【Side:雪蓮】
「冥琳、まだ釣れないの? 伝説のカニ」
「急かすな。釣りはこうして獲物が掛かるのをのんびりと待つ物だ」
「それは分かってるんだけど、時間も余り無いし……」
「なら、雪蓮。お前が潜って獲ってくるか?」
「うっ……それは……」
こんな得体の知れない海か河かも分からないような場所で、素潜りなんてしたくは無かった。
「餌が悪いんじゃない?」
「しかし、ここには他に餌になりそうな物はない。これだって兵達の糧食をだな」
「わかってるけどさ。伝説のカニって言うくらいだから、きっと凄い餌が必要なんじゃない?」
それを言ったら、カニが釣り竿で釣れるなんて話も聞いた事が無い。
伝説のカニと言うくらいだ。普通の餌で釣れるとは思えなかった。
「それでは何を餌にする気だ?」
「えっと……」
アレなんかいいんじゃない、と私は兵士が連れている馬を指差した。
伝説のカニというくらいだから、きっととんでもなく大きなカニだと思う。
このくらい大きな獲物じゃないと、食いつかないのでは無いかと考えたからだ。
「雪蓮。お前を餌にしてやろうか?」
「じょ、冗談よね?」
冥琳の冗談とは思えない発言に、私はポタリと冷や汗を流す。まあ、確かに釣り竿に括り付けられそうな物では無かった。
ここで本当に餌にされては堪った物では無い。他に何か無いかと探しているところに釣り竿と一緒にあった木箱を見つける。冥琳が『ガラクタばかり』と言って角に放置していた箱だ。
「そうよ! これ! これなんてどう!?」
「…………本気か?」
私が手に取ったのは、箱の中に目立つように置かれていた金属の筒だった。
天の文字で何か書かれている気がするが、なんて書かれているのか私には読めない。
でも、釣り竿と一緒に置かれていたのだから、何か意味がある物に違いない。私の勘がそう告げていた。
「では、頑張れ。雪蓮」
「へ? ちょっと冥琳は?」
「言いだした人間が責任を持って試すのは当然だろう?」
冥琳に手渡された釣り竿と、もう片方の鉄の筒を見て、私は大きくため息を漏らす。
ここで断れば、今の冥琳だったら絶対にする。
私を餌にしてカニを誘き寄せるくらいの事は、平然とした顔でやりそうだと思った。
「えっと、ここに括り付けて……」
都合良く糸を通す穴が空いているのを見つけて、そこに金属の筒を括り付ける。
中に水でも入っているのか、筒が揺れる度にトプトプと液体が揺れる音が聞こえていた。
【Side out】
異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第77話『カニの恩返し』
作者 193
【Side:冥琳】
「なんじゃ、もう飽きたのか?」
「少し休憩です。代わりに雪蓮が釣りをしています。そういう祭殿は、こんな時にまでお酒ですか? 釣りはどうされたのです?」
「策殿が釣りとは珍しいの。釣りなら心配はいらんぞ。儂の代わりは兵達がやってくれておるわ」
そう言って、カカカと大口を開けて笑う祭殿。こうしたところは相も変わらずと言ったところだった。
また言っている傍から、グビグビと酒を口にする祭殿。
ここが戦場だと言う事も、そんな祭殿を見ていると忘れ掛けてしまう。
「お気楽すぎです。ここは敵の勢力圏のど真ん中なのですよ? 戦場と言う事をお忘れですか?」
「そうは言っても敵の姿など見えぬしの。気ばかり張り詰めておっては疲れるだけじゃぞ」
「そう言って、敵の奇襲があったらどうするのですか!?」
「その時はその時じゃろ。あれこれと考えすぎても良い答えなど出ぬぞ。策殿なら、きっとそう言うじゃろうな」
確かに雪蓮なら、『ああ、考えるだけ無駄無駄』と言って笑って答えるに違いない。
それに祭殿の言い分にも一理あった。何も分からず、不安に駆られているのは私達ばかりではない。兵達も同じだ。
それなのに彼等の上に立つ我々が余裕を無くしていては、その動揺は兵達にも伝染する。こうしていつもと変わらず、気楽に振る舞っている二人が居るからこそ、兵達の動揺も最小限に抑えられているのだと心の底では分かっていた。
考えてやっているとは思えないが、どんな状況であっても変わらずに最善と思える行動を極当たり前に取れるのが雪蓮の凄いところだ。
「焦っておるのか? いや、戸惑っておるのか?」
「……正直に言えば、戸惑っています。軍師として、余り役に立っているとは言えませんからね」
「仕方あるまい。正直、相手が悪すぎる。堅殿が生きておっても、同じ事を言ったじゃろうな」
「……わかりますか?」
「本質は曹操より、策殿に近いのやもしれぬな。天の御遣いか。ククッ、なかなかに面白い男のようじゃの」
年の功と言ったところか、相手の力量を認め自分達が不利である事を知りながらも、この余裕。
さすがは先代から変わらず、孫家にお仕えしている宿将だ。
歳を感じさせない力強さを、私はその言葉から感じ取っていた。
「ぷはーっ! やはり昼間から飲む酒は格別だのう」
いや、訂正しよう。やはり、ただの酔っ払いだ。少しだけ、連れてくる人選を誤ったかもしれないと考えさせられた。
祭殿がここに居るのは、この連合の後の事を考えた末の決定だった。
(あちらは上手くやっているといいのだが……)
雪蓮の妹君であり、呉の三姫の次女にあたる次代の呉王『孫権』様に有能な配下を付け、袁術から呉を奪還するための準備を進めて頂いていた。私達は言ってみれば袁術の目を欺くための囮。本命は河南に残った孫権様達の方にあった。
呉の宿将として名高い黄蓋殿に、『江東の麒麟児』と恐れられる英傑の一人にして呉の王である孫策と、その軍師の私であれば、袁術の目を惹く餌としてこれほど最適な人物は居ない。そう考えて祭殿を連れてきたのだが……敵地で、それも罠に掛かって途方に暮れているこの状況下で、呑気に昼間から酒を飲んでいる姿を見るとため息ばかりが溢れる。
「どうじゃ? 御主も一杯」
「遠慮しておきます……」
「御主は少し堅物過ぎていかん。そんな事では大成できんぞ」
「結構です。私は孫策様の軍師ですから」
そう、私は雪蓮の軍師だ。呉の地を取り戻し、彼女を支えるのが私の使命。幾ら祭殿に言われようと、この性格を変えるつもりはなかった。
そうでなくても、うちの者達は癖が強く扱い難い、非常識な人間ばかりだ。その筆頭が雪蓮や祭殿と言える。
一人くらい常識人が居ないと、組織としての纏まりが保てなくなる。損な役割と理解しつつも、私はその役目に誇りを持って仕事をしていた。
子供の時に魅せられた雪蓮の人柄と器の大きさに、私は今も心を奪われたままだ。あの時に誓い合った約束は、今も忘れてはいない。
彼女と一緒であれば、どんな苦難だって乗り越えられる。それが私が軍師を志した切っ掛け、雪蓮を支え続ける理由だった。
「若いな。まあ、程々にの」
「…………」
どこまで気付いて言っているのか、この人の言葉は時々分からなくなる。ある意味で、私が苦手とする人物の一人だ。
付き合いはそれなりに長いが、祭殿の心の内は未だに読めない事ばかりだ。
飄々としていて雲のように掴めない。私の注意や叱責などなんのその、全く堪えた様子も無く次の日には仕事をさぼって、また昼間から酒を飲んでいる始末。雪蓮以上に面倒で厄介な人物だった。
ただそれでも、戦場で背中を預けるのに、これほど頼りになる御方は他にいない。
呉の宿将『黄蓋』、字を『公覆』。いざと言う時、一番頼りになる御方だと私は信頼していた。
「どうした? 欲しくなったのか?」
尤も、そんな事は本人の目の前では絶対に口には出来ないが……。
「結構です。お歳なのですから、酒も程々にしてください」
「何を言う。まだまだ儂は現役じゃぞ? 子を孕もうと思えば、孕めるじゃろ」
「孕……!? 誰の子を孕まれるおつもりですか!」
「ふむ。確かに相手がおらぬな。いっそ、天の御遣いとやらを籠絡してみるか」
この人なら本当にやりかねないと思い、私は頭が痛くなった――その時だ。
――ズドーン!
船が激しく左右に揺れた。まるで高波に煽られたかのような大きな揺れに、私は慌てて壁に手を付く。
「ああ……儂の酒が……」
「酒の心配をされている場合ですか! 外で一体何が!?」
敵の奇襲? いや、こんな見渡す限り海のど真ん中で敵の奇襲など考え難い。
外には雪蓮がいる。状況を確かめるのが先と考えた私は、役に立ちそうに無い祭殿を放って先に外へ飛び出した。
「雪蓮!」
「あ、冥琳……」
珍しく驚いた様子でポカンとした表情を浮かべる雪蓮と、困惑した様子の兵達。
「伝説のカニ……釣り上げちゃったみたい」
【Side out】
【Side:雪蓮】
「ぷはー! やっぱり『ロボビタールA』はアカデミー製の物が一番ですね」
驚く私達の前に突然現れた喋るカニ。いや、カニ頭の少女。私が釣り上げたのが、目の前に居る彼女だった。
餌として釣り糸の先に括り付けてあった筒から、チューッと中の液体を吸い出し美味しそうに飲む少女。
「それ、飲み物だったの?」
「あ、ごめんなさい。よかったら、飲みますか?」
「じゃあ、ちょっとだけ試しに……」
「雪蓮! そんな怪しげな物を口に――」
「ぶはっ!」
「しぇ、雪蓮!?」
ほんの少し口に含んだ瞬間、何とも言えない吐き気に襲われ、私は口の中の物を慌てて全て吐き出した。
飲み物なんてとんでもない。この臭い、この感じ……燃える水に近い代物だ。
こんな物を美味しそうに平然とした顔で飲むなんて、この子やっぱり普通じゃない。
「し、死ぬかと思ったわ……」
「ごめんなさい。人間の方には刺激が強かったみたいですね」
テヘッと可愛らしく笑顔を向けてくる少女を見て、絶対に態とだと思った。
「やっぱり、強引なシステム介入はダメですね。変なところに出口が繋がっちゃうし、でもお陰で助かりました」
少女の口にした『しすてむ』という言葉に首を傾げる。何を言っているのか、さっぱり事情が呑み込めない。
「……さっき、『人間の方』と言ったな。まさか、自分の事を人間では無いと言うつもりか?」
「伝説のカニじゃないの?」
「雪蓮……お前は黙っていてくれ」
ムッとした表情を私は浮かべる。これでも真面目に考えて言ったのに冥琳は冷たかった。
伝説のカニを釣れと書かれていて、その通りにやったらこの子が釣れた以上、無関係とは思えない。
「伝説のカニって、オリジナルの事ですか? まあ、間違ってはいないですけど」
「おりじなる? なんの事だ?」
「私は伝説のカニこと白眉鷲羽様のコピー『ブラック鷲羽』。オリジナルを攻撃するために作られた侵略プログラムです」
「こぴー? ぷろぐらむ?」
冥琳も少女の回答に首を傾げていた。言っている意味の半分も理解出来ない。それは私も同じだ。
まるで太老みたいな不思議な言葉を使う少女に、私達は首を傾げるばかりだった。
太老みたいな? もしかして――
「もしかして、太老の知り合い?」
「あ、マスターをご存じなんですか?」
「ますたー?」
「はい! 私はマスター『正木太老』様の忠実なメス豚です!」
『…………』
さすがの冥琳もこれ以上は話についていけないと言った様子で、眉間にしわを寄せて頭を抱えていた。
少女の話から察するに、『ますたー』というのは主人の事なのだと察しが付く。
この子の御主人様は、太老で間違いないのだろう。でも『メス豚』って……。
少しだけ、太老に小蓮を預けている事に不安を覚える私だった。
「で? これで良いのよね?」
「何がですか?」
「私達、一刻も早くここを出たいのだけど……」
「ん? ああっ、そう言う事ですか」
あの紙が記すとおりなら、伝説のカニを釣り上げればそれで終わりのはずだ。
この子がなんとかしてくれるものだと私は考え、少女に確認を取るように質問した。
納得の行った様子で、ポンと手を叩く少女。悪い子じゃ無さそうなんだけど、今一つ性格が掴めない。
「任せてください! そのくらい朝飯前です! 助けてもらった御礼はちゃんとしないとダメですしね」
カニの恩返しは効果抜群なんですよ、と言って前か後か分からない薄い胸を張る少女。
これでようやくこの幻から解放される、そう私達は安堵した。
◆
――はずだったのだが、どう言う訳か今度は水の上から一変、険しい山岳の頂きに私達は居た。
しかも、猛吹雪。温かいところで育った私達の服装は基本的に薄着なので、この寒さは肌に堪える。
雪山で遭難なんて、生まれてはじめての経験だった。
「あの子……今度あったらタダじゃおかないわ」
「やめておけ……。アレは天の御遣いの関係者だぞ?」
「だったら、太老に返してもらうわ! 犬の躾は飼い主の責任よ!」
「アレはカニだがな……」
身体を震わせながら、取り敢えず休める場所を探して雪山を歩く。
もう、何も考えたくない。凍えるような寒さに耐えるだけで精一杯だった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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