、俺に出来る事なら考えなくもないけど……以前の『キノコ見せろ』とか以外なら」
「あ、あれはもう言わん! と、とにかく約束したからの!」

 何だかよく分からないが、半ば強引に約束をさせられてしまった。
 願わくば変な事ではありませんように、と今はただ祈るばかりだ。


   ◆


「劉協様に随分と懐かれてしまったようですね。そうしていると、本当の親子みたいですよ」
「からかわないでよ……。まあ、実際それでもいいかな、と思ってはいるけどね」

 俺の膝の上で、スヤスヤと寝息を立てながら眠っている劉協。こうしていると年相応の女の子にしか見えない。
 本当の親子にはなれないけど、林檎の言うように劉協の事を娘のようには大切に想っていた。

 当然、皇帝としての責任や義務はあるだろう。皇族として生まれ、その特権を享受している身であれば、その責任を果たすのは当然の義務だ。
 ただ、だからと言って、こんな小さな女の子が一人でその責任を全て背負わされる理由にはならない。
 宦官達の都合で皇帝に祭り上げられ、両親とたった一人の姉を失ったにも拘わらず、この国のために民のためにと努力する彼女の気持ちは確かに立派だ。
 でも、そこに彼女の幸せはない。親が子供の幸せを願うのと同じように、彼女の事を思っている周りの人達は彼女の幸せを一番に願っている。
 劉協に必要なのは皇帝としての責務や、一人で頑張ろうとする気持ちじゃない。もっと誰かに頼ったり、甘えたりする子供らしさだ。
 人に頼る事を、甘える事を知らずに育った彼女に、俺は、いや俺達はもっと頼って欲しかった。

 俺は言い切れる。幼女が幸せになれないそんな世界なんて、間違っている! と――

「この世界の真実を知っても尚、その考え方に変わりが無いようで安心しました」
「真実? あのプログラムがどうこうって奴?」
「はい」

 確かにあの話は少なからずショックを受けたが、だからと言って何かが変わる訳ではない。
 元の世界に帰るためには、この外史を終わらせなければならないと言う事。
 そのためにはこの物語の主人公である北郷一刀を見つけなくてはならないと言う事。
 それに――

「何も変わるはずがないよ。ここに劉協ちゃんは居る。俺が出会ってきた人達は『プログラム』なんて言葉で片付けられるほど単純なものじゃない」

 彼等は確かに生きている。林檎が言ったように、ここは既に確立された世界なのだろう。

「それにプログラムに魂が宿らないなんて今時、誰も信じない俗説だよ?」
「そうですね。太老様なら、必ずそう仰ると思っていました」

 嬉しそうにそう話す林檎。さすがに俺もそこまで無知じゃない。
 プログラムであろうと、長い歳月を掛けて人間のように育った物には(アストラル)が宿ると言うのが、俺達の世界の常識だ。
 当然、人工知能にだって、銀河法でちゃんと人権が認められている。
 彼女達が例え、この世界の一部でプログラムであろうと、だからと言って付き合い方を変える理由にはならなかった。

「その上で、お訊きします。太老様は本当にこの世界を……物語を終わらせる事が出来ますか?」
「……林檎さん?」
「この世界で生まれた彼女達は、この世界でしか生きられない。この物語の中でしか、彼女達は存在できません。そして物語を終わらせると言う事は彼女達も……」

 林檎が何を心配しているのか、ようやく何を言いたかったのか、事情が呑み込めた。
 林檎の話を聞かされた時から考えなかった訳じゃ無い。俺達が元の世界に帰ると言う事は、この世界を終わらせると言う事だ。
 俺にだって、あちらの世界に残してきた家族が友達が仲間が大勢居る。元の世界に全く帰りたくないかと聞かれると、そうではない。
 だけど――

「申し訳ありません。出過ぎた真似を……。ですが、私には太老様をあちらの世界に連れて帰ると言う役目が……」
「いや、林檎さんは悪く無いよ。俺が自分でちゃんと答えをださないといけない事なんだから……」

 そう、俺が自分で答えを出さなくてはならない問題だ。林檎にだけ嫌な思いをさせるべきではない。
 そして、どちらか一方なんて選べない。だとすれば、俺が取るべき選択は一つしか無かった。

【Side out】





「董卓軍と連合軍の戦い。フフッ、これを利用しない手はありませんね」

 幸いにもここにあの男は来ていませんから、と不気味に笑う白装束の男。そう、干吉だ。
 高い崖の上から、水晶球を使って両軍の様子を観察していた。

「先陣は曹操ですか」

 これは使えそうですね、と水晶を見ながら干吉は言った。
 北郷一刀や正木太老で無い限り、この世界の人形如きに後れを取る自分では無いと干吉には絶対の自信があった。
 幾ら相手が英傑とは言っても、所詮は舞台の役者に過ぎない。それは演出家を気取る干吉にとっては、盤上の駒と同じだ。

「太平要術の書に集まった妖力は全体の三分の一。それでも、このくらいであれば問題は無い。張譲、あなたにも役に立って貰いますよ」
「…………はい。干吉様」

 目が虚ろな、まるで操り人形と化した張譲が干吉の傍に控えていた。
 その手には一冊の本。太平要術の書を持って――

「彼等の絶望が、怒りが悲しみが、太平要術の糧となる」

 目的のためには手段を選ばないといったように、干吉は虫けらでも見るかのように水晶に映る両軍を蔑んだ。
 そう、これから始まる事は戦いなどではない。ただの捕食だ。干吉のシナリオの上で踊る役者達の舞台。

「さあ、はじめましょうか。怨嗟の声に満ちた最高の悲劇を」

 無情にも運命の鐘は鳴る。干吉の描いたシナリオの幕が開けようとしていた。





 ……TO BE CONTINUED



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